k-lazaro’s note

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地球霊としてのキリスト

 

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シュタイナーによるゴルゴタの丘の絵

 イエス・キリストは、ゴルゴタの丘磔刑を受け、亡くなった後、埋葬され三日後に復活する。その後、弟子達の間に現れ、やがて再臨を約束して昇天したと言われる。
 昇天というと、天国に帰ったように理解されるが、シュタイナーによれば、ことはその様に簡単ではない。
 もともと、キリストは太陽霊であったが、地上においてイエスが30歳の時、洗礼者ヨハネによるヨルダン川洗礼において、イエスの体に受肉した。これからすると、33歳の時に磔刑によりイエスが死んだことから、キリストはまた太陽の霊的領域に戻ったと考えたいところだが、そうではなく、キリストはこの地球の霊となったというのだ。

 以下『シュタイナー用語辞典』(西川隆範著)の「ゴルゴタの秘儀」の項を元に述べていこう。

 イエス・キリストが磔刑に際して負った傷(※この傷を付けたとされる「ロンギヌスの槍」については、ナチスも絡むエピソードがある)からイエスの血が大地に流れた瞬間、地球のオーラ(アストラル体・霊的状況)は変化し、地球は宇宙に向けて輝きを発し始めた。
  埋葬されたイエスの身体は塵となり、地震によって生じた大地の亀裂の中に消えた。キリストの霊は、肉眼で見えるほどに凝縮したエーテル体をまとった。エーテル体の中に不死のものが形成され、本来の物質的な力体、不朽の体である「ファントム体」が人間に再び与えられた(※人の「ファントム体」は、人類の長い歴史の過程、堕落をとおして劣化していた。これを修復することが、キリスト降下の1つの目的であった)。
   太陽オーラと地球オーラが結合し始め・・・アストラル光が地球を貫いた時、キリストの力が人間のエーテル体に輝き入り、キリストを地球のエーテル領域で見ることが可能となった(※使徒パウロがダマスカスで出会ったのがこのキリストである)。
 ゴルゴタの秘儀(※これまでの一連の出来事を、シュタイナーはこのように呼ぶ)以来、キリストが地球の霊となった。

 ちなみに、キリストが地球霊となったことについては、聖書が示唆しているという。それは「最後の晩餐」の時の出来事で、マタイ福音書(26:26~28)には次のようにある。

- 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。-

 この最後の晩餐が、キリスト教で行われているミサの原型となるのだが、ミサにおいて、「聖別」されたパンとワインを信者達が分け合うのは、このキリストの言葉があるからである。教義的には、パンとワインは、ミサにおいて聖別によってキリストの体と血の実体に変化した(聖変化という)とされるのであるが、シュタイナーによれば、パンとワインは大地の恵みであり、その大地(地球)の霊はキリストであるから、そのパンとワインは文字通り、キリストの肉と血と言うことができるというのである。

 人類は、有害な物質や放射能、電磁波により地球を汚染しているが、それはキリストの体を汚しているということになる。それは、人類の物質的生存の危機となっているのだが、その霊的背景を考える必要もあるのかもしれない。