k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

脳・脊髄のイメージとしてのアトランティス大陸

 以前、「意識には脳が必要か? ②」で、アンドレアス・ナイダー氏の『超自然と下自然の間の人間』の一部を紹介した。その後、この本を読み進めたところ、アトランティス大陸に関わる非常にユニークな話が出てきたので、これを紹介したい。(「 」内は当該書より引用)

 

 

 この本に「光の時代とエーテルへの目覚め-存在の構成要素の分岐点」という章があり、それは、人間のエーテル体と意識の発展の関係について述べている。

 人の意識のあり方は、時代により異なる。時代を遡るほど、人は、霊界を知覚する能力を備えていたのである。そして、そうした能力は次第に失われていくのだが、その変化には、人の構成組織が変化してきたことが背景にある。

 「人のエーテル体は、エジプト、ギリシア文化時代まで、肉体より大きく、それを取り囲んでいた。ギリシア時代の哲学と科学の登場により初めて、エーテル体は、肉体の輪郭を取るようになった。」かつて、人のエーテル体は、身体を大きくはみ出ていたが、次第に、縮小していって、肉体の形に収まるようになり、それにより霊界を知覚する能力が薄れていったのである。

 太古の時代、人類は文字をもっていなかった。その必要がなかったのである。「人類がまだ文字を発明していなかった時代、意識内容のそれぞれの形に対する、表現及び記録の手段は、記憶しかなかった。」次世代に伝えるべきものは、文字ではなく、人の記憶により伝えられた。「全ての口述伝承は、記憶に結びついている。」この時代、人の記憶は、より広大で強力であったのである。

 古代人の記憶力は素晴らしく、例えば、日本においても、古事記は、古い文献を「誦習」(しょうしゅう:口に出して繰り返しよむこと)していた、高い識字能力と記憶力を持つ稗田阿礼と言う人物の口述を書き取ったものとされている。一人の人間が、古事記を丸々暗記していたということであり、あるいは、もととなった古い文献が成立する以前は、やはり口承のみで神話が伝えられてきた可能性が高いのだろう。

 しかしこの種の記憶は、人の個人的伝記的なものではない。「自分の民族の記憶に関係していた。一方では、それは血に、他方では、言語とそのリズムに結びついた呼吸に結合していた。記憶の文明は、同時にリズムの繰り返しの文明である。その様に広大な記憶は、特定のリズムを守ることによってのみ形成されるのである。」(稗田阿礼の誦習のように、記憶には一定のリズムが有効だったのである。)

「最初、神話のような記憶内容は、言葉のリズムに現われ、次に、単に物語られるのではなく、多かれ少なかれ祭儀的に示される。

 しかし、全ての祭儀、宗教的生命は繰り返しに基づく。記憶文明は、故に、祭儀の文明、リズム的な繰り返しの文明である。シュタイナーは、記憶のこの形を神話的あるいはリズム的記憶と呼んでいる。この集合的な記憶は、個人の伝記に結びつくのではなく、創造神話が語る太古にまで達するものである。神話は全て人類の集合的記憶である。」

 古代においては、記憶は自分の属する集団に結びついており、現代人のような個人的人格はまだ存在しなかった。旧約聖書の古い時代にでてくるノアのような人物達は、何百歳も生きたとされているが、それは、その子孫達が何世代にもわたって先祖の記憶を受け継いでおり、その先祖と言わば一体のものと自分を感じていたことを示しているという。逆に言えば、個人の意識は希薄だったのである。

 ノアとは、アトランティスの崩壊に際して人類を導いてその後の文明の芽を残した人物である。そのアトランティスは、シュタイナーによれば、「純粋な記憶の文明」であった。「独立した知的意識はなく、ただ記憶のみがあった。」のである。

 ここで、脳脊髄液の話に戻る。以前紹介したように、生理学的には、脳脊髄液に、アストラルとそれと共に個人的人格が自由な形成力を用いることのできる基礎が置かれる。

 「この生理学的現象の中に、動脈血液にそれが表現されている生命-形成力の、透明な液体に表現されている、[身体の]素材供給から自由になった脳水と、静脈血液の、体験-表象(イメージ)力への移行の正確なイメージが存在する。アストラル体は、呼吸の中に生きており、横隔膜の上で脊柱管の中を流れる液体に伝わる呼吸の動きにより、脳水に働きかけ、それにより素材供給から自由になった、エーテル体の形成力を自分の目的に用いるのである。イメージを伴う表象と感情生活は、生理学的には、これに基づいているのである。」(意識には脳が必要か? ②)

 エーテル体は、7歳頃までは人間の主に肉体の形成に携わるが、それ以降は、自由になり、今度は、記憶や思考の形成に使われるのである。しかし、アトランティス時代は、事情が違っていた。

 「アトランティス時代には、まだ人格的力は存在していなかった。従って、自由な形成力は、思考と表象活動ではなく記憶形成に用いられた。それは、まだ個人的アストラル的なものに染まっていなかったのである。代わりに、身体的に呼吸のリズムに受け入れられる、外的に形成された、集団的に生きられたリズムが働いた。人は、集合的記憶を形成するリズムのある共同の生命の中に生きていたのである。」

 そして、こうした人間の脳と脳脊髄液の関係が、プラトンの対話編に出てくるアトランティスの物語でイメージされているとして、ナイダー氏は次のように主張するのである。

 「この生理学的関係は、イメージとして、プラトンアトランティス神話に再び登場する。つまりそこでは、大陸は、脳脊髄液に浮かんでいる脳の姿のように、大陸全体が潮流に取り巻かれているが、その内側でも、多くの潮流が、外側の土地と内側の土地を分けている。首都のポセイドニアは、生理学的には、脳脊髄液が造られている場所にある。

 エーテル体は、何によって圧縮され、従って小さくなったのか。プラトンの描いた像が、当時の人間の生理学的構造のイマジネーション的姿を示唆している、アトランティス大陸は、何によって沈んだのか。それは、アストラル体の強力な干渉によってである。水の純粋な要素、純粋な生命力は、人のアストラル体によって乱用され、それにより汚されたのである。水の要素が混乱に陥り、ついにこの文明の終焉をもたらしたのだ。プラトンの描いたアトランティス大陸の姿は、記憶に結びついた意識の変化に導いた、生理学的な変様のイマジネーションに他ならない。」
 アトランティス人は、エーテルの力を利用していたという。アストラル体による乱用は、人の利己的欲望のためにそのエーテルの力が汚染され、乱用されたというのである。その結果、「水の要素(エレメント)が混乱に陥り」、大洪水により没したのである。

プラトンに基づくアトランティスの都市

       脳と脊柱管

 確かに、プラトンの説明するアトランティス大陸は、冒頭の図と上図にあるように、大洋に浮かび、更にその内部に水路を引いて、その中心部は、大洋とつながっていた。人間の脳と脳脊髄液の関係をよくイメージさせる。それが正しいとすると、この対話編でこうしたイメージを込めたプラトンの意図はどこにあったのかということになるが、ナイダー氏の本ではそこまでは触れられていない。

 ここで注意しなければならないのは、ナイダー氏は、勿論、プラトンの語るアトランティス大陸は比喩に過ぎず、アトランティス大陸は実際には存在しないと述べているのではない。アトランティス大陸の存在は、シュタイナーによって認められており、時代を区分する重要な要素ともなっているのだから、実際に存在していたことは否定していないだろうと思われる。ただアトランティスプラトンの言うように存在していたとしても、実際に、アトランティスの都市の姿がプラトンの述べるようなものであったのかどうかはまた別の話である。
 しかし、人間自身はミクロコスモスと呼ばれ、宇宙と照応関係をもっているとされる。アトランティス時代には、内なるものが、外界に反映していたということもあり得るのかもしれない。

 ところで、実は、プラトンの記述を更に読み取ると、図の3重の丸い水路をもった都市部には四角な広大な水路網が付属していたことになるらしい。

 

 この図は、ナイダー氏の説と多少齟齬を来すようにも思えるが、むしろ、この四角の水路部分は脳に続く脊髄部とそれにつながる部分を象徴しているとする見方が可能かもしれない。

 シュタイナーによれば、アトランティス時代は、まだ思考力は育っておらず、記憶が主体の時代である。ナイダー氏は、プラトンアトランティス神話は、そのアトランティスの歴史の物語の中に、その時代の人間の脳組織を示唆する話を盛り込んでいるというのである。
   このような考え方は、実は、ナイダー氏特有のものではないようである。古来、プラトンアトランティスを語る対話編には、深遠な哲学的真実あるいは密儀が込められているとする解釈が存在するのである。
 「プラトンアトランティスの説明を慎重に読むならば、この物語は完全に歴史的なものではなく、寓話と歴史が混ざり合ったものであるのは明らかである。オリゲネス、ポルピュリオス、プロクロス、イアンブリコス、シュリアノスは、この物語の中に深遠な哲学的な密儀が含まれているのに気づいていたが、実際の説明としては同意していなかった。プラトンアトランティスは宇宙と人体の両方の3つの性質を象徴している。」(「Hiroのオカルト図書館」ーアトランティス大陸と古の神々ーより 

 しかし、その様なことができるとすれば、プラトンとは何者であろうか?プラトンは、西洋哲学の祖といわれるソクラテスに師事していたが、古来から伝わる秘儀をも研究していたのである。つまり、プラトンは秘儀参入者でもあったのだ。
 シュタイナーも秘儀参入者としてのプラトンに触れているが、これはまた別の回で触れることになるかもしれない。