k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

監視社会と人間性の破壊、アーリマンの受肉

シュタイナーの指示に基づくアーリマン像

 アメリカのバイデン政権が、「誤報(ディスインフォメーション)管理委員会」を創設すると報道されている。政府が誤情報を認定し、情報を規制するというのである。これには、ジョージ・オーエルの『​​1984』(全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いた小説)の「真理省」そのものではないかという批判が出されている。真理省とは、この小説にでてくる政府機関で、その実態は、名前とは真逆の、思想・良心の自由に対する統制を実施するプロパガンダ機関である。(ちなみに、他に、平和省:軍を統括、平和のために半永久的に戦争を継続、豊富省:食料や物資の配給と統制を行う、愛情省:反体制分子に対する尋問と処分を行う、という機関も存在する。)
 まさにフィクションが現実化するのである。アメリカの堕落と腐敗はここまで進んでしまっているのだ(このような国に従属し、決してものを言えない日本は、このことを批判できない)。
 コロナとウクライナ危機を通して、世界に嘘が蔓延している。その裏で、人類の真の危機は見えなくされている。そして、こうしたシナリオを書いている者がいる。それは、悪の霊的存在、アーリマンである。 

 シュタイナーは、このアーリマンが、3000年紀の早い時期に、この地上世界に肉体をもって現れると予言した。アーリマンは、自らの登場するにふさわしい舞台を自ら創作し演出しているのである。
 海外の人智学派にも、最近の世界情勢の背後にアーリマンの影を感じ、危機感を募らせている人々が増えてきている。今回は、人智学派の主流で指導的な位置にあるピーター・セルグ氏の、これに関係する本からその一部を紹介する。書名は『アーリマンの未来と魂の目覚め』といい、本来は講演のために準備された原稿のようである。シュタイナーの創作した「神秘劇」という戯曲に触れながらアーリマンの問題を扱っている。
 以下は、その後半の部分の要約である。

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アーリマンの未来と魂の目覚め

ピーター・セルグ著

 

人類の知性を巡る戦い

 ヨーロッパの社会は、「一層監視が進んだ空間」となってきており、これは人々に支持されている。「監視社会化が、中国ほどに進んでいないのは、技術の貧弱さゆえであり、西洋では、技術の可能性と共に、ゆっくりと基本的人権の溶解が進んでいる。」

 2020年3月の記事で、ユヴァル・ノア・ハラリは、次のように警告している。

 「監視技術は、危険なスピードで発展している。仮想の国家を考えてみよう。そこでは、全ての市民が、バイオメトリックのブレスレットの着用が命じられている。データが集められ、分析され、その人が知る前に病気であることが知られ、どこで誰と会ったかもわかる。その様なシステムでは、パンデミックもすぐに解決される。フォックスニュースを見るのか、CNNニュースを見るのかがわかれば、その人の政治信条や性格もわかってしまう。何に怒り、喜ぶのかも。企業や政府は、人の感情を予想するだけでなく、人を操作できるのである。」

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 カール・ヤスパースは、「我々が正しいと思う人類の姿自身が、我々の生の要素となるのである」と語った。アーリマンの描く人類の姿は、上で見たものが、大部分、未来の姿として決定的なものとなる。それは、倫理的個人主義、あるいは社会を形成し、社会的に考え、自己責任を持つ、自由で成熟した個人の姿ではない。ハラリ氏は、次のように要約する。「人々は、自分自身を、もはや自分の人生に調和した自分の意志に従う、自立した存在とみるのではなく、常にモニターされ、電子的アルゴリズムにより指示されるバイオメトリックな機械の集合体と見なすのである。」

ある意味、これは、ハラリ氏にとって、唯物的人間学に、アーリマン手書きの人間学に基づく限り、論理的に一貫している。「人間、キリン、ウイルスは、みなアルゴリズムである。コンピューターとの違いは、自然選択のきまぐれにより進化してきた、生命科学アルゴリズムであるということである。」「個人の真正の自己は、サンタクロースやイースターのウサギ以上にリアルではない。」自由のない人間という唯物主義的なアーリマン的思考と、自由のない世界を創造する技術を作り出すことは関係しており、分離できない。アーリマンが望んでいるのは、人々が、この新しい世界を、最も健康で安全、現代的で合理的なものとして支持し、あらゆる世界の中で最善であるとみなすことである。この世界は、彼らに、彼らの免疫システムをブーストする遺伝的技術によってだけでなく、精神的能力の領域、肉体的容姿と健康、望みどおりの生殖、そしてアンチ・エイジングにおいて可能性を高めることにより、自身の永遠の最善化(そして「不死」)の技術的見込みを与える。頭脳へのソフトウェアの直接的な導入も予想されている(そのビジョンでは、チップを通して遠隔でダウンロードされる)。そしてその逆も。神経リンクシステムにより、脳の内容がハードウエアにコピーされ、そのソフトウェアが存在し続ける「デジタル的不死」まで想定されている。

 既にシュタイナーは、1920年に、いつの日か「西側」に出現する「純粋にアーリマン的な理想」について語っている。それは、実際的な「機械的物質的原理の霊性との結合」として、機械に「移し入れられた」「神経バイブレーション」からなる。

 現在、まだ未来のこととみられている、マニアックな専門家の「トランスヒューマン」や「ポストヒューマン」のファンタジーは、実際には、億万長者達の資金により、長い間、発展を続けてきた。コロナ危機の最中である2020年の春に、空には、イーロン・マスク人工衛星が400個存在していた。彼とスペースX社は、インターネットのブロードバンド対応を最大化するために、既に40,000個の人工衛星を計画している。おそらく、その目的は他にもある。シュタイナーのアーリマンの受肉に関する講演の100年後、「地球の周囲」は、少なくとも人々の意識の中で、実際大規模に「霊がなくされ、魂がなくされ、生命すらなくされ」た。人の脳と機械との結合と最終的融合を目的とするニューラリンク社は、4年前に設立され、今、その活動は公から見えなくなっている。

 2019年11月、『人類の防衛』の序言で、トマス・フックスは次のように書いている。

 「倫理的観点からのヒューマニズムとは、テクノクラートのシステムの独裁、自己実現の実際的な制限、人間存在の科学技術化に抵抗することと同じである。我々は、自分を、アルゴリズムとしてであれ、神経により決定される器械としてであれ、客体(物)としてみるなら、社会工学的手段で操作し、コントロールしようとする者達の支配に入るということである。『人が、自分の望むものになるための個人の力とは、他者を彼らの望むものにする力である。』(ルイス)」

 シュタイナーの「神秘劇」(1910-1913年)以来、アーリマンは、冷たい知性、正確さ、並外れたスピードで、現実の「時の破壊的な流れ」の中で、印象的な成功の物語を書き記してきた。ルチファーと共に、彼は、既に人類の多くの部分をバーチャルな世界に導き、そこが居心地良く感じるようにさえしている。問題は、ほとんど完全なシミュレーションの世界に益々巻き込まれていっていることである。そこでは、「ものの仮象」が現実に優先するだけでなく、現実をすっかり置き換えることである。「オンラインのセラピストが、実際には単なるチャットボットであるということは既に可能となっている。精神病患者のための、最初のヘルスケア・ロボットは、既に試みられている。」(フックス) 人工的なシステムが、現実の関係性に置き換わってきており、ロボットが、幼い子ども達の友達として役立ち、社会性や情緒の発展を促すと考えられている。機械が、「関係性をつくる人工物」となるだろう。

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 アーリマンが意図し主導している、自動機械、人工知能に基づく技術に置き換えるプロセスは、職場で既に長い間進行している。しかし、コロナにより、シュワブとマルレが言うように、それは、予想外のブーストを得た。それは、人の労働を機械に置き換えていき、膨大な就業機会が失われるだろう。

 シュワブとマルレは、雇用喪失は残念だとしながら、「システムチェンジ」の文脈では必然であるとする。彼らは、オンライン・ワーク、オンライン・ショッピング、オンライン医療、オンライン・エンターテインメントを思い描いており、「実際、コロナ・パンデミックは、オンライン教育に恩恵をもたらすだろう。」

 シュワブとマルレは、多くの場所で子ども達が学校と学校生活、日常のそして社会的な生活を失っている状況にあることに触れない。おそらく、これらは、「オンライン教育の恩恵」なのである。子ども達は、アーリマンの計算とビジョンの中で中心的役割を持っていない。「パーソナル・リセット」、「我々の人間性」の、メンタル・ヘルスと健康の新しい定義は、オンライン・ワーク、オンライン・ショッピング、オンライン医療、オンライン・エンターテインメントの、急激に変化する世界を好み、支持する、変化に熱心な、主要な工業国の従順な大人をほのめかしている。シュタイナーは、神秘劇の中で既に次のように描いている。「技術のエネルギーは、配分される。それにより、全ての人が、好みに応じて整えた自分の家で、仕事に必要なものを快適に利用するのである。」

 シュワブとマルレの本には、子どもや社会的な人間関係、あるいは、ホーム・オフィスやバーチャル空間による人々の関係性の断絶について書かれていない。同じく、信頼の喪失、友達関係の終わりについても、ない。―これらはすべて、アーリマンの戦略である。マスメディアは、これに対して、非常に感情的に働いており、基準に外れる疑問、解釈や行動を笑いものにし、それに悪意と嘲りを注いでいる。「アーリマンの力はどこにあるのか? 人々を分断する力が入り込むところである。」と、1920年にシュタイナーは、記している。

 このような時代を背景として、シュタイナーの神秘劇やアーリマンの受肉に関する講演、彼の多くの警告の言葉を思い出すと、最後の神秘劇におけるヒラリウスの次の言葉に思いをはせるべきであろう。「私は何度もそれらを聞いたが、その意味する秘密を感じたのは、ようやく今になってである。」

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 今日、シュタイナーの、アーリマンに関する言葉に含まれている「秘密」は、一層、明瞭になっている。アーリマン的知性の文明上の現象とそのグローバルな力、「監視資本主義」(スノーデン)は、益々、急激なスピードで、シュタイナーが警告した個人の思考の抑圧を引き起こしている。(「・・・すべての個人の思考はシャットダウンされるだろう。」シュタナー) シュタイナーは、1919年に、「このことについて幻想を抱くのは助けにはならない」と語った。その数年後、「自体はこのように深刻である」ことを信じない者は皆、アーリマンの受肉を促進している、と語った。「境域の守護者」の8幕(1912年)で、アーリマンは語っている。「今まで、私はこれに成功しなかった。地球は私に降伏しようとしなかった。しかし、私は永遠に栄えるだろう。おそらく、勝利を得るまで。」2020年の終わりに、「おそらく」は、おおいにありうることとなった。

 シュタイナーは、来るべきアーリマンの受肉を止めることはできないと語った。しかし同時に、地球とその住民が完全にアーリマンのもとに降ることとならないための必要で可能な抵抗について語った。完全に降ると言うことは、「地球のゴール」が失われ、これまで「地球文明」として獲得されてきたもの全てが真に破壊されることを意味する。シュタイナーは、この危機的状況において、人智学とその霊学のための自由大学、そのアーリマンに関する知識、教育から農場までの多くの生活の領域におけるカウンター・イニシアチブを含むミカエルの共同体に信頼を置いた。「彼らは、注意して、彼(アーリマン)のことを考えなければならない。彼らの認識を彼が支配しようとするとき、彼を隠している多くの形態を特定しなければならない。」シュタイナーは、人智学派の人々の既存のサークルを超えた、ミカエルの弟子達の共同体の発展可能性に望みを託したのである。全く別の文脈に多くの「ミカエル派の人々」が存在する。彼らは、地球の未来、創造行為の新たな態度と新たな方法のため、エコロジーと平和のため活動するイニシアチブと勇気をもった、独立した創造的な個人である。彼らの活動は、聖フランチェスコ派、あるいは霊的な薔薇十字運動の傾向をもっている。彼らは、ほとんどこれらのグループに所属してはいないが。

 人類の前には、明らかに、「キリストのための文明を救済する」という使命が存在する。今のところ、これを達成できるというチャンスは大きくないように見える。一方、脅威を増す近年の危機を目にして、「魂の覚醒」が世界の多くの場所で起きている。40年前、チャールズ・アイゼンシュタインは、自著の序言で、「文明の大いなる危機と新しい時代の誕生」について書いている。彼の観念と意図は、各自の道を統合すべき人々の、地球上の益々増大する人々の感じていることを表現している。シュタイナーの考えている「抵抗」は、否定や拒否と同じではない。むしろ、それは、生(生活)に奉仕し、成長する文明における様々な領域における生(生活)のモデルと規範を創造することに導く、人の意識と、変化し拡張された科学の努力に始まる。

 シュタイナーは、『西洋の没落』のオズヴァルト・シュペングラーを批判し、次のように語る。「地球の未来は、人類自身のデザイン、人類自身の関心によるものでなければならない。」アーリマンと異なり、必要なのは人間の意識の問題である。-そしてまた、勇気、エネルギーそして意志の。「人類の進化は、霊的なもの、生への意識的で霊的なインパルスを必要としている。」(1921年

 道を求め、それを見つけ、従うなら、高次の世界の救いがやってくる。「勝利」は、単なる反抗的態度によって得られないことは、神秘劇の、やはり霊界からの救いを願う場面で触れられている。「今、人智学的に考え、感じるよう備えるとき、我々の前にあるのは、小さな決断ではない。大きな決断である。」と、1919年11月、シュタイナーは、アーリマンの受肉についての講演で語った。

 いつまでも全てが失われてしまうままなのではない。また、ある重大な大変動の後、別の時代と新しい社会秩序、経済とエコロジーが、人々の行動と霊界からの援助によりやってくる可能性があることを、多くのものが示している。キリスト者共同体の降誕節の書簡は、神々の生成を含む人間の生成のイメージについて語っている。シュタイナーは、1918年10月の講演で、「無意識(無力)」と無意識からの復活が、キリストの神秘と、現代のキリスト・イエスへの関係に関連している事を強調した。迫っているのはアーリマンの受肉だけではない。またエーテル界におけるキリストの再臨も迫っているのである。これに出会うことができるのは、「無意識(無力)」と無意識からの復活、重力の克服と死に行く地球存在の物質的衰弱という、エーテル界の真の生命原理を知る者だけである。

 ルカ福音書は、霊界の助けにより、個々の人間だけでなく、全人類を引き戻すことがまだ可能であることを示している。

 

力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。

そのみ名はきよく、そのあわれみは、代々限りなく主をかしこみ恐れる者に及びます。

主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、

権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、

飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

                (ルカ 1:49-53)

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 文中に「ミカエルの共同体」というような言葉が出てくる。シュタイナーは、これに望みを託しているようである。では、この共同体とは何か? 
 シュタイナーによれば、霊界は、来るアーリマンの受肉にそなえ、また人類の霊的進化を進めるために、ある計画をもった。霊界に、大天使ミカエルによる学校を創設したのである。そこに、地上を離れて霊界に存在する人々(ミカエルの弟子)が集まり、学んだのだ。こうした人々が、後に地上に受肉し、人智学協会やその周辺の人智学運動で活動したのである。
 しかし、実は、アーリマンも同じような学校をもっていた。そこでアーリマンの受肉を地上で準備する人間を養成したのである。またどこにでも魔は進入する。人智学運動も例外ではない。シュタイナーの死後、人智学協会は分裂の危機に瀕したのであるが、これもその影響であろう。そして人智学に対する攻撃は今も行なわれているようである(これについてはまた別の回で触れたい)。アーリマンにとって最も邪魔な存在だからである。
 今、世界の情勢を見ると、近い将来にかつてない激変が訪れると感じざるを得ない。それは、病気による大量死(これは既に進行しているが)、あるいは第3次世界大戦や大飢餓であるかもしれない。しかし、世界中の多くの人々は、それを準備しているものの真の姿を理解していない。
 今こそ「魂の覚醒」が必要なのだ。