k-lazaro’s note

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ソロヴィヨフの反キリストに関する予言 ①

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ウラジーミル・ソロヴィヨフ

 キリストに敵対する反(アンチ)キリストの出現に関する予言的物語を著した者がいる。19世紀ロシアの哲学者、文明批評家、詩人、ウラジーミル・セルゲイェヴィチ・ソロヴィヨフ(ロシア語: Владимир Сергеевич Соловьёв、1853年1月28日 - 1900年8月13日)である。

 彼は、モスクワに生まれ、伝統的なロシア正教会で育てられ、モスクワ大学の物理数学部で学び、1880年に『抽象的哲学原理批判』でドクターの学位を取る。一時サンクトペテルブルク大学で哲学を教えるが、1881年ナロードニキの死刑に反対する講演をしたために大学を追放され、文筆活動に入る。やがて、神秘的な傾向が強まり、その思想はベルジャーエフに影響を与え、その文学理論はヴャチェスラフ・イヴァーノフ、ブローク、ベールイなどのロシア象徴主義の詩人たちに信奉された。

 彼は、ロシア正教において神格化された聖母、聖ソフィアの出現を受け、霊的な指導を受けた。その最初の出合いは、まだ9歳の頃、彼が昇天祭のミサに与っていたときのことである。2度目の訪れは、ソロビヨフがロンドンに渡り、大博物館で研究をしていた1874年に起こった。3度目の訪れは、彼がエジプトの砂漠にいたときに起こった。そのときの啓示を元に、『戦争とキリスト教』というタイトルの予言的書物を、死ぬ直前(1900年)に書き上げた。この中に、反キリストの生涯とそれを取り巻く世界情勢が、克明に記されているのである。

 「また、その刻印、すなわち、あの獣の名またはその名の数字を持っている者以外、だれも、買うことも、売ることもできないようにした‥‥‥その数字は人間をさしている。その数字は666である」(ヨハネ黙示録13章17・18節)

 黙示録に出てくるこの「獣」と呼ばれる者が、一般に反キリストと考えられている。それは、キリストに反抗するが、最終的に打ち倒される。それは、ハルマゲドンや最後の審判とも結びつけられてきた。ソロヴィヨフの預言はこれに関わるものである。 

 ソロビヨフの予言は、パンソフィア神父という予言者が書き残した神の予言書を、第三者(Z氏)が朗読するという、特異な形式をとっている。
 これを現時点で読めば、荒唐無稽にも思えるが、細部はともかくとして、その本質的な部分で、反キリストの現れる状況に示唆を与えるものとなるかもしれない。

 この物語は『ソロヴィヨフ著作集5』(御子柴道夫訳、刀水書房刊)に収録されている。この本と林陽(翻訳家)氏の文章を参考に、以下に物語物語を紹介したい。ちなみに、林氏は、この反キリストの出現を、シュタイナーの予言するアーリマンの受肉と結びつけている。

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反キリストに関する短編物語

 物語の冒頭に「20世妃は、最後の大戦争、内乱、並びに革命の世紀であった。」と言う文章がある。そして、日本が、西側の汎ゲルマン主義、汎スラブ主義にヒントを得て、汎モンゴル主義を掲げ、韓国、中国、ロシアと、次々に東洋支配を実現してゆく様子が描かれる。汎モンゴル主義とは、「大東亜共栄圏」のことであろうか。既にこの部分の予言は的中しているようであるが、この後は、史実と異なってくる。

 20世紀初頭に、ヨーロッパはイスラム教徒との最後の決戦に忙殺されており、そのすきに、日本が朝鮮を占領し、次に北京をもその手に収め、中国の保守勢力の協力を得て、満州王朝を打倒し、日本の代理政府(日本の朝廷出身者が皇帝となる)を建てるに至る。

 やがて、日中が一丸となって、アジア大連合を作り、ロシアを越えてヨーロッパまで侵略するようになる。東洋の軍勢は、ドイツ、フランスにまで至り、ヨーロッパは長いことモンゴル(日本・中国)の支配下に陥り、大変な苦しみをなめる。文化・社会・経済面で深刻な問題が生じてくる中、秘密結社の国際的活動が激化し、欧州を独立させ、モンゴルを追放する策略が、欧州全域に張り巡らされる。

 最柊的に、ヨーロッパは一致団結して、半世紀に及ぶ東からの黄禍を駆逐することに成功し、統一こそがヨーロッパ存続の道であることを、共通して認識するに至り、ついに、ヨーロッパ連邦が誕生することになる。それは、21世紀のことであった。

※ 日本の中国支配とそこでの王朝建設及びヨーロッパ侵略と支配は、勿論実現していないが、軍事的にではなく、経済的な進出と言えるものは確かにあったし、ヨーロッパにおけるEUはヨーロッパ連邦と言えるものであろう。ちなみに、シュタイナーは、日本から唯物主義のインパルスが世界に広がるというような言葉も残している。

 この頃になると、「理論的な唯物論が決定的に崩壊した」という。原子組織としての宇宙概念とか、物体の微少変化集積としての生命概念には、思想家は誰も満足できなくなったのである。

※ 物理学の世界では、素粒子論の発展により、既に従来の物質観、世界観は揺らいできている。アーヴィン・ラズロ博士らの提唱する「ゼロ・ポイント・フィールド」論などは、唯物論を克服する萌芽を含んでいる。いかし、一般の人々においては、唯物主義はむしろ揺るぎないものになってきていると言うほかない。

 他面、「素朴で本能的な信仰」という幼児的な能力をも通過した。無から世界を創造した神などという概念は教えられなくなった。思想家の大半は無信仰者となったのである。

 そこに、傑出した若者が現われる。彼は、偉大な思想家、作家、社会活動家として名が知られるようになっていく。彼は、メーソンの有力メンバーの一人でもあり、自信の中に偉大な霊の力を自覚していた。

 しかし、彼は自分しか愛さなかった。神を信じたが、心の奥底では、神よりも自分を上位に置いていた。善を信じたが、ひとたび誘惑に置かれれば、この男が悪にかしづくことを神は知っていた。天からの異例な豊かな贈物を与えられていた彼は、自分が神の一人子であり、初めから神の次に位しているのではないか、と考えるようになる。

 さらに「キリストは、自分の前に来た。私は次に現われた。だが、時間的に後に来た者の方が、本当は最初なのだ。私は、最後の絶対的救世主であるが故に、歴史の終わりに至って現われたのである。私の出現に備えることが、彼の使命だったのだ。倫理的に善いことを説いたキリストは、人間性の改革者だったが、わたしは、万人に必要なもの、すべてを与えよう。キリストは、万人を善と悪とに分けたが、私は善にも悪にも必要な祝福によって、彼らを一つにしよう」と考えた。

 そして、聖書にある再臨のキリストとは彼自身であると考えるようになった。

 彼は、30歳でこのような自覚を持ちはじめ、いつか天からの直接啓示が下るときを、ひたすら待った。しかし、天啓が下らぬまま、3年が空しく過ぎ、深夜に、絶望のあまり投身自殺をはかった。その時に、奇蹟が起きる。体が中空で撥ね返され、絶壁に戻された彼の前に、おぼろな燐光に照らされた人影が現われたのである。それは目から鋭い光を発し、金属的な暗い声を響かせた。

 「愛し子よ、おまえはなぜ、私を求めたのか。私は神にして、おまえの父である。別の者、十字架につけられたあの物乞いは、私ともおまえとも何の関わりもない。わが子はおまえ一人である。おまえは、麗しく、偉大で、力ある存在だ。わが名によってではなく、おまえの名によって行動せよ。わが霊を受けよ。かつて、おまえを美の中に生み出したように、わが霊が、今、おまえを力の中に生み出さんことを」

 光る目が若者の口元に近づいたときに、体内に氷のような冷たい氷の流れが注入されるのを感じ、彼は最高の秘儀伝授を得たと確信した。

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 反キリストは、最初自分の正体について自覚がなかったが、30歳において、ある霊との出会いによりそれに目覚めるのである。30歳とは、キリストがヨルダン川で洗礼を受け、キリスト霊を受け入れた年齢である。反キリストは、キリストをまねするのである。

 物語の続きは、次回とする。