k-lazaro’s note

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キリストの再臨とアーリマンの受肉  ④

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アンドレア・デル・ヴェロッキオ「イエスヨルダン川洗礼」

 キリストが洗礼の時に地上に降ったということについては、聖書自身に記述があるという。
 ル カ福音書(3: 22)は、鳩の形をした聖霊がイエスに降った後、天から 「あなたは私の愛する子、私の心にかなう子。」という声が聞こえたと述べている。この引用部分は、今日では例えば。後半部分の原文は、“ σοι ευδο κησα(ギリシア語)= I am content with you (私はあなたに満足する)”であるが、古い聖書には、これには、” εγω σημερον γεγεννηκα σε= Today,I bore you( 今日、私はあなたを産んだ)”という異文が存在するのである。シュタイナーによれば、ヨルダン川での洗礼者ヨハネによる洗 礼の時に、神的存在であるロゴスがイエスの身体に降り、それにより初めてイエスはキリスト(メシア)となった、つまりイエス・キリストとなったことを表しているという。
 イエス・キリストは、この後、3年間地上において宣教活動を行うが、エルサレム入場後、捕らえられて、ゴルゴタの丘において磔刑により死ぬこととなる。しかし、埋葬後、復活し、弟子達の間に現れた後、「昇天」する。
 聖書には、この昇天に際して、「白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。”あなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります”」(使徒行伝1:11)という記述があり、これはキリストが「再臨」することを示すものとされる。ここに、キリスト再臨の信仰が生まれることとなった。
 また再臨は、キリスト教の一般的解釈では、世の終わりの時に、キリストが世を裁くという「最後の審判」と結びつけられることが多く、これにより再臨=世界の終末という考えが生まれた。

 ちなみに、キリスト教徒の中には、最後の審判の後、良きキリスト教徒は天国にあげられるという考えの基に、この最後の審判=世界の終末(アルマゲドン)を「待望」する人々が存在する。アメリカを中心とする福音派の人々である。彼らの中には、この考えにより、むしろ積極的にアルマゲドンを引き起こそうと活動する人もいると言われる。
 しかし、再臨=世界の終末とは言えないのである。

 シュタイナーによれば、既にキリストは再臨しているという。しかし、それはこの物質世界にではないのである。