k-lazaro’s note

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アトランティス大陸

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スコット・エリオットの著作『アトランティスの歴史』(1910年)掲載のアトランティスの地図

 Dankmar Bosse氏の『地球の歴史に関するエッセイ』(英語版)から、レムリア大陸に続き、今度はアトランティス大陸についてのエッセイを紹介する。レムリア文明が滅びた後、生き残った人類が移住した場所である。

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 レムリア大陸の場所についての質問に関連して、シュタイナーは、レムリア大陸が崩壊した後に、人類の一部が導かれた場所について述べている。これらのすべての発展の背後には、高次の[霊的]ヒエラルキーの存在達も働いていた。部分的に過誤に陥らなかったごく少ない人々が、その時まで堕落していく人類の影響から守られていた場所に逃げることができた。「新しい人類に特に適していたそのような居住地域は、現在大西洋に覆われている地域に存在した。ほとんど過誤に陥いることのかった人々が退いたのは、この場所であった。地球の他の地域には、まばらな集団が存在するのみであった。この時、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカの間にあるこの地域が、霊学によりアトランティスと呼ばれている。」それは、今日のヨーロッパ、アフリカ、アメリカの間に位置する大陸である。シュタイナーは、レムリア大陸の場合、奇妙に複雑な仕方で、あるいはおそらく非常に正確に、表現している。彼が、超感覚的知覚で目にしたイメージは、今日の古地質学によってのみ理解されるものであるからである。彼は、当時の一般的な観念、例えば、「秘密の源泉」から得られたと、詳細な大陸の地図を描いたスコット・エリオットのものとして知られる観念を取り上げることはしなかった。これ、あるいはこれに似た観念は、その後の、アメリカが西に水平移動したことを証明する海洋探査により、地理学的には完全に否定されている。Thenius教授が、もっと早期に降っていた人類から、第3紀の初めにのみ発達した高等哺乳類のグループが、図に示されたエリアに由来することをどのようにして示すことができたのかは興味深い。

 

※ウィリアム・スコット=エリオット (1849-1919)は、神智学協会のロンドン・ロッジの初期のメンバー。古代アトランティスとレムリアに関する知識をマスターズから受け取ったとするチャールズ・W・リードビーターと接触し、それらをもとにアトランティスに関する本を出版した。(上図参照)

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【図の説明】第3紀の初め、アメリカ大陸の西方移動により海底が拡大する以前の、暁新世における、アトランティス時代の初め頃の北大西洋の地域 黒色:浸食エリア、灰色:大陸の堆積エリア、白色:海洋の堆積エリア、小ドット:シュタイナーによるアトランティスの場所

※上の図は、Bosse氏の『地球と人類の相互進化:生きる地球の地質学と古生物学のスケッチ』の方からとった(『エッセイ』と同じ図である)。アトランティス大陸の場所は、小ドットで示してあるとしているが(図ではわかりにくい)、イギリスの北西のRockallと表記してある付近らしい。太い点線で海流が示されているが、この時代には、ロシアのウラル地方はシベリア地方とつながっていなかったようである。

 アトランティス時代の初期においては、地球環境の空気-水の生命領域はまだ完全には分離していなかった。海洋の水の大部分は、まだそこに含まれていたのである。「人類は、後に獲得したものよりも柔らかく、繊細な実質でできていた。」人は、まだ地上ではなく、その上の空気-水の生命領域の下の方で生存していた。この領域は、シュタイナーによれば、「アトランティス大陸の周りを流れる、取り囲んで守っている流れであった。」つまりメキシコ湾流の先駆けである。図において地理学が示すものは、プレート・テクトニクス理論を取り入れると、第3紀初期、つまりアトランティスの初めの、現在知られている古地理学的状況にほぼ対応している。この当時、それはまだ、グリーンランド、西ヨーロッパ、そして大きく浅い海に覆われていた陸地を含んでいたであろう。原初の大西洋はもっと狭く、水位ももっと低かった。それで、それはまだ、北極海と分離していた-これは、微古生物学により証明されている。シュタイナーの語る密儀センターは、おそらくロコール台地(スコットランド北西部)にあった。今日、それは、水面から突き出たただ一つの岩をもつ、125から625マイルの狭い領域にある。今日深い海となっている他の領域では、堆積物は、今日の浅い海の堆積物に似たものが主である。浅い海盆でのみできるような巨大な塩の堆積物が、メキシコ湾、地中海、紅海のように、今日の海底の下に何千フィートにも渡って発見されている。

 新しい事態は、アトランティス期の中頃に現れた。レムリア期の終わりと同じように、人類の発展は裏切られ、自然の生命力の利己的な使用へと至った。レムリア期のルチファー的影響に、アーリマンの影響が加わった。この影響により、地上の水と空気のカタストロフィにより、アトランティスの地域は次第に破壊されていった。「その時、地球は、これらの嵐により、その顔が新しくなった。」地球の表面は、固く乾燥したのである。それは、人類が生きていくのに必要なことであった。固い骨格が形成された。最も古い骨が発見されるのは、第3紀の終わり、つまりアトランティスの中頃からである。地上の出来事はこれに対応しており、今日の高山地帯は、衝突し盛り上がった。ただこの時に、水の大部分が、大気からものすごい周期で沈殿していき、海洋の盆地を満たした。この降水(沈殿)は、以前の、全地球の一様でなだらかであった表面を再形成した。風景が形成された。深い谷は削られ山と平原になり、今日、それらには比較的小さな川が流れている。その様な風景は、地球の歴史では知られていない。水の塊が海盆を満たし、その水位は上がった。それらは固まり、氷河時代の氷河となった。zz宇

 

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【図の説明】 アイルランドの西のロコール台地エリアにあるアトランティスとその密儀センター その北は、アイスランドに向かう別の大陸の部分 今日、この二つのエリアは、水面下1640フィートである。そこは、アトランティス時代にはもっと高かった。ロコール台地とグリーンランドの間は大西洋中央海嶺 -第3紀初期、アトランティス時代の始まりに、北アメリカの西方移動により引き伸ばされてできた構造 大陸の境界の周りには、水面下の渓谷がある。

 今日の水位から3,000フィートまで削られているノルウエーのフィヨルド、あるいはナイル渓谷や北部ドイツの地下の水路のような、埋まっている鋸歯状の渓谷は、その様な深い渓谷に属する。第3紀の間、気候はひどく冷えていった。例えば、北部シベリアでは、今、松の木があるところに、椰子の木がまだあった。あるいは、サハラ砂漠ナミビアアリゾナでは、まだ密集した森林が存在していたが、それは、木の幹の化石により示されている。このように見ると、アトランティス大陸の沈没は、複合的な出来事である。それは、思考、自己意識、感覚の世界への覚醒であった。それは、密儀の秘密の自己背信であった。それは、サーガが、人類の利己主義により引き起こされた、と語る洪水であった。

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 以上が、Bosse氏の『地球の歴史に関するエッセイ』によるアトランティス大陸の説明である。Bosse氏は、シュタイナーの話しに従いつつ、現代の古地理学や地球物理学の知見に基づき、それとも矛盾しない場所としてイギリスとグリーンランドの間にアトランティス大陸を想定している。
 これは、現在の大西洋に存在したとするシュタイナーやプラトンの説明に合致するものではあるが、アトランティス大陸というイメージからすると、少し小さい様に思える。ヨーロッパ・アフリカとアメリカの間の大西洋に存在したというなら、上のスコット・エリオットの地図の方がふさわしいだろう。
 実は、Bosse氏の説をふまえつつも、その南にも大陸が続いていたと主張する人智学者も存在する。いずれまた紹介したいと思う。