k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

アーリマンの目的とは ①

アーリマン

 「トランスヒューマニズムとダブルと人類の分化」の記事をはじめとして、これまで何度か、カルル・シュテッグマン氏の『もう一つのアメリカ』からその一部を紹介してきた。この原書は、私が若い頃に購入しいて、途中で挫折して読了していなかった本なのだが、これを機会に読み進めたところ、非常に示唆に富む内容であることがわかった(この時期に改めて読むべき本であった)。

 「もう一つのアメリカ」とは、唯物主義に取り込まれた現在のアメリカとは別に霊的なものを指向するアメリカが存在するというような意味であろうか。人智学派の多くは、3000年期のアーリマンの受肉アメリカで起きると考えており、それをふまえて、シュテッグマン氏の論稿は、様々な視点からアーリマンの攻撃と、それに対抗すべき人類の課題、アメリカの役割等について論じている。

 この本に書かれていることをふまえて、3000年期に受肉するというアーリマンが何を求めているのかを考えると、まさに現在、その実現への基板ができつつあると思えるのである。そしてそれは、アーリマンの受肉の準備が終わっているということかもしれない。

 今回は、このような観点からこの本の一部を紹介していきたい。

 

 先ず、著者とこの本の主な内容について述べてみたい。

 カルル・シュテッグマンCarl Stegmann氏は、「アントロウィキ」によると、1897年3月15日にキール(ドイツ)で生まれた。シュタイナーの指導の下で創設された宗教団体である「キリスト者共同体」の共同創設者、牧師、リーダー、広報担当者、編集者であった。中学校を卒業後、15歳で鍵屋等の見習いを経験し、第一次世界大戦では軍隊に志願した。戦争中、神智学的な考えに精通し、その後、シュタイナーを知り、その講演を聴くなどし、やがて人智学運動に加わるようになり、キリスト者共同体の創設に関わった。戦後は、マンハイムで活動し、1966年に、彼は上級指導者に選任された。1970年、73歳の時、彼は同僚たちと共にアメリカに移り活動した。彼は「サクラメント人智学研究センター」を設立し、『The Other America』を書いた。米国で14年以上過ごした後、1984年にマンハイムに戻り、1996年2月16日に亡くなった。彼の人生のほぼ99年間のうち、彼は、彼が共同設立したキリスト者共同体の牧師として74年間奉仕し、1920年以来人智学協会のメンバーであり、1924年以来、精神学自由大学のメンバーでもあった。

 シュッテグマン氏の著作は、アントロウィキを見る限りは、この本のみである。この本、『もう一つのアメリカDas Andere Amerika』は、当初1975・76年にシュッテグマン氏が学習用に執筆した原稿がまとめられて公刊されたものが、1991年に改めて哲学・人智学出版社から出版されたもののようである(本来は英語で書かれていたのかもしれないが、今回はドイツ語版からの翻訳である)。

 91年版の序言にあるのだが、91年というのは、アメリカのイラクとの戦争(湾岸戦争)の起きた年であり、著者によれば、「霊的次元を意識すると」、75年に著者が、「徴候として述べていたことの多くが、表面化してきた」年である。

 また世紀末と同時に千年紀末が目前に迫っており、それはつまりアーリマンの地上への受肉が迫っていると言うことであり、その様な切迫した状況の中で、本来の「アメリカの霊的なものを、シュタイナーの霊学により強化」しなければならないという使命のもとに出版されたものと言えよう。

 著者が指摘する「徴候」とは、アーリマンの受肉を準備するような社会状況であろうが、91年から既に約30年が経過した現在の状況は、どのようなものであろうか?残念ながら、アーリマンの受肉を促進する方向で、より悪化していると言わざるを得ない。あるいは、ひょっとしたら既に受肉しているのかもしれない(そう述べる人智学者もいる)。

 では、具体的にアーリマンは、何を望み、何をなそうとしているのだろう? このことについて、本書を手がかりに考えてみたい。以下には、一部、掲載済みの記事と重複する部分があることを断っておく。

 

 アーリマンの死後生への働き

 (『もう一つのアメリカ』より)

 シュテッグマン氏は、アーリマン霊、そしてドッペルゲンガーの目的について次のように述べる。

 「『地上では、唯物主義的思考が支配している。そのカルマとして、霊界では、いわば唯物化された結果、死者における霊的体の地上化が支配する。』(以下引用文はすべてシュタイナー)つまり、地上の生活で、エーテル体が物質体と強く結びつきすぎると、エーテル体は本来の能力、形成力を失い、物質体の法則を受け入れるようになってしまうのである。それは、凝縮し硬化していく。」

 エーテル体は、人間を構成する超感覚的な体の1つで、生命活動の源であり、また物質世界における精神活動の基底で活動している。それが体を離れると、体は分解する、即ち死ぬのである。人の物質体と、他の超感覚的、霊的な部分を媒介する役割をもっているが、物質的なものに強く結合すると、その影響を受けて、本来の流動性を失い硬化していくというのである。

 その結果、

人間は、地球の力と結合する。死後も、エーテル体には、肉体の法則、その硬化、濃密化の法則が働いているので、エーテル体が分解することはできない。それにより、その人間は、存在の高次の世界に向かうために、地球を取り巻くエーテル界から自らを解き放つことができない。彼は、長い間、地上につなぎ止められ、アーリマンに奉仕しなければならないのだ。」

 人間のエーテル体は、死後まもなく分解し世界エーテルに吸収されていく(戻っていく)。その後に、より高次の霊界へと旅立っていき、長い期間をおいて、やがてまた地上に再受肉するのである。しかし、エーテル体を分解できない人間は、地球周辺のエーテル界に留まらざるを得ず、アーリマンに使われてしまうのだ。

 アトランティス後の時代には、ギリシア時代まで、人間は、死後の生への認識を失っていった。死後の世界(霊界。魂の本来の故郷)が影の世界のように感じられるようになったのである。霊界(冥界)に、もはやより高次の世界に昇れなくなった死者達が存在するようになったのである。

 この死者達を救済したのが、キリストである。キリストは、磔刑後、復活するまでの3日間、冥府に降ったという伝承があるが、それはこのことを意味しているのである。

[キリストは]死者と冥界で過ごし、そこに力を持っていたアーリマンを縛り付け、死者達に-但し、キリスト衝動を受け入れ始めた人間達にのみ-神的世界への門戸を開いた。

 しかし、アーリマンの力は完全に消滅させられたのではない。アーリマンにも、人間の霊的成長において果たすべき役割があるからであろう。

「キリストの密儀の力が及ばないところでは、次第に、アーリマンに対する守りは弱くなっていった。アーリマンの影響が及ぶようになり、人は、死後、地球から離れられず、物質世界に破壊的な力を及ぼすようになっている。」

 自然災害や、人心の荒廃、暴力の蔓延等の真の原因は、こうした生前に唯物主義に染まった死者に求められるのである。それこそが「荒ぶる魂」であろう。

 しかし、死者は、永遠に地球に縛り付けられるのではない。

 「カルマと輪廻が、人間を地上世界に降下させようと、引き続き導いているので、再びアーリマンから解放される。アーリマンは、死後の人間を常に自分の支配下に置こうとしたが、これまで、うまくいかなかった。」

 原因と結果の法則であるカルマ(業)には、霊的存在もあらがえない。人間の魂は、輪廻を繰り返し、過去の過ちを修正していかなければならない。このため、一度霊界に戻っていかなければならないのだ。このため、これまでアーリマンは、永遠に人間の魂を支配することはできなかったのである。

 

 次に、著者は、人間と言語の問題に触れる。言語は民族に結びついているが、現在の言語には、アーリマン的要素が入ってきているという。また英米の左道のオカルト結社は、英語を世界言語にしようとしているという。霊界に入っていくには、自己の民族性をも脱していかなければならない。

西方[アメリカあるいは英米]には、英語を話す民族の世界支配権を維持しようとするグループが存在する。それにより、その言語と、このグループにおける思考方法は、意義と権力を得ることとなる。『多くの人にとって、唯物主義的な時代である今日、言わば思考は、言語に含まれている。人々は、今日、[本来の]思考において考えるのではなく、言語、言葉において思考する。・・・死後には、言葉の表示から自由になることが課題である。』

 本来の理念に至るには、人は、それから解放されなければならない。・・・人は死後、民族に結びついた地球の言語とそれに規定された思考方法から自由になるため、大天使との結び付きを求めなければならない。それにより、人類の意識に覚醒する可能性を得るのである。しかし、西方のグループは、人類からではなく、グループの利益から考えている。それは死後に結果をもたらす。『その様なものが求められた事により、死後に霊界に入った者は、大天使のヒエラルキーに登ることができず、天使の領域に入っていくのである。』『言語からの解放は、大天使の実質に入っていくことと内的に関連している。』死後の生において、死者は、天使にのみ『食事を与えられる』のではない。死者は、失った本来の大天使の代わりのものを得なければならない。『実際、死者は同等のものを得るのである。・・・大天使の段階に留まったアルカイから来るものを。』『つまり、死者は、最も優れた意味で、アーリマンに浸透されるのである。』『それにより、死者は、アーリマン的不死を獲得するのである。』」

 悪の霊とは、通常の進化から逸脱した霊的ヒエラルキーである。ヒエラルキーは、下から天使、大天使、アルカイ、エクスシアイ・・・とより高次の存在となる。逸脱(停滞)するとは、例えば、進化の段階としてはアルカイに昇るべき霊が大天使の位階に留まると言うことである。

 人は、死後、大天使との結び付きを通して、自己の民族性を脱し、人類的意識に目覚めていかなければならない。人の使う言語は、民族と結びついており、霊界で上昇していくには、そうした特殊性を脱して人類という一般性を獲得しなければならないのだ。唯物主義や利己主義に染まった人間は、大天使の領域ではなく、天使の領域(月の領域)までしか昇れない。しかし、死者はそこで、「大天使の段階に留まったアルカイから来るもの」を受け入れることになる。そしてそれにより、「アーリマン的不死を獲得するのである。」

 このように、神々が本来定めた霊的進化に対抗し、別の道を歩むと言うことは、愚かなことだろうか?

 「プログラム通りの正常な発展を抜け出て、全く異なる霊的発展に入り込もうとするとは、何と愚かな人々だろう、と言うこともできる。しかし、ある種の衝動から、人々が、我々が正常なものと見るものとは別の世界で霊的発展を求める憧憬を得ることができると言うことを考えないのなら、それは、短絡的判断である。彼らは、『我々は、キリストを指導者として求めない、別の指導者を求める、正常な世界とは反対に向かう、と言うのである。』この死後の体験により、良き神々に導かれる発展から逸脱し、別の道を歩む人々が存在する。」

 別の神を求める衝動が存在するのであり、それに囚われた人間は、あえて、別の進化の道を歩むことを望むのである。

 アーリマンが求めているのは、この別の進化の先にある世界なのである。

「アーリマンは、地球の終わりまでに創造しようとしている諸惑星のために人間を得ようと、地上の人間を根本の神々から分離しようとしている。ヤーヴェ神が正当に行なったものを奪い取り、自分の意味で継続してきたアーリマンは、古月期の力に結びついている。」

 地球は、古土星、古太陽、古月の状態を経て現在に至っており、この後は、木星など他の惑星の名が付いた状態へと進化していく。

 ヤーヴェ神とは、旧約聖書の創造神であり、7柱のエロヒムの内の1柱であり、エクスシアイの位階に属する。他のエロヒムと共同で人間に自我を与えた。月に住むという。

「『すると、唯物主義的悟性に忠実であった者達が、月の力と結合して、地球が亡骸となったなら、地球を月と共に取り囲む時が来るだろう。この存在、唯物主義的悟性に完全に結合しようとするこの人間は、地球の生命に結びついたままで、正しく地球の遺骸を離れて、地球の魂的・霊的な領域に昇ろうとしないであろう。』」

 月は、地球から分離したときに、地球の邪悪な衝動を伴っていった。唯物主義に染まった人間は、月の領域に留まり、それより上の霊的領域を目指そうとしないのである。

 このようなことの結果、私たちの前には、2つの発展の可能性がある

「我々は、人間発展のこの上ない悲劇の前に立っている。人類は、2つに分かれ、異なる道を歩むようになるのである!一方は、死に行く地球、地球の亡骸と共に歩み、一段階、下降する。他方は、人間としてのより高次の発展へと努力するために、真に霊的な地球と共に歩む。アーリマンは、それを準備している。彼の地上での出現により、それは、黙示録的現実となるのだ。イメージ的に言えば、人類の一部は、獣の数字を、他の一部は、神の印を額にもつのである。

 現在の地球も、一度その物質的状態が消滅した後、新たな惑星状態(木星)へと向かう。しかし、アーリマンは、その地球の一部を我が物として奪い取り、自分の惑星を造ろうとしているのである。そこに住む人間は、進化の段階を1段登るのではなく、むしろ1段下がるのであろう。それは、人類が分化するということである。

【以下、次回に続く】