k-lazaro’s note

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キリストの再臨とアーリマンの受肉 ⑦(その3)

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キリスト像を制作するシュタイナー

ノストラダムスのキリスト再臨の予言


(前回より続く)
 次に1行目に戻り、1999年の意味を探っていくとどうなるか。オーヴァソンによれば、そのままにとることもできるが、別にもとれるという。
 「人智学雑学」のミカエルの項で述べたが、大天使は、それぞれ交代して一つの時代を統治している。オーヴァソンによれば、ノストラダムスは、「予言集」の序言的文書で「現在は月に支配されており、それは太陽が来るまで続く」、そして「その後に土星が続く」と述べているという。月は大天使ガブリエルを、土星は大天使オフィリエルの星であり、時代霊がガブリエル、ミカエル、オフィリエルへと代わっていくことが踏まえられている。
 ノストラダムスは、トリテミウス(中世末・ルネサンス期のドイツの隠秘学者)の説を取り入れており、それによれば大天使の統治する期間は354年4ヶ月となる。これを1年と見なすと、その1月は12分の1で約29年半になる。予言詩の1行目は、問題の出来事がオルの時代の7番目の月に起きるとしているので、ノストラダムスによれば、ミカエルの紀元は1881年なので、これに29.5年×7=206.5年を加えると、2087年となる。これにより、これが2087年に起きるとも捉えられるという。
 次に2行目に移る。「空から驚愕の大王が降る」というくだりである。「驚愕」の原語は、エフレユールeffrayeurであるが、頭にDを付け、最後の母音のUをとると、defrayerとなり、「楽しませる、もてなす」となり、真逆の意味となる。またフランス語には、「線を引いて消す、筋を付ける」という意味の動詞rayerがあるので、こちらの可能性もあるとする。
 結局、その真意は不明となるのだが、オーヴァソンによれば、ノストラダムスは、この文章があえて多義にとれるようにしたのではないかと言う。この霊的存在が空から来ることになっているからである。なぜなら、当時の人からすると、空から来る者は再臨のキリストとなるからである。当時、そのような文章は支障があったのである。
 また、3行目のアングルモワの「大王」と2行目の驚愕の「大王」は別の存在だとする。3行目が le grand Royであるのに対して、2行目は un grand Royとなっているからである。故に、この予言詩は二人の大王について語っていることとなる。
 4行目に、「前後、火星は幸運に統治する」とあり、この「前後」からも、前に来る王と、後に来る王がいるととらえられる。また「火星」は戦争や争いを意味するので、この二人の大王の争いが起きることが示唆されるが、「幸運に」の語は「それなりの喜びを見いだす」というようにもとれるので、闘争が激化するが、それは切り抜けられるというように解釈できる。
 さらに、 「幸運」good fortune の原語は bonheurであるが、このbonとheurを切り離すと、「bon良い」はミカエルを指すと捉えられる。heurはというと、フランス語の「時間」を意味するheureから語尾をとったものと見なせる。では「時」とは何か。それはミカエルに敵対するものであろう。
 オーヴァソンは、秘教において、「時の支配者」とは「アーリマン」であるので、ここで示されているミカエルに敵対するものはこのアーリマンであるとする。ここから、ミカエルとアーリマンに従う者達が戦いを行うということであるというのである。ただそれは、火星が「幸運期」に入るので、やはりいずれ戦争が終わるととれる、とするのである。 
  オーヴァソンによれば、全体をまとめれば次のようになるらしい。1999年かあるいは2087年に大いなる霊的存在が降りてきて、人類に害ばかりか恐怖も与えると述べているようである。それは悪の存在であり、それに従う者と従わない者に人類も二分される(前者が多数となる)。後者は、ミカエルに従い、精神性を一新した者たちである。その結果、争いや大規模な社会変動があるだろう。ただ、これまで見てきたように、この詩は両義的に解釈できるので、この大王は全く恐ろしいものではないかもしれない、ともされる。
 さらに、ノストラダムスが秘教的伝統の中にあったことを考慮すれば、彼の予言は、「現代の秘教文献において広く予見されている出来事ー物質界に接する霊的領域にキリストが到来することーを、長期的視野において確証したもの」ととらえられるだろう。 実際に起きる時期の問題はあるが、それは「20世紀が人類の霊的生活にとってとても重要であることを示す霊的出来事を指摘する」予言詩である、という。

 以上がオーヴァソンによるこの予言詩の解釈の概略である。上述の「現代の秘教文献」についてはシュタイナーの著作等を指すと考えることができるし、「物質界に接する霊的領域」とは、まさにシュタイナーのいう「エーテル界」のことであろう。この予言詩に直接「キリストの再臨」ととれる言葉は見いだせないようだが、ミカエルの登場と、それに従う者における精神(霊)性の進化は確かにそれを示唆していると言えよう。

 またオーヴァソンは、この予言詩の解釈に続き、「未来の霊性」と題して、別の予言詩に触れ、次のように述べている。ノストラダムスは、「人はもうじき霊界とのつながりを失う」ことを予言している。「自然(物質)には自然の、精神には精神のやり方がある」。この予言詩は、「この2つのやり方の間に走る亀裂について語ったもの」である。「人間性はいつか必ず分裂する。一部の人類は、割合早く堕落するだろう。一方、少数の者は、霊性を成長させ始める。この分裂は、2つの者達の間にかなりの衝突を伴う」と。
 ミカエルの現在の使命は、キリストの再臨に備えることである(シュタイナーによれば、再臨は既に始まっているが)。アーリマンの使命は、それを阻止すること、すなわち、人類がミカエルやキリストの方を向くのではなく、霊性を否定し、唯物主義に陥ったままにすることである。どうも、人類の分裂とはこの2つの道を指すようだ。
 ところで、現在の「コロナ禍」である。ワクチンを巡ってまさに人々は二分されている。ワクチンの有効性については大きな議論があるが、その接種後に多くの人が亡くなっているのは事実である。ワクチン推進派には、人と機械の融合を目指す「トランスヒューマニズム」派の人々がいるようである。これは、人類の霊性を指向しているようには見えない。

 今世界で起きていることは、人類の二分化の始まりと考えることができるだろうか? 少なくとも、その予兆であると?

 シュタイナーにもウイルスやワクチンについて述べた発言があるが、これは後日に譲ることにしよう。