k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

職業のカルマと未来

ラニド図形

 先に掲載した「古代メキシコの秘密とアメリカ」の記事を拝借した、カール・シュテッグマン Carl Stegmann氏の本、『もうひとつのアメリカDas Andere Amerika』から、別の章を紹介する。

 それは、やはりアメリカに関わることであるが、人間の職業活動の秘教的な意味が説明されている。我々は、そのような意義を意識することなく、生活の糧を得るために、言わば当然のこととして働いているが、それは人類の未来に関わる側面を持っているのである。

 以下の文章を理解するためにのは、これまでも何度か出てきたが、次のような予備知識が必要である。シュタイナーは、人体が、頭部系(神経・感覚系)・胸部系(呼吸・血液循環)・四肢系(運動・新陳代謝系)に三分節されているとする。そして、社会もまた一つの有機体と捉えるべきであり、人とのアナロジーから、社会も三つの部分、精神=文化領域、政治=法領域。経済領域の三つの部分に分節化され、それらが独立しつつ連携しなければならないとする。
 シュタイナーのこの社会論は、第1次世界大戦の勃発とその後の破滅的な社会の混乱の中で、社会運動として具体化するが、実を結ぶことはなかった。
 重要なのは、これは単に、物質的な社会の発展を目指したものではないということである。人が「社会的存在」である以上、その社会も「健康」でなければ、人の霊的な成長も阻害されてしまう。人類が霊的進化を遂げる上で重要な取り組みなのである。従って、この運動を敵視する勢力がまた存在しているのである。
 また、同じように、民族はそれぞれの特性を持っており、シュタイナーは、上の3つの要素に応じて、ヨーロッパの民族を西方・中央・東方に大きく分けて論じたのである。

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機械的オカルティズムと職業活動

   西方[英米]では、機械的オカルティズムが発展する。それには、西方では、特に経済の発展が関わっていることを合わせて考える必要がある。シュタイナーは、人類の新しい発展は、西方の経済的な、中央ヨーロッパの政治的法律的 な、東方の宗教的な要素への分節を理解することでのみ、理解される、と語っている

 電気、磁気、重力、原子分裂の、感覚以下で働く力に並んで、未来には、共鳴する振動の法則が働くようになる。シュタイナーは、それについて、機械的オカルティズムの、人類を破壊するような種類か、あるいは人類に奉仕する種類の二つの可能性を語っている。彼は、破壊的な機械を見て、「もし、現在動いている物の一部を見れば、我々の現代文明の一部は、全く、下降していく恐ろしい道に向かっていると言わねばならない。」と語っている。

 地上で人によりなされたもの、新しく造り出されたものはすべて、未来に対する萌芽である。それは、成長し、そのすべての発展と共に、後の、本来の意味を持つものへと成熟していく。職業生活、仕事を通して造り出されたものも同じである。それは、地球で発展し、更に木星、金星、ヴァルカン状態でも発展を続ける。その時ようやく、萌芽的原基で考えられているものが、姿を現わしてくるのである。当然、物質的な産物、機械、工作物などはすべて消えていく。先ず、それらは人から分離される。「一層増大していくであろうすべてのものを通して、人が職業活動により造りだしたものは、人から先ず離れ、客観的になる。そしてそれにより、それは、木星、金星、ヴァルカンを通して更に形成されて、土星、太陽、月を通して地球のために造り上げられてきたものと似たものになっていく。まさにこの分離によって。」

 「分離」は3重の意味がある。人が経済生活で、外的な産物として造ったものはすべて人から離れる。その時、-既に長い間そうなっているのだがーなすべき仕事への関心も離れる。もはや人は、以前、人に魂を吹き込んだ感激と関心をもって仕事を行なうことはない。職業との魂の結び付きは次第に消えていった。「職業生活がある方法により人間の関心から離れることにより、宇宙的意味を持つ関係」を発展させる」ある必然性が存在する。仕事へのより主観的個人的関係が沈黙することにより、何か別のもの、客観的なものが仕事に入り込むことができるのである

 私は、ずっと以前から、バイオダイナミックの農場の友達を持っている。4つの区画に分かれる農地があり、それぞれ別の人が耕作していた。同じように小麦の種を蒔き、同じ気候で育てていたが、その区画により元気に育ったものとそうでない弱々しい作物があり、その成長には違いが見られた。印象に残ったのは、ある農夫が、「私は、人の働きが植物にしっかりと伝わるように望みました」と語ったことである。人から、何かが植物に流れていったのである。シュタイナーは、引用している講演で、次のように語っている。「人の意志的生命と心情的生命にある繊細なパルスは、人が造り出すものに、次第にどんどんと織り込まれ、組み込まれるようになり、手が加えられた物質を、誰から受け取るかが重要になっていく。

 人の情感が沈黙すると、何ものかが人の意志的生命から離れ、それは人の造り出したものに結びつく。人の意志には、高次の霊的存在、例えば、次第に身体が形成されるように、自身の意志の実質を古土星期に献げたトローネの力が働いている。シュタイナーは、次のように語っている。「それが身体的仕事であれ、精神的仕事であれ、私たちが仕事の中で創造したものには、霊的存在が体をえる出発点が存在する。今日、これらの霊的存在は、地球期においては、まだエレメンタル的な種類のもの・・第4位階のものである。」我々の身体的、精神的仕事は、実際に、経済活動の生産物の中に流れ込み、それが物質的には消えていっても、それらに霊的現存を与えるのである。故に、経済的、また職業的生活には、見えない宇宙的霊的事象が結びついているのだ! 人は、これにより、職業と経済において生じるもののすべてに、しかしまた西方で準備されているものにも、全く新しい考え方を得るだろう。

 これには、別の事柄が結びついている。「人の職業上の仕事によりもたらされるものが、もはや特別な感激もなく造り上げられるほど、それは、必要な条件なので、そのように人間から流れ出てくるものは、運動に関する力になり得る。」それにより、人は、機械的オカルティズムが生まれる場所に立つ。驚くべきことは、人の経済生活、職業生活に共に働いている、大きな見えない宇宙的関係が、人の、霊的意志的なものからくる運動力の生成、機械的オカルティズムに関係していることである。「技術的発展の未来を今日予見できるものは、工場を動かす人に応じて、工場が個別に運転されることを知っている。心的態度が、一緒に工場に入り込み、機械が動く仕方に影響する。人は、客観物と共に成長するようになる。我々が触れるものはすべて、次第に、人の本質の刻印を帯びることになるのである。特定の印の振動により、「この印に適合したモーターが運くのである。」ここからわかるのは、運動力が地上で現実の物となる前に、霊的認識を持った人間が、先ず、それを生み出さなければならないと言うことである。シュタイナーの神秘劇のシュトラーダーが、その正しいモデルである。しかしそれは、すぐには機能し得ない。印の振動が欠けているからである。

 それには、シュタイナーが次に述べるような、強力に発展した倫理的力が必要である。「未来の正しく善良な人間、人間的心情において特別な高みにいる人間を考えると、彼は何ができるだろう。彼は、機械を製作し、また善良な心情の人々によってのみ実行されうる、それに対する印を定めることができる。」シュタイナーは、ここで、同じような心情の人から生まれてくる機械的オカルティズムについて述べているのは明らかである。ここで宇宙、天界が一緒に振動するなら、それは、正しく-つまり霊的な-見られた宇宙からくるのである。しかし、機械的オカルティズムを実現する、アーリマン的な可能性もある。人から意志的インパルスとして仕事に流れ込むものに、エレメンタル存在が受胎すると、我々は聞いた。「しかし、問題なのは、それがそもそも生まれてくることではなく、正しく生まれてくることである。世界プロセスに奉仕するエレメンタル存在も、それを邪魔するエレメンタル存在もあり得るからである。キリストに貫かれていない天使存在が、人間のアストラル体に創造的なイメージを形成しないなら、その際、人は自由なままでいられる。しかし、意識を迂回してエーテル体に形成されると、意志がアーリマンに攻撃され、意志のインパルスは変化し、アーリマン的破壊的になる。

 中央の精神から内的発展をなす人が、オカルト的装置を造るなら、憎しみ、反感の力により造ってはいけない。「それに対して、憎しみの本能から発展すると、その装置は、ある意味で、より遅れたオカルト的能力により支えられるだろう。」この現象は重要な意味を持っている。

 抽象的で非社会的な思考が、頭から意志の領域に侵入すると、従って意志が霊的認識により救い出されるのではなく、直接その様な頭脳的思考に捉えられると、批判、反感、そして憎しみが人間に生じてくる。それにより、アーリマンが活動できる破壊的な力が生み出されるのだ。その時、そこには、地球の電気、磁気、そして核分裂との破壊的関係が存在する。

 知性と力のみを取り入れるのではなく、共鳴する振動の法則により、それのみが知性と力、思考と意志を生産的なリズムにより結びつけることができる、人間のリズム組織(リズム的人間)をも考慮する機械がいつか生まれ出なければならない。このリズムは、太陽の周りを回転するような円周的動きではなく、そこでは上と下が交差して結びつく、動いている血液がレムニスカートの動きで循環する中間人間のリズムに現れる。それは、経済において、利己心、エゴイズムだけが支配的なのではなく、報酬と競争の戦いが協働を破壊することなく、経済が、より深い意味を持ち、自由の中でのみ成長しうる精神的生活、人間の平等を監視する民主的国家生活と並んで正しく分節化されるときにのみ、生じることができる。200年以上前、アメリカ建国の時には、そのような3層化された共同生活への端緒がみられたが、今日、すっかり見られなくなってしまった。

 アメリカで起きていることを霊的な光の下に見ることが、西方に与えるべき援助がわかる。世界に見かけ的には物質的なものとしてあるもの、経済生活をその霊的宇宙的な意味において見ることができるものが必要なのである

 霊的なアメリカが生まれることに対して、人の中のドッペルゲンガーが対抗している。西方で働いているドッペルゲンガーについての理解がなければ、可能であるもの、あるいは、避けることができない幻滅によって暗くされているものについての幻想に陥ることになる。それを知ることを学べば、実際に西方で起きていることを深く理解することができる。

 我々は、地球の西方に、真剣に追求すべき使命が浮上しているのを見ている。一方でアーリマンの側で、他方で、キリスト的霊的側で、ここで準備されているものについての意識を自分のものとする試みが求められているこれまで我々は、地球と人類の未来に起きる激烈な戦いで果たすべき使命をただ予感してきた。それをもっと正確に眼前に捉えなければならない。意識することが、発展を良い方向に向ける武器である。

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 上の文章でも触れられている、シュタイナーの職業をテーマとする講演は、日本語で読むことができる。それは、実は今回の表題をそれから拝借したのだが、西川隆範さんの『職業のカルマと未来』(風濤社刊)という本である。最初、「職業」と聞いて、こんな日常的なテーマの講演もあるのだなと、あまり食指を動かされなかったのだが、読んでみると意外に重要なことが書かれてあった。

 今の地球期の前には、古土星・古太陽・古月と呼ばれる時期があった。現在の物質的地球は、これらの時期を経て形成されてきたのだ。それに関わっていたのは高次の霊的ヒエラルキー達である。地球期の後は、木星期、金星期、ヴァルカン期が続くが、その形成に関わっているのが、実は人類自身と言うことである。

 物事にはすべて結果(カルマ)が伴う。たとえそれが物質的に消えて無くなっていたとしても、人間が作りだしたものは、未来に再びその結果を伴って現れるのだ。
 このようなことに関連して思い出されるのは、「人類のための戦い-新型コロナを巡って ⑥」に出てくる、次のような記述である。

  影のような知性は、鉱物、植物、動物、さらには人間界そのものにある鉱物的性質、粗雑な物質的性質しか把握できないので、現実性のないこれらの思考は、月が再び地球と一体化するときに、一瞬にして実質的現実性となるのである。そして地球からは、鉱物界と植物界の中間に位置する存在の秩序を持ち、圧倒的な知性の力を持つオートマタの群れ、恐ろしい存在の群れが湧き出るだろう。
 この大群は地球を捕らえ、植物よりも低次元の、しかし圧倒的な知恵を持った、おぞましい蜘蛛のような生き物のネットワークのように、地球上に広がるだろう。これらの蜘蛛のような生き物はすべて互いに連動し、その外側の動きにおいて、霊的科学による新しい形の想像的知識によって活気づくことを許さなかった影の知性から人間が紡ぎ出した思考を模倣することになるでしょう。そのとき、実体と現実を欠くすべての思考が存在感を持つようになります。  

 これは、月が地球と再び一体化する時期(今から7000年後頃という)の出来事というので、ヴァルカン期よりだいぶ前の時代なのだが、「蜘蛛のような生き物のネットワーク」というのは、まさに現代のインターネットのネットワークが、未来に再出現したものではなかろうか。

 また文中に、「特定の印の振動により」機械が動くとあるが、人智学派の間では、これはエーテルを利用するものと考えられており、一般にはサギとされている、アメリカの19世紀の発明家、ジョン・ウォーレン・キーリーの制作したいわゆるキーリー・モーターは、その先駆けとなる機械ではないかと言われている。それは、キーリーが一緒にいなければ作動しなかったのである。シュタイナーも、キーリーのことに言及していたという。
 印(Zeichen:合図、記号)により機械が動くというのは、あるいは、クラニド図形(金属・プラスチック・ガラスなどにピンと張ったラップなどの平面にスピーカーなどで振動を与え音程を変えると、共鳴周波数において平面の強く振動する部分と、振動の節となり振動しない部分が生じる。ここへ例えば塩や砂などの粒体を撒くと、振動によって弾き飛ばされた粒体が節へ集まることで、幾何学的な模様が観察される。Wiki)の現象が、その解明に役に立つのかもしれない。特定の振動が特定の図形を造り出すのであるから、その逆も考えられるのではなかろうか。

 さて、問題は、そのような力を誰が手にするかと言うことである。「機械的オカルティズムを実現する、アーリマン的な可能性もある」のである。それは、人類の未来を闇で覆うものである。
 現在、今の時代の次に予定されているロシア文明期に対する攻撃が強まっているようだが、その次に来るのはアメリカ文明期である。
 もともとアメリカはドッペルゲンガーやアーリマンの影響が大きい土地であるが、今や唯物主義の本拠地と化している。しかし、アメリカにも、それを霊化しようとする力は古代から働いていた。それに反抗し、更にアメリカをアーリマンの王国にしようとする勢力との霊的な戦いは、今も続いているのだろうか。