k-lazaro’s note

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大乗仏教はどのようにして生まれたのか①

 

木造阿弥陀如来及両脇侍像 浄土寺

キリスト教芸術におけるブッダ」では、仏教のキリスト教への影響について触れた。その中で、キリスト教以前の宗教はキリストに収斂し、以後の宗教はキリストから滋養を得たというようなことを書いたが、今回は、これに関連して、キリストのキリスト教以外の宗教への影響ということで、大乗仏教との関係について述べたい。

 

 日本のほとんどの仏教宗派は大乗仏教に属するが、仏教には、これに対して小乗仏教があり、こちらが先に存在しており、大乗仏教が後から成立したことはご存じだろう。その違いは、簡単に言えば、小乗仏教では、主にその修行者が自己の解脱を目指しているのに対して、大乗仏教では、一般の人々、衆生の救済に重点が置かれていることである。また、前者では、哲学的思弁が重視され、形而上学的なテーマはあまり論じられないが、後者では、ゴータマ・ブッダ以外の、神的な存在としての仏が信仰の対象となってくるということといえるだろう。

 大乗仏教では、自分以外の存在の救いのため奉仕する利他の精神が重視されており、この様な行いは菩薩行ともいわれる。この場合、菩薩とは「決して自分だけが悟ればよいとは考えず、全ての衆生が悟りを得るまで自分も悟りを得ないと誓を立てた」者のことである。

 

 さて、このような大乗仏教は、どのように成立したのだろうか?

 先ず、ネットに興味深い論稿を見つけたので、それにより論を始めたい。著者は、筑波大学人文社会系教授の平山朝治氏である。経済学博士という肩書きだが、比較思想も研究されているらしい。平山氏は、「大乗仏教の誕生とキリスト教」という論文で、大乗仏教の成立にキリスト教が影響しているとする独自の論を展開されている。

 以下に引用する。

 「大乗仏教は西暦紀元前後に起こり,1 世紀末にはほぼその姿がはっきりとしていたことや,阿弥陀仏をはじめとする大乗仏教のいくつかの要素が西方から西北インドに伝えられたものに由来することは、今日通説となっている。」

 西北インドは、ペルシア・ギリシアといった西方の影響が極めて強い地域とされる。

「西北インドについていえば,ペルシア・ギリシア文明の要素がむしろ基層にあり,仏教がその上に広まったとみるべきであろう。・・・前3 世紀半ば以降,仏教の西北インドへの教線拡大とともに,西方諸宗教・哲学・思想の影響による仏教の変容は,さまざまな面で起こったはずである。そのなかで,なぜ西暦紀元前後に興ったもののみが,大乗仏教の誕生という仏教史上最大の革命を引き起こしたのか,という問題を立てなければならないだろう。

 さらに言えば,新宗教の創始と言ってもよいほどの革命であるにもかかわらず,大乗経典は全て数百年前に生きた釈迦が説いたこととされ,真の創始者の姿が隠されていることも,説明を要するように思われる。紀元前後に西方から新たな教えが到来し,その教えと仏教が接触・融合することによって大乗仏教が形成されたが,その教主や伝道者の名は何らかの事情があって隠されて釈迦の説に仮託され,仏典として編纂されたという仮説が,これらの問題に対して最もすっきりした回答を与えるものであろう。そして,紀元前後ころ西方から西北インドに伝えられた革命的な教えとしてまず候補に挙がるのは,キリスト教であろう。・・・

 紀元30 年ころイエスが処刑された後,12 使徒によるキリスト教の伝道がはじまったことは,インド・ギリシア人時代のものとは異なる,インドへの西方からの新たな影響を想定しえる時期とぴったり符合する。」 

 このように、平山氏は、キリストの使徒の伝道が大乗仏教の成立に関わっていたとするのである。以下、平山氏は、推定されるその経過を詳しく論じていくのだが、それは省略する。

 キリスト教の影響について主張するのは平山氏のみではなく、このような学説は色々存在するようだ。一般にインドに伝道した使徒は、イエスの兄弟とも言われるトマスであり、彼はインドで殉教したとされている。歴史的裏付けはまだないが、実際にトマスがインドに渡った可能性はあるようである。

 平山氏もこのトマスに触れて論じているのだが、次に平山氏のユニークな説に触れておきたい。

 まず、大乗仏教はそれぞれの方角に仏がいると説くが、西方にあるという「極楽」という浄土にいる仏である阿弥陀仏に関して、平山氏は、「原罪を前提し,イエスの死が人々の罪を贖うと説くキリスト教の論理は非常に説得力を持ったと思われる。罪深く自らの力では菩薩たりえないと自覚した凡夫をも救う能力を烈しい自己犠牲的修行の果てに獲得してついに転生・成仏した、凡夫を遍く救う救済者としての仏が、イエスの贖罪死と復活をモデルとして説かれるようにならないはずがなかろう。かくして西方浄土阿弥陀仏が誕生したのではなかろうか」として、キリスト教起源説を説く。

 そして、その名「アミダ」の語源について、平山氏は、ティグリス河遡航終点の西岸に位置する、トルコ東部の都市ディアルバクルのローマ時代の呼称「アミダ」(Amida)ではないかとするのである。

 ここにある「最古の教会は,西紀前からある異教寺院に由来する聖母マリア教会であり,そこにはトマスの遺骨がある」という。

 インドの西方に、キリスト教にゆかりの地で、まさに「アミダ」という地名があったことから、「西方の極楽浄土の阿弥陀仏」を信仰する教えが生まれたというのである。

 これは学説としては成り立つのかもしれないが、平山氏は、これに関連して更に驚くべき指摘をする。「トマスの安息の地がアミダの聖母マリア教会であったとすれば,死者の赴く西方の理想郷がアミダという都市名で呼ばれたとしても不思議ではない。ところがアミダは仏名に使われている。イエスとの双子説によればトマスはアミダの母の許を安息の地としたのであるから,『アミダ』という語は聖母マリアを意味する言葉と受け取られたのではなかろうか」とするのである。

 もともとこの地には、古くから女神と双子の信仰があり、都市アミダを象徴する世界最古の教会とされる聖母マリア教会はそれを引き継いだ、だから、都市名アミダを聖母マリアと等置するような意味付けがなされたとしてもおかしくないという。

 また、本来は男性である阿弥陀仏を女性のマリアに関連付ける矛盾については、「大乗仏教では女性が成仏する際男性に姿を変えるという変成男子が説かれるので,聖母マリアが成仏してアミダ仏になったとみなされれば,当然男性の姿とされたはずである」と説く。

 そして、阿弥陀仏は、よく観世音・大勢至菩薩の両脇侍菩薩と一体の3尊で描かれるのだが、これについて、平山氏は、イエス使徒の「『トマス』の名は双子を意味するアラム語に由来し,『トマス行伝』はトマスとイエス・キリストを双子としており,2 人は外見では区別できず,2 人が1組となって人々を救う(31, 39 など)。したがって,阿弥陀浄土教は本来,イエス・トマスという双子の兄弟とその母マリアを慕うインドのキリスト教徒たちが仏教と習合しつつ生み出し,阿弥陀如来と観世音・大勢至両脇侍菩薩の三尊も,聖母マリアとその双子の兄弟のイメージから生まれたと思われる。」とする。

 中央の阿弥陀仏如来)がマリアで、その両脇の菩薩はマリアの双子の子ども、イエスとトマスであるというのである。

 さらに「三尊の両脇侍とされる菩薩は,成仏を目指して修行し,転生した未来世において成仏することを仏陀に授記(確約)されるという,菩薩がもともと持っていた性格を失い,永遠に菩薩の位にとどまる存在として信仰され,観音が阿弥陀の化仏を頭や宝冠などに有するように,仏陀ですらその一部であるかのような意味合いすら帯びる。このような仏陀に優るとも劣らぬ大菩薩という観念の成立は,仏教内在的な発展では不可能と思われるが,マリアを阿弥陀に,その双子のイエスとトマスを両脇侍菩薩によって表した帰結のひとつであるとすれば,無理なく説明できる。」とし、大乗仏教の菩薩観念の成立にキリスト教の影響が見られるとするのだ。

 そして結局、大乗仏教自体についても、「イエス上座部系仏教(小乗仏教のこと。引用者注)の影響を受けた上で,本稿が論じたように大乗仏教形成に大きなインパクトを与えたとすれば,エスこそがユダヤ教からキリスト教への転換だけでなく部派仏教から大乗仏教への転換の中核であり,キリスト教大乗仏教両方の創始者というか,イエスの創始した教えがユダヤ教やヘレニズムの土壌においてはキリスト教,仏教の土壌においては大乗仏教として展開したということになろう」として、平山氏は、イエスの教えを大乗仏教の起源に位置づけるのである。

 

 さて、細部を省略し平山氏の説のあらましを紹介したが、大変興味深い内容である。共に世界宗教として仏教とキリスト教はその理念が類似しているため、両者間での影響関係を認める学説が成立する基盤がもともとあり、このような平山氏の説もあり得るわけである。

 ただここで私が興味を持つのは、トマスのイエスとの双子説と、それと関連した阿弥陀仏・菩薩3尊像の仮説である。

 先ずトマスの双子説であるが、これは本論のテーマから少しはずれるのだが、後者と関連するので若干触れておきたい。

 実は、以前紹介済みの、二人のイエスについて論じたデイヴィッド・オーヴァソン氏の『二人の子ども』にこのことが書かれているのである。

 オーヴァソン氏は、やはりトマスは双子であったとするが、彼によれば、そもそも「トマス」という名前自体がアラム語の双子の意味であり、本名は別にあるとする。ではそれは誰かと言うことが問題となる。そこで、イエスの兄弟関係がその候補となるのだが、先ずそこで問題となるのは、イエスにそもそも兄弟がいたのかと言うことである。

 マリアは処女懐胎でイエスを産み、その後も純潔であったので、イエスはマリアの初子にして唯一の子となるからである。しかし一方で福音書には、イエスの兄弟達が出てくるのだ。この矛盾を解決するために、イエス以外の子は、父親ヨセフの連れ子とする解釈もあるのだが、マリア、ヨセフ、イエスという家族がもともと2つあり、二人のイエスが神殿の出来事を契機に一人になり、また一方の家族のマリアと他方の家族のヨセフが亡くなって、2つの家族もまた1つになった、イエスの兄弟達は、その後に生まれた子ども達である、とするのがオーヴァソン氏やシュタイナーの主張なのである。

 オーヴァソン氏は、聖書外典等でも語られているイエスの複雑な親族関係を概観して、結局、トマスとは、福音書にもでてくるイエスの兄弟のユダであるとする。ユダは、マタイ福音書の述べるマリアの、再婚後の子どもであり、ユダはイエスと「疑似双子」と見られたというのである。

 結局、オーヴァソン氏がこれを論じる趣旨は、「双子」とは養子関係により生じたもので、「二人子どもイエス」(マタイとルカの二人の子どもイエス)とは別物であることを示すためであるという。つまり、「イエスの双子」とはあくまでも、イエスの義理の兄弟であり、第2のイエスを指してはいないという事である。

 

 このように、イエスとトマスの「双子説」は否定されるのだが、阿弥陀仏の脇侍の2菩薩が、イエスと「双子の」トマスであるという説はどうだろうか? 

 阿弥陀仏はマリアという考えには賛成はできない。むしろ、阿弥陀仏は人々を救済する霊的存在とすると、むしろキリストそのものに近いように思える。そうすると2菩薩の片方はやはりイエスとならないだろうか? では、もう片方の菩薩はというと、それは「双子」の一人ではなく、もう一人のイエスとなるのだ。

 二人の子どもイエスは、キリストがこの世で活動するためにその道を準備した者達であり、キリスト受肉以前から長い間、キリストと共に働いてきたのである。

 もちろん、こうした状況が直接阿弥陀仏・菩薩3尊像の造形の契機というのではない。キリストが地上に現われてキリスト教が誕生するが、それ以来、ブッダをとおして、キリスト教と仏教には共通する霊的背景が存在したと言える。キリストと二人のイエスという原イメージが、無意識の中で東洋の仏教を信奉する人々の中にも伝わっていったということもあり得るのではないかと思うのだ。

 キリスト教のイメージと仏教のイメージに重なり合うものがあることについては、「キリスト教芸術におけるブッダ①」で、観音菩薩聖母マリアの例を既に示した。しかし、幼子を抱く母親のイメージは、それにとどまらない。キリスト教以前にエジプトに、子どものホルスを抱いた女神イシスの像が存在するのだ。つまり、「聖母子」という原イメージが先に存在しているのである。

 これらの事象は、宗教が違っても、原イメージの世界、つまり霊界が共通の基盤として存在しているということを示していると言えるだろう。

 なお、マリアは、キリストと同様に、人であると共にその身に霊的存在を受け入れた方であるとされる。マリア自身もイエスと同様に二人いるわけで、更にそこに霊的存在が加わるということで、実に複雑である。自分もまだ整理できていないが、いずれこの問題にも触れたいと思う。

 

 さて次に、大乗仏教誕生に関する霊的背景をシュタイナーにそって更に述べたいのだが、それは②に譲ることとする。