k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

コビド妄想と未来の医学

細胞の構造

 コロナを巡る状況はかなり混沌としてきたように見える。そもそものその原因であるウイルスが人工物であるとする説がアメリカで急に台頭してきており(それは当初から指摘されていたことではあるが)、世界的にコロナへのこれまでの対策の無意味さ、害悪が論じられ、特にワクチンの死亡を含む危険性が、(諸外国では)公的な機関も含めて論じられるようになってきているのである。

 しかし、一方で、そのコロナのワクチンは毎年の定期接種とされ、またそれと同様なmRNAワクチンが他の病気に対しても導入されようとしている。更に、全住民のワクチン接種状況を把握するシステムが構築され、それがWHOを通して世界中に押しつけられようとしているのである。

 つまり、一方でその無意味さ、危険性が明らかになっているものが、それを厭わず、相変わらず全地球的に押しつけられようとしているのだ。

 どうしてこのようなことが可能なのだろうか?様々な理由や背景が考えられるが、一つは、一部にそのプロセスに過誤があったとしても、ワクチンは基本的に有用であり病気を予防してくれるとする考え(今回のmRNAワクチンは、従来の意味ではワクチンとは言えないのだが)、病気を予防し治療する上で「現代的医学」が最善であるとする「常識」が支配しているからであろう。他に代替手段がない以上、それに頼るしかないと言うことである。

 しかし本当にそうであろうか。そもそも「現代的医学」は完全に正しいのだろうか?

 このブログでは、現代科学の常識に反する事実、考え方を何度か提示してきた。もし、医学においてもその根本が間違っていたなら、病気に対する対処の仕方も誤っている可能性があることになるだろう。

 

 今回は、これまで、心臓についての新しい見方やコロナ等の関係で何度か紹介したことのあるトーマス・コーワンThomas Cowan医学博士のコロナを巡る論稿を紹介する。

 これは最近偶然知ったものなのだが、コーワン氏のホームページに掲載されており、自由に取得できるようになっている。2021年8月に掲載されたもののようで、これまでこれを知らなかったのは、甚だうかつであった。

 これは『呪いを解く コビド妄想を終わらせる科学的根拠』という小冊子となっており、コロナについての一般的な誤った観念に批判を加えている。

 コーワン氏は、そもそも今回のコロナ問題では、その起源はウイルスではなく、5G関連であるとしたことにより、世界的に(悪名で)有名になったのだが、この冊子でも、ウイルスが実際には分離されておらず、ウイルスが原因とする考えに根拠がないこと、またPCRテストにも問題が多いことなどを指摘しているが、これらは、既にネット上に多くの情報が流れていることもあり、今回は割愛する。

 私にとって、この冊子でむしろ重要と思うのは、それ以外の部分である。本当の人間の体とは何か、病気とは何かについて、そしてそこから由来するあるべき「未来の医学」について、極めて重要な示唆を含む話が述べられているのだ。

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呪いを解く

コビド妄想を終わらせる科学的根拠

 

  トーマス・S・コーワン医学博士

 

 

第四章

人間の構造・組織

 

 この数年間、私は多くの人に「人間は何でできているのか」という素朴な疑問を投げかけてきた。その答えは、時に興味深く、時に少し奇妙で、時に非常に有益なものであった。しかし、健康や病気、なぜ病気になるのか、そして病気に対してどうしたらよいのか、といったことを理解する上で、非常に役立つと思われるアプローチがある。

 それは、「もしウイルスでないなら、なぜ人は病気になるのか」という、誰もが抱くであろう切実な疑問に答えるためには、人間がどのようなものであるかを現実的に、正確に、真に科学的に解明しなければならないと考えるからだ。

 では、「人間は何でできているのか」という問いに答えるための一つのアプローチを見てみよう。まず、「人間は何でできているのか」という問いに答えるための一つの方法として

 人間は、頭、胸、腕、脚、目、耳、その他多くの目に見える体の部分から造られている、いや、いやより的確には、構成されていると言えるだろう。この結論は、私自身と他の人間を何十年にもわたって観察してきたことに基づいている。そして、最も重要なことは、これまで存在したあらゆる科学と医学の体系が、この結論に基本的に同意してきたという事実だ。

 次に、もっと深く掘り下げたいと思う。これらの容易に目に見える部分の下にあるのは、一般に臓器と呼ばれる構造物である。心臓、肝臓、腸、神経などである。臓器がある証拠に、私は多くの場合、自分や他人の臓器を直接感じることができる。また、生きている人の手術で見ることができるし、超音波やCTスキャンなどの画像診断で簡単に見ることができる。また、最も重要なことは、私が知っているすべての医療システムは、人間が臓器でできていることに同意するだけでなく、時には臓器を医療全体の中心的な存在として捉えていることだ。例えば、中国医学は、臓器を流れるエネルギーに着目している医学その様な医学である。このように、人間の中にあるさまざまな臓器の存在を信じない医学的な考え方はない。

 では、もう一歩踏み込んで、"臓器とは何か "を考えてみよう。例えば、肝臓は何でできているのか?肝臓はヘパトサイトと呼ばれる肝細胞でできていて、それがグループ化、あるいは組織化されて肝臓という構造体を形成している、という「当たり前の」答えが一般に提示されることになる。しかし、ここで最初の見解の相違が見つかった。まず、私の知る限り、生きている人の無傷の肝臓にある肝細胞を直接見た人はいない。また、肝細胞は小さすぎて、超音波検査、CTスキャンMRI検査など、現在の画像診断技術では可視化できないことは明らかである。

 肝細胞が生きた人間の無傷の臓器で直接観察されたことがないのは、純粋に技術的な理由かもしれない。肝細胞は小さすぎて、少なくとも光学顕微鏡がなければ見ることができず、生きた人間には使用できない。だから、科学者や医療関係者は、生きている人の肝臓から肝細胞を取り出し、それを見つけるのだ。そして、染色したり、何らかの方法で組織を整えて、肝細胞の特徴的な形態(形や構造)を光学顕微鏡で見るのである。このプロセスは明確なように思えるが、組織の一部を生きた母体から取り出すという単純な行為でさえ、その組織の形態、化学、挙動に必然的に影響を与えることが広く認められていることを除いては、である。したがって、可能な限り正確を期すためには、生体の調査方法である生きている組織を調査する方法が、何らかの形でその組織の特性を変えてしまう可能性を排除する必要があるのだ。このステップは、科学的な結論を出そうとする者にとって、最も優先されるべきものである。

 興味深いことに、人間(というよりすべての動物)が細胞からできているという科学的な理論は、どの伝統的な医学体系にも含まれていない中国医学アーユルヴェーダ医学、ホメオパシー、その他の伝統的な治療法を考えても、少なくとも私の知る限りでは、細胞の存在について言及したり話したりしたものはない。この事実は、細胞が生体組織に存在しないことの証明にはならないが、歴史的な脚注としては興味深いものがある。

 

 人間が細胞からできているという説は、実は極めて新しい考えである。1850年代にルドルフ・ヴィルヒョーというドイツ人医師が考案したもので、当時は多くの批判と嘲笑にさえさらされた。繰り返しになるが、この反応は、ヴィルヒョーが間違っていたことを証明するものではなく、細胞説が過去数世紀に特徴的な唯物論的思考から生まれた長い系統の理論の一つであることを示すに過ぎない。この場合、「唯物論」とは、人間も宇宙のあらゆるものと同様に、単に物質的な物質の異なる形態であると考える学派のことを指す。唯物論的な考え方の人たちにとって、「エネルギー」や「生命力」といった概念や、生命そのものの探求は、論外なのである

 細胞説について最後に一言。生物学者によれば、人間は約188種類の体組織から構成されている。この中には肝臓、心臓、卵巣、目のレンズなどが含まれる。この188種類のうち、約44種類が「合胞体」であり、残りは細胞から構成されていると広く考えられている(1)。合胞体とは、細胞と呼べるような内部分裂のない均質な構造体であり、無細胞器官を指す。よく知られているのは、目の水晶体である。(目のレンズのように均質で均一な構造を持つ器官は、光に親和することを目的とするならば、良いアイデアであることは明らかである)。

 

 一般に、細胞構造を持つことが、例えば肝臓のような器官にとってなぜ有益なのか、私にはよくわからない。生検(生きている組織を殺して染色する必要があるプロセス)で肝臓が細胞構造を示すことはわかるが、細胞が肝臓の活動においてどのように機能的な利点をもたらすかはわからない。もし臓器が小さな小部屋ではなく、均一で均質な「マトリックス」でできていたら、より簡単でシンプルで、より良いコミュニケーションが得られるのではないだろうか?いずれにせよ、細胞説にはいくつかの問題点があるものの、少なくとも私たちの臓器の一部は、一般に「細胞」と呼ばれる内的な部分で構成されているようだと結論づけるのに十分な証拠が存在するとしよう。

さらに突っ込んで、細胞は何からできているのかというと、もっと問題がある。この際、細胞生物学に少しでも興味をお持ちの方は、私の考え方に最も影響を与えた二人の生物学者、ハロルド・ヒルマン(Harold Hillman)(1)とギルバート・リング(Gilbert Ling)(2)の著作を全部読んでみることを勧める。私が思うに、この2人はこれまでに生きてきた中で最も優れた生物学者である。

 リング(1919-2019)とヒルマン(1930-2016)の両氏は、過去100年間の生物学が、データの取り方に関する問題をはらんでいることを指摘している。彼らの研究は、生命システムに何が存在するかという現実に私たちを基づかせ、何が存在するかということと何が人工物であるかということを区別する上で、非常に貴重なものである。「人工物」とは、画像処理技術や解釈技術を使って見たものが、生きた無傷の生物に見られるその構造の形態や活動を反映していないかもしれないという、極めて理解しにくい概念を指す。これは、特に電子顕微鏡の発明と使用において顕著である。

 ヒトの細胞の構成要素に関する詳細な分析は、この冊子の主題ではないが、科学者が常に電子顕微鏡の画像を撮るのは、生きたシステムから組織を取り出した後であることは重要な点である。組織はその後、極低温で凍結されるか、酵素風呂に浸され、重金属や有害な染料で染色された後、電子ビームを浴びて試料に含まれる水分を直ちに蒸発させ、その後初めて、スライド上の真空室で検査されるのだ。このような強引な方法で、組織の外観や機能に変化がないと主張するのは、馬鹿げているにもほどがある。ヒルマンがしばしば指摘したように、電子顕微鏡写真の画像から得られる情報もあるにはあるが、そのような画像はすべて人工物であり、現実の構造を正確に描写しているものはないのである。

 ウイルスを可視化する唯一の方法は、まさにこのようなステップを踏むことである。実際、ウイルスを見たことのある人は誰もおらず、私たちが見たのは、下層の組織に付着した重金属汚れの沈着物だけである。新しいクライオ技術では、この問題を避けようとしている。しかし、やはり、私たちが見ているのは凍結された粒子だけであり、それが無傷の生物の中で実際にどのように見えたかについては、何の言及もないのである。

生体組織の中に何が存在するのか、という興味深いテーマについて深く掘り下げることはしないが、この分野の研究は、ウイルス学にまつわる厄介な問題と同じように考えることができる。繰り返しになるが、真の科学を行うには、自分たちの前提を絶対に確認し、特に、自分たちの調査方法が調査対象物に変化を与えていないことを絶対に確認しなければならない。そのためには、各段階で慎重な管理が必要であることは明らかである。

 しかし、ヒルマンのような「急進派」の科学者が、長年にわたって何度もこうした管理の必要性を指摘してきたにもかかわらず、今日の科学ではこうした措置がほとんど無視されている。

 動物に麻酔をかけるという単純なことでさえ、その動物の生化学や組織の組成を変えてしまうかもしれないのだ。「実験室で調べられる人間の組織、細胞、生化学的経路をブレンドし、凍結し、脱水し、重金属で染色するとどうなるのか」と問うべきではないだろうか。

 この問いかけは、生物学に対して全く異なる見方をもたらすことが明らかになっている。それは、より正確であるばかりでなく、病気の予防や治療にも大いに役立つものである。この問題をもう少し詳しく見てみよう。

 最初の画像は、教科書に載っているような、細胞の構成要素の図である。リボソーム」と呼ばれる小さな円形の構造物は、現代の遺伝子の理論にとって極めて重要だ。細胞内でメッセンジャーRNA(mRNA)をタンパク質に翻訳する場所と考えられている。もし、リボソームが人工物であることが判明すれば、遺伝学の理論全体が崩れ始める。

 

 リボソームが発見された当初から、リボソーム電子顕微鏡の高倍率でしか見ることができなかった。リボソームは常に完全な円形で、「小胞体」と呼ばれる蛇のような構造に付着しているか、細胞質(核の外にある細胞の水のある部分)の中を自由に漂っているように見える。しかし、2次元のイメージでは常に完全な円形である構造も、3次元の「生命」では球形であったはずであることを理解しなければならない。リボソームを見つけるためには、細胞を均質化する、つまり、一種のミキサーにかけることが必要だ。完全な球体である構造物をミキサーにかけると、完全な円に切断されることはあり得ない。これは、球面幾何学基本法則に反している。

 つまり、電子顕微鏡写真で何十年も見てきた完全な円は、現代のあらゆる細胞の画像に描かれているもので、人工的なものであるに違いない。リボソームが無傷の細胞の中に存在することはあり得ないというのが、ヒルマンが出した結論である。彼は多くの著書でリボソームの歴史を論じ、そのような構造が実際に細胞の中に存在することを誰も証明していないことを段階的に示してきたのである。丸いものは、その組織の準備の仕方によって必然的に生じる染色された気泡であると思われる。

 人の細胞の構成要素の図面には必ず載っている、もう一つの構造を見てみよう。小胞体は、これらの図面では、核の裏側と細胞壁に付着している長いチューブ状の構造物だ。リボソームと同様、小胞体は電子顕微鏡でしか見ることができないが、これもまたリボソームと同様、細胞がどのように機能するかを現代人が理解する上で重要な構造物である。DNAは、膜で閉じられている核の中にあるという説を唱えた生物学者たちが直面した問題を解決するために "発明 "されたのだ

  pHは水素イオンの濃度を示す指標である。細胞内のpHは、核内のpHとは異なることが、無傷の細胞で直接測定された結果、明らかになっている。この現象は、水素(H+)イオンが細胞質から核に自由に移動できないこと、核の膜がH+や他の小さなイオンの核から細胞質への自由な拡散を妨げていることを意味するのみである。この観察から、明らかな疑問が浮かび上がった。「H+イオンの何千倍もの大きさのmRNAが、どのようにして、それが作られる核から、タンパク質に翻訳される細胞質へと渡されるのだろうか。その際、はるかに小さなH+イオンも核から細胞質へと渡され、核と細胞質の間のpHが平衡化されるのだろうか?」

 細胞生物学者は、核膜に付着しているように見える蛇のような線を見たとき、その答えがわかったと思った。その答えとは、次のようなものだ。核の中でDNAから転写されたmRNAは、チューブ状の小胞体を通って核の外に出て、小胞体に付着しているリボソームと出会い、そこでタンパク質に翻訳されるのである。しかし、どこかの時点で出口があるはずで、その出口はH+イオンの何千倍も大きくないといけない(H+イオンが小胞体の穴や出口に自由に出入りできるようにするため)ことは忘れてはならない。細胞生物学者たちは、このジレンマを回避するために、ある種の一方通行のドアがあるに違いない(それはいつか発見されるだろう)と仮定したのである。

 この理論には、出口の問題のほかに、第二の問題がある。生きた細胞を光学顕微鏡や暗視野顕微鏡で見ると、核が絶えず回転し、時には360度回転していることが容易にわかる。もし、核が細胞の外壁に紐でくくりつけられていたら、このような回転はありえないだろう。ここでもまた、単純な力学の法則が示唆するように、小胞体は電子顕微鏡の画像でしか見たことのない構造物であり、無傷の生きた細胞には存在しない人工物である。むしろ、電子顕微鏡の画像を作るための破壊的な技術によって作られた沈殿物である可能性が高いのだ。

実際に見える細胞

 先ほどの図には、細胞生物学者の理論に基づく細胞の構成要素が描かれていたが、実際の「生きた」細胞の写真と比較してみると、(元の生物から切り離されているとはいえ)ずいぶん違う絵が見えてくる。実際、生細胞の写真で見える構造物は、細胞の周りの薄い膜、水を含んだ細胞質、小さな黒い線(ミトコンドリアと言われている)、核だけである。そして、それだけである。興味深いことに、何千ページもあるヒルマンとリンの本を読んだ後では、この観察はこの二人の結論とぴったり一致するのである。

 先に述べたように、我々の身体の細胞は、均質な組織(シンシティア)として、あるいは細胞という区画として組織化されている。細胞は単層の膜に囲まれているが、この膜はおそらく脂溶性であり、細胞内の水分が最も厚く、あるいは最も組織化されている部位である。細胞質は、組織化され、構造化された(あるいはコヒーレントな)水から構成されている。水は周辺に行くほどコヒーレントとなり、中心にある核に行くほどコヒーレントでなくなる。

 最後に、核があるが、これも薄い、おそらく脂溶性の単層膜で結合されている。さらに、膜にはポンプや受容体がなく、ミトコンドリアにはクリステ(小区画)がない。生命のこの基本構造は、あらゆる古代の知恵の流れ、あらゆる伝統的な科学と医学の教え、そして注意深い現代科学の観察に一致しているのだが、アミノ酸、ミネラル、タンパク質を含んだ、コヒーレントで構造化した水と、そして細胞水の中に埋め込まれた遺伝物質なのである。

  この無限に柔軟なコヒーレントな水の結晶を生み出す組織原理は何なのだろうか?それは、太陽のエネルギー、光、そして宇宙からやってくるさまざまな周波数、エネルギー形態、波長、音、色、思考、感情、その他の発散物である。言い換えれば、組織原理は細胞の外から、さらには生物の外からやってくるのだ。このシンプルで強力な図式が、健康と病気を理解する鍵なのである。また、生命を破壊するのではなく、生命に奉仕する世界を再構築するための鍵でもある。私たちの精神的な起源と再びつながり、世界全体を破壊的なエネルギーのパターンと形態に埋め込もうとする現在の動きと切り離すための鍵なのだ。要するに、それが現在のカタストロフィーを脱する方法なのだ。

 

参考文献

(1) ヒルマンH.細胞生物学と神経生物学における新しいパラダイムのためのケース。Lewiston, NY: Edwin Mellen Press, 1991.

(2) リン・G. In Search of the Physical Basis of Life(生命の物理的基盤の探求). New York, NY:

Springer, 2011.

 

第五章

人はなぜ病気になるのか、そしてどうすればいいのか

 

 COVID現象が始まってからしばらくして、私は自分のポッドキャストを始めた。その中で、私が「水の新しい生物学」と呼んでいる分野の世界的リーダーたちにインタビューする機会に恵まれた(1)。実際、この新しい生物学は新しいものではない。多くの先住民は水の生物学をよく知っていたが、今こそ、この考え方が明確に、意識的に、十分に理解されるべきときなのだ。私にとっては、「COVID」には多くの意味があるが、根本的には、生物学に対する見方、つまり生命に対する見方の危機なのである。私たちの前には、2つの明確な道がある。人類がどちらを選択するかが、私たちの未来を決めるのである。

 私が好きなインタビューのひとつに、ヴェーダ・オースティンという女性とのものがある。彼女は、江本勝(2)の画期的な研究成果を受け継ぎ、水の中で結晶像を「作らせる」方法を学んだ。オースティンの方法はとてもシンプルだ。浅いシャーレに純水を入れ、音、言葉、写真、自分の考えなど、さまざまな影響を水に与える。そして、その水を一定の温度に保った冷凍庫に入れる。しばらくして、凍った水を入れたシャーレを冷凍庫から取り出し、水中の結晶格子にできたイメージを調べて写真に撮るのである。その結果、驚くべきことがわかった(3)。

 私の好きなイメージは、友人の結婚式の招待状の上にシャーレの水を置いたときに浮かび上がったものだ。彼女は、招待状のイメージを見せるよう、水に頼んだのである。そして、いつものように数分後、冷凍庫から取り出すと、そこには紛れもなく、結婚指輪の姿が鮮明に映っていたのだ。その様子は、彼女のホームページやインタビュー記事(3,4)で見ることができる。

結婚という非常に高度な抽象概念を受け取った水は、その概念の本質を鮮明に、鮮やかに、革新的に伝えるイメージを即座に思いつくようだ。

 そのシンプルで驚異的なイメージの創造力は、まさに生物学と人間の中で水が果たしている役割を表している。水の役割は、化学物質、ホルモン、光の波長、思考、感情、他の生物からの共鳴振動など、世界からのあらゆる影響を集め、まとまりのある(コヒーレントな)全体へと組織化することである。私たちは、そのまとまりのある全体なのである。

 タンパク質は、あらゆる生物学的構造の物理的な構成要素であり、水がこのまとまりのある全体を作り出すために使用する媒体でもある。科学者たちは、少なくとも25万個の別々のタンパク質が人間の中に存在することを発見した。酵素、ホルモン、神経伝達物質、コラーゲンなどの構造タンパク質、抗体など、さまざまなタンパク質が含まれている。これらのタンパク質は、私たちが生命に関連するすべての活動を担っている。構造をもたらし、解毒を行い、体内のあらゆる反応を正常に働かせる。

 これらの無数のタンパク質がなければ、生命は存在し得ないのだ。しかし、「タンパク質はどこから来るのだろう?タンパク質ができるきっかけは何なのだろう?これらの疑問に答えることで、私たちは古い生物学と新しい生物学の間の分裂の本質に到達するのです。また、「COVID」プロットの本質もここにある。

 旧来の生物学の答えは、すべてのタンパク質は、遺伝子と呼ばれるDNAの特定のセグメントによってコード化されているというものである。この遺伝子は、核でmRNAに転写され、その後、核からリボソームへと(何らかの方法で)移動し、そこでDNAコードに組み込まれた特定のタンパク質に翻訳されるのである。

 このプロセスは、DNAからRNA、そしてタンパク質へと常に一方通行であると長年考えられてきた。しかし、遺伝学のセントラルドグマと呼ばれるこの考え方が間違っていることが、現在では分かっている。突然変異と呼ばれるDNAコードに変化があれば、当然、タンパク質のバリエーションが生まれる。この突然変異の過程こそが、自然淘汰が働くためのもともとの材料であると考えられている。つまり、DNAに「適応的な」突然変異が生じると、その生物はより「効果的な」タンパク質を得ることができるという点で有利になり、この変化したDNAはその子孫全てに有利となるのだ。これが旧来の生物学の核心的な原理で、DNAに含まれる遺伝子配列が支配的な原理である。

 そして、「ヒトゲノム計画」が始まった。ヒトゲノムの全容解明を目指したこのプロジェクトで得られた主な知見は、驚くべきことに、ヒトゲノムは約2万から3万個の遺伝子から構成されているということだった。これは明らかに、約20万個以上のプロテインは、既知の遺伝子配列とは無関係に作られていることを意味する。つまり、一部のタンパク質は特定の遺伝子によってコード化されているようだが、大半のタンパク質は遺伝子の設計図なしにデノボ(新規に)作られているのである。

 このことは、明白な疑問を生じさせる。「これらのタンパク質はどこから来るのだろう?遺伝学と自然淘汰の理論を救うために、科学者たちは、酵素が2万個の遺伝子を切り、つなぎ、何らかの指示に従って並べ替え、コードのないタンパク質を作っていると仮定した。この説は正しいかもしれない。しかし、もう一つ、すべてを変える可能性のある、より単純な説明が存在する。

 ヴェーダ・オースティンの実験で、水が結婚指輪を作ったという事実は、遺伝子の設計図がなくてもタンパク質の大部分を作ることができるということを教えてくれるものである。この水には、アイデア、思考、意図、より科学的な言葉で言えば、意識の側面が示されているのだ。水は、その生きた結晶構造を通して、このアイデア、つまり意識の側面を感知し、細胞の細胞質または水性シンシチウムの「本体」に常に溶解している遊離アミノ酸を「収集」する。水は、エネルギーを物質に変換する優れた能力以外に何の設計図も用いず、生命活動を行うための新しいタンパク質を作り出すのだ。

 つまり、「健康」とは、人の「水」が世界を身体に自由に翻訳している、常に変化し続ける状態であると定義できる。この翻訳プロセスは、不思議な方法で、あなたというまとまりのある全体が持つ最高の意図と一致していなければならない。もしそうであれば、結果は最大かつ真の意味での健康となる。

 一方、病気は、このシステムのあらゆる破壊の結果として発生する。外からの信号が毒性であったり、構造化されていなかったり、あるいは体の水のまとまりに対して直接的に有害であったりすることがある。例えば、罵詈雑言、脅し、要求、嘘、恐怖心を煽るようなメッセージに常にさらされているような場合である。このようなエネルギーの入力は、身体の水をまとまりのない結晶構造へと形成してしまうのだ。

  例えば、現代のライフスタイルでは、太陽と他の自然な宇宙全体からの生命を育む波長を定期的に浴びる代わりに、Wi-Fi信号や5Gのような強力でパルス的な狭い波長帯域を浴びている。このように、自然の幅広い非パルス波長から単純なパルス高強度信号への交替は、毒性曝露に相当する(5)。水は今までそのようなものにさらされたことがなく、その影響は明らかである。私たちの細胞や組織は無秩序で混沌としたまとまりのない状態になり、病気は必然的な結果となるのである。

 結晶水の完全性が健康と病気を理解する鍵であることを示す具体的な例として、急性疾患について見てみよう。水の新しい生物学では、私たちの体内の水の一貫性と構造が生命の基礎であることを理解している。このコヒーレントな水は、ラジオの受信機のような役割を果たし、放送された世界の波長をタンパク質に変換して、私たちの体を構成し、私たちの生命を作り出しているのだ。病気は、調子の悪いラジオである。グリホサート、シアン化物、ヒ素重水素などの毒素を水に溶かすと、水が歪み、天体の音楽、世界の音が聞こえなくなるのだ。私たちの体は、本来の知恵として、温熱でこの歪んだ結晶水を分解し、粘液で毒素を洗い流す。残念ながら、私たちはこれを "病気 "と呼んでいる。そうではない。それは、私たちの健康を回復するための道なのである。

 このシンプルなモデルは、これまで使われてきたあらゆる自然治癒法の根底にある哲学をすべて説明している。発熱療法、スウェットロッジ、ホメオパシー、薬草療法、中国医学、そして現代のエネルギー療法についても説明している。これらの方法はすべて、解毒と自然界のエネルギーの人間組織への導入を組み合わせて、水のコヒーレント性を回復させることが根本的な目的なのだ。これこそ、未来の医学の青写真である。

 一方、「コビット」に代表される旧来の生物学は、基本的に水の知恵を科学者の誤った考えとすり替えようとしている。どの注射も、どのタンパク質を作れば健康になれるかは、科学者が、あなたの水よりもよく知っているという考えに基づいている。「コビド」の話の大筋は、世界中の様々な研究所で、科学者が「スパイク・プロテイン」と呼ばれる毒素を合成するための青写真を思いついたというものだ。現在のところ、このタンパク質は血管、神経、肺の組織、その他多くの組織に対して特異的な毒性を持っていることが分かっている。

 5Gと呼ばれる有毒な波長は、より多くの病気を作り出す役割を果たしているのだろうか?電磁波は、体内の水のコヒーレンスに干渉することによって病気を作り出すことが示されている(6)。そして、ウイルスの話は、このスパイクタンパク質がどのように体内に入るかを説明するための偽装工作ではないだろうか?

 ウイルスとスパイクタンパク質の物語が人々の心に定着すると、「COVID」注射が実施されるようになった。この注射の目的は、安定化したmRNA配列を使って、毒性のあるスパイクタンパク質を合成するように体に指令を出すことにある。あなたは、自分自身の破滅の[遺伝子の]ベクターとなるのであり、この道を元に戻す保証はない。これが、科学者や世界の指導者たちがとった道である。それは生命から遠ざかる道である。それは合成生物学の道であり、水と生命の生物学ではない。

 

参考文献

(1)コーワン T. 「がんと水の新しい生物学」。Cancer and New Biology of Water: Why the War on Cancer Has Failed and What That Means for More Effective Pre- vention and Treatment(癌との戦いはなぜ失敗したのか、そしてより効果的な予防と治療のために何を意味するのか). White River Junction, VT: Chelsea Green Publishing, 2019.

(2) Emoto M. The Hidden Messages in Water. ニューヨーク、NY: アトリア・ブックス,2005.

(3) オースティンV. ザ・シークレット・インテリジェンス・オブ・ウォーター: Science, Art & Con- sciousness. https://www.vedaaustin.com/.

(4) コーワン博士と仲間たちとの会話|Ep13: Veda Austin. https://www.bitchute.com/video/WidMJTGIVyHO/.

(5) Pall M. Wi-Fi is an important threat to human health. Environ Res.

2018;164:405-416. doi: 10.1016/j.envres.2018.01.035.

(6) フィリップスJL、シンNP、ライH. 電磁界とDNA損傷。病態生理学。2009;16(2-3):79-88. https://doi. org/10.1016/j.pathophys.2008.11.005.

 

第6章

健康を確保するための実践的ステップ

 

 私たちは、自分たちが何からできているのか、生き物はどのように組織されているのかについて、明確で合理的かつ科学的な概念を形成することができたので、これらの原則を利用して、病気を避け、病気になった場合には治すことができる。核となる原則は、すべての生き物は、様々な成分(ミネラル、アミノ酸、タンパク質)を含む、組織的でまとまりのある構造化された水からできているということである。私たちの中の水は、世界からのインパルスの受信機として機能する。そのインパルスには、化学物質、ホルモン、電磁波、毒素から思考や感情まで、あらゆるものが含まれる。私たちの水は、ラジオが音の波長を集めるように、これらのインパルスを集め、あなたというコヒーレントな全体へと変化させるのである。

 私たちが人生を歩んでいく中で、健康とは、私たちの水の構造がより完璧なクリスタルになるために絶えず進化していくことを意味する。そして、その結晶が崩れたとき、私たちは病気になるのだ。医学が関心を持つべきことはただひとつ、進化し続ける私たちの中の結晶水を守り、維持することである。それこそが、これまでに存在したすべての自然治癒戦略とシステムの本質なのである。それが、健康の王国への鍵である。

 ここでは、あなたとあなたの家族の健康を作るための実践的な戦略を紹介する。

【訳注:以下については、項目のみ記載】

  1. 機会あるごとに自然とつながる。
  2. 生活の許す限り、仮想体験を避ける。(実体験をする)
  3. 本物の食べ物を、本物の食べ物だけを食べる。
  4. 純粋な水だけを飲む。
  5. 体に必要なミネラルを、毎日の食事でしっかり摂る
  6. ミトコンドリアに栄養を与える
  7. 有害な電磁波から身を守る
  8. 最後に、自分よりも大きく賢い存在、エネルギー、存在、あるいは高次の力と何らかの形でつながる積極的な実践を見つけ、追求することを、すべての人に勧める

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 以上のようなコーワン博士の人体組織及び医学についての考えは、「非正統的」であるという批判は当然ありうる。しかし、「正統」が常に正しく「非正統」が誤りとは言えない。むしろ、文中にあるように、従来の伝統的な考えはむしろ今「非正統的」とされるものなのだ。

 現代医学がこれだけ「発展」しているにも関わらず、なぜ一向に病人は減らず、むしろ増大しているのだろう。それは、現代医学に致命的、根本的な過ちがあるからなのかもしれない(環境や食物の汚染やストレス社会ということも当然理由の一つだろうが)。

 特に西洋型の現代医学に基づく医療行為は、結局その多くは対処療法に過ぎないように思う。病気に伴う症状を緩和したり無くしたりするわけだが、実は、こうした症状は、治癒に向けた身体自身の自然な反応なのだ。従って、それを緩和あるいは除去することが、必ずしも良いことであるとは限らない。簡単な例は、病気に伴う身体の熱である。そもそも熱には、免疫を高めたり、アンバランスとなった体内を再調整するという意味があるのであり、安易に熱を下げないほうが良い場合があるのである。

 小児の場合、むしろそれに罹ることにより成人後に丈夫な体を造ることができるというような感染症も存在するのだ(下のブログ記事参照)。

k-lazaro.hatenablog.com

 文中に出てきたヴェーダ・オースティン氏についても、既にこのブログで紹介しているが、その時には、コーワン氏が上のような考えの基にオースティン氏の発見を評価していることには気づかなかったのだが、今になってコーワン氏の意図が理解できた、。

k-lazaro.hatenablog.com

 

 コーワン氏は、水が、「化学物質、ホルモン、光の波長、思考、感情、他の生物からの共鳴振動など、世界からのあらゆる影響を集め、まとまりのある(コヒーレントな)全体へと組織化するもの」であると述べているが、多くの人にはこれもまた大変奇異に思えるだろう。化学物質や光の波長までなら理解ができるような気がするが、「思考、感情」「他の生物からの共鳴振動など、世界からのあらゆる影響」とは? 

 しかし、この表現は、人智学の立場からすれば、素直に納得がいくのだ。

 日本の江本氏やオースティン氏の実験を見る限り、確かに、水を通して思考や感情が伝達されていると考えることができる。しかし、それは、現代科学が見ているH2Oという物質的水には到底考えられない働きである。私は、オースティン氏の記事でも触れたが、水の背後にあるエーテルが関係していると思うのである。シュタイナーによれば、エーテルは人間の記憶や思考にも関わっているからである。

 また、コーワン氏は、水が、全宇宙からのインパルスを人間に取り込んでいると言うが、それもシュタイナーが主張していることに通じる。地上の生物は、太陽だけでなく、惑星や恒星などから影響を受けているのだ。実際に、人智学系の農業者は、このため、年間の天体の配置を考慮して種まきの時期を決定するなどして作物の栽培を行なっているのである。中世までは、人体の各部位が星座と関係しているという認識が生きており、下の図はそれを表わしている。

黄道12宮と解剖図(ベリー公時祷書)

 DNAが生物の全てを決定しているということも、どうやら怪しくなってきた。既にDANは不変ではなく変化するものという知見も出てきている(「エピジェネティクス」)。

 生物や人間を規定しているのは、おそらく、むしろその個体と全宇宙との相互作用なのであろう。そして全宇宙の背後には、霊的ヒエラルキーが存在しているのだ。

 DNA決定論は、生き物、人間を機械とみる考えに結びつく。こうした考えが主流となってほしい勢力が存在するのである。