k-lazaro’s note

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アングロサクソンとロシアの対立 ②


 前回の、テリー・ボードマン氏のウクライナ問題の論稿のパート1では、英米が、中央ヨーロッパと東ヨーロッパを分断させ、ドイツとロシアの弱体化を図る戦略を進めてきたこと、シュタイナーによれば、その背景には、ドイツ人とスラブ人(ロシア)の協力の中で生まれるであろう次の文明期への展望が存在することが述べられた。

 パートⅡでは、ロシアを巡る英米の現在までの戦略が語られる。

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ロシアを分割する

  ブレジンスキーは、1992年の論文で、例えば、ソ連崩壊後のロシアが分割されるかもしれないという考え方を示した。彼は、「ロシア自身の統一も近いうちに危うくなり、おそらく極東地域は、遠くないうちに、シベリア・極東独立共和国を立ち上げようと誘惑されるだろう」と書いた。ブレジンスキーは5年後、主要著作『グランドチェス盤』でこの極東共和国の概念に戻って来る。この崩壊したロシアは、同じ1992年の冬に、グローバリストの新世界秩序の主要な宣伝機関であるイギリスの週刊誌『エコノミスト』の記事にも登場したエコノミストの匿名の執筆者は、今後50年間の未来を想像し、その間に、ウラル山脈以東のすべてのロシア、広大な領土が「イスラム超国家的存在」と中国に奪われるだろう、と示唆したのである。ロシアは16世紀のヨーロッパの国境線に戻り、おそらくアメリカとスイスのバーゼルにある国際決済銀行の「指導の手」の下で、大西洋横断的な欧州連合に統合されることになるだろう、と。

 

 ブレジンスキーは、『グランド・チェスボード』(1997 年)の「ブラックホール」と題する章で、ロシアの「唯一の選択肢のジレンマ」と呼ぶものについて次のように書いている。ロシアにとって唯一の地政学的選択肢、すなわちロシアに現実的な国際的役割を与え、自らを変革し社会的に近代化する機会を最大化しうる選択肢は、ヨーロッパである。それも単なるヨーロッパではなく、拡大するEUNATOによる大西洋横断的なヨーロッパである。そのようなヨーロッパは、形を整えつつある...そして、アメリカと密接な関係を保ち続ける可能性もある。」

 ブレジンスキーは、また「ロシアが危険な地政学的孤立を避けるためには、そのようなヨーロッパと関係を持たなければならないだろう」と述べた。ブレジンスキーは、ロシアの前に「NATOとのますます緊密な関係」という展望をちらつかせたが、あくまで関係であって、完全加盟ではない。

 ブレジンスキーは、ロシアは「ウクライナだけでなく、ウラル山脈、さらにはその先まで包含するヨーロッパの不可欠な一部となる可能性がますます高まっている」と述べている。ブレジンスキーがこだわったのは、「ロシアの再定義」と「ロシア帝国の終焉」だった。ロシアがブレジンスキーの大西洋横断主義的なヨーロッパの未来を受け入れることを拒否したり、ウクライナEUNATOへの完全参加を拒否したりすることについて、ブレジンスキーは次のように語る。ブレジンスキーの背後に、彼の長期スポンサーであるデイヴィッド・ロックフェラーなど西側の富裕層がいることを忘れてはならない-「... このプロセスがどれほどのスピードで進行するかは予測できないが、ひとつだけ確かなことは、 ロシアをその方向に駆り立て、他の誘惑を封じるような地政学的状況が形成されれば、それはより速く進むだろう... 実際、ロシアにとって、一つの選択肢のジレンマは、もはや政治的選択をする問題では なく、生存という必然に直面することなのだ」。これは明らかに威嚇の言葉で、1990年代のアメリカの「ユニポーラ(一極支配)の時」に影響力を持った アメリカの政治家が傲慢きわまりなく言ったものである。

 

 もちろん、1990年代半ばのブレジンスキーは、習近平と、習近平が2013年に政権に就いてから着手した「新シルクロード」とも呼ばれる広大なユーラシア一帯一路輸送インフラプロジェクトは予見していなかっただろう。今日、ロシアは今年2月以降、欧米とその傀儡による制裁を受けたにもかかわらず、欧米のメディアが絶えず口にする地政学的な「孤立」や「孤独」からはとても遠ざかっているキエフのマイダンのクーデターで始まった2014年、中国で習近平が政権を取ったわずか1年後に、ロシアと中国はロシアのガスを30年かけて中国に供給する4000億米ドルの巨大ガスパイプライン計画「Power of Siberia」に調印しました。交渉は10年近く前から行われていた。2019年12月から中国にガスが流れ始めた。

 

ロシアとユーラシアの「ピボット(軸足)」

  その交渉が行われていた頃、欧米のメディアはオバマ大統領の新しい戦略「東アジアへの軸足」(2012年)についてよく語っていた。「ピボット」という言葉の使用は、ズビグニュー・ブレジンスキー地政学上の長年の師匠の一人であるエドワード朝時代の地理学者ハルフォード・マッキンダー卿(1861-1947)の重要な概念を思い起こさせ、興味深いものであった。ブレジンスキーは『グランド・チェスボード』の中でマッキンダーとその概念に言及し、「地政学は地域から地球規模に移行し、アジア大陸全体に対する優位が世界の優位の中心的根拠となった」と主張して、それを軽視しているように見える。しかし、実は、ブレジンスキーの著書全体がこの主張と矛盾している。彼自身の懸念は、英米の戦略思考においてマッキンダーのオリジナルの洞察が現在も重視されていることを裏付けているのである。日露戦争(英国の対ロシア代理戦争)が勃発した1904年、ミルナー卿の弟子でロンドン経済学院の院長だったマッキンダーは、すぐに有名になったテキスト『歴史の地理的軸』を発表し、その中で「ハートランド」または「軸」理論を展開している。マッキンダーは、ウラル山脈の東側、シベリアと中央アジアの大部分、そしてヒマラヤ山脈と中国に至る広大な地域が、世界のパワーの鍵を握っていると主張した。なぜなら、この地域には膨大な物質資源、水源、この地域に住み、そこから生まれ、数世紀をかけて渡ってきた多くの人々のエネルギーがあるからだ。この巨大な領土を所有し、そこに鉄道網を建設できる国家は、イギリスやアメリカなどの海洋国家からの攻撃に対して難攻不落の陸上国家となり、中国、日本、ドイツなどの沿岸大国と同盟を結ぶことができれば、世界の覇権を握る海洋国家に挑戦できる大艦隊を建設できる人的・物的資源を持つことになるのである

 

 習近平の「一帯一路」プロジェクトは、マッキンダーの悪夢を現実にしたものである。このピボットまたはハートランド地域へのアクセスを得るために、マッキンダーは、東ヨーロッパの制御が重要であると述べた。今日、それはウクライナを意味し、ブレジンスキーのグランドチェスボードにおいて、ウクライナが重要なチェスの駒である理由であるウクライナがしっかりと西側の一部となり、EUNATOに統合され、2005年から2015年の間にそうなると彼が予想した場合、a)ロシアが「帝国」であり続けることが不可能になり、b)ロシアがオリエント、あるいはオクシデント(西部)自身が西洋に向かうようになり、c)アメリカが、フランス、ドイツ、彼の先祖の故郷のポーランドを通じて、ウクライナ(その多くはかつて彼自身の先祖も属していたポーランド貴族のものである)、さらに中央アジアと「ピボット」地域へ力を注ぐことが可能になる。

 2001年のアフガニスタン侵攻以降、2001年から2021年にかけて、アメリカは中央アジアに設けたいくつかの基地から徐々に押し出されていったことを考えると、ウクライナは西側の中央アジアへの浸透にとってさらに重要なチェスの駒になった。2014年のマイダン・クーデター後のドンバスとクリミアでの紛争勃発後、米国はウクライナに25億米ドル(2014~2022年2月)、うち4億米ドルは2021年だけで軍事装備と訓練の提供を開始し、2022年2月から「安全保障支援」で56億米ドルをウクライナに提供している。「2022年4月28日にジョーバイデン米大統領は議会に、ウクライナに武器を提供するための200億ドルを含む330億ドルを追加支援するように求めた」とある。2022年5月21日、米国はウクライナに新たに400億ドルの軍事・人道的対外援助を行う法案を可決し、歴史的に大規模な資金投入を行った」。 これは、2011年から2020年の間に米国の年間総対外援助に平均400~500億ドルが費やされていることと対照的で、米国の有力者がウクライナと現在の紛争をどれほど重要と考えているかを示す手がかりとなる。この数字は、アメリカがロシアに対して代理戦争をしていることを示唆している。ウクライナ軍がアメリカ人の代わりに死んでいる戦争で、ブレジンスキーの目標であるEUNATOに加盟したウクライナ、つまりウクライナ北部のNATO基地とモスクワから飛行時間数分(300マイル)のNATOミサイルを実現するために、アメリカが戦っているのである。

 

 1919年、マッキンダーは、中心地域を、東は中国北部まで、西は中央ヨーロッパまで拡大し、ヨーロッパのロシア全土、ウクライナバルト三国ポーランド、ドイツ東部を含むようにした(上図)。実際、マッキンダーが新たに設定した西側の境界線は、30年後の冷戦時代のドイツの国境線とほぼ一致している。マッキンダーにとって悪夢のシナリオは、難攻不落の陸軍国であり、巨大な労働力と膨大な物資を持つロシアが、ドイツや日本のような活力にあふれ、規律正しく、知的な民族と同盟を結ぶことだったことを思い起こさせてくれる。そうなれば、それらの同盟国が一緒になって、英米の海軍力を打ち負かす艦隊を作ることができるかもしれない。

 

 マッキンダーの悪夢--英米エリートの悪夢--は、2015年、非常に人脈の広い地政学者で、当時外交コンサルタント会社ストラトフォーの代表だったハンガリーアメリカ人のジョージ・フリードマンのシカゴ世界問題評議会でのスピーチで再び登場する。ISISはアメリカにとって実存的な脅威なのか、という質問に対して、彼はこう答えた。

 

 「第一次、第二次、そして冷戦と、一世紀にわたって戦争をしてきたアメリカの根源的な関心は、ドイツとロシアの関係です。なぜなら、彼らは団結すれば、我々を脅かすことができる唯一の力であり、そうならないようにするためです」)。

 

 この発言は、それまで英米の政治家が公の場で行ったことのない驚くべきものであり、過去120年の歴史に多大な光を与えている。なぜ冷戦が、ブレジンスキーが23年前に明らかにしたような見せかけだったのかを説明するのに役立っているからである。つまり、ヨーロッパと世界を分割し、ロシアと直接戦わずに「封じ込める」目的は、共産主義やロシアや中国を倒すためではなく、ドイツと日本のエネルギーをコントロール下に置き、戦後の英米資本主義体制にうまく組み込んで、経済的にも政治的にもロシアや中国に近づけないようにするためだったのだこれはまさにマッキンダーが111年前の1904年に提言したことであり、1904年以降、英米外交政策が見事に踏襲してきた路線であった。1904年のイギリスのフランスとの同盟は、1907年のロシアとの同盟につながり、ロシアとの同盟は7年後のロシアがドイツと戦う第一次世界大戦につながった。第一次世界大戦からボルシェビキ革命、ファシズム、ナチズムが生まれ、第二次世界大戦では再びドイツとロシアが戦った。第二次世界大戦は冷戦と世界の二極秩序につながった。世界の分割によりソ連と共産中国が資本主義体制から孤立し、アメリカの世界経済支配が45年間続くことになった。それはまた、西側諸国のエリートたちに、権威主義的な監視と統制のモデルを提供し、将来的に有用であることを証明した。

 

チェスの達人?

  しかし、ルドルフ・シュタイナーは、そうしたエリートたちは、先見の明があり、歴史の仕組みや、そうしたエリートたちが操ることのできる国民性の理解に関するオカルト的な知識を持っているとよく語っている。

 ロックフェラー三極委員会が設立され、世界経済フォーラムが設立され、ペトロダラーの時代が始まり、中東のテロが勃発し、リチャード・ニクソンヘンリー・キッシンジャーデビッド・ロックフェラーが共産中国を訪れた1972年と1973年にその準備を始めた西側の権力者によって、フランス革命から200年、ちょうど72年後にロシアにおけるソ連マルクス主義の実験は無理やり終了させられたわけである。この時期、ニューヨークの超党派外交問題評議会は、ロックフェラーによって数十年にわたる指導を受け、「1980年代プロジェクト」を立ち上げ、その主要目的のひとつはソビエト連邦を解体することであった。ロックフェラーは、自分の弟子であるブレジンスキーが、他の多くの三極委員会メンバーを擁するジミー・カーター大統領の政権で国家安全保障顧問になるように仕向けたのである。

 ポーランドアメリカ人のブレジンスキーは、ローマ法王ヨハネ・パウロ1世が在任わずか33日で死去し、代わりにポーランド人初の法王であるヨハネ・パウロ2世が就任したとき、たまたま在任していた。彼はすぐに反乱を起こしたポーランド労働組合運動、ソリダルノスク(連帯)とつながりを持つことになったのだ。ブレジンスキーの在任中に、イラン革命で国王が倒され、過激派聖職者のホメイニが就任した。カブールの無神論共産主義者に対抗して団結したイスラム世界の援助により、ブレジンスキー自身、アフガニスタンで「ロシアに自分のベトナムを体験させる」ことに成功した。  

 

 一方では、バチカンレーガンホワイトハウスの「不浄の同盟」 に助けられた反抗的なポーランド人ソリダルノスによってワルシャワ条約圏全体に引き起こされた挑戦、他方では、10年間も続いたアフガンの乱暴者ムジャヒディンとの戦争、さらにアメリカのスターウォーズミサイル計画に対抗しようとするその荒廃した経済への圧力によって、ソ連は崩壊しはじめたのだ。1986年、ウクライナ北部のチェルノブイリ原発事故は、崩壊の危機を告げる大きな兆候であったが、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連の衛星国が終焉を迎えたのは、フランス革命からちょうど200年後の1989年であった。その2年後のクリスマスに、ソ連は歴史から姿を消した。

西側のエリートたちにとって、ベルリンの壁の崩壊とソ連の崩壊は、西側の主流メディアが西側の一般大衆に伝えたような大きな「驚き」ではなかったのである。ロシアの歴史におけるこの最新の激動は、西側では1970年代初頭から計画されていた。レーガンサッチャーは、1世紀以上も前に確認された西側エリートにとっての「社会主義」の脅威を事実上葬り去った。1980年代に労働組合主義は萎縮し、政治的社会主義に対する1970年代の熱狂は衰退していった。マルクス主義社会主義の危険性を西側からロシアや東側にそらす「実験」は「成功」していたので、終了することができた。一方、マルクス主義中国における資本主義の「実験」は離陸しようとしていた...。

 

 1990年代、西側のグローバリスト界には、ロシアと中国がともに新しいワンワールドオーダーの世界資本主義システムに統合され、西側の支配下に入ることができると期待する人々がいた。ブレジンスキーもまた、『グランド・チェスボード』で彼が規定した「一つの選択肢」をロシアが受け入れることを望んでいたようだが、彼がそのように誠実に考えていたとは思えない。同書の文章とその後の長年の発言の間に、彼のロシアに対する大きな反感が滲み出てきている。

 一方、西側の保守派には偏執的なロシア恐怖症が残っていた。北大西洋条約に危険で無責任な第5条(「両当事者は、ヨーロッパまたは北米における1つまたは複数のものに対する武力攻撃は、それらすべてに対する攻撃とみなされることに同意する・・・」)があるNATO軍事同盟は、その共産主義の冷戦相手だったワルシャワ条約のように解散させなかった

 NATOの初代事務総長であるイスメイ卿は、NATOの設立目的を「ロシア人を排除し、アメリカ人を取り込み、ドイツ人を減少させるため」と述べている。彼らは今でも、ドイツ人とロシア人を引き離し、ロシア人をヨーロッパから追い出し、アメリカ人をヨーロッパに引き入れたいと考えている。1953年、スターリンの死後、ソ連は翌年NATOへの加盟を申請した。イスメイはロシアを「警察に入りたがっている無抵抗の泥棒」にたとえて反対した。冷戦終結後、1990年代から2000年代にかけて、西側諸国がロシアに対して「そんなことはない」と口約束していたにもかかわらず、NATOは着実にロシアの国境近くまで進出してきた。

  2003年にプーチンが米国主導のイラク侵攻への協力や承認を拒否した後、西側メディアは総体的にプーチンを敵視し(ロシアを常に疑っている保守的なメディアは常に敵対していた)、サダム・フセインスロボダン・ミロシェビッチ、オサマ・ビンラディン、ムアンマル・アルガダフィ、バッシャール・アル・アサド、ドナルド・トランプという英語を話す聖ジョージが克服しなければならない龍の次に西側メディアのブギーマン[怪物]リストに加えられたのである

 しかし、このロシアとウラジーミル・プーチンの最新の事例では、西側メディアと西側エリートは、おそらくロシア大統領の旗に、三色旗のロシアを飾る双頭の鷲があり、その鷲の胸に、...ドラゴンを征服する聖ジョージのイメージがあることを見落としているか、さもなければ重要ではないと考えているのだろう。(訳注)

(訳注)聖ジョージまたはゲオルギオスとは、ドラゴン退治の伝説で有名なキリスト教の聖人で、古代ローマ末期の殉教者。つまり西側は、サダム・フセインらと並んでプーチン(とロシア)を「退治」すべき「怪物」とみなしていると言うことである。しかし、そのロシアの国旗には、まさにその聖ジョージが描かれているという皮肉があるのである。

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 第2次世界大戦後、日本と(西)ドイツは西側に組み込まれた。その背後には、ロシアや中国と日本とドイツが連携しないようにするための戦略が存在したようだ。それは勿論、第2次世界大戦後に生まれた冷戦により結果的にそうなったのではなく、その戦争自体も含めて、長期的な視点に基づいた英米地政学的戦略に基づくものということである。

 日本は、明治維新以降、英米の「支援」を受け「近代化」を進め、対中国、対ロシア戦争などを行ない、現在も欧米の陣営に加わっているのだが、上述の説明によれば、結局英米の戦略に乗せられてきたと言うことになる。

 自己の支配権を保ち続けるため、このような戦略をとってきた英米であるが、しかし現在、既に英米の優位は揺らいできている。ウクライナ問題は、それを顕在化させるものでもあった。
 日本で、決してマスコミは報道しないが、ロシアと中国を中心に、これまで英米の圧力に苦しんでいたアジア・アフリカ・中南米の諸国がまとまり、英米の支配から脱却しようとしており、地球規模の大きな地殻変動が起きているのである。実際、マスコミはロシアは世界から孤立していると語るが、実は、ロシアの制裁に加わっている国の方が世界的には少ないのである。そして一方では、欧米、日本を抜いた経済連携も構築されてきているのだ。

 しかし、日本の主流メディアは、欧米の(操作された)情報を垂れ流しするだけであり、日本人の多くは、このような変化を知らない。日本人の真の国際感覚の不十分さ、視野狭窄は危険なレベルである。長年欧米文化を最善として受け入れてきたために、英米、欧米にしか目が向いていないのだ。
 日本では、イギリスのエリザベス女王死去に伴う報道も、女王を美化するものばかりである。しかし、世界に目を転じれば、女王は、世界中から収奪を行なってきたイギリス帝国の象徴であり、これを機に、イギリスの負の側面が語られているのが現実なのだ。

 

 今回に続く第2部はまだボードマン氏のブログにアップされていないようである。アップされれば、続きを紹介していきたい。