k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

太陽黒点と人間


 17世紀に活躍したジョン・ミルトンは、イギリスを代表する詩人(デイヴィッド・オーヴァソンによれば秘教に通じていたという)で、その代表昨は『失楽園』であるが、それは、当時の天文学の発見を数多く取り入れているとされる。その中に、魔王(サタン)が太陽に降り立つ様を描く描写があるのだが、その様子は黒点に擬されている。明るく輝く太陽の中に生じた黒い点、あるいは傷、それがサタンである。

 黒点はこのように、言わば太陽の傷あるいはしみのようであり、神とも崇められた存在にはそぐわない。直感的にそう思わざるを得ないのだが、実際にはどうなのだろうか?

 キリストは太陽霊(今は地球霊となっているが)と言われることからも理解できるように、太陽が神的な存在であるというのが、世界中の古代宗教あるいは秘教の教えである。

 では、黒点はどうかというと、シュタイナーによれば、何千年も前に、太陽に黒点はなかったという。ある時期から出現し、今もまたそれは増え続けている。それに伴い太陽は輝きを減じ、ついには全く黒くなって、衰微していくという。やはり不吉な存在である。

 黒点と人間社会の出来事に一定の関係があるのではないかという学説がある。「In Deep」さんによく取り上げられているテーマであり、詳しくはそちらをご覧いただくと良いだろう。これは科学的な話である。

 では、霊学的に見るとどうなのだろうか。1957年、ドイツ生まれのハルトムート・ラムHartmut Rammという方がいる。癌なども研究する人智学系の植物学者らしいが、黒点に関する本をだしている。『太陽の暗い斑点・・・若い宇宙的徴候の兆しにある千年紀の変わり目』という本である。これから中身を紹介したいところだが、なにせ厚い本なので(またまた読了していない)、この本のブックレビューを見つけたのでそちらの方を紹介することとする。

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 歴史と現代史のスケッチ
 「Der Sonne dunkle Flecken」(太陽の暗い斑点)

 

 これは、1998年にHartmut Rammが発表した本のタイトルである。それまで黒点の一般社会における意義や、それが地球上の人間の失敗により生まれることはほとんど知られていなかった。ハルトムート・ラムは、本質的な科学的知見をまとめ、ルドルフ・シュタイナーの最も重要な発言と結びつけている。この作品は、より多くの人々に理解されるに値するものであり、今日、宇宙の嵐が地球に及ぼす影響について考察することが焦点となるのである。

 

太陽黒点と地球のカタストロフィー

 1611年、ガリレオケプラーと同時代のイエズス会士クリストフ・シャイナーは、その年の3月6日に望遠鏡で黒点を発見し、統計的な記録を取り始めた。16世紀末、イエズス会が皇帝フェルディナント2世を呼び寄せた街インゴルシュタットで起こったことは重要なことだった。バイエルン公のいとこで、16世紀末にカトリック連盟の指導者であったマクシミリアン選帝侯(30年戦争を開始したイエズス会の2大子分)と、イルミナティ(1776年にアダム・ヴァイスハウプト、SJが創設)と最初のバイエルン大学(これもSJが創設)(その後ミュンヘンに移ったが、哲学科はこの秘密教団の指導下にあった)の設立場所でもある。

 太陽黒点の極大に対応するオーロラは、2001年のように中央ヨーロッパやアルプスまで見えるが、1611年以前からすでに同時代の天文学者によって観測されていた。太陽黒点は、1611年以来、恒久的に記録され、科学的・統計的に評価されてきたと、ハルトムート・ラムは証明している。太陽表面の巨大なクレーターとして想像できる黒点が、なぜ唯物論的自然科学の旗手となった17世紀初頭からイエズス会の研究者たちの間でしか注目されなかったのか、その理由は様々だろうが、すでに上で示した人間の影響により出現した黒点を当時から研究していたことは興味深い(重要な)ことだそして:[イエスズ]教団は、いわば、自らの地上の行いの痛ましい結果を太陽の中に観察していたのである。その少し前、1598年(前述のフェルディナンド2世がハプスブルク帝国から非カトリック教徒全員を暴力的に追放することに始まり、1618年にはプラハの脱北で30年戦争に発展)、1605年にはロシア、デメトリア、イギリスで火薬陰謀事件というイエズス会が主導するヨーロッパの大災害が発生したのである。(訳注)

(訳注)イエズス会はローマカトリックの言わば保守派で、教皇への絶対的な忠誠や軍隊的な性質をもっているとされる。ただ制限はあるものの科学を研究する会士も存在した。その戦闘的体質から、旧教を守るために激しい活動もあったようで、それが「ヨーロッパの大災害」をもたらしたということだろう。筆者は、その大災害が太陽の黒点に反映しており、それをイエズス会の会士が自ら観測しているというのだ。

 黒点の周期は約22年で、そのうち中間の11年は太陽表面で見ることができる。個々の周期が重なっているため、目に見える11年周期は必ず他の周期に続いている。特にこの11年の真ん中あたりには、黒点極大と呼ばれる巨大な暗黒斑が形成される。ラムの考察の核心は、黒点極大と地球上の大災害の同時性である。例えば、1918年以降のインフルエンザの大流行や、地震や火山噴火、洪水、鉱山での坑内ガス爆発などの大きな自然災害は、ほとんどが太陽黒点極大期に発生している。

 1692年から1920年まで、23回の大地震のうち、黒点活動が最大となった年に発生しなかったのは4回だけである。(引用:H.-W. Behm) 大災害の例として、1991年6月の黒点極大を考慮する必要がある。6世紀もの間沈黙を守っていたフィリピンのピナツボの噴火に、日本やインドでの火山噴火が重なった。さらに、ジョージアからビルマニュージーランド、サンドイッチ諸島、アメリカ西海岸などで地震が発生した(海底地震)。さらに、中国とインドでは最も激しい雨と洪水が記録され、ニュージーランドでは数十年ぶりの大雪を伴う極端な寒波に見舞われました。

 また、社会的な大惨事との同時性も印象的である。18世紀については1789年のフランス革命、19世紀については1848年の中欧の革命と1870/71年の独仏戦争がその例である。 1917年以降の社会的大惨事は、[大天使]ミカエルが時代霊として時代をリードする時代に入り、新しい質を持つようになるが、ラムによるその詳しい説明はこのレビューの範囲を完全に超えてしまうだろう。ここでは、ボルシェビキの10月革命が起こった1917年と、ウィルソン大統領率いるアメリカの参戦、そしてシュタイナーがしばしば引用する悪名高い14箇条(嘘の)プログラムに簡単に言及するにとどめることにする。

 

ゴルゴダの秘儀(訳注)

(訳注)イエス・キリストゴルゴタの丘で死に、埋葬された後、復活した出来事を、シュタイナーはこう呼んでいる。この時、地震が起きたとされている。

 私たちの中心の天体の外殻で起こるプロセスの科学的な説明は、ラムが膨大な著作の中で詳しく述べており、素人にも理解しやすい。この黒点からは、まず白色光噴出、そしてその直後にプラズマ噴出という強力な噴出が起きている。このようなことが、黒点の極大値が太陽の赤道上にあり、同時に地球に正対している、つまり光線が直接地球に届くような黒点期間の途中で起こると、上記のような地球上の大災害が起こるのである。しかし、ラムがシュタイナーの言葉を数多く引用しながら、その著書の中で詳しく述べている最も重要な精神科学的背景には立ち入らずに、著者が示したこれらの黒点活動の例、太陽での噴火の同時性、時系列と地上に引き起こされた大災害、歴史上の聖金曜日イースター日曜日の出来事をここで考察する必要がある。

- 太陽の白色光噴出は8分以内に地表に到達し、直ちに地球の磁場を揺り動かす。電離層を通過し、地球の中心部まで直接、放射される。

 すると見よ、神殿の幕が上から下まで二つに裂け、地は揺れ、岩は割れた・・・・・・

- 聖金曜日の日食(正午12時)または十字架上の死(午後3時)からイースター日曜日の夜明け(午前6時)までの期間は39~42時間である。これは、記述した白色光噴出から約24〜48時間後に、地球上で二次的効果が有効になるという天体物理学的観測に対応するものである。

 放射性フラッシュが直接地球を貫いてから1〜2日後、部分的に巨大な太陽プラズマの雲が地球の大気、特に地球の磁気圏を直撃する。このプラズマ噴出と呼ばれる現象によって、地球は再び芯から揺さぶられ、2度目の地震を誘発するのである。

... 日曜日の朝、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓の様子を見に来た。すると、見よ、大地震が起こった.

- Emil Bock6が書いている。

地震は、かつて(ソロモン)王が埋めたゴルゴダの原初の峡谷を再び切り裂いたのである。そうして、地球全体がキリストの墓となったのである」と。

「この墓は、ソロモンがエルサレム市を前にして切り開いた原始の谷に属していたのです。つまり、弟子たち7は空の墓だけでなく、不気味な奈落の底も見ているのだ。

 33年4月3日・5日の歴史的なゴルゴダの出来事には、人類の地上的発展にとって最大の救いの行為が含まれていたのである。しかし、その前に、銀貨30枚でユダが裏切り、大祭司アンナスとヘロデ王のルシファーが参加するという最大の裏切りも含まれていた8。ラムはこのモチーフを省いているが、ルドルフ・シュタイナーの「人間は宇宙を痛める」という言葉を真に受けるならば、黒点の大きさや噴火の激しさには一定の意味があるのだ。おそらく、1998年に出版されたとき、2001年の裏切り(訳注)というパラレル(平行事象)はまだ知られていなかったからだろう・・・。

(訳注)9.11アメリカの同時多発テロのことであろう。これは世界に対する裏切りである。

20世紀の太陽黒点

 ここでもう一度、時事問題に目を向けてみよう。

 ルドルフ・シュタイナーは、薔薇十字団の神智学に関する講義9の中で、太陽の黒点とその広範な起源に光を当てている、とラムは書いている。「1924年6月7日、コベルヴィッツでシュタイナーは再び黒点の意味を指摘した。1907年6月2日、彼は今日、太陽に現れる斑点を、その敵対する力が現代人類への最大の挑戦となっている悪の遅滞した力と関連付けた。1924年6月7日、コベルヴィッツでシュタイナーは再び黒点の意味を指摘した。"もし、人が物事をもっと詳しく見ようとするならば、例えば、社会生活の中で起こっている多くのことが、黒点の周期性を理解すれば、よりよく理解できるだろう "と述べた。」

 そして、ハルトムート・ラムは、11年間の平均的な黒点周期No.15から22に基づき、70ページにわたってソ連の症状史的な説明を行う。1917年11月の黒点極大:10月革命/レーニンによる権力奪取に始まり、1929年農民反乱/クラク人殺害、1937年スターリンによる見せしめ裁判、1948年東欧圏への進出、1956年ハンガリー動乱鎮圧、1968年プラハの春鎮圧、1979年アフガン侵攻、1991年エリツィンの8月クーデターに至る周期的なものである。

「人間は宇宙を痛める ...」

 と、ルドルフ・シュタイナーは、23年10月23日と23年11月17日にハーグで行った講演の中で述べている。ラムは、この本の付録の中で、このテーマに関するシュタイナーの最も重要な発言を、本編の執筆時には知らなかったと述べている。そして、98年6月のミヒャエル・カリッシュとの会話と、同年出版された彼の著書11に触れ、「10月23日の講演は、私の説明の中では、むしろ不当に小さく扱われている」と総括している。そして、「これら(シュタイナー)の言葉は、ナチスの恐怖による大量絶滅行為と1933年以降に著しく変化した黒点のダイナミズムも、法則的に互いに内部的に結びついていると見るべきことを示唆している」のでだ!

 ルドルフ・シュタイナーは、「人間が青酸カリで自分を殺すと、実は、人は太陽を破壊しているのだ」と言った。そして、すべての青酸カリによる死によりそのようになるのだ・・・」! このような事情から、ラムは症候学的な歴史観察を東方に限定しており、中欧や西洋は視野に入れていなかったのだ。しかし、忘れてはならないのは、チクロンB(訳注)は青酸カリの商品名にほかならないということだ。中欧と西欧の症候学的な歴史観察については、このような側面と、先に述べた2001年の並行事象を考慮したうえで、別の考察となるだろう。

(訳注)ナチスアウシュビッツで使用した毒ガスである。

         フランツ・ユルゲンスフライブルク

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 太陽黒点が多いと言うことは太陽活動が活発であるということであるから、それが地球やそこで生きている生命に影響を与えることは十分想定されることである。このようなことから、黒点と地球上の災害や騒乱と言った自然及び社会的事象に相関関係、同時性があると考えることに無理はないだろう。In Deepさんの記事でも、そうした研究が紹介されている。

 だが、シュタイナーが示唆し、ラム氏が考えているのは、実はその逆もあり得ると言うことのようである。人間が太陽の黒点に影響を与えている、その生成消滅に関わっていると言うことである。太陽は、シュタイナーによれば、その内部は空洞(というより虚の空間)であるとされ、その本体は霊的存在そのものである。人間も魂的・霊的要素をもっているので、例えば人間の汚れた情念や観念が太陽に影響を与えるということであろうか。(この辺の詳しい説明は、まだ学習不足なので、次の機会に譲りたい。)

 一時期、黒点が少なかった太陽が、最近は活動を活発化させているようである。ウクライナ危機により世界中で憎悪が広がっていることを反映しているのだろうか。

 なお、青酸カリによる死が太陽を破壊しているということについては、実は、その人間の魂も破壊するという重大な問題も含んでいるのであるが、これについても、今後紹介していきたい。