k-lazaro’s note

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岩石と鉱物は生あるものから生まれてきた ①

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 シュタイナーの教えは地質学にも及ぶ。しかし、それは、精神界の存在を前提とした超感覚的能力による認識であるので、当然、現代の常識とは異なる。「宇宙と人類の歩み」で紹介したように、地球自体も、転生を繰り返してきたのであり、地球はかつて現在とは異なる状態にあったのである。
 地球の最初の段階である土星期(古土星)は、熱の惑星であった。この熱からやがて現在の物質的な地球が誕生することになるのだが、もともとそれは、ヒエラルキーの上位の位階に位置するトローネ(意志の霊)という天使が、自らを犠牲にして地球に献げた自身の実質である。 霊的存在が先にあり、その働きにより今の物質宇宙(地球)ができてきたのであり、物質宇宙を構成する実質もまたその起源は霊的存在にあるのである。
 熱はやがて凝縮していき、命を吹き込まれる。空気や水が誕生し、更に凝縮、硬化が進み鉱物界が誕生する。そしてその一方で、植物、動物と人間が地上に出現するようになったのである。ただ、ややこしいのだが、人間は最初から存在していたとされる。鉱物、植物、動物は、人間が現在の形姿で出現する過程で、人間の本体から脱ぎ捨ててきたものなのである。 

 生命のないものは生命のあるものより生まれ、生命は霊より生まれたのである。

 さて、人智学派には、鉱物や地球の地質学的問題に取り組んでいる方もいる。今回は、その中から、ヴァルター・クルースWalther Cloos氏とその著作を紹介する。クルース氏は、ウィキペディアによれば、1900年生まれで1985年に亡くなっている。薬剤師錬金術師人智学薬学のパイオニアであったという。シュトゥットガルト工科大学で薬学を学ぶ一方で、鉱物学地質学も学んでおり、シュタイナーの示唆を受けて、鉱物や金属から医薬品を製造することに取り組んだようである。
 その著作に、『The Living Earth. The Organic Origin of Rocks and Minerals』(原書はドイツ語)があり、書名の通り、シュタイナーの教えに基づき、岩石と鉱物の有機的(生命的)起源を論じている。

 このような話しもまた一見荒唐無稽に見えるが、実際、岩石には生物の化石を含むものがあるし、石灰岩などには確かに生物起源のものがあるとされる。岩石の一部が生物由来であることは間違いないのである。とすれば、その他の岩石もまた生物由来であるという可能性もあるのではないかと思うのであるが、どうであろうか?
 それでは、クルース氏のこの本(英語版)から少し引用(抄訳である)していこう。

 

生きている地球
Walther Cloos

前書き

  ルドルフ・シュタイナーの人智学の観点によると、地球は生きている有機体であり、その生命は、太陽系の天体の命と星々の世界と霊的に織り込まれている。この生命の中で自然の王国-鉱物、植物、動物-として次第に発展してきたものは、すべての地球存在の最終的ゴールである存在-人間―により、後に残された諸段階にあるものである。

序言

 岩石は、貝類の動物の化石を含んでおり、そこには生命の痕跡が見える。その様な岩石は、石灰岩あるいは石灰質の頁岩に多い。原生動物は、石炭層の間に見ることができる。特に、ムシェルカルク(ドイツ中世代三畳紀石灰岩)、チョーク・・等で見られる。

 ジュラ高原、イギリス南部の海岸の崖やアメリカ大陸の中央高原について考えると、これらの巨大な石灰岩の層が、無数に増殖し、そして死滅した微細な生物により大部分が構成されていることを理解しなければならない。

 今日でも海底で、無数のこうした生き物が石灰質や外殻を排出しているが、過去のような量を見ることはない。生命の存在量が縮小していること、そしてそのプロセスの強度が緩やかになっており、この小さな生き物が過去より小さくなっていることは明らかである。

 このような観察は、石灰岩が形成された時代、生命のプロセスは、今より一層全体を覆っており、生命の多い海が広く占めており、地球全体がいっそう水で覆われた状態であったことを示している。この考えは、石灰岩の層に、初めは、魚やイモリ、クロコダイルに似た生物が見られ、さらに後には恐竜へとつながるような大きな生物の痕跡が見られることにより、補強される。

 この動物の形の変化から、この時代は、重要な移行期であったことがわかる。海の支配は、陸地の形成により終わる。少なくとも石灰岩の層において、主にそれに貢献したのは最も小さな生き物であった。

 チョーク層からより深く地中に進むと、石灰岩の層はまばらになり、そこに、青みがかったスレート(粘板岩)が特徴である岩石を見いだす。このスレートには、今日はその多くが絶滅した海生生物の痕跡が見られる。この動物の形から明らかになるのは、岩石ができたときに水が大きな役割を果たしていたものの、海は、非常に異なった種類のものであったに違いないと言うことである。石灰岩の層だけでなく、粘土質の泥も残しており、スレートは、主にアルミニウムケイ酸塩と、鉄と炭素の結合物からなるからである。スレートは、砂岩に変わり、時々、石灰岩や石灰質の頁岩に変わる。より深く進入し、地球のより早い時期に至ると、そこは、輝く雲母片岩と片麻岩が占めるようになる。片岩/スレートの時代の終わりには、全く特別なもの-石炭層-が現れる。それは、石灰岩の時代の動物の生命に対して、より植物的な生命を示している。

 更に雲母片岩と片麻岩時代よりも深く進むと、花崗岩とそれに関係する岩石に代表される原初の岩石にいたる。これらは、粒状で、水晶、雲母、普通角閃石,長石などが、多かれ少なかれ均一に混在している。花崗岩のような岩石は、粒状の構造を持ち、片岩とスレートとシェールは葉片状に分解し、石灰岩は厚みのある層により特徴付けられることを頭の中に置くことが重要である。

 シェールの深い方の層には、石灰岩、砂岩そして塩の堆積物の間に埋め込まれて、古代の生命の最も重要な遺物-石油-がある。しかしこれは、石油の一部をなすに過ぎない。石油は、第3紀にもまた現れる。それは石炭と同じで、石炭も、褐炭として第3紀にも見られるのである。

 岩石が結晶化(雲母片岩と片麻岩)し始める深さでは、化石の形での生命の最後の痕跡と印象は消えるが、ここでも、層の間には、大理石あるいはドロマイト(カルシウムとマグネシウムの二重炭酸化物)の巨大な層が見られ、莫大な植物と動物の生命活動を示唆しており、今日の藻(海藻)に似たものにより形成されたのかもしれない。

 

 重さを比較すると、地球の地殻は93.06パーセント、水は6.91パーセント、大気は0.039パーセントとなる。この地球の地殻の93.06パーセントのうち88.4パーセントは火成岩、3.7パーセントは片岩、スレートとシェール、0.7パーセントは砂岩、0.2パーセントは石灰質の岩石からなる。粒状の構造のものとして分類する岩石は、他のもの分量を遙かにまさっている。

 火成岩と堆積岩の関係は非常に異なっているように見える。地球表面は、4分の3が堆積岩で覆われており、4分の1が、露出した火成岩となっている。

 ここの地層の厚さを考えると、このすべてはどこから来たのかという問いが浮かぶ。それが探求の始まりある。

 

 現代科学の仮説は、岩石は白熱したガスから生まれたとする。ガスは,溶融した塊にまで冷え、原初のマグマを造る。冷却後、水が地殻表面に生成され、その、内部の灼熱したマグマとの相互作用で、多様な岩石ができあがった、というのである。

 この理論は、スレート/石灰岩時代の堆積岩を、単純に、最終的には冷えたマグマに由来する破片や残骸からなるとする。外殻を造るために原生生物が用いるカルシウムの巨大な塊は、原初のマグマの、海に溶けたカルシウムの内容物と説明される。

 この理論では、生物がどこから来たのかという問いが未回答のままである。現代の理論は、バクテリアが起源としている。あるいは、ビールスのような原初のタンパク質から、太陽なのどの外部からの影響により生物の発展が始まり、ついに人間が生まれたと。

 他にも様々な理論があるが、それらは、次のことを忘れている。地球には、生命だけでなく、魂を持った生命、自身を霊的な存在として認識している存在-人間-がいたのである。

 植物、動物そして人間において、鉱物は、生きており、感じ、思考する実質であり、岩石を支配している化学と物理学の法則に従属していない。しかしそれらが死ぬと、化学と物理学の法則が支配するようになり、体は分解されるのである。

 小さな生き物が、体のこうした分解プロセスを見ているとすれば、それは、今日、人が、地球の岩石に向き合っているのと同じような状況ではなかろうか? 今日、私たちは、岩石の世界で化学的、物理的プロセスのみを見ているのである。鉱物界の起源の問題は、私たちの骨を構成するカルシウムリン酸塩の量について理解されるとき、その生き物を夢中にするだろう。それは、死体に、鉄、マグネシウム、ナトリウム、炭素-それらすべては、岩石の中に広く見られる-があるのを見いだすのである。しかし、小さな生き物が、これらのすべての物質がある「秩序」の下に配列されており、これやあれの物質がそこで優勢であったり、少なかったりしているのを観察したとすると、それらは、この秩序の背後に,一つの「理念」、それを秩序立てる原理があるという結論に達するだろう。

 岩石の世界には,秩序がある。ゲーテは、自然自身がそれを整えた、と語っている。ルドルフ・シュタイナーは、岩石の世界の背後の「理念」について述べ、人は、地球の鉱物的堆積物が、以前生命であったものの遺物が変化したものであることを知ることができる、と表現している

 この以前の生命-それは今日のそれとは似ていなかった-は、自身を、現在の自然であるより高次の世界へと変容したが、その背後にその「死骸」も残したのである。

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 今回はここまでとする。
 鉱物は生命を持った存在が残した死骸である。その生命は、現在の生物とは異なった形姿をしていたであろうが、そこにはエーテルといわれる生命原理が働いていたのである。植物、動物、人間はすべてこのエーテルにより生命体となっているが、死とは、このエーテルが体から離れていくということである。するとその体は、本来の命なき物質、鉱物にもどるのである。