k-lazaro’s note

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「二人の子どもイエス」とは ⑳

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聖セヴェリンのマイスター「王の礼拝」

子どもの中の子どもと王の中の王

 これまでイエスの誕生の絵には、ルカ福音書とマタイ福音書に基づく二様の様式が存在することを見てきた。それは、二人の子どもの魂の本質の違いによるものである。
 クラウゼ・ツィンマーの『絵画における二人の子どもイエス』から、その特徴を少し詳しく追ってみよう。マタイのそれは、・・・

 礼拝図でそれまで支配的であったビザンチン様式に影響された様式は、黄金地の背景の中にあるかあるいはマンドルラ(光背)に囲まれた玉座に座っているマリアの膝の上にいる近寄りがたい威厳をもったマタイ子どもを描くものであった。地上世界から超越した厳格な雰囲気の中に、王達は、贈り物を持って現れていた。

 上の絵でも見ることができるように、マタイの子どもは、厳かな雰囲気の中で、聖母の膝の上で来た王たち(あるいはマギ)を迎え、宝物を受け取る。やがて「王の中の王」とも呼ばれるメシア(救世主)の趣を既に備えていると言える。これに対して、ルカの子どもは、・・・

 ルカの情趣による誕生の描写も、次のような統一的な規範を持っている。マリアは洞窟の前で横になっており、ヨセフは座っている、子どもは石の飼い葉桶の中で布にくるまれており、その後ろには牛とロバがいる。周囲では、羊飼いへの誕生の告知が描かれ、しばしば王達が星と共にいる。前掲には、二人の産婆がおり、子ども(従って2度目の登場となる)を産湯に浸けている。いわゆる産床の間である。
 この産床の間の情景は15世紀には完全になくなり、それはただマリアの誕生の場面にのみ残された。そしてその代わりに現れたのが、私たちがそれ以来しばしば数えきれない描写の中に見出すような、もともとのクリスマスの絵画である。

 このように、マタイとルカの二つの典型的な表現形式は、全く異なるものとなっている。これを形式化すると次のようになる。

 王の礼拝による子どもは、「母の膝の上で座っているかあるいは立っている」。彼はただ「頭部のオーラ(光輪)」のみを有する。「マリア自身は子どもを礼拝せず」、表敬する王達に子どもを向けている。
 羊飼いの礼拝を受ける子どもは、裸で地面又は草の上に「平に横たえられており」、マリアも子どもを礼拝している。
 ルカの誕生の描写は、この場合、聖書の文章に全く忠実ではない(訳注:ルカ伝2:7には「(イエスを)布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」とある)。それらの描写は、例えば、子どもをオムツでくるんでいないし、飼い葉桶の中に置いてはいない。おむつや飼い葉桶が同じ絵の中に描かれているとしても、そうしていないのである。

 ルカの誕生図の中には、勿論、聖書の記述に近い描写もある。しかし、あえてそうしていない絵が多いのである(時代が降るにつれその様な描写はなくなっていくが)。著者は、更にその意味について解説していく。

まさに顕著な「無作法さ」がむしろ優先されている。マリアは、厚手の布地の衣服を着てひざまずいており、その大きなマントの裾は地面に垂れているのに、その僅かな端も子どもにはかかっていないのである。
 オランダのような北方の絵画では、もっと不可解である。その絵は、子どもの周りの天使達に、波打ち長く垂れていて、襟の高い衣服を着せているのに、子ども自身は、何もない地面の空いた空間に置かれているのである。
 それはあたかも、画家たちは、この子は大地の上にいなければならない、そして裸であらねばならない、彼-地上に委ねられた神の生け贄-の自然性、罪のない頼りなさが表現されなければならない、と言っているかのようである。
 しかし画家達は、これに或るもの、即ち子どもの身体を取り囲む黄金の光輝を加えている! それは、シオンのように踊るような炎の動きをしているのはまれで、たいていは真っすぐな放射か、一様で稠密な黄金で形成されている。それらは、いつもこの子どもの神性さを示している。この子は確かに地上的には無力な存在であるが、自分のまわりに沢山の光と暖かさをもたらすことができるのである。この驚異に対する人と天使の反応は、ただ礼拝するのみである。
 私たちは、そのように、ロレンツォ・モナコ(1370-1425年)、そしてジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(1370-1427年)、ジョヴァンニ・ディ・パオロ、またカステロ礼拝図のマイスター(15世紀)、あるいはベネデット・ボンフィリ(1496年没)、フーゴー・ファン・デル・グース(1440-1482年)とペトルス・クリストゥス(1410-1472年)、あるいはヨハン・ケルベック(15世紀中頃)とフレマルのマイスター (1406頃-1444年)そしてまたハンブルクのマイスター・フランケ(1400年頃)とダルムシュタット美術館にあるオルテンベルガー祭壇画のマイスター(15世紀初頭)、そしてシオンの私たちのマイスターなど他の多くの画家達が描いているのを見る。フライブルクミュンスターにあるペーター・シュプルングの絨毯の絵(1501年)、あるいはクロスター市庁舎の物(1600年に制作され、現在はチューリッヒのスイス国立博物館にある)も、確かに炎のような体の輝きを絨毯の中に表している。

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ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ「キリストの誕生」(ウフィツィ美術館

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「キリストの誕生」クロスター市庁舎の絨毯より(スイス・国立美術館

 クリスマスのこのルカ的表現様式は、あらゆる国に広がっている。もっとも、断固として子どもを荒っぽくただの地面の上に直接置くことに決心のつかない画家もいた。彼らは、子どもを少なくともオムツやマリアのマントの布端に置いている。例えば、私達のフリブールネルケンマイスターや上部ライン地方の流派(例えば、1420年頃のバーゼルの絵)、マルティン・ションガウアー(1445-1491年)-とりわけコルマー ルの誕生図-、ハンス・メムリンク(1430-1495年)のブルッヘのフロレイン祭壇画とその他多くの礼拝画、シュテファン・ロッホナー(1410頃-1451年)のミュンヘンの子ども礼拝図、あるいはハンス・プレイデンヴルフ(15世紀)の流派のニュルンベルグのゲルマン博物館のキリストの誕生図などがそうである。チューリッヒのスイス国立博物館のオーバーエーガーイの祭壇の扉絵(1493年)、あるいは・・・

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ハンス・メムリンク フロレイン祭壇画

 しかし、これらの画家は、この世的な考えで子どもをやさしく扱っているのだが、その際、あるものを失っている。それはイエスの周りの光の輝きである。あたかもこの世の物質的な幕がその上にかけられているかのようである。眼差しが地上的になるところで、霊を見る観照力は失われる。地上的なやり方で神の子に保護と温もりを与えなければならないと信じると、もはや彼の全存在が光と熱の実質であることを見ることができなくなるのである。非常に僅かではあるが、中間段階として、イエスを直に地面に置いてはいないが、大きな光輝をまだ添えている絵もある。

 ルカの誕生図の意味することは、その子どもの全存在が光と熱の実質であるということであった。従って、地上的な考えで、子どもを布にくるんだりして保護する必要なないのである。それは、この子どもの魂の本質によるものである。その様な魂とは、いかなる魂であろうか? 著者の説明は続くが、今回はここまでとする。