k-lazaro’s note

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「二人の子どもイエス」とは⑯

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リベラーレ・ダ・ヴェローナの礼拝図

  これまでクリスマスの光景に二つの様式があることについて、別々に描かれた二つの絵をもとに説明してきた。今回は、やはりクラウゼ・ツィンマーの『絵画における二人の子どもイエス』からであるが、一つの絵の中に二つの聖家族が描かれている絵を見てみよう。
 それは、ヴェローナ〔イタリア・ベネト州〕の大聖堂の礼拝図である。

祭壇の二つに分かれた両開きの扉を二つの礼拝の図に使うことができたフリブールネルケンマイスターと異なり、リベラーレ・ダ・ヴェローナと呼ばれる、ヴェローナの大聖堂の礼拝図のマイスター(15世紀)は、更に先に行っている。彼は、ただ一つの縦長の画面を用いながら、しかし「二つの」礼拝を描いている(注)。
 この絵の背景、即ち同時に彼の絵の「上の」部分には山があり、その中ほどの高さに洞窟が開いている。その暗闇の前で、子どもの傍らにマリアとヨセフがひざまずいている。洞窟の上の傾斜地では、天使が羊飼い達に誕生の告知をしている。
 しかし、下半分、そして明らかな前景に、画家は、王達の行列が向かっている古い宮殿の廃墟の中の聖家族を描いている。3王は既に到着しているが、彼らの従者たちは遠方の渓谷一杯に広がっているので、世界を揺るがし、衆人の耳目を集める出来事が起きているという感情を人はもつ。これと対照的に、人里離れた山中の物寂しさは、洞窟と羊飼いによって、ルカの誕生の雰囲気である内面性を強調している。
 洞窟と宮殿-確かに廃墟の状態だが-は、二人の子どものそれぞれ異なる簡素な宿である-一方は純粋に自然の、他方は文明の印象をもった環境-。宮殿、あるいは古い神殿の廃墟という表現手段は、多くの画家によって用いられてきた。それは、明らかに、そこに新芽が植えつけられることとなる古い文明の没落、衰弱という感情を私達にもたらす。

(注)それは人々が信じている(例えば、B.ベレンソン『ルネサンスのイタリア画家』181頁)以上に驚くべきものである。リベラーレはマンテーニャ(1431年-1506年)の礼拝図(フィレンツェウフィツィ美術館蔵)に影響を受けたと思われているが、しかし、マンテーニャは、その上に星が光っている洞窟に聖家族を訪問した王達を描いているだけなのである。しかもマンテーニャは、星が語られていないルカの岩窟、あるいは馬小屋とマギが訪れたマタイ伝の「家」を混合している。リベラーレは、芸術的にマンテーニャに影響されたにせよしないにせよ、テーマの上で彼にならったのではなく、自分の絵を全く異なる仕方で創造したのである。

 ヴェローナは、主にイタリアのヴェローナで活動した画家で、生没年は、1445 –1530年頃である。
 ルカの物語は、小さいが、絵の上の部分に描かれている。人里離れたの山の中で起きている。ここでは、イエスは馬小屋ではなく、洞窟で誕生したこととなっている。当時は、自然の洞窟を利用して牛馬を飼育することもあったため、このような表現は普通である。自然に囲まれており、ルカの子どもの特徴である汚れのなさが強調される風景でもある。
 一方、マタイの物語は、廃墟とは言え宮殿という文明の産物の中で起きている。これもまた、マタイの子どもの特徴である賢い知恵と結びついた環境である。それはまた、廃墟であることにより、廃れていく(霊的)文明を象徴している。
 デイヴィッド・オーヴァソンが『二人の子供』で述べているように(「二人の子どもイエスとは⑨」で触れた)、新しいキリスト教の摂理(イエス・キリスト)は、「他の全ての古い密儀を置きかえる」ものであり、古い文明を生み出した古い密儀の衰退と、それに代わる「新たな密儀」としての(秘教的)キリスト教の誕生を意味しているのである。なお、ルドルフ・シュタイナーも同様の主張をしている。
 外典の「偽マタイ福音書」に、エジプトに逃避した聖母子が神殿に入ると、そこにあった神々の偶像が倒れて砕けてしまったことから、それを聞いたアフロディシアス(またはアフロドシウス)がイエスを表敬したとい逸話が残されている。このような話しも、イエス・キリストが古い文明(密議)を廃止、新しい文明(密議)を興す存在であることを示すものであろう。