k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

第1ゲーテアヌム消失から100年

 実は、前回の記事で今年は最後とすることにしていたのだが、脱稿後、今年の大晦日にふさわしい論稿を見つけたので、これを紹介したい。

 掲載誌は、いつもの『ヨーロッパ人』誌である。

 スイスのバーゼル近郊、ドルナッハに、シュタイナーが創始した人智学の世界統括組織である普遍人智学協会の本部となっているゲーテアヌム (Goetheanum)という建物がある。その名前は、ドイツの文豪、 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ にちなんだものである。

 コンクリート造りのこの現在の建物は、しかし、二代目の建物である。木造であった初代ゲーテアヌムは、1922年の大晦日に焼失したのである。放火であった。

 従って、現在の建物は、第2ゲーテアヌムとも呼ばれている。

「第1ゲーテアヌムは、1908年から設計が開始され、1913年に定礎され、1920年に、一部が未完成ながらも開館。1922年に完成した。シュタイナー自らが外装・内装の設計を手がけた。完成後はわずか2年間しか実用には供されなかったが、この間、オイリュトミー公演用劇場として用いられた。彼のこの建築への思考形成はまず内装から始められ、内部空間の造形、外観の造形という順で進められた。この建物は、2連キューポラ構成を中心としており、円筒状の建物が二つ繋がった所に、長方形の建物が交差する形状をしていた。2連キューポラのうち、大きな一方には900席の客席が置かれ、もう一方は舞台として用いられた。客席後方にはパイプオルガンと聖歌隊席が設置されていた。二つのドーム天井を持つ構造で、天井にはシンボリックで色彩的な天井画が描かれており、壁面には大きなステンドグラスを持っていた。」(ウィキペディア

 それは、2つの大小の丸ドームをもったユニークな形状をしており、内装を含め、その建物の構造には、シュタイナー思想が込められていたのである。

 放火の犯人については、一説では、当時シュタイナーや人智学運動を激しく攻撃していたナチスの関係者ではないかとされるが、明らかになっていないようである。

 ただ、いずれにしても、その凶行の背景にあるのは、シュタイナーが進めている人智学運動、霊学に対する敵意であることは間違いないだろう。

 今年は、この第1ゲーテアヌム消失から100年目に当たるのである。これをふまえて、T.H.メイヤー氏が執筆したのが以下の論稿である。

―――――――――

灰から生まれる不死鳥

箴言年代記的100年の考察

 

I.

 1922年の大晦日、木造の初代ゲーテアヌムが破壊されたことは、『Europäer』の読者なら誰でも知っている。 タイトルにある「灰」は、この出来事にちなんでいる。この文脈でどこまで「不死鳥の復活」を語れるかは、この考察の過程で示される。

 

第1ゲーテアヌム

 

 まず、このユニークな建物の外観の歴史をたどってみよう。ミュンヘンでの土地探しに失敗し、ジュラの麓のドルナッハと、グロースハインツ夫妻から寄付された土地が、将来の建設地となったのだ。ルドルフとマリー・シュタイナーが初めてドルナッハに滞在したのは、夫妻の夏の別荘であるブロートベック・ハウスで数日間の休暇を楽しんだ時だった。1912年10月1日、ビンニンゲンのゲーリング家で行われたマルコ福音書に関する講義が終わった後のことである。

 マリー・シュタイナーは、「シュタイナー博士はある晩、そこで何か不思議な体験をしたに違いない。まるで取り乱したように部屋から出てきて、魂から重いものを振り落とさなければならないことが明らかだった」と報告しています。彼は、額にかかった暗い影を、努めて払いのけた。

 私たちは、その後、外に出て、高台から周囲の景色を眺めながら長い距離を歩きました。非常に傾斜のきつい、時には道なき道を苦労して歩き、夜遅くに疲れ果てて帰ってきた。」その夜と翌日、シュタイナーが体験したことを、彼は黙って語らなかった。

 

II.

 1913年9月20日、ドルナッハで礎石を据える儀式が行われた。このとき、「逆さ主祷」が厳粛に唱えられた。

 その後、すぐに建設が始まった。

   *

 1914年3月7日、シュタイナーはシュトゥットガルトでの講演で、世紀末と二重ドーム建築の破壊について語ったが、同時に2086年には、破壊された建物のパターンに従って、ヨーロッパ中に新しいドーム建築が開花するということも語った(GA286)。

 2086年は、1914年の、2000年における鏡像としての未来の年であることからでてくる。[2000-1914=2086-2000]これは、シュタイナーにはめったにない年号までの正確な予言である。最終章で再び触れる。

 シュタイナーは『シュトゥットガルト』(GA286)で、千年期の終わりに向かって真のキリスト教的衝動に対する怒りが高まっていることを語っている。混乱と荒廃が支配することになる。ドルナッハの建物から「一本の木も他の木の上に横たわることはない。」「わたしたちは、それを霊界から見下ろすことになる。」

 そして最後に、「しかし、2086年になれば、ヨーロッパ中に精神的な目的に献げられた建物が建ち並ぶだろう。それは2つのドームを持つ私たちのドルナッハの建物を倣ったものなのである。その時こそ、このような建物の黄金期であり、霊的な生活が花開くのだ。」**。

  *

 1916年、彫刻家のオズワルド・デュバッハは、ルドルフ・シュタイナーが、現場監督をしているとき、「この建物は炎の犠牲となるだろう。しかし、私たちはそれでも造るのだ。」と言うのを聞いたそうである。

 

III.

 1913年9月の定礎式から7年後の1920年9月26日、未完成のゲーテナムで最初の大学講座が開かれた(しばしば、実際には行われなかったゲーテナムの「開校」と同一視される)***。

 

* 1948年6月18日付エーレンフリート・プファイファー宛書簡の封書。

** 1914年3月7日、シュトゥットガルトでの講演(GA 286)。

*** レックス・ラーブ『エディス・マリオン』349ページ。

****Grenzen der Naturerkenntnis (GA 322)。

 

IV.1922年

この年、シュタイナーの公的活動は頂点に達するが、反対派の働きもまた新たなピークに達する。5月15日、ミュンヘンでは、ある公開講座で、ナチス以前の、暴徒のような騒ぎが起きた。 

 6月1日から12日まで、ウィーンの楽友協会ビルで、ルートヴィヒ・ポルツァー=ホーディッツLudwig Polzer-Hoditzが共同企画した「西東会議」が開催される。毎日、約2000人の参加者が講義を受講している。それについては、報道されている。大会の成果を持続させるため、ルートヴィヒ・ポルツァーはシュタイナーと相談して雑誌『Oesterreichischer Bote- von Menschengeist zu Menschengeist』を設立し、11月から月2回発行することにした。

 学生達によりもたれた講義の中で、プラハから来たというユリエ・クリマさんが怖い目に遭ったことがあった。彼女は回顧録の中でそれを報告している。

「西東会議では、マスターが私の近くに座っていました。まだゲーテアヌムを見たことはありませんでしたが、ある先生の講義中に突然、ゲーテアヌムの柱が濃い煙に包まれるのを見たのである。体験後、師匠の視線がしっかりと私に向けられているのがわかりました。」

 1922年8月、ユリエ・クリマとその夫ヤロスワフ・クリマは、初めてゲーテアヌムを訪れた。シュタイナーは、キリスト像とアーリマンの頭部を見せた。

 彼らが帰るとき、彼は2度、夫妻に言った。「もう、何か聞きたいことはないですか」と。そして、3度目、今度はユリエ・クリマにむかって、「もう聞きたいことはないのですか」と言った。しかし、彼女はまだ何も知らない。

 そして、二人は柱と窓のあるドーム型の部屋を通り抜けた。

「今、私は何を聞かなければならなかったのかがわかった 」と、前述の幻視体験を振り返りながら、回想録に書いている。

「そして私は何も聞かなかった! この悲劇は私の魂に重くのしかかるのです。」

 

 9月16日(土)、ゲーテアヌムの「ホワイトホール」で、フリードリヒ・リッテルマイヤーがルドルフ・シュタイナー出席のもと、最初の完全な聖別式を執り行った。これが、キリスト教共同体の儀式の基礎となった。シュタイナーはこの祝典のために、マティアス・グリューネヴァルトの「十字架の絵」と、ブレラ(ミラノ)のヴィンチェンツォ・フォッパの「復活したキリスト」の複製を設置した(P5のイラストを参照)。

 

* Ludwig Polzer-Hoditz, Erinnerungen an Rudolf Steiner, in which Julie Klima.に記載されています。「ルドルフ・シュタイナーの思い出」1928年 ドルナッハ1985年 p.306f.。

 

  *

 1922年11月7日、ヴァルドルフの教師でフリーメイソンのマックス・ケンドラー(1936年没)はルドルフ・シュタイナーに次の手紙を送った(下のファクシミリを参照)。

「シュタイナー博士様へ ベルリンの地方グランドマスターが、あなたに対する主張を地方グランドマスターに発したことが私の知るところとなりました。特に、メイソンが相容れなくなったのは、カルトに違いありません。」 これは、ケンドラーの手紙の冒頭の重みのある文章である。メーソンが主張を発するということは、誰かを無権利者と宣言することだ。

 ゲーテアヌムに対するさまざまな扇動的な記事(その一部は雑誌にも掲載された)があるのとは対照的に、このケンドラーの手紙はある程度、メーソン的に適格な懲罰的行為であるといえるだろう。シュタイナーは、この手紙に注目してメモをとったことだろう。回答は不明である。

 特に重要なのは、伝統的な流れ(フリーメイソンや教会)から借用したものではなく、精神世界そのものから生み出された儀式に対して反論されているという点である。

  *

 1922年12月31日/1923年1月1日の大晦日ゲーテアヌムで火災が発生した。それは、新しい儀式を祝ったまさにそのホワイト・ホールの壁が煙を発していることから発見された。この放火の反キリスト教的性格をこれほど明確に示すものはないだろう。

 その夜、ベルリンでシュタイナーの教え子だったアンナ・サムウェーバーは、幻視体験をした。彼女は回想録『Aus meinem Leben』(第4版、バーゼル1983年)で語っている。

「ドームが轟音とともに崩壊し、巨大な炎が上がったとき、私は霊的な体験に圧倒されました。火災現場の高いところにある建物が白く光っているのを見て、これから大変なことが起こるのだと確信しました。オルガンの金属パイプの色が下から炎に照らされて光り、音と同時に悲鳴のようなものが聞こえてきました。そして、反対側のデ・ヤーガーの家を見ると、ルドルフ・シュタイナーが巨大な光と白のオーラに包まれているのが見えました。そして、先生と燃えている建物の間で何かが起こっていることを知りました。仲間はそれに気づかず、そのイメージは消えていったのです。」

 この火災の夜、エーレンフリード・プファイファーの主治医であるポール・シャルフが記録している出来事がある。「ルドルフ・シュタイナーのいる部屋に入ったのは、火事の夜のクライマックスの後だった。ルドルフ・シュタイナーは立っていたのか、座っていたのか、わからない。しかし、プファイファーさんの報告によると、完全に崩れ落ちている人がいて、全く一人きりだったそうだ。彼は、尊敬する先生を受け入れるために心が開かれるのを感じ、その瞬間、二人の間に存在する関係を認識したのです。ルドルフ・シュタイナーは、“これ以上続けることはできない”と告げた。この告知は、プファイファーさんを根底から揺さぶった。そして、彼は、すべての勇気を振り絞ったと語っている。そしてルドルフ・シュタイナーに近づき、彼は続けなければならないと、また彼、プファイファーが、全力を尽くして、協会と学校のさらなる発展、事態の推移が中断しないように引き受けると告げた。

 こうして、若い弟子は、尊敬する師が最大の試練、暗闇、助けを必要とする瞬間に立ち会うことになったのである。(...) プファイファーは必要な手配をするために部屋を出て行った。」*

  *

 この夜、最も衝撃的な光景と最も崇高な光景が隣り合わせにあったのだ。プファイファーが目撃したものは、建物が消尽したことを決定づけており、サムウェーバーが見たものは、おそらく2086年以降の未来のドーム建築の霊的萌芽の不滅の基礎となるものだ。

  *

 そして、ルードヴィッヒ・ポルツァー=ホディッツは、1935年の総会の演説で、破壊された建物についてこう述べている。

「最初のゲーテアヌムは秘儀の場として建設された。その中で我々が純粋に知性的な話をしたために、我々から奪われたのである。それを守れる人はいなかった。ルドルフ・シュタイナーは、それを守ることを許されなかった。なぜなら、彼は、人類が成熟するための試金石として、それを与えたからだ。」

 もし、ユリエ・クリマやその他の人々が予言の体験を黙っていることなく彼に明かしていたら、シュタイナーは当初から脅かされた危険に対して何かすることができただろうか?

 そして、新しいドーム型の建物について、ポルツァーはこう語った。

「強い心の中におかれた礎石は、もはや一つの場所、一つの建物に縛られることはない。それらは、各地の未来の秘儀の場所の礎石とならなければならない。このような神秘的な場所の種をまく人は、運命によって霊界から直接呼ばれるしかないのです。しかし、これには何よりも秘教的な勇気が必要であり、干渉や制限が必要なのではありません。」

 

 ドルナッハの火災の1年後、シュタイナーは、この火災を、世界史的な文脈で、紀元前356年のエフェソスの神殿火災と関連付け、その原因として「神々の嫉妬」(エフェソス)と「人間の嫉妬」(ドルナッハ)を指摘している**

 新しいドームの建物は、その両方から免れることを期待したい。

 

 Thomas Meyer   Basel、2022年11月8日。

  

* エーレンフリート・プファイファー、1899-1961、『精神のための人生』、バーゼル第4版、2014年。P. 227ff.

―――――――――

 エフェソスの神殿と同じように、ゲーテアヌムは、現代における秘儀の神殿であった。ただ、現代の秘儀は、秘匿されるべきものではなく、多くの人に開かれるべきものであったのだ。それを公開すること、現代人が理解できるように伝えることが、シュタイナーの使命であった。人類のこれからの霊的進化にはそれが必要であったからである。

 しかし、それをよしとしない勢力が存在した。秘儀を自分たちの力の源泉と考え、公にすることに反対した勢力である。彼らは、人類の正統な進化の道を否定し、邪魔する者達でもあった。その攻撃の1つの象徴的な出来事が、第1ゲーテアヌムの焼失であると言えよう。

 しかし、シュタイナーの予言によれば、あるいは、ポルツァーの言葉によれば、現代の秘儀の神殿ゲーテアヌムの礎石は、今、霊的認識を求める各人の心の中にあるのだろう。そして、その上に霊的文明が花開き、その外的姿として丸天井をもった建物群が-蘇ったゲーテアヌムとして-生まれるのだ。

 2022年は、コロナに加え、ウクライナ危機が勃発し、大いに荒れた年となった。しかしそれらは依然として終息していない。それらの背後については、共通する思惑も指摘されている。今後は、更に食糧危機が加わることを指摘する声もある。

 人智学的歴史観からすれば、今、人類は、霊的覚醒を迎えつつあり、これに対抗する側の攻撃も当然強まってきていると見ることができる。現在の世界に見られるような混乱は、更に続くことが予想される。

 シュタイナーの予言によれば、それもいずれ終わりを迎えるということになるが、しかし、対抗勢力の側もそれをふまえて攻撃を行なっているのであり、結局、未来を決定するのは、人々の意志なのである。そして人間の意志は自由を本質とするのであり、あえて悪を選択することもできるのだ。
 今、世界は悪意に満ちており、状況は極めて厳しいように見える。コロナについては、ワクチンの危険性を訴える声も大きくなりつつある一方で、新たなパンデミックの噂もある。今の状況が最終目標ということはありえないだろうから、当然、対抗勢力が更なる攻撃を用意していることが想定される。
 現在の状況の真の原因は、人々が唯物主義的思考に染まってしまっていることにある。それを改めようとしてきたのが、シュタイナーであり、人智学運動である。しかし、人智学運動自体にも様々な問題が存在しており、残念ながら、まとまって大きなうねりを作り出せるような状況には見えない。
 しかし、大事なのは、希望を捨てないことであろう。救いの手は差し伸べられているのだ。問題は、それを見つけ出すことができるかどうかである。希望を捨てたとき、それを見つける目も失われてしまうからである。

*読者の皆さんには、今年一年つきあっていただき、ありがとうございました。テーマは実に遠大なのですが、本当に弱小なブログです。ただ、未来に実を結ぶ種をまければと思って続けています。また来年もよろしくお願いします。(来年のスタートは1月5日を予定しています。)

クリスマスの物語

 まもなくクリスマスがくるので、今回は、これまで触れてきた「二人子どもイエス」のテーマとの関連でクリスマスについて述べてみたい。

 

「クリスマス」というのは、英語の「キリスト(Christ)」の「ミサ(Mass)」という意味に由来する。つまりキリストの降誕を祝う祭りである。しかし、聖書にはイエスの誕生した日を示す記述がないため、実際にはイエスの誕生の日には諸説があり、クリスマスは、その誕生を祝う日であって、イエスの誕生日というわけではない。

 その日付は、主に12月25日であるが、西洋では歴史的に12日間続き、十二夜(1月6日の公現祭の夜)に最高潮に達する「降誕節」(Christmastide)が開始される日である。

 その日付については、1月6日、2月2日、3月25日、4月2日、5月20日、11月8日、12月25日等々様々あったが、結局12月25日が採用された。それは、古代共和政ローマ時代の「ローマ暦」において冬至の日とされていた12月25日が、「降誕を祝う日」として次第に定着していった。あるいは、古代ローマの宗教のひとつミトラ教では、12月25日は「不滅の太陽が生まれる日」とされ、太陽神ミトラスを祝う冬至の祭であり、これから派生してローマ神話の太陽神ソル・インウィクトゥスの祭ともされていた。これが降誕祭の日付決定に影響したのではないかとも推察されている(ウィキペディアより)。

 冬至には日が最も短くなるため、それは同時に次の日からまた日が長くなること、太陽が力を取り戻すこと、再生を意味する。人類の救済のために降誕した聖なる存在にとって、ふさわしい日付けである。いずれにしても、イエス(キリスト)の誕生については、太陽との関連が意識されていたということであろう。

 

 さて、上に示した写真は、一般的なクリスマスの物語のイメージを表わしている。中心にイエスとその両親、左側に、誕生した救世主を礼拝するために訪れた羊飼いとイエスの誕生を教えた天使、右側に、同じく東方の3博士(あるいは王)がいる。また3博士の上には、彼らを導いた星が輝き、牛やロバなどの動物が周りにいる。そしてそれらは馬小屋を背景としている。

 正式には、3博士がイエスのところに訪れたのは、公現祭の日の1月6日とされているのだが、人形飾りでは羊飼い達と一緒に置かれ、イエスの降誕劇でも、羊飼い達に続いてすぐに博士達が現われるのが一般的であろう。

 写真のこのような登場者達は、聖書に基づいている。しかし、聖書が語っている物語からすれば、不正確といえる。

 イエスの誕生の物語が述べられているのは、4つの福音書のうち、ルカ福音書とマタイ福音書である。この2つの福音書のその記述には、実は矛盾とも言えるような違いがある。

 羊飼い達が出てくるのはルカ福音書のみで、博士達はマタイ福音書にしか登場しない。また、イエスが生まれた場所については、一般的に馬小屋あるいは牛や馬を飼っている洞窟と考えられているが、それは、イエスが「飼い葉桶」に寝かせられていたとルカ福音書に記述されているからなのだが、マタイ福音書では、それは単に「家」と表現されている(逆に言えば馬小屋ではないと思われる)。しかし、ルカ福音書には、家との記述はないのである。

 またマタイ福音書のイエスの家族は、ヘロデ王による殺害を逃れるために、生まれて直ぐにユダヤの地を離れエジプトに逃亡するのだが、ルカ福音書はそのような記述がまったくないのである。

 なぜ2つの福音書でこのように異なるのか。一般的には、先ずルカの馬小屋での誕生があって、そこに羊飼いがやってきた。その後、家族が泊まれる家を得ることができて、そこに博士達がやってきたという解釈となるだろう。2つの福音書が同じ1つのイエス、イエスの家族の物語であるとするならこれが当然の解釈である。

 しかし、これによると2つの福音書は、1つの物語の時系列のそれぞれ一部しか述べていないこととなる。成人後のイエスの物語は、4つの福音書で同じ出来事の記述が見られ、同じ一人の人物の物語をそれぞれの視点で語っていると理解できるのだが、誕生の物語については、2つの物語は全く別の物語として成立しており、その様に見る方が自然の流れとなっているのである。

 何よりも、ルカとマタイでそれぞれに記述されているイエス系図が決定的に異なることは既にこのブログで触れたとおりである。

 これらの矛盾、問題点を解くもっと明快な解決策が存在する。それが、子ども時代のイエスは二人いたとする「二人の子どもイエス」説である。ルカ福音書のイエスとマタイ福音書のイエスは、別の人物とすれば、難なく問題は解決するのだ。

 つまりイエスの誕生物語は、もともと2つ存在するのである。一部のキリスト教芸術家達は、この秘密を実際に絵などの作品で示してきたのであり、それは既にこのブログで取り上げたとおりである。

 

 さて、上の写真に出てくる他の部分についても触れておこう。

 先ず、牛とロバである。これについて詳しく論じたのは、デイヴィッド・オーヴァソン氏である。『二人の子ども』の中で次のように述べている。「雄牛とロバは、最初期の公式なキリスト聖誕図の全てに存在する。それらは、初期のキリスト教芸術家にとって重要だったので、彼の両親が描かれていなくても、まぐさ桶の中の子供イエスの脇に二匹の動物が描かれていた。・・・」

 牛とロバは、我々にとっても、クリスマスのイメージによく合致しているように思われる。だから写真のように、その造形がこの場面にはよく添えられているのだ。しかしオーヴァソン氏は、「正典の福音書の物語には決して現れていないことを知るのはショックである」と言う。そう、確かに、これらの動物は、ルカにもマタイの福音書にもその記述がないのである。ただ、イエスが「飼い葉桶」に寝せられていたという記述があるので、自然の連想で、それらの動物がいても不自然に感じないのだ。

 しかし、オーヴァソン氏によれば、そこには、人類の宗教史・思想史における深い意味が隠されているという。

「生誕物語に関連する二つの動物は、単に子供を守っているということやルカ福音書の素朴な人間の知恵を示すものという以上の意味を持っている。両者とも、前キリスト教時代の密儀の伝統に由来する象徴的意味があるのである。雄牛は、ミトラの牛、そしておそらくエジプト神アピス-共に重要な宗派で、キリスト誕生の時代にも密儀を行っていた-を示唆するものである。後に見るように、ロバは、アプレイオスの神秘文学に照らして解釈されるかもしれない。・・・」

 キリスト教以前、古代世界を支配していたのは、密儀宗教であった。しかし、それは、イエスが誕生する頃には、その効力を失ってきていたのである。キリスト教はその様な状況の中で誕生した、古代の密儀宗教に代わり、それを受け継ぐ、若々しい生命力をもった新しい宗教であったのである。それは、古代の密儀宗教自身がまた自覚していたことでもあった。従って、

「飼い葉桶とともにいるロバと雄牛は、古代の密儀を集約し、新しいキリストの密儀を承認するものと見ることができるであろう。」

 ロバと雄牛は、古代密儀宗教を象徴しており、(その本質において)新しい密儀宗教であるキリスト教の誕生を見守る、証人であったということである。

 

 次に述べるのは、上に輝く星である。これは、たいていの人が知っているように、3人の博士達をイエスにまで導いた「ベツレヘムの星」である。これはロバと雄牛と異なり、実際に福音書(但しマタイ福音書にのみ)に出てくる。

 この特異な星の現象を実際の自然現象(例えば惑星の合)と考え、それによりイエスの実際の誕生年を推測する試みもあるが、これは、いずれにしても東方の3博士に結びついている。

 では、そもそもこの3博士とは何者か? 実際には博士であったり王であったりするのだが、古くは、マギと呼ばれていた。マギとは、マジック(魔術、奇術)という言葉が示すように、魔法使いということ、より正確には密儀を受けた者のことである。まさに古代の密儀宗教の代表者なのだが、この場合、ペルシアの古代の密儀宗教である。具体的には、ゾロアスター教の流れをくむ者達なのである。

 そして、彼らの宗祖ゾロアスターザラスシュトラ)は、弟子達に、自分がいずれこの世に再受肉すること、それは星によって知ることができることを予言していたというのである。その星こそが、「ベツレヘムの星」であり、再受肉したゾロアスターこそが、マタイ福音書の語るイエスなのである。

 ゾロアスターとは、「黄金の星」という意味である。

大乗仏教はどのようにして生まれたのか②


 これまでキリストと仏陀キリスト教と仏教の関係について述べてきた。キリスト教と仏教の教えや図像イメージに類似するものがあるが、これらは、外的事象として現われたものであり、それらが類似しているのは、同じ源泉に根ざしているからに他ならない。この源泉とは簡単に言えば「霊界・霊的存在」なのだ。

   しかし、霊界にも低次の霊界から高次の霊界まで様々あり、それへのアプローチの仕方も色々存在する。民族的あるいは地理的状況等で異なってくるのである。

 霊界の真の認識を得ることができる者は秘儀参入者と呼ばれる。宗教をはじめとする文明の根本部分をもたらしたのもこうした人々である。これらの人々は、霊界の出来事について、視点の違いはあるとしても、ほぼ同じように認識できただろう。

 キリスト霊が地上に受肉したとき、世界各地の秘儀参入者達は、パレスチナの地にいなくても、偉大な霊が地球に降ったということを認識したのである。

 大乗仏教が誕生したのは、確かにこの頃であり、こうした認識が背景にあるのである。

 さて、これからシュタイナーの主張を更に見ていくこととなるが、実は、これについてはいくつかの本が既に日本でも出ている。著者は、西川隆範氏(故人)である。西川氏こそ、もともと仏教を学ばれた方なので、このテーマの専門家なのだ。

 今回は、この西川氏の著作も参考にさせてもらいながら、大乗仏教誕生の霊的背景等を考えてみたい。

 

 仏教には「三時」という歴史観がある。最初は「正法」の時代で、釈迦が亡くなってからもその正しい教えが守られる時代、次は「像法」で、正法に似た状態(これが像の意味)は維持されるが、悟りが得られなくなる。最後が「末法」で、教えは微細・瑣末になり、邪見がはびこり、仏教がその効力をなくしてしまう時期とされる。

 それぞれの期間も定められているのだが、それには諸説がある。一説では、正法は500年続くという。釈迦の生没年も確定されていないが、紀元前5、6世紀とされる。とすれば、正法の時代は、紀元前後頃までとなるだろう。

 そして、大乗仏教はまさに、「紀元前後に起こり、1世紀末にはほぼその姿がはっきりとしていたことが通説となっている」(ウィキペディア)のである。

 釈迦の予言(三時)が示す仏教の節目となる時期に、確かに大乗仏教が現われたのである。

 これはどのように見るべきであろうか。

 西川隆範氏の著作『仏教の霊的基盤』(書肆風の薔薇刊)で、西川氏は、人智学派のキリスト者共同体の牧師にして仏教学者であるヘルマン・ベックの著作から次の文を引用している。

 「仏陀の入滅から500年(500年というのは、仏陀が弟子アーナンダとの話し合いの中で、仏陀の教えが純粋に保たれると預言した期間である)が経過した後、大乗仏教の位相において、仏教はやや異なったものになった。大乗仏教はアジアの広い地域にとって決定的なものになった。涅槃の後の、高次の諸世界における仏陀の霊的、霊体的な活動に目を向ける、応身の教義が現われたのである。そして、単なる個的な自己救済の道に代わって、より高次の、地球救済の道が設けられた。すべての存在の救済のための働きの道、地球の運命と自己を結合する道が設けられたのである。」(『秘儀の世界から』)

 「応身」とは、仏教で説かれる、仏が様々な形態で出現するとする「三身法身・報身・応身」の1つで、仏陀となった釈迦が応身とされるのだ。「仏陀の霊的、霊体的な活動」という言葉があることから、身体を脱した仏陀の霊的実体を指しているように見える。

 シュタイナーは、釈迦ブッダは、涅槃に達した後、この世に身体を得ることはなくなったが、引き続き霊界から人類を指導するようになったと語っており、このことが仏教においても認識されといたと言うことであろう。

 西川氏は、ベック氏の仏教研究に霊感を与えたのはシュタイナーであるとして、上の文に続いてシュタイナーの言葉を引いている。

 「偉大な仏陀の出現の5,6世紀後、全く特別の時が到来しました。仏教を若返らせる必要が生じたのです。偉大な仏陀によって告げられた、古く、成熟した、最高の世界観が若返りの泉に浴して、若々しい姿で人類の前に現われることができるようになるべきだったのです。」(「ルカ福音書講義」)

 西川氏は、このことについて、「幼いイエスに触れることによって仏陀は若返りの力を得た、とシュタイナーは考えている。そして複雑な思想体系になっていた仏教が、素朴な感情に理解できるものへと若返って、『ルカ福音書』に記されたというのである」と別の本(『シュタイナー仏教論集』)で語っている。

 仏教は、釈迦ブッダ自身が予言したように、仏陀の入滅後、その教えは細分化、専門化し、あるいは形式化していった。その本来の生き生きとした生命力が失われたのである。その再生が必要になった時、ナタン・イエスが地上に誕生し、またキリストのゴルゴタの出来事が起きて、それに霊界において仏陀が参与することをとおして、仏教にも若返りの力が与えられたのだ。

 これはまた、仏陀自身が霊界で成長したと言うことである。シュタイナーは、次のように語っている。

 「仏陀が紀元前5,6世紀の地点にとどまっているかのように語るのは誤りである。君たちは、仏陀が進化していないと思っているのか。・・・私たちは進化した仏陀を見る。仏陀は、霊的な高みから、人類の文化に絶えざる影響を及ぼしている。・・・ナタン系のイエスの上に影響を及ぼした仏陀を見る。霊の領域で更に進化した仏陀を、私たちは見る。この仏陀は、今日、私たちに大切な真理を語る。」(『釈迦・観音・弥勒とは誰か』西川隆範訳)

 イエス・キリストから影響を受けた霊界の仏陀は、それにより進化を成し遂げ、それが更に仏教の改新、大乗仏教の誕生につながったということであろう。

 仏陀の霊統、その地上界での表れである仏教は、キリストのゴルゴタの出来事とそれにより生まれたキリスト教に流れ込み、外的にもキリスト教に影響を与えたが、それをとおして逆にイエス・キリストから影響を受けて、自身も改新を遂げていたのだ。

 このことは、実は、「キリスト教芸術におけるブッダ①」で紹介した「ヨサファトの物語」でも示唆されている。

 この物語(伝説)で、インドの王国の王子とされるヨサファトとは、やがて仏陀となる菩薩(ボディサットヴァ)であり、彼はキリスト教に「改心」したのである。シュタイナーは、次のように語っている。

 「仏教とキリスト教の結び付きは、次の言葉によって見事に表現されている。『ヨサファトは聖者である。インドの王子仏陀は、キリスト教に改心した非常に神聖な存在である。仏陀は、べつの側から来た人物ではあるが、聖人の列に加えることができる。』ここから、仏教の後の姿、というより仏陀の後の姿をどこに探すべきかが知られていたことがわかる。」(『釈迦・観音・弥勒とは誰か』西川隆範訳)

 

 宗教や伝説、神話というようなものの成立には、霊的存在と、それを認識することができた秘儀参入者達が関わっているものである。彼らには、名前が伝わっている者と無名のままの者がいるだろう。いずれにしても、洋の東西を問わず、彼らは、西暦紀元前後の偉大な出来事に出会い、その影響の下に、新たに宗教を打ち立て、また既製の宗教の改新をおこなったのである。

 仏陀は、紀元前後頃に新たな段階に昇った。それにより仏教も改新された。西川隆範氏は、誕生以来の仏教の流れを、先ず「東方の流れ」として、それを南伝仏教原始仏教)と北伝仏教(大乗仏教)に分け、更に「西方の流れ」が存在するとする。仏陀の霊統が、西洋の薔薇十字運動に流れているからである。このことから西川氏は、これを「薔薇十字仏教」と名付けている。(『薔薇十字仏教』国書刊行会

 また、仏陀及び仏教の進化はこれで終わったのではない。シュタイナーは、「19世紀から約600年間、新しい形の仏陀の流れが発する、と予想していた」という。

 このことから、西川氏は、「20世紀にはキリストがエーテル界に出現すると考えられている。かつて地上でキリストが活動した頃、インドで大乗仏教が興隆したように、エーテル界にキリストが出現するとされるいま、原始仏教大乗仏教に次ぐ、仏教の第3の展開期を私たちは迎えているともいえる」とし、「薔薇十字仏教」は、仏教のこの第3の潮流に属するものであるとする。

 仏陀の新たな活動、第3の潮流の台頭が期待される今このようなときに、西川氏を失ったことは誠に残念である。

大乗仏教はどのようにして生まれたのか①

 

木造阿弥陀如来及両脇侍像 浄土寺

キリスト教芸術におけるブッダ」では、仏教のキリスト教への影響について触れた。その中で、キリスト教以前の宗教はキリストに収斂し、以後の宗教はキリストから滋養を得たというようなことを書いたが、今回は、これに関連して、キリストのキリスト教以外の宗教への影響ということで、大乗仏教との関係について述べたい。

 

 日本のほとんどの仏教宗派は大乗仏教に属するが、仏教には、これに対して小乗仏教があり、こちらが先に存在しており、大乗仏教が後から成立したことはご存じだろう。その違いは、簡単に言えば、小乗仏教では、主にその修行者が自己の解脱を目指しているのに対して、大乗仏教では、一般の人々、衆生の救済に重点が置かれていることである。また、前者では、哲学的思弁が重視され、形而上学的なテーマはあまり論じられないが、後者では、ゴータマ・ブッダ以外の、神的な存在としての仏が信仰の対象となってくるということといえるだろう。

 大乗仏教では、自分以外の存在の救いのため奉仕する利他の精神が重視されており、この様な行いは菩薩行ともいわれる。この場合、菩薩とは「決して自分だけが悟ればよいとは考えず、全ての衆生が悟りを得るまで自分も悟りを得ないと誓を立てた」者のことである。

 

 さて、このような大乗仏教は、どのように成立したのだろうか?

 先ず、ネットに興味深い論稿を見つけたので、それにより論を始めたい。著者は、筑波大学人文社会系教授の平山朝治氏である。経済学博士という肩書きだが、比較思想も研究されているらしい。平山氏は、「大乗仏教の誕生とキリスト教」という論文で、大乗仏教の成立にキリスト教が影響しているとする独自の論を展開されている。

 以下に引用する。

 「大乗仏教は西暦紀元前後に起こり,1 世紀末にはほぼその姿がはっきりとしていたことや,阿弥陀仏をはじめとする大乗仏教のいくつかの要素が西方から西北インドに伝えられたものに由来することは、今日通説となっている。」

 西北インドは、ペルシア・ギリシアといった西方の影響が極めて強い地域とされる。

「西北インドについていえば,ペルシア・ギリシア文明の要素がむしろ基層にあり,仏教がその上に広まったとみるべきであろう。・・・前3 世紀半ば以降,仏教の西北インドへの教線拡大とともに,西方諸宗教・哲学・思想の影響による仏教の変容は,さまざまな面で起こったはずである。そのなかで,なぜ西暦紀元前後に興ったもののみが,大乗仏教の誕生という仏教史上最大の革命を引き起こしたのか,という問題を立てなければならないだろう。

 さらに言えば,新宗教の創始と言ってもよいほどの革命であるにもかかわらず,大乗経典は全て数百年前に生きた釈迦が説いたこととされ,真の創始者の姿が隠されていることも,説明を要するように思われる。紀元前後に西方から新たな教えが到来し,その教えと仏教が接触・融合することによって大乗仏教が形成されたが,その教主や伝道者の名は何らかの事情があって隠されて釈迦の説に仮託され,仏典として編纂されたという仮説が,これらの問題に対して最もすっきりした回答を与えるものであろう。そして,紀元前後ころ西方から西北インドに伝えられた革命的な教えとしてまず候補に挙がるのは,キリスト教であろう。・・・

 紀元30 年ころイエスが処刑された後,12 使徒によるキリスト教の伝道がはじまったことは,インド・ギリシア人時代のものとは異なる,インドへの西方からの新たな影響を想定しえる時期とぴったり符合する。」 

 このように、平山氏は、キリストの使徒の伝道が大乗仏教の成立に関わっていたとするのである。以下、平山氏は、推定されるその経過を詳しく論じていくのだが、それは省略する。

 キリスト教の影響について主張するのは平山氏のみではなく、このような学説は色々存在するようだ。一般にインドに伝道した使徒は、イエスの兄弟とも言われるトマスであり、彼はインドで殉教したとされている。歴史的裏付けはまだないが、実際にトマスがインドに渡った可能性はあるようである。

 平山氏もこのトマスに触れて論じているのだが、次に平山氏のユニークな説に触れておきたい。

 まず、大乗仏教はそれぞれの方角に仏がいると説くが、西方にあるという「極楽」という浄土にいる仏である阿弥陀仏に関して、平山氏は、「原罪を前提し,イエスの死が人々の罪を贖うと説くキリスト教の論理は非常に説得力を持ったと思われる。罪深く自らの力では菩薩たりえないと自覚した凡夫をも救う能力を烈しい自己犠牲的修行の果てに獲得してついに転生・成仏した、凡夫を遍く救う救済者としての仏が、イエスの贖罪死と復活をモデルとして説かれるようにならないはずがなかろう。かくして西方浄土阿弥陀仏が誕生したのではなかろうか」として、キリスト教起源説を説く。

 そして、その名「アミダ」の語源について、平山氏は、ティグリス河遡航終点の西岸に位置する、トルコ東部の都市ディアルバクルのローマ時代の呼称「アミダ」(Amida)ではないかとするのである。

 ここにある「最古の教会は,西紀前からある異教寺院に由来する聖母マリア教会であり,そこにはトマスの遺骨がある」という。

 インドの西方に、キリスト教にゆかりの地で、まさに「アミダ」という地名があったことから、「西方の極楽浄土の阿弥陀仏」を信仰する教えが生まれたというのである。

 これは学説としては成り立つのかもしれないが、平山氏は、これに関連して更に驚くべき指摘をする。「トマスの安息の地がアミダの聖母マリア教会であったとすれば,死者の赴く西方の理想郷がアミダという都市名で呼ばれたとしても不思議ではない。ところがアミダは仏名に使われている。イエスとの双子説によればトマスはアミダの母の許を安息の地としたのであるから,『アミダ』という語は聖母マリアを意味する言葉と受け取られたのではなかろうか」とするのである。

 もともとこの地には、古くから女神と双子の信仰があり、都市アミダを象徴する世界最古の教会とされる聖母マリア教会はそれを引き継いだ、だから、都市名アミダを聖母マリアと等置するような意味付けがなされたとしてもおかしくないという。

 また、本来は男性である阿弥陀仏を女性のマリアに関連付ける矛盾については、「大乗仏教では女性が成仏する際男性に姿を変えるという変成男子が説かれるので,聖母マリアが成仏してアミダ仏になったとみなされれば,当然男性の姿とされたはずである」と説く。

 そして、阿弥陀仏は、よく観世音・大勢至菩薩の両脇侍菩薩と一体の3尊で描かれるのだが、これについて、平山氏は、イエス使徒の「『トマス』の名は双子を意味するアラム語に由来し,『トマス行伝』はトマスとイエス・キリストを双子としており,2 人は外見では区別できず,2 人が1組となって人々を救う(31, 39 など)。したがって,阿弥陀浄土教は本来,イエス・トマスという双子の兄弟とその母マリアを慕うインドのキリスト教徒たちが仏教と習合しつつ生み出し,阿弥陀如来と観世音・大勢至両脇侍菩薩の三尊も,聖母マリアとその双子の兄弟のイメージから生まれたと思われる。」とする。

 中央の阿弥陀仏如来)がマリアで、その両脇の菩薩はマリアの双子の子ども、イエスとトマスであるというのである。

 さらに「三尊の両脇侍とされる菩薩は,成仏を目指して修行し,転生した未来世において成仏することを仏陀に授記(確約)されるという,菩薩がもともと持っていた性格を失い,永遠に菩薩の位にとどまる存在として信仰され,観音が阿弥陀の化仏を頭や宝冠などに有するように,仏陀ですらその一部であるかのような意味合いすら帯びる。このような仏陀に優るとも劣らぬ大菩薩という観念の成立は,仏教内在的な発展では不可能と思われるが,マリアを阿弥陀に,その双子のイエスとトマスを両脇侍菩薩によって表した帰結のひとつであるとすれば,無理なく説明できる。」とし、大乗仏教の菩薩観念の成立にキリスト教の影響が見られるとするのだ。

 そして結局、大乗仏教自体についても、「イエス上座部系仏教(小乗仏教のこと。引用者注)の影響を受けた上で,本稿が論じたように大乗仏教形成に大きなインパクトを与えたとすれば,エスこそがユダヤ教からキリスト教への転換だけでなく部派仏教から大乗仏教への転換の中核であり,キリスト教大乗仏教両方の創始者というか,イエスの創始した教えがユダヤ教やヘレニズムの土壌においてはキリスト教,仏教の土壌においては大乗仏教として展開したということになろう」として、平山氏は、イエスの教えを大乗仏教の起源に位置づけるのである。

 

 さて、細部を省略し平山氏の説のあらましを紹介したが、大変興味深い内容である。共に世界宗教として仏教とキリスト教はその理念が類似しているため、両者間での影響関係を認める学説が成立する基盤がもともとあり、このような平山氏の説もあり得るわけである。

 ただここで私が興味を持つのは、トマスのイエスとの双子説と、それと関連した阿弥陀仏・菩薩3尊像の仮説である。

 先ずトマスの双子説であるが、これは本論のテーマから少しはずれるのだが、後者と関連するので若干触れておきたい。

 実は、以前紹介済みの、二人のイエスについて論じたデイヴィッド・オーヴァソン氏の『二人の子ども』にこのことが書かれているのである。

 オーヴァソン氏は、やはりトマスは双子であったとするが、彼によれば、そもそも「トマス」という名前自体がアラム語の双子の意味であり、本名は別にあるとする。ではそれは誰かと言うことが問題となる。そこで、イエスの兄弟関係がその候補となるのだが、先ずそこで問題となるのは、イエスにそもそも兄弟がいたのかと言うことである。

 マリアは処女懐胎でイエスを産み、その後も純潔であったので、イエスはマリアの初子にして唯一の子となるからである。しかし一方で福音書には、イエスの兄弟達が出てくるのだ。この矛盾を解決するために、イエス以外の子は、父親ヨセフの連れ子とする解釈もあるのだが、マリア、ヨセフ、イエスという家族がもともと2つあり、二人のイエスが神殿の出来事を契機に一人になり、また一方の家族のマリアと他方の家族のヨセフが亡くなって、2つの家族もまた1つになった、イエスの兄弟達は、その後に生まれた子ども達である、とするのがオーヴァソン氏やシュタイナーの主張なのである。

 オーヴァソン氏は、聖書外典等でも語られているイエスの複雑な親族関係を概観して、結局、トマスとは、福音書にもでてくるイエスの兄弟のユダであるとする。ユダは、マタイ福音書の述べるマリアの、再婚後の子どもであり、ユダはイエスと「疑似双子」と見られたというのである。

 結局、オーヴァソン氏がこれを論じる趣旨は、「双子」とは養子関係により生じたもので、「二人子どもイエス」(マタイとルカの二人の子どもイエス)とは別物であることを示すためであるという。つまり、「イエスの双子」とはあくまでも、イエスの義理の兄弟であり、第2のイエスを指してはいないという事である。

 

 このように、イエスとトマスの「双子説」は否定されるのだが、阿弥陀仏の脇侍の2菩薩が、イエスと「双子の」トマスであるという説はどうだろうか? 

 阿弥陀仏はマリアという考えには賛成はできない。むしろ、阿弥陀仏は人々を救済する霊的存在とすると、むしろキリストそのものに近いように思える。そうすると2菩薩の片方はやはりイエスとならないだろうか? では、もう片方の菩薩はというと、それは「双子」の一人ではなく、もう一人のイエスとなるのだ。

 二人の子どもイエスは、キリストがこの世で活動するためにその道を準備した者達であり、キリスト受肉以前から長い間、キリストと共に働いてきたのである。

 もちろん、こうした状況が直接阿弥陀仏・菩薩3尊像の造形の契機というのではない。キリストが地上に現われてキリスト教が誕生するが、それ以来、ブッダをとおして、キリスト教と仏教には共通する霊的背景が存在したと言える。キリストと二人のイエスという原イメージが、無意識の中で東洋の仏教を信奉する人々の中にも伝わっていったということもあり得るのではないかと思うのだ。

 キリスト教のイメージと仏教のイメージに重なり合うものがあることについては、「キリスト教芸術におけるブッダ①」で、観音菩薩聖母マリアの例を既に示した。しかし、幼子を抱く母親のイメージは、それにとどまらない。キリスト教以前にエジプトに、子どものホルスを抱いた女神イシスの像が存在するのだ。つまり、「聖母子」という原イメージが先に存在しているのである。

 これらの事象は、宗教が違っても、原イメージの世界、つまり霊界が共通の基盤として存在しているということを示していると言えるだろう。

 なお、マリアは、キリストと同様に、人であると共にその身に霊的存在を受け入れた方であるとされる。マリア自身もイエスと同様に二人いるわけで、更にそこに霊的存在が加わるということで、実に複雑である。自分もまだ整理できていないが、いずれこの問題にも触れたいと思う。

 

 さて次に、大乗仏教誕生に関する霊的背景をシュタイナーにそって更に述べたいのだが、それは②に譲ることとする。

 

 

"風を撒く者は嵐を刈り取る" プーチン演説の意味するもの


 ドイツのメルケル前首相が、2014年のクーデター後にキエフ政権とドンバス2州の軍事紛争に関して、ロシア、ドイツ、フランス、ウクライナが停戦とウクライナの今後の国作りについて締結した「ミンスク合意」が、実際には、ウクライナ再軍備の時間を与えるためのものであったということを明らかにしたという報道がされた。
 一般的には、ロシアがウクライナに侵攻した理由は、プーチンの領土的野心であるとする主張がマスコミでは支配的だが、実際には、この戦争は2014年に始まっていたのであり、本当の理由は、この合意が全く守られず、ドンパス地方の住民がキエフ政権によって長年にわたり命をおとしていたことがその1つなのであり、今回はそれを裏付けるものでもある。
 既にウクライナは、西側の援助なしでは、軍隊を含め独力で自国を維持することはできない状況であり、この冬には大量の難民が発生する恐れがあるのだが、EUは、ロシア制裁により逆に自国民の生活がかなり圧迫されており、それを受け入れる余裕はないという話も出ている。
 もはやこの戦争を継続することは、理生的にはあり得ないのだが、世界の趨勢は既にコロナ以来理性が働かない状況であり、今後のその行方は分からない。
 

 さて、T.H.メイヤー氏が、『ヨーロッパ人』誌(2022年10月号)で今年の10月に行なわれたプーチンの演説に触れた記事を載せていたので紹介する。

 これは「ワルダイ会議」で行なわれた演説で、この会議は、ウィキペディアによれば、「専門家の分析センターで、2004年にロシアの大ノヴゴロドで設立された。名称は、最初の会議がワルダイ湖の近くで開催されたことにちなむ。主な目的は、国際的な知的プラットフォームとして、専門家、政治家、公人やジャーナリストなどの間で開かれた意見交換を促進することであり、国際関係、政治、経済、安全保障、エネルギーあるいは他の分野における現在の地球規模の問題について先入観のない議論を行うことで、21世紀の世界秩序における主要な趨勢や推移を予測している」というものである。

 正直これまで私もこれを知らなかったのだが、ウクライナ問題でネットをチェックしている中で知ったのだ。今年は、10月27日、モスクワで開催されており、ウクライナ侵攻もあり、プーチンの演説が注目されて日本でも多少報道されたようである。

 ちなみに、この会議で、プーチンが、米の対日原爆投下は必要なかったと批判したことなどが報道されているが、プーチンは、時々、日本がアメリカの従属国で主権を喪失していると暗に指摘しており、この発言は、アメリカを批判すると同時に、そのアメリカの自国民への無差別攻撃を正面から批判しない日本にも警告を発しているのである。

 この会議は、ロシア主導なので西側主導の世界の潮流に対抗するものであることは間違いないだろう。ただ、米英が世界の一極支配に執着し、世界の他の国々を支配下に置こうとするその潮流に対抗し、各国が平等に連携する「多極的」世界秩序を志向しているロシアの、今回のウクライナ問題に平行して現われているロシアの考え方や取り組み(ロシアは、実際に戦っている相手はNATO=米英中心の西側であると主張し、英米中心の経済圏とは別の経済圏の構築をも進めている)からすれば、世界経済フォーラム(WEF)よりも何百倍も有用であろう。

 

 さて、この会議のプーチンの演説は、ロシア国内よりも、それ以外の国の人々に向けられている印象がある。現代世界は文字通り世界存亡の危機を抱えており、この解決に向けて動き出さなければならないと世界(特に西側の市民)に向けて訴えているのである。それを主に造り出しているのは、やはり英米を中心とする今の世界支配システムということになるのだが、彼の言葉にはなかなか含蓄があり、表題の言葉も深い意味をもっているようである。メイヤー氏は、この言葉に関して、人智学的視点で解説しているのである。

 

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"風を撒く者は嵐を刈り取る"-プーチン大統領最新ワルダイ演説(抜粋)

 10月、今年も各地で開催されているワルダイ会議が開催された。このとき、プーチン大統領は政治的、地政学的に広範な観測を行う習慣がある。10月27日の全体演説では、ウクライナにも根付いている欧米の文化破壊的な「キャンセル・カルチャー」の慣習について言及した。ドストエフスキートルストイなど、ロシアの文化的巨匠の作品は破壊されたり、禁止されたりした。

 プーチンは、「歴史は、すべてを必ずそれの場所に置き、誰もが認める世界文化の天才たちの偉大な作品を取り消すのではなく、この世界文化を自分たちの思うように処分する権利があると判断した者達を取り消すだろう」と述べた。そして、こう付け加えた。「これらの人々の虚栄心は、人が言うように、通常の枠を超えている。しかし、数年後には誰もその名を覚えていないだろう。だが、ドストエフスキーは生き続けるだろうし、チャイコフスキープーシキンもそうだ-そうでないことを望む人もいるかもしれないが-。」

 さらに、ロシアの哲学者アレクサンドル・ジノヴィエフの西側のトレンドセッターについての言葉を引用し、「彼らは何かを創造したり、積極的に発展させるという考えはなく、ただ自分たちの優位性を保つこと以外、世界に提供するものは何もないのだ」と述べている。

 そしてさらに、「もし西洋のエリートたちが、何十種類ものジェンダーゲイパレードといった新しい、私の意見では奇妙なトレンドを、彼らの人々や社会の心に導入できると信じるなら、それはそれでいいのです。好きなようにさせてあげましょう! しかし、彼らが他の人に同じ道を歩むことを要求する権利がないことは確かです。」

 そして、一極集中の世界秩序に固執する欧米の窮屈さについて、

「世界はもともと多様であり、西側がそれらを一つの図式に押し込めようとするのは、客観的に見て失敗する運命にあり、何も生まれないだろう。(中略)世界支配の傲慢な追求、独裁によるリーダーシップの維持は、米国を含む西側世界の指導者の国際的権威を低下させ、全体としての交渉能力への不信を増大させているのだ。ある日突然、別のことを言い出したり、書類にサインしても次の日にはそれを守らなかったり、やりたい放題だ。何事にも安定感が全くない。文書がどのように署名され、何が語られ、何が期待できるのか、全く不明である。私たちは、西側の主要国やNATOと関係を築こうとしてきた。メッセージは同じであった。敵対することをやめ、友人として共に生きよう、対話を始め、信頼を築き、その結果平和を築こうということである。私たちは絶対に誠実に対応した、そのことを強調したい。この和解の複雑さは承知していたが、我々はその道を歩んできたのだ。」

 そして、その結果は、「それに対して、私たちは何を得たのか?簡単に言えば、可能な協働の主要な分野ではすべて「ノー」を突きつけられたのだ。」そして、西側の権力の行使について、「普遍的なルールがある。彼らは、すべての者を道具に変え、自分たちの目的にこの道具を使用しようとしている。そして、この圧力に屈しない人、そんな道具になりたくない人は、制裁を受け、あらゆる経済的制約を受け、クーデターを準備され、可能なら実行に移される、などとなるのだ。そして、結局何も成功しなかったとしても、目的が存在する。-彼らを滅ぼし、政治地図から消し去ることである。しかし、そのようなシナリオはロシアとの関係でうまくいったことはなく、今後もうまくいくことはないだろう。」

 

"風を起こす者は、嵐を刈り取る"

 世界情勢については、「この文脈で、信頼醸成と集団安全保障システムの構築に関するロシアの西側パートナーへの提案を思い出していただきたい。昨年12月、それらはまたもやあっさりとした態度で受け流された。しかし、今の時代、何かに無為のまま耐え抜くということはなかなかできないのだ。

 風を蒔く者は、嵐を刈り取るだろう。危機はまさにグローバル化し、すべての人に影響を及ぼしている。人は、幻想を抱く必要はない。」

 

「風の種を蒔く者は、嵐を刈り取る」-この言葉は、フランス革命の前夜、世界政治が現在と同じような大きな岐路にあった時、サンジェルマン伯爵が警告として発したものである。彼は何度もフランス宮廷に出向き、流血の変革をもたらす革命ではなく、ゆっくりとした発展を勧めた。カール・ハイヤー(訳注)は、目撃者である1822年に亡くなったアデマール伯爵夫人の記録に注目した。

 

(訳注)人智学派の歴史研究家

 

 ルドルフ・シュタイナーは、サンジェルマン伯爵の出現に関連してこの言葉について、「もともとはキリスト教の高位の秘儀参入者が発した言葉で、預言者ホセアによって書き留められ(8、7)、さらにキリストによって繰り返された」とコメントしている。彼はこれを、3573年まで続き、その後スラブ文化期である水瓶座の時代に取って代わられる、ポスト・アトランティス第4、5文化期の「モットー」とみなしたのである。それは、自由への衝動を示すが、それによって準備された第7の文化期において頂点に達する「万人の万人に対する闘い」も指し示しているだろう。

 プーチンがこの言葉を直接引用していることは、世界史的な思考を身につけたすべての人にとって、ワルダイ発言の重みをさらに増すことになるのではないだろうか。

 

   トーマス・メイヤー

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 「風の種を蒔く者は・・・」の言葉は、旧約聖書のホセア書に出てくるということだが、ホセア書の内容は、神に度々反抗したイスラエルに対する裁きとして、神はイスラエルを見放す事にされたということを預言者ホセアが伝えるというものである。「イスラエルの王は、嵐の中に全く滅ぼされる」(10:15)とあるように、神に背いたイスラエルは嵐の中で滅ぶのであるが、上の文脈では、これは勿論、イスラエルというより人類一般を意味しているだろう。

 プーチンの演説では、この文章に次のような言葉が続いている。

 「現代の世界で、これを放置することはできません。錯覚しないでください 。危機は世界的な次元を帯びています。人類には次の 2 つの選択肢しかありません。1つは、必然的に私達全員を押しつぶす問題を、蓄積し続けることです。もう1つは、一緒に解決策を見つけることです。理想的ではないかもしれませんが、世界をより安定した安全なものにすることができます。私は常識を信じています。だからこそ、多極化した世界の新しい力の中心と、西側とが、私たちの集合的な未来について、”対等に”会話を始めなければならないと信じているのです。」(Kfirfas氏のツイッターによるKonstantin Kisin氏の翻訳)

 ポーランドへのミサイル着弾で一般にも理解されるようになったように、このウクライナ問題は、世界大戦へとエスカレートする危険性を孕んでいる。ウクライナ問題は、ロシアのウクライナ国内の同胞を救うと同時に、自国の安全保障の観点からも、ロシアが決して引けない戦いとなっている。ロシアが退くまでウクライナに武器を支援すれば良いというのは、実際には、戦争を激化させる無責任な物言いなのである。

 既にウクライナ兵の損失は甚だしく、傭兵の他に、英米ポーランドから実質的に兵員が送られている状態であるという。ポーランドへのミサイル着弾で意図されたのは、これを契機にNATOが正式にロシアと対戦するということであったのだ。

 しかしそれは、核保有国同士の戦いともなり、最悪の場合、人類滅亡をも引き起こしかねないのである。

 ロシアは、ずっとこのことを訴え、西側の自重を求めてきたのである。

 

 メイヤー氏によれば、プーチンが使ったホセア書の言葉は、もともと高位の秘儀参入者の言葉で、シュタイナーは、後アトランティス時代の第4文化期(ギリシア・ラテン文化期)と第5文化期(現代=ゲルマン・アングロサクソン文化期)を象徴する言葉とみなしていたという。

 現代の人間の課題は、自由を獲得することである。それは同時に、自分の行いに責任をもつということであり、それはカルマの法則でもあるが、その結果を自分が引き受けるという事である。

 「万人の万人に対する闘い」とは、「第7文化期の終焉をもたらす戦い。この戦いの要因は個我であり、精神原理を受け入れた人々が、この戦いから救い出される」(『シュタイナー用語辞典』)というものである。アトランティスが大洪水で滅びたように、後アトランティス時代(第7文化期で終わる)は、この「万人の万人に対する闘い」によって終止符を打たれるのだ。それは、ヨハネの黙示録によっても示されているという。

 自由は放縦と紙一重である。エゴイズムと結びつけば、自己の利益のために、他者を犠牲にすることを厭わなくなる。それが究極まで行き着けば、自分以外の全ての存在が支配すべき相手、もしくは敵となるのだ。

 第7文化期は、次の第6文化期(スラブ文化期)のまた次の時代であり、「万人の万人に対する闘い」は本来、遙か遠くの出来事であるが、それは今の人類次第であり、またそれ以前の時代においても、程度は異なるもののそれに類似した出来事が起きるという。

 現在のウクライナ問題では、核攻撃の可能性が語られる中で「黙示録的な事態」という言葉も使われているが、まさに黙示録の先取りが起きるかもしれないのだ。神に背き、道を踏み誤った人類は、まさに聖書の言うような滅びの淵に立っていると言えるだろう。

 プーチンがこうしした事態に警告を発したのは間違いないだろう。

 また、以前ブログで触れたように、あのドゥーギンが、プーチンはある秘教的団体に属していたと主張していたらしいので、この言葉が「高位の秘儀参入者」に由来するということや、シュタイナーの主張からして、秘教的歴史観をふまえてプーチンがこの言葉を使ったとも考えられるが、それは深読みであろうか?

 ちなみに今回のワルダイ会議のテーマは、「覇権後の世界、万人のための正義と安全保障」であったという。

 最後に、名前の出てきたサンジェルマン伯爵について触れておきたい。フランス革命期に実在した人物だが、錬金術師ともペテン師とも言われており、その素性は明らかではない。非常に博識で、古代の出来事についてもまるでそこにいたかのような知識をもっていたと言われ、フランス革命期だけでなく、その前後にも長期にわたって目撃されており、不死身ではないかとも言われていたという。

 実際、オカルト界では、人類を指導する「マスター」の一人と目されており、人類史に大きな影響を与えるであろうフランス革命の時期にも、歴史が誤った方向に進まないように、自ら活動していたと言うことである。

 人智学派内では、シュタイナーとも深い関係をもっていることが語られている。上の不可解なエピソードは、実は、彼が、輪廻転生し歴史の節々に活動してきたことを示しているのである。従って、その時々で彼は異なる名を持っているのだ。これはまた別の機会に触れることとする。

C.G.ハリソンと『超越的宇宙』


   
このブログにC.G.ハリソンとその著書『超越的宇宙The Transcendental Universe』の名が何度かでてきていたが、最近掲載した「アングロサクソンとロシアの対立 ③」にもでてきたので改めて調べてみたところ新たに分かったことがあるので、今回は、これに関して述べてみたい。

 

 実は『超越的宇宙』を以前購入していたものの中はよく見ていなかったので、少し読んでみることにしたのだ。そこでその本をめくってみると思わぬ発見があったのである。私が購入したこの本は、テンプル・ロッジという人智学系の出版社のもので、なぜシュタイナーが批判的に取り上げている人物の本がこの出版社から出版されているのかとは思っていたのだが、よく見ると、2人の人智学者の解説文が本文の前後についていたのである。

 その一人は既に何度かこのブログで取り上げたことのあるT.H.メイヤー氏で、そしてもう一人は、アメリカの人智学系出版社の編集長を務めておられたクリストファー・バンフォードChristopher Bamford氏(故人)である。今回とりあえずこの二人の文章をつまみ読みしてわかったのだが、ハリソン氏は人智学派でも一定の評価を受けているらしいのである。

 

 ネットを検索してもC.G.ハリソンについてはよく分からない。「アントロ・ウィキ」には次のようにしか書かれていない。

 「C.G.ハリソン、英国の神智学者およびオカルト学者、生没年の日付は不明。ルドルフ・シュタイナーは時折、ハリソン氏の超越的宇宙からの意見、すなわち新しいミカエル時代、第8圏、そして人生の七つの秘密に関する意見に言及した。」

 だがこれはどうも正確ではないようなのである。『超越的宇宙』のバンフォード氏らの文にもっと詳しい彼の情報が載っており、それは次のようなものであった。

 「National Union Catalog」では、ハリソンは1855年生まれだという。本の内容となる彼の講演は1893年に行なわれた。出版は翌年で、出版社は、秘教家、秘教研究家のA.E.ウェイトの所有する会社である(1897年にドイツ語版が出版され、それがシュタイナーの手に渡ったようである)。ウェイトは、本のレヴューを書いており、それには「(この本は)俗悪ではなく、秘教的であり、秘教サークルにセンセーションを巻き起こすような・・・神秘と示唆に溢れている」とある。そしてそこには神智学に関する多くの啓示があるが、「ハリソンの啓示は、全く無類で、つまらない詐欺の類いのスケッチではなく、非常に高位のクラスのものである」という。

 「アントロ・ウィキ」の文に「神智学者」とあったが、これはいわゆるH.P.ブラヴァツキーらが創始した神智学協会のメンバーという意味ではなく、神に結びついた神聖な知識を求める者、オカルティストというような意味である。ブラヴァツキーの神智学協会は、東洋、特にインドの影響を強く受けるようになるが、これに対してハリソンは「キリスト教的神智学」と言える。

 ハリソンはブラヴァツキーの思想を認めながらも、キリスト者としての立場から、それを一部批判的に取り上げているようである。

 またバンフォード氏によれば、ハリソンは秘儀参入者であるという。そうでなければ知り得ないような内容(これまで隠されてきた秘教的キリスト教の教え)が本に書かれていると言うことらしい。ただ、いずれかの秘教団体に属して、その秘儀参入を受けたのではなく、個人的努力によりその境地に達したという。そして、そのように高次な内容を講演し、また本にして公にしたのは、その秘教的知識が秘匿され、一部のオカルト団体に独占されたままにされ、その利益のために使われないためであったという(このような状況は、シュタイナーに似ている)。

 一方で、人智学派の立場で、バンフォード氏は、ハリソンの限界についても触れている。

 彼のキリスト教というのは、イギリスの高教会派である。

 ここで高教会派について解説すると、それはイギリス(イングランド)国教会の一派で、イギリス国教会は、もともとカトリック教会の一部であったが、「16世紀のイングランド国王ヘンリー8世から女王エリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離別し、1534年に独立した教会となった。プロテスタントに分類されることもあるが、他プロテスタント諸派とは異なり、教義上の問題でなく、政治的問題(ヘンリー8世の離婚問題)が原因となって、カトリック教会の教義自体は否定せずに分裂したため、典礼的にはカトリック教会との共通点が多い。立憲君主制であるイングランド(イギリス)の統治者である国王(イギリスの君主)が教会の首長であるということが最大の特徴である。」(ウィキペディア)。

 政治的問題によりヴァチカンに対抗してできたという国教会の成立の経過や、そのトップが国王であるということなどからすると、国教会は、自国の利益を擁護する目的を持っていることが想定されるのではなかろうか。

 バンフォード氏は、ハリソンは、確かに特定のオカルト団体には“属していない”が、「他のもっと重要な仕方で “所属している”」。「彼は、アングロ・カトリックであり、彼は自分の仕事をその庇護のもとに置くと主張しているという事実を隠していない。しかし、これが何を意味するかを説明していない。アングロ・カトリックであるということは、ある解釈では、単純にイギリスの教会のコミュニティで宗教的生活を送るということ以上のこと、・・・国家教会に属し、自分の霊的理解を国家主義者の文脈の枠にはめていることを意味する。彼の文章を読むとき、潜在的に含まれている彼の霊的な政治的立場を認識し、考慮しなければならない」とする。

 高次の霊的能力をもっている者であっても、自分の属する「時と場所」の条件に制約を受けるのであり、それが霊的真実の把握と行使に一種の歪みを生じさせるのだ。

 こうした問題を取り上げているのが、同じ本のT.H.メイヤー氏の論考である。これは、これまで何度か触れてきた現在のウクライナ問題についての霊的背景の解説とまた重複する部分があるが、コンパクトにまとまっているので、そこも含めて、抄訳を下に載せることとする。

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第8圏、輪廻転生と社会主義の体験:ハリソンの講義への警句的コメント 

T.H.メイヤー

 

 ルドルフ・シュタイナーは、自身の見解とハリソンの見解の大きな違いについて少なくとも2つ指摘している。1つは、ハリソンによると「宇宙における悪問題のカギ」である第8圏の問題である。そしてもう一つは輪廻転生の問題である。

 シュタイナーは、いかに西洋のキリスト教から輪廻転生の教えが消え去り、その事実が西洋のキリスト教オカルティストに影響したかを指摘している。彼によれば、高教会派(イギリス国教会の教派)の人々にはこれを知る者達がおり、彼らは、神智学協会の人達よりもオカルト的知識を持っていた。しかし、彼らの目的は、生まれ変わりの教えを根絶することであった、という。

 その方法は、シュタイナーによれば、人が、地球の進化のコースにおいて太陽系の他の惑星との関係に入っていくという事実を否定することによってであった。

 シュタイナーは、このことでハリソンを名指ししていないが、ハリソンは、明らかに高教会派のオカルティストに属している(少なくともその影響下にある)。またハリソンは、シンネットの物質的月が第8圏である等する説を否定し、「人がそこで進化する目に見える惑星は地球のみである。火星、水星あるいはその他の見える惑星に住んだことはなく、月が衛星になる以前、月以外とは何の関係も持っていなかった。」と述べている。これは、高教会派のオカルティストが輪廻転生の真実を排除した、間接的なやり方である。ハリソンは、こうして意識的かるいは無意識に、彼らの代弁者の役割を果たしたのである。ハリソンは、その最後の出版物で、自分の事を「アングロ・カトリック」つまり高教会の信奉者であることを表明している。

          *

 100年を経過して見えてくるハリソンの講演の驚くべき意味は、彼が、民族や国民の成長、成熟、衰退について語ったことである。彼がスラブ民族の未来、例えば、『次の大きな欧州戦争』の後になされる「社会主義の実験」について語ったことは、あるアングロサクソンのサークルあるいはディズレーリが呼んだ政治的に影響力のある「クラブ」の長期的狙いという文脈の中で見られなければならない。このクラブでは、1つのアイデアが、西側における長期的計画の中心的アイデアとなった。すなわち、アングロサクソン民族の代表者は、彼らが、人類の文化的進化に今後も「主導的」影響を保持するということを念頭に置かなければならないと言うことである。スラブ民族が第6ポスト・アトランティス文化期の主導的要素を「自然に」構成するようになるという秘教的洞察と共に、この目的は、スラブ民族は幼年期のままにとどまる一方で、自分たちがこの民族の主人になるという決意に至った。これが、「社会主義実験の」真の背景と起源である。1890年の風刺週刊誌『真実』クリスマス号に、驚くべきヨーロッパ地図が掲載された。それは、当時、すべてが君主制国家であったが、そこは共和制となっており、それがドイツでは複数になっていたのである。ロシアの場所には、「砂漠」の文字が見える。『真実』誌の編集者はメーソンであった。そしてハリソンは、べつのやり方で、ロシア「砂漠」の「社会主義実験」の実行という長期的狙いを示唆したのだ。

 ハリソンのスケッチの驚くべき点は、その絵から、中央ヨーロッパのドイツ人がすっかりぬけていることである。中央ヨーロッパの人々は、西と東を仲介する役割をもっている。社会生活の領域で、彼らは、社会構造の形態-それは、個人主義の増大する要求と経済生活の国際化、かつてのオーストリア・ハンガリー帝国を支配したような複数民族の国家と文化の課題と共存できる-を発展させる手段、方法を発見しなければならなかった(それは今も同じだが)。ソ連や以前のユーゴスラビアボスニアの荒廃を見るなら、これまでの「社会主義実験」がその様な手段を提供することに失敗したのは明らかである。

 その様なすべての実験に対する唯一現実的な代替手段は、シュタイナーの提唱した社会三層化国家の理念のみである。この理念が初めて表明されたのは1917年である。それは皮肉にも、西側で構想された社会主義の実験を行なうために、ドイツ政府の援助で、レーニンが、財政支援をもってロシアに送り込まれた年であった。

 ハプスブルク皇帝の内閣の長官アルトゥール・ポルツァー=ホディッツは、(彼の兄弟ルードヴィッヒをとおして)シュタイナーの理念に皇帝の注意を向けるという世界史的なチャンスを持っていた。帝国の多民族国家という性格、また何より圧迫されているスラブ系住民にとって、その様な方法で社会生活を再構築することは不可避となっていた。しかし、ポルツァー=ホディッツは乗り気でなかったために、ことを失してしまった。かくして、オーストリア・ハンガリー帝国は(そしてドイツ帝国も)、内部から瓦解してしまうのである。世界の運命は、スラブ問題の解決を、中央ヨーロッパ、特にオーストリアから期待した。西のサークルの長期的関心の実現のための門を開いたのは、オーストリアの失敗であった。それにより、ドイツとオーストリアの帝国は、西の政策の圧倒的な影響の下で、ついに外側から破壊された。西の政策は、中央ヨーロッパの実質的な影響がないまま、西のみの指導により、ロシアに社会主義を打ち立てたのである。

 アルトゥール・ポルツァー=ホディッツは、カール皇帝に関する著作で、1929年に、『真実』誌の地図とロシアにおける社会主義実験について触れている。彼はまた、シュタイナーの社会三層化国家についてのメモを本に載せている。しかし、翌年に出版されたその英語版ではそれらが全て削除されているのである。これは、中央ヨーロッパの失敗後、スラブ民族の唯一の「教師」となることに成功した西側のサークルの人々は、彼らが東側の出来事に関与していたことを早く明らかにすることを望んでいなかったという事実を示すだろう。彼らが望んだのは、短期的には、西側製品の巨大な市場であり、長期的には、第6後アトランティス時代の未来における当然の「支配者」としての権能を獲得することであった。

 

 西側によって、東側における社会主義の構築だけでなく、その破壊、あるいは「失敗」が構想されたと言うことには多くの証拠がある。1982年に、ロナルド・レーガンローマ教皇は、非公式のローマにおける会議で、東の社会主義を崩壊させることを決定した。これは、1992年に『タイム』誌で伝えられている。西の長期計画の知識を持っていたズビグニュー・ブレジンスキーは、『偉大なる失敗』という彼の著作の中で、「共産主義の最終的危機」と「マルキストの実験の失敗」について記している。驚くべきなのは、この本は、その序言で述べられているのだが、1988年8月には完成していたことである。これは、オーストリアハンガリー間の鉄のカーテンが撤去される1年前なのである。

 

 ハリソンから今日学ぶことができるのは、進化について、霊的な言葉だけでなく、生命一般そして個々の民族、国家、文化の生命の「長期的発展」という観点で考えることである。そして今世紀(20世紀)における社会的政治的発展から学べることは、社会三層化国家のインパルスが、「少数の者の目的に奉仕する」だけの社会主義実験に代わる唯一正しくまた普遍的な代案として残っていると言うことである。

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 最後に出てきた「社会三層化国家」とは、シュタイナーが提唱した未来の社会のあり方である。人間が有機体として3つ(感覚神経系・循環系・新陳代謝系)にわかれているように、人間社会も、1つの有機体として文化・経済・政治は連携しつつも独立すべきであるとする。シュタイナーは、実際に、第1次世界後はその実現に取り組むが、結局実を結ばなかった。ここでもシュタイナーに敵対する勢力が働いていたのである。しかしその運動は現在まで引き継がれている。
 現代社会は、これらの3つの分野が融合してしまっており、主に経済が優位と言えるだろう。経済(資本)が全てを支配してしまっているのである。現代社会が抱える多くの問題は、これに由来するとも言える。
 これは、社会的正義や福祉だけの問題ではない。このあり方をかえることなくして、人類の霊的進化もありえないというのが、シュタイナーの問題意識であったと思われる。現代人類の霊的発展は、社会から隔離された隠遁生活においては成し遂げられない。社会の中で生き、またより良き社会を目指してそれを変革しようと努力することによってこそ実現するのだ。
 アングロサクソン的世界は、経済優位の世界である。そしてそれにより自己の支配権を永続化しようというのがアングロサクソン系の影のブラザーフッドの狙いであろう。ハリソンは、自己のおかれた時と場所の限界から抜け出して、この誤りを認識することができなかったのである。シュタイナーが言うように、真の秘儀参入者は「故郷喪失者」なのである。

アレルギーの謎


 以前、子どものワクチンの問題に関する論稿を紹介したが、今回は、その著者のダフネ・フォン・ボッホ氏による、アレルギーに関する論稿を紹介する。

 これは、前回の記事と同様に、雑誌『ヨーロッパ人』に掲載されたものである。前回の記事は、子どもが対象とされるワクチンは弊害が大きいことを、人智学的医学の視点から論じており、今回の記事はこれと内容が一部重複するのだが、アレルギーの本質を論じながら健康や現代医学の問題について新たな視点を与える内容となっている。

 人智学的医学は、シュタイナーの人間観に基づき、人間は肉体、エーテル体、アストラル体そして自我からなるという考えを基本においている。前回の記事では、人は、誕生後、母親からもらった肉体を、まさに自分のものとするために、自分に合わせて次第に造り変えていくのだが、それはタンパク質を作り直すということで、それには「熱」が必要であり、通常小児期にかかるような疾患は、本来はその熱を生み出すため存在しているとされた。

 今回も、「人の体内タンパク質の多様性は、動物よりもはるかに大きい。人のタンパク質は、一般的な人のもの、つまりすべての人に同じであるばかりでなく、また人によって個々に異なる。人間は、実は種であると同時に、それ自体が種であり、体のタンパク質に至るまで、すべての仲間とは根本的に異なる」と述べられている。

 そして、この人の個性を生み出す主体こそが「自我」なのである。自我とは、それぞれ唯一無二のものであり、その自我の器としての肉体もまた唯一無二のものでなければならないのだ。だから、自我は、それを自ら作り出すために肉体に働きかけるのである。

 今回の主題であるアレルギーも、この自我が深く関わっているのである。

 

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アレルギーの謎

 

 アレルギーがどういうものか、誰もが知っている時代である。120年前は違っていた。1900年当時は、「アレルギー」という言葉すらなかった。1906年になって、ウィーンの小児科医クレメンス・フォン・ピルケが、この病気を命名したのである。このように、アレルギーは比較的新しい病気である。ヨーロッパでは3人に1人、アメリカでは2人に1人がアレルギーを患っており、その傾向が強まっていることを考えると、まさに雪崩のように人類を襲っている病気といえるだろう。

 しかし、この病気は第三世界ではまだ非常に稀な病気だ。文明国の農村部でも同じことが観察される。そのため、アレルギーは時間的・空間的に文明と結びついている。

 

アレルギーとは何か?

 健康な人が花の香りを嗅ぐと、鼻の奥がツンとすることがある。何度かくしゃみをする。鼻水が少し出るくらいで、あとは何も起きない。一生そのままでいられる。しかし、数年後に変わることもある。同じ人が同じような花の香りを嗅ぐ。今度は、ピリピリした感じではなく、鼻の中が強くかゆくなるのだ。くしゃみを20回、30回と繰り返す。鼻水が長く続き、腫れてしまう。アレルギーを発症しているのだ。- 何が起きたのだろうか?花の匂いを嗅ぐと、花の花粉の一部が鼻の粘膜に付着することがある。だから、そこがヒリヒリするのだ。健康な人はくしゃみをして鼻水を出し、こうして花粉を吐き出して流す。そして、落ち着きを取り戻す。

 しかし、長時間の肉体的・精神的な過労などで体力が低下すると、免疫システムが体の一番外側、例えば鼻の粘膜まで浸透しなくなる。これはもう、オープンすぎるくらいになっている。これで、花粉は粘膜に付着するだけでなく、粘膜の中まで入り込むことができるようになったのだ。アレルギーの原因は、鼻の粘膜が開放的になっていることである。花粉の侵入はその結果に過ぎない。

 最初は何も起こらない。体はまず、花粉を異物として認識する必要がある。2回目、3回目となると、花粉を異物と認識し、排除しようとする。そのためには、今、より一層の努力が必要だ。その人は、くしゃみの発作を起こす。鼻水が長く出る。花粉が鼻の奥に入り込んだ場合は、もはや排出することはできず、その場で溶かすしかない。- 例えば角砂糖など、何かを溶かすにはどうしたらいいだろうか? - 液体、できれば温かい液体を使うのである。このようにすると、鼻の中に液体と温熱がもたらされ、これらが局所的な炎症-鼻の腫れ-に対応するのだ。もはや息ができないこともありうる。これらの症状はすべて、人がアレルギーを発症したことを示すものである。これが風邪のように見えて、花粉の収穫期などに大量に飛散する花粉が引き金になることから、「花粉症」と呼ばれている。花粉が体の奥、血液の中に入り込んだら、異物を溶かすために全身に熱を発生させ、発熱させる。当人は枯草熱(花粉症)をもつことになる。

 それと同じようなことが、消化管でも起こっている。しかし、この場合、問題は主に消化器官の弱さにある。消化管上部で十分に分解されずに大腸に到達した場合、食べ物は腸壁に入るには十分な大きさだが、そこで「詰まってしまう」のだ。すると、体が勝手に「腸カタル」、つまり「腸の風邪」のようなものを作り出し、下痢をするようになる。それがバクテリアなのか、消化不良なのか、つまり感染症なのかアレルギーなのかは関係ない。体の反応は一つで、洗い流すことである。

 食べ物がさらに分解され、それでもまだ十分でない場合、これらの小さな栄養素の断片は、腸壁を完全に通過して血液に入ることができるが、ここで異物として認識されることになる。数が少なければ、皮膚の外側に押し出される。先ず異物が血液の外に排出される。しかし、ここからはもはや排除することができなくなり、分解する必要がある。皮膚に局所的な炎症が発生する。イラクサに触れた後のような、赤く痒い膨疹に覆われているように見える。そのため、「じんましん」(蕁麻疹)と呼ばれている。しかし、血液中にたくさんの異物が入り込むと、その一部しか皮膚に押し込むことができない。もう1つは、血液そのものに溶け込まなければならない。皮膚症状の発現と並行して、発熱が生じる。花粉症に相当する蕁麻疹が発生する。

 この腸から皮膚への展開は、湿疹や神経皮膚炎でもある程度同じように起こっている。

 

なぜアレルギー反応が出るのか?

 アレルギー反応は異物を排除しようとするものである。異物は排出され、流される。それが深く入りしすぎてできなくなった場合は、溶解する。これは局所的に起こるが(局所炎症)、それでも不十分な場合は全身に起こる(発熱)。また、痒みで掻いてしまうのは、異物を掻き出すために皮膚に開口部を設けようとするためだ。これらの反応は、必ずしも成功するとは限らないが、治癒を試みるものとして非常に有用である。

 

アレルギーの深い意味とは?

 これを理解するために、例を挙げてみよう。

 猫は、地球上に猫が生まれてからネズミを食べていた。このタンパク質を自分の中に取り込むのだ。しかし、だんだんネズミに変わっていくわけではなく、ネコのままである。

 猫が猫であり続けるために、体中に工夫が施されているのです。皮膚や粘膜は、外界から身体を守る役割を果たしている。内側では、異物を分解して排除するのは消化管、そして最後に免疫系である。

 食べ物が血液に入る前に、消化管がそれを破壊する。ここでは、特にタンパク質を徹底的に行うことが非常に重要である。脂肪の一部は、より小さな液滴に分解されて乳化し、この形のまま血液に吸収されるだけだ。炭水化物もほとんど分解されない。砂糖も、何の加工もせずにすぐに血液に入る。しかし、すべてのタンパク質は、その最小単位であるアミノ酸に手間をかけて分解されなければならない。- なぜ?

 動物や人間の身体は、基本的にタンパク質で構成されている。筋肉も臓器も血液も、すべてタンパク質でできている。この物質の中に、動物や人間という目に見えない存在が受肉することができるのだ。「受肉」という言葉は、まさに「肉(生化学的にはタンパク質)の中に入る」という意味である(ラテン語のcaro, carnis [主格])。flesh; in-carnatio: 肉体に身をゆだねること)。消化の主な機能は、摂取したタンパク質を、その中に受肉している目に見えない異物存在から完全に解放することである。これにより、鶏、豚、牛などの異物存在が、そのタンパク質を介して体内に侵入するのを防ぐことができるのだ。

 皮膚、粘膜、消化管などが完全に対応できない場合、免疫システムが介入する。その役割は、体内に侵入した異物を運び出したり、溶かしたり、包み込んだりすることである。何をしてもこれを支配しないと、このたんぱく質の中の異質な存在が、自分の存在を圧倒してしまう危険性があるのだ。そうすると、例えば猫は、先ずその振る舞いが、そしてその後、体がだんだんネズミに変わっていくだろう。そして、これはどんなことがあっても起こってはならないことである。たとえ、アナフィラキシーショック(即時最大アレルギー反応)では、死亡することも十分にあり得るのである。身体よりも内なる核を守ることが大切なのだ。

 したがって、アレルギーの大半はタンパク質が原因である。ダニアレルギーの場合はダニであり、動物の毛であり、ベッドの羽毛であり、さらにはほぼ100%炭水化物で構成されている植物の中で数少ないタンパク質成分である花粉であっても、である。

 人の体内タンパク質の多様性は、動物よりもはるかに大きい。人のタンパク質は、一般的な人のもの、つまりすべての人に同じであるばかりでなく、また人によって個々に異なる。人間は、実は種であると同時に、それ自体が種であり、体のタンパク質に至るまで、すべての仲間とは根本的に異なるのだ。そのため、例えば輸血の場合、ドナーとレシピエントの血液型、サブグループ、サブサブグループが同じであるにもかかわらず、他人の血液がレシピエントに拒絶される可能性があるのだ。二人の人間の血は決して同じではない。これは動物とは違う。猫はみんな同じ猫たんぱくを持っているので、他の猫から血液をもらうことは問題なくできる。ただし、猫は他の動物種から血液をもらうことはできない。例えば、犬から そうすると、アナフィラキシーショックになるのだ。

 動物とは対照的に、人間は一般的な人間のたんぱく質に加えて、個々の精神的な核である自我に対応するたんぱく質が必要である。このタンパク質は、自我によって形成されるのだ。それによって、人間はそれぞれの運命に必要な能力を身につけることができるのである。だから、たとえ一卵性双生児であっても、二人の人生の歩み方は根本的に違うのだ。しかし、猫の生き方を知れば、世界中のすべての猫の生き方、行動、好きな食べ物などを知ることができる。特に野生動物の場合はそうである。ペットは人間と一緒に暮らすことで、人間らしさを身につけるのだ。

 

心魂的アレルギー

 また、アレルギーは心魂レベルでも発症する。アレルギーの発症の各ステップは、肉体的なレベルよりも心魂のレベルでより意識的に経験されるため、このプロセスを心魂のレベルで記述することは、肉体的なレベルでの理解にも役立つのである。

 例えば、掃除機のセールスマンが玄関のベルを鳴らして掃除機を売り込んできても、健康な家庭の人は、「もう掃除機を持っているので、2台目は必要ありません」と、親しみを込めて、しかし明確に伝えることができます。そうすると、掃除機のセールスマンも「もう来なくていいや」となる。しかし、もし彼が、「この掃除機のセールスマンは今日何度断られたことか」と少し同情して、彼を先に家に入れたとしたら、優れた掃除機のセールスマンは、「掃除機はすでに半分売れた」ことを知っているのだ。今、彼は大活躍を繰り広げ、この掃除機の長所をすべて示し、最新のガジェットをすべて解き明かし、長々と説明する。30分もすると、家人は掃除機のセールスマンを家から追い出すことが難しくなってくる。それでも何とか追い返す。翌日、玄関のベルが鳴り、掃除機のセールスマンが戻ってきた。彼は、気が変わりませんか、と問う。営業マンは前日と同じように愛想よくしているが、家の主人はすでに愛想が悪く、追い返されてしまう。3日目、再び掃除機のセールスマンが鳴る。今度は、家の男が荒っぽくなる。多分、顔の前でドアをバタンと閉めるだろう。しばらくして、路上で車窓から掃除機のセールスマンを見ただけで、血圧が上がり、顔が赤くなり、独り言のように大きな声で不平を言った。精神的なアレルギーを発症してしまったのだ。

 

アレルギーの問題はどこにあるのか?

 問題は、花粉や掃除機のセールスマンにあるのではない。それらは、アレルギーの全発症期間中、同じように無害である。だから、健康な人に害を与えることはない。過剰反応も、問題ではなく、問題を解決しようとするものだ。問題は "家の主 "が弱すぎることだ。彼は見知らぬ人を中に入れる。激しい反応は、強さの表現ではなく、それまでの弱さの表現なのである。今、彼は見知らぬ人を追い出し、再び「家の主」になるために、ここまで強く反応することを余儀なくされているのだ。

 

最初に戻る

 アレルギー理論の創始者であるピルケは、その生涯の最後に自分を修正した。アレルギーを別の名前にした。「アレルギー」という言葉は、ギリシャ語の「allos:異なる」と「ergon:行い、行動、仕事、達成」に由来している。つまり、アレルギーとは、通常とは異なる作用、より正確に言えば、通常とは異なる反応をすることを意味する。だから、ピルケはそれ以降、通常とは異なる反応を総称してアレルギーという言葉を使うようになった。今日、一般にアレルギーと呼ばれているものを、彼はハイパーエネルギー、つまり過剰反応と呼んだのだ。同時に、「別の種類の反応」である第二のアレルギーの存在も指摘された。過剰反応とは対照的な過小反応、ハイポアギーである。慢性疾患、例えば気道の永続的あるいは反復的な感染症で発現する。免疫システムはまだ戦っているが、例えば発熱の代わりに体温が上がるだけなど、力が弱まっているため、病気を完全に克服することはできない。このように、常に葛藤していると、時間が経つにつれて、消耗し、弱体化するのだ。そのため、エネルギー不足は最終的に諦めにつながり、降伏ということになる。この断念を、ついに、ピルケはアネルギー(無力)と呼んだ。くしゃみも、局所の炎症も、発熱も、体温の上昇さえもないのだ。アネルギーの人は、もう反撃してこない。心魂的な面では、例えば掃除機のセールスマンの例でいえば、家人はすでに掃除機を持っているにもかかわらず、セールスマンに2台目の掃除機を契約してしまうということである。彼はもはや自分の家の主人ではないのである。

 危険なのは、アネルギー体質の人が、外から入ってくるタンパク質だけでなく、自分の体の中で徐々に離反したタンパク質、つまり癌からも自分を守れなくなることだ。彼はもう本当に自分の家の主人ではない。ピルケはこのことに着目し、「過剰反応よりも無反応の方がはるかに危険である」と指摘した。

 危険なのは、アネルギーは支障を全く示さないことである。表面的には健康と似ており、全く支障がない。アネルギーでは、支障は全くないのだ。

 

従来型医療

 従来の医学では、アネルギーを気にすることはなかった。これは、支障を示さないため、注目を浴びないという点では理解できる。従来の医学では、急性期のさまざまな支障を持つハイパーエネルギーにのみ焦点が当てられていたのである。

 アレルギーの原因、決定的な要因である粘膜そのものが「開きすぎ」ていることが、患者には全く感じられないことが、状況を悪化させている。そのため、完全に見落とされている。花粉が入った後のかゆみと、その後の体の反応全体が、初めてはっきりとわかるようになるのだ。この基本的に治癒的な反応であるアレルギー反応は、抗ヒスタミン薬とコルチゾンで抑制されると、確かに結果的に苦痛は和ぐ。しかし、そのアレルギーは押し殺されて、ハイポアギーの状態にされたのである。まさに、薬によって、体は異物から身を守ることができなくなり、手を縛られてしまうのである。体は、異物を容認するようにしいれられる。外見だけ、平和が戻ってきたように見える。しかし、この平穏は、薬を飲んでいる間だけ続く幻想的な平穏である。アレルギーは今も地下でくすぶっている。慢性化する。気づかないうちに悪化していることさえある。そのため、同じように休息をとるためには、より多くの回数を投与するか、より高用量の薬を投与する必要があるのである。

 この治療をアレルギーのシーズン中ずっと、あるいは何十年も予防的に行うと、免疫系は次第にアレルギーに追い込まれていく。そして、がんが発生することもあるのだ。

 

従来の治療法が正当化されるのはどのような場合か?

 従来の治療法は、死亡の危険性が極めて高い場合に正当化される。現代医学は、まさにレスキュー医学であり、それが強みだ。もし、ある症状が死に直結するのであれば、それを抑えなければならない。例えば、死ぬこととコルチゾンの間では、コルチゾンの方が本当に良いのだ。しかし、その時だけである。区別する必要がある。現代医学は治療医学ではない。死を回避した後は、別の医学、つまり治癒につながる医学を使わなければならない。泳げない人が溺れていたら、泳ぎ方を教えても始まらない。まず、救命胴衣を投げてあげなければならない。しかし、その後、彼は泳ぎを覚えなければならない。これからは、自分の力で病気を克服する力を身につけるために、体力を強化し、鍛えていかなければならない。

 

アレルギーとがん

 アレルギーを持つ人はがんの発生が著しく少ないこと、逆にアレルギーはがん患者での発生頻度が低いことは、近代化学医学が存在する以前からすでに知られていた1 アレルギーは、がんに対極的であるだけではない。実はガンに対抗しているのである。アレルギー特有の免疫の過剰反応は、異物であるタンパク質を溶かすだけでなく、成長しつつあるがん細胞を分解することもできのだ。しかし、現代医学によってアレルギー反応を抑えることができるようになったため、この状況は変わってきている。

 アレルギーと癌の対極性は、熱と寒さという上位の極性の一部である。また、互いに打ち消し合う、つまり、癒し合うのである2。

 

アレルギーと予防接種

 なぜ第三世界や農村部ではアレルギーの発生が少ないのか?- そこでは、花粉や動物の毛、羽など、異物に対応するための訓練が幼少期から行われている。皮膚、粘膜、腸、そしてその奥にある、外界との境界に近いところにある免疫系の緊密なネットワーク:これらは、異物との付き合い方をトレーニングし、学んでいるのだ。都市に住んでいる人は、このトレーニングに参加できないことがほとんどである。

 どんな技術の習得も、例外なく、努力とある種のリスクという2つのことを常に繰り返している。後者については、スポーツのように高いものもあれば、ピアノを習うように低いものもあります。努力とリスクがあってこそ、スキルが身につく。これは例外のない法則です。小さな子どもは常に歩こうとし(努力)、常に転び(危険)、それによって自分自身を傷つけ、ひどい目に遭うこともあるのだ。それは、免疫の獲得でも同じことである。細菌や花粉に対処することを学ぶとき、子どもはまだそれができないからこそ、何度も病気にならなければならない。このような危険に身をさらす必要があるのだ。リスクを理由に技能の習得をすべて禁止することは、解決策にはなり得ない。合理的に、習得すべき技能の利点と危険性を比較検討する必要がある。歩くなどの技術は重要であり、そのリスクが低い場合には、後者を受け入れるのである。こうして、子どもは強くなっていくのだ。

 従来の医学では、病気のメリットとデメリットを天秤にかけて、客観的に判断することはできなかった。病気を経験することで強化される効果があるということは、根本的に否定されている。この考え方によれば、病気を経験することには何のメリットもない。その結果、すべての病気を根絶する試みがなされている。これはWHOの明確な目標である3。これに対して、デメリットである、深刻な被害は、稀な個別事例として強調されている。それにより、幼少期の病気など、人を一生強くするような病気は、ワクチンで取り除いてしまうのだ。

 しかし、ワクチン接種の問題は、[体を]強化する疾病をワクチンで遠ざけることだけではない。また、ワクチン接種のプロセス全体にも大きな問題がある。花粉のような無害な物質ではなく、病原性のあるタンパク質が、皮膚の自然な保護をバイパスして、筋肉に直接注入されるのである。例えば、1回の注射で1種類だけでなく、7種類の病気の病原体が筋肉に入り込む。生後2カ月目に注射し、3カ月目、4カ月目に再度注射する。この時期は、免疫系がまだ発達しておらず、乳児は母乳を介して母親の多かれ少なかれ強い免疫系に依存している時期である。しかし、この時期にアナフィラキシーショックが起こることはほとんどないため、この時期にワクチン接種を行うことが推奨され、大多数の赤ちゃんにこの方法がとられている。しかし、これは乳児の体がまだ異物のタンパク質を処理することを学んでいないため、対抗することができないだけである。- しかし、この異物であるタンパク質は、乳児の体内でどうなるのだろうか?

 アレルギーは、自然の防御機構があるにもかかわらず、異物であるタンパク質が体内に侵入することで発症する。ここでは、全生涯で人が最も弱い数ヶ月の間に、多くの病原体からの異物タンパク質が繰り返し注入されるのだ。何が起こるかを待つ必要はない。これはもう当たり前のことである。ワクチン接種を始めて50年、昔に比べて小学生に病児が増え、アレルギー体質になっているのは事実である。当時、小学校に通っていた60歳以上の世代は、それを確認できる。彼ら自身は、現在ほとんどの予防接種が「守ってくれる」病気には、予防接種をしなくてもかからなかったし、小児疾患の場合は何の問題もなく生き延びている。そして、若い世代に比べ、アレルギーが際立って少ないのだ。

 

アレルギーの根治療法

  ここに挙げたセラピーは、程度の差はあれ、すべての人に役立つものだ。

従来の医療は、時間がくれば中止できることが多い。また、紹介した自然薬は、通常、必要がなくなったら、徐々に中止することができる。

 

花粉症

 花粉症の原因は、鼻の粘膜の多孔性にある。これでは透過性が高すぎて、花粉の侵入を許してしまう。そのため、より高密度化する必要がある。これは、レモンの力を借りて行う。レモンをかじると、すぐにその収斂(しゅうれん)作用を実感することができる。ここでは、鼻の粘膜を引き締めて強化するために使用する。

レモン果汁1mlと生理食塩水9mlを針付き10mlシリンジに吸引する。針を抜いて、この液体で鼻を洗う。内容物の半分を、まず片方の鼻孔から、次にもう片方の鼻孔から力強く入れ、もう片方の鼻孔は閉じたままだ。レモンの混合液が喉の奥に流れ込む。これは毎日、花粉との接触が起こる前の午前中に行う。通常のアレルギー発症の1ヶ月前に開始する。突然のくしゃみ発作、水っぽい目、鼻水や腫れなどの場合は、1日に数回でも繰り返し使用することが可能だ。代替品としては、強めのエッセンシャルオイルを混合したMadaus社のSalvia- thymol®がある。5滴を舌の上に落とし、まずそこに留めてから、2、3回に分けて少しずつ、長い時間をかけて飲み込みます。柑橘類に対するアレルギーの場合は、Salviathymol®のみを使用する。子供の場合、5滴を一口の水に加えます。

 

気管支喘息

 アレルギー性喘息は、昔の医師が進行性変成症と呼んだ病気である。鼻の花粉症から、つまり外側の上から、内側へ滑り落ちるように肺に入り、喘息になるのである。病気は空間的に深くなり、それに応じて危険性も高くなる。きちんと治療すれば、また鼻の中に戻っていくこともある。それが退行性変成症ということになる。さて、これも上記のようにきちんと治療して、肺と鼻の両方を完全に治す必要がある。これらのつながりは、過去に医師たちが知っていた。

 朝、人の霊-魂は体の奥深くまで入り込まなければならず、下降する際に肺に滞留してはならない。それが、気管支の痙攣、喘息を引き起こすのだ。ここでは、かつては動物の皮を革になめすために使用されていたオーク材の収斂作用が役立つ。:Quer- cus D1 Dil.朝に10滴。晩になると、再び肺に滞留することなく、霊-魂海がまた出ていかなければならならない。マリアのマントの青色をしたエーレンプライス(Veronica D1 Dil.、夜10滴)には、夜の鬱血除去効果がある。どちらのレメディーも2-3年は継続して服用する必要がある。5歳以下の子どもは10滴ではなく5滴が目安である。さらに、肺胞の一番外側まで届くように微細にする吸入装置(パリボーイ)を用いて、生理食塩水1mlにレモン果汁5%を含むジェンシード5%のアンプルという吸入を週3回行う。吸入は、喘息が通常発生する1ヶ月前に開始し、1ヶ月後に停止する。これも2〜3年行う。ここで紹介するのは、Weleda社の医薬品である。

 

食物アレルギーと皮膚アレルギー

 食物不耐性は、慢性の鼓腸と下痢として現れる。食物アレルギーの場合、かゆみを伴う蕁麻疹だけでなく、湿疹や神経皮膚炎まで発生することがある。

上記で説明したように、特にタンパク質は十分に消化される必要がある。したがって、急性期の場合は、1週間はすべてのタンパク質を避ける必要がある。そうすることで、体が一時的に楽になり、バランスを取り戻して症状が治まるのだ。タンパク質を含まない食事とは、魚、肉、動物性食品(牛乳、乳製品、卵)を避けることである。サワークリームを含むバターとクリームは、タンパク質ではなく脂肪が主成分なので、食べることができる。ただし、大豆、レンズ豆、豆類などの植物性タンパク質は控えた方がよい。1週間後、1〜2ヶ月かけてゆっくりと、酸性化した乳製品で、弱い濃縮タンパク質の摂取を再び始めることができる。しかし、腐ったタンパク質を含んでいて、匂いもするような長期熟成のチーズは使ってはいけない。そのため、昔は例外的にしか食べられなかった。アレルギーは動物と植物の処理から始まるので、すべての食品はバイオダイナミック品質であるべきだ。もし、動植物がその性質に従って扱われなくなり、食料を生産する工場として扱われるようになれば、その結果は長い目で見れば、人を弱めることにしかならない。バイオダイナミック・クオリティが無理なら、せめて農薬や除草剤などを使わないオーガニックがいい。さらに、毎食10-15分前に、食前酒として、苦いレメディーにより、例えばアブシンチウムD1 Dil(Weleda)をカップ半分(100ml)のお湯に10滴落とすなどして、消化力を強化する必要がある。辛味と苦味は、胃や腸の消化液の分泌を促す。徐々に、まず牛乳そのものを、そして濃縮されたタンパク質(魚、肉、卵)を、健康的な方法で(それぞれ週1回)、再び摂取できるようになる。

 猿ではなく、豚が人間に似ている。雑食性で、肉類を含む植物性・動物性の食物を摂取し、人間と同じように体を覆う被毛はない。また、その内臓は肉眼でも顕微鏡でも人間とよく似ており、拒絶反応が少ないことから、豚の心臓弁など人間への移植に利用されている。人の腸管内では、人自身のたんぱく質と豚のたんぱく質の区別がつきにくい。そのため、豚肉のタンパク質は完全には分解されない。そのため、食物アレルギーを持っている者は、豚肉や豚肉を使ったソーセージをメニューから外しておく必要がある。植物性タンパク質を多く含むキノコ類や豆類は、健康的な食品とは言えない。豆類に含まれるファジンという物質が消化を悪くするため、よく知られている鼓腸が発生するのだ。大豆にはこの物質が多く含まれていて、毒性があるとさえ言われている。ファジンを破壊するためには、まず調理するか発芽させる必要がある4。

 特定の食品、例えばリンゴやナッツを食べたときに口蓋や舌が腫れる場合は、純粋なレモン半個分の果汁(口腔粘膜は鼻粘膜よりも硬く、純粋なレモンには耐えられる)を口の中で攪拌してから飲み込み、問題の繊細な食品を摂取する前に鈍感にさせる必要がある。

 全身のかゆみを伴う膨疹や湿疹に悩まされている場合は、有機レモン2個分の果汁と多少引っ張った皮、または酢大さじ2杯を入れた風呂に入ると効果的だ。紅茶のティーバッグ10個に200mlの熱湯を注ぎ、蓋をして10分ほど蒸らす。これをお風呂のお湯に入れる。かゆみやにじみが局所的な場合は、1TLのレモン汁や酢、または紅茶(この場合はカップ1杯のお湯にティーバッグ5個)を入れたお湯の中で布やガーゼを結び、患部に1時間置くとよいだろう。

 接触性アレルギーの場合、アレルギーの原因となる物質(例えば動物の毛など)が皮膚に触れた部分に局所的にじんましんが現れる。アレルギーの原因となる物質に接触する前に、皮膚の患部に純粋なレモン汁を振りかける必要がある。

 これらの自然療法で、特に初期や中期には、さまざまなアレルギーが克服されることが多い。

 

総合的対策

 アレルギーは、外界、特に外界のタンパク質を排除する力の弱さから発生するものである。この弱点を克服しなければならない。

 一般に、アルコールや糖分には弱体化作用がある。したがって、アレルギーのある人は、アルコールを飲むのをやめなければならない。また、糖質制限月間を年に2回実施することが望ましい。つまり、この間、砂糖(メープルシロップアガベシロップ、ハチミツなども)は少しも食べず、それを含むものも一切食べないということだ。糖分の少ない新鮮な果物は、果肉とも結合しているため血液に溢れることがなく、問題ない。それ以外の期間は、低糖質な食事を心がけることである。

 また、運動不足も衰弱を招く。ジョギングや立つのではなく、歩くこと-この左右の両極の間を揺れながら前進すること-は、人間らしい動きであり、それゆえ健康的な動きである。毎日1時間、または週に1回数時間、自然の中を歩くと体力がアップする。

睡眠不足も弱体化させる効果がある。たった一晩の短い時間で、誰もが実感できる。体の再生には最低でも8時間必要で、それ以下ではない。アレルギーの方はこの時間を見計らって、夜を長引かせずに時間内に就寝することが必要だ。

 とりわけ、インフルエンザなどの急性疾患の抑制も体を弱らせる。そのような病気は、体の免疫力を強化するのだ。運動がないにもかかわらず、発熱(39℃以上)すると、登山と同じように、心拍の加速を伴う熱の上昇を生じる。この内なる努力は、あらゆる努力と同様に、最初は一時的な弱さを生むが、その後、力を増強する。したがって、解熱剤や鎮痛剤(鎮痛剤は自動的に熱を下げる)で発熱を防いではいけないのだ。また、この時期は外的・内的なあらゆる動きを最小限に抑え、集中した体の力を内側に向けなければならない。2〜3日間は、うとうとと眠るだけの絶対安静が必要である。5 急性疾患が治まった後、自宅での回復のためにさらに1日必要となる。努力して更に弱った体を回復させるために、この時間が必要なのだ。そうでなければ、再発の危険性がある。これは、弱った状態で迎えるので、より克服が難しい。

 

3人の軍医

 昔の人は、本質を見抜く力があった。一方、現代は個々の物事に対する目が鋭くなっている。細部を失うことなく、むしろ細部の相互の関係や本質を知った上で、再び本質に目を向けるべきだろう。

 ここで説明してきた主要な考えは、昔はよく知られていたことだ。これは、グリム童話に印象的に語られている。

 戦場で兵士を治療する昔の外科医である3人の軍医が、一夜を過ごそうと宿屋にやってきた。彼らは自分の腕前を語り合い、宿の主人は「試めさせてくれ」と言った。一人は手を、もう一人は心臓を、三人目は両目を切り取った。皿に載せて食器棚に一晩置いたそうだ。朝になって、臓器を元に戻そうと思ったのである。ところが、夜中にキッチンメイドの恋人が訪ねてきた。彼女は、食器棚を開けて、何か食べるものがないか探した。しかし、また閉めるのを忘れてしまう。食器棚に戻ると、猫が3つの臓器を持って逃げていくのが見えた。彼女は怯えた。しかし、彼女の最愛の人は、何をすべきかを知っていた。首吊りしたばかりの泥棒の手と、屠殺した豚の心臓と、悪猫の目を奪って、全部戸棚にしまったのだ。翌朝、3人の長老たちは、この偽物の臓器を自分たちの臓器に取り替えた。しかし、その日のうちに自分たちが変わっていることに気がついた。泥棒の手を持つ軍医は、盗むしかなかった。同僚からそのことを訊かれた彼は、"他に何ができるだろう?.....望むと望まずに関係なく、取らないといけないんだ"と言った。豚の心臓を持つ軍医はゴミの中を嗅ぎまわり、猫の目を持つ軍医は夜中に走り回るネズミを見たのだ。騙されたことに気づいた彼らは、宿に戻った。宿の主人は、賠償金として一生分のお金を渡した。しかし、この童話は「...それでも自分の元々の手や心臓や目をつけていたかったでしょう」という言葉で締めくくられている。

 この物語でイメージ的に語られているのは、人間はまず自分の器官を作り上げ、そこに働きかけた衝動によって行動するという正しい感情である。

 しかし、ここに異物、特に異質なタンパク質が存在すると、彼を圧倒してしまう。「望むと望まずに関係なく」なのである。アレルギー反応によって防ぐべきは、まさにこの自分自身の存在に属さない異物による影響なのである。アレルギーの目的は、自分自身の存在を異物の強い影響から守ることにあるのだ。

 

 ダフネ・フォン・ボッホ(Dr. med.)

 

著者について

Daphné von Bochはカナダ生まれで、バーゼル在住。2つの人智学的リハビリテーションクリニックで長年勤務した後、現在は人智学的医師、心理学者として個人で活動している。主にスラブ・アジア諸国において、アントロポゾフィー医学の医師を養成するほか、オットー・ウルフの著書の再出版も行っている。

《注》

1 引用元 Husemann, Friedrich/ Wolff, Otto, Das Bild des Menschen als Grundlage der Heilkunst.(フセマン、フリードリッヒ/ヴォルフ、オットー)。Volume II, Freies Geistesleben, Stuttgart 2000, p.154.

2 von Boch, Daphné, "Ein Krebsratgeber aus anthroposophisch-medizinischer Sicht"(ボッホ・ダフネ著)。In: The European, April/May 2022, pp.25-41. https://perseus.ch/archive/10145/europaer_jg26_06_07_apr_mai_2022_print_samll.

このリンクから、『The European』2022年4・5月号がPDFでダウンロードできます。その中で、がんの記事は下にスクロールすると出てきます(25~41ページ)。

3 von Boch, Daphné, "Vaccination: From childhood diseases to flu?". In: The European, July/August 2019, pp.13-23. https://perseus.ch/archive/8635.

4 Wolff, Otto, What do we actually eat? Freies Geistesleben, Stuttgart 2012.

5 Wolff, Otto, Die naturgemäße Hausapotheke. Freies Geistesleben, Stuttgart 2007.

 

The European Jg. 26 / No. 12 / October 2022 11

 

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 上に述べたように、人間は、目に見える肉体の他に見えない超感覚的な構成要素をもっており、それらが一体となっている。自我を初めとする超感覚的な構成要素が肉体の隅々にまで影響を及ぼしているのである。

 一方、現代医学は、肉体しか認めていないため、人間存在の全体はおろか、肉体についてもその真の姿を認識できないのだ。ここに現代医学の根本的欠陥が存在する。

 しかし、それにしても、前回のワクチンといい今回のアレルギーの問題といい、このような論稿を読むと、現代医学の誤り、弊害には慄然とせざるをえない。恐ろしさをも感じる。まるで、人の健康を守ると言うより、それを破壊するために存在しているようではないか(実際に「医原病」という言葉もある)。

 これは、単に、現代の医学の認識の限界から来る誤りなのだろうか。そうであるなら改善の努力をすれば良いのだが、そうでない可能性もあるだろう。つまり、意図的である可能性である。

 シュタイナーが明らかにした人間についての秘教的な認識は、例の影のブラザーフッドのような秘教団体がもっていてもおかしくない。とすれば、人間の霊的進化を阻止しようとしているこのような団体や闇の霊達が、この現代医学の背後にあり、大きな影響をあたえているということはないだろうか。現在の、欺瞞だらけのコロナ問題をみると、なおさら、おおいにありうることだと思わざるをえないのである。