k-lazaro’s note

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"風を撒く者は嵐を刈り取る" プーチン演説の意味するもの


 ドイツのメルケル前首相が、2014年のクーデター後にキエフ政権とドンバス2州の軍事紛争に関して、ロシア、ドイツ、フランス、ウクライナが停戦とウクライナの今後の国作りについて締結した「ミンスク合意」が、実際には、ウクライナ再軍備の時間を与えるためのものであったということを明らかにしたという報道がされた。
 一般的には、ロシアがウクライナに侵攻した理由は、プーチンの領土的野心であるとする主張がマスコミでは支配的だが、実際には、この戦争は2014年に始まっていたのであり、本当の理由は、この合意が全く守られず、ドンパス地方の住民がキエフ政権によって長年にわたり命をおとしていたことがその1つなのであり、今回はそれを裏付けるものでもある。
 既にウクライナは、西側の援助なしでは、軍隊を含め独力で自国を維持することはできない状況であり、この冬には大量の難民が発生する恐れがあるのだが、EUは、ロシア制裁により逆に自国民の生活がかなり圧迫されており、それを受け入れる余裕はないという話も出ている。
 もはやこの戦争を継続することは、理生的にはあり得ないのだが、世界の趨勢は既にコロナ以来理性が働かない状況であり、今後のその行方は分からない。
 

 さて、T.H.メイヤー氏が、『ヨーロッパ人』誌(2022年10月号)で今年の10月に行なわれたプーチンの演説に触れた記事を載せていたので紹介する。

 これは「ワルダイ会議」で行なわれた演説で、この会議は、ウィキペディアによれば、「専門家の分析センターで、2004年にロシアの大ノヴゴロドで設立された。名称は、最初の会議がワルダイ湖の近くで開催されたことにちなむ。主な目的は、国際的な知的プラットフォームとして、専門家、政治家、公人やジャーナリストなどの間で開かれた意見交換を促進することであり、国際関係、政治、経済、安全保障、エネルギーあるいは他の分野における現在の地球規模の問題について先入観のない議論を行うことで、21世紀の世界秩序における主要な趨勢や推移を予測している」というものである。

 正直これまで私もこれを知らなかったのだが、ウクライナ問題でネットをチェックしている中で知ったのだ。今年は、10月27日、モスクワで開催されており、ウクライナ侵攻もあり、プーチンの演説が注目されて日本でも多少報道されたようである。

 ちなみに、この会議で、プーチンが、米の対日原爆投下は必要なかったと批判したことなどが報道されているが、プーチンは、時々、日本がアメリカの従属国で主権を喪失していると暗に指摘しており、この発言は、アメリカを批判すると同時に、そのアメリカの自国民への無差別攻撃を正面から批判しない日本にも警告を発しているのである。

 この会議は、ロシア主導なので西側主導の世界の潮流に対抗するものであることは間違いないだろう。ただ、米英が世界の一極支配に執着し、世界の他の国々を支配下に置こうとするその潮流に対抗し、各国が平等に連携する「多極的」世界秩序を志向しているロシアの、今回のウクライナ問題に平行して現われているロシアの考え方や取り組み(ロシアは、実際に戦っている相手はNATO=米英中心の西側であると主張し、英米中心の経済圏とは別の経済圏の構築をも進めている)からすれば、世界経済フォーラム(WEF)よりも何百倍も有用であろう。

 

 さて、この会議のプーチンの演説は、ロシア国内よりも、それ以外の国の人々に向けられている印象がある。現代世界は文字通り世界存亡の危機を抱えており、この解決に向けて動き出さなければならないと世界(特に西側の市民)に向けて訴えているのである。それを主に造り出しているのは、やはり英米を中心とする今の世界支配システムということになるのだが、彼の言葉にはなかなか含蓄があり、表題の言葉も深い意味をもっているようである。メイヤー氏は、この言葉に関して、人智学的視点で解説しているのである。

 

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"風を撒く者は嵐を刈り取る"-プーチン大統領最新ワルダイ演説(抜粋)

 10月、今年も各地で開催されているワルダイ会議が開催された。このとき、プーチン大統領は政治的、地政学的に広範な観測を行う習慣がある。10月27日の全体演説では、ウクライナにも根付いている欧米の文化破壊的な「キャンセル・カルチャー」の慣習について言及した。ドストエフスキートルストイなど、ロシアの文化的巨匠の作品は破壊されたり、禁止されたりした。

 プーチンは、「歴史は、すべてを必ずそれの場所に置き、誰もが認める世界文化の天才たちの偉大な作品を取り消すのではなく、この世界文化を自分たちの思うように処分する権利があると判断した者達を取り消すだろう」と述べた。そして、こう付け加えた。「これらの人々の虚栄心は、人が言うように、通常の枠を超えている。しかし、数年後には誰もその名を覚えていないだろう。だが、ドストエフスキーは生き続けるだろうし、チャイコフスキープーシキンもそうだ-そうでないことを望む人もいるかもしれないが-。」

 さらに、ロシアの哲学者アレクサンドル・ジノヴィエフの西側のトレンドセッターについての言葉を引用し、「彼らは何かを創造したり、積極的に発展させるという考えはなく、ただ自分たちの優位性を保つこと以外、世界に提供するものは何もないのだ」と述べている。

 そしてさらに、「もし西洋のエリートたちが、何十種類ものジェンダーゲイパレードといった新しい、私の意見では奇妙なトレンドを、彼らの人々や社会の心に導入できると信じるなら、それはそれでいいのです。好きなようにさせてあげましょう! しかし、彼らが他の人に同じ道を歩むことを要求する権利がないことは確かです。」

 そして、一極集中の世界秩序に固執する欧米の窮屈さについて、

「世界はもともと多様であり、西側がそれらを一つの図式に押し込めようとするのは、客観的に見て失敗する運命にあり、何も生まれないだろう。(中略)世界支配の傲慢な追求、独裁によるリーダーシップの維持は、米国を含む西側世界の指導者の国際的権威を低下させ、全体としての交渉能力への不信を増大させているのだ。ある日突然、別のことを言い出したり、書類にサインしても次の日にはそれを守らなかったり、やりたい放題だ。何事にも安定感が全くない。文書がどのように署名され、何が語られ、何が期待できるのか、全く不明である。私たちは、西側の主要国やNATOと関係を築こうとしてきた。メッセージは同じであった。敵対することをやめ、友人として共に生きよう、対話を始め、信頼を築き、その結果平和を築こうということである。私たちは絶対に誠実に対応した、そのことを強調したい。この和解の複雑さは承知していたが、我々はその道を歩んできたのだ。」

 そして、その結果は、「それに対して、私たちは何を得たのか?簡単に言えば、可能な協働の主要な分野ではすべて「ノー」を突きつけられたのだ。」そして、西側の権力の行使について、「普遍的なルールがある。彼らは、すべての者を道具に変え、自分たちの目的にこの道具を使用しようとしている。そして、この圧力に屈しない人、そんな道具になりたくない人は、制裁を受け、あらゆる経済的制約を受け、クーデターを準備され、可能なら実行に移される、などとなるのだ。そして、結局何も成功しなかったとしても、目的が存在する。-彼らを滅ぼし、政治地図から消し去ることである。しかし、そのようなシナリオはロシアとの関係でうまくいったことはなく、今後もうまくいくことはないだろう。」

 

"風を起こす者は、嵐を刈り取る"

 世界情勢については、「この文脈で、信頼醸成と集団安全保障システムの構築に関するロシアの西側パートナーへの提案を思い出していただきたい。昨年12月、それらはまたもやあっさりとした態度で受け流された。しかし、今の時代、何かに無為のまま耐え抜くということはなかなかできないのだ。

 風を蒔く者は、嵐を刈り取るだろう。危機はまさにグローバル化し、すべての人に影響を及ぼしている。人は、幻想を抱く必要はない。」

 

「風の種を蒔く者は、嵐を刈り取る」-この言葉は、フランス革命の前夜、世界政治が現在と同じような大きな岐路にあった時、サンジェルマン伯爵が警告として発したものである。彼は何度もフランス宮廷に出向き、流血の変革をもたらす革命ではなく、ゆっくりとした発展を勧めた。カール・ハイヤー(訳注)は、目撃者である1822年に亡くなったアデマール伯爵夫人の記録に注目した。

 

(訳注)人智学派の歴史研究家

 

 ルドルフ・シュタイナーは、サンジェルマン伯爵の出現に関連してこの言葉について、「もともとはキリスト教の高位の秘儀参入者が発した言葉で、預言者ホセアによって書き留められ(8、7)、さらにキリストによって繰り返された」とコメントしている。彼はこれを、3573年まで続き、その後スラブ文化期である水瓶座の時代に取って代わられる、ポスト・アトランティス第4、5文化期の「モットー」とみなしたのである。それは、自由への衝動を示すが、それによって準備された第7の文化期において頂点に達する「万人の万人に対する闘い」も指し示しているだろう。

 プーチンがこの言葉を直接引用していることは、世界史的な思考を身につけたすべての人にとって、ワルダイ発言の重みをさらに増すことになるのではないだろうか。

 

   トーマス・メイヤー

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 「風の種を蒔く者は・・・」の言葉は、旧約聖書のホセア書に出てくるということだが、ホセア書の内容は、神に度々反抗したイスラエルに対する裁きとして、神はイスラエルを見放す事にされたということを預言者ホセアが伝えるというものである。「イスラエルの王は、嵐の中に全く滅ぼされる」(10:15)とあるように、神に背いたイスラエルは嵐の中で滅ぶのであるが、上の文脈では、これは勿論、イスラエルというより人類一般を意味しているだろう。

 プーチンの演説では、この文章に次のような言葉が続いている。

 「現代の世界で、これを放置することはできません。錯覚しないでください 。危機は世界的な次元を帯びています。人類には次の 2 つの選択肢しかありません。1つは、必然的に私達全員を押しつぶす問題を、蓄積し続けることです。もう1つは、一緒に解決策を見つけることです。理想的ではないかもしれませんが、世界をより安定した安全なものにすることができます。私は常識を信じています。だからこそ、多極化した世界の新しい力の中心と、西側とが、私たちの集合的な未来について、”対等に”会話を始めなければならないと信じているのです。」(Kfirfas氏のツイッターによるKonstantin Kisin氏の翻訳)

 ポーランドへのミサイル着弾で一般にも理解されるようになったように、このウクライナ問題は、世界大戦へとエスカレートする危険性を孕んでいる。ウクライナ問題は、ロシアのウクライナ国内の同胞を救うと同時に、自国の安全保障の観点からも、ロシアが決して引けない戦いとなっている。ロシアが退くまでウクライナに武器を支援すれば良いというのは、実際には、戦争を激化させる無責任な物言いなのである。

 既にウクライナ兵の損失は甚だしく、傭兵の他に、英米ポーランドから実質的に兵員が送られている状態であるという。ポーランドへのミサイル着弾で意図されたのは、これを契機にNATOが正式にロシアと対戦するということであったのだ。

 しかしそれは、核保有国同士の戦いともなり、最悪の場合、人類滅亡をも引き起こしかねないのである。

 ロシアは、ずっとこのことを訴え、西側の自重を求めてきたのである。

 

 メイヤー氏によれば、プーチンが使ったホセア書の言葉は、もともと高位の秘儀参入者の言葉で、シュタイナーは、後アトランティス時代の第4文化期(ギリシア・ラテン文化期)と第5文化期(現代=ゲルマン・アングロサクソン文化期)を象徴する言葉とみなしていたという。

 現代の人間の課題は、自由を獲得することである。それは同時に、自分の行いに責任をもつということであり、それはカルマの法則でもあるが、その結果を自分が引き受けるという事である。

 「万人の万人に対する闘い」とは、「第7文化期の終焉をもたらす戦い。この戦いの要因は個我であり、精神原理を受け入れた人々が、この戦いから救い出される」(『シュタイナー用語辞典』)というものである。アトランティスが大洪水で滅びたように、後アトランティス時代(第7文化期で終わる)は、この「万人の万人に対する闘い」によって終止符を打たれるのだ。それは、ヨハネの黙示録によっても示されているという。

 自由は放縦と紙一重である。エゴイズムと結びつけば、自己の利益のために、他者を犠牲にすることを厭わなくなる。それが究極まで行き着けば、自分以外の全ての存在が支配すべき相手、もしくは敵となるのだ。

 第7文化期は、次の第6文化期(スラブ文化期)のまた次の時代であり、「万人の万人に対する闘い」は本来、遙か遠くの出来事であるが、それは今の人類次第であり、またそれ以前の時代においても、程度は異なるもののそれに類似した出来事が起きるという。

 現在のウクライナ問題では、核攻撃の可能性が語られる中で「黙示録的な事態」という言葉も使われているが、まさに黙示録の先取りが起きるかもしれないのだ。神に背き、道を踏み誤った人類は、まさに聖書の言うような滅びの淵に立っていると言えるだろう。

 プーチンがこうしした事態に警告を発したのは間違いないだろう。

 また、以前ブログで触れたように、あのドゥーギンが、プーチンはある秘教的団体に属していたと主張していたらしいので、この言葉が「高位の秘儀参入者」に由来するということや、シュタイナーの主張からして、秘教的歴史観をふまえてプーチンがこの言葉を使ったとも考えられるが、それは深読みであろうか?

 ちなみに今回のワルダイ会議のテーマは、「覇権後の世界、万人のための正義と安全保障」であったという。

 最後に、名前の出てきたサンジェルマン伯爵について触れておきたい。フランス革命期に実在した人物だが、錬金術師ともペテン師とも言われており、その素性は明らかではない。非常に博識で、古代の出来事についてもまるでそこにいたかのような知識をもっていたと言われ、フランス革命期だけでなく、その前後にも長期にわたって目撃されており、不死身ではないかとも言われていたという。

 実際、オカルト界では、人類を指導する「マスター」の一人と目されており、人類史に大きな影響を与えるであろうフランス革命の時期にも、歴史が誤った方向に進まないように、自ら活動していたと言うことである。

 人智学派内では、シュタイナーとも深い関係をもっていることが語られている。上の不可解なエピソードは、実は、彼が、輪廻転生し歴史の節々に活動してきたことを示しているのである。従って、その時々で彼は異なる名を持っているのだ。これはまた別の機会に触れることとする。