今年4月に亡くなった立花隆さんに、臨死体験(Near Death Experience)、つまり死に臨みながら蘇生した体験についての本がある。またこれをテーマとする、立花さんが出演するNHKの番組も放送されたことがある。立花さんには、宇宙飛行士の宇宙での神秘的な体験をルポした著作もあり、スピリチュアル的なものにも興味を持たれていたようだが、どうも晩年は、これらの実在には否定的であったようである。臨死体験は「脳内現象」というのが実在説に対する反論であるが、日本では、今でもこの主張が主流であろう。
一方、海外に目を向ければ、結構な研究の蓄積があるようである。1970年代には、医師のエリザベス・キューブラー=ロスと、医師で心理学者のレイモンド・ムーディが、多くの体験者の報告を元に相次いで著作を出版し(これは日本でも紹介されている)、世界的に一定の反響を呼んでおり、それ以降もこうした研究は続けられている。
その体験には、一定のパターンがあるとされる。心の安らぎと静けさ、言いようのない心の安堵感、暗いトンネル、体外離脱の体験、死んだ親族やその他の人物との出会い、光の生命(天使など)との出会い、等である。
本当にこれらはすべて、臨死という異常な状態に陥った脳により作り出された「幻覚」なのであろうか。
共通体験としては、他に、日常では忘れていたことも含め、過去の全体験がパノラマとなり、瞬時に目の前に再現される。いわゆる「パノラマ体験」(走馬灯体験)がある。それは、事故や溺れかけた時によく現れるというが、このような事象に共通するのが何かと言えば、それは突然のショックである。それも普通では無い、まさに死にかけるほどのショックである。
シュタイナーによれば、そのショックにより、肉体から、肉体の生命活動を担っている精妙な体であるエーテル体(一種霊的体であり肉眼では見えない)が緩むことによりその様な体験をするのだという(エーテル体は記憶の担い手でもある)。かつて古代において、川などで人を水に浸けて「洗礼」を行う宗派があったが(イエスもヨルダン川で洗礼者ヨハネによりこれを受けた)、それは現在の洗礼と異なり、体全体を浸けるものであった。それにより疑似溺死状態となり、精神の変容がなされたというのである。
またシュタイナーによれば、死とはこのエーテル体が身体から完全に離れることである。つまり、文字通り、臨死体験の主要な部分は、まさに人が一般にその死において体験する現象なのである。