以前、パリ・オリンピックの開会式の醜悪さの隠された意味に関して、人智学派の論考を再度掲載したが、最新の「ヨーロッパ人」誌に同趣旨の記事が載っていたので紹介したい。
https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2024/08/01/083757
プラトンを持ち出すまでもなく、昔から男女間以外の性愛は存在しており、また性的少数派は時代によっては弾圧されていたという歴史もある。弾圧・迫害は人類の負の歴史であり、彼らの人権が抑圧されていたとするなら、それは改められなければならないだろう。
だが、最近の風潮には、それとも異なるものがあるようにも思われる。極端に言えば、少数派と多数派の逆転を図ろうとするかのような状況とも見えると思うのだ(少数派と多数派といっても、本来は、勿論単なる数の違いであり価値の優劣ではないのだが、この場合、価値の逆転も含まれるように感じる)。
今回紹介する以下の記事に、アメリカにおけるLGTB関係の「祝日」が載っているのだが、確かに異常に多いのだ。またアメリカでは、親の同意なしに子どもの性自認に基づき医療的措置をすることが可能になっている州もあるらしく、これなどはやはりやり過ぎと言えるだろう。そこには、やはり強い力が働いているように思える。
私は、性的嗜好にも個性があるだろうと考えてきたし、私自身は、性的少数派を排斥したいとも思っていないが、現在の状況には、違和感も覚えている。
かつて差別されてきた人々の状況を改善するというのは理解するが、なぜそのためのキャンペーンを始終これほど目にしなければならないのだろう。これはある意味、洗脳に近いとさえ思うほどである。
「陰謀論」界隈では、LGTB問題だけでなく、かつて「性倒錯」とされていたもの(具体的に挙げるのはつらいのだが、よく語られるのは小児性愛である)を、個人の自由、平等の名のもとに、許容する風潮を造り出そうという動きがあるのではないかという指摘もあるようである。
このようなことはしかし、人智学的には、個人の嗜好の問題と片付けることは出来ない。かつてシュタイナーは、今後の人類の進化上の問題として、一部の人類(あるいは多数派になるかもしれないが)の性的退廃を予想していたからである。
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国家宗教としての性カルト
あるいは:万人対万人の戦争がどのように準備されているか*。
この時代、キリスト教から生まれたものはすべて一掃され、正反対のものに取って代わられようとしている。イースターに、私たちは復活した方の復活を祝うのだ。今年のイースターの前夜、バイデン氏は、3月31日、すなわち2024年のイースターを、「トランスジェンダーの人々の可視性の日」として、アメリカの公式祝日とする政令に署名した。彼は祝祭日を制定したのだ。この "お祭り "は、バイデン大統領就任当初からホワイトハウスで祝われてきた。これは、クリントンとオバマがすでにそのために多くのことを行ってきた、向こう側の祝祭的衝動である。
クリスチャンなら、ひょっとしたら「復活された方の出現」が「トランスジェンダーの出現」によって、汚され、冒涜されたのだ、と言うかもしれないが、もちろん、多額の罰金が科される恐れがあるだけに、私たちはそんなことは言わない。この「祝祭日」は、アメリカのカレンダーにある約30のLTGBの祝祭日のひとつにすぎない。個々の日に加えて、6月全体がゲイ・プライド月間、10月全体が「性的に変な人」の歴史を回想する月間、11月にはトランスジェンダーを常に考える週間があり、さらに他の3週間がある。アメリカでは、1年の4分の1以上の日がすでに性的な祝日となっている。キリスト教の祝祭衝動は「上書き」され、一掃され、その正反対のものに取って代わられる。歴史的な出来事だ。
バイデン氏は常に、自分はカトリック信者だと公言している。しかし、私の知る限り、ローマから指導された教会(今は教会の幻影のようにしか見えない)は、この全体的な冒涜に対して特に見解を示していない。
このような性的な祭典は、すべて私たちにもやってくる。たとえば、この夏にパリで開催されるオリンピックは、女装、つまり、ひどく下品な方法で女装し、超絶なカツラをかぶったパンプス姿の背の高い男性が、オリンピックの炎をスタジアムに運ぶことによって開会される。まさに赤色光線カーニバルのワンシーンだ。この性的で政治的なスペクタクルは、スポーツ精神に欠けている。しかし、最高1万ユーロという厳しい罰金のために、私たちが当然「女性」と呼ぶ、女装した「元男性」が、今後、女性のスポーツを不条理にリードしていくことを強調している。スポーティ、スポーティ。これに我慢する人は、何でも参加できるのだ。
「性的アイデンティティ」と呼ばれるものは、一種の国教会の中で、誰もが崇拝する呪物となる。ローマ帝国のカルトのように、参加しない者、線香の一粒を捧げない者は、市民としての存在を破壊される。一方、メディアの焦点となる数的にはかなり小さなグループは、こうした儀式に寄せられる注目に酔いしれる。
アントロポゾフィー(人智学)の現場もまた、これに蹂躙されつつある。クリスチャン・ブレームが『ナッハリヒテンブラット』誌**のさまざまな号で述べているように、公式のヴァルドルフ運動はすでに壮大な規模でこびている。アントロポゾフィー協会は「性的研究」を推進し、キリスト教共同体でさえ、この国家カルトに霊的に、また内面的に抵抗する力も勇気もない。宗教的刷新は実存的な問題である。しかし、宗教的刷新は、私たちにおいても、組織化された教会をもたらすわけではない。私たちの組織はまた、他の種類の天使によって侵略されてしまったのだ。
アメリカの祝日カレンダーより
トランスジェンダーの可視性の日:3月31日 国際無性愛の日:4月6日 国際ピンクの日:4月10日 沈黙の日:4月の第2金曜日 レズビアンの可視性の日:4月26日
国際反ホモフォビア、トランスフォビア、バイフォビア・デー:5月17日 ハーヴェイ・ミルク・デー:5月22日
パンセクシュアル認知・可視化デー(Pansexual Awareness & Visibility Day):5月24日
プライド月間(6月いっぱい)
国際ドラァグ・デイ:7月16日
LGBT歴史月間(10月いっぱい) 全国カミングアウト・デー:10月11日 スピリット・デー:流動的、10月中旬 インターセックス啓発デー:10月26日 トランスジェンダー啓発週間:(11月中)
トランスジェンダー追悼の日:11月20日、さらに3回の意識向上週間など。
* 2024年6月2日付アイン・ナハリヒテンブラット第12号掲載。
** クリスチャン・ブレームの記事「誰がジェンダーの罠にはまるのか」も『ヨーロピアン』6月号に掲載された。
ルドルフ・シュタイナーは、21世紀の初めから人類の大部分が堕落すると予言した。彼はこのことを驚くほど詳細に説明した。「アントロポゾフィストのカルマに関する講義」(GA237、1924年8月3日の講義)の中で、彼は人類とそれに属する天使界がどのように分裂し、ある者は上昇し、ある者は下降していくかを指摘している。今は一種の道徳的な分裂として「だけ」始まっていることが、しかし、今後2、3千年の間に、善においても悪においても今日の人間の姿や性格とはまったく異なる形に発展していくだろう。上昇と降下は人間によって影響されるが、天使によっても影響される。天使は私たちのアストラル体の中で何をしているのか?(GA 182、1918年10月9日の講義)では、これらのプロセスをより詳しく説明している。下降は主に、人々が霊的思考を拒絶することによって起こる。ルドルフ・シュタイナーは、このプロセスのために「人間の知的堕落」という概念を導入している*。聖書で人間の堕落と呼ばれているものと同様に、彼はまた、この人間の堕落を通して、人間の本質の根本的で有害な変容を予見している。これがどのように始まるかについては、「天使はアストラル体で何をするのか」という講義で詳しく述べている。知的に堕落した人々の場合、降下する天使はアストラル体に介入するのではなく、夜間、当人には無意識のうちにエーテル体に介入する。とりわけ、転落した天使は、人々を徐々に性的本能に縛り付ける。この経路、この行動の道を通して、人々は大部分が反社会的な存在へと変容する。
性的本能の膨張によって、堕天使たちは、人間たちを、言ってみれば受動的な社会的不自由者と能動的な社会病質者(抑圧者と犯罪者的性質)に変容させることができる。彼らは人間を一種の蜘蛛の霊性へと発展させようと努める(GA204、p.243ff)。オスと子孫をむさぼるのが大好きなクモのように。セクシュアル化は、あらゆる憎悪の色合いで徹底的に形作られた社会への入り口である。
* 例えば、『Lebendiges Naturerkennen - Intellektueller Sündenfall und spirituelle Sündenerhebung』(GA 220, 1923)、あるいはGA 214, p. 82f.
そのような社会が到来しつつあることは、自分の中でその社会が勃興しつつある人々も感じている。しかし、彼らは自らの憎悪を恥じることなく、他人の「憎悪」を非難し、この「他人の憎悪」を徹底的に憎み、「憎悪に反対する」憎悪運動に耽溺する。
ノヴァーリスはこれを詳しく説明している:
「悪い人間は、悪人への憎しみから悪を行うに違いない。彼らはあらゆるものを悪と見なし、そして彼らの破壊的傾向はごく自然なものである。善が保存するものであるように、悪は破壊するものなのである。邪悪な者は、自分の意志に反して邪悪な行為をすると同時に、自分の意志で邪悪な行為をしなければならない。彼らはすべての打撃が自分を襲うと感じながら、それでも攻撃を控えることができない。悪意は、理性にその座を占め、それゆえ非常に頑固であり、奇跡によってのみ治すことができる心の病気にほかならない。」
ルドルフ・シュタイナーが時間的にも内容的にも、現在の状況をいかに正確に予測していたかを知ることによって、多くのことを得ることができる。彼の予測は最後のニュアンスに至るまで正確である。このことを認識した人は誰でも、彼の未来についてのさらなる記述に確信を持つようになる。性的本能と反社会的なものとの関係について、彼が述べていることをもう一度注意深く見てみよう:
「人間は、自我もアストラル体もなく、ただ眠っている間に、眠っている人間の肉体の中で何か-それは、その時、自由に見いだすものではなく、朝起きると現われるもの-が生み出される。彼はいつもその時にそれを見つける。それは自由の意識の代わりに本能となり、有害となる。人間の本性に入り込まざるえをえず、誕生と受胎の神秘、性生活全体と結びついたある種の本能的な認識は有害になる恐れがある。この危険は、ある種の天使たちを通して起こり、天使たち自身もある種の変化を遂げる。(中略)人類の発達の中で起こることは、有益な仕方で明るく覚醒した意識の代わりに、性生活や性的存在からくるある種の本能が有害な仕方で、破壊的な仕方で現れるという事実にある。本能は、単に錯誤を意味するのではなく、社会生活に入り込み、社会生活に形となって現われるのである。
とりわけ、性生活の結果としてその血に流れ込むものによって、人々は地上での兄弟愛を育むことなく、常に兄弟愛に反抗するようになる。それが本能になるのだ。だから、ある決定的な地点が来る。そこで人は、いわば右へ行くことができる。しかし、そのときは見張らなければならない。あるいは、左に行くようになるだろう。その時は、眠ることが出来る。しかし、恐ろしい本能が現われるだろう。
そのような本能が生まれたら、自然学者は何と言うだろう?自然学者たちはこう言うだろう。起こるべくして起こったことであり、人類の発展の一部なのだ。人は、自然学によって、その様なことに注意を向けることはできない。なぜなら、人が天使になったとしても科学的に説明できるし、人が悪魔になったとしても説明できるからだ。自然科学は両者について同じことを言う。つまり、それは、前のものから結果したものである。因果的自然的説明の大いなる知恵である!自然科学は、私が話したような出来事には何も気づかないだろう。なぜなら、人が性的本能によって半分悪魔になるのは、当然の必然だと考えるからだ。(...)
人間は、性本能のある種の異常性を追求することに幸福感を感じ、彼はこの異変を、超人間性、公平性、無偏見のとりわけ高い顕現として賞賛するだろう。
ある意味で、醜いものが美しくなり、美しいものがある面では醜くなる。しかし、人はすべてを自然の必然として見ているので、気づかないだろう。」
では、反友愛的本能は私たちの社会に壮大な規模で到来したのだろうか?そして、それは増加の一途をたどっているのだろうか?「万人の万人に対する戦争」の状況は出現しているのだろうか?このような問題で役に立つのは、何よりも私たち自身の判断力である。
マーティン・バークホフ(北京)
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以前掲載した論考やこの記事を読むと、LGBTの背後にも暗い影があると思わざるを得ない。
かつて、環境ホルモンが問題視されたことがあったが、ある種の化学物質だけでなく、また放射能によっても人の生殖機能が歪められるという指摘はあるようである。農薬や食品への添加物等や原発の問題は、このような観点からも考えていかなければならないのかもしれない。
しかし、化学物質や放射能というものは、既に長い歴史を持っている。これらが初めからこのような意図をもってこの世の中に送り出されてきたとするなら、闇の勢力は長い年月を掛けてこの面での人類への攻撃を続けてきたということだろう。そして最近では、コロナワクチンは、人の生殖機能に対する攻撃という指摘もあり、これも、これまでの攻撃の延長線上にあるのかもしれない。
闇の勢力の真の目的は、人類の霊的進化を阻止し歪めることである。それは用意周到に進められてきたと思われるのである。
最初の人類は、両性具有だったとされる。それが男女に分かれたのは、その後の進化のための必然だったのだが、その両極の間に、自然にバリエーションが生まれてきたのかもしれない。また未来においては、分かれたものは統合されるとされる。ある意味、そうしたバリエーションは未来を先取りしているのかもしれない。
しかし、このようなことを進化の道筋に合わせず無理に造り出すことはやはり問題と言えるだろう。その本当の狙いは、進化そのものの妨害だからである。