k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

アングロサクソンとロシアの対立 ②


 前回の、テリー・ボードマン氏のウクライナ問題の論稿のパート1では、英米が、中央ヨーロッパと東ヨーロッパを分断させ、ドイツとロシアの弱体化を図る戦略を進めてきたこと、シュタイナーによれば、その背景には、ドイツ人とスラブ人(ロシア)の協力の中で生まれるであろう次の文明期への展望が存在することが述べられた。

 パートⅡでは、ロシアを巡る英米の現在までの戦略が語られる。

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ロシアを分割する

  ブレジンスキーは、1992年の論文で、例えば、ソ連崩壊後のロシアが分割されるかもしれないという考え方を示した。彼は、「ロシア自身の統一も近いうちに危うくなり、おそらく極東地域は、遠くないうちに、シベリア・極東独立共和国を立ち上げようと誘惑されるだろう」と書いた。ブレジンスキーは5年後、主要著作『グランドチェス盤』でこの極東共和国の概念に戻って来る。この崩壊したロシアは、同じ1992年の冬に、グローバリストの新世界秩序の主要な宣伝機関であるイギリスの週刊誌『エコノミスト』の記事にも登場したエコノミストの匿名の執筆者は、今後50年間の未来を想像し、その間に、ウラル山脈以東のすべてのロシア、広大な領土が「イスラム超国家的存在」と中国に奪われるだろう、と示唆したのである。ロシアは16世紀のヨーロッパの国境線に戻り、おそらくアメリカとスイスのバーゼルにある国際決済銀行の「指導の手」の下で、大西洋横断的な欧州連合に統合されることになるだろう、と。

 

 ブレジンスキーは、『グランド・チェスボード』(1997 年)の「ブラックホール」と題する章で、ロシアの「唯一の選択肢のジレンマ」と呼ぶものについて次のように書いている。ロシアにとって唯一の地政学的選択肢、すなわちロシアに現実的な国際的役割を与え、自らを変革し社会的に近代化する機会を最大化しうる選択肢は、ヨーロッパである。それも単なるヨーロッパではなく、拡大するEUNATOによる大西洋横断的なヨーロッパである。そのようなヨーロッパは、形を整えつつある...そして、アメリカと密接な関係を保ち続ける可能性もある。」

 ブレジンスキーは、また「ロシアが危険な地政学的孤立を避けるためには、そのようなヨーロッパと関係を持たなければならないだろう」と述べた。ブレジンスキーは、ロシアの前に「NATOとのますます緊密な関係」という展望をちらつかせたが、あくまで関係であって、完全加盟ではない。

 ブレジンスキーは、ロシアは「ウクライナだけでなく、ウラル山脈、さらにはその先まで包含するヨーロッパの不可欠な一部となる可能性がますます高まっている」と述べている。ブレジンスキーがこだわったのは、「ロシアの再定義」と「ロシア帝国の終焉」だった。ロシアがブレジンスキーの大西洋横断主義的なヨーロッパの未来を受け入れることを拒否したり、ウクライナEUNATOへの完全参加を拒否したりすることについて、ブレジンスキーは次のように語る。ブレジンスキーの背後に、彼の長期スポンサーであるデイヴィッド・ロックフェラーなど西側の富裕層がいることを忘れてはならない-「... このプロセスがどれほどのスピードで進行するかは予測できないが、ひとつだけ確かなことは、 ロシアをその方向に駆り立て、他の誘惑を封じるような地政学的状況が形成されれば、それはより速く進むだろう... 実際、ロシアにとって、一つの選択肢のジレンマは、もはや政治的選択をする問題では なく、生存という必然に直面することなのだ」。これは明らかに威嚇の言葉で、1990年代のアメリカの「ユニポーラ(一極支配)の時」に影響力を持った アメリカの政治家が傲慢きわまりなく言ったものである。

 

 もちろん、1990年代半ばのブレジンスキーは、習近平と、習近平が2013年に政権に就いてから着手した「新シルクロード」とも呼ばれる広大なユーラシア一帯一路輸送インフラプロジェクトは予見していなかっただろう。今日、ロシアは今年2月以降、欧米とその傀儡による制裁を受けたにもかかわらず、欧米のメディアが絶えず口にする地政学的な「孤立」や「孤独」からはとても遠ざかっているキエフのマイダンのクーデターで始まった2014年、中国で習近平が政権を取ったわずか1年後に、ロシアと中国はロシアのガスを30年かけて中国に供給する4000億米ドルの巨大ガスパイプライン計画「Power of Siberia」に調印しました。交渉は10年近く前から行われていた。2019年12月から中国にガスが流れ始めた。

 

ロシアとユーラシアの「ピボット(軸足)」

  その交渉が行われていた頃、欧米のメディアはオバマ大統領の新しい戦略「東アジアへの軸足」(2012年)についてよく語っていた。「ピボット」という言葉の使用は、ズビグニュー・ブレジンスキー地政学上の長年の師匠の一人であるエドワード朝時代の地理学者ハルフォード・マッキンダー卿(1861-1947)の重要な概念を思い起こさせ、興味深いものであった。ブレジンスキーは『グランド・チェスボード』の中でマッキンダーとその概念に言及し、「地政学は地域から地球規模に移行し、アジア大陸全体に対する優位が世界の優位の中心的根拠となった」と主張して、それを軽視しているように見える。しかし、実は、ブレジンスキーの著書全体がこの主張と矛盾している。彼自身の懸念は、英米の戦略思考においてマッキンダーのオリジナルの洞察が現在も重視されていることを裏付けているのである。日露戦争(英国の対ロシア代理戦争)が勃発した1904年、ミルナー卿の弟子でロンドン経済学院の院長だったマッキンダーは、すぐに有名になったテキスト『歴史の地理的軸』を発表し、その中で「ハートランド」または「軸」理論を展開している。マッキンダーは、ウラル山脈の東側、シベリアと中央アジアの大部分、そしてヒマラヤ山脈と中国に至る広大な地域が、世界のパワーの鍵を握っていると主張した。なぜなら、この地域には膨大な物質資源、水源、この地域に住み、そこから生まれ、数世紀をかけて渡ってきた多くの人々のエネルギーがあるからだ。この巨大な領土を所有し、そこに鉄道網を建設できる国家は、イギリスやアメリカなどの海洋国家からの攻撃に対して難攻不落の陸上国家となり、中国、日本、ドイツなどの沿岸大国と同盟を結ぶことができれば、世界の覇権を握る海洋国家に挑戦できる大艦隊を建設できる人的・物的資源を持つことになるのである

 

 習近平の「一帯一路」プロジェクトは、マッキンダーの悪夢を現実にしたものである。このピボットまたはハートランド地域へのアクセスを得るために、マッキンダーは、東ヨーロッパの制御が重要であると述べた。今日、それはウクライナを意味し、ブレジンスキーのグランドチェスボードにおいて、ウクライナが重要なチェスの駒である理由であるウクライナがしっかりと西側の一部となり、EUNATOに統合され、2005年から2015年の間にそうなると彼が予想した場合、a)ロシアが「帝国」であり続けることが不可能になり、b)ロシアがオリエント、あるいはオクシデント(西部)自身が西洋に向かうようになり、c)アメリカが、フランス、ドイツ、彼の先祖の故郷のポーランドを通じて、ウクライナ(その多くはかつて彼自身の先祖も属していたポーランド貴族のものである)、さらに中央アジアと「ピボット」地域へ力を注ぐことが可能になる。

 2001年のアフガニスタン侵攻以降、2001年から2021年にかけて、アメリカは中央アジアに設けたいくつかの基地から徐々に押し出されていったことを考えると、ウクライナは西側の中央アジアへの浸透にとってさらに重要なチェスの駒になった。2014年のマイダン・クーデター後のドンバスとクリミアでの紛争勃発後、米国はウクライナに25億米ドル(2014~2022年2月)、うち4億米ドルは2021年だけで軍事装備と訓練の提供を開始し、2022年2月から「安全保障支援」で56億米ドルをウクライナに提供している。「2022年4月28日にジョーバイデン米大統領は議会に、ウクライナに武器を提供するための200億ドルを含む330億ドルを追加支援するように求めた」とある。2022年5月21日、米国はウクライナに新たに400億ドルの軍事・人道的対外援助を行う法案を可決し、歴史的に大規模な資金投入を行った」。 これは、2011年から2020年の間に米国の年間総対外援助に平均400~500億ドルが費やされていることと対照的で、米国の有力者がウクライナと現在の紛争をどれほど重要と考えているかを示す手がかりとなる。この数字は、アメリカがロシアに対して代理戦争をしていることを示唆している。ウクライナ軍がアメリカ人の代わりに死んでいる戦争で、ブレジンスキーの目標であるEUNATOに加盟したウクライナ、つまりウクライナ北部のNATO基地とモスクワから飛行時間数分(300マイル)のNATOミサイルを実現するために、アメリカが戦っているのである。

 

 1919年、マッキンダーは、中心地域を、東は中国北部まで、西は中央ヨーロッパまで拡大し、ヨーロッパのロシア全土、ウクライナバルト三国ポーランド、ドイツ東部を含むようにした(上図)。実際、マッキンダーが新たに設定した西側の境界線は、30年後の冷戦時代のドイツの国境線とほぼ一致している。マッキンダーにとって悪夢のシナリオは、難攻不落の陸軍国であり、巨大な労働力と膨大な物資を持つロシアが、ドイツや日本のような活力にあふれ、規律正しく、知的な民族と同盟を結ぶことだったことを思い起こさせてくれる。そうなれば、それらの同盟国が一緒になって、英米の海軍力を打ち負かす艦隊を作ることができるかもしれない。

 

 マッキンダーの悪夢--英米エリートの悪夢--は、2015年、非常に人脈の広い地政学者で、当時外交コンサルタント会社ストラトフォーの代表だったハンガリーアメリカ人のジョージ・フリードマンのシカゴ世界問題評議会でのスピーチで再び登場する。ISISはアメリカにとって実存的な脅威なのか、という質問に対して、彼はこう答えた。

 

 「第一次、第二次、そして冷戦と、一世紀にわたって戦争をしてきたアメリカの根源的な関心は、ドイツとロシアの関係です。なぜなら、彼らは団結すれば、我々を脅かすことができる唯一の力であり、そうならないようにするためです」)。

 

 この発言は、それまで英米の政治家が公の場で行ったことのない驚くべきものであり、過去120年の歴史に多大な光を与えている。なぜ冷戦が、ブレジンスキーが23年前に明らかにしたような見せかけだったのかを説明するのに役立っているからである。つまり、ヨーロッパと世界を分割し、ロシアと直接戦わずに「封じ込める」目的は、共産主義やロシアや中国を倒すためではなく、ドイツと日本のエネルギーをコントロール下に置き、戦後の英米資本主義体制にうまく組み込んで、経済的にも政治的にもロシアや中国に近づけないようにするためだったのだこれはまさにマッキンダーが111年前の1904年に提言したことであり、1904年以降、英米外交政策が見事に踏襲してきた路線であった。1904年のイギリスのフランスとの同盟は、1907年のロシアとの同盟につながり、ロシアとの同盟は7年後のロシアがドイツと戦う第一次世界大戦につながった。第一次世界大戦からボルシェビキ革命、ファシズム、ナチズムが生まれ、第二次世界大戦では再びドイツとロシアが戦った。第二次世界大戦は冷戦と世界の二極秩序につながった。世界の分割によりソ連と共産中国が資本主義体制から孤立し、アメリカの世界経済支配が45年間続くことになった。それはまた、西側諸国のエリートたちに、権威主義的な監視と統制のモデルを提供し、将来的に有用であることを証明した。

 

チェスの達人?

  しかし、ルドルフ・シュタイナーは、そうしたエリートたちは、先見の明があり、歴史の仕組みや、そうしたエリートたちが操ることのできる国民性の理解に関するオカルト的な知識を持っているとよく語っている。

 ロックフェラー三極委員会が設立され、世界経済フォーラムが設立され、ペトロダラーの時代が始まり、中東のテロが勃発し、リチャード・ニクソンヘンリー・キッシンジャーデビッド・ロックフェラーが共産中国を訪れた1972年と1973年にその準備を始めた西側の権力者によって、フランス革命から200年、ちょうど72年後にロシアにおけるソ連マルクス主義の実験は無理やり終了させられたわけである。この時期、ニューヨークの超党派外交問題評議会は、ロックフェラーによって数十年にわたる指導を受け、「1980年代プロジェクト」を立ち上げ、その主要目的のひとつはソビエト連邦を解体することであった。ロックフェラーは、自分の弟子であるブレジンスキーが、他の多くの三極委員会メンバーを擁するジミー・カーター大統領の政権で国家安全保障顧問になるように仕向けたのである。

 ポーランドアメリカ人のブレジンスキーは、ローマ法王ヨハネ・パウロ1世が在任わずか33日で死去し、代わりにポーランド人初の法王であるヨハネ・パウロ2世が就任したとき、たまたま在任していた。彼はすぐに反乱を起こしたポーランド労働組合運動、ソリダルノスク(連帯)とつながりを持つことになったのだ。ブレジンスキーの在任中に、イラン革命で国王が倒され、過激派聖職者のホメイニが就任した。カブールの無神論共産主義者に対抗して団結したイスラム世界の援助により、ブレジンスキー自身、アフガニスタンで「ロシアに自分のベトナムを体験させる」ことに成功した。  

 

 一方では、バチカンレーガンホワイトハウスの「不浄の同盟」 に助けられた反抗的なポーランド人ソリダルノスによってワルシャワ条約圏全体に引き起こされた挑戦、他方では、10年間も続いたアフガンの乱暴者ムジャヒディンとの戦争、さらにアメリカのスターウォーズミサイル計画に対抗しようとするその荒廃した経済への圧力によって、ソ連は崩壊しはじめたのだ。1986年、ウクライナ北部のチェルノブイリ原発事故は、崩壊の危機を告げる大きな兆候であったが、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連の衛星国が終焉を迎えたのは、フランス革命からちょうど200年後の1989年であった。その2年後のクリスマスに、ソ連は歴史から姿を消した。

西側のエリートたちにとって、ベルリンの壁の崩壊とソ連の崩壊は、西側の主流メディアが西側の一般大衆に伝えたような大きな「驚き」ではなかったのである。ロシアの歴史におけるこの最新の激動は、西側では1970年代初頭から計画されていた。レーガンサッチャーは、1世紀以上も前に確認された西側エリートにとっての「社会主義」の脅威を事実上葬り去った。1980年代に労働組合主義は萎縮し、政治的社会主義に対する1970年代の熱狂は衰退していった。マルクス主義社会主義の危険性を西側からロシアや東側にそらす「実験」は「成功」していたので、終了することができた。一方、マルクス主義中国における資本主義の「実験」は離陸しようとしていた...。

 

 1990年代、西側のグローバリスト界には、ロシアと中国がともに新しいワンワールドオーダーの世界資本主義システムに統合され、西側の支配下に入ることができると期待する人々がいた。ブレジンスキーもまた、『グランド・チェスボード』で彼が規定した「一つの選択肢」をロシアが受け入れることを望んでいたようだが、彼がそのように誠実に考えていたとは思えない。同書の文章とその後の長年の発言の間に、彼のロシアに対する大きな反感が滲み出てきている。

 一方、西側の保守派には偏執的なロシア恐怖症が残っていた。北大西洋条約に危険で無責任な第5条(「両当事者は、ヨーロッパまたは北米における1つまたは複数のものに対する武力攻撃は、それらすべてに対する攻撃とみなされることに同意する・・・」)があるNATO軍事同盟は、その共産主義の冷戦相手だったワルシャワ条約のように解散させなかった

 NATOの初代事務総長であるイスメイ卿は、NATOの設立目的を「ロシア人を排除し、アメリカ人を取り込み、ドイツ人を減少させるため」と述べている。彼らは今でも、ドイツ人とロシア人を引き離し、ロシア人をヨーロッパから追い出し、アメリカ人をヨーロッパに引き入れたいと考えている。1953年、スターリンの死後、ソ連は翌年NATOへの加盟を申請した。イスメイはロシアを「警察に入りたがっている無抵抗の泥棒」にたとえて反対した。冷戦終結後、1990年代から2000年代にかけて、西側諸国がロシアに対して「そんなことはない」と口約束していたにもかかわらず、NATOは着実にロシアの国境近くまで進出してきた。

  2003年にプーチンが米国主導のイラク侵攻への協力や承認を拒否した後、西側メディアは総体的にプーチンを敵視し(ロシアを常に疑っている保守的なメディアは常に敵対していた)、サダム・フセインスロボダン・ミロシェビッチ、オサマ・ビンラディン、ムアンマル・アルガダフィ、バッシャール・アル・アサド、ドナルド・トランプという英語を話す聖ジョージが克服しなければならない龍の次に西側メディアのブギーマン[怪物]リストに加えられたのである

 しかし、このロシアとウラジーミル・プーチンの最新の事例では、西側メディアと西側エリートは、おそらくロシア大統領の旗に、三色旗のロシアを飾る双頭の鷲があり、その鷲の胸に、...ドラゴンを征服する聖ジョージのイメージがあることを見落としているか、さもなければ重要ではないと考えているのだろう。(訳注)

(訳注)聖ジョージまたはゲオルギオスとは、ドラゴン退治の伝説で有名なキリスト教の聖人で、古代ローマ末期の殉教者。つまり西側は、サダム・フセインらと並んでプーチン(とロシア)を「退治」すべき「怪物」とみなしていると言うことである。しかし、そのロシアの国旗には、まさにその聖ジョージが描かれているという皮肉があるのである。

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 第2次世界大戦後、日本と(西)ドイツは西側に組み込まれた。その背後には、ロシアや中国と日本とドイツが連携しないようにするための戦略が存在したようだ。それは勿論、第2次世界大戦後に生まれた冷戦により結果的にそうなったのではなく、その戦争自体も含めて、長期的な視点に基づいた英米地政学的戦略に基づくものということである。

 日本は、明治維新以降、英米の「支援」を受け「近代化」を進め、対中国、対ロシア戦争などを行ない、現在も欧米の陣営に加わっているのだが、上述の説明によれば、結局英米の戦略に乗せられてきたと言うことになる。

 自己の支配権を保ち続けるため、このような戦略をとってきた英米であるが、しかし現在、既に英米の優位は揺らいできている。ウクライナ問題は、それを顕在化させるものでもあった。
 日本で、決してマスコミは報道しないが、ロシアと中国を中心に、これまで英米の圧力に苦しんでいたアジア・アフリカ・中南米の諸国がまとまり、英米の支配から脱却しようとしており、地球規模の大きな地殻変動が起きているのである。実際、マスコミはロシアは世界から孤立していると語るが、実は、ロシアの制裁に加わっている国の方が世界的には少ないのである。そして一方では、欧米、日本を抜いた経済連携も構築されてきているのだ。

 しかし、日本の主流メディアは、欧米の(操作された)情報を垂れ流しするだけであり、日本人の多くは、このような変化を知らない。日本人の真の国際感覚の不十分さ、視野狭窄は危険なレベルである。長年欧米文化を最善として受け入れてきたために、英米、欧米にしか目が向いていないのだ。
 日本では、イギリスのエリザベス女王死去に伴う報道も、女王を美化するものばかりである。しかし、世界に目を転じれば、女王は、世界中から収奪を行なってきたイギリス帝国の象徴であり、これを機に、イギリスの負の側面が語られているのが現実なのだ。

 

 今回に続く第2部はまだボードマン氏のブログにアップされていないようである。アップされれば、続きを紹介していきたい。

アングロサクソンとロシアの対立 ①

ザポリージャ原子力発電所

(※現在ロシアが占拠し、砲撃を受けている危険な状態にある原発であるが、2014年には、その原発事故のニュースが世界中に流れていた。写真はこの当時のもの)

 

 これまでウクライナ問題については、トマス・マイヤー氏やテリー・ボードマン氏の論考を紹介してきた。悪魔的プーチンウクライナを軍事侵略しているというのが西側の「一般常識」とされているが、実際は、アメリカ・NATOのロシアに対する代理戦争に他ならないことは、実態を知る識者の指摘するところであるが、マイヤー氏らの論稿は、シュタイナーの認識をふまえ、それは本質において、来るロシア文明期を焦点とする、人類の未来を巡る戦いというものであった。

 人智学派の考えによれば、次の時代では、主流がアングロサクソン文明からロシア文明に交代するというのが、人類発展の順当な流れであるが、アングロサクソンの左道のブラザーフッドは、これを阻止することを長年の課題としてきたのであり、今回の出来事の淵源もそこにあるというのである。

 今回は、再びテリー・ボードマン氏の論考を紹介する。氏のブログで2022年7月18日に投稿されていたものである。(これは、「第1部」とあるので、第2部が予定されているようであるが、まだ未掲載である。この第1部自体も長いので2回に分けて紹介する。また途中一部を省略するが、いちいちそれを注記することはしない。)

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アングロサクソンとロシアの対立 第1部

 ウクライナ紛争に関連して起きているアングロサクソンとロシアの対立の根源は何なのだろうかウクライナでの紛争は、ロシア人とウクライナ人の間で起こっているように見えるが、それはスラブ民族の間で何十年、何百年にもわたって続いてきた不穏な関係の歴史でもあり英語圏の文化(というより何世紀も英語圏の文化を支えてきたエリート)とスラブ文化(特にその最大の構成員であるロシア人)の間のもっと大きな紛争の一部でもあるから、この紛争はロシア人と英語圏の文化の間の対立でもある。そして、この英米とスラブという二つの文化圏の間の大きな闘いは、「西」と「東」の人々の間という、より古い闘いの反映である。ここでいう "西 "とは、いわゆる "大航海 "がヨーロッパの西から始まった15世紀以降、現代に顕著な民族を意味し、今日の "西 "は良くも悪くも英語圏の民族、特にアメリカがリードしている。“東”とは、数千年前の古代に活躍した民族を輩出し、遠い未来に再び活躍する民族を輩出する地域である。精神科学(霊学)的、人智学的な観点から言えば、現在と未来、個人と個人の自己主張を重視する文化と共同体の精神を重視する文化の間の闘争を、我々はここで目撃しているのである。

 

 孤独で孤立した個人が、利己主義と自己主張を克服し、同じような試練を乗り越えた人たちと共に新しい共同体を作るという試練を乗り越えることが「西」の運命のように思われる。これは非常に危険なプロセスであり、古代から続いてきた古い社会形態を最終的にはすべて破壊しなければならない。ルドルフ・シュタイナーは1919年に、20世紀の半ばは「15世紀半ば以前からの諸力(今でもある程度は私たちの中に残っている)が究極の退廃に達する時期の終わりと一致する」と指摘している。西洋の歴史的文脈では、これはグレコローマン時代のすべての法的・社会的勢力と、古代イスラエル、バビロン、エジプト、ペルシャの神権的戒律のすべてを意味する。「私たちは進化の時代に生きており、もし人間が神々に会うために名乗り出れば、神々は喜んで助けてくれる。しかし、神々は自らの法則に従って働かなければならない。その法則とは、神々は自由な人間とともに働き、操り人形とともに働いてはならないと定めているものだ」(訳注)

(訳注)人類の歴史は、精神(霊)的進化の道を本質とする。大雑把に言えば、かつては、神や霊的存在は人間にとって身近な存在であり、その様な時代には、個人の意識は未発達であった。次第に、人間は、霊的存在から離れて、物質世界に入り込んでいき、個人の意識(自我意識)を発達させていった。しかしそれは、個人のエゴが膨れ上がる危険を孕んだ時代でもある。利己的な目的のために他者、他民族を支配する欲求が生じたのである。これからの人類の歴史は、その利己的な傾向を克服することにかかっている。その先に生まれるのが、友愛を基本とする「新しい共同体」である。かつてのように。個人は共同体に埋没するのではなく、それぞれが個性を持った掛け買いのない存在として尊重される社会である。それを生み出すのに、東の心性、ロシアの心性がふさわしいがゆえに、来る時代はロシア文明の時代となることが期待されるのである。

 

 「西」がこの危険なプロセスを経ている間、東と世界の他の地域は、いわば人類を生かし続け、新しい意識の共同体生活に向かう細い道が、今後数世紀の間に西で発見されることになると筆者は考えている。東洋、アフリカ、南米は、西が東に、自由で努力する個人の新しい共同体の模範を示すことができる時が来るまで、過去からの本能的で、まだ生命力があるがゆっくりと消えていく力によって、人類を生き長らえさせるだろう。まさにその古代の遺産とその遺産への忠実さゆえに、東はこの新しい共同体の衝動を取り込み、将来、西洋人ができる以上にそれを活用することができるだろう。

 

 古代中国やインドの時代から、文化・文明の波が徐々に西へ移動していったことを認識するのは難しいことではない。近東やエジプトから、地中海沿岸、南ヨーロッパギリシャ、ローマへと移動した。そして、15世紀半ばからアルプスを越えて北上し、グーテンベルクデューラー、ルター、コペルニクスの時代から、北ヨーロッパゲルマン民族がどんどん前面に出てくるようになったのである。ルドルフ・シュタイナーによれば、第4千年紀の半ばから、東ヨーロッパのスラブ人、特にロシア人(おそらくフィンランド人やルーマニア人も)が、その後の約2千年間、新しい共同体への衝動の前衛を務めることになる。しかし、第4の千年紀までは、個人主義へと向かう危険な道行きが、北欧(アルプスを越えて)と大西洋を越えてアメリカに広がる人々、特に英語圏の人々によって先導されている。この時期の危険の一つは、これらの民族のエリートの中に、18世紀後半以前からの伝統的な階層、つまり領主と農奴の文化を維持しようとする要素があり、経済関係と法律を利用して、自分たちに有利な利己的個人主義のその時点で進化を抑え、大衆を押さえつけようとする点である。とはいえ、これらのエリートは、北欧や西欧やアメリカの「下層民」も個人主義を主張しようとすることを認識しており、これが民主主義や新しい非階級的な社会形態を求める動きにつながっていくのであった。

 これらの社会的、民主的衝動は、西側ではできる限り抑えられなければならず、西側から分離し、共同生活と兄弟愛に対する本能的感覚-スラブ語のミル(「ミール」:平和、喜び、世界、共同体、村)のさまざまな意味と結びついているすべてのものが強く、それらを吸収できるであろうスラブ東側に移植しなければならないと、西側のエリートたちは決意した西のプロパガンダを適切に利用すれば、いったん「あちら側」に移植されたものを、共同体の権利と対比される個人の権利を支持する文化に作り上げられた西にとって危険で脅威的なものに見せることさえ可能であった。この対極性は、20世紀の二極世界の基礎となり、現在の西側の反ロシアのプロパガンダはそれを再現しようとしているのである。

 

光り輝く観察

  ルドルフ・シュタイナーのノートには、1918年に書かれたものと思われる記述があり、このプロセス全体とロシアと西の間の進行中の闘争に多くの光を当てている。「この戦争では、どのような力が互いに対峙し、何のために戦わされているのか。物事を前進させているのは、ダイナミックな資本主義経済の衝動によって地球を支配しようとする一群の人々である。これらの人々は、このグループが経済的方法によって束ね、組織化することができるすべてのサークルに属している。本質的な点は、この集団が、ロシアの領土に、将来に関して、社会主義組織の種をそれ自身の中に持っている人間の未組織の集まりがあることを知っているということである。[シュタイナーがここで言う「社会主義」とは、政治運動や政党のことではなく、社会的共同生活、社会的関係を意味している。TBこの社会主義的種子の衝動を反社会的集団の権力の領域内に持ち込むことが、その集団の計算された目標である。もし中欧が、理解をもって、自分たちと東のこの種の衝動との間に関連性を求めても、この目標に到達することはできない。その反社会的集団が英米世界の中にあるからこそ、一時的な現象として現在の勢力図が生まれ、それが現実のあらゆる極性と利害関係を覆い隠しているのだ。[現在の勢力図」とは、第一次世界大戦でドイツ、オーストリアと戦ったロシア、イギリス、フランスの三国同盟のことである]。それは、英米の富豪と中欧の人々の間で、ロシア文化の種をめぐる戦いが進行しているという真の事実を、何よりも隠蔽しているのである。この事実が中欧によって世界に明らかにされる瞬間、真でない構造は真である構造に取って代わられるだろう。したがって、戦争は、ドイツとスラブ文化が、人類を西のくびきから解放するという共通の目標への道を見つけるまで、何らかの形で続くだろう。

 選択肢はこれだけである。西が成功したいのなら、そうしなければならないという嘘が暴かれ、英米の背後にいる人々は、フランス革命以前に端を発する衝動と、資本主義的手段によって世界を支配しようとする努力に根ざした流れの担い手であることに気づくようになるのか。そして、革命の衝動をその背後に偽装するために、フレーズ[スローガン]としてのみ使用する努力-あるいは人々は、服従したドイツとスラブ地域から、血の川を通して、地球の真の精神的目標が救われるまで、世界の支配権を英米世界の中のオカルト集団に譲ることになるだろう。

 

 言い換えれば、もし人々が西のエリート勢力が動かす嘘と欺瞞に目覚めなければ、その結果は、ゲルマンとスラブ文化に由来する衝動によってそれらのエリートの行動が克服されるまで、ひどい苦しみと暴力となるだろうということである。このシュタイナーの言葉には、大きな意味がある。経済的に機能し、世界支配を目指す西洋のエリート集団、すなわち、所有者や投資家の利益にのみ関心を持ち、本質的に利己的で不道徳な資本主義のシステムを通じて、利己的な経済支配を目指す人々を指摘している。これらの人々は、対象となる文化の民族的特性を見抜き、その特性を使って、対象となる文化、たとえば、東ヨーロッパのスラブ系住民に力を行使しようとするのだ。(訳注)

(訳注)シュタイナーは、来る文明には、中欧とロシアの連携が必要であると考えていた。これにくさびを打ち込むことが、長年の英米ブラザーフッド地政学的戦術であった。現在のウクライナ問題においても、それが奏功していることがわかる。ドイツとロシアの敵対関係が造り出されているのである。

 

ブルックス・アダムス

  シュタイナーの時代には、西側のエリートとして、例えば、イギリスのソールズベリー卿やアルフレッド・ミルナー卿、アメリ東海岸のエリートとして、ヘンリー・アダムスとブルックス・アダムスのアダムズ兄弟がいた。アダムス兄弟は、1890年代から1900年代にかけてのアメリカの「金ぴか時代」の富裕層の近くにいた二人である。

 

 シュタイナーはブルックス・アダムスをよく知っており、1916年の第一次世界大戦の原因に関する講義(GA173)の中で、シュタイナーはブルックス・アダムスの著書『文明と衰退の法則』(1895)を読んで、これらの西洋エリート主義者の考え方を理解するようにと勧めている。その本の中で、アダムスは、、想像力に富んだ内なる創造性と戦争好きな「若い」民族がいる一方で、冷静で科学的、商業的な「成熟した」民族がいると考察している。彼は、ロシア人を第一種、英米人を第二種と考えた。第一種を後進的、第二種を進歩的とした。

 

 このような考えを持ったアダムスは、1900年の時点ですでに、50年後(つまり1950年まで)には、海を基盤とするアメリカ系と陸を基盤とするロシア系の勢力争いによって、世界が2極に分かれるだろうと主張していたのだ。アメリカ人は、これが死の戦争であり、もはや一国に対する戦いではなく、大陸に対する戦いであることを認識しなければならない」と彼は言った。「世界経済には、2つの富と帝国の中心が存在する余地はない。片方の組織がもう片方を破壊してしまうのだ。」この考えは、彼の著書『アメリカの経済的優位性』のテーマとなり、その中で彼は、大英帝国の崩壊とアメリカによるその代替を予言している(5) 1902 年、アダムスの次の著作「新しい帝国」が出版され、そこでは、アメリカの世界的大国 への台頭が再び必然的なものとして想定された。彼は、次の50年の間に、アメリカは「すべての帝国を合わせないまでも、単一の帝国を凌駕する」だろうと書いている 「冷戦の終結」後の1990年代に出現したアメリカ支配の一極集中秩序の計画の原点がここにある

 

 ブルックス・アダムスは、アジアが工業化し独立すれば、アメリカとヨーロッパの衰退は避けられないと考えた。アダムズ兄弟のモットーは、文明=中央集権=経済であった。もし、脱植民地化され独立したアジアが工業化できれば、工業化により成功することになる。それゆえ、鄧小平が共産中国を西側資本主義に開放した結果、1990年以降、約4億人の安価な労働力の中国人労働者がグローバル資本主義に参入し、中国と現代資本主義世界に影響を与えたのである。これは、1972年のニクソン米大統領ヘンリー・キッシンジャーによる画期的な中国訪問と、1973年のデビッド・ロックフェラーによる鄧小平の恩師周恩来への訪問にさかのぼる。

 ロックフェラー家は、アダムス兄弟のような先見の明を持ったプルトクラート[資本家的専制者]であった。ドイツの歴史家マルクス・オスターリーダーは、「安全保障上の理由だけで、アメリカ(というよりアメリカの富豪-TB)は将来、アジア、ヨーロッパ、そして全世界を支配しなければならないだろう」と書いている。ブルックス・アダムスは、このようにして、アメリカのエリートの帝国主義政策を構築するための「歴史と地政学の哲学の基礎を形作った」のである。...1914年の夏、ブルックス・アダムスはついに自分の考えがすべて確認され、国際経済競争の必要な結果として30年間(1914年から1944年!)続く戦争について語り、「...勝つ者は新しい世界を与えてくれるだろう」と述べた。「(中略)世界は、社会的にも経済的にも、戦争が始まった古い秩序が崩壊する前と同じであることは二度とないだろう」 と述べている。

 

 オスターリーダーによれば、1900年12月22日、アメリカの雑誌『アウトルック』には次のような文章がある。「真の政治家は未来に目を向けている。このように未来に目を向ける者には、過去の問題がアングロサクソン文明とラテン文明の間であったように、未来の問題がアングロサクソン文明とスラブ文明の間であることは明らかである[...] 賢明な政治家は、アングロサクソン文明とスラブ文明の間にある。賢明な政治家は、アングロサクソン型文明の最終的な勝利のために、(英語圏の)すべての同胞の間に友好的な関係を築くことによって、可能な限りの準備をする」。

 

 これは、1914年に始まった世界大戦におけるアングロサクソン系エリートの3つの重要な目的のうちの1つであった。他の二つの目的は、ドイツの経済力を低下させ、イギリス圏の支配下に置くこと(最終的に1945年に達成)、社会主義(ボルシェビズム)をロシアに流入させ、そこでマルクス主義社会主義実験を行い、西洋で起こることを許さないことであった。1918年12月1日の講義(GA186)でシュタイナーはこう述べている。「ロシアで発展したもの(つまり共産主義)は、基本的に西がそこで行われることを望んでいることの実現に過ぎない。(中略)(西側の)人々が意識的に何を望んでいると言おうと、彼らが目指しているのは、西側に主人のカーストを、東側に経済奴隷のカーストを、ライン川から始まってアジアに東進して作り出すことである。(中略)社会主義的に組織され、英語圏の人々には適用されない社会構造のあらゆる不可能性を引き受けることになる奴隷のカーストである」。これが1917年の西側エリートの目標であり、共産中国が世界の工房となった1990年代にも目標であった。(訳注)

(訳注)英米は、第2次世界大戦後、西ドイツ(冷戦終了後は東ドイツを含め)を支配下に置いた。NATOはそのための道具の1つである。現在のウクライナ問題では、「ロシア制裁」を強制され、そのブーメランでドイツは苦しんでいる。ソ連の成立に西側の資本家が多大な援助をしていたのは、歴史的事実であり、この時の西側の動きは次の節で説明されている。

 

1917年、西側諸国とボルシェビキ革命

  アメリカの経済学者で労働運動家のレイモンド・ロビンズは、ボルシェビキ革命後、ロシアのボルシェビズムを受け入れるようアメリカの人々を説得し、最終的にアメリカとボルシェビキ・ロシアの間に正式な関係を築く(実現したのは1933年)ために大きな役割を果たしたが、1919年にボルシェビキの宣伝を調査するために組織したアメリカ上院委員会で次のように語っている。「あなたがイギリスのオオカミで、私がアメリカのオオカミだと仮定して、この(内)戦争が終わったら、ロシア市場のためにお互いを食べつくそう。完全に率直な、男のやり方でそうしよう。」と述べている。ロビンズは1919年3月22日にこう言っている。「ロシアの新しい経済組織の中心は、中央帝国(ドイツとオーストリアハンガリー)か、アメリカと連合国か、どちらかしかあり得ない。」ロビンズは、ボルシェビキの経済方式は「経済的に不可能であり、道徳的にも間違っている」としながらも、「ロシアにおいてとてつもなく重要であると同時に、人類の進歩の歴史に役立つかもしれない実験」としてソ連の政治形態に関心があると表明した。 J.P.モルガンの子会社であるギャランティ・トラストは、ボルシェビキの承認を求めると同時に、アメリカへの『赤の侵略』の危険を絶え間なく警告した。英米金融機関は、双方に資金提供を行ったのであるJPモルガンのトーマス・ラモンもムッソリーニファシストたちにも資金提供を行った。銀行家たちは権力に関心があり、それを達成するための手段は二の次であった。

 

 現在の権力者であるアングロスフィア(米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)のファイブ・アイズ諸国と、古代の過去と遠い未来の民である中国とロシアと、両者から利益を得ようとする西の金融業者との闘いである。

 

 ルドルフ・シュタイナーが1918年に発表した手帳には、中央ヨーロッパと東ヨーロッパ、ドイツ人とスラブ人の関係が将来の人類の進化にとって重要であることが書かれている。これは、現在と未来の時代の橋渡し、個人主義的な文化発展と共同体的な文化発展の橋渡しをすることに関係するものである。 その結果、その発展を挫折させようとする霊的勢力が、ドイツ人とスラブ人、中央ヨーロッパと東ヨーロッパの間の橋渡しの努力を阻止しようとしてきたのである。 西側の指導者たちは、20世紀において、この二つの民族と地域を互いに大きな戦争に巻き込む方法をよく理解していたのである。

 

 マルクス・オスターリーダーによれば、1917年8月のシュタイナーの未発表のメモによると、英米が世界を支配しようとする方法の一つは、スラブ民族に「彼らの民族的願望は英語を話す民族の指導下で実現でき、それによって彼らはドイツ人の頭を越えて英米と経済関係を結び、それらの(英米)二国にとってプラスの輸出収支をもたらす」と信じさせようとすることである、という。シュタイナーはノートの中でこう続けている。「...秘密の経路に沿って、イギリスが、そしてその背後にいるアメリカが、バルカン半島のスラブ人の発展をいかに歴史的な先見の明をもって導き、ロシアに対していかに手を握ってきたか、それによってロシアが英語圏の人々の目標にしたがってその政治を運営してきたかを見なければならない」...。 「しかし、ロシアもまた、英仏同盟に導かれるままに、1914年の大惨事とそれに続くボルシェビキ革命と内戦を経験し、その社会と文化の多くを破壊された。これは、モスクワが「第三のローマ」、すなわちローマとコンスタンチノープルの後継者であるというロシア人自身の数世紀にわたる幻想と、オスマントルコからイスタンブールコンスタンティノープル)を奪取したいというロシア人の切なる願いにも起因していたのであった。パンスラヴィズムとは、19世紀半ば以降、ヨーロッパのすべてのスラブ人をロシア帝国の下に統合するという人種的・民族的な夢であり、これはより保守的で皇帝志向の強いロシア人が望んでいたことであり、さもなければ少なくともスラブ人をロシアの後援のもとパンスラヴィズム連邦に統合することが、より自由な民族主義のロシア人が多く望んでいたことであった。イギリスのエリートはこのような夢を利用する方法も知っていた。中欧ドイツ帝国オーストリア・ハンガリー帝国を、トルコと並んで、ロシアのパンスラブ主義統一とコンスタンティノープル奪取の夢を挫く敵として提示するのだ。フランスやイギリスと手を組むことで、ロシアは国家の二つの夢を実現できると考えたのである。

 

 イギリスは、ミルナー卿と彼の円卓会議グループ を通じて、第一次ロシア革命において重要な役割を果たした。ラスプーチンは、皇帝のドイツ人妻に過度の影響力を持っていると考えられており、ラスプーチンは、王朝とロシアを破壊すると思われる戦争に常に反対していたので、MI6はすでに 1916 年末にグリゴリー・ラスプーチン暗殺の監督をしていた(16) 。イギリスとアメリカは結託して、1917年の春にアメリカを経由してトロツキーをロシアに送り込み、その渡航資金を提供した。J・P・モルガンのトーマス・ラモントやニューヨーク連邦準備銀行のウィリアム・B・トンプソンといったウォール街の銀行家や金融家は、ボルシェビキが内戦とその後を通じて生き残り、権力を維持するために全力を尽くした。トンプソンはボルシェビキに100万米ドルを寄付し、イギリスの首相デヴィッド・ロイド・ジョージに「このボルシェビキを我々のボルシェビキにしよう、ドイツ人に彼らのボルシェビキにさせないようにしよう」と宣言した-ロイド・ジョージを明らかに喜ばせたこの発言は、彼自身がボルシェビキ革命のために西側の政治支援を提供した。 米英の実業家は、1920 年代と 30 年代にソ連の工業化を支援し、同時に西側で反ボリシェビキの 宣伝に資金を提供した

 

冷戦

  ニューヨーク州ホフストラ大学のキャロライン・アイゼンバーグは、1996年に出版した『線を引く-1944-1949年のドイツ分割というアメリカの決断』の中で、1940年代半ばから後半にかけて、西側連合国がドイツとヨーロッパの分割という決断をいかに推進したかを詳しく述べている。彼女はこう結論付けている。「人間の自由に対するさまざまな侵害にもかかわらず、ソビエトはドイツ分割の立役者ではなかった。アメリカ人とそのパートナーであるイギリス人が、分割とそれに伴う大陸部門の統合を選択したのだ。アメリカ人とイギリス人が、分離に向けたすべての正式なステップを開始した」ということは、長い間忘れられていたと彼女は言う。 「ドイツ政策を決定するアメリカ人の小さなサークル」の優先順位は、代替案を検討することではなかった。彼らを動かしていたのは、「西ヨーロッパの自由貿易の拡大をアメリカの絶対条件とする国家安全保障の概念であった。これは国際的な大企業の意向を反映したものであったが、東欧の自由と平和の維持という問題をより重要視する一般大衆の志向とは、あまり一致しなかった...東ドイツの人々に徐々に押し付けられたソ連の圧政は、戦後の分裂の原因ではなかった...その望ましくない結果を生み出したのは、ソ連の内政であり、その内政は東ドイツの人々にとって重要なものではなかった...。」。

 

 冷戦によるヨーロッパとドイツの分割は、モスクワではなく、ワシントンとロンドンで行われた。いずれにせよ、1949年までに強行された分割は、すでに30年前の1919年に、ミルナー卿がドイツを西の資本主義ドイツと東のプロイセンボルシェビキの二つに分けることを提唱したときに構想されたものであった。彼は、1919 年の時点ですでに、親西側ドイツの半分を統治する最良の候補者、すなわちケルン の若き市長であり、1949 年に実際に西ドイツの初代首相となったコンラート・アデナウアーを特定していた。ヨーロッパにおける冷戦は、英米が作り出したものである

 

 1992 年、ソ連が消滅した後、ジミー・カーター大統領の国家安全保障顧問であったズビグニュー・ブレジンスキーは、「フォーリンアフェアー誌」の 70 周年記念号で冷戦の歴史に関する記事で、冷戦は「ユーラシア大陸の支配と...世界の優位をめぐる戦争」だったとブレジンスキーは書いている

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 以下、②に続く。

 私は、最初マッキンダーの「地政学」を知ったとき、なぜユーラシアの内陸国が重要で、それと海洋国がなぜ敵対しなければならないのかが、いまいち納得できなかった。さらに、この前世紀の「地政学」が、グローバル化が進んだ現代においても英米で信奉されていることが不思議であった。しかし、シュタイナーらの主張により、その背後にある隠された意図を知り、その謎は氷解した。
 この英米の戦略では、日本も重要な駒となっている。それは、日本がアメリカの実質的な従属国となっている理由である。それは、②で触れられる。

栄養の流れと人間の構成組織

ヨハネス・W・ローエン氏

 以前、栄養の問題に関する「栄養の真実の基礎」という項目で、「人間は本来、地上の素材を何も必要としない。私たちがものを食べるのは、単に刺激を与えているだけ」というシュタイナーの言葉に触れ、エーレンフリート・プファイファー博士の講演を紹介した。

 今回は、これを補足する内容である。

 日本でも解剖学の著作が出版されている、ドイツの解剖学者で人智学者のヨハネス・W・ローエンJohannes W.Rohen氏の著書に『機能的霊的人間学』がある。この本の1節が人智学から見た栄養の問題について解説しているので、これを紹介したい。

 

栄養の流れと人間の構成組織

  先ず、著者によれば、栄養及び栄養摂取は、「科学的にも難解で、今日も私たちを悩ませている。」といいう。常識的には、例えばタンパク質を含む食物を食べると、消化によりその食べ物からタンパク質が取り入れられ、それがその人の体を構成するタンパク質になる、それは脂肪や糖分も同じであると考えられているが、実は、真実はそんなに単純ではないのだ。

 エーレンフリート・プファイファー博士も「最新の研究により、身体が、食品物質や分解された食品物質を取り込んだ瞬間に、その後のプロセスは、完全に独立して自律的に進むことが証明されているのです。つまり、私たちの正確な研究が言うように、食べ物は体内でその個性を失ってしまうのです。」と語っている。

  同じようなことを、著者は、次のように述べている。

 「確実に言えるのは、食品はそのまま体内成分の形成に使われるのではなく、消化管での消化作用によって完全に分解され、基礎的な要素に分解された後、生体内部に到達する、ということである。食事により取り込まれた物質は、生体が刺激として利用するだけなのである。そして、これらの成分の素となるものを使って、生体は必要な体内成分を自ら作り上げていくのだ。食品に含まれる成分が直接、すなわち未変化のまま生体に入り込むと病気になるのだ。例えば、異物であるタンパク質が体内に入ると、アレルギーや重い免疫疾患を引き起こす可能性があるのである。」

 後でも語られるが、栄養とはいえ、体外から来たものは異物であり、そのままではその体に害をもたらすのである。それは免疫の本質に関係している。「子どもにワクチンは必要か?①」に出てきたが、母から受け継いだ自分の体(タンパク質)でさえ、子どもは、それを造り変えて行かなければならないのだ(そのために、子どもは、高熱を発する病気に罹る必要がある)。自己と他者の明確な区別が免疫の根本であり、それは、栄養であれ、親から受けついた肉体であれ同じで、それらは一度否定されなければならないのだ。

  食物が体に取り入れられるプロセスを、著者は次のように説明する。

 「食物とともに摂取された物質は、ある意味で腸壁の細胞(腸管細胞)に『見つめ』られ、徐々に分解されるか、そのまま排泄されるかのどちらかである。この高度に細分化した知覚の過程は、腸内小器官の分泌過程を刺激し、摂取した成分を、もしまだ存在していれば、そのエーテル的及びアストラル的部分とともに、徐々に溶解させる。そして、食品成分の大部分を占める『裸』の要素だけが腸壁を通過し、生体内で体内成分へと合成されるのである。」

 生物の「構成組織(要素)」と言われるものは、植物の場合、物質(鉱物)体とエーテル体であり、動物はそれにアストラル体が加わり、人間の場合は、さらにそれらに自我が加わる。生命が死ぬと、エーテル体以上のものはそこから去って行くのだが、直ぐに完全に無くなるのではないようである。だから、植物や動物を食べる場合、それには、その残滓、あるいはその影響が残っているのである。食物(栄養)摂取の重要な過程は、それを完全に取り除くことなのだ。

 栄養摂取の過程は更に続く。

 「栄養は、最初一種の毒である。しかし、それは、腸壁が厳重に監視する障壁の役割をしているため、病気にはならない。腸壁を通過できるのは、コントロールされた基本成分、つまり消化の過程で作られる自然素材の成分であり、自然素材そのものではない。タンパク質の場合はアミノ酸、糖の場合は単糖類と二糖類、脂質の場合は脂肪酸とトリグリセリドである。水と塩分だけが腸壁の細胞を通して、能動輸送によりほとんど変化なく血液中に運ばれる。例えば、ホルモンや活性物質など、植物や動物の体内で効果を発揮する物質の性質は、消化によって完全に失われてしまうことがわかっている。したがって、腸壁を通過したものは、無害で効果のない食品成分の素に過ぎず、それをもとに生物は自分の『家』を作るのである。」

 例えば、タンパク質は、「20種類のアミノ酸が鎖状に多数連結(重合)してできた高分子化合物であり、生物の重要な構成成分のひとつである。構成するアミノ酸の数や種類、また結合の順序によって種類が異なり、分子量約4000前後のものから、数千万から億単位になるウイルスタンパク質まで多くの種類が存在する。」(ウィキペディア) 栄養素も、それを構成する要素に更に還元されなければならないのだ。そして有機体は、自分の固有の状況に合わせてそれらを用いて自分の体(家)を構築するのである。

 しかし、それらの要素も単なる物質では、生きた有機体の一部となることはできない。生命をもたらすのは、エーテル体であり、エーテルの力に浸透される必要があるのである。

 「タンパク質を分解したアミノ酸、糖質を分解した単糖類・二糖類は、腸の全静脈を束ねる門脈を通って、腸壁から肝臓に運ばれる。肝臓は、これらの成分を「蘇生」させ、体内成分に再合成させるための一大『化学の台所』なのである。ここで、これらの成分もエーテル体に取り込まれ、人間の生体に『正しく』取り込まれるのである。血液中を循環するタンパク質の大部分は肝臓から供給されるが、肝臓は『蘇った』アミノ酸を体の臓器や細胞に渡し、     そこで特定のタンパク質に再合成させるのである

 肝臓は数百万個の小葉からなり、・・・門脈の血液は、これらの小葉の周辺から、排静脈のある中心部へと流れていく。肝小葉の血管は壁が閉じていないので、血液の液体はここから抜け出してリンパ管に流れ込むことができる。体のリンパの大部分は肝臓から出ている。体のリンパ系には、体内に侵入した異物を免疫反応によって無害化する働きがある。もし異物が門脈から肝臓に入った場合、肝臓はその成分を代謝するか、あるいはリンパ系を経由して体の免疫系に流すことができる。そのため、肝臓は体を守る大きなバリアーとなり、有害な異物が血液、ひいては生体に侵入するのを防ぐことができるのである。・・・

 また、肝臓は糖の代謝に大きな役割を担っている。腸壁で吸収された炭水化物の素は、肝臓でグリコーゲンに合成され、必要に応じて貯蔵されるか、血液中に放出される。肝臓は、膵島臓器とともに、血糖値、ひいては体のエネルギーバランスを非常に正確にコントロールしているのである。血糖値が上がりすぎたり下がりすぎたりすると、意識不明になることがある。このため、肝臓は私たちが世界を意識的に体験する際の決定的な制限装置ともなっているのである。」

  さて、以上をまとめると次のようになる。

 「腸から門脈を通って肝臓に流れる血液の中には、成分の基本要素となるものが含まれているが、それが一般の血液循環に乗る前に、まず生命力が充填され、体内の成分に変換されなければならないと言うことができる。したがって、肝臓は制御臓器であると同時にバリアーでもあるのだそのため、肝臓は、人間の高次の構成組織が肉体という物質世界に介入することを可能にするのである。」

 肝臓により、人間の高次の構成組織(エーテル体)が肉体に浸透していくのであろう。肝臓が制御臓器というのは、その時の肉体の状況にあわせて、タンパク質、脂肪、糖等の成分の形成を調整しているということのようである。それゆえ、シュタイナーは「肝臓はこれらの代謝過程を "見る "器官である」とも語っているという。

このような消化過程の複雑さを考えると、この腸管での成分の分解の実際の目的は何なのか、最終的に腸壁を通過して血液に入る物質を外界から直接取り込んで、適当なところで体内に取り込む方がずっとシンプルではないだろうかという疑問も浮かぶ。

著者は、「ここで、物質性と関係する限りにおいて、人間存在の重要な原初的現象に行き着く」と言う。それはまた、感覚系の機能でも見られるものである。

 「ここで問題となるのは、人間の成長にとって、肉体と、その物質的な完全性がどのような意味を持つかという基本的な問題である。もし人間がまだ発展可能であるならば、肉体もまた、精神によって変化させられ、より高い形態へと発展することができなければならない。精神は物質世界との対峙の中で自らを鍛え、それによって肉体の基盤を、より高次の存在形態へと発展させるのである。」

 もともと人間の進化、発展とは、精神的、霊的次元のものである。肉体はそれに合わせて変化してきたのである(おそらくこれまでのその変化は、やはり胎児の成長の中に見ることができるのだろう)。現在、人間の霊は最も深く物質世界に入り込んでいる。それは、人間が自我を発達させるためであった。そして更に人間は、再び霊界へと上昇し、自己の霊的構成組織(霊我など)を発展させていかなければならない。それに合わせて、また肉体も変化していくというのである。

 「したがって、人間の精神から、身体性に及ぼす精神の影響を奪うような異物は、肉体に入ることを許されないのである。しかしながら、外界の物質を消化管に取り込むことで、生体は物質の世界を知り、それによって鍛えられ、自らの内界を変化させる可能性が生まれるのである。物質の分解とその実質的な再構築を通じて、生物は、世界に存在するものを物質的、魂的要素において存在するものを経験し、その結果、自らの存在、自らの力、構造を物質側から新たに体験することにもなったのである。

  例えば、私たちが肉を食べたとしよう。この肉には、最初はまだ動物のアストラル性の部分が存在する。消化とは、先ずこのアストラル性を、次に栄養素に付着しているアストラル性を、最後に物質の構造そのものを取り去ることであり、最終的には栄養素の中に生きている動物的なものは何も残らないのである。栄養素に付着した質は、健康な消化の中で完全に除去されている。植物性食品では、アストラル性が大きく欠落していることを除けば、プロセスは同様である。

 しかし、生体は、上記のように、腸壁を越えて、摂取した栄養素の基本要素に、消化中に取り除いたエーテル的及びアストラル的質を再び付与する必要がある。生体は、それらを自分の基本要素の物理的な基礎とするために、自分固有のアストラル性とエーテルの力を与えなければならないのである。」

 動物や人間は、食物を基本的要素にまで分解、還元し、それにまた自己のエーテル性とアストラル性を付与し、自己の肉体の形成に使うのだ。

 ちなみに、ここで動物の肉が例として語られているが、これを食糧とするときに注意が必要なことがある。動物の肉には、そのアストラル体も付着していることである。消化の過程でそれらは取り除かれると上で述べられているが、どうもそれが完全にはいかない場合もあるようなのである。つまり、虐待された動物の肉には悪しきアストラル体が付着しており、それを摂取した人間にはそれが悪影響を及ぼすことがあるというのである(このようなことからも菜食主義がいいようだが、シュタイナーも肉食自体を禁止はしていないようである)。

 以上から結論的に述べると、

「栄養は、結局のところ、自分自身の基本要素の活動のための刺激でしかない。基本要素は、-物質的なレベルでは-自分自身の力で自分の身体的世界を貫き、形作る力を自ら発達させるために、物質の消化分解を通して環境にある存在の本質を知るのである。これは、感覚器官で起こるプロセス-ここでは、実質的なレベルではなく、情報的なレベルにおいてのみである-と非常によく似ている。しかし、人は、感覚的な印象もまた実際に自分の中に入れることはできず、自分自身の内面から知覚的なイメージを生み出し、それによって認識するための刺激として、それを使わなければならないのである。

人間の内面の完全性は神聖なものである。ここには何も "異物 "が侵入してはならない。しかし、異物は自分自身を成長させるための刺激として必要である。なぜなら、すべての新たな格闘は、新しい経験をもたらし、その結果、新しい発展の可能性をもたらすからである。」

 食物を食べると言うことは、(不食の人もいるように、本来は必ずしも必要ではないが)肉体を作るために、栄養の素を摂取することである(そこには、あくまでもその生物の主体的な関わりがある。つまり、外界からの栄養はそのままでその生物の体の構成素材となるのではない)とともに、自分の生きている物質世界を学ぶ手段の1つなのである。

 そして、既に述べたように、それにより、自らの肉体を変様、発展させていくのだ。

 

 ところで、一方で、「私たちがものを食べるのは、単に刺激を与えているだけ」といいながら、他方で、栄養を分解し、それをもとにまた肉体を構築していくというのは矛盾するようにも見える。これはどう解釈すべきだろうか。

 シュタイナーによれば、結局、肉体を生み出すのもエーテル体であり、そのため、本来は物質的素材も必要ではないと言うことらしい。確かに、不食の人々はその様にして体を維持しているのだろうが、普通の人間には無理なことで、食べなければ餓死してしまうだろう。やはり、物質的な素材を必要とするのである。

 だから普通の人間には、やはり食べ物、栄養が必要なのだ。ただ、それは、その元の栄養のまま肉体を構築するということではない。一端、最も基本的な要素にまで還元し、それに新たにエーテル性とアストラル性を付与して、それにより肉体を構築するのだ。この場合、元となる物質はやはり外界から摂取されることとなるが、その過程で、異物性を除去される。それを元に肉体を構築していくのは、その生体の内部の能動的な作業なのである。食べ物、栄養は、素材を提供すると同時に、著者が言うように、感覚知覚と同じように、この内部の働きを生むための刺激ということなのであろう。
 この本は、他にも興味深い解説が書かれているようなので(まだ読了していない)、機会があればまた紹介していきたい。

脳・脊髄のイメージとしてのアトランティス大陸

 以前、「意識には脳が必要か? ②」で、アンドレアス・ナイダー氏の『超自然と下自然の間の人間』の一部を紹介した。その後、この本を読み進めたところ、アトランティス大陸に関わる非常にユニークな話が出てきたので、これを紹介したい。(「 」内は当該書より引用)

 

 

 この本に「光の時代とエーテルへの目覚め-存在の構成要素の分岐点」という章があり、それは、人間のエーテル体と意識の発展の関係について述べている。

 人の意識のあり方は、時代により異なる。時代を遡るほど、人は、霊界を知覚する能力を備えていたのである。そして、そうした能力は次第に失われていくのだが、その変化には、人の構成組織が変化してきたことが背景にある。

 「人のエーテル体は、エジプト、ギリシア文化時代まで、肉体より大きく、それを取り囲んでいた。ギリシア時代の哲学と科学の登場により初めて、エーテル体は、肉体の輪郭を取るようになった。」かつて、人のエーテル体は、身体を大きくはみ出ていたが、次第に、縮小していって、肉体の形に収まるようになり、それにより霊界を知覚する能力が薄れていったのである。

 太古の時代、人類は文字をもっていなかった。その必要がなかったのである。「人類がまだ文字を発明していなかった時代、意識内容のそれぞれの形に対する、表現及び記録の手段は、記憶しかなかった。」次世代に伝えるべきものは、文字ではなく、人の記憶により伝えられた。「全ての口述伝承は、記憶に結びついている。」この時代、人の記憶は、より広大で強力であったのである。

 古代人の記憶力は素晴らしく、例えば、日本においても、古事記は、古い文献を「誦習」(しょうしゅう:口に出して繰り返しよむこと)していた、高い識字能力と記憶力を持つ稗田阿礼と言う人物の口述を書き取ったものとされている。一人の人間が、古事記を丸々暗記していたということであり、あるいは、もととなった古い文献が成立する以前は、やはり口承のみで神話が伝えられてきた可能性が高いのだろう。

 しかしこの種の記憶は、人の個人的伝記的なものではない。「自分の民族の記憶に関係していた。一方では、それは血に、他方では、言語とそのリズムに結びついた呼吸に結合していた。記憶の文明は、同時にリズムの繰り返しの文明である。その様に広大な記憶は、特定のリズムを守ることによってのみ形成されるのである。」(稗田阿礼の誦習のように、記憶には一定のリズムが有効だったのである。)

「最初、神話のような記憶内容は、言葉のリズムに現われ、次に、単に物語られるのではなく、多かれ少なかれ祭儀的に示される。

 しかし、全ての祭儀、宗教的生命は繰り返しに基づく。記憶文明は、故に、祭儀の文明、リズム的な繰り返しの文明である。シュタイナーは、記憶のこの形を神話的あるいはリズム的記憶と呼んでいる。この集合的な記憶は、個人の伝記に結びつくのではなく、創造神話が語る太古にまで達するものである。神話は全て人類の集合的記憶である。」

 古代においては、記憶は自分の属する集団に結びついており、現代人のような個人的人格はまだ存在しなかった。旧約聖書の古い時代にでてくるノアのような人物達は、何百歳も生きたとされているが、それは、その子孫達が何世代にもわたって先祖の記憶を受け継いでおり、その先祖と言わば一体のものと自分を感じていたことを示しているという。逆に言えば、個人の意識は希薄だったのである。

 ノアとは、アトランティスの崩壊に際して人類を導いてその後の文明の芽を残した人物である。そのアトランティスは、シュタイナーによれば、「純粋な記憶の文明」であった。「独立した知的意識はなく、ただ記憶のみがあった。」のである。

 ここで、脳脊髄液の話に戻る。以前紹介したように、生理学的には、脳脊髄液に、アストラルとそれと共に個人的人格が自由な形成力を用いることのできる基礎が置かれる。

 「この生理学的現象の中に、動脈血液にそれが表現されている生命-形成力の、透明な液体に表現されている、[身体の]素材供給から自由になった脳水と、静脈血液の、体験-表象(イメージ)力への移行の正確なイメージが存在する。アストラル体は、呼吸の中に生きており、横隔膜の上で脊柱管の中を流れる液体に伝わる呼吸の動きにより、脳水に働きかけ、それにより素材供給から自由になった、エーテル体の形成力を自分の目的に用いるのである。イメージを伴う表象と感情生活は、生理学的には、これに基づいているのである。」(意識には脳が必要か? ②)

 エーテル体は、7歳頃までは人間の主に肉体の形成に携わるが、それ以降は、自由になり、今度は、記憶や思考の形成に使われるのである。しかし、アトランティス時代は、事情が違っていた。

 「アトランティス時代には、まだ人格的力は存在していなかった。従って、自由な形成力は、思考と表象活動ではなく記憶形成に用いられた。それは、まだ個人的アストラル的なものに染まっていなかったのである。代わりに、身体的に呼吸のリズムに受け入れられる、外的に形成された、集団的に生きられたリズムが働いた。人は、集合的記憶を形成するリズムのある共同の生命の中に生きていたのである。」

 そして、こうした人間の脳と脳脊髄液の関係が、プラトンの対話編に出てくるアトランティスの物語でイメージされているとして、ナイダー氏は次のように主張するのである。

 「この生理学的関係は、イメージとして、プラトンアトランティス神話に再び登場する。つまりそこでは、大陸は、脳脊髄液に浮かんでいる脳の姿のように、大陸全体が潮流に取り巻かれているが、その内側でも、多くの潮流が、外側の土地と内側の土地を分けている。首都のポセイドニアは、生理学的には、脳脊髄液が造られている場所にある。

 エーテル体は、何によって圧縮され、従って小さくなったのか。プラトンの描いた像が、当時の人間の生理学的構造のイマジネーション的姿を示唆している、アトランティス大陸は、何によって沈んだのか。それは、アストラル体の強力な干渉によってである。水の純粋な要素、純粋な生命力は、人のアストラル体によって乱用され、それにより汚されたのである。水の要素が混乱に陥り、ついにこの文明の終焉をもたらしたのだ。プラトンの描いたアトランティス大陸の姿は、記憶に結びついた意識の変化に導いた、生理学的な変様のイマジネーションに他ならない。」
 アトランティス人は、エーテルの力を利用していたという。アストラル体による乱用は、人の利己的欲望のためにそのエーテルの力が汚染され、乱用されたというのである。その結果、「水の要素(エレメント)が混乱に陥り」、大洪水により没したのである。

プラトンに基づくアトランティスの都市

       脳と脊柱管

 確かに、プラトンの説明するアトランティス大陸は、冒頭の図と上図にあるように、大洋に浮かび、更にその内部に水路を引いて、その中心部は、大洋とつながっていた。人間の脳と脳脊髄液の関係をよくイメージさせる。それが正しいとすると、この対話編でこうしたイメージを込めたプラトンの意図はどこにあったのかということになるが、ナイダー氏の本ではそこまでは触れられていない。

 ここで注意しなければならないのは、ナイダー氏は、勿論、プラトンの語るアトランティス大陸は比喩に過ぎず、アトランティス大陸は実際には存在しないと述べているのではない。アトランティス大陸の存在は、シュタイナーによって認められており、時代を区分する重要な要素ともなっているのだから、実際に存在していたことは否定していないだろうと思われる。ただアトランティスプラトンの言うように存在していたとしても、実際に、アトランティスの都市の姿がプラトンの述べるようなものであったのかどうかはまた別の話である。
 しかし、人間自身はミクロコスモスと呼ばれ、宇宙と照応関係をもっているとされる。アトランティス時代には、内なるものが、外界に反映していたということもあり得るのかもしれない。

 ところで、実は、プラトンの記述を更に読み取ると、図の3重の丸い水路をもった都市部には四角な広大な水路網が付属していたことになるらしい。

 

 この図は、ナイダー氏の説と多少齟齬を来すようにも思えるが、むしろ、この四角の水路部分は脳に続く脊髄部とそれにつながる部分を象徴しているとする見方が可能かもしれない。

 シュタイナーによれば、アトランティス時代は、まだ思考力は育っておらず、記憶が主体の時代である。ナイダー氏は、プラトンアトランティス神話は、そのアトランティスの歴史の物語の中に、その時代の人間の脳組織を示唆する話を盛り込んでいるというのである。
   このような考え方は、実は、ナイダー氏特有のものではないようである。古来、プラトンアトランティスを語る対話編には、深遠な哲学的真実あるいは密儀が込められているとする解釈が存在するのである。
 「プラトンアトランティスの説明を慎重に読むならば、この物語は完全に歴史的なものではなく、寓話と歴史が混ざり合ったものであるのは明らかである。オリゲネス、ポルピュリオス、プロクロス、イアンブリコス、シュリアノスは、この物語の中に深遠な哲学的な密儀が含まれているのに気づいていたが、実際の説明としては同意していなかった。プラトンアトランティスは宇宙と人体の両方の3つの性質を象徴している。」(「Hiroのオカルト図書館」ーアトランティス大陸と古の神々ーより 

 しかし、その様なことができるとすれば、プラトンとは何者であろうか?プラトンは、西洋哲学の祖といわれるソクラテスに師事していたが、古来から伝わる秘儀をも研究していたのである。つまり、プラトンは秘儀参入者でもあったのだ。
 シュタイナーも秘儀参入者としてのプラトンに触れているが、これはまた別の回で触れることになるかもしれない。

日本人の過去生


 現在のウクライナ問題の根底には偏った民族主義があると思われる。ウクライナの実権を握る「ナチス民族主義者達」は、国内のロシア語話者、ロシア系の人々を暴力により弾圧してきたが(東部では砲撃による殺害もあった)、それが今回のロシアの軍事侵攻の1つの原因であると言われている。このことからロシアは、侵攻の理由に、このロシア系スラブ人の保護を挙げている。
 またロシアの思惑としては、ソ連崩壊で失われたロシアの勢力圏の回復ということも指摘されているが、プーチンや現在のロシア指導者達にも、強烈な民族主義的傾向があるようである。
 実際、今の構図は、ウクライナを代理にしている英米アングロサクソン民族とロシアを中心とするスラブ民族の対立となっている(それに英米側にヨーロッパや日本等のその従属国、ロシアに中国や中東、アフリカ、中南米非同盟諸国がついている)。
 現在の国家は、民族を主な構成単位としていることからこのような国家間の対立が生まれるのだが、本来、民族愛は即他民族の排斥ではない。これを利用して、自己の利益を得ようとする者達(霊的存在も含め)がいることが問題なのである。
 これを見ても民族主義というテーマは、未だ人類が解決できてない問題であることがわかるのだが、霊学的にも、人は、民族主義を超えていかなければならない。
 シュタイナーは、真の霊的探求者は「故郷喪失者」であるとする。人間が霊界に参入するとき、人間は、自己の民族性からも離れなければならない。霊界に民族性をもちこんではいけない。民族性を持つ前の、原初の人間に戻らなければならないのだ。つまり普遍的(宇宙的な)な人間になるのである。
 そもそも、民族性は、人間の地上界での一時的な属性でしかない。シュタイナーは、人間は輪廻転生していくとするが、それは地上で多様な経験を積んで人間が学んでいくと言うことである。ゆえに、輪廻転生するとき、人の性別は、通常、男・女が交互に繰り返されるとする。そのように、人は、また同じ民族に生まれ変わるよりも、他の地域、他の民族、人種に生まれ変わるケースが多いのである。
 今回紹介するのは、この民族の生まれ変わりに関するシュタイナーの講演である。20世紀初頭における各地域の人達が、前世でどこに、どのように暮らしていたかが述べられている。そこには、日本人の過去生も語られている。 

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地球と星界との霊的関係をとおした

世界の発展に対する人間の責任

ルドルフ・シュタイナー

1921年1月から4月にかけて、シュトゥットガルト、ドルナッハ、ハーグで行われた18回の講演。

第2講演

 

 今日、すべては、精神科学を通じて知識として、また魂の衝動として流れ込もうとするものを、真に生きた形で存在させることにかかっています。・・・

 人智学的な精神科学を信奉する私たちは、地球生活が繰り返されること、人間に起こることの、あるいは人間が現世で行うことの原因が-自由が完全に存在するにもかかわらず-前世にあることを確信するようになることは間違いないでしょう。しかし、具体的な生活を理解する問題となると、私たちはあまりにも簡単に、前世紀が生み出した、人間の生活を把握するには実は全く不十分な概念に服従してしまいます。この概念は、自然現象の特定の事実を理解するにはかなり適していますが、人間の生活全体の複雑さの前では役に立たないのです。そして、科学的な生活こそ、実は、今の生活に求められているものから最も遅れているものだと言いたいのです。しかし、このような科学的な生活は、今度は広く大衆の思考に大きな影響を与えることになります。・・・

 今日、あれこれの人が精神科学に近づくと、繰り返される地上生活の根底にあるものを理解し始めます。しかし、もし彼が現在起こっていることについて自分自身で知りたいと思うならば、そしておそらく彼が歴史に近づくならば、まさに歴史というものの中に、自然の事物と自然の事実を説明するためにのみ適した考え方が優勢となります。ますます、人類は歴史から精神的なものすべてを排除するようになったのです。そして、もし今日の誰かが、どんな分野でも歴史的な生から生まれる事実を自分自身に説明しようとするならば、何世紀にもわたって、前の世代、二番目の世代、三番目の世代などが経験してきたことを知らせる以外に、ほとんどすることはないでしょう。・・・そして、そのような世代交代の中で起こる、歴史的な「なりゆき」の連続的な流れを知ることができるのです。息子は父親からあるものを受け継いでいる、それは資質であるとか、父親が授かったものが残っているとか、そういうことです。つまり、現在の世代から前の世代へと、時間を遡っていくわけです。

 今、精神科学的な観点から見てみると、それは完全な現実なのでしょうか。現在の人間の肉体を持つ世代の魂は、その前の地上生活でこの中央ヨーロッパ受肉する必要はなく、おそらく全く異なる状況下で別の場所に受肉したのではないでしょうか?- 彼らは以前の身体から持ってきた力を、現在の身体に持ち込んでいるのです。それは、代々受け継がれてきた血筋と同じように、外見的、肉体的に受け継がれた特性とともに効果を発揮するのです。・・・現在の人々の中には、世代を通して働くのではなく、むしろ前世で彼らが生きていたのとは全く別の地域へと我々を導く力が働いている魂が生きているのです。-繰り返される地球生という事実を認識し、そのことを具体的に真剣に考えなければ、地球で起こっていることは理解できません。・・・精神的な背景から真理として認識していたものを、生活の中で実際に見る必要性がますます高まっています。なぜなら、今日、人類は現実の全体の理解を求めており、現実の全体の理解に向かわないものはすべて、単に衰退した生に属するからです。もちろん、現代人の多くは、精神科学的な真理を目の当たりにすると、萎縮してしまうのは事実です。彼らにとっては、あまりにも大胆なことなのです。・・・

 以下の議論をする前に、私がしばしば注意を喚起してきたことを、もう一度強調しておかなければなりません。精神世界の研究から何かを見つけようとする者は、単なる概念の組み合わせやアイデアの連想に気をつけなければならないと、私はよく言っています。なぜなら、人が想像するものは、たいてい真実の反対であり、少なくとも真実とはまったく異なるものだからです。深い真理こそ、最初は逆説的に見えるものなのです。それは、実体験を通してしか見つけることができません。

そこで、このような大災害をもたらしたこの文明の人々と、現在の状況、現在の人々を真の精神科学の観点から見た場合、どのような状況にあるのだろうかという問いを真剣に受け止めてみましょう。・・・

 私は、現在、キリスト教誕生後100年[紀元1世紀]の間の前世に南ヨーロッパ受肉した魂が生きており、彼らは、中央ヨーロッパで多く受肉していることを、しばしば指摘してきました。これは真理ですが、ある一定の数の魂を指しているに過ぎません。今日は、現在の地球上の人口の大部分に関係することをお話ししたいと思います。ヨーロッパ西部の人口の大部分、中央ヨーロッパの人口の大部分、そしてロシアに至るまで、その魂は前世でどこにいたのでしょうか?- この問題を、私たちが自由に使える霊的な研究手段を使って考えてみると、私たちは、最後の死から今回の誕生まで[再受肉するまでの期間]比較的短い生を生きた魂を相手にしていることがわかるのです(訳注)。西を見てみましょう。アメリカ発見後、ヨーロッパ人の多くがこのアメリカに入植し、もともとの住民を絶滅させたか、少なくとも異常なまでに抑圧したということが研究により示されています。アメリカ征服の世紀へと目を向けると、そこには、征服されたインディアンの肉体に宿っていた魂へと導かれます。ヨーロッパ人に絶滅させられたインディアンを正しく判断してこそ、私の言うことが理解できるでしょう。しかし、彼らは、今日考えるような教養ある人々ではありませんでしたが、その魂には、普遍的な汎神論的宗教心とでもいうべきものがありました。まさにこのインディアン、退化した人々の間ではなくそこで主導的な要素を形成していた人々の間では、一神教的とさえ言える精神的存在に向けられた、自然の現象や人間の行いの中にも、統一的な霊を生き生きとまた強烈に感じる宗教感情に出会うことになります。この魂の気分を把握し、多くの偏見を下草のようにかき分けて、外面的、自然主義的な方法に従って、いわば半分野生のように、インディアンを見たときにのみ見えるものとは別のものが、これらの魂の中にあることを理解することが必要なのです。そして、この絶滅させられ敗れたインディアンの魂は、今日、西ヨーロッパと、遠くロシアまでの中央ヨーロッパの大多数の人々の中に住んでいるのです。この一見パラドックスに見えることを理解に持たないと、現実がどのようなものであるか理解できないのです。

(訳注)シュタイナーは、一般に人間が再受肉するのは、2100年(あるいは2600年)に2度といっているようである(『シュタイナー用語辞典』)から、だいたい1000年に1度、地上に戻ってくると言うことになる。しかし、今ヨーロッパにいる人達がかつて絶滅させられてインディアン(アメリカ大陸の先住民)であったとすると、コンキスタドールによるスペインのアメリカ大陸征服は15世紀からなので、それ以降の再受肉ということなので、長くて霊界にいたのは500年くらいとなり、通常のペースより霊界の滞在期間が短いということになる。

 

 これらの魂は、その前の転生ではキリスト教とは無縁だったのです。したがって、ヨーロッパの大多数の人々にとって、キリスト教は、現在の誕生や受胎以前にすでに彼らの魂の中にあったものではありません。それは、大部分、言葉の音により彼らに教え込まれたものです。それは、外部から獲得されるものです。今日のヨーロッパ人の魂の中にキリスト教がどのように生きているかは、これらの魂の大部分には、前世においてキリスト教の衝動は全くなく、一種の汎神論的宗教感情で偉大な普遍的霊に従う衝動があったことを知る者には理解できるでしょう。しかし、これらの民族には、南方から多くきた魂が混じっています。彼らは、キリスト教の最初の1世紀にもっと南の地域に受肉し、北アフリカ地域に住んで、その後に、今説明した大部分に再受肉したのです。先ほど言った、ロシアに至るまでの西ヨーロッパと中央ヨーロッパの住民は、その主な部分が、この2種類の魂により構成されているのです。私たちは、魂が現在どのように表現しているか、その願望は何か、その考え方は何かを研究しなければならないという事実をはっきりさせなければなりません。・・・

 そんな霊的な研究から見えてくる、もうひとつの真実があります。民族大移動の時にヨーロッパに、ある者はより早く、ある者はやや遅く、存在した住民を、南からキリスト教を受け取ったヨーロッパの住民を振り返ることができます。彼らは、原始的で根源的な内なる魂の力にまだ完全に貫かれており、その力は、生命全体の中に働いていたので、今日とは異なる形でキリスト教を受け取ったのです。それは、まだ抽象的で知的な神学に貫かれておらず、何よりも魂の基本的な感情に働きかけるものでした。当時ヨーロッパに存在し、このような方法でキリスト教を受け入れたこれらの魂は、まさに当時人々に入り込んだ、この特殊な魂の形成により、死と新しい生の間の生の期間が延ばされた、死と新しい生の間の人生が他の場合よりもいくらか長く続いた後、これらの魂は大部分、今日アジアで受肉しているのです。特に、この時期にキリスト教化した多くの魂は、現在、日本人の身体に再受肉しているのです。多くの謎を見せるアジアのこの特異な生を理解しようとする者は、アジアに住む多くの魂は、前世でキリスト教的な感情を吸収し、その感情を、より古い東洋の文明から退廃した形で残ったものに、言葉を通して子ども時代から取り囲まれている現在の東洋人の肉体に持ち込んでいるのです。真にキリスト教的なものが、そのような魂がかつて身を預けたキリスト的なもの浸透の中に生きており、それは、彼らの耳に聞こえるもの、心に聞こえるものが、退廃した東洋の宗教界やその他の文化界から聞こえてくるのとは対照的に、真のキリスト教の何かが生きていると言いたいのです。・・・ラビンドラナート・タゴールのような人格が実際に何を意味するのか、それを明確にすることではじめて明らかになるのです。これもまた、前世がヨーロッパのキリスト教徒であった魂が、そのヨーロッパのキリスト教から、ある種の暖かい感情を、すべての発言を通して注いでいるのです。 一方、退廃的なオリエンタリズムからは、タゴールにおいて、なまめかしい性質、この文化的コケティッシュさで、私たちに立ち現われくるものが流れ出てくるのです。タゴールの人格には、奇妙な雌雄同体性があります。一方では、人が自然で健康的な感覚を持っていると、今日の東洋的ななまめかしさがすべて備わっていることにいつも気づきますが、他方で、計り知れない心の温かさに惹かれることも事実なのです。

 繰り返される地上生という考え方として提示されたものをつまみ食いするだけでは、今日では通用しないのです。・・・人は、ありのままの自分で世の中に立ちたいと思わないのです。そのため、この分野の実態を本気で検証することに眉をひそめています。現在の生活にある混乱や困惑は、私が今、皆さんの前に示したようなことを考えれば、理解できるはずです。

 

 しかし、別の住民を考えてみましょう。今お話したような調査をしたときこそ、霊的研究者は問いを立てざるを得なくなるのです。さらに時代をさかのぼった、あそこのアジアにいる人たちは、実際どうなっているのでしょうか。・・・もしあなたが、インディアンの魂はどうなったのか、かつてのヨーロッパ人の他の魂はどうなったのかを調べたいのなら、その質問をしなければなりません。そうすれば答えは出るでしょう。キリスト教が誕生したとき、つまりゴルゴダの秘儀が行われたとき、当時の特別な教育を受けて、近東、アジア全般、アフリカにいた魂はどうなったのでしょうか。―私が考えているのは、ゴルゴダの秘儀の教えを受け取った魂ではなく、それを受け取らなかった魂、古い東洋のアジア文化を継続させた魂です。ゴルゴダの秘儀が行われた当時、この古い東洋のアジア文化-今日では退廃していいます-が存在したことについて、人は必ずしも正確な概念を持っていません。非常に多くの人々にとって、それは非常に精神化された文化でした。そこでは、多くの人が、霊界とのある関係について、非常に明確な考えを持つようになりました。今私が話している人たちには、キリスト教に貫かれた時に、人間から生成するものは、当然存在していません。

 しかし、そこでは、イメージ的概念の中に、霊的関係に貫かれた非常に強い理解がありました。この人たちが属していたのは、高度に霊的な世界観であり、多くの点で霊界だけを真の世界、目指すべき世界と考え、ある意味で外側の感覚的現実の世界から逃避していた世界観です。彼らは多くの思弁を行なう人々であったが、その思弁は、古い、本能的な霊視能力によってまだ養われている部分がありました。それは、より遠い過去の時代の様々な精神的な発展段階から世界が出現したことについての思弁です。彼らは、"イーオン "が次々と続き、どんどん粗くなり、より物質的になり、最終的に現在の外側の物理的な現実世界の構造が出来上がったと語りました。つまり、霊的なものを真剣に、深く見上げている人たちだったのです。これらの魂は、この特別な魂の構造、魂の体質によって、まさに死と新しい生との間の長い生の準備を行ないました。彼らは、新しい肉体に降り立つ衝動に目覚めるまで、長い時間を必要としました。そして、その魂の多くは、非常に多く、今日のアメリカの人々の中に受肉しています。このアメリカの住民は、多くの点で、実用的な物質的生活の構想に向かう傾向がありますが、その全体の体質は、その魂は、かつて私が述べたような世界の霊的把握の中に生きており、しかし、今や、非常に、非常に濃密な身体性の中に身を沈めており、今は基本的に、かつて繊細な霊性において持っていたものを、この物質世界の洗練された扱い方のなかで生き抜こうとしていることに起因していますアメリカ人の精神が、世の中のことについて実に実用的で科学的に取りかかろうとするのは、それがいかに以前の霊界への傾倒にさかのぼるかを知れば、理解できます。それは、今日では意識せずに、物質生活に持ち込まれ、霊的なものを物質的に把握しようとしているのです。それは、これらの魂が地上での前世で経験した霊的なものの物質的な対極にある姿なのである。

・・・

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 この講演については、西川隆範氏も、『民族魂の使命』の「あとがき」で触れておられる。西川氏によれば、『民族魂の使命』は、シュタイナーの民族論の最重要文献であるという。
 シュタイナーは、人類の発展史において、その時の使命を担う民族が交代していくというようなことを述べているため、シュタイナーは人種あるいは民族差別主義者であるというような批判をする者もいるようだが、それは今の常識にもとづいた皮相な見方である。霊学探求者にとって重要なのは、個人であって、そもそも民族ではないのだ。自分の属する団体や民族のみの利益を求める秘儀参入者は、左道のオカルティストなのであり、彼らこそが、悪い意味の民族主義者である。
 ところでこの講演で気になるのは、日本人が過去生においてキリスト教を受け取っていたという指摘である。1世紀前の講演なので、現代の日本人も、この講演の内容が当てはまるのかわからないが、やはりそれに近い魂が集まっているようには思われる。しかし、現代日本人は、かなり欧米化してしまっており、あるいは別のコースを歩んだ魂がきているのかもしれない。
 では実際にシュタイナーと同時代人の日本人はどのようであったろうか。私が頭に浮かぶのは宮沢賢治1896年(明治29年) - 1933年(昭和8年))である。
 いうまでもなく日本を代表する詩人、童話作家であるが、実は彼は霊能の人であった。その作品は多分に彼のその特別な能力に源泉があるのである。生家が仏教の信仰の篤い家で、彼自身は、その宗派とは別の宗派を選んだものの、やはり熱心な仏教徒であった。だが、「銀河鉄道」を読むとわかるように、キリスト教にもシンパシーをもっていたようなのである。
 宮沢賢治の中には、万物に神性を感じる縄文的な心性-それは日本人としての彼の血を通して受け継がれたものと言えるかもしれない-と共に、キリスト教-具体的な宗派というよりその普遍的な宗教性-への憧憬が存在していたのではなかろうか(この2つは、結局、同じものに行き着くのかもしれない。シュタイナーによれば、仏教も霊的なキリスト教に統合される)。彼の作品の、日本やアジアという地域性を越える性格は、このことにも理由があるのだろうか。
 さて、アジアに住む「元キリスト教徒」が近代以降の日本人であるなら、アジアとヨーロッパ等のキリスト教世界をつなぐ役割を、日本人は担っているのだろうか。しかし残念ながら、今の日本は、アングロサクソンの勢力圏に組み込まれた、偏った民族主義の国である。
 また、シュタイナーは、実は、日本から唯物主義的のインパルスがやってくるというようなことも語っているが、現在の日本の姿を見ると、うなずかざるを得ないように思えるのが残念である。本当の日本人の使命は、どこにあるのだろうか? 
 

電気と人間の意識

 「プーチンとは何者か?①」で、マルクス・オスターリーダ氏の論考に触れた。今回は、同じオスターリーダ氏の論考だが、歴史や時事関係ではなく、科学的な内容である。
 電気の問題については、「ドッペルゲンガーと電気」などの記事でこれまでも触れてきた。現在は人間社会にとって不可欠のエネルギーとなっているが、人間にとってマイナスの側面をもっている。端的なのは健康の問題で、電磁波が健康を害することは疑いようのない事実である。5Gなどの健康に対する影響がほとんど公に語られていないのは、本来は大問題なのだ。
 更に問題は、霊的側面にもある。「ドッペルゲンガーと電気」で述べられていたように、電磁波は、人の霊界へのつながりを妨げるのだ。現代社会はまさに電気漬け、電磁波漬けであるが、その隠れた目的はこのことにあるのかもしれない。

k-lazaro.hatenablog.com

 以下の掲載するのは、ドイツ語原文の英訳からの翻訳である。

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電気と人間の意識

         マルクス・オスターリーダ(ドイツ)著

   (ヒルデ・ストッセル(オーストラリア)訳

 

 人体における生体電気的プロセスと地球における電磁気的プロセス、言い換えれば、生体電気と地球電気との関係を考慮することなしに、現代の科学技術の発展がどのような手段で人間の道徳性に影響を与え、またますます深刻な影響を与え続けているかを明確に理解することはできないだろう(1)。電気や電磁気学の発見とその実用化には、当然ながらさまざまな側面がある。電気や電磁気学は、もちろん自然界の力であり、その応用によって、人間の生活に有益な影響を与えたり、破壊的な影響を与えたりすることができる。医学の分野では、電気療法が正しく適用されれば、治癒のプロセスを助けることができます。しかし、例えば、エイズのような免疫系の様々な障害の発生、アレルギー、慢性疲労症候群やある種の癌における磁場の役割について、正確にはまだ十分に調べられていない

 また、電磁場には、人間を完全に支配することを許されていない内なる霊的な性質がある。そして、電気的、電磁的現象が物理的物質において外部にその効果を示すように、それに対する防護策を講じていない人間の道徳的体質に内面的な影響を及ぼすのである。

 生命プロセスの秩序に関しては、物質の構造(分子、細胞)は、人間の高次の構成要素と同様に、太陽光と、ルドルフ・シュタイナーが "エーテル "と呼んだ超越的な力の振動によって、かなりの部分が組織化されていると思われる。19世紀の物理学では、光は単なる磁気波であるとされていたが、量子物理学は、光、電気、磁気の関係がはるかに複雑であることを示した。(古代のギリシャ人がその道徳的影響によってすでに知っていたことである)2。

 ルドルフ・シュタイナーはかつて電気を、物質以下の状態の光、あるいは物質の中で自壊する光、あるいはまた崩壊する光と表現した3。これに関連して彼は、この洞察が人間の内的生活にとって重要であることを強く強調した。「電気と最も対照的なのは光である。そして、光を電気の一形態と考えることは、善と悪を混同することである」(4)。ある特定の電気周波数の振動が、たとえ少量でも短時間でも、測定は難しいが健康に有害な影響を与えることはよく知られている。しかし、電気現象が人間の思考、感情、意思にどの程度影響を及ぼすかという問題には、あまり注意が払われていない。ここに、人間にとって過小評価されてはならない危険の源泉がある

 人間の意識の進化において、思考、感情、意志との関連で、人が、肉体を介してこれほどまでに物質世界と密接に結びついたことはなかった。地球が人工的な電磁波に包まれているのは、まさにこの意識の発展が新しいテクノロジーの世界を生み出しているからであり、地球の進化にはかつてなかった状況である。

 地球の内部では、約10Hz(ヘルツ)の自然なマイクロ振動、つまり1秒間に10回の振動が発生している。雷は10~20KHz(1秒間に数千回振動する)の周波数帯のフィールドを作り出す。スペクトラムの反対側の端で、光は数十億回の振動で可視化されるようになる。この2つのフィールドの間に、前世紀末に人間の介入によって人工的な放射線が充満し始めた領域がある。50/60Hzの電力供給システムから始まり、軍事目的(というより非致死性兵器)によく使われるELF周波数(ELF=Extremely Low Frequency、0~100Hz)、中・短・超短波、テレビ周波数、マイクロ波領域まで、その範囲は広がっている。(後者も軍事目的で研究・使用されたため、その応用に関する多くのデータが秘匿されている)。

 電磁力は、保護する鞘として地球を包んでいる地磁気と相互作用している。一方、電磁力は、正または負の電荷を持つ粒子、イオン、その他の関連する力を絶えず放出している地球内部と相互作用している。地球内部には液体鉄の回転核があり、棒磁石のような磁気双極子場で地球を包んでいるという想定がある。磁気圏は、月の周期によって月ごとに変化する。磁気圏は自転することなく、宇宙空間にしっかりと存在している。したがって、地球上のあらゆる地点は、2つの磁極に向かう不変の磁気偏角をもつ常に変化する磁場にさらされており、一方、その日変化は生体リズムをコントロールしている。地球表面と電離層との間には、10Hz領域のマイクロ振動、すなわちELFチャンネルによる電気力学的な相互作用がある5。

 1917年11月、ルドルフ・シュタイナーはザンクトガレン(スイス)で、新しい地理医学を確立することが将来の重要な課題であることを語った。つまり、医学的な地理学である

 「人間に内在する病気を引き起こす病原体と、地球の地形とそのすべての融合、そして地球の特定の地域によって程度の差はあれ、この地球から出るすべての放射線の間に存在する関連が明らかになったときに、初めて理解できることがある。」(6)

 この問題は、徐々にしか、学術的な自然科学の意識に浸透していかない。電気医学のパイオニアであるアメリカの医師ロバート・ベッカーは、1963年に初めて、地理的に決定された自然の磁気環境が人間の行動に影響を及ぼすと推定する理論を打ち出した(7)。ここでは、自然放射線、人工的に作られた放射線、身体の電気(8)が相互に及ぼす医学的影響だけではなく、魂や精神に関連する力への非常に現実的な影響も扱っている。

 おそらく、意識が進化している現状における最大の危険は、電気や電磁気を通して働く実質的な力が、思考に影響を与え、人間本性の意志的側面に非常に深刻な影響を与えることにあるその影響は、人間が理性的な自己意識を発揮することによって、特に肉体と、思考過程における脳と神経の活動、さらに本能という形で肉体から立ち上がる衝動的な意志の働きと結びつくことにより、大きくなる。自由なイニシアチブが関係しているその過程では、本能によってのみ動かされる意志は、人間の覚醒した意識の全ての力と出会わなければ、麻痺して「自動化」されてしまう危険がある。それは、もはや人間の自己意識によって制御されることもなく、道徳的に導く衝動を受け取ることもないだろう

 そのような場合、人間は、押し流されて、別の「エゴ」、つまり内部の「ダブル」から来たように見える行為を行うことができる。この200年間、多くの芸術家たちが、何らかの形で薄々気づいていた「ダブル」の影響力の絶え間ない増大と向き合おうとしてきたのである(9)。

 前述したように、現代の必然としての人間の個人化は、「万人の万人に対する戦争」を恐れるだけの人々や、権力と支配に対する彼らの包括的な欲望を妨げるという理由であらゆる形態の個人化に対して戦う人々の嫌悪に遭遇することになる。こうした人々や、彼らを養っている闇の霊的勢力は、地球の電気と身体の電気とのつながりをよく知っていて、それを個性の自由な展開に対する武器として使おうとしているのだ

 いずれにせよ、地球の磁力と地理医学と人間の行動(思考と意志の衝動を含む)の関係についてのこの知識は、未来のあらゆる政治家にとって重要な知識である。例えば、ズビグニュー・ブレジンスキーやサミュエル・ハンチントンのような現代西洋の地政学者が描く「地政学的断層」や「文明の衝突」の可能性のある地帯を描いた地図は、地球の電磁場の偏向図を表した地図と奇妙な(しかし恣意的ではない)類似性を示している


 例えば、磁気偏角のゼロ子午線は、わずかな変動を伴いながら、ギリシャ正教とラテン・カトリック文明の古い断層線(西ウクライナトランシルバニアボスニア・ヘルツェゴビナ/セルビア)上のヨーロッパをほぼ正確に通過している。文化的分裂や誤解は、同情と反感によって育まれる部分が多く、ほとんどの場合、これらは本能、つまり潜在的な意志の力に由来している。このような知識は、秘密にしておくと、権力政治や「世界覇権への近道」(ブレジンスキーの言葉)のために、ある地域の人々を操ったり扇動したりするために悪用される可能性がある。いったんそれが明らかにされれば、人類全体の福祉のために、真にキリスト教的な意味での仲介役として利用することができるのである9a。

 人間の磁場と高等動物の磁場は、地球の磁場と密接な相互作用がある(11)。 ロブ・ベイカーによれば、人間の磁気器官は蝶形骨/篩骨洞の骨の中、下垂体の正面に位置している。この器官は明らかに地磁気の北の方角を感じることができる(12)。 人間の脳の中でさらに感度の高い電磁気的ポイントは、松果体の領域にある。意識に作用する脳の電気直流システムは、ELF(極低周波)チャネルの非常に弱い周波数に敏感に反応する。これらの効果は、地球磁場の自然なマイクロ振動にも適用される特定のELFドメインにのみ表示される。

 1945年、特にアメリカとソビエト連邦で、電気パルスによって意識を誘導しコントロールする集中的な研究が行われた。この悪魔的な洗脳(そう呼ばなければならない)、強姦、自由意志の剥奪は、しばしばマインドコントロールと呼ばれる。マドリッドのラモン・イ・カハル病院とイエール大学医学部の神経学者ホセ・M・R・デルガド博士が、その研究成果を『心の物理的コントロール-精神文明社会の実現に向けて』という本の中で発表し、センセーションを巻き起こしたのである。

 ESBのマインドコントロールの可能性は、主にホセ・デルガド氏の研究によって知ることがでる。ある信号が猫を刺激して毛皮をなめさせ、さらにケージの床や鉄棒を強迫的になめさせ続けた。また、サルの視床(筋肉の動きを統合する中脳の主要な中枢)の一部を刺激するように設計された信号では、複雑な反応を引き起こした。サルはケージの片側に行き、反対側に行き、後ろの天井に登り、そしてまた下りてくる。サルは、信号の刺激と同じ回数、1時間に60回も同じ動作を繰り返した。しかし、この行動は盲目的に行われているのではない。電気的な命令を実行しながらも、障害物や支配者であるオスからの脅威を避けることができた。また、別の種類の信号では、2週間で最大2万回もサルが首をかしげたり、微笑んだりするようになった。デルガドは「動物たちはまるで電子玩具のようだ」と結論づけた。

 デルガドは、ELF領域のESB(Electronic Stimulation of the Brain)で患者の脳活動を刺激し、特に扁桃体と海馬に刺激を与えた。1960年から1965年にかけて、モスクワのアメリカ大使館がソビエトの作った電磁場やマイクロ波の放射にさらされ、その結果、職員の間にさまざまな身体的、精神的障害が発生したことが知られるようになってから、プロジェクトの資金は主にCIAの隠れ蓑であるアメリカの海軍情報局から提供された(CIAはこの種の戦争に特に関心があるのだ)(13)。

 デルガドは、結論として、「運動、感情、行動は電気的な力で制御することができ、人間はボタン一つでロボットのようにコントロールすることができる」とまとめた。患者たちは、電気信号に抵抗する力(意志の力!)がないため、自分の意志に反して行動が変わってしまったと報告した。「脳は身体全体とすべての精神的プロセスを制御しているので、脳の電気刺激は、人間の行動を計画的に操作する重要な方法として発展する可能性がある」(14)。 デルガドは、次のような文章で自分の主張を詳しく説明している。「われわれは、心の政治的コントロールのための精神外科のプログラムを必要としている。与えられた規範から逸脱する者はすべて外科的に切除することができる......。個人は、最も重要な現実は自分の視点であると考えるかもしれない。これには歴史的な視点が欠けている......。人間には自分の心を発展させる権利はない......。脳を電気的にコントロールしなければならない。いつの日か、軍隊や将軍は、脳の電気刺激によってコントロールされるようになるだろう」(15)。

 スペインのコルドバで、デルガドは大衆向けの娯楽として、自分の理論を実証した。彼は、雄牛の間脳に毛髪のような電極を埋め込み、電気刺激の受信機として機能することで、その行動を制御するようにしたのである。「午後の日差しが高い木の壁からリングに降り注ぎ、勇敢な雄牛が丸腰のマタドール(雄牛と対峙したことがない科学者)に襲いかかった。しかし、突進してくる牛の角は、赤いマントを着た男には届かなかった。その瞬間、デルガド博士が手に持っていた小さな無線機のボタンを押すと、牛は急ブレーキをかけ、停止した。そして、もう1つのボタンを押すと、牛は素直に右へ曲がり、小走りで去っていった。この牛は、前日に細い針金を痛みなく植え付けたある部位に、電気刺激として作用する無線信号によって呼び出された脳内の命令に従っているのだ」(16)。

 デルガドの研究は、長い間支持され続けている。マイクロ波、ELF、その他の高パルス電磁波を直接照射し、記憶を操作したり、行動を制御したり、一時的に無力化したりする実験が行われているのだ。被害者は、影響を受けた器官の健康に長期的なダメージを受け、「声」によって狂気に駆り立てられ、強迫行為を発症し、自分の意思に反して特定の作業を行うなどしている。最新の実験では、脳波(EEG)と特定のコンピューターソフトを用いて、脳内の具体的な感情の「刻印」をフィルターにかけ、関連する周波数と振幅を感情のシグネチャクラスターとして合成し、コンピューターに保存する方向が示されている。また、必要であれば、刺激伝達によって他の脳にそれらを複製することもできる(17)。

 

 前述したように、脳には松果体と下垂体という光と電気に特別に敏感な2つの領域がある。この2つの腺の機能に干渉すると、基本的な生理学的およびエーテル的超感覚的プロセスが乱れ、人間にとって悲惨な結果をもたらす。ここでは、人間を完全な衰退や退廃に突き落とすような感覚的、超感覚的なプロセスが起こる。逆に、高次の精神的な人間有機体のための決定的な未来の有機的基礎を具体的に創造することができる。特に、思考、感覚的知覚、生殖の3つの領域が、この2つの腺によってコントロールされている。

 

松果体

 松果体は、長さ50mm、松ぼっくりのような形をしており、頭の中心部の奥深くにある。松果体は、古い時代の暖かさと光を感知する感覚器官の萎んだ残骸で、頭蓋骨の泉門とともに外部に開いている18。松果体は頭頂部のチャクラ、いわゆる千弁蓮と接している。19それは、昼と夜のサイクルに合わせて24〜25時間周期で変化する生体リズム「サーカディアンリズム」を調整する。このリズムは、自然または人工的な磁場によって乱されることがあり、特に地上の磁場の1日周期パターンに反応する。松果体は、心拍数の増加などの機能を担う交感神経系と密接に作用している(横隔膜より上では、交感神経系によって臓器の活動が高まり、副交感神経系によって抑制される。横隔膜より下は、その逆である)。このように、松果体に働きかける神経は、脳ではなく、交感神経系に由来している。

 目から脳の視床下部と下垂体へ真っ直ぐに見えないエネルギーの関連があり、さらに松果体へ、視覚以外のエネルギー的なつながりがある。また、さらに松果体へのつながりがあり、明るさの変化や太陽光のさまざまな色に反応する。このプロセスは、生体全体に活力を与える効果がある(20)。 松果体複合体は、体温のコントロールも行う。メラトニンというホルモンは松果体内で生成され、その排出は光放射によって抑制されるため、夜間に行われる。メラトニン生殖細胞の発生を抑制し、子孫を残そうとする衝動を抑制する。つまり、生殖腺の発達と機能を抑制するのである。もう一つの物質はセロトニンで、神経細胞シナプスで電気インパルスを伝達する化学的な神経伝達物質として作用するために必要なものである。セロトニンは、いくつかの幻覚物質と同じ化学構造を持っていることは興味深い。それは、松果体でのみメラトニンに変換される。

 

下垂体

 一方、豆のような形をした下垂体は間脳の底にあり、その第三脳室と軸でつながっている。下垂体はホルモン調節の中心的な器官で、下垂体に伝達する他のすべてのホルモン器官を制御し影響を与える。後葉は神経系に属す。前葉では、性生活、特に授乳期の活動、卵巣(または女性の月経周期)および睾丸を制御する腺刺激性ホルモンが産生される。ロビン・ベイカーによると、人間の本当の磁気認識器官は下垂体の前方に位置している。眼球から脳につながる視神経の鼻の部分は、脳の入り口にある下垂体円錐の前で交差している。この視軸の交差は、自意識を手に入れるための重要な解剖学的根拠となる。また、現代人が通常、覚醒意識の中心を経験するのは、脳下垂体の領域内の一点である。脳下垂体は、エーテル的な額のチャクラ、いわゆる二弁の蓮と接触している。

 したがって、人間の頭部にあるこの両腺は、さまざまな点でエーテル的な光の領域と、地上の電気の領域と織り交ざっているのである。この点で、現代人は、愛に貫かれた利他的な意志の行為の助けを借りて意識的に道徳性を高めるか、あるいは、奔放な利己主義に彩られた卑しい傾向や本能に屈して注ぎ込まれるか、いずれかの選択肢を持っているのだ。このことは、この2つの腺の将来の発達と機能に影響を及ぼさないわけではない。この文脈ルドルフ・シュタイナーは、光のエーテル的な流れが、心臓と血流を下垂体に結びつけながら、人間の中を流れているという事実に注意を促した。ある瞬間、それは、(そのような超感覚的な知覚を発達させた者にとって)人の道徳的原則と資質を顕在化させるのである(21)。

 

 さまざまなレベルで有効な多くの力は、適切な場所では、異化作用の効果でさえ、人間という家全体にとって有益であるように、通常、人間の構造全体に統合されている。この点では、胃や腸の管内で、分泌液や酸が適切な位置にあり、生命を維持する機能を果たしている生理的な消化過程を考えればよいのである。しかし、胃に穴があいた場合、このプロセスが死を招くこともある。同様に、人間のエーテルとアストラルの構成にも、最初に意図したものとは異なる力の構成に入るとすぐに破壊的な性質を示す力があり、さらに悪いことには、外側に投射されることもある(22)

 ルドルフ・シュタイナーの精神科学の研究によれば、記憶が反映される意識領域の背後には、実質的な破壊の焦点が導入された、人間の潜在意識領域がある。この破壊的な焦点は、理性的な思考、ひいては自我の発達に必要な基礎となるものである。人間の知性は、その性質上、また肉体や生理に与える影響によって、物質を破壊するなものだからである。この破壊的な焦点の力が、その厳密に限定された領域から飛び出せば(あるいはもっと悪いことに、それが外部に投影されれば)、その性質に従って、破壊的な悪意、悪として姿を現すだろう(23)。二つの大脳に関連して、人間の回想活動、すなわち記憶の刻印が、最大の緊張によって区別された二つのエーテル的流れに接続されていることが非常に重要である。これらの流れは、心臓の領域、松果体、下垂体に物理的感覚的なカウンターパートをもっている。「記憶イメージを形成しようとする物理的な器官は松果体であり、下垂体は記録する部分である」(24)。

 このような複雑な解剖学的・エーテル的なつながりについては、ここでは示唆することしかできない。しかし、今日、このような知識は徐々に意識化され、浸透し、理解される必要がある。

 このように、上記の大脳領域では、人間の生活における意識領域と超意識領域、潜在意識領域が相互に浸透していることが明らかになる。そのため、異常電界による障害は、永久的な神経学的欠陥や行動障害につながる可能性がある(25)。また、感覚器官への悪影響に対抗するために、人間の意識の強さが求められる。また、人間の思考や識別、感覚の認識、時間と空間を扱うための方向感覚、そしてすべてのホルモンと生殖のプロセスがいかに複雑に絡み合っているかが明らかになった。実際、光と生殖、電気と生殖の間には不思議なつながりがある。例えば、卵細胞が受精するとき、神経感覚活動には、電気化学的なプロセスが生じる。螺旋状のヒトのDNAでは、遺伝子の基本的な構成要素である遺伝子型、エーテル光の力、電磁気の力が特に複雑に作用し合っている26。

 

バイオテクノロジーの開発は、まだ初期段階にある。バイオ産業の技術者たちは、これまで以上に複雑なコンピューターシステムを駆使して、生物の遺伝情報を解読し、DNAを新しい科学分野の最も重要な「原料」として、また株式市場で莫大な利益を生む保証として利用するために、それを配列し整理しようと試みているのだ。メディア時代の「予言者」マーシャル・マクルーハンにとって、コンピューターとテレコミュニケーション技術は、人間の神経系、「電気人間」の延長線上にあるものにほかならない。現在、長期的には人間の感情的な生活を機械の世界に移し、あるいは両者を一体化させる努力がなされている。バイオエンジニアによれば、身体は、その誕生に至った情報のための一時的な容器に過ぎないからである(27)。

 電気的な力の発見と応用は避けられないものであり、進化上の必然であった。しかし、この電気的な領域での「解放」は、電気に関連する抑圧的な力に対抗し、均衡を回復するために、人間自身に意識の警戒心を高め、持続的な精神的作業によって内なる資源を呼び起こす努力を増やすことを要求している。なぜなら、電気という自然のエネルギーには、人間の道徳的価値を低下させる傾向のある霊的な力が隠されており、人間を人間以下のレベル、つまり道徳的に低く、精神的に暗い領域へと引きずり込もうとする力があるからである。「亜自然(Subnature)は、それが何であるかを認識しなければならない。これは、人類が技術的に亜自然に降りていったのと同じくらい、少なくとも精神的な知覚を超感覚的な超自然へと高めていく場合にのみ可能である......。電気については......自然から亜自然に導くその力を認められなければならない。しかし、人間はその下降に加わることに気をつけなければならない」(28)。

 今、私たち人類は、加速する物質世界に歩調を合わせ、技術や自然科学から湧き上がる力を自らの精神的実体や個人の意識の強さで相殺し、奈落の底に突き落とされないようにすることができるのか、ということが問われているのである。人類の進化に照らせば、テクノロジーの発展に抵抗することは不合理であり、有害である。しかし、まさに技術革命においてこそ、人間には、精神的無関心と自己中心的妄想の克服が求められているである。人間は目を覚まし、意識的に個々の精神的な課題に取り組む必要があるのだ。そのような強い抵抗と戦い、それを変様することによって、人間は、普遍的な進化にはるかに大きく貢献することができるのである

 

脚注

1 このテーマは、デービッド・ヒーフが「電磁波と人間」という論文で紹介している。Trans Intelligence Internationale (Issue 3/4 1999), pp.35-37.

2 Arthur Zajonc.を参照。Catching the Light.The Entwined History of Light and Mind. New York,1994.

3 ルドルフ・シュタイナー、1911年10月1日。血液のエーテル化。

4 ルドルフ・シュタイナー、1923年1月28日。Lebendiges Naturerkennen. インテルクテュラー・スンデンフォールとスピリチュアル・スンデナーヘブング(GA 220)

5 アメリカ政府が推進するアラスカのHAARPプロジェクトは、このような複雑なつながりに干渉しようとしたようである。これについては、ジーン・マニング、ニック・ベギッチ著 『天使はこのHAARPを演じない。テスラテクノロジーの進歩』アンカレッジ 1995年

6 ルドルフ・シュタイナー、1917年11月16日。「人間の存在に隠された力で。ジオグラフィック・メディスン」

7 Robert. O. Becker in New York State Journal of Medicine, vol.63 (1963) p. 2215.

8 このロバート・O.ベッカーにとって重要なこと。Cross Currents. New York 1990(ここではドイツ語版の後に引用しています。Der Funke des Lebens. Heilkraft und Gefahren der Elektrizitat. Munchen 1994)。

同、ゲイリー・セルデン ザ・ボディ・エレクトリック。電磁気学と生命の基礎.New York

1985; B.Blake Levitt: Electromagnetic Fields. A Consumer's Guide to the Issues of How to Protect Ourselves. ニューヨーク 1995; Marco Bischof: バイオフォトネン。Das Licht in unseren Zellen. Frankfurt/M. 1995; Alan Hall: 水、電気、健康。電磁ストレスから自らを守る。Stroud, Gloucestershire 1997.

9 文学的証言の要約は、Otto Rank: 「Der Doppelganger」にある。Imago. Zeitschrift für Anwendung der Psychoanalyse auf die Geisteswissenschaften. ジークムント・フロイト編。第III/2巻(1914年)、97-164頁。

9a 本号のスティーヴン・アッシャーの論文 "Helmuth James von Moltke and the Tragedy of the 20th Century" における "All-Human Geopolitics" についての考察を参照されたい。

10 参照:Becker: Der Funke des Lebens, p. 100.

11 William E. Southern: 'The Earth's Magnetic Field as a Navigational Clue' を比較する。Modern Bioelectricity. アンドリュー・A・マリノ編。New York, Basel 1988, pp.35-74.

12 R. ロビン・ベイカー:「ナビゲーションのためのヒトの磁気受容」. 電磁界と神経行動学的機能. メアリー・E・オコナー、リチャード・H・ラブリー編。New York 1988, p.73sq.

13 ホセ・M・R・デルガド: 心の物理的コントロール。精神文明社会へ向けて。ニューヨーク 1969年;ジョン・マークス 満州人候補生」の捜索。CIAとマインドコントロール。ペーパーバック ニューヨーク 1991; ウォルター・ボワート : マインド・コントロール作戦. ニューヨーク 1978; アルメン・ヴィクトリアン:マインド・コントローラーズ。ロンドン 1999年;バンス・パッカード ピープルシェイパーズ。ボストン 1977年 WWWでは、マインド・コントロール・フォーラムのホームページ<http://www.mk.net/~mcf/index.htm.>を比較してください。

14 ベッカー Der Funke des Lebens, p. 283sq.

15 議会記録、第26巻、第118巻、1974年2月24日。

16 "Matador with a Radio Stops Wild Bull"(ラジオを持ったマタドールが野生の雄牛を止める)。ニューヨーク・タイムズ 1965年5月17日号

17 アルメン・ビクトリアン:「電磁波マイクロ波とマインドコントロール技術の軍事利用」。ロブスター34巻、1998年冬号、pp2-7。

18 ルドルフ・シュタイナー、1908年9月9日。「エジプトの神話と神秘、講義 VII」 1908 年 3 月 17 日。Natur und Geisteswesen (GA 98)。

19 医学的な相互作用については、特に、ドラ・フォン・ゲルダー・クンツ、シャフィカ・カラグーラ:チャクラと人間のエネルギー場、ウィートン、イリノイ州、1994年を比較してください。Wheaton, Ill. 1994; Dietrich Boie: Das erste Auge. Ein Bild des Zirbelorgans aus Naturwissenschaft, Anthroposophie, Geschichte und Medizin. Stuttgart 1968.

20 Bischof: Biophotonen, p. 144sq., 177.

21 ルドルフ・シュタイナー、1911年10月1日。21 ルドルフ・シュタイナー、1911年10月1日:「血液のエーテル化」。

22 Otto Julius Hartmann: Von den Geheimnissen der Menschlichen Seele.と比較。Die Seele im Kraftfeld des Boesen und der Besessenheit. Freiburg/Br. 1984, pp.20-30.

23 ルドルフ・シュタイナー1921年8月14日。「意識の経験としての自我」第Ⅲ講、1921年9月24日。「コスモゾフィー」第一巻第二講義。

24 1911年3月23日。オカルト生理学、講義 IV、1918 年 8 月 26 日。太陽と三重人の神秘』第 3 講義。

25 ベッカー レヴィット:電磁場、123ページ。

26 ビショッフの『バイオフォトネン』196頁に詳しい。

27 ジェレミー・リフキン アルジェニー。ニューヨーク 1993; ジェレミー・リフキン: バイオテクノロジーの世紀。遺伝子を利用し、世界を作り直す。New York 1998.

28 ルドルフ・シュタイナー人智学的指導思想』183-185 号。

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 「ブレジンスキーハンチントンのような現代西洋の地政学者が描く『地政学的断層』や『文明の衝突』の可能性のある地帯を描いた地図は、地球の電磁場の偏向図を表した地図と奇妙な類似性を示している」ということは、やはり英米の影のブラザーフッドは、地磁気のオカルト的意味を知っているのだろう。
 人間は、肉体を持つ以上、電気的存在でもあり、その影響を確かに受けているのだが、それは、この地上における現在の進化段階の一時的な姿である。人間は、今は、言わば、地上において肉体という檻の中に生きているのである。しかし、未来においては、この身体自身も霊的に変様させていくのが人間の進化の道なのだ。
 この進化の道を妨害する霊的存在があり、それらが、現在の電気漬け、電磁波漬けの世界を作っているのだろう。人間を物質の中に埋没させてしまおうとするこれらの勢力に対して、人間は、意識を操作されないよう常に覚醒して、電気をもうまく利用しつつ、霊的発展に努力していかなければならないのだ。

二人の子どもイエス-神殿の出来事 ②

『博士たちの間のキリスト』 パオロ・ヴェロネーゼ

 磔刑で死んだイエスは勿論一人である。しかし、子ども時代、イエスは二人いた。同じ名前の子どもが二人いたのである。一人はルカ伝の、もう一人はマタイ伝の伝えるイエスである。それぞれの両親も、やはり父はヨセフ、母はマリアといった。

 では、どちらのイエス磔刑を受けたのだろうか。「二人の子どもイエス-神殿の出来①」の最後に、「それを知るには福音書を探求しなければならない」として、それは「二人の子供イエスが幼年期を終わった時に起きたこと」つまり、ルカ福音書に書かれている「神殿の出来事」に関係することを示唆した。

 今回は、実際にそれを見ていくこととする。それは、ルカ伝にのみ書かれており、マタイ伝には書かれていない。

 

 ルカ伝第2章41節以下につぎのようなイエスのエピソードが語られている。

  さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。イエスが12歳になった時も、慣例に従って上京した。ところが祭りが終わって帰るとき、少年イエスエルサレムへ居残っていたが、両親はそれに気付かなかった。

しかし道連れの中に居ると思いこんで、友人や知り合いの下を一日中捜し回った。そこで彼を見つけることができなかったので、エルサレムへ引き返して捜した。

そして3日後に、イエスが宮の中で教師たちの真中に座って、彼らの話を聞いたり質問したりしているのを見た。聞く人々はみな、イエスの賢さやその答えに驚嘆していた。

両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、『どうしてこんなことをしてくれたのですか。父様も私も心配して、あなたを捜していたのですよ』。するとイエスは言った、『どうしてお捜しになったのですか。私が自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか。』

しかし、両親は、彼が彼らに話した言葉を理解しなかった。それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らに仕えた。母はこれらの言葉をみな心に留めていた。

 これは、イエスが12歳の時の物語である。当時、イエスは、ナザレと言う田舎の幼い純朴な子どもであった。それが、突然、神殿で行方不明になった後、神殿の教師達に教えを説いていたというのである。イエスは神の子であるから、幼い頃に既にその片鱗を表わしたのであろうとは解釈できるが、それはあまりにも突然であり、ルカの文章からは、両親の戸惑いが感じられるのである。

 『絵画における二人の子どもイエス』で著者のヘラ・クラウゼ・ツインマー氏は、次のように述べている。

  福音書の記述は明らかに、両親が以前の経験からは全く考えられなかった彼らの息子のふるまいに驚いたことを示している。また、子どもが彼らの言うことを聞かず疎遠な感じをもたせること、彼が学識のある祭司達の中でそのように深い知識を駆使していることを、彼らは理解することができなかった。全く明らかに、この出来事は、イエスのこれまでの幼児時代の物語から逸脱するものである。イエスは無関心で冷たいような心情をもって、両親が心を痛めて彼を捜していたことを無視しているように見える。彼の答えは謎に満ちており、何か重要なことが生じたに違いないことに気付かせる-それは、変容、それ以前にその子どもに見られなかった意識の突然の覚醒である-。

 この突然の変化は、どのように説明できるだろうか。

  この出来事について、シュタイナー及びツインマー氏は、次のように説明している。この時、ルカの子どもより年長で、生まれてから直ぐにその優れた能力、英知を表わしていたマタイの子とルカの子が、ルカの子どもにおいて「一体となった」、それにより以前は素朴であったルカの子が知恵を発揮できるようになった、そしてマタイの子はまもなく死んだ、と。(つまり、磔刑を受けたのは、その後大人になったルカのイエスである。)

 イエスが「迷子」になっている間に、神殿の中で行なわれていたのは、このような神秘的な出来事であったのである。

 シュタイナーやツインマー氏の詳しい説明に触れる前に、先ずここでは、『二人の子どもイエス』からデイヴィッド・オーヴァソン氏の説明を見てみよう。オーヴァソン氏は、この出来事を古代の秘儀との関連で次のように論じている。

 イエスが12歳-元服の年齢-に達した時に、両親は彼を連れていった。他の者達が帰宅の道にあった時、イエスは行かずにとどまった。親族が彼の不在に気づくまでには多少の時間がかかった-実際、マリアとヨセフは、親族の集団がナザレへの帰途に1日中費やすまで、彼がいないことを知らなかった。両親はエルサレムに戻り、ついに神殿で律法の博士や祭司と話をしているイエスを見つけた。・・・

 ルカ伝に述べられている神殿での出来事は、物語に追加されたもののように見える。説明はルカ伝にのみ述べられているもので、その文章を取り除いてもイエスの子供時代の物語が大きく損なわれることはない。実際、真実から遠くはない。神殿の出来事は最も重要なものであるが、それはルカにより述べられているものの故ではなく、彼が黙しながら暗示していることによってである。驚くべきことは、ルカがイエスの誕生と幼年時代を述べるのに52節使っているのに対して、神殿の出来事には21節も使っていることである。

 ルカの説明からは、イエスが神殿に3日間いたことになる。ルカはこの時間でイエスが変わったことを明らかにしている。それにも関わらず、この節を注意深く読むと、「ルカは神殿で実際に何が起きたのかを語っていない」ことがわかる。

 この点では、ルカは、そのような事象において認められてきた伝統をただ観察していただけである。異教の密儀についてオープンに書いたり語ったりすることは常に禁止されていた。ルカは、新しい密儀に直面して自分に同じ沈黙の義務が課されたと感じたように見える。神殿の物語をもっと詳しく探求する前に、古代の密儀の本質に目を向けなければならない。

 

 2世紀の旅行者パウサニアスは、女神イシスのエジプトのある秘儀参入の祭儀が執り行われていたティトレア近くの聖堂に密かに侵入しようと試みた驚くべき人物の話を伝えている。その後間もなく、彼が神殿で見た霊的なものについて聴衆に話している最中に、その人は倒れて死んだ。パウサニアスは、秘儀に参入していない者でも秘儀の知識の秘密を語ってはいけないという倫理規範を指摘しているようである。

 パウサニアスは最初ではなかった。意図的であれ偶然であれ、密儀に足を踏み込んだ者に与えられる最終的な運命についての同様な物語は、古代の文学ではしばしば語られてきた。彼の時代、古代エジプトギリシアの密儀に参入した者mystecsは死の苦しみをかけた沈黙の誓いを立てたことがよく知られている。mysterionという言葉は、ギリシア語の動詞μυειν(myein)からきており、元の言葉のμυστηριον(mysterion)は「沈黙の内に保たれなければならないもの」を意味している可能性は高い。

 沈黙は約3000年間保たれてきており、我々は、密儀の神殿で行われてきたことについて、何も-ほとんど何も-知らない。残存するのは興味をそそる少しの言葉だけである。例えば、大地母神デメテルを祭るエレウシスにおいては、祝祭は9日間行われ、実際の秘儀参入はこのうち3日間続いた。Boedromion(訳注:ギリシア月 8月 20日~ 9月 17日)の月の20日に秘儀は始まり、動物の供犠が先行して行われた。ある意味、秘儀参入の最初の日に、秘儀参入候補者達の一種の聖餐式があり、pelanos(注)、おそらく穀物の女神デメテルを想起させるものとしてパンをとった。これには聖なる飲物、kykeion(注)が続いた。

 

(注) この言葉は残っているが、その意味は失われた。一般的に、pelanosはいくらか厚いあるいはねばねばしたものであるが、(密儀を通して)神々と死者に捧げられるような液体を指すためにしばしば用いられたのである。デメテルのpelanosは、油と粉と蜂蜜を混ぜて作られたのであろう。しかしそれが祭儀の密儀の一部をなすと見られていたという事実は、それが他の要素をもっているか、あるいはある方法によってそれが霊化されたことを示唆している。

 

(注) また、この言葉は残っているが、密儀におけるその特別な意味は失われた。おそらくその語根は、kukao「混ぜる」であるが、その派生語が何を意味するかは知られていない。

 

 古代の用語は理解されず、真の秘密は誤解されたので、ある程度、沈黙は保持された。例えば、エレウシスで、Boedromionの16日、秘儀が正式に始まる前に用いられる言葉の一つは、Halade mystai-「参入者よ、海へ行け」であった。おそらくこの言葉は、清めるために候補者はエーゲ海に入らなければならないという意味であろうが、その言葉の背後には確かに深い意味があった。パウル・シュミットPaul Schmittは、彼の古代密儀に関する著作の見事な脚注において、この言葉が指す海とはthalassa、神々の前にある海、プロテウスの海であると指摘している。プロテウスの海の錬金術的意味の深いレベルについては、後に検討することとする。

 このように、古代のギリシア密儀の神殿においてなされていたことに関して主張されることのほぼすべては、想像の域を超えるものではない。しかし、他の秘儀、特にエジプトで行われたものについて我々が知っていることを考慮すれば、候補者が天国と地獄のビジョンを許され、彼らの人生を永遠に変える宇宙の秘密が開示されたということは全くありうることである。秘儀の間に彼らは情報や知識ではなくある種の体験-通常の生活では得られない体験-を得た、ということは確実である。

 我々が秘儀参入の秘密について知っていることの一つは、それが二つの部分からなることである。そのうちの一つは、言葉(実際、音を意味する「口による言葉」)によって秘儀参入する者、mystesに与えられた。他の一つは、ビジョン-即ち霊的光、言葉で言い表せないビジョン-によって秘儀参入する者、epoptesに与えられた。エレウシスでは、秘儀の最高の形に保持されたビジョンによるこの秘儀参入は、3日目の、epopteia(訳注:エレウシス密儀の最終段階)と呼ばれる祭儀において行われた。我々がこの3日間に実際何が起きているのかについて何も知らないということは、秘儀参入者の絶対的な口の堅さの証拠である。

 もし古代の秘儀参入者自身が彼らの秘儀の神殿で起きたことについて書いたり語ったりしなかったとすれば、あるキリスト教の著者はそれをした。そうすることにより、彼らは誓いを破ってはいない。彼らのほとんどは古代の密儀に参入していないからである。しかし、これは、おそらく彼らも思索にふけっていたということを意味している・・・

 より洞察力のあるキリスト教著者は、古代の密儀学派をキリストの偉大な新しい密儀を準備するものと見ていた。使徒パウロも、ギリシア語のmysterionを新しい宗教の本質を表現するときに使った時、キリスト教が古代の密儀に依存していることを認めている。パウロにとって神の言葉は、

 

  世の初めから代々にわたって隠されていた秘密(mysterion)が、今や聖人(聖なる者)達に明らかにされた。(コロサイの信徒への手紙1:26)

 

 ホメロスデメテルへの賛歌が、epopteiaの至上の秘儀に導かれた者達を至福に満ちた者-「それを見た者は幸いである」‐と宣言するなら、初期のキリスト教徒も、キリストを知った者により体験された喜びについて語ることができたと言える。

 エレウシスの古代の密儀では、秘儀参入者は、「コレー」-乙女ペルセフォネ-を見たと主張した。彼がこの体験を語る様には、彼の驚きの喜びを感じることができる。この種の驚きの喜びは、ヨハネ福音書が、キリストの出現をそのような興奮をもって次のように述べる時、そこに反映している。

 

  私たちはその栄光を見た。・・・恵みと真理に満ちていた。(ヨハネ伝1:14)

 

 音の秘儀と光の秘儀の二つの秘儀の流れが、秘儀参入者により知覚されたように、ヨハネ伝の内に反映しているということはありうるだろうか。ヨハネは、キリストをその栄光(ギリシア語のdoxa。これは後に議論する)の内に見た高次のビジョンを得た者の一人であった。キリストのこの霊的身体は、「恵みと真理に満ちていた」。この意味は、キリストは、地上にいる間において、人間の霊的に発展しうる最高の状態を表す者であるということである。・・・

 さて、全体として、古代の密儀参入者に課せられた沈黙は守られており、時代を超えて、秘儀のセンターでの出来事を知ろうとする者を未だに嘲っている。エクステルンシュタインの岩に掛けられていた異教神、オーディンは、我々にとっては全く簡単な秘密である。エクステルンシュタインの真の秘密は、キリストなのである(訳注:①参照)。

 事実、古代の密儀に関する沈黙は、キリスト教でも繰り返されている(注)。ナイルのイシスの神殿で、エレウシスのデメテルの神殿で実際に起きたことを我々が知らないように、ナタン・イエスが12歳の時にエルサレムの神殿で起きたことを我々は知らない。ルカの物語のたった一つの部分が、古代の密儀との関連を提供しているようである。ルカはマリアとヨセフが「3日間」失われた子供を見つけることができなかったと伝えている。

 

(注) Hugo Rahnerが『キリスト教の秘儀と異教の秘儀』の中で指摘しているように、その二つを比較することは、大抵の場合、学者たちを再び古代の密儀宗教の発見に導く。勿論、古代の密儀に関連する文献はそっくり残っているが、17世紀まで、それはほぼ忘れられているか無視されてきた。

 

 3日間という期間は、古代の密儀で非常に重要な意味を持っていた。エレウシスのケースで見たように、神殿で行われたより重要な密儀のいくつかは、3日間続いた(注)。この日数は、秘儀と宇宙との関連を証明する。何故なら、月は、同じ期間を使い獣滞の一つのサインを完全に移動するからである。エジプトとギリシアの密儀で、そのような儀式は、魂あるいは霊が身体を離れ、新たな内的生命が参入者に与えられる、一種の死と同等のものを示すものと見られていた。

 

(注) 3日間の期間は、エレウシスの祝典の最後の頃行われた密儀の儀式に与えられたギリシア語の名前における歴史に残っている。牛の供儀とパンpelanosと飲み物kykeinonの捧げ物は、Bodromionの20日と21日に始まり、myteriotides nychtes密儀の夜として知られた。3日目が、Epopteiaと Deikanymenaで、秘儀参入の密儀の最高位の段階を示している。

 

 おそらく、これと同様なことがエルサレムの神殿で3日間の間に起きたのである-イエスの偉大な霊的位格からすると、通常の秘儀の儀式と同じではなかったであろうが-。3日間の言及自身は、明らかな秘儀との関連を超えて興味深い。イエスの両親は、おそらく神殿で彼を最後に見たとして、なぜこのように長い間、彼らの子供を探さなければならなかったのかを問わなければならない。確かにここは、マリアとヨセフが、子どもの行方を探し始めた時、戻った最初の場所であったのではないか。秘教のセンターでは、彼の両親ですら知ることを許されなかった何事かが処理されていたのではないか。他方で、ルカは、その数字を象徴的に扱っている-十字架上の物質的死と復活の間に経過した3日間の予告として(3日間墓の中に置かれ、3日目に復活したことがルカ9:24で述べられている)-。

 宇宙的であれ、歴史的であれ、事実上あるいは象徴的であれ、3日間の間に神殿で起きたことは謎のままに残る。神殿の出来事を考える時はいつも、我々はそれを周辺の言葉で探査しなければならない(注)。神殿の沈黙は、両親の子供の捜索の短い説明と両親がイエスを見つけた時のイエスの奇妙な言葉によってあいまいにされている。

 

(注) 私はここで意図的に「神殿の出来事」と述べた。イエスの生涯のこの部分についての伝統的な名称が全くそぐわないからである。芸術史家は、普通、これを「博士たちの間のキリスト」と呼んでいる。実際、キリストはまだ物質界に降ってはおらず、その主な登場人物はイエス(ナタン・イエス)なのである。実際、イエスも、単に「博士たちの間」にいるのではない。ルカは、博士たちの他に、パリサイ派の人たちにも触れている。

 オーヴァソン氏は、イエスが神殿で3日間過ごしたことと、やはり3日間を要した古代の秘儀参入の関連を指摘している。秘儀参入とは、「疑似死」の体験であり、生きたまま自我が体を抜け出し、霊界に参入する経験である。誤ればそのまま実際に死んでしまう恐れもあった。このため、それは、それを指導する祭司達が細心の注意を払って、それに適した者(素質があり修練を積んだ者)のみを対象として行なわれたのである。
 イエスは、これに類する経験をしたというのである。シュタイナーの説明によれば、マタイの子の自我が、その体を出て、ルカの子の体に入っていったのである。そしてこのために、マタイの子はまもなく、死を迎えることとなったのである。

 この経過については、この後の回で更に触れられることとなるだろう。

 さて、イエスが3日間を過ごしたのは、ギリシアやエジプトではなく、ユダヤ人の神殿である。では、ユダヤ人達にもこうした秘儀参入が実際にあったのだろうか。このことを示唆する文献が存在する。他でもない旧約聖書である。その「ヨナ書」は、預言者ヨナの次のような物語を伝えている。

 ヨナの乗った船が激しい嵐にあった。ヨナは、自分を海に放り投げると嵐は静まると漁師達に語る。漁師達は、ヨナの言うとおり彼の手足をつかんで海に投げ込むと、ヨナは神が用意した大きな魚に飲み込まれ3日3晩、魚の腹の中にいたが、神の命令によって海岸に吐き出された。

 ここにやはり「3日」という日数が出てくる。つまりこの文章の隠れた意味は、ヨナの秘儀参入なのである。

 

 自我が体を抜けるということは、実は、誰もが経験していることである。シュタイナーによれば、人の睡眠とは、自我とアストラル体が体から抜け出すということなのである。そして霊界を旅して、また体に戻って覚醒するのだが、人は、この時の体験を覚えていないのである。秘儀参入とは、このような体験を、体に戻っても覚えていると言うことである。

 このように、人の自我等の構成要素は、体から独立した存在なのである。このことからすると、よく漫画やドラマで、人間の魂が入れ替わる話が出てくるが、案外、実際にあり得ることなのかもしれない(イエス達の場合、入れ替わったのではないが)。
 人の体に外部から異質な存在が入り込むと言うこともあるようである。意識を喪失したときに、自然霊などが入り込むことは実際にあるらしい。それが悪霊である場合は、エクソシストの出番となるのだ。(③に続く)