k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

水の隠れた知性

  最近、ツイッターで面白い情報を得たので、紹介したいと思う。

  先ず下の図をみてほしい。

 ちょっと見たところではよく分からないが、実はこれ、2枚が1組となっている。4枚の写真の一番左とその右隣が組となっており、更にその右隣と次の一番右端のものがやはり1組である。ペアとなった2枚の写真を交互に見比べるとどうだろうか?

 そう、それぞれのペアは、左右で同じような形を見せているのである。左側のペアの左の写真はペトリ皿に4という数字の紙が浮いている。右側のペアの左は、お下げ髪の写真である。数字の4の右の写真には、4が浮かんでいる。お下げ髪の右の写真にはやはり、房のようなものが見えるのだ。

 実は、それぞれのペアの右側の写真は氷が作った造形である。では、この氷の写真は、たまたま似たようなものがあったので、それを後から左側の写真とペアにしたのだろうか?そうではない。これは、左のものを元に意図的に造られた写真なのである。

 では、どうやって? 左側のものは、写真のように、4の数字を書いて一度ペトリ皿に浮かべ、右側のものは、この写真をペトリ皿の上に置いて、その後、紙や写真を取り除き、それからこのペトリ皿を凍らせた、簡単に言えばこれだけである。(時間や冷凍温度など細かい部分はあるようだが、とりあえず省略)

 

 これを作ったのは、ヴェーダ・オースティンVeda Austinという方で、彼女のホームページによると、彼女は、「ニュージーランドの水の研究者、講演者、母親、アーティスト、作家。過去8年間、水の生命を観察し、写真に収めて」きており、また「マオリ族の血を引いており、所属はタイヌイ族である。父親は、テレビ番組や釣りビデオ、マオリ釣りカレンダーで有名なマオリ族の釣り師、ビル・ホヘパ」だという。

 他に詳しい情報が無く、このような活動の発端や思想的背景は全くわからないのだが、ホームページには、あのルパート・シェルドレイク氏が、「驚くべき調査。ヴェーダ・オースティンは、従来の科学に基づいて予想されるものをはるかに超える、いくつかの興味深く印象的な画像を作成しました。彼女の先駆的な仕事が、他の人が彼ら自身の体系的な調査をフォローアップするように刺激することを願っています。」という文章を寄せている。また同じように、「水の第4相」という画期的な発見をしたジェラルドH.ポラック博士の言葉も載せられているので、「ニューサイエンス」系ということになるかもしれないが、既に一定の評価を得ているようである。

 またそもそも、オースティン氏に触れていたツイッターは、これも当ブログで紹介済みの人智学派の医師であるトマス・コ-ワン氏が彼女を紹介しているというものなのだ。現代の科学では未知であるが、自然の隠れた側面を示唆する大変興味深い現象であると言えるだろう。

 

 では、オースティン氏自身は、この現象をどのように説明しているのだろうか。

 彼女のホームページには、「彼女は、水は、流動的な知性であり、地球上および宇宙のあらゆる生命体を通して自分自身を観察していると信じている。・・・彼女の主な分野は、液体と氷の間にある“創造の状態”の水を撮影することである。彼女の驚くべき結晶写真を通して、水はイメージを通して創造だけでなく、思考や意図への意識を明らかにする。」とある。

  また、また彼女の著作『The Secret Intelligence of Water』の紹介文には、次のように記されている。「ヴェーダ・オースティンは、巨視的な写真と画期的な新技法により、水を人間の意識に反応する力を持つ知的な力として捉え、これまで考えられなかったような方法で、私たちに教えてくれます。ヴェーダは、液体と氷の間にあるステージに注目し、過去8年間、「創造」状態にある水の撮影に取り組んできました。言葉や考え、絵や音楽などの影響を受けてから凍結し、その数分後に水の液晶反応を撮影します。例えば、水に手のイメージを送ると、氷の中に手のイメージが現れる、簡単な言葉でも形になって現れたのです これらの驚くべき結果は、水が芸術的で知的なデザインによって意図的にコミュニケーションをとっていることを示唆しています。本書で見られる実質的な視覚的証拠は、水を生き物と見なす地球上の先住民族の知識体系を裏付けるものです。ヴェーダは、水との感情的なつながりが、私たちの自然界への接し方に変化をもたらす鍵になると考えています。“もし水が感じることができると思えば、私たちは水を大切にするようになるでしょう。もし水が知的だと思えば、私たちはそこから学ぶでしょう”と語っています。」

  つまり、もともと水には知性があり、それに人間が働きかけることにより、水と氷の間の「創造」状態で、水は、それに対する反応を表わしているということだろう。

 

 さて、こうした話を聞いて、ある人物を思い浮かべる人もいるかもしれない。その人物とは、日本の(故)江本勝氏である。この方も「ニューサイエンス」系では有名な方であるが、実は、オースティン氏は、江本氏を自分の研究の先駆者として認めているようなのである。

 江本氏は、横浜市立大学文理学部国際関係論学科卒で、中部読売新聞社(現読売新聞中部支社)勤務などを経て1986年にインターナショナルヘルスメディカル(現・I.H.M.)を設立した方で、「オリジナルな視点で、地球上のさまざまな水の研究に取り組んでいる。波動技術のパイオニアで日本に“波動”を広めた第一人者でもある」(I.H.MのHPより)。多くの著作を出しており、中でも有名で外国でも出版されているのが『水からの伝言』である。これは、水に向かって様々な文字を見せ、または音楽を聴かせた上で氷結させて、融解の過程で生じた結晶を、顕微鏡を通して撮影した写真集である。水に与えた情報により、その結晶があるパターンを持って変化することを示したもので、江本氏は、水の結晶である氷から言葉や音楽への反応が読みとれる、「水はさまざまな情報を記憶する可能性がある」と主張しているのである。

 現在、江本氏の主張は、アカデミックな世界では当然受け入れられていないのだが、先にでてきたポラック博士などは評価しているという。

 オースティン氏の主張も含め、現代科学では、このような主張はやはり荒唐無稽ではあろう。それを説明する理論が存在しないからである。だが、現在の理論で説明できないからと言って、そのような現象が存在しないとは言えないはずである。現に、オースティン氏の写真がそれを示しているのであれば。

 以下に更にオースティン氏による写真を示す。

 



 このような写真を見ると、元となるイメージに似せて人が人為的に作ったとするなら、むしろ氷でこのような造形を一体どうやったら作れるのかという疑問が生まれないだろうか(まあ今は、パソコンで簡単にフェイク画像が作れる時代ではあるが)。

 私はまだ試していないが、オースティン氏は、この結晶の作り方を本やセミナーで紹介しており、一般に公開している。否定するなら、先ず自分でこれを実験してみてからというのが順番であろう。

 真の科学に求められるのは、未知の現象を発見したら、既成概念に囚われず先ず虚心に検証、研究することである。

 

 さて、人智学的には、この現象をどのようにとらえたら良いのだろうか?

 コーワン博士は、この写真に関連して、「水は、場のエネルギーを受けて、その知性と創造性で構造を作る」と言っているようである。

 宇宙は神の知性(ロゴス)により創造されたのだから、万物にはその知性が内在しているということは言えるだろう。しかし、知性は勿論、物質的なものではない。物質的な水を探求してもやはりそこに知性は見いだせないだろう(その影としての自然法則は見いだせるが)。

 私見では、知性と物質をつなぐものがあり、それこそがエーテルであるように思える。水などの液体はエーテルと親和性を持っている。エーテルの力がよく作用するのである。だから生体の大部分は水が占めており、それなしに生存できない。水(流体)の神秘的本質を解き明した『カオスの自然学』の著者テオドール・シュベンク氏によれば、「水のもつ宇宙的な特性と運動は、このエーテル流のイメージであり、物質世界においては媒介者の役割を果たしている」のだ。

 そして、このブログでアンドレアス・ナイダー氏の論考において触れたように、エーテルは、人間の記憶や思考の基盤となる存在であり、またそれらを保管するものである(アカシック・レコード)。

 このことからこの現象の仕組みを考えると、水に与えようとするイメージの写真等を見ている人のイメージが、先ずエーテルに保管され、そこからペトリの中の水に作用が及ぶという仕組みが想定できないだろうか。これは、コーワン博士のいう「場のエネルギー」と言う表現に合致するようにも思える。

 あるいは、人の念が、水の精(エレメンタル存在)に働きかけ、それが造形しているというようなこともあり得るだろうか・・・

 いずれにしても、水自体に知性があるというより、水は知性を媒介していると言うことである。

 水は最もありふれた物質であるが、生命の源とも言え、重要でありまた不思議な存在である。その真の姿を探るには、新たな視点が必要なことは間違いがない。そしてそれは、現代科学に抜けているもの、つまり非物質的なもの、超感覚的なものだろう。

 ポラック博士の水の第4相(構造水)という新たな発見は、水の本質に迫るものだと思われるのだが、今回の話と同様に、やはり現在のアカデミックの世界ではまだまだ浸透していないようだ。というか、こうした真実に迫る発見が日の目を見ないようにする力が働いているとすら思ってしまうのである。