k-lazaro’s note

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物理学の基礎定数は変化する

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講演するルパート・シェルドレイク氏

 コロナに関する真実の情報が世界的に検閲されていると言われている。その様なことにも関連していると思うのだが、これまでの長年にわたる多くの実践により成果をあげてきた、現代西洋医学を補完するものとも言える、ホメオパシーなど様々な代替療法、自然療法への攻撃が強まっているらしい。非科学的であるというのである。

 しかしそもそも今の西洋医学は、結局、対処療法でしかなく、病気の根本治療ができていないことは多くの方が指摘している。更に言えば、治療に由来する病気の悪化や死亡の多いことは統計的にも示されており、現代の西洋医学が唯一正しいという議論の方が、実態を無視しているのである。

 代替療法、自然療法は、今の科学では把握できていない人間と自然の本性に向き合った療法なのである。

 人間と自然の本性とは、人智学的に言えば、世界には、目に見える物質の他に、心魂や霊的な実質があるということである。病気もそれらの相互作用の中で生じるものなのである。

 「不都合」な真実が隠されているということは、医学の分野だけでなく、科学一般でありうる話である。唯物主義的、機械的な世界観に基づく現代科学の常識に反することは、「非科学的」「疑似科学的」として排除されているのである。

 最近、「字幕大王」さんのサイトで、これに関する興味深い記事を見つけた。

 「字幕大王」さんのサイトは、一般に紹介されていない(検閲されるようなとも言える)海外の動画に字幕を付けてアップされているのだが、そこに『神々の指紋』の著者であるグラハム・ハンコック氏の、削除されたTEDxカンファレンスでの講演(2013年頃のと思われる)の動画というものがあった。当初はアップされていたが、その後削除されたというのである。それは、ハンコック氏が言うには、「『意識が物質とは別に存在する』という主張、つまり『現代の物質至上主義科学』に反する意見が気に入らなかったらしい」とのことである。

 神秘学や人智学の立場に立てば、「意識が物質とは別に存在する」というのは正しいのだが、そういう考えが邪魔であると考える力が働いているのだろう。科学にも様々な説があって良いはずであるが、なぜそうした「説」の存在すら認めないような行いをするのだろうか? ある意図を感じざるを得ない。

 同じ催しでの別の講演で、このハンコック氏の講演と同様にその後削除されたものがあるという。ルパート・シェルドレイク Rupert Sheldrake氏の動画で、これも「字幕大王」さんのサイトにアップされている。

 シェルドレイク氏は、ケンブリッジ大学で自然科学、ハーヴァード大学で哲学と科学史を学び、生化学の博士号を持つ方である。植物発生学や細胞老化の研究を行い、英国王立協会会員であり、また「あらゆるシステムの形態(行動や思考も含む)は、過去に存在した同じような形態の影響を受け、過去と同じような形態を受け継ぐ。また離れた場所に起こった一方の出来事が、他方の出来事に影響する」という「形態形成場仮説」を唱える科学会の異端児である。

 「検閲」されたシェルドレイク氏の講演は、ハンコック氏の講演と同様、このようなことも含め、現代科学で常識とされている事柄(神話)について疑問を呈する内容であったのである。

 今回は、この講演でも語られている、物理学の定数についてのシェルドレイク氏の主張を紹介したい。実は、シェルドレイク氏の著作『世界を変える7つの実験』が日本でも出版されており(工作舎刊)、その中でも記述されている内容である。字幕大王さんの記事と合わせて概要を次に述べたい。

 

「基礎定数」は変化する!?

 基礎物理定数とは、円周率のような数学の定数と異なり、実験室での測定により決定される。自然の法則はビッグバン当時(宇宙の誕生時)のものと同じで、そして永久に同じであるのと同じように、基礎定数も変化しないと考えられている。

 「自然の法則は確定している」というのは、古い世界観からの残存物である。ビッグバン理論が出現した1960年以前、人々は宇宙全体が永遠であると思っていた。それは恒久的な数学的法則に支配されたものであると。しかし、ビッグバン理論が出現しても、その仮定が続いたのである。ビッグバン理論は、この宇宙が根本的に進化的に140億年のあいだ成長発展を続けていることを示しているにも関わらず、ビッグバン時点で、自然の全法則は完全に固定しているというのである。

 「一つの何ものにもとらわれない奇跡」により、宇宙のすべてのモノとエネルギーとそれらを支配する法則が、全く何も無いところから一瞬にして現れたというのである。

 しかし、進化する宇宙において、それらの法則がまた進化しないと言えるのだろうか?

 基礎定数には、重力定数光速度などがある。物理学のハンドブックは既存の基本的な定数を並べている。この古い版を見たところ、アインシュタインによれば、光速度は、真空中では一定不変であるとされているのだが、光速度が1928年から1945年のあいだ低下していることがわかった。一秒あたり20kmである。それは、世界中で低下していた。それぞれ極めて似た値を得ていたのである。1945年に上昇し、1948年にさらに上昇したのである。

 このような光速度の変化は、「今日では、計測学者の心理状況が原因とされている」そうである。

 重力(万有引力)定数も変化していた。それはニュートンの重力方程式により登場したのだが、1798年に始めて正確に実験して以来、何度も測定されてきた。測定値に、初めはばらつきがあったが、やがて一定の値に収束していった。しかし、1970年以降でも、「最良」値は、6.6699から6.6745(×10(-11)㎥kg(-1)s(-2))まで変化し、0.07パーセントの差がついているのである。この不確実性があまりにも大きいので、この重力異常を説明するために、全く新しい力の存在が説明されたほどである。

 1986年以降、深い鉱山や北極の氷冠の穴、高い塔の上といった様々なところで重力定数が測定されると、その値のばらつきから、ますます第5の力の存在が裏付けられた。しかし、測定値の岩石の密度に数値が影響されるために、今日までその存在は認められていない。

 だが、測定数値には、場所により日時により変化が見られる。同じ研究所で、違う値になると、それらは平均される。世界中の研究所で同様で、普通はそれぞれ違う値になるので、国際計測学委員会は10年に一度くらい会合を持ち、世界中の研究所からの値を平均してGとしているのだ。

 シェルドレイク氏が、このようなことを疑問に思い、英国テディントンの国立物理研究所の計測学部長に問いただした時の会話は、次のようであったという。

「この光速度の低下は何によって起こったのでしょうか?」

「なんてことだ。君は科学の歴史の中で最も恥ずべきエピソードを見つけてしまったんだね」

光速度が本当に低下したなら、驚くべき推測ができますよね」

「いやいや、もちろん実際に低下するわけはないんだ。定数だからね」

「では、その期間に皆が最終的には遅い速度を得たという事実はどう説明できるのでしょう? これはもしかして、他の人が得ていると思われる値と同じ値を、でっち上げたということなんですか? すべては物理学者の心の中で作られたものなんですか?」

「我々はでっち上げなんて言葉を使いたくはないね」

「では、どんな言葉がお好みなんでしょう?」。

「Intellectual Phase Locking(様相の知的固定?)と呼ぶ方がいいね」。

「そういったことが過去に起こったなら、今日では起こっていないと何故言えるんでしょう?」

「現在の値もIntellectual Phase Lockingで作られたものではないんですか?」

「そうではないとわかってるんだ」

「どうしてそう言えるんです?」

「問題を解決したからだよ」

「どうやってです?」

「我々は1972年に、定義によって光速度を固定したからね」

「でも、まだ変化があるかもしれませんよ」

「でも知りようがないんだ。メートルを光速度で定義したからね。だから単位がそれにつれて変化するんだ」

 定数の変化を実験者の心理状況のせいにするのは、それはそれで問題であるが、光速度に関しては、今や、この疑問は実用的意味がないという。距離と時間という単位自体が光そのものによって定義されているからである。かつて秒は、平均太陽日により定義されていたが、今は、セシウム136から放出される光の振動数を元に定義されている。メートルは、定義上一定とされる光速度を元に定義されているのである。光速度がいくら変化しても、秒やメートルの方を変えれば良いので、速度の数値(km/s)自体は動じないからである。

 定数の変化という問題に取り組む学者はあまりいない。やらない理由というのは、それが定数だからである。しかし、これは科学のドグマである。ドグマ的仮定が疑問に思うことを抑止しているのである。

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 シェルドレイク氏は、法則自体が変化すると言う立場である。実は、これは神秘学の立場に近いものである。すべては至高の霊的存在より生まれ、より高次の存在となってまた至高の霊的存在に帰って行くのであるが、その過程が進化である。こうしてすべてのものが進化するのである。人や人間のみならず、霊的ヒエラルキー(天使群)もまた進化していくのだ。進化は、いくつかの段階を経ていく。その段階毎に、法則もまた変わっていくのである。

 また、それは、存在に揺らぎがあるということでもある。機械的唯物論では、法則の変化がないとすると、初めの状態が決定されれば、その後のすべての状況が決定されてしまう。つまり、そこに自由が入り込む余地がないのである。人間は自由をもっている。自由を持つ人間を生み出すようにこの世界は進化してきたのである。その人間が住む世界は、機械的唯物論の世界ではあり得ないのだ。現に、量子物理学では、観測するまで物質は確定されない。確率的に存在するのみである。

 ハンコック氏やシェルドレイク氏の動画が削除されたということは、このような世界観、人間観が許せない勢力がおそらく存在しているのだろう