k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

グレート・リセットとオカルト・コントロール

イングランドブリストルセントジョンズゲートウェイに描かれたチャールズ2世の紋章


 WEF(世界経済フォーラム)の年次総会(ダボス会議)が、今月スイス東部のダボスで開催された。それに関するニュースが、今年はいつにも増して駆け巡っているように見える。「いつにも増して」というのは、いうまでもなくコロナ問題によって、以前に増してその悪名とそれへの関心が高まったからである。ツイッターには、その参加費が600万円などという情報もある。それを聞いただけでそのいかがわしさが分かるような気がするのだが、日本からも大臣を初め大勢が参加しているようである。

 さて、この組織の会長を務めているのが、この名も最近よく目にするようになっているのだが、クラウス・シュワブ氏である。今回は、彼について触れた興味深い論稿を紹介する。

 

 著者は、リチャード・クーパーという方で、イギリス出身で、大学では歴史、美術史などを学び、現在は、2020年の第一ゲーテアヌムの開館100周年を記念して立ち上げた「Anthroposophicum」という組織で、人智学的なテーマで執筆活動、講演やセミナー等を行う活動しているようである。

  この論稿の正確な執筆年代は分からないのだが、内容からして2021年かとは思われる。テーマは、グレート・リセットとその背後にあると思われるオカルト的人心操作術ということで、歴史の背後には、大衆に知られずに、それを動かす者達がいて、オカルト的手法で大衆の思考をコントロールしているというものである。コロナ問題やグレート・リセットについても、そうした背景において見ることができ、現在の状況には、それを創り出した長い前史があるというのである。

 まあいわゆる「陰謀史観」に属するものであるが、驚くべきは、シュワブ氏の公になっている経歴にについて疑問を呈していることである。これについては、本文の後に再度触れることにする。

 

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グレート・リセット:  オカルト・コントロールの正体と原理

リチャード・クーパー

 

 2020年のいわば出遅れた人たちのために、我々は、地政学的な舞台で、政治的イデオロギーと思考の大衆支配の遠大な側面を扱っている。まず、この文章に注意書きを設けよう。このテーマを、人は受け入れるか入れないかである。そうでない人にとって、彼らのそれはいわば主流メディアである。2020年から2021年にかけて、政府が見せる矛盾、驚き、無策ぶりには大きな謎はない。人類のための「プロジェクト」の名前はグレート・リセットであり、2020年半ばに世界経済フォーラムの創設者である「クラウス・シュワブ」がそのキーテキストを執筆している。この分析は、我々が直面している状況の深刻さに対するブースターにはならないし、不穏な現実に対する「ワクチン」にもならない。むしろ、私は、まだ読み、考えている人たちのために書くのである。知識のある少数のためにこれに関連する物事を概説しようというのではない。このテーマは、政治的信条に関係なく社会に示唆を与えるものである。注意深い読者は、我々が意図的に政治的な落とし穴を避けようとしていることに気づくだろう。

 

 ここで、私たちの基本的な用語の概要を説明しよう。- 私たちがここで分析する「ガバナンス」は、政治とは異なり、抽象的でも理想的でもなく、統治する「システム」に対する心理的反応を通じて働きかけ、それを形成するものである。人類の地政学的な舵取りとしての統治を行う人々は、ヘーゲル弁証法とオカルトの使用に精通している。つまり、彼らは、歴史の展開の中で、またそれに先立って民衆を支配するためのイデオロギー、そして作られた真実の力と使い方を理解しているのである(訳注)。

 

(訳注)ヘーゲル弁証法とは、ドイツの観念論哲学者ヘーゲルが提唱した哲学概念。対立する2つの事物や命題は、その対立を通して、新たな・より高次の事物や命題へと発展するとする。その過程は、「正(テーゼ)」「反(アンチテーゼ)」が、「止揚アウフヘーベン)を経て「合(ジンテーゼ)」となると表現される。これを、歴史を動かす原動力と考えれば、そのためにあえて対立を生み出すという考えもありうる。ある秘教的団体は、そのような戦略をもっているという。実際に、アメリカの対外戦略に影響力を持つという「ネオコン」グループには、このヘーゲル哲学の影響があるという。またブッシュ親子大統領が属していたと言われる「スカル&ボーンズ」という秘密結社も、このヘーゲル哲学を用いているという指摘がある。

 

 広い範囲での思考のコントロールは、戦略的かつ日常的なものである。それは、公的な情報機関を通じて行われる。メディア、教育、そしてそれが政治的な目的のために悪用されている限り、文化において。社会の中で大衆には知られずに、オカルト的霊的エスタブリッシュメントは、様々な広報活動を通じて、現実の霊的理解に対する国民の無知を理解しながら、隠れてあるいは公に強制力を行使している。つまり、このような集団にとって最悪のシナリオは、その様なシステムからの理解が、第一に、現在、存在していないし、組織的な目に見える形で存在するには程遠いということ、第二に、現在の社会経済や政治の問題を解決、変革、克服する手段は、オカルトとオカルト史への理解にあるという理解が広まることであろう。

 

 社会支配のテクニックを、メディアを通じて明示的に、知る人ぞ知るサインやシンボルで大衆に明らかにすることは、いわば、これらの隠された策略を危険にさらすどころか、隠された利益やアイデンティティを最大限に保護することになるのである。このようにエリートがやっていることを明示的に宣伝すること、すなわちパブリック・リレーションズは、そうしたテクニックの教育や意識的な理解と混同されてはならないのである。歴史的事件の象徴的側面の暴露は、オカルト的象徴主義の無意識的な影響範囲そのものを単に拡張する効果を持ちうる。どうしてそうなるのだろう?(訳注)

 

(訳注)パブリック・リレーションズ(英語: Public Relations; PR)は、主体と公衆の望ましい関係を構築・維持する営みである。(ウィキペディア)これは、関係個人や組織が共通理解を持ち円滑に物事を進めるというようなことだが、ここでのオカルト団体の意図は、大衆を操作することであり、あえてオカルト的シンボルをさらすことが、その影響力
を強めると言うことである。


 秘密結社という言葉で扱っているのは、巨大で確立された象徴のネットワーク、文化的参照、強力で表向き名誉ある組織であり、展開される心理テクニックの文脈を十分に理解するためには、ある程度の敬意をもって近づかなければならない。モットー Honi soit qui mal y penseは、中世フランス語の格言で、「悪く思う者は恥じろ」という意味で、通常「shame on anyone who thinks evil of it」と訳され、イギリスの騎士道団体ガーターイのモットーとして使用される。現在のフランス語では、この言葉は隠された意図や利害関係の存在をほのめかすために使われることもある。この信条は、このような秘密結社がその政治的目的を心理的に隠す方法の原則であり、政治やスパイ活動における秘密行動の調査を避けるために使われる「もっともらしい否認」という用語と密接に結びついている。第二の原則は、「反対勢力を先導する」という表現に集約される。レーニンの言葉であることは未確認だが、つまり、反対勢力を倒す最良の方法は、それを率いることなのである。

 

 私たちは、意味の伝達、歴史的な物語、そして認識そのものについて、唯物論的で当然と思われていた多くの仮定を完全に覆すことに慣れなければならない。「どのように」コミュニケーションするかは、「何を」、つまり明白な内容と同じくらい重要である。謙遜、皮肉、傲慢はここで見過ごされてはならないし、見過ごすこともできない。

 

WEFのクラウス・マーティン・シュワブとは何者か?

 

 2020 年半ばに世界経済フォーラムのクラウス・シュワブ氏が「COVID-19」という本を書いた。7月20日にペーパーバックが出版された。現在、世界で起きている多くの出来事と同様に、私たちは、世界のエリート組織から、世界的な変化の必要性について聞かされていることに、ますます疑問を抱くようになっている。この人物と本を研究することは、それら自身について情報をえることであるが、しかし、この研究の根底には、事実を隠し、歴史の真の推進力と動機を隠すためにオカルトがいかに利用されているかという重要なケーススタディがあるのだ。

 

 ここで留意すべきは、歴史上の人物の外見、名前、アイデンティティも「イメージ」とみなすことができることである。それ自体が、オカルトメッセージの伝達のための舞台であり、エリート支配の長期プロジェクトに対する所属と忠誠のオカルトサインを読み取るための手段なのである。この意味での舞台とは、背景、枠とキャンバスのことであり、その上で俳優が歴史の展開するドラマの中で自分の役割を果たすことができるのである。世界経済フォーラム(WEF)のクラウス・シュワブのケースは、それを特に明らかにしている。数秘術、偽りのアイデンティティ、伝統的な家系の継承、これらすべてがオカルトの伝統のコミュニケーションに包まれた例であるからである。しかし、ここにはもう一つの要素が加わっている。2020年、彼はコロナウイルス危機の主要なイデオロギー文書の一つを執筆しているからだ。それは、コロナウイルスの危機とグレート・リセットと呼ばれるものとの関連性を、タイトル「COVID-19 :グレート・リセット」に堂々と書いている。ペーパーバックは7月20日に出版された。現在、世界で起きている多くの出来事と同様に、世界のエリート組織から、地球規模の変化の必要性について、言われたことに疑問を持つことが、私たちにますます求められている。シュワブという人物とその著書に関する研究は、それ自体有益であるが、その根底にあるのは、歴史物語の構築においてオカルトがいかに利用されているかという事実上のケーススタディである。

 

 シュワブは1938年3月30日、ドイツのラーベンスブルクに生まれた。スイスの大学で経済学と工学の学位を取得し、ハーバード大学行政学修士号を取得。また、17の名誉博士号を持つ。父親のオイゲンは、スイスの大手エンジニアリング会社エッシャー・ワイスの子会社で、ドイツのラベンスブルクにある工場の責任者であった。第二次世界大戦中、ラーベンスブルグは連合軍の捕虜の配給拠点となり、父親はそこで赤十字の活動をしていた。シュワブ氏は、「Gastgeber der Mächtigen(強者の宿主)」という本の中で、父オイゲン・シュワブ氏が、防衛産業以外の都市は空爆の対象にしないという協定を連合国と結ぼうとしていたようだと述べている。「シュワブ」(スイス人の間では、国境を越えたドイツ人に対するしゃれ)は、一家を「庶民」、「民衆の人々」として描いているようだ。さて、理想主義と冷笑、どちらなのだろうか。これは戯れの矛盾なのか、それとももっと深刻な矛盾なのか。

 

 シュワブはドイツのシュポーン・ギムナジウムを経て、1957年頃、スイスに帰国する。1958年から1966年まで、チューリッヒエッシャー・ウィス社に勤務し、フランクフルトのVDMA(機械・プラントエンジニアリング協会)のCEO補佐を務める。その後、修士課程でアメリカに渡り、ヘンリー・キッシンジャーやケネス・ガルブレイスに出会う。その後、ベルン大学で博士号を取得し、30歳の時にチューリッヒエッシャー・ウィス社の役員に就任、エッシャー・ウィス社をスルザー社に統合する責任者となった。特に、チューリッヒ(スイス)近郊のアウで、クラウス・シュワブは小学校の2年間(1945-1947)を過ごし、その場所はクラウスと切っても切れない関係にあるシャトー・アウの敷地である。ジュネーブの産業技術研究所の教授を務める。2年後、1971年1月24日に世界経済フォーラムを立ち上げた。

 

 コロナから世界経済フォーラム、クラウス・シュワブへのリンクがここにある。スイスの西部、フランス語圏のジュネーブに近いコロニーは、WEFの本部であり、クラウス・シュワブとマーティン・ボドマー財団の本拠地である。ジュネーブ郊外のケルニーにあるボドマー図書館(Fondation Martin Bodmer)の創設者であるマルティン・ボドマーは、パピルス、写本の収集家で、1939年までに6万冊の蔵書を蓄えたという。1940年から1971年に亡くなるまで、国際赤十字の副総裁を務めた。1951年、ケルニーに移転し、ボドメリアーナ図書館が開設された。マルティン・ボドマー=ナヴィルは、出版家でもあった。彼は1930年に隔月刊のドイツ文芸誌を創刊し、リルケトーマス・マン、R・カスナー、ホフマンスタールといった作家を掲載した。マルティン・ボドマーは、クラウス・シュワブの33歳の誕生日の翌日、1971年3月31日に亡くなったが、同じ年の1月、クラウス・シュワブはケルニーにWEFを設立している。

 オカルト的な意味や示唆的なつながりを抜きにしても、利害を共有する産業界の大物達、ベネチア、古いお金、地主のお金、社会的・地政学的に大きな力とリンクする人たちがいるのだ。城壁に囲まれた庭の「向こう側」にある世界観は、現実の世界観と意図が、白塗りされた物語とはかけ離れているかもしれない。

 

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド:-弁証法的部族主義

 

 オカルト的な見方をすれば、歴史は時間の外にある永遠の視点から研究されるものだと理解しなければならない。これは何を意味するのだろうか。1960年代の悪魔的、唯物論的な文化衰退のプロジェクトは、1980年代の冷戦の切迫した破滅、潜在的な核戦争という物語の下で形成された1980年代の文化と切り離すことはできない。次の、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(訳注)の「二つの種族が戦争に行くとき」の歌詞は、1984年に発表された。この年は、市民を心理的に抑圧する全体主義の世界権力の本質を描いたジョージ・オーウェルの有名な本の年である。ここでいう「戦争」とは何だろうか。いくつかのレベルがある。まず、ここでいう戦争とは、もちろん冷戦のことである。核戦争の余波は、当時は「核の冬」と呼ばれ、「必要性に迫られた」孤立、「隔離」をもたらす。

 

(訳注)フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドFrankie Goes To Hollywood)は、イギリスのバンド。1980年代半ばにセンセーショナルなヒットを放った。

略歴:1980年にニュー・ウェイヴ・バンドとして結成。グループ名は、フランク・シナトラが音楽界から映画界に進出することを伝える新聞記事の見出しから派生した「都へ出てきて堕落する」というニュアンスの慣用句的隠語に由来する。プロデューサーのトレヴァー・ホーンに見出され、1983年にZTTレーベルからデビューした。

 

ロナルド・レーガンの声:

紳士淑女の皆さん フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド をお見せしましょう

おそらく最も重要なものです

世界のこちら側This side of the world

そうそう、よくやった!

あなた方は何度でも私たちを有罪と宣告するかもしれません。しかし、永遠の歴史裁判所の女神は微笑み、検察官の準備書面とこの裁判所の判決をぼろぼろに引き裂くことだろう。

検察官の準備書面と裁判所の判決を破って

彼女は、私たちを無罪にするだろう She acquits us

非難せよ 非難せよ 非難せよ 非難せよ

歴史は赦す

"この日が私の死ぬ日になるだろう "と歌いながら

♪Yeahhhhaaaa

(もしあなたの祖母や家族が避難所で死亡した場合、外に出してください。ただし、識別のために最初にタグを付けることを忘れないでください。)

 戦場へ行け 戦場へ行け 戦場へ行け

 

   ここには、2020/21年のロックダウンとの類似点が多い。鋭い読者は、2001年6月22日から23日にかけて行われた上級レベルのバイオテロ攻撃シミュレーションのコードネームである「ダーク・ウィンター」作戦(訳注)の暗い冬」の物語と関係があることにお気づきだろう。2019年のCOVIDパンデミックのために、世界のリーダーたちによって準備訓練が行われたのである。「世界のこちら側This side of the world」は秘儀参入の世界であり、時間を超えてこれらのオカルト的な策略を察知することができる。最初の行の「She acquits us」は、法廷に立つ女神のことを指しており、奇妙な精神性を感じさせる。これは、カルマの法則を覆すことができ、「歴史が彼らを赦す」と信じている人々のことだろうか。vi

 

(訳注)ダークウィンター作戦は、アメリカのアンドリュース空軍基地で2001年6月22〜23日に実施された上級レベルのバイオテロ攻撃シミュレーションのコードネーム。これは、米国に対する秘密の広範囲にわたる天然痘攻撃の模擬バージョンを実行するように設計された。ジョンズ・ホプキンス民間生物防衛戦略センター(CCBS)/戦略国際問題研究所(CSIS)の研究者が主要な設計者、著者、管理者だった。(ウィキペディア

 

へえ

戦争が勃発しても、誰も現れないと思えばいい。

 

 1980年代に「フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド」を楽しんだ人たちは、現在40代、50代の人たちである。そのイメージは、無意識のうちにエーテル体で眠っているのだ。「へえ 戦争が勃発しても、誰も現れないと思えばいい」とは、「目を覚ませ」、周りを見渡して自分の周りで起きている知覚の戦争を認識しろ、という意味に解釈できるかもしれない。

 

2つの部族が戦争するとき

得点はすべてあなたのものです。

 

 ヘーゲル弁証法のレンズを通して地政学を認識することを思い出させるものである。「A point is all that you can score ... when two tribes go to war」は、弁証法の理解への言及である。ここでいう「1」[訳注:A pointのことか?]は合成のことである。この点については、ここでは説明しない。文の後半で歌われるこの象徴的な文章、「私は黒いガスのために働いている」を認識すれば十分である。「黒」は、しばしばオカルトの夜、黒い太陽を象徴するものとして使われる。しかし、「ガス」とは、肺に充満している毒気のことでもある。ここで必要なのは、眠っているときに、自分の心を満たしている思考に気づくということである。

 

COVID-19グレート・リセット

 

 私たちが主流メディアで見慣れるようになったイデオロギーや21世紀のプロジェクトには、次のようなものがある。グリーン・ニューディール、持続可能な開発、国連アジェンダ21、第4次産業革命、デジタル化、テクノクラート・コントロールなど。この本は、読者がすでに準備ができていることを前提としている。だから、著者は、空虚な「より良いものを作るbuild back better」vii 物語である、経済のリセットを確立するのに時間を無駄にしない。

 

 「しかし、深い実存的な危機は内省を促し、変革の可能性を秘めることがある。世界の断層、とりわけ社会的分裂、公正さの欠如、協力の欠如、グローバル・ガバナンスとリーダーシップの失敗が、かつてないほど露呈し、人々は新しく作り直す時が来たと感じるようになったのだ。新しい世界が出現し、その輪郭は私たちが想像し、描かなければならない。」

 

 しかし、変革に必要な内省は、もちろん、支配エリートが行うものではなく、受け継がれていくものであろう。また、それは、参加型民主主義でもない。思想の自由と言論の自由は明確に定義されている。不同意である。いつものように、一致するのが難しい大衆に対して、矛盾が提示される。「実存的」という言葉の使用は、特に、従属的な社会へのプロパガンダによって維持され、作り出された危機に対して特に不誠実なものである(訳注)。

 

(訳注)グレートリセットの論説では、"実存的existentialリスク、危機"というような使い方がされているようだ。生存に関わるというような意味である。問題は、本来、誰がそれを造り出しているのかと言うことである。

 

「病める」船のアナロジーviii

 

 グレートリセットの1.1.1節は相互依存Interdependenceと題されている。国連とWEFにつながりのあるシンガポールの学者・外交官、キショア・マフブバニのボートのアナロジーに、2020年のペスト船のアイデアがトピックとして加えられている。

 

 「もし、私たち75億人がウイルスに感染した客船に閉じ込められているとしたら、ウイルスが通過する廊下や外の井戸を無視して、自分たちの部屋だけを掃除して清潔にすることに意味があるのだろうか。答えは明らかに“ノー”である。私たちは今、同じ船に乗っているのだから、人類は地球全体の船の面倒を見なければならないのだ。」

 

 ボート、病気、航海のアナロジーが印象的である。「海の」法とは対照的な「憲法の」というテーマも、2020年を通じて生まれたさらなるテーマだ。ガバナンスの他に、イメージとストーリーテリングの重要性をここで認める。なされるべき歴史的、政治的なアナロジーがあるのだ。

 

 2020年、人類はどのような星のもとに航海しているのか、主権と自由なのか、それとも私たちの行いを「集団」に従属させる必要があるのか、そしてこの2つをどのように調和させることができるのか、という疑問が生じる。

 

 「COVID-19によって解き放たれた社会の激変は、何年も、場合によっては何世代にもわたって続くだろう。最も直接的で目に見える影響は、多くの政府が責任を取らされることであり、COVID-19への対応という点で不十分あるいは準備不足に見えた政策立案者や政治家に対して多くの怒りが向けられることである。」

 

 グレートリセットの1.2節は「経済的リセット」と呼ばれ、1.3節「社会的リセット」へ続いている。このセクションで、ヘンリー・キッシンジャーは、社会不安と変化を求める声、そしてその繰り返しが、地政学的指導者が今後物語を形成することを可能にすることを、有益に付け加えている。ここで重要なのは、キッシンジャーが暗に示している、歴史が操作された創造物であることに気づいている者こそが、展開される出来事を決定付けるのだということを認識することである。ブッシュがかつて、このような趣旨の次の言葉を述べたように。「あなた方(国民)は歴史を見る。私たちはそれを作るのだ。」

 

 「国家は、その制度が災難を予見し、その影響を阻止し、安定を回復することができるという信念のもとに結束し、繁栄しているのである。COVID-19の大流行が終わったとき、多くの国の制度は失敗したと認識されるだろう。

 

 この本ではさらに、「正しく」反応した国が表わしている属性のリストを紹介している。それは、アジア諸国である。彼らは、より権威主義的な体制、中国の場合はまさに共産主義的な体制を持っていたので、論理的に来るものに対して最もよく準備されていたのである。法律や市民の自由を無視した迅速な決断をした国々は賞賛され、政府によって支えられた効率的で十分な医療制度は賞賛され、最後に、国民が、個人の願望や必要性に関係なく、共通のイデオロギー的善を支持することを目標とする国は、「正しい」願望を持っていると持ち上げられるのである。

 

太陽の前には新しいものはない

 

 この本の最後の部分で、著者は過去数年にわたり顕著だった市民的緊張の「源」をいくつか取り上げている。カテリーナ、黄色いベスト、ブラック・ライブズ・マターなどである。本書によれば、COVID-19による死者は黒人の方が白人より多い。そしてルーズベルトの1930年代のニューディール政策xiは、経済支配の再スタート、つまり重商主義の再導入として新たに包装されている。

 

 「市場の失敗が生じたときにそれをただ非難するのではなく、経済学者のMariana Mazzucatoが提案したように、“持続可能で包括的な成長を実現する市場を積極的に形成し創造する方向に向かう”べきなのだ。」

 

 この本の1.3.4項では、「新しい社会契約」について述べている。しかし、新しい考え方に頼ることを認めるのとはほど遠く、21世紀の歴史はスケッチされているのである。1.4.3項では、中国とアメリカの対立が激化していることが述べられている。このことは、もしかしたら慰めになるのだろうか。このグローバル・ガバナンスの新しい形態の向こうには、東では20世紀初頭の共産主義、中央では国家社会主義、そしてアメリカでは常に監視の目を光らせている企業社会主義のもとでのニューディールと、単に新しく正当化された体制があるのだろうか。

 

 私たちは何を期待すべきなのだろうか?退屈な量の統計とグラフは、あなたを早く眠らせるのに十分である。クラウス・シュワブの素晴らしい本は、見るべきすべてのものをあらかじめ並べている。悪の陳腐さとは、古くから繰り返されてきたドグマのことである。あの信条を思い起こすと、これは、私たちを恥ずかしくさせるのか?-それを見てしまったことを、見せかけ(謎言葉)を見たということを、「恥じる」のか?それとも、私たちの名誉ある伝統や社会には、もっと果たすべきことがあるのだろうか。私たちの主張は後者である。なぜなら、他の人々も、利害関係を認識しており、同様のより高い理想を抱いていると確信しているからである。xii

 

(注)

i ルドルフ・シュタイナー 「このように、ヘーゲルの論理は実際には永遠のものであり、したがって、それは有効であり続けなければならない。私たちはそれなしではやっていけない。もしそれなしで何とかしようとすれば、「ベールを作る」という漠然とした柔らかさに逆戻りするか、人々がヘーゲルを把握できないまま近づいたときにすぐに巻き込まれるようになったものに創始されるかのどちらかである」(社会形態の基礎としての精神科学』GA 0119)

ii 最上級ガーター騎士団は、1348年にイギリスのエドワード3世によって創設された騎士団である。ヴィクトリア十字章とジョージ十字章に次ぐ、英国における最高位の爵位である。

iii クラウス・シュワブ『グレート・リセット2020』より引用、経歴はWikipediaより引用。

iv チューリッヒ湖の半島にあるシャトー・オーは、1650年にハンス・ルドルフ・ヴェルドミュラー将軍(30年戦争で絹織物で財を成し、1650年までヴェネツィア共和国を支援)を始め、チューリッヒの多くのエリート家族の邸宅となっている。1887年、裕福な時計商ハインリッヒ・モーザーの未亡人、ファニー・モーザー・スルザー男爵夫人(スルザー社)が家と領地を購入し、1917年にハンス・フォン・シュルテス・ボドマーとヘレーン・ベルタ・シュルテス・ボドマーに売却された。ハンスはエッシャー・ウィス、ブラウン・ボベリ&チエの役員を務めていた。

v マルティン・ボドマー財団 https://fondationbodmer.ch/produit/corona-nova-1/

vi ルドルフ・シュタイナー「イエスからキリストへ」講義3、1911年10月7日、カールスルーエ、GA0131。「ちょうど物質的次元で、私たちの時代の初めに、パレスチナのイベントが起こったように、我々の時代にカルマの審判者の仕事は私たち自身の隣の高次の世界でキリスト-イエスに引き継がれます。」

vii 「Building Back Better」は、2015年3月14日から18日に日本の仙台で開催された第3回国連災害リスク軽減世界会議で合意された国連の「災害リスク軽減のための仙台枠組み」という文書で初めて公式に記述された。災害復興、リスク軽減、持続可能な開発のための仙台枠組みにおける4つの優先事項の一つとして、国連加盟国によって採択された。2015年6月3日、国連総会で採択された。ウィキペディアに掲載されている。

viii Helen Carr, How the spectre of the Black Death still haunts our collective memory, 6 March 2020, New Statesman.

ix Ron Suskind Faith, Certainty and the Presidency of George W. Bush, New York Times, Oct 17, 2004. 「2002年の夏、ブッシュの元コミュニケーション・ディレクター、カレン・ヒューズについてホワイトハウスが気に入らないという記事をエスクァイアに書いた後、私はブッシュの上級顧問と会談を持った。彼は、ホワイトハウスの不快感を表明した後、当時はまだよく理解していなかったが、今ではブッシュ大統領の核心に迫っていると思えることを私に話した。その補佐官は、私のような人間は「リアリティ・ベース・コミュニティと呼ばれるものだ」と言い、「識別可能な現実を慎重に研究することで解決策が生まれると信じる人々だ」と定義したのです。私はうなずき、啓蒙主義や経験主義についてつぶやいた。すると、彼はこう切り返した。「それはもう、世界の本当の姿ではない」と彼は続けた。「私たちは今、帝国であり、私たちが行動するとき、私たち自身の現実を創り出すのです。そして、君たちがその現実を研究している間にも、また行動して、別の新しい現実を創り出し、君たちもそれを研究して、物事を解決するんだ。私たちは歴史の役者であり、あなた方は、あなた方全員は、私たちが行うことをただ研究することになるのです。」

x 伝道者の書1:9 現代の慣用句として、「太陽の下に新しいものはない」は、しばしば人生の単調さに世の中にうんざりした不平として使われる。ソロモンがこの文を書いたとき、彼は地上での人間の生活の周期性と「ラットレース(がむしゃらな競争)」のためだけに生きることの虚しさを強調したのだ。伝道者の書1章9節

 xi ニューディールとは、1933年から1939年にかけて、アメリカのフランクリン・D・ルーズベルト大統領によって制定された一連のプログラム、公共事業、財政改革、規制のことである。

xii ルドルフ・シュタイナー『神殿伝説』1904 年 12 月 23 日、GA 93。「それゆえ、もし再び新しい内容を、新しい知識とともに、これらの形態に注ぎ込むことが可能であれば、多くの利益がもたらされるであろう。そうすれば、フリーメーソンは再び真の精神に包まれるであろう。しかし、内容と形式は「全体」に属するものです。今日の状況は、私が述べたように、階級(序列)は存在するが、誰もそれを本当にやり遂げたことがないのである。しかし、それにもかかわらず、それらは何の意味もなくそこにあるわけではありません。それらは将来、再び命を吹き込まれるでしょう」。

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 クーパー氏の以上の論稿は、前書きで述べたように、グレート・リセットやコロナ問題は、長いスパンで計画されてきたものであること、そのために、人々の心、思考を操作するテクニックが使われてきたことを示唆しているのだが、その中身について残念ながら具体的な説明がなく、フラストレーションがたまる文章である。

 シュワブ氏についても、その名前や出自、係累について婉曲的に疑問が呈されるのみで、実際には何を主張したいのかがいま少し明瞭でない。私もこの文章を最初読んだときは、正直何を言いたいのかがよく分からなかった。

 しかし、今回、ブログに掲載するため、改めて読み直し、また情報収集をしたところ、幾分かクーパー氏の言わんとすることが理解できた。本文に「歴史上の人物の外見、名前、アイデンティティも“イメージ”とみなすことができる」とあるがやはりこれは「シュワブ氏」にも当てはまる可能性があるようなのである。

 これについては、次回に譲ることとしよう。