k-lazaro’s note

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人類を覆う影 

    今回は、「フリーメイソンとは何か?」で紹介した書籍『影のブラザーフッド 隠れた敵対勢力の働き』からの2回目の記事となる。 

 この本では、秘密結社をはじめとして、まさに「陰謀論」で語られているような項目が網羅的に取り上げられている。
 実は、私は、昔からこの方面にも興味があり、いくつか本も読んできたが、これらのことについて、これまでは半信半疑であった。しかし、コロナ以降の世界の動きを注視し、様々な情報にあたってきた今においては、それらは、確かにすべてが正しいということはできないにしても、真理の一端が含まれていると思うようになっている。
 語られていたことは、全くの作り話というのではなく、何らかの根拠に基づいている可能性があるのである。それは、本来、秘匿すべき秘密がリークされたということなのか、あるいは、何らかの意図により、真相を隠しつつ一部の情報を公にしたということなのかはわからない(それには、あえて歪んだ情報を流して混乱させ真実にたどりつけないようにしたということもあろう)。しかし、少なくとも、「陰謀論」を、検証することもなく全く根拠がないと全否定する方が陰謀であるといえるのである(そもそも「陰謀論」という言葉は、アメリカのCIAが不都合な真実を隠すために作ったと言われている)。

 今回紹介するのは上の本の序文にあたる章である。
 著者は、「陰謀論」の語る事象の背後には、「左手の」影のブラザーフッドが存在しており、それらを、人類の霊的進化を阻止しようとする悪魔的存在が使っているという考えであり、さらに既にこの世界は、これらの勢力により事実上支配されているということのようである。
 それらの狙いは、人類の自由を奪い、物質世界に更に落ち込んでいくようにすることであるが、悪の存在が一般的にそうであるように、それは人類の霊的覚醒の契機ともなりうるという。

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人類を覆う影 

 もし外的な物質主義的な衝動だけが、世界と、人間の頭と心に働くなら(...)、(...)文明地球全体は次第に恐ろしい奴隷の鎖で縛られ、二度と喜ばしいものとなるなることはないでしょう。

ルドルフ・シュタイナー

 

 全人類は現在、経済力を駆使して世界政府を目指す対抗勢力によって、2段階に分けて推し進められる攻撃の第1部の終盤にある。ルドルフ・シュタイナーが言ったように、「アーリマン的な勢力の願望は、地球を完全に硬化させることなのです。」2

  攻撃の第一部は、終わりに近づいている。物質主義、硬化がすでに優勢となっており、地球を圧縮し、まるで厚い鎧をまとったかのように、光り輝く天の力の影響からほとんど遮断してしまったのである。まだ地球に残っている霊性とその中心に対する決定的な悪魔的攻撃は、まだこれからである。

 攻撃の第二波は、反キリストの出現によって頂点に達する。反キリストの名は黙示録に密かに記されている3【訳注】。彼は敵対者の中で最も強力な存在である。ルドルフ・シュタイナーのおかげで、私たちは、闇の力が、さまざまなレベルに立つさまざまな階層的な実体から構成されていることを知っている。R.シュタイナーは、ルシファー的存在、アーリマン的存在、アスラ的存在を、アンゲロイ(天使)、アーキエンゲロイ(大天使)、アルカイのレベルで説明している4。ソラトの特に強い影響は、これまで数世紀にわたり、約666年のリズムで起こっている。このようにして、それは、7世紀のゴンディシャプールのアカデミー5と13世紀のテンプル騎士団の滅亡を促したのである。その影響は、あらゆる分野とレベルにおける人間生活の物質主義の増大と、特に、人々がキリストの宇宙的本質から遠ざけられているという事実に表れている。このようにして、霊的な宇宙から切り離された地上の世界が作られることになる。キリストの敵は、人間の意識に気づかれないように入り込み、混乱と災いを起こそうとする。ポジティブな意味での、つまり健全な意味での、あるいは現代的な意味でのスピリチュアルなものは、すべて抑圧されなければならない。この目的のために、ソラトは「影のブラザーフッド」とも言うべき人々を利用するのである6。

【訳注】下の注3にあるように、黙示録にでてくる「反キリスト」は、ソラトを指している。ただ、「反キリスト」という場合、アーリマンのことが考えられている場合がある。反キリストの出現とい言い方は、アーリマンの転生を意味する場合もあるが、この文脈では、反キリストは、ソラトを指しており、「出現」の意味が問題となる。ソラトは、666年毎にその活動を強めるとされており、その最近のサイクルが20世紀末にあたるので、その意味で解釈すべきか?またアーリマンの受肉にソラトが関わっていると考えれば、反キリスト=ソラト=アーリマンという図式も成り立つだろう。

 

1 ルドルフ・シュタイナー、1918年12月31日、『人類はいかにしてキリストを再び見出すことができるか?GA 187。

2 ルドルフ・シュタイナー、1919年11月15日、『霊的科学的知識からの社会的理解』、GA191。

3 ヘブライ語で書かれた文字を右から左に読むと、Taw = 400, Resch = 200, Waw = 6, Samech = 60 = 6 6となり、子音に話すべき母音を加えて、太陽の悪魔の名前の言葉:Soratになる。ルドルフ・シュタイナー、1907年4月22日、Aus der Bilderschrift der Apokalypse des Johannes、GA 104aおよび1907年4月27日、Ursprungsimpulse der Geis-teswissenschaft、GA 96も参照。

4 ルドルフ・シュタイナー『霊的階層と物理世界におけるその反映』GA 110、『天体と自然界の霊的存在』GA 136 - 天使の階層は、5~6世紀にディオニシウス・アレオパギタが『天使の階層と教会』(1955)120~137頁で説明している。

5 詳しくは、ハインツ・H・シェフラー『ゴンディシャプールのアカデミー』1980年参照。 ルドルフ・シュタイナーも、ソラトの衝動によって人間の思考に残ってしまった刺戟について語っている。ルドルフ・シュタイナー、1918年10月16日、生命変容としての死、GA182、およびルドルフ・シュタイナー、1918年10月12日、人間生活における持続と発展の極性、GA184参照。

6 C. G. Harrison, Das Transcendentale Welten-all, 1897, p. 27ff や Rudolf Steiner, 26 December 1916, Zeitgeschichtliche Betrach-tungen, vol. 2, GA 173b によって同じ意味で既に説明されている。

 

 ルドルフ・シュタイナーの精神科学は、現在のサイクルの危機を克服し、人類を新しい時代へと導くのに十分な深さまで届く衝動である。私たちを取り巻く多くのものが崩壊し、言葉や記号の意味が薄れつつあるとしても、R.シュタイナーの解説は、理解のための手引きであり、このようにして意識形成と癒しの効果をもたらすことができるのである。このような背景とつながりを認識することは重要である。なぜなら、ベールに隠されたものを見抜くことは、私たちのサイクルの終わりの時期において、決定的な重要性を持っているからである。

 大惨事や苦しみがある一方で、ポジティブで建設的な側面もある。精神的な激変により、構成要素が緩み【訳注】、人々の思考や生活プロセスが変化する可能性が生まれるのだ。そして、精神的な深みを増していくのである。ギリシャの神殿で「心を入れ替えなさい」(メタノイエテ)という叫びが入場者の前に立っていたように、今日、多くの人々の前に霊的な文字で書かれているようである。

【訳注】構成要素とは人間を構成する要素の意味で、身体の他にエーテル体などがある。緩むというのは、それら構成要素の結び付きが緩むことで、例えば、溺れたときに人生を走馬灯のように見ることがあるというのは、身体とエーテル体の結合が緩むため起きることである。古代の宗教団体が行なっていた洗礼は、受洗者の前身を水に浸けるものであったのだが、その様な効果を期待したものであったようである。スコラ哲学のトマス・アキナスは、幼いときに、隣にいた妹が雷に打たれて亡くなったという劇的な体験を受けたことが、大神学者となるきっかけとなったと言われる。

 

 善、正しいことが一方に生じるためには、正しいことから逸脱する可能性、毒の効果が生じる可能性がなければならなりません(...)個人がそのような精神生活に至るためには、反対像がなければならないのです。:灰色または黒い魔術的な方法で、そこから逸脱させる可能性です。これがなければ、それは不可能です。人間でも、足元に固い地盤がなければ踏ん張れないように、「抵抗」がなければ、光ある霊的生活の追求はありえません。許容されるべき抵抗、人生の高次の領域への抵抗の可能性なくしては、光のスピリチュアルな生活の追求はありえないのです。7

 

 だから、すべてが霊的なものにおけるとてつもない闘争へと流れていくのである。私たちは危機によって揺さぶられる時代に生きており、それは、私たちに、いいかげん目を覚ますようにと諭しているのだ!しかし、この黙示録的な時間は、人類の終わりを告げるものではない。この衝撃は、ガブリエルの時代で封印され8、それ以来、私たちに霊的世界へのアクセスを許さなくなった門を開くためにあるのである。大天使ガブリエルは、その前の時代の霊として、人間の頭脳を準備し、発達させ、変容させたので、現在の時代の霊であるミカエルのもとで世界にもたらされるべき、またもたらさなければならないより高次の科学を受け取ることができるようになったのだ。

 今こそ、人類を地上につないでいた鎖を断ち切る時が来たのだ。この黙示録的出来事は、福音書記者ヨハネの意味では、人類の救済に関係する善き天使たちによって引き起こされる。たとえそれが理解しがたいものであったとしても: このような衝撃の中で、霊的な世界は再び私たち人間に近づき、私たちを揺り起こすのだ。私たちの周りでは、ますますスピリチュアルな戦いが繰り広げられているのである。しかし、それによって、私たち人間の意識は、この霊界の接近を知覚し、体験するために、ますます強さと活発さを獲得しているのである。ここにミカエルの衝動が働くだろう。

 

7 ルドルフ・シュタイナー、1917年1月1日、Zeitgeschichtliche Betrachtungen, Volume 2, GA 173b.

8 人類の霊的な発展は、約325年の周期で繰り返される7つの大天使の統治に分けることができる。7人の大天使とは、ミカエル、オリフィエルアナエルザカリエル、ラファエル、サマエル、ガブリエルのことである。大天使ミカエルは「神の顔」とも呼ばれ、より正確には「ヤハウェの顔」と呼ばれる。彼は、キリストの行いの前に現われる。大天使ミカエルは、人間に呼びかけて、宇宙の文脈の中で人間を鍛え上げる。ルドルフ・シュタイナー、1919年11月22日、『ミカエルの使命』、GA 194を参照。

9 ルドルフ・シュタイナー、1907年10月23日、『エソテリック・アワー(ES)』、『エソテリック・アワーの内容から』I、1904-1909、GA 266/1.

 

 これらのつながりを生きたまま認識することで、麻痺させるような恐怖が私たちの中に広がるのを防ぐことができる。恐怖は人間の魂を暗くし、それによって人間は光の宇宙的な力の影響から引き離されるからである。

 覚醒した同時代人たちは、人間に敵対する勢力の姿を描き出しており、その力の働きはここに示されるだろう。その中には、歴史的な出来事や、オカルティズムでいうところの「左手のサークル」のようなものも含まれている。世界史の幕の後ろで働いているこのような隠された力の提示は、先入観にとらわれないものでなければならない。提示された事実は、企画化された意見の者達によって、事実の歪曲として拒絶され、却下されるだろう。後者は、こうした陰謀の実践を、荒唐無稽な空想、あるいは、陰謀論として否定する傾向がある。問題は、思考の形成が不十分なことにある。: つまり、ニーチェが「報道機関が捏造したシャボン玉」、あるいは「集団的愚行」と呼んだ「公の意見」に対応する表象の世界である。しかし、意見の流れに合わせることは、考えることにも安楽を求め、る広範なニーズに対応するものであり、大衆の恐怖や無力感を隠蔽するのである。

 

 ギュスターヴ・ル・ボンは、この現象をいくつかの文章で定義した。:

 

 大衆は決して真実に飢えてはいない。大衆は決して真実を渇望していない。彼らは自分たちを不快にさせる事実から目を背け、誤りを偶像化し、それが彼らを誘惑することができれば好む。彼らを欺く方法を知っている者は簡単に彼らの主人になり、彼らを啓発しようとする者は常に犠牲者になる。"

 ある意見が容易に一般化するのは、多くの人が、自分の特定の結論に基づいて自分自身の意見を形成することができないことと主に関係がある11。

 正当化も証拠もない純粋で単純な主張は、大衆の魂にある考えを植え付ける確実な手段である。主張が明確であればあるほど、証明や証拠から自由であればあるほど、より多くの畏敬の念を抱かせるのである。12

10 ギュスターヴ・ル・ボン『大衆の心理学』1982年、p.78

11 ギュスターヴ・ル・ボン『大衆の心理学』1982 年、87 頁

 大衆は植えつけられた意見しか持たず、合理的な意見は決して持たない13

13 ギュスターヴ・ル・ボン『大衆の心理学』1982 年、133 頁。

  どんなに不謹慎で図々しい主張でも信じることができるのは、大衆が意見を植えつけられることを許し、その合理性を吟味することなく喜んで採用するからである。しかも、独立した判断を下すのに必要な知識を、自ら身につける努力さえしようとしない。ジョセフ・ピューリッツァーもかつて、報道の機能性とそれに対する想定される改善策を、よくできたアドバイスとしてまとめている:

 

秘密主義によらない犯罪、トリック、デマ、悪徳商法は存在しない。これらの秘密を明るみに出し、描写し、みんなの目の前で嘲笑する!そうすれば、遅かれ早かれ、世論がそれを一掃してくれるだろう。しかし、それなしには他の手段は使えないのだ14。

14 ペリー・ライゼヴィッツ『圧力下の報道の自由-危険、事例、背景』2008年、43頁。

 

「暗闇の中にいる人は見えない」15

 発展に敵対的なこのような活動を行うのは、どのような人たちなのだろうか。「影のブラザーフッド」とも言える闇の勢力は、基本的に秘密裏に活動しているため、発見が極めて困難である。そこから人間の情念に影響を与え、特に官能的な力を利用しようとする6。情念を浄化しようとする勢力と、官能を強化しようとする勢力の間で、絶え間ない戦いが続いているのだ。一方の力は地球を再び霊化しようと努め、他方の力はオカルティズムでは「左の力」とも呼ばれ、地球をますます凝縮し、地上の楽園を作り出そうとする17。

 

15 ヨハネス・マリオ・ジンメルの暴露本『Die im Dunkeln sieht man nicht』(1985年)とは直接関係はないが、その「小説」において第一書16章89~128頁は非常に注目される。

16 例として、現代音楽における傾向を考えてみよう。フェルナンド・サラザール・バフィオル『ロックのオカルト的側面』(1993年)も参照。

17 ルドルフ・シュタイナー、1905年10月17-18日、『秘教の基本要素』、GA 93a.

 

 明らかに事情に通じた著者は、「黒い」ロッジの狙いを次のように説明している:

 

 精神的、政治的、経済的に大きな不安があるとき、何年も何十年も著しい変化と転換が続くとき、常に、世界と人類が利己的な目的を追求する秘密結社の手の中にあるという感情的な認識が、穏やかな発展のときよりも多くの人々の中ではっきりと浮かび上がる。これらの権力者たちは、自分たちの目的のために、躊躇なく民族や大陸を犠牲にし、戦争と平和、人類の幸福と不幸を「作る」のである。偉大な魔術師と経営者18は、これらの人類の「秘密の上級の人々」であるが、彼らの魔術は彼らの利己的な目的と同じくらい暗く、彼らの経営術は人々の未来を暗くする。19

18 これらは経営大学院で訓練され、それによってボーナスなどを現金化するための訓練も受ける。このような経営主義では、企業を従属的な構造に強制することによって、自由な起業家精神が破壊される。ここでも、カール・マルクスが幇助している。彼の著作では、資本家であり労働者の最大の敵である大金融家の代わりに、起業家を示唆しているのである。

19 Ebernius, Europe under the spell of dark forces .... 手品師、経営者、大衆。- 黒い」ロッジの目的。Morgen/New Europe, 15.9.1954, p. 5.

20 コンスタンチン・S・メレシュコフスキイ『地上の楽

「黒い」ロッジの目的は、神や霊の疎外と人間の魂を地球に鎖でつなぐことだ。この仕事は、人類の発展に対して向けられている。K.S.メレシュコフスキイ【訳注】が1903年に早くも『地上の楽園』で提案したプログラムは、これに合致している:工業企業合同として地球を管理することである20。

【訳注ディミトリー・セルギェーヴィチ・メレシュコフスキー 1866年8月14日 サンクトペテルブルク - 1941年12月9日 パリ) は、ロシア象徴主義草創期の詩人にして、最も著名な思想家である。フリーメイソンであった

 1918年、ドイツの神秘家グスタフ・メイリンクが書き留めた原稿は、1921年に『白いドミニコ』というタイトルで出版された。この本の中で、メイリンクは、透視による予言で、闇の勢力の代表者に次のように言わせている。

 『太古の昔から、地上には人類の運命を支配する人間のサークルが存在している(中略)国家の偉大な指導者はすべて、同胞団のイニシエーターでない限り、彼の手の中の道具である。私たちの目的は、富める者と貧しい者、主人と従者、知る者と無知な者、支配者と被支配者との間の差をなくし、地球という涙の谷から、「苦しみ」という言葉を知らない楽園を作ろうというのである。人類が苦しんでいる重荷は、人格という十字架である。世界魂が個々の存在に分裂し、そこからすべての混乱が発生した。多様性から統一を再び創り出すことが私たちの願いである。そのため、私たち、結社の父達は、個人主義の教義の誇大妄想を焼き尽くすために、野火のように脳をとらえる思考の流れを世界に送り込んできたのである。万人のための万人の戦争21

 

20 メレシュコフスキイ『エデンの園あるいは冬の夜の夢 -27世紀の物語-』1997年(初出:1903年)。

21 エベルニウス、闇の力の呪縛を受けるヨーロッパ ... 手品師、経営者、大衆。- 黒い」ロッジの目的、『Morgen/Neues Europa』15.9.1954, No.18, p. 5.

「多数から一つを」というのはラテン語で「E Pluribus Unum」といい、驚くことに1ドル紙幣に書かれている。また、求められる地上の楽園というテーマも繰り返し登場する。その際、願望はすべて地上の物質に向けられているのだ。

 

 メイリンクの千里眼は、今、東西で私たちの目の前に実現しつつあるオーウェルは小説の中で、「偉大なる暗黒の者たち」の支配が導くべき場所をスケッチしている。彼は、彼らの黒いヒエラルキーを地図に描いた。

 今日、人類はこれらの闇の勢力の手の中にある。その支配は、洋の東西を問わず、この世のものでしかない「黒いロッジ」のかぎづめの中に。彼らは、人々から人々の自己を奪おうとしており、集団化、大衆化を目指している。彼らの「楽園」は、彼らが毛を刈ろうとしている鈍い群れのための大牧場である。

 この「黒い」ロッジの場合、現在「組織・機関」と呼ばれているものが重要であることは、まったくありえないことである。彼らのコミュニティは、書かれた規約に基づくものではなく、その数は666である霊的な逸脱に基づくものである。

 彼らに対抗するのは「白」ロッジである。彼らの王国はこの世のものではないので、王国や富を築き上げることはない。その任務は、人類を統制し、それにより自立を妨げることではなく、人間の過ちの深みを共に歩むことである。より良い認識へと。22

 

22 エベルニウス, 闇の力の呪縛を受けるヨーロッパ .... 手品師、経営者、大衆。- 黒」ロッジの目的、Morgen/Neues Europa、15.9.1954、No.18、p. 5.

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 上の文中に米国の1ドル札についての記述があった。この1ドル札自体が、まさに「陰謀論」でしばしば語られていることは読者もご存じだろう。そこに描かれたピラミッドと単眼の図柄はフリーメイソン起源であるというのである。本文とは離れるが、少しこれについて触れたい。
 この1ドル札に関わるシンボルの謎を解いた本がある。「二人のイエス」のテーマで紹介してきたデイヴィッド・オーヴァソン氏の『秘密結社の1ドル札』(松田和也訳、Gakken刊)である。
 この本から、上に述べられた「多数から一つを」という標語の解釈の部分を紹介しよう。

 1ドル札の鷲は嘴に巻物を咥えており、そこには「E Pluribus Unum」というラテン語の標語が書かれている。「多より一を生ず」という意味だ。
 この標語は13文字であから、その意味するところは、多なる頭部13州から、一なる合衆国が生じたということだ。・・・

 これは、米国の紙幣ということからすれば、納得できる一般的な解釈であろう。
 オーヴァソン氏は、更に解説を加える。

 この言葉は、5世紀のキリスト教アウグスティヌスの『告白録』に由来する。この言葉は、・・・友情について書いた一説にある。・・・つまり、「多」とは友情の多くの喜びのことであり、「一」とは愛のことである。

 このアウグスティヌスによって書かれたラテン語では、それが一般的な書き方なのだが、14文字となり、13文字ではないという。つまり、それでは象徴的な意味を持つ13文字とならないので、あえて1ドル札には13文字に変えているというのである。

 (13文字の表記は)ルーアンから亡命してきたプロテスタントによって作られたという。奇しくも彼の名はモットー(標語)と言った。・・・

 おそらくこの標語を言えるように提案したのはトマス・ジェファーソンだろう。彼は国璽図案のために発足させた最初の委員会のメンバーであった。

 最後にアメリカの国璽(国家の象徴として用いる印)という言葉が出てきた。独立後、アメリカの国璽が作成されるのだが、オーヴァソン氏によれば、1ドル札の図案は、もともとこの国璽に基づいていおり、そしてこの国璽の図案は、「霊的原理に基づいて製作されている」というのである。そして合衆国国璽と1ドル札は、「魔術的図案の公然たる進化の歴史における最も驚くべき実例である」とする。
 アメリカの建国にフリーメイソンが関わっていることは良く指摘されている。従って、その国璽や紙幣にも、霊的な意味を持つシンボルが使われていると考えられるのである。
 問題は、前回のこの本のフリーメイソンの項目の記述で述べられていたように、それは、どのようなフリーメイソンであるかである。

 上の文章では、影のロッジに対抗する白いロッジについても触れられていた。これも、オカルト界隈でよく聞く言葉である。そのような存在は、小説や映画にでも出てきそうで、一種ファンタジーのようにも思えるが、黒い、影のロッジが存在するなら、白いロッジを否定する理由もないだろう。
 ただ、これも人々の想像力により脚色され、一般に流通しているその姿は、実態からは遠いように思う。

 この本については、更に紹介する予定である。