k-lazaro’s note

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月は誰が創ったか?

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 天体は、霊的ヒエラルキー(天使群)達の住むところとされる(実は悪魔もすんでいるようであるが)。月をすみかとするのは、旧約聖書に出てくるヤハウェ(またはエホバ、あるいはエロヒム)とされる。イスラム教の神アラーはヤハウェのことであるが、イスラム教が三日月をシンボルとしているのは、このような背景があるのかもしれない。月に住まうヤハウェは、エクスシアイ(能天使あるいは形態の霊)といわれる天使の内の1柱である。残りの6注は太陽に住まうという。

 これが、人にとって最も身近な天体である月の霊的背景である。この月を科学的に見るとどうなるだろうか。そこに現れるのは、月の不思議あるいは奇跡的な姿である。

 

月の不思議

   これについては、『月は誰が創ったか?』(クリストファー・ナイト、アラン・バトラー著, 学研刊)を参考に述べていくこととする。この本は、題名の通り、月の「創造者」を探求した本で、月にまつわる様々な「不思議」を列挙している。

 例えば、皆既日食である。これは、太陽と地球の間に月が入って太陽を隠す現象であるが、その時、太陽と月の見かけの大きさは一致している。我々は、日食とはそういうものであると自然と納得しているが、なぜ同じ大きさになるのか? それは、月の実際の大きさ(直径)が太陽の400分の一で、地球からの距離が、月は太陽の400分の1(実際の平均距離は1/389らしいが)だからである。このいずれかが異なっていれば、現在のような日食は生じないのである。

 また、太陽と月にはその運行においても協調性がある。地上から観測すると、夏至の日に太陽が沈む地点に、冬至の日の満月が沈み、冬至の日に太陽が沈む地点に、夏至の日の満月が沈む。また春分秋分の日には、同じ地点に太陽と月(満月)が沈むのである。

 そもそも日食が起きると言うことは、太陽と月の軌道が重なると言うことである(そこにも偶然ではない、ある必然性が感じられる)。月が、太陽の運行の道である黄道面と交わる点は「交点(ノード)」と呼ばれる。この交点は、背景の星空に足してゆっくりと移動しており、毎年19.618日ずつ早くなっている。この周期は、18.618年毎に完結するが、これを日数に換算すると、何ときりのいい6,800日となる。これらは偶然だろうか?

 更に月と太陽に関わる不思議は続く。「フーコーの振り子」とは、地球の自転現象を示す実験で、長い弦をもつ周期の長い振り子を長時間振動させると、次第に振動面が変化するというものである(実は、観察者を含む周りの方が動いている)。これは重力の作用により生じており、理論的には、そのパターンが変化するはずはない。しかし、1954年6月30日、日食が起きたときに、振り子の揺れる平明が逆方向に回転を始めたのである。そして日食が終わると、それはまた元に戻ったのである。

また1995年の日食の時には、インドにおいて、超好感度重力系により計測したところ、わずかであるが、重力の低低下が観察されている。それらは、地球と月と太陽の直列が何らかの作用を及ぼしていることを示唆している。

   月の起源は全くの謎である。仮説はいくつかあるが、先ず、月は次第に地球から離れていっているので、かつて地球と一体だったが、それが分裂したという説がある。しかし、その分裂を生じさせる力学が解明されていない。別な説は、地球の誕生期にその周囲に、土星の輪のような物質の粒子があり、それが寄り集まったという説であるが、地球と月の角運動量からそれは否定されるという。あるいは、月は、遠く離れた場所で生まれ、地球に接近してその引力に捕まったという説もある。しかし、地球と月の岩石中の酸素同位体は、太陽から等距離で生じたことを証明しているという。アポロが持ち帰った岩石が地球の岩石と同じ成分であったことからも、地球と月は同じように生まれたはずである。

 現在最有力なのは、初期の地球は火星ほどの大きさもある巨大な天体と衝突した、 これにより宇宙に弾き飛ばされた巨大なデブリの1つが、最終的に地球を周回する軌道に乗ることになったという説である。だが、これには、衝突があったとすると、地球の自転は現状より遙かに早くなっていたと考えられると言う問題がある。

 月の石であるが、それを調査したところ、地球のどの石よりも古いという。地球の最古の石が35億年前に対して45億年前であり、それは、太陽系の推定年齢(46億年)に近いのだ。

 月は衛星としては不自然に大きすぎる。親惑星との比較でこれほど大きい衛星は、太陽系に存在しないのだ(冥王星カロンは大きいが、ペア惑星かもしれない)。しかし、その質量は小さい。地球の大きさは、直系で、月の3.66倍に過ぎないが、地球の質量は月の81倍もあるのだ。

 アポロ13号は、月からの帰還時に、打ち上げロケットの一部を月に衝突させたが、その衝撃波を検証したところ、月のコアは並外れて軽いいか空洞であるという可能性が生まれたという。

 メイン大学物理学教授のニール・カミングズ氏は、もし月がなかったとするとどうなるかということについて次のように述べている。先ず潮汐である。月がなければ今のような潮汐は存在しないし、月が現在より地球に近ければ、潮の満ち引きは、今よりも頻繁で、地表に大きな破壊をもたらしていたはずである。地球の自転を遅くするメカニズムにも潮汐は関係しており、月がなければ、地球の1日は8時間になっていただろう、と。

 地球の四季があるのは、地軸が傾いているからである。直立していれば、気象条件は極寒と極熱の地域に分かれていただろう。その場合、海流や大気の循環も頻繁となり生物にとっては、最悪の条件となる。そして、地球型惑星(地球、火星、金星)では、地軸の傾斜角が極めて不安定で、火星の場合、それは0度から60度まで変化しているという。あるシミュレーションによれば、地球は、もし大きな月の安定作用がないと、0度から85度まで変化したはずだという。

 このようなことから言えるのは、月が存在していなければ、果たして生物は誕生しただろうかということである。少なくとも、現在のような多様な生物界は生まれず、また高度な生物である人間は誕生していなかったのではないだろうか、という。

 

地球と月と太陽には不思議な関係がある。

  月×地球÷100=太陽 の数式が成り立つ。

  月の円周を地球の円周倍すると、4億3666万9140キロになるが、これを100で割ると、43万6669キロになる。これは太陽の円周の99.9パーセントに相当する。

 月は、対恒星回転周期が655.72時間なので、27.322地球日ごとに1自転する。月の赤道円周が10、920.8キロとすると、月の表面は、1地球日ごとに400キロ移動(自転)していることになる。地球は1日に4万キロ(赤道の距離)の割合で自転し、月はほぼ100倍近い速度で自転している。ここにも、400と言う数字がでてくるのである(月は太陽の400分の1の大きさ)。

 地球の平均公転速度は、毎秒29,780メートルで、真空中の光の速度のほぼ1万分の1である。

 地球の平均直径は12,742キロで、太陽の直径は推定1,392,000キロなので、太陽の直径に地球を109.245個並べることができる。これに対して、地球が最大に太陽から遠ざかる遠日点までの距離に太陽が何個入るかというと、109.267個となる。そして月の赤道円周は、10、920.8キロなのである。

 著者らは、このような、地球と月、太陽に存在する比例関係は偶然ではあり得ないとする。

 

 このような距離と数字にまつわる不思議は、遙か古代から知られていたらしい。スコットランドの先史時代の巨石遺跡群を調査したところ、「巨石ヤード」とも呼ぶべき長さの単位を用いていて建造されているらしいのである。その1巨石ヤードは、2.722フィートである。巨石遺跡は、この倍数が基準となっているのである。

 月の円周、10、920万800メートルを巨石ヤードに換算すると、1,316万2900となり、これをメガリ幾何学の366度(※)/60分/6秒に細分すると100巨石ヤードとなる(1,316万2900÷366÷60÷6=99.9)。

※太陽の周りを1公転する間に、地球は366回自転することに由来して、円を360度ではなく366度で分割する考えである。

 さらに著者達は、長さの単位を量や容積の単位に変換してみた。すると、各側面が4巨石インチの升は、1パイント(1601年制定の基準で0.473リットルに相当)に5,000分の1の誤差で相当するものとなり、8巨石インチにすると1ガロンとなったのである。またパイント升に大麦をきっちり入れると、その重さは1ポンドとなった。

 更に、直径6巨石インチの球体には、水がほぼ1リットル入り、直径を10倍にした球体に水を満たすと、それは、1トンの重さとなったのである。それらの精度は99パーセント以上であった。

 

 関連して、この本では、古代の度量衡と現代のそれが非常に近似であることを指摘している(度量衡の単位の起源が太古にある可能性)。これらのことは、長さや容積、重さの単位は、あるとき、恣意的に(当時の王様の足の長さにあわせてというように)定められたのではなく、人類は、最初から度量衡の単位を、地球や月、太陽の関係から導き出していたと言うことである。

 

 以上のように、月には、単なる偶然とは片付けられないような事象があまりにも多いことがわかる。このことから、結論的に、著者達は、月が自然の産物ではなく、人工的建造物であるとする。つまり、ある知的な存在により建造されたと。そして、現在、知的な存在とは人類以外には存在しないので、それは、未来から来た人々ではないかと示唆するのである。

 しかし、さすがにこの結論は、いかがなものであろうか。地球に知的生命が生まれるのに、月は不可欠であったとしながら、その月を未来の人類が作ったというのは、パラドックスのようにも思える。

 とはいえ、月が「偶然に」できた、あるいは太陽系外からやってきたということも、シュタイナーからすれば誤っているのだ。すべてはあるべくして存在する。そして天体は、霊的ヒエラルキー達のすみかである。その誕生やその後の運動は、霊的ヒエラルキー達によってなされているのだ。

やはり月は地球から分離した

 では、シュタイナーは、月の誕生をどのように説明しているだろうか。それは次のようである。

 アトランティス時代の前のレムリアという時代に(太陽は既に地球から分離していた)、地球の直接の創造主である7柱のエロヒムが、共通の創造的活動を通じてヤハウェ意識に上昇した後に起こった。これは、将来の地上の人間の受肉を不可能にする、月の力によって引き起こされる地球の硬化を防ぐためであった。月は、邪悪な衝動と共に、地球から分離した。それにより、人類は肺呼吸となり、男女の分離が生じた(両性による生殖の始まり)。そして、月が出ていった跡が、今の太平洋となったのである。

 勿論、このようなことは、現代の科学では実証のしようがない。しかし、地球と月の石の組成が同じということは、やはり月が地球から分離したということを示唆しているだろう。いつの日か、太平洋の海底と月の関係が明らかにされる日が来るかもしれない。