k-lazaro’s note

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大乗仏教はどのようにして生まれたのか②


 これまでキリストと仏陀キリスト教と仏教の関係について述べてきた。キリスト教と仏教の教えや図像イメージに類似するものがあるが、これらは、外的事象として現われたものであり、それらが類似しているのは、同じ源泉に根ざしているからに他ならない。この源泉とは簡単に言えば「霊界・霊的存在」なのだ。

   しかし、霊界にも低次の霊界から高次の霊界まで様々あり、それへのアプローチの仕方も色々存在する。民族的あるいは地理的状況等で異なってくるのである。

 霊界の真の認識を得ることができる者は秘儀参入者と呼ばれる。宗教をはじめとする文明の根本部分をもたらしたのもこうした人々である。これらの人々は、霊界の出来事について、視点の違いはあるとしても、ほぼ同じように認識できただろう。

 キリスト霊が地上に受肉したとき、世界各地の秘儀参入者達は、パレスチナの地にいなくても、偉大な霊が地球に降ったということを認識したのである。

 大乗仏教が誕生したのは、確かにこの頃であり、こうした認識が背景にあるのである。

 さて、これからシュタイナーの主張を更に見ていくこととなるが、実は、これについてはいくつかの本が既に日本でも出ている。著者は、西川隆範氏(故人)である。西川氏こそ、もともと仏教を学ばれた方なので、このテーマの専門家なのだ。

 今回は、この西川氏の著作も参考にさせてもらいながら、大乗仏教誕生の霊的背景等を考えてみたい。

 

 仏教には「三時」という歴史観がある。最初は「正法」の時代で、釈迦が亡くなってからもその正しい教えが守られる時代、次は「像法」で、正法に似た状態(これが像の意味)は維持されるが、悟りが得られなくなる。最後が「末法」で、教えは微細・瑣末になり、邪見がはびこり、仏教がその効力をなくしてしまう時期とされる。

 それぞれの期間も定められているのだが、それには諸説がある。一説では、正法は500年続くという。釈迦の生没年も確定されていないが、紀元前5、6世紀とされる。とすれば、正法の時代は、紀元前後頃までとなるだろう。

 そして、大乗仏教はまさに、「紀元前後に起こり、1世紀末にはほぼその姿がはっきりとしていたことが通説となっている」(ウィキペディア)のである。

 釈迦の予言(三時)が示す仏教の節目となる時期に、確かに大乗仏教が現われたのである。

 これはどのように見るべきであろうか。

 西川隆範氏の著作『仏教の霊的基盤』(書肆風の薔薇刊)で、西川氏は、人智学派のキリスト者共同体の牧師にして仏教学者であるヘルマン・ベックの著作から次の文を引用している。

 「仏陀の入滅から500年(500年というのは、仏陀が弟子アーナンダとの話し合いの中で、仏陀の教えが純粋に保たれると預言した期間である)が経過した後、大乗仏教の位相において、仏教はやや異なったものになった。大乗仏教はアジアの広い地域にとって決定的なものになった。涅槃の後の、高次の諸世界における仏陀の霊的、霊体的な活動に目を向ける、応身の教義が現われたのである。そして、単なる個的な自己救済の道に代わって、より高次の、地球救済の道が設けられた。すべての存在の救済のための働きの道、地球の運命と自己を結合する道が設けられたのである。」(『秘儀の世界から』)

 「応身」とは、仏教で説かれる、仏が様々な形態で出現するとする「三身法身・報身・応身」の1つで、仏陀となった釈迦が応身とされるのだ。「仏陀の霊的、霊体的な活動」という言葉があることから、身体を脱した仏陀の霊的実体を指しているように見える。

 シュタイナーは、釈迦ブッダは、涅槃に達した後、この世に身体を得ることはなくなったが、引き続き霊界から人類を指導するようになったと語っており、このことが仏教においても認識されといたと言うことであろう。

 西川氏は、ベック氏の仏教研究に霊感を与えたのはシュタイナーであるとして、上の文に続いてシュタイナーの言葉を引いている。

 「偉大な仏陀の出現の5,6世紀後、全く特別の時が到来しました。仏教を若返らせる必要が生じたのです。偉大な仏陀によって告げられた、古く、成熟した、最高の世界観が若返りの泉に浴して、若々しい姿で人類の前に現われることができるようになるべきだったのです。」(「ルカ福音書講義」)

 西川氏は、このことについて、「幼いイエスに触れることによって仏陀は若返りの力を得た、とシュタイナーは考えている。そして複雑な思想体系になっていた仏教が、素朴な感情に理解できるものへと若返って、『ルカ福音書』に記されたというのである」と別の本(『シュタイナー仏教論集』)で語っている。

 仏教は、釈迦ブッダ自身が予言したように、仏陀の入滅後、その教えは細分化、専門化し、あるいは形式化していった。その本来の生き生きとした生命力が失われたのである。その再生が必要になった時、ナタン・イエスが地上に誕生し、またキリストのゴルゴタの出来事が起きて、それに霊界において仏陀が参与することをとおして、仏教にも若返りの力が与えられたのだ。

 これはまた、仏陀自身が霊界で成長したと言うことである。シュタイナーは、次のように語っている。

 「仏陀が紀元前5,6世紀の地点にとどまっているかのように語るのは誤りである。君たちは、仏陀が進化していないと思っているのか。・・・私たちは進化した仏陀を見る。仏陀は、霊的な高みから、人類の文化に絶えざる影響を及ぼしている。・・・ナタン系のイエスの上に影響を及ぼした仏陀を見る。霊の領域で更に進化した仏陀を、私たちは見る。この仏陀は、今日、私たちに大切な真理を語る。」(『釈迦・観音・弥勒とは誰か』西川隆範訳)

 イエス・キリストから影響を受けた霊界の仏陀は、それにより進化を成し遂げ、それが更に仏教の改新、大乗仏教の誕生につながったということであろう。

 仏陀の霊統、その地上界での表れである仏教は、キリストのゴルゴタの出来事とそれにより生まれたキリスト教に流れ込み、外的にもキリスト教に影響を与えたが、それをとおして逆にイエス・キリストから影響を受けて、自身も改新を遂げていたのだ。

 このことは、実は、「キリスト教芸術におけるブッダ①」で紹介した「ヨサファトの物語」でも示唆されている。

 この物語(伝説)で、インドの王国の王子とされるヨサファトとは、やがて仏陀となる菩薩(ボディサットヴァ)であり、彼はキリスト教に「改心」したのである。シュタイナーは、次のように語っている。

 「仏教とキリスト教の結び付きは、次の言葉によって見事に表現されている。『ヨサファトは聖者である。インドの王子仏陀は、キリスト教に改心した非常に神聖な存在である。仏陀は、べつの側から来た人物ではあるが、聖人の列に加えることができる。』ここから、仏教の後の姿、というより仏陀の後の姿をどこに探すべきかが知られていたことがわかる。」(『釈迦・観音・弥勒とは誰か』西川隆範訳)

 

 宗教や伝説、神話というようなものの成立には、霊的存在と、それを認識することができた秘儀参入者達が関わっているものである。彼らには、名前が伝わっている者と無名のままの者がいるだろう。いずれにしても、洋の東西を問わず、彼らは、西暦紀元前後の偉大な出来事に出会い、その影響の下に、新たに宗教を打ち立て、また既製の宗教の改新をおこなったのである。

 仏陀は、紀元前後頃に新たな段階に昇った。それにより仏教も改新された。西川隆範氏は、誕生以来の仏教の流れを、先ず「東方の流れ」として、それを南伝仏教原始仏教)と北伝仏教(大乗仏教)に分け、更に「西方の流れ」が存在するとする。仏陀の霊統が、西洋の薔薇十字運動に流れているからである。このことから西川氏は、これを「薔薇十字仏教」と名付けている。(『薔薇十字仏教』国書刊行会

 また、仏陀及び仏教の進化はこれで終わったのではない。シュタイナーは、「19世紀から約600年間、新しい形の仏陀の流れが発する、と予想していた」という。

 このことから、西川氏は、「20世紀にはキリストがエーテル界に出現すると考えられている。かつて地上でキリストが活動した頃、インドで大乗仏教が興隆したように、エーテル界にキリストが出現するとされるいま、原始仏教大乗仏教に次ぐ、仏教の第3の展開期を私たちは迎えているともいえる」とし、「薔薇十字仏教」は、仏教のこの第3の潮流に属するものであるとする。

 仏陀の新たな活動、第3の潮流の台頭が期待される今このようなときに、西川氏を失ったことは誠に残念である。