k-lazaro’s note

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「二人の子どもイエス」とは ⑨

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新しい密儀に見下ろされる古代の密儀の智慧

 キリスト教とは何か

 キリスト教世界宗教ではあるが、一般的には、歴史的に数ある宗教の中の1つに過ぎないと思われている。しかし、その教義の中心にあるのは、三位一体の神、とりわけキリストであるが、このキリストは、本来、宇宙のロゴスとしてのキリストであり、キリストは、常に人類の歴史の中に働き続けてきていることから、その教えは時代や地域、民族を超える普遍性を持っていると考えることができる。つまり、キリストの教えは、本来、個別の宗教を超えた宗教の中の宗教であると言えるのである。
 では、他の世界宗教の位置づけがどうなるかと言えば、シュタイナーによれば、例えば、キリスト教以前に誕生した仏教はキリスト教を準備するものであり、その霊統はキリスト教に合流してきているという。逆に、東洋で、それまで自己の解脱が中心課題であった小乗仏教徒は別に、大衆の救済を願う大乗仏教が誕生した背景には、地上においてなされたキリストの行い(ゴルゴタの秘儀)があるという。大乗仏教が誕生した時期は、まさに紀元前後なのである。
 また、キリスト教は、古代の密儀宗教の流れのなかに誕生したものでもあった。それをよく表しているのが上の絵である。これは、デヴィッド・オーヴァソンの『二人の子ども』に掲載されている、マンリー・P・ホールの依頼を受けたAugustus Knappのカラー図版の元になり、『An Encyclopedia Outline of Masonic, Hermetic, Qabbalistic and Rosicrucian Symbolical Philosophy』に掲載された版画である。オーヴァソンは次のように解説している。

 18世紀頃、古代密儀と初期キリスト教の関連については多くが知られていた。この関連を完璧に表している18世紀の版画をここで示す。この絵画では、古代の学派のシンボルが優勢である。前景では、基部のレリーフが、太陽神ミトラが聖牛の首に短刀を押し付けている姿を描いている。地面に落ちているこのレリーフの上には、古代の祭壇があり、髪に月桂樹を巻いたアポロン神の巫女が、炎や煙で神託を受けようとしている。祭壇の後ろでは、ユダヤの高位の聖職者がメノーラ(7本燭台)の脇に立っており、その後ろには、不信心を示唆する青銅の牛がある。後景には、秘儀参入者が古代の密儀の秘密を学んだ秘儀参入のセンターの基本的なシンボルであるエジプトのピラミッドが描かれている。その形は雲によって一部が隠れている。雲の間から、不吉な満月が-それ自身が過去の象徴である-ピラミッドの頂点の上で覗いている。同じ雲に乗って、しかし絵の中心の頂点に位置して、この絵の根本主題であるキリスト教の新しい摂理のシンボルがある。福音書記者の4つのシンボル-マルコの翼をもつライオン、ヨハネの鷲、マタイの天使、ルカの牛-が、祭壇の上の輝く神の子羊の周りに礼拝するために集まっている。
  この4つのシンボルの上、鷲の拡げた翼の間に、マリアとイエスの姿がある。母の頭のまわりには7つの惑星の円環があり、彼女の下には、蛇がおり、頭を彼女の裸足の足によって地面に押しつけられて傷ついている。絵の右に満月があるように、左には太陽がある。この円盤は獣帯の輪を通して光を下に放っており、白羊宮と金牛宮の間を通っている。
 この絵には少なくとも6匹の牛がおり、それぞれ異なる神話と宗教に関連している。ミトラ教の屠られた牛がいる。ギリシア人によってセラピスと呼ばれたエジプトの牛アピスは、角で卵の殻を破っている。メノーラの後ろには、モーゼが留守の時に、ユダヤ人が自分たちのために作った黄金の牛を示唆する青銅の牛がいる。ルカを意味する翼をもつ牛がいる。最後に、天空に金牛宮の牛がいるが、これは12のイメージの中から、獣帯の短い円環を示すために注意深く選ばれたものである。
 この牛たちで興味深いのは、初期の密儀学派が、新しい密儀が古い密儀より優位になっていく発展の各相を表していることである。ミトラ神は初期ペルシア密儀のグーラ牛を殺し、セラピスあるいはアピスは、ウラノスとゲア、天と地がそこから生まれたウロモスのフェニキアの卵という初期のイメージをその角で壊している。青銅の牛は、彼らの唯一なる神への信仰に至る真の道を見出す前に彼らが作った不信心を示唆するものである。
 ルカの牛は、太陽の下の獣帯で開示される金牛宮の宇宙的牛にとって代わるものである。この牛は、キリスト教シンボリズムでは翼を与えられているが、この形で多かれ少なかれ無傷のまま3000年間生き抜いてきたものである(下図)。4人の福音書記者は宇宙的力を表現している。これは、他の全ての古い密儀を置きかえる新しいキリスト教の摂理によってもたらされたものである。4福音書記者の各シンボルはおそらく獣帯に遡るものである。

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 ルカの牛が金牛宮(地のサイン)であるなら、マルコのライオンは獅子宮(火のサイン)、鷲は天蝎宮の救済された半身(水のサイン)、翼のある人間または天使は、宝瓶宮の水甕をもった人間である。
 先の絵の驚くべきメッセージは、エジプト、ペルシア、ユダヤギリシアの全ての古い密儀だけでなく、古代の宇宙の金牛宮にもとって代わっていることである。子供自身が地上に降りた宇宙であり、宇宙の子どもが物質界に降るために道を整えるという今までの目的に仕えてきた古代密儀の知恵は必要とされなくなったのである。しかしミトラの死にゆく牛の下を自由に滑るように動く蛇、右下の銘碑の断片のオルフェイス教の籠から這い出てくる蛇は、密儀から、または世界からなくならない。なぜなら、これはいにしえの蛇、人に原罪をもたらし、全ての男と女の内にある蛇だからである。しかし、変化があったのは、今やこの蛇から逃れる希望があることである。絵の頂上で、宇宙の処女の足によって、蛇は押さえつけられているからである。

 キリストは古代密儀宗教(さらに遡ればゾロアスター教においても)において待望されていた救世主たる神的存在であり、その教えに基づくキリスト教は、それらを受け継ぎつつ、古代の密議を廃し、それにより新たに打ち立てられた宗教であった。
 これがキリスト教の本質であるが、しかし、ものには常に二面性がある。やがて国家に認められ支配体制の下に組み込まれていったキリスト教は、その本質から逸脱していったとも言える。これが一般人を対象とする公教としてのキリスト教とすれば、その本来の本質を担う秘教的教えも存在してきた。秘教的キリスト教である。
 二人の子どもイエスの教えも、これを担う人々により伝えられてきたのである。