k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

ブラザーフッドとダブル(ドッペルゲンガー) ①

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 これまで新型コロナやグレート・レセットの霊的背景に関する、何人かの人智学派の分析を紹介してきた。今回は、それと関わるルドルフ・シュタイナー自身の考えを見ていきたい。

 それは、第一次世界大戦のさなか、1917年11月に行われた講演にみることができる。既に触れたように、シュタイナーは、この戦争の背後に利己的な神秘的団体(ブラザーフッド)の動きを見ていた。戦争の勃発以前にそれを察知していたシュタイナーは、戦争を回避するために活動もしていた。このような状況の中で3日にわたって行われた講演である。

 その要点を3回に分けて紹介していきたい。元の文章はシュタイナー・アーカイブの英語版による。訳者の注は途中に※印で付した。

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個々の霊的存在と世界の分割できない基礎 その1

 精神分析の「無意識」の概念には本質的な根拠がない。この概念を超えることができない限り、精神分析は今日特に困難な現象に対して不十分な認識方法で取り組んでいると言うほかない。しかし、分析心理学は、教育学、治療学、そしてやがて社会的、政治的手段を通じて人生に介入しようとするのだから、この問題に関連する危険は大きな懸念をもって見なければならない。

 

※ 現在のコロナ禍においても、人の不安等を利用する社会的な心理操作が指摘されているが、そもそも現代においては、マスコミ、ネットなどにはすべて何らかの意図をもった手が及んでおり、それが人心の操作を目的としていることは明らかであろう。シュタイナーは、既にこのような危険を予見していたのである。

 

 彼らは、意識を超えた魂を探求しているが、精神そのものの認識まで高めることはできない精神を無意識のものとしているので、意識の境域を越えれば無意識の精神、意識のない精神があるという幻想、幻想に彼ら自身が陥っているのである。

 意識の境域をまたぐと、潜在意識に入ろうが超意識に入ろうが、人は必ず霊的な領域に入る。しかし、この領域は、精神が何らかの形で意識を持ち、何らかの形で意識を発展させている領域である。精神があるところには意識もあるのだ

 

 敷居の向こう側にある精神(霊)的世界の知識と、真に自己意識を持つ人格の知識は、単に今日の精神科学の成果ではなく、古代の知識である。昔は、先天的透視によってのみ知ることができた。今日、人は他の方法によって、徐々にそれをまた知るようになる。人間の意識の外にある実際の霊、つまり人間とは異なる条件のもとに生きながら人間と連続的な関係にある霊、人間の思考、感情、意志に取り入ることができる霊、こうした知識は常に存在し、常に特定の兄弟団の秘密の宝とされ、兄弟団はこの知識を自分たちのサークルの中で厳密に秘教的なものとして扱った。そこには、人類の大多数はこの知識に対して十分に成熟していないという確信が浸透していた。しかし、「左手の兄弟団」と呼ばれる兄弟団が秘密にしたのは、このような知識を占有すれば、このような知識を持たない他の人々に対して力を持つことができるからである。

 

※ 霊的な知識は、それにふさわしい修練を積んでいない者やむしろ一般社会には害となる場合があるため、古代の密儀宗教のようにその教えは秘匿されてきた。一方、その知識により利己的な利益を追求するために、外部への漏出を禁じた秘教団体も存在した。シュタイナー自身は、その様に秘匿することはかつての時代にはふさわしかったが、現代においてはむしろ積極的に教え伝えるべきであると考え、数々の講演を行なったのである。しかし、それを快く思わなかった秘教団体が存在した。シュタイナーの死の要因にそれを指摘する声もある。「左手の」というのは悪に出した者を指す言葉である。

 

 1879年以来、極めて強力な闇の霊が霊界から人間界に移ってきている。この事実に関する謎を秘匿しようとする人々もいるキリストとの関係は20世紀の間に実現され、すでに前半には、エーテル界にキリストが実際に存在するという現実を多くの人々が体験するのである

 19世紀の半ば以降、唯物論が最高潮に達した。しかし、両極は収斂しなければならない。人類の進化におけるこの唯物論の絶頂こそ、エーテルにおけるキリストを見ることにつながる人類の進化の進展と収斂しなければならないキリストを見るという神秘、キリストと人類との新しい関係を公表するだけで、一部の人間から悪意と抵抗が起きるだろう。彼らは、それを自分たちの目的のために利用し、それを一般の人間の知識にすることを許さないだろう

 兄弟団は常にあれやこれやと公表させることによって世論に影響を与える。ある種の秘教的な兄弟団は、唯物論の時代は、ある意味ではすでに過去のものとなったというメッセージを広めている。集会や本や学会で、唯物論はそれ自身を使い果たし、人は精神の何かを再び把握できるという教義を広めているが、精神という言葉と単一のフレーズ以上のものは提供しないのである

 しかし、唯物論的思考はまだ成長過程にある人々が、自分はもう唯物論者ではないと思い込むとき、唯物論は最も繁栄する。唯物論的な考え方は増加の過程にあり、4、5世紀ほどは増加し続けるだろう。アトランティス後の第5の時代(15~36世紀)は、人類の一般的進化から唯物論を駆逐するためにあることを知り、霊的生活に徹底して取り組むとき、人類は真の癒しに至るだろう

 アトランティス後の第4の文化期では、生と死との闘いが課題であったように、第5期の人々が会得しなければならないのは、人類の進化の中に現れる悪に対する完全な意識的な闘いである悪との闘いが本格的に始まるということだ

 現在、人間が死の門をくぐるとき、彼は生前に自分で作り上げた意識の状態を一緒にもって行く。物質的な観念、概念、物質的な感覚世界の感覚的な印象だけで自分を占めてきた人は、死後、肉体的な生活の中で定義された概念だけが通用する環境の中で生きることになる。霊的観念を吸収した人間は正当に霊界に入るが、それを拒絶した人間は、霊界に運ばれるだけの霊的観念を吸収することをそこで学ぶまで-これは長く続く-地上的条件の中に留まることを余儀なくされるのだ。

 生前、霊的概念の吸収を拒んだり、妨げられたりした魂の多くは、まだ地上をさまよっており、死んだとはいえ地上圏に縛られたままとなる。しかし、人間の魂は、肉体によって環境から切り離されていないと、人間の魂は破壊的な行動をとるようになってしまう。地上圏の混乱の元凶となるのだ

 

※ 霊的観念を育てず唯物的観念のみを備えた魂は、上位の霊界に入っていくことができない(したがって地上に再受肉できない)、あるいはそれには長い時間が必要となる。こうした魂は言わば地上世界に縛られているのだが、それらは地球の環境に対しては、自然災害などとなって作用するらしい。近年の「荒れた自然」の真因は、人々の唯物主義的傾向に求められるのかもしれない(決して二酸化炭素ではない。二酸化炭素を悪と宣伝する霊的背景を指摘する人智学派もおり、いずれ紹介したい)。

 

 地上で霊的世界とのある種の関係を完全に浸透させた魂は残された者たちに糸を紡ぐことができる。絶えず紡がれ続けている、死者の魂とそれにつながる私たちとの間の霊的な糸は、死後も残っていて、地上よりもさらに親密になっているのだ。

 「唯物論者」であり、兄弟団を通じて唯物論的な教えを広めるイニシエート(秘儀参入者)も存在するこれらのイニシエートは、霊は存在しないとか、人間には肉体から独立した魂はないとかいう意見を持っているのではない。単なる物質を信じることは愚かであると知っている。多くの人間が唯物論だけを信じ、その影響下に完全におかれるようにしてい、唯物論を育成し、普及させることに関心を持つイニシエーターを頂点とする兄弟団が存在するのだ。彼らにとって唯物論はすでに克服されたという話は望むところである。相反する意味を持つ言葉を使うことによって、ある目的を推進することが可能だからだ

 このイニシエーターたちは、生前に、物質的な概念だけを吸収する魂が多く存在することを望んでいるこれによってこれらの魂は地上の領域に留まるようになり、これらの魂が死後に彼らの兄弟団の勢力圏に来るように手配すれば、この兄弟団は途方もない強さに成長するのだ。彼らは、自分たちの目的のためにそのような魂を利用するために、死後も物質とともに魂が残るように誘導するのである。これらの死者の魂は、様々なことをもたらすことができるのだ

 

※ 死者の魂を利用するなら、意図的に死者を生み出すという考えに至るおそれはないだろうか。それは、もしその魂が多いほど良いなら、大量殺戮へとつながるだろう。

 

 ある種の兄弟団は、人間はますます深く唯物論に入るべきであり、霊的な力は確かに存在するが、その霊的な力は自然のある種の力にほかならない、と信じるべきだと言っているのだ。

                図5

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 そのような同胞団の領域がここ(小さな円)であると仮定してみよう。この兄弟団は唯物論の教えを広めており、人々が純粋に唯物論的な思考をするように配慮している。こうして同胞団は、死後も地上の領域に残る魂の子孫を生み出す。これらはロッジの霊的な顧客となる。つまり、地球圏を離れず、地上に残る死者が生み出され、その人たちをロッジに引き留めるのだ。その死者は、地上の力にまだ関係している死者である。

 19世紀後半の降霊会における、それらのロッジのマスターの真の意図は、人間が死者を相手にしていることを知らずに、むしろ自然の高次の力を相手にしていると信じることである。人々は、これらが自然の高次の力であり、心霊主義などは自然の高次の力に過ぎないと信じ込まされるのだ。魂の真の概念は彼らから奪われ、電気があるように、磁気があるように、そのような高次の力もあるのだと。これらの力が魂に由来するものであることは、ロッジの指導者である者たちによって隠蔽されている。これにより、これらの他の人々、これらの無害な魂は、何が彼らを服従させているのか、何が実際に彼らを指示しているのかの源を理解することなく、次第に完全に、彼らの魂の中で、ロッジに依存するようになる

 19世紀後半になると西洋の多くの兄弟団が実験的にスピリチュアリズムを導入し、このテストを通じて自分たちが意図したとおりの人類との付き合いができたと確信した。それは、自分たちがどこまで人類と関わっているかを確認するためのテストだったのだ。彼らはこれらの降霊会において、人々が自然のより高い力が存在すると言うことを期待した。しかし、左腕の兄弟たちは、人々がそのように言わず、むしろ降霊会では死者の霊が現れると言ったことに失望した。なぜなら、イニシエーターたちが人間から奪おうとしたのは、まさにこの死者に対する信仰だったからだ。その力が死者から派生しているというこの思考、この正しい、重要な思考、これを人間から奪おうとしたのだ。それは、霊を否定し、霊を物質に押し込めようとする唯物論なのだ心霊主義が出現するような形で、すべての自然が霊にされたとき、唯物論者になるのは非常に簡単なことだ。

 次の5世紀でますます激しくなるものの始まりがここにある。これらの邪悪な兄弟団は今は自らを制限しているが、阻止しなければその活動を続けるに違いなく、阻止できるのは精神科学的世界観に対する怠惰を克服した場合のみである。

 これらの兄弟団は、これらの降霊会を通じて自らをさらけ出したのだ。企てが実際には全く成功していないことを示すものであった。そのため、1890年代の一時期、同じ兄弟団の中に霊能者の信用を落とそうとする衝動が芽生えたのである。

 

※ 降霊会の背景となった心霊主義は、19世紀に世界的なブームとなった。確かに当時の降霊会の中には詐欺的なものも指摘されているが、心霊主義自体は、当時の思想界に大きな影響を与えており、ユングの心理学や神智学もその潮流の中で捉える考えもある。神智学協会の創立者の一人であるヘレナ・P・ブラヴァツキーも霊媒体質で、一時期降霊会に参加していた。シュタイナーも、死後の世界にいる知人との交流ができたと言われる(降霊会には批判的であったが)。

 

 魂に地上の領域に作用させようとするこの衝動は、ゴルゴダの秘儀の衝動によって打ち消される。このゴルゴダの秘儀の衝動は、魂の物質化に対する世界の癒しでもあるどんなイニシエートでも、キリストが行うことに影響を与えることはできない。キリストの再臨(エーテル界での出現)は必ずやってくる。そのキリストとどのような関係を築くかは、人間次第である。

 西洋にはキリストの衝動と戦おうとする兄弟団がある。この兄弟団は、人間の魂を唯物論的な領域に閉じ込めたいと願っており、キリストが20世紀に気付かれずに通り過ぎていくように、エーテル界におけるキリストの到来を人間が認識しないように努めている。彼らは、キリストを通して到来する力が影響する領域を、別の存在のために征服しようとしている。彼らは、まだ肉体を持ったことがなく、エーテル的な存在としてのみ現れた、強いアーリマン的な性質を持つ別の存在を、キリストの代わりに配置しようと考えているのである。

 死者などに関するこれらの措置はすべて、最終的にはゴルゴダの秘儀を経たキリストから人間を遠ざけ、地球の支配権を別の存在に確保することを目的としているのだ。それは、アトランティス以後の第5期と第6期、第7期の人類の進化の過程において、キリストという存在の代わりに別の存在を置くことに関わる闘いである。

 兄弟団が支配者にしようとしているこの別の存在を、彼らは "キリスト "と呼ぶことになるだろう重要なことは、今度は、肉体に受肉していない真のキリストと、地上の進化の過程でまだ一度も地上に受肉したことがない別の存在を区別することである。

 

※ シュタイナーによれば、キリストが肉体に受肉するのは一度きりの出来事であり(ヨルダン川で起きた)、「キリストの再臨」は、物質世界に隣接するエーテル界において起きる。兄弟団が、真のキリストに代えようとしている存在は、未だ物質界に受肉したことはない。もし、今後生身の人間をキリストと呼ぶなら、それは偽りのキリストである。

 

 悪の兄弟団が追求していることは、表面的な議論や計画ばかりしている人々にとっては、当然無意識になる。この無意識は、日常意識の閾値の向こう側にあるからである。知る者は、その領域でこそ自分の計画を展開することができるのだ

 

 別の側に東洋の兄弟団、特にインドの兄弟団があり、彼らは、さらに別の目的を追求している。彼らは、死者を自分たちの領域、ロッジの領域へと誘い込むようなタイプの秘教を開発したことがない。彼らはまた、人類の進化をつかさどる衝動を持つゴルゴダの神秘を望んでもいない彼らは、20世紀の間にエーテル的存在として人類の進化に参入するキリストと戦いたいのである。彼らは、キリストへの関心が高まることを望んでいないのだ。彼らは死者をロッジで利用するのではなく、かつて単に生きていた人間以外のものを利用する。

 エーテル体は死後すぐに人間から分離し、通常の状態では宇宙と同化していく。しかし、ゴルゴダの秘儀以前、そしてゴルゴダ以後も、特に東洋の地域では、死後の人間がそのようなエーテル体を放棄すると、ある種の存在がこのエーテル体に宿ることができた。人間が放棄したこのエーテル体を使ってエーテル的存在となるのだだから、東洋では、さまざまな悪霊が、人間の捨てたエーテル体に宿るようになった人間が捨てたエーテル体に宿った悪霊は、東洋のロッジに取り込まれるのだ

 私がある部族、親戚の一族を持っているとすると、私は前もって、祖先のエーテル体が悪魔的存在に占拠されるようにしておく。一族に、この先祖を崇めさせるのだ。先祖が捨てたにエーテル体を者が、ロッジの策略によって悪魔に占拠されたのである。実際に崇拝されているのは、それぞれの先祖のエーテル体の中にいる悪魔のような存在に過ぎない

 

※ シュタイナーが語っている先祖崇拝が具体的にどのようなものなのかは、判然としない。ただ霊界で過ごす死者との交流の重要性を、シュタイナーはむしろ認めており、各家族が行なう先祖供養はこれには該当しないだろう。

 

 東洋では、このような方法で、世界観念をゴルゴダの神秘からそらすことができるのである。彼らは偽のキリストをたてるのではなく、キリストの出現が気づかれないようにすることを望んでいるのだ。このように、エーテル界に現れたキリストの衝動に対して、今日二つのサイドからの闘争が繰り広げられている

 精神生活にとって、あらゆる幻想から守られた例外的に良い庇護の場は、最初のキリスト教の世紀にはアイルランド島であった初期キリスト教の時代にキリスト教を広めた人々の多くがここから発信されたのもこのためである特に4世紀から5世紀にかけて、アイルランドのイニシエーターは中央ヨーロッパで活躍していた。その活動は将来起こるべきことを準備することであった。彼らはある程度、15世紀(ご存じのように1413年)にアトランティス後5番目の時代が始まることを明らかにした秘儀の知識の影響下にあった。この新しい時代のために、当時、素朴な人間性を持っていたヨーロッパの人々を保護するため、いわば周囲にフェンスを築き、ある種の有害な影響が入り込まないようにしたのだ。

 

※ アトランティス後5番目の時代とは、1413年から3573年までの期間とされる。人類が最も深く物質の中に降った時代であるが、霊性を備えた「意識魂」が発展していく時代でもある。

 

 それは、北の大地からアメリカへの旅が行われていたものを抑制することであった。かつてはノルウェーからアメリカに渡る船があったが、アメリカとのつながりは次第に失われ、15世紀には、アメリカに関する知識はヨーロッパの人々から完全に忘れ去られた。ヨーロッパ人はアメリカの影響から保護されなければならなかったからだ。ローマ教会から指示されたのだが、このプロセスに特に関与していたのは、アイルランドのイニシエートとしてヨーロッパ大陸キリスト教を広めたアイルランドの修道士たちであった。

 古代には、ヨーロッパにアメリカからかなり決定的な影響がもたらされたが、ポスト・アトランティス第5紀が始まった時代には、アメリカについてまったく何も知らず、アメリカが存在しないと信じて生活するよう、事態が整えられていた。その後、再びアメリカが発見されたのである。1492年に初めてアメリカが発見されたというのは、寓話なのだ。

 

※ 北欧のバイキングが、コロンブス以前に北アメリカに到達していたことは現在明らかになっている。その植民地化は10世紀には始まっていたとされる。ウィキペディアには、「ヴィンランド発見は長らくサガ(伝説)にすぎず、ヴィンランドがどこであるかすら謎とされていた。 しかし、1960年にカナダ東部のニューファンドランド島でサガの記述と合致するヴァイキングの遺跡ランス・オ・メドーが発見され、彼らがこの地に到達していた事実が確定した」とあり、ヴァイキングによるアメリカ進出が歴史的に検証されるようになったのは、シュタイナーのこの発言のずっと後のようである。

 

 私たちの潜在意識は、別の存在に握られている。生まれる少し前に別の存在が人間の潜在意識部分を手に入れるのである。この存在は、生まれてから死ぬまでの間、ずっと人間に付き添っている潜在意識的な存在である。この存在は、人間の通常の意識に入らない部分に浸透している存在であるとも言える。それは非常に知的な存在で、自然の力に似た意志を持っている。その意志においては、人間よりも自然の力にはるかに近い。しかし、この存在は、現在の状況下で人間と一緒に死を経験すると、非常に苦しむことになるという特殊性をもっており、この存在は人間と共に死を経験することはできない。したがって、この存在は死の直前に姿を消し、常に自分を守らなければならない

しかし、この存在には常に、死を克服できるように人間の生活をアレンジしようという衝動がある。だが、このように人間を支配している存在が、死にも打ち勝つことができるとしたら、人間の進化にとって恐ろしいことだ

 潜在意識の中で完全な支配をしているこの存在は、生物としての地球に極めて依存しているこの地球は完全に生きている存在である。地質学者、鉱物学者、古生物学者は、地球の骨格である鉱物性だけを記述しているので、人間はその骨格しか見ていないのである地球は、その中心から地表のあらゆる地点、あらゆる領土に特殊な力を送り込んでいるこの外に向かう力の流れは、人がどこに住んでいるかによって異なる影響を与える (図参照)。

                図6

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 人間の魂は、これらの力に直接影響は受けない。この不滅の魂は、ほとんど地球の状態から独立しており、今日示されたような特別な技術によってのみ、これらの力に依存するようにすることができるからであるしかし、生まれる前に人間を所有し、死ぬ前に再び人間を離れなければならないこの存在によって、これらの諸力が、人間の人種的なタイプや地理的な差異に特に強く働くのだ。このように、地理的な差異やその他の差異が特に影響を及ぼすのは、人間が自分の中に抱えているこの「ダブル(ドッペルゲンガー)」によってなのである。

 

※ ここでいう「ダブル」とは、ドイツ語のドッペルゲンガーという言葉でよく知られているものである。「分身」、「二重身」等と訳されているようである。自分とそっくりな存在としてそれを見る人がおり(ゲーテも友人のどれを見たと伝わっている)、伝承や小説(ポー、ドストエフスキーなど)にもでてくるが、現代でも実際にその様な体験をする人がいるらしく、病気の症状として捉えられ、精神医学のテーマともなっているようである。シュタイナーによれば、死後、唯物的傾向のために霊界に長くとどまれず、前世のアストラル体が解消されないので(それは前世のネガティブなアストラル体である)、それが新たに生まれ変わる時に、新たなアストラル体と結合することとなる(そしてエーテル体の大部分を占める)。それに、アーリマン的霊が、人の誕生前に入り込み、体の電気的力と結びついて、人間の形態を与え、人の無意識に居座ることとなる。これがダブルである。これについては、次の講演でまた詳しく述べられる。
 ダブルは、人の死を共に経験することはできない。死の直前に人から離れていかざるをえないのだ。人の不死願望とは、案外、実はこのダブルの望みなのかもしれない。
 ちなみに、ユング心理学にダブルに似た「シャドウ(影)」という概念がある。それは、人が自分では認めたくない、人格の否定的側面である。深層意識の中に存在しているとされるのだが、それはあるいは実体を持った霊的存在=ダブルの一端なのかもしれない。

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 以上が第1回講演の内容である。

 「コロナ・ワクチンー霊的観点」の項目で紹介したトマス・メイヤー氏は、死亡したワクチン接種者が霊界に赴くことができず地球圏に縛り付けられていると語っている。もしその様な事態が意図的に作られているとするなら、それを利用しようとしているブラザーフッドがあるとするなら、彼らは、それによりどれほど強力な力を得ることになるのだろうか。恐怖を感じざるを得ない。