k-lazaro’s note

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人間をめぐる闘争 - 人間の自我に対する科学技術全能幻想の攻撃


 ウクライナ問題でエネルギー事情が逼迫し、先行きが怪しくなっているようだが、世界的に脱炭素化が進められてきている。その一環でガソリン車の廃止、電気自動車導入の動きが世界中で強まっている(実際には、電気を作る過程で二酸化炭素が生み出されるのだが)。日本でも、政府は2035年までのガソリン車の廃止を打ち出したようだ。他方で進んでいるのが、自動車の自動運転技術の開発である。

 私も自動車を運転するのだが、自動運転の車に乗ろうとは思わない。どうしても機械に任せることに不安を感じるからだが、運転そのものに楽しみを覚えている人も多いのに、そもそもなぜ自動運転にしなければならないのかと以前から不思議に思っている。

 運転できない人もいる、その方が安全だというような理由もあるらしいが、移動の不便さをいうなら公共交通を充実し、安全を言うなら、車の安全装置を充実した方が良いのではないか。また電気や電磁波に包まれた車の中は、身体に悪いのではないかとも思うのである。

 以前紹介したアンドレアス・ナイダー氏は、『デジタル的未来?Digitale Zukunft?』で、車の自動運転は、5Gの展開とセットになると述べている。道路の情報を的確に車に伝えるには、結局、5Gによるデータ伝達が必要となり、そのためにも、街路柱等に5Gのアンテナが設置されるようになるだろうというのである(5Gは電波の到達範囲が短いため、もともと町中をアンテナで埋め尽くすようになっているのだが)。

 ドイツでは、モビリティ全体のデジタル化という方針があるらしく、ようするに、個人の交通手段を無くし、すべて「公共的」交通手段にし、それの運用を人工知能に委ねようということらしい。そうすれば、無駄が省け、環境にも良いと言うことである。

 つまり自動運転と5Gと人工知能はセットなのである。

 人工知能も現在、その日常生活への導入が具体化してきており、様々に議論されてきている。その危険性を指摘する声もある。

 人智学派の人達は、もちろん全ての方がそうであるかは確認できないが、これに批判的である。人智学派以外の人達も含めて危惧しているのは、人工知能の進歩はすさまじく、到底人類が太刀打ちできない能力を身につけることは確実であるが、その場合、人間がもはやそれを制御できないからである。そうなった時点で何が起こるかは、誰も知り得ないのだ。

 よく映画やSF等で描かれるのは、地球や人工知能自身にとって人間が危険な存在として認識され、その「駆除」に動き出すというようなストーリーであるが、これも全く空想とは言えないのだ。

 一方。人智学派が懸念することには、霊的側面もある。電気は、アーリマンと親和性をもっており、人間の神経の電気流の中には、アーリマン的ドッペルゲンガーが存在しているとうことを以前触れた。

k-lazaro.hatenablog.com

 ドッペルゲンガーは、人の死には耐えられないため、人が死ぬ直前にはその身体を出なければならない。だから、人の死後も自身が永遠に存在し続けることが、ドッペルゲンガーの願いなのだ。

 ナイダー氏は、『デジタル的未来?』で、この問題について触れている。この不死を実現する手段が、個人や人類全体の電子データの中て生きる「電子的ドッペルゲンガー」であるというのである。

 今回は、『デジタル的未来?』のこれに関連する部分を以下に紹介する。

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人間をめぐる闘争 - 人間の自我に対する科学技術の全能幻想の攻撃

ドッペルゲンガーによる国家的闘争

 現在、ヨーロッパだけでなく、世界の多くの国(ブラジル、アメリカ、中国)で、まるでそれぞれの国家が自分たちで何かを決めたように、ドッペルゲンガーの出現が観察されている。2018年晩秋以降のフランスにおける黄色いベストの政治に対する闘いは、1789年のフランス革命で最も明確に示されたように、フランスの真の顔でありながら、ドッペルゲンガーであることを改めて示している: 自由、平等、友愛の3つの理想を求める高い理想と正義の闘い、同時に暴力と恐怖の可能性。一方、イギリスでは・・・

 一方、ドイツでは、人工知能(AI)の分野で覇権を争っているため、影は別のところにある。「デジタル化できるものはすべてデジタル化する」と、2018年12月初旬にニュルンベルクで開催された「デジタル・サミット」でアンゲラ・メルケ/は語った。彼女は、ドイツをAIの分野におけるリーディング・パワーにしたいと考えている。彼女の政府は、全国の学校をデジタル化し、あらゆる場所でデジタル学習を導入する「デジタル協定」を締結したが、同時に、そこに謳われた連邦制が「デジタル協定」の効果的な実施の妨げとなるため、基本法の改正が予定されている。そして、「デジタル協議会」があり、そのガイドラインは業界によって設定されている。しかし、ここでは実際に何が起きているのだろうか?

 ここでは、「グーグル原理」を独裁者にすることで、人間より優れた人工知能を作るために、より多くの人のデータがどんどん必要になってくるということだ。しかし、このデータは、もはや住所や電話番号、生年月日といった個人情報だけではない。人々がデジタル機器を使って行うすべてのこと、特にソーシャルネットワークで活動しているときの写真であれ、音声であれ、そして何よりもキャッシュレス決済を含む消費行動全体が、保存されているだけでなく、AIによって計算され、自身のさらなる発展のために利用される。

 人工知能の支配に伴うデータの監視と処理は、モノのインターネットによって再び強化され、あらゆるものがあらゆるものとネットワーク化されることになる。さらに、都市のインテリジェントな監視カメラからのデータ、健康保険会社からの健康データ、身体測定器によって収集されたその他のデータもある。

 このようなデータの恒久的な流れは、すでに学校で行われているデジタル教育攻勢によって開始され、デジタル学習ソフトウェアの助けを借りて、児童生徒の学習ステップの一つひとつが監視され保存されることになっている。このようにして、すべての人は、人生の過程で、一種のデジタル・ドッペルゲンガーを作り上げている。しかし、これらのドッペルゲンガーはすべて、AI、特にグーグルのAIによって処理され、人類のデジタル・ドッペルゲンガーのようなものが作られることになるのである。

 この開発に伴う危険性は非常に大きく、これまでは主にSFの脅威のシナリオの中で語られてきた。しかし、これらの脅威は非常に深刻に受け止める必要がある。AIの制御・監視システムに意図しない介入があれば、巨大な大災害、停電、原子炉災害、病院の崩壊、工業団地全体の崩壊などにつながる。しかし、こうしたセキュリティリスクに対処するためには、AIが必要である。そのため、AIは自分自身を守り、コントロールする必要があるのだ!

 すべての権力が国民から発せられるという民主主義は、これによって問題視されるようになり、AIが支配し、そのためにすべての社会生活はデータ支配にさらされることになる。しかし、何よりも、この展開は、トランスヒューマニズムが提唱する、人間や人類の文化的発展に対する技術的発展の優先権を確立するものである

 

 なぜこのようなことが、よりによってドイツで特に強く推し進められるのだろうか。現政権によれば、ドイツは中国や米国と競争して、ヨーロッパ型のAIを開発したいと考えている。しかし、それは何を意味するのだろうか?本当に危険性を認識しているのだろうか?ドイツはその影で再び試されるべきなのだろうか?何しろ、ドイツ人はすでに一度、全能の幻想に酔いしれ、「第三帝国」[ナチス]という人種的狂気と恐怖の帝国を築いたことがあるのだから。しかし、今回はIGの領域であり、データ主権によって、学校からすべての通信プロセス、工業生産プロセスの制御に至るまで、社会生活のすべてを完全に管理・監視することができるようになるのである。

・・・しかし、データの保存を拒否すると、対応するアプリケーションが使えなくなることは、インターネットユーザーなら誰でも知っている。つまり、自分のデータが保存されないようにしたい人は、現在計画されている社会のあらゆる分野のデジタルネットワークに参加できず、社会からはじき出されてしまうのです。逆に言えば、将来、社会生活に高度に参加しようとする人は、自分自身のデジタル・ダブルを作らざるを得なくなる。まさにこの種の社会的強制は、中国でもインドでも、すでに日常的に行われているのである。

 

「電子的ドッペルゲンガー」は不死となる

 このようなことは、一般市民にはほとんど気づかれることなく、権力に憑かれた政治家とIT産業の資本家の間の「デジタル・サミット」で交渉されているのである。しかし、その過程で私たち人間に実際に何が起きているのだろうか。ルドルフ・シュタイナーは、第一次世界大戦末期の講演で、すべての人間が自分の中に「アーリマン的ドッペルゲンガー」を持っていると指摘した。この存在は、私たちの肉体の中で常に起こっている神経系の電気生理学的なプロセスを表している。しかし、シュタイナーは、このアーリマン的ドッペルゲンガーは、生まれたとき人間の中に入り、死ぬとまた出ていかなければならないことを強調している。しかし、シュタイナーによれば、このアーリマン的存在は永久的な存在となり、人間の死を生き延びようと努力していると言う。

「したがって、これらの存在は、人間の身体が発達するように、人間が生まれる前のある時期に、いわばこの人間の身体に入り込むことができ、我々の意識の閾値以下で我々に同伴します。彼らが人間の生活で絶対に耐えられないことがただひとつだけあります。つまり彼らは、死に耐えられないのだ。彼らはいつも、自分が住み着いたこの人間の体が死に襲われる前に、その場を去らなければならないのです。なぜなら、彼らが克服したいのは、死を超えて人間の体にとどまることだからです。それは、これらの実体の領域における高い成果でしょう;彼らはまずそれを達成していないのです。

 もしゴルゴダの秘儀[キリストの死と復活]が起こらなかったら、もしキリストがゴルゴダの秘儀を通過しなかったなら、これらの実体は、たとえ死が人間にとってカルマ的に決まっていたとしても、人間の中に留まる可能性を獲得するということが、地上ではとっくに行われていたでしょう。そうすれば、彼らはそもそも地上での人間の発展に勝利を収め、地上での人間の発展の主人となったことでしょう。」

 しかし同時に、シュタイナーは、私たちの神経系や脳で行われているプロセスそのものが、将来、機械に移され、それに伴って途方もない技術革命が起こることを指摘している。この革命は、今日完全に進行中である。それは、まさに上述のAIの支配であり、社会のデジタル・トランスフォーメーションであるからである。人類とAIの発展が結びつき、このAIの「命の糧」を実質的に表す、より多くの個人データの処理を通じて、すでに述べたように、個々の人間の「電子的ドッペルゲンガー」、つまり、今やこのようにして彼または彼女の死後も存在し続けることができる彼または彼女のデジタル的な対の像が作られるのである(原註)。

 

(原註)したがって、連邦政府も、誰もが自分の「デジタル遺産」をきちんと管理しなければならないことに注意を喚起している。しかし、政府は、何百万、何千万ものデータで構成されるデジタルで作成された双子を削除することは全く不可能であることは教えてくれない。

 

 アーリマンダブルの働きを、シュタイナーは上記の講義の中で、特に地球の電磁気力と関連させている。この効果は、南北方向に山があるアメリカ大陸で特に強いと言われている。つまり、山が東西方向に走っているヨーロッパやアジアでは、同じような効果はないのである。しかし、現在、私たちは、携帯電話ネットワークからの電磁波の増加により、日々強くなる電磁波―これは、AIネットのためにリアルタイムにかなりの量のデータの取集が必要という理由で、第5世代のモバイル・ネットワーク(5G)、いわゆる「迅速なネット」が今強力に進められていることにより10倍となる―の影響を受けている。したがって、もともとアメリカ大陸でのみ激化していたアーリマンダブルの影響が、ヨーロッパやアジアでも大規模に激化すると考えることができる

 

第8圏

 しかし、これによって実際に何が起こっているのだろうか。人とデジタル機器や機械との融合がますます強まり、それに伴って、経済的、法的、精神的な領域で人が行うことのほとんどすべてを描写する、より多くのデータが収集・管理されるようになることで、人間の自我とアストラル体の一部がAIと融合して、生きている人間とは無関係に、独立した人工的に知的な生活を送り始めることになる。この人間によって集積されたすべてのデータが自分自身のさらなる発展のために必要な、人工的知性の生命である

4 診断:ファンクからの情報(www.diagnose-funk.org)を参照。

 このように、私たちのデータを与えられたAIは、人間から独立したアーリマン的ドッペルゲンガーを形成し、このようにして、私が言ったように、人間の死も生き延びるだろう。

 しかし、それにより、アーリマンだけが力を持ち、人類の進化の流れから切り離された領域である、新しい感覚下及び地球下の領域が作られるルドルフ・シュタイナーは、進化の流れから切り離されたそのような領域を「第八圏」と呼んだ。シュタイナーの時代、特に神智学界で広まっていたオカルティズムの世界からのこの表現は何を意味するのだろうか。それはまた、最初の考察ですでに提示された「ルシファー」と「アーリマン」の対抗勢力に立ち戻ることになる。

 

「ルシファーとアーリマンは、自分たちの第8の領域を形成するために、自分たちがただかすめ盗ることしかできないものを地球の実質から取り出そうと絶えず努力しており、それが十分に達成できたところで、地球から切り離され、ルシファーとアーリマンとともに独自の世界の道を行くことになります。もちろん、そのとき地球は、いわば胴体(トルソー)としてのみ木星【訳注】へと発展することになります。しかし、人間は、この全地球の進化に完全に入り込んでいます。なぜなら、鉱物的なものは人を完全に貫き、彼は絶えずその中に立っているからです。鉱物過程はいたるところでわれわれを通過し、鉱物過程はいたるところでこの闘争に引き込まれるので、この物質の粒子は絶えずそこから引き裂かれうるのです。

 

【訳注】地球自体も言わば転生しており、木星は現在の「地球」の次の状態の名である。「地球」以前の状態は、先ず土星に始まり、太陽、月という順であった。これが、つまり、本来の曜日の由来である。

 

 だから、私たち自身もそれに浸透されています。ルシファーとアーリマンは、形の霊(原註)【天使]たちと戦い、鉱物質はあらゆるところで私たちから奪い取られることになります。

 

(原註)シュタイナーの進化観では、「形の霊」は人間の実際の創造者とみなされている。旧約聖書では、彼らは「エロヒム」と呼ばれている。【訳注】エロヒムが複数名詞であるように、エロヒムとは、本来は7柱存在する。ゆえに、創世記で「“我々に”似せて人間を創造しよう」という記述が生まれるのである。また、その内の1柱がエホバ(ヤーヴェ)であり、エロヒムたちは太陽を活動の場としていたが、エホバは、後述されるように、人類を救うために月に移った形の霊なのだ。

 

ルドルフ・シュタイナーはここで続けて言う:

 

もしルシファーとアーリマンにとってすべてが順調に進んだなら、もしルシファーとアーリマンが、常に頭の器官から引きはがすように、掠め取ることができたなら、地球の発展はすぐに、ルシファーとアーリマンが我々の地球を無にして世界の発展全体を第8圏に導くことに成功する地点に到達します。それゆえ、地球の全発展は全く別の歩みをすることとなります。だからルシファーは、人間の最も攻撃しやすい部分である頭部に最大の力を発揮しようとするのです。これこそ、彼にとって最も征服しやすい要塞、人間の頭なのです。そして、鉱物的なものの配分の点で、人間の頭と似ているもの、それゆえ吸い込まれる可能性のあるものはすべて、同じように第8圏に引き込まれる危険にさらされます。ルシファーとアーリマンのこの意図によれば、人類の進化全体が第8圏に消えて、別の道を歩むようになること以上に、何もないのです。」

 

 この途方もない危険に直面して、形の霊は今、バランスをとるよう配慮した。これは、エロヒムの一人であるエホバが、私たちの月に、私たちの地球や脳の物質よりもはるかに密度の高い、ルシファーやアーリマンが浸透しない物質を創造したという事実で成り立っています。月は、地球がルシファーとアーリマンに完全に支配されることがないという事実を目に見える形で表現したものなのである。そして、人間の中には、脳の対極に位置し、ルシファーとアーリマンに攻撃されることのない器官が作られた。それは生殖器官である

 

 「生殖と遺伝に関係するすべてのもの、人間が思考でそこに入ることができないように人間から独立しているすべてのもの、天きゅうにかかる月であるもの、それは人間の中で、生殖と遺伝を貫き、愛の原理により存在しているものです。それゆえ、この領域から来るすべてのものに対する、歴史を貫くルシファーとアーリマンの猛烈な闘争があるのです。ルシファーとアーリマンは、常に人間から頭の独占的支配を獲得しようとし、外的なもの、純粋な自然関係のものすべてに対して、頭という迂回路を通り方法で攻撃を向けます。地上の遺伝的実質であるものはすべて、ルシファーとアーリマンが奪うことはできないからです。天上の月であるものは、地上では、人間の間の遺伝なのです。」【訳注】


【訳注】生殖と月に関係があることは、例えば女性の生理に現われている。それは、「月経」と呼ばれている。

 

遺伝子操作と人間の自由への攻撃

  しかし今や、さらに大きな危険が迫っている。それは、中国で初めて一組の双子に行われたような、ヒトゲノムへの操作的な介入である。このような操作的介入により、これまで守られてきた生殖プロセスもルシファーとアーリマンの支配下に置かれることになるルドルフ・シュタイナーは、この危険性を明確に指摘している:

 

「人間により自由の中で体験されるものは、いかなる形でもエーテル体や肉体にも影響を及ぼしてはなりません。もしそうなると、人間は、神霊的存在と神霊的啓示の影響を受けて発達した彼の段階において、自分がそうなったものから完全に抜け出さなければならないでしょう。

 人間が、ただ自分の環境にある神霊的な働きであるものを通して経験するものは、自分の霊的なもの(自我)にのみ影響を与えることができます。彼の肉体的、エーテル的組織に影響を与えうるのは、発展の流れの中で、神的霊的存在の実在と啓示の中に端緒をもつものから、彼の周囲にではなく、彼の存在そのものの中に持ち続けたものだけです。しかし、これは、人間の中で、自由の要素に生きるものと一緒に働いてはなりません。

 それが可能なのは、ミカエルが進化の遠い過去から、人間に神霊とのつながりを与えるものを、現在は、肉体及びエーテルの形成にもはや介入しないあるものをもたらしたことによってなのです。これにより、ミカエルの使命の中で、自然のものにまったく関わることのない、人間と霊的な世界との交流のための基盤が発展しているのです。物質とともにますます深部へと共に成長している無意識や潜在意識が、自由な領域の下で展開している一方で、ミカエルを通して、人間の存在が霊的な領域へと引き上げられることを、感動を持って見ることができます。」

 

 デジタル・トランスフォーメーションとAI(インダストリー4.0、モノのインターネット、「高速インターネット」、「スマートシティ」、自動車自律走行)の背後に隠れているルシファー・アーリマンの攻撃は、今やヒトゲノムを操作する方法で、ルシファー・アーリマンから遠ざけられた生殖プロセスにも介入し、人間の自我の実際の表現である自由意志を破壊しようとしている。

 一方、ミカエルは宇宙的な知性を管理するだけでなく、別の形で、ここで述べた人間の生殖の領域も管理していることに気づかなければならない。それにより、一人の人間から、いや正確には二人の人間から、新しい人間が生まれることが保証されているのだから。人間を地上で人間たらしめるものは、神的人間的起源である。ミカエルの力は、人間がこの起源とつながり続けるために働いているのである。このような人間の霊的・神的起源とのつながりは、これを防ぐための徹底的な予防措置が取られない限り、遺伝子操作によってアーリマンとルシファーの外的・物質的支配を受けることになるだろう

・・・

 

 心で考える-本来の人間的なものと社会三層化のための闘い

 私たちは、デジタル化と遺伝子操作によって、人間の知性と生殖能力の両方が、進化の本来の過程から引き離されることを見てきた。それにより、いわゆるトランスヒューマニズムの明確な目標が同時にのべられた。しかし、その思想的背景については、ここで詳しく論じることはできない。

 ヨーロッパは、かつて過去においては、米国やアジアに、ヨーロッパのヒューマニズムの遺産によって影響を与えたが、今日においては、AIや遺伝子操作の支配を拡げているのを見ることができる、しかし、社会的な観点からは、ヒューマニズムを志向する政策は、現在、ドイツでさえも限界に達しているように思われる。

 ヨーロッパの中心部は、ここで述べたような脅威に明らかに圧倒されているように見える。その背後には、巨大な経済的・物質的利益と、投資のクラーケンであるブラックロックのようなますます強力になるコングロマリットの巨大な資本フローが存在するからである

 個々の人間にとっては、ある領域、すなわち人間の中間部[呼吸・循環系]が、ここに述べたような攻撃から身を守ることがいかに可能であるかがわかるルドルフ・シュタイナーは、物質につながれた死んだ思考を頭の領域から解放して心臓に移し、思考における死を克服することが、個々の人間の未来の課題であると述べている。このようにして、人は、意識的にミカエルの力とつながることができるのである。しかし、これには人類からの莫大な努力が必要であり、そうして初めてミカエルは結果を得ることができる。

 この文脈では、自由から行われるすべての純粋な人間の活動、つまり、計算不可能で、いかなる形のデジタル装置にも縛られないすべての行動についても考えなければならない。自由な遊び、芸術という、シラーの美的教育の原則は、ヨーロッパの中部に最も対応する実際の対抗手段であり、フィールドを形成する。すべての人間が自由に自己展開し、成長できる場所、遊びと学びの場、そして何よりも瞑想の場、気づきを学ぶだけでなく、一人ひとりの霊的な力を自由に展開するための練習や実践の場を維持・創造すること、これが未来にとってますます決定的なものになっていくだろう。・・・

 

 人間によって発展する「霊的知性」の効果を過小評価してはならない。なぜなら、ここで示された霊的な思考や感情、行いを展開することで、人間は人工知能の栄養となるのではなく、人類の進化に伴う霊的存在や、地球の未来に、ともに取り組むことになる死者たち栄養となるからである。しかし、今後、このような意味で人類の未来に貢献しようとする人たちは、より意識的にデジタル技術と付き合っていかなければならないことになる。

 ここでは何よりも、デジタルデータをできるだけ生成しないことを目的とした、ある種の断念が問われる。つまり、デジタル機器やインターネットを使うことが本当に必要なことなのかどうか、常に注意を払うということである。今、人々がインターネットやデジタル機器、例えばアマゾンやグーグルのボイスコマンドレシーバーを使って行っていることのほとんどは、利便性のためだけの、つまりは余計な贅沢でしかない。

 しかし、社会全体としては、100年前にルドルフ・シュタイナーが発見し、明確に説明した「社会の3層化」が認識され、真剣に取り組まれて初めて、上記のような脅威を克服されるだろう。とりわけ、経済領域が、他の社会的領域[政治。文化]を苦しめ続けることができないように、経済領域を制限することが条件となる。しかし、そのためには、経済的利益から独立し、デジタル化されていない自由な教育制度と、人々の幸福に対する責任を自覚した、資本の利益によって動く経済もそれに従う規則を定める法領域が必要である。

 

私たちはどのようにして人間性を保つことができるのか。

 インターネットのパイオニアであるジャロン・ラニアーは、その著書「あなたがソーシャルメディアのアカウントを直ちに削除しなければならない10の理由」の中で、「どんな人間であれ、もし人間でありたいのなら、アカウントを削除しなさい」と書いている。彼は、シリコンバレーのエリートに立ち向かい、抵抗するよう促しているが、それは彼らの「ソーシャルネットワーク」をもう使わないということである。

 自身も機械学習分野における大規模なデータ活用企業のCEOであるイヴォンヌ・ホフステッターは、AIを生成するためのデータ活用が今日いかに問題になっているかをいくつかの著書で紹介している。「しかし、情報資本主義の中でも自由を守りたい人は、いかに資本に対して個人データを強化するか、それらが『聴取と操作』のビジネスモデルに対し優先的地位を占めているかについて考えなければならない」と書いている。

 彼女は、資本と経済主義の優位性を、それが人間を主体から客体に変えてしまったので、思考の誤りであるという。データという新たな生産手段の支配と所有権を、すべての人間がもつのでなければ、誰が手に入れるのかという問題である。彼女は、「情報資本主義の享受においてどのような形態が人間の尊厳に対応しうるのか、デジタル革命の、どのように実現された社会形態において、人間は自己の唯一性を再認識できるのか」と問いかける。

 そして、その際に、彼女は、ドイツにAIの開発から撤退することを勧めてはいない。それどころか、彼女はドイツに対し、人間の本質へ攻撃する東側と西側の中間を構成し、人間の尊厳を技術開発の至上原理とするよう求めている。しかし、それは、ヨーロッパの中間がその影とドッペルゲンガーを自覚し、監視産業の資本利益の代わりに、再び人間を保護されるべき主体として中心に据える技術を開発することを意味するのであろう。

 そしてここでも、100年前に初めて記述され、公表された「社会3層化」の社会モデルが、今日、これまでほとんど見られなかった最上級の現実課題を持っていることがわかる。ジャロン・ラニアーとイヴォンヌ・ホフステッターをはじめ、監視資本主義を批判する多くの人々が問いかけているのは、人間であるとはどういうことか、人間の自分理解とはどういうことか、ということであるからである。そしてこの問いは、シリコンバレーのデータ宗教と社会のあらゆる分野のデジタル化に支配された精神生活でもなく、国家とIT経済が指示するデジタル化計画によってでもなく、自由な精神生活においてのみ答えることができるのである。

 資本の利益にますます屈する無力な国家の代わりに、幸いなことに、今日、私たちは世界中でそれを目にするようになっている、より多くの市民社会と対抗運動が出現しなければならないだろう。一人ひとりが警戒するだけでなく、例えば、幼稚園や小学校での教育がデジタル機器やスクリーンから解放され、人間であることの意味を守るために戦う「人間性教育同盟」92のような草の根の抗議運動に参加することは、重要である。

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 文中にグーグルのことが出ていた。今や検索に欠かせない存在である。私もネットを利用するようになった当初からこれをよく使ってきており、これまでの人智学の勉強においても大変お世話になったのは間違いない(しかし、今は、期待する結果が出ないので別な検索サイトを使っているが)。

 グーグルもあっという間に巨大化したが、その草創期に、創業者達は、世界中のすべての情報を電子データ化するという夢をいだいているという話を聞いた記憶がある。グーグル・マップやグーグル・ブックスなどは、そもそもそんな目的の下に作られてきたのかなとか、無料で使わせるとは太っ腹だなくらいに思っていたが、これらも、電子的ドッペルゲンガーを創造し、地球そのものを第8圏に引きずり込むことが真の目的なのだろうか。

 5Gについては、私は、スマホやパソコンで動画を見るという事もあまりないので、その必要性は全く感じていない(よくわからないが、動画を見るのでも今の電波で十分ではないかと思うが)。このように一般人にとっては、本当にそのような電波が必要なのかと疑問に思ってきた。

 日本の政府は、「ムーンショット構想」というものをもっており、その目標の一つは、「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」だという。私はこんなものはもともと必要ないと思っているが、このようなことが議論もなくかってに進められていることが恐ろしくもある。

 このような社会を実現するために5Gが必要という理由もあるだろう。

 さらに5Gの問題は、健康に対する害があることである。海外では、このために反対運動も起きている。新型コロナとの関係も指摘されている。しかし、例のごとく、日本ではその様な議論は最初から封殺されているようである。

 多くの事例においてそうだが、便利さの裏にはマイナス面もある。これを隠すこともまた嘘をつくのと同じである。嘘の霊、アーリマンがその裏で笑っているのである。

 人間の生殖への攻撃も起きているようだ。ここで気になるのは、今まさにコロナワクチンが、この生殖器官をターゲットとしている恐れがあることである。これについては、「In Deep」さんがよく取り上げている。

indeep.jp
 今、性の多様化というようなことも盛んに叫ばれるようになっているが、これも慎重に見ていく必要があるのかもしれない。

 なお、電子的ドッペルゲンガーの問題については、アンドレアス・ナイダー氏が別の本でも述べているので、後日介する予定である。