k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

キリストの再臨とアーリマンの受肉 ⑧

 

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" We Experienced Christ "

「キリスト体験」
 シュタイナーによれば、キリストは既に20世紀からエーテル界に再臨している。エーテル界とは、物質世界を支える霊的世界のうちの最下層にある、物質世界に直接隣り合う超感覚的世界である(隣り合うと言うより、実際には浸透しているのだが)。
 だが、それを認識できるかどうかは人類自身にかかっている。存在していても、人の側に受け入れる態勢がないと、存在していないに等しいのである。
 シュタイナーは、人類における自然の霊的進化により、そうした超感覚的出来事を認識できる能力を人は備えていくと語っている(勿論、それはすべての人が一斉にそうなるのではない)。では、既に再臨が起きているというなら、その様な体験をした人が既にいるのだろうか。そのような話しが実際にどこかに存在するのだろうか? 「キリストを見た!」と。
 実は、それは存在するらしいのだ。写真の本(『私たちはキリストを体験した』~イエス・キリストとの霊的出会い』)は、そうした体験をまとめた本なのである。
 初版は1973年にスウェーデンで出版されたようであるが、私が持っているのはその英訳版で、2016年の出版である。いかに少し紹介したい。

 先ず、この本の成立の経過は次のようである。著者の一人、スウェーデンの宗教社会学者であるベルント・グスタフソン Berndt Gustafsson が、ある自著において「イエスがどのような姿をしていたかを知る者はいない。」と記したところ、ある読者から、イエスを見たという手紙を受け取った。そこで彼は、他にもその様な体験者がいるのではないかと考え、友人の神学者 グンナー・ヒレルダル Gunnar Hillerdal に相談し、二人で、「キリスト体験」を募集する新聞広告を出したのである。すると、なんとすぐに百を超える体験談が寄せられたのだ。そこで二人は、この体験談を元に本書を出版することにしたとのである。
 英語版の出版社は主に人智学関係の本を出版している会社であるが、著者について調べると、どうも二人は人智学関係者ではなく、普通の学者であるらしい。純粋に宗教あるいは研究上の目的で体験を集めたようである。
 寄せられた体験談には、相手をキリストであるとは明確に言っていないものもある。共通するのは、神的、霊的存在と接触し、それが人生において良き転機となったということらしい。
 また、必ずしも、霊視能力があるがゆえに体験したものとも言えないのかもしれない。体験談には、家族との死別等の悲嘆の中で起きた出来事などがあり、神的、霊的存在との出会いは、人が困窮にある時、恩寵的に与えられることがあり、そうした場合、本人の霊視能力を問わないように思われるからである。ただ、いわば天からの啓示のようなものであれ、誰もが受けることができるわけではないだろう。やはり、そうした体験談は、前世紀から増えてきており、シュタイナーがいうような時代の背景ー人の魂的霊的変化ーがあるのではなかろうか。
 最後に、1つだけ、本書に収録された体験談をここで紹介しよう。

- "顔立ち” キリストの絵はどのようにしてできたのか -
 松の木に刻まれた約1メートルのキリストの像は、joenkoeping にあるOestra Grav教会に毎日訪れる人々の目を引く。この作品の芸術家は、 バンケリドのマルガレータ・エングストームMargareta Engstroem である。彼女は語る。
 「キリストは実際に私に会いに来たのです。ここに来る人たちが、物質的生の外にある何かを見て、-生は終わらないと言うこと-を体験できることが私の望みです。」
 彫刻家として有名になるまで、彼女は、何年も聖なる芸術作品を生み出してきた。聖母やキリストなど。・・・彼女が「メシア」と呼ぶ彫刻がある。それが公開されたのは1966年のことであった。彼女のスタジオには、決して売りに出されることのない特別の絵がある。その絵には特別な歴史がある。それは「顔立ち」と題されている。彼女は語る。

 「ある日、私は以前から依頼されていた作品の準備をしていました。その時、私の背後に誰かが立っているのを感じました。私は、無限の静謐と喜びの、時を離れた状態に移っていくのを感じました。私は、ためらうことなく、道具等を準備し、私がそれまで用いたことのない技法で描き始めました。・・・私は集中して描きました。私の手の動きは正しいと確信していました。これは理知的に考え出されてものではありませんでした。」
 「そのすべての間、私は、背後の彼、私がキリストと考えた方と無言の会話をしていました。時と空間とすべてが絵となってやってきたようでした。それは彼から、私の手を通して流れてきたと感じました。そして、できたのは、彼の顔であることを知ったのです。」
 「どのくらい時間がたったかはわかりませんが、やがて、私の意識にスタジオと時間が戻ってきました。キリスト自身が私のスタジオに来たということは、ありえるのでしょうか。私は、後ろの彼を見ようと振り向きました。そこには作品があるだけでした。しかし、確かに誰かがそこにいたのです。」

  

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