k-lazaro’s note

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ジャンヌ・ダルクの使命(前半)

ジャンヌ・ダルク

 先に、「自由を巡る闘い(後半)」で、シュタイナーが、ジャンヌ・ダルクが歴史上重要な使命を果たしたと評価していることについて触れた。今回は、このことについて触れてみたい。

 

 彼女のことを知らない人はいないだろうが、ウィキペディアによると、ジャンヌ・ダルクは、「(フランス語: Jeanne d'Arc、古綴:Jehanne Darc[ʒan daʁk]、英: Joan of Arc、ユリウス暦1412年ごろ1月6日- 1431年5月30日) 15世紀のフランス王国の軍人。フランスの国民的ヒロインで、カトリック教会における聖人でもある。『オルレアンの乙女』(フランス語: la Pucelle d'Orléans/英: The Maid of Orléans)とも呼ばれる。」とある。

 さらにその事績については、次のように書かれている。「ジャンヌは現在のフランス東部に、農夫の娘として生まれた。神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収め、のちのフランス王シャルル7世の戴冠に貢献した。その後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡された。イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションによって「不服従と異端」の疑いで異端審問にかけられ、最終的に異端の判決を受けたジャンヌは、19歳で火刑に処せられてその生涯を終えた。

 ジャンヌが死去して25年後に、ローマ教皇カリストゥス3世の命でジャンヌの復権裁判が行われた結果、ジャンヌの無実と殉教が宣言された。その後ジャンヌは1909年に列福1920年には列聖され、フランスの守護聖人の一人となっている。」

 フランスをイギリスから開放することに大きな貢献をしながら、当時の権力闘争の中で、教会によって、異端者と断罪され、火あぶりの刑により命を落し、しかし、のちに教会で復権して、福者とされた聖女である。その劇的生涯と悲劇性から、彼女の生涯は、小説や映画の題材としても幾度か取り上げられ、世界中の多くに人に親しまれている。

 しかし、彼女の本当の姿をどれだけの人が知っているだろうか。

 唯物主義的歴史観では、それは決して見えてこないのである。

 シュタイナーの説明を元に、彼女の生涯をまとめた本に『ジャンヌ・ダルクの使命』(2008年)というものがある。著者は、ジョーン・M・エドマンズJoan M. Edmunds氏(奇しくもジャンヌと同じ名)である。彼女は、もともと神智学教会に属していたが、ジャンヌ・ダルクの研究を進める内にシュタイナーを学ぶようになり、人智学協会員となった方である。

 以下この本によりジャンヌ・ダルクの歴史的使命について述べていきたい。

 

 エドマンズ氏は、ジャンヌの本当の姿を見えなくしている敵がいるというシュタイナーの言葉を引用しながら、現代までのジャンヌの人生の受けとめられ方を次のように述べている。

 

 「ルドルフ・シュタイナーは、・・・彼が「我々のいわゆる文明に非常によく見られる習慣」と呼ぶものに私たちの注意を促している。それは、『神々の行いを、人間の知性により訂正しようとすることである。』

 シュタイナーが特に言及している神々の行いとは、西洋の歴史上最も偉大な人物の一人であるジャンヌ・ダルクの人生と使命を通して表現されたものである。・・・ルドルフ・シュタイナーは、15世紀におけるジャンヌ・ダルクの使命は神々の行いであり、その行いに対して最も強力な敵が立ちはだかり、彼女が達成しなければならない大きな仕事を妨げようと、破壊しようとさえしていたと述べている。

 我々の時代にも彼女の敵はおり、彼らは、ジャンヌ・ダルクの伝記作家のことであり、彼らは、ルドルフ・シュタイナーが言うように、彼女の人生に対する知的アプローチのみによって、「彼女の行いを歴史から取り除こう」としているのである。・・・彼女のインスピレーションを様々な身体的・心理的障害に帰するような-実際には、現代の唯物論・科学思想に影響を受けた人間の心にとって実現可能な方法で-さらにしばしば非常に奇妙な態度が展開されている。・・・

 19世紀以来、ジャンヌ・ダルクについて書かれた何千冊もの本や研究(彼女は、キリストとナポレオンに次いで3番目に多く記録されている神話上の人物である)の中には、15世紀以来フランスの公文書に残っている多くの法的文書や記録から彼女の生涯の事実を扱った、定評ある歴史家や著名な伝記作家による多くの優れた著作が存在する。しかし、彼女の生涯と行動を説明しようとした著作も同じくらい多いが、それらは、我々の時代の始まりに必要かつ重要な形で働いたそれらの霊的な力を完全に否定するような性質のものであった。歴史的事実を大きく歪曲し、あるいは単に無視することによって、読者には、より「理解しやすい」ものが、著者が彼女の人生の謎を「解決」したとする「啓示」が提示されるのである。」

 

 唯物主義的な現代的思考では、ジャンヌが証言した天使の出現や啓示をそのままに理解することができないため、それらをジャンヌの「病気」に由来するものとするしかないのだが、その背後には、人と霊的なものとの結び付きを否定したい敵がいるのだ。

 

「そして今日、彼女の死後およそ6世紀を経て、ジョアンヌ・ダルクの生涯はいまだに強い魅力を放っているが、彼女について読む者にとっては謎のまま-多くの人にとっては単なる詐欺師-である。15世紀初頭、わずか12歳の農民の少女が、強大な霊的存在と交わり、その霊的存在から、そして後に他の霊的存在や霊界に赴いた人間から、偉大な任務の準備のために指導を受けたというのは、現代の感覚では事実上受け入れがたい話である。この交わりは、彼女が19歳で火あぶりにより犠牲的死にあうまで、残された7年間の人生の中でずっと続いたのである。

 ジャンヌ・ダルクが成し遂げた偉大な任務の真の姿は、将来の人類の発展にとって最大の意味を持つこの出来事をより深く理解しようとする意志がない限り、常に世界の人々の理解を超えたままであるに違いない。」

 

 シュタイナーは、人類が、実際に歴史を動かしている衝動を理解できない理由について、感情の生活と同じように、人類は歴史の真の衝動を夢うつつの状態で体験しており、人類の歴史的生活が、覚醒した意識の概念では把握できない衝動に支配されているという真の知識がないためであると説明している、という。

 従って、歴史に働くものを理解する唯一の方法は、「インスパイアーされた概念、インスピレーション(霊的意識)」となる。

 それは、当時の人間にとっても同じであった。ジャンヌの語ることを実際には理解できていなかったのである。

 

ジャンヌ・ダルク自身、同じような傾向で、自分の人生と使命の謎について語り、彼女の行動に感嘆する周囲の人々に対して、自分の業績の謎について語った。教誨師ジャン・パスクレルが『あなたの行いのようなことは見たことがありません。それに匹敵するような偉業はどんな本にも載っていません』と言うと、ジャンヌは『主には、どんなに学識ある書記官でも読んだことのない本があります』と答えた。彼女はまた、裁判中に彼女が勇敢に戦った相手であるカトリックの腐敗した教会関係者にもこのことをほのめかし、自分たちが理解できないことに判断を下すのはやめようと警告した。」

 一方で、時を経て、前述のようにジャンヌの名誉回復は進んだ。しかし、エドマンズ氏によれば、「カトリック教会の理解はまだ進んでおらず、1920年になってようやく彼女を聖人カレンダーに掲載[福者として認定]したものの、その真の意味を認識できず、単に『聖処女』として列福したに過ぎないのである。」

 

 ここでエドマンズ氏が注目するのは、ジャンヌの語った「私の主の書」と言う言葉である。

「ジャンヌの謎めいた言葉、『私の主の書』は、書記官、つまり聖職者や学者も読んだことがないもので、そこにしか彼女の行動の真実はない、というその意味は何であろうか? 伝記作家たちは彼女の言葉を記しているが、あえて説明することはない。ジャンヌのすべての言動は、彼女が『天の助言』あるいは『声』と呼ぶものからインスピレーションを受け、教えられたものである。彼女自身の言葉から、深い難解な性質の秘密が彼女に明かされ、彼女が『示された』と言ったように、その意味を必ずしも完全に理解していたわけではないことがわかる。しかし、これらの秘密のうち、『本』の性質もまた、ある程度は彼女に明かされたと推測できる。」

 私も、エドマンズ氏の著作で初めてこの「本」について知ったのだが、やはりこのことは、何世紀ものあいだ、伝記作家たちに無視され、あるいは理解しがたい説明と見なされ、謎のままであった、という。

 しかし、エドマンズ氏は、人智学者として、新たな解釈を提起する。

 

ルドルフ・シュタイナーやその他の研究者たちによる霊界の本質に関する現代の研究によって明らかにされたことは、それをもってジャンヌがあれほど挑戦的に審判に挑んだ『本』が、アストラルの光の中にある、世界の過去の出来事がすべて表示された消えない痕跡である『アカシック・レコード』であることを明らかにすることができるようになったのである。」

 

 「アカシック・レコード」は、人智学派では、「アカシック(あるいはアーカーシャ年代記」とも呼ばれている。それは精神界の境界(有形精神界と無形精神界)にあって、世界で生じたことすべての痕跡をイメージの形で保管しているもので、アストラル光の中に、過去の人間の思考・情動を読むことができるとされる。

 シュタイナー、これを見ることができたと言われるが、ジャンヌも同じものを見ていたのであろうか。

 

*  *  *

 エドマンズ氏は、人類史における当時の状況に関するシュタイナーの説明に触れている。

 

ルドルフ・シュタイナーは、15世紀初頭に物理的世界と精神的世界の双方で起こった途方もない出来事について、大きな洞察を与えている。前者について、彼はこう言っている。

『15世紀、イギリスは、ヨーロッパの向こう側にある大きな大陸の発見によって開かれた地球の一部への欲求からそらされ、イギリスの民族魂は、ヨーロッパ大陸での領土の大幅な拡張に着手していたと想像してみよう。第一に、そのとき達成しなければならなかった物質的文明を達成することは不可能であっただろうし、第二に、ヨーロッパが、ドイツ神秘主義の影響を大きく受けたプロテスタンティズムの協力によって、多くの障害にもかかわらず、そのときから発展するその内的生活の深化を達成することはなかっただろう。進化に介入したキリストの衝動は、キリスト原理の外的な担い手として魂が準備されなければならない領域から、イギリスの関心を遠ざけるように注意しなければならなかったのである。

 この時期は、中央ヨーロッパが、意識魂あるいは霊的魂の時代に入る、アトランタ以後5番目の文明の時代の幕開けであった。周知のように、この時代は1413年に始まり、その特徴は、物質的生活と物理的存在の外的事実に注意を向けることによって発展することができるものである。イギリスの民族魂は、意識魂の展開と発展のために特に選ばれたのである。-これは、人類の発展のために、絶対的に予め計画されていたのである。』」

 

 意識魂とは、人間を構成する心魂部分の、そのまた一部である。人類はそれを萌芽的に有していたが、15世紀以降にそれが発達し、意識化されるようになっていくというのである。これは、神々の定めた人類の霊的進化の道(それは宇宙の霊的進化の道でもある)であるから、「絶対的に」成し遂げられなければならないのだ。

 そのために、当時のイギリスとフランスの分離が必要であったと言うことのようである。ジャンヌ・ダルクは、このために神々により遣わされたのである。ここに人類の歴史への神々の介入がなされたのだ。それは、神々の行いに敵対する力が地上に働いていたからでもある。その敵対的力が、またジャンヌの火刑をもたらし、彼女の名誉を毀損したのだろう。

 

 さらに霊界の出来事については、シュタイナーによれば次のようであるという。

 

「地上を見下ろすと、セラフィム、ケルビム、スローン、つまり最高のヒエラルキーのメンバーが、いかに強大な行為を成し遂げているかを...... 存在の通常のコースで見られるものから畏敬の念を抱かせるような逸脱を、人は目撃する。このようなことが最後に行われたのは、超感覚的な側面から見たアトランティスの時代であった......宇宙的な知性が、宇宙的なままで、人の心を支配していた時代......そして今、現在の地上の領域に、再び、霊的な光と雷の中に出現したのである。人が地上の歴史的激動だけを意識していた時代、外部の歴史に書かれているようなあらゆる驚くべき出来事が起こっていた時代、その時代、超感覚的世界にいる霊たちには、地球が強大な稲妻と雷鳴に包まれているように見えたのである。セラフィム、ケルビム、そしてスローンは、宇宙知性を、人間の組織の中で私たちが神経と感覚のシステム、頭部組織と呼んでいる部分に運んでいたのだ。再び、大きな出来事が起こった。それはまだはっきりとした形では現れず、何百年、何千年という時間の経過の中でしか現れないが、それは...人間が全く変容しつつあることを意味している。以前は心(臓)人間であったのが、頭人間になったのだ。知性は彼自身のものになるのである。」

 

 これは難解な話であるが、天使の位階の最上位の存在の働きにより、それまで心臓(ハート)で思考していた人間が頭部(脳)によって思考するようになったということである。それは、心情的思考が知的思考に変化したというように言えるかもしれない。私も理解が不十分で今はこれ以上のことは語れないのだが、付け加えるなら、人間の肉体のように、物質界に直接介入できるのは、セラフィム、ケルビム、スローンという最上位の天使であるということである。

 

 エドマンズ氏は、これに関連して次のように述べている。

 

「古代から大天使ミカエルは宇宙で『宇宙の知性』を守っていたが、それが地上に降りてきてから、人間の知性になったのである。人類の進化を導く大天使の7つの連続した周期的な支配権のうち、サマエルはこの時、指導的な霊であった。ミカエルが再びその支配権を得るのは、19世紀の終わり頃である。しかし今、霊的な世界で活動しているミカエルが、ルドルフ・シュタイナーが『超感覚的な学校』と呼ぶものの指導者となったとき、偉大で重要な出来事が起こった。ミカエルは、この集まりで、地上には受肉しないが人類の進化に関係している霊的存在と、死と再生の間の生の間にいる、彼の流れに属す人々、つまり、地上で長い年月にわたって彼のために働き、彼とともに働いてきた人類の一員を自分の周りに集めたのだ。

 ミカエルは今、霊性を失った知性が徐々に人間の間に根付いていく未来の大仕事について周囲の人々に教え始めた。15世紀以降、知性を完全に地上的なものにとどめようとするアーリマン勢力がますます強くなり、危機が訪れるだろう。ミカエルの周囲の人々は、19世紀後半にミカエルが再び指導霊としての役割を果たし、知性が再び彼の存在と一体となるときに向けて努力するよう呼びかけられたのである。」

 

 ミカエルの天上の学院については、既にこのブログの中で触れているので、そちらを参照願いたい。アーリマンもやはり、これに対抗して、自分に従う霊的存在、人間を集めて自分の学院をもうけたという。

【以下後半に続く】