k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

福音書の真の起源(前編)

 

キリストとそれを囲む4福音書及び天使的存在

 このブログでは、シュタイナーの人智学においてキリストは重要な位置を占めているということを何度か述べてきた。この場合、キリストとは、当然、キリスト教の教えるキリストであるが、その意味は、人智学では本質的に異なる。「人間」としてではなく、「神霊」としてのキリストは、まさに宇宙的な創造神である。

 このキリスト霊が、地上に降って、人間イエスの体に受肉したのだ。それは、イエスヨルダン川での洗礼の時の出来事である。

 こうしてキリストとイエスは、「イエス・キリスト」となったのだが、この存在に関わる地上における出来事や教えを後の世に伝えるために生まれたのが新約聖書であり、特に、イエス・キリストの生涯を叙述したのが、「福音書」と言われる文書である。

 キリスト教に関心の無い人には初めて聞く事かもしれないが、しかし、この福音書と言われる書物は4つ存在している。それらは、その著者の名を取って、マタイ伝(あるいはマタイによる福音書)、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝と呼ばれる。

 そして、この4人により、イエス・キリストの生涯がそれぞれ述べられているのだが、実は、それらの福音書には、記載している期間や出来事自体の違いもあるが、同じことを述べていながら、それらの間には「相違」、「矛盾」が存在している場合があるのだ。

 例えばそれは、磔刑時のイエスの最後の言葉などであり、あるいは、既に「二人の子どもイエス」のテーマの記事で紹介しているのだが、マタイとルカの述べているイエス系図の違いである。

 現在に伝わる新約聖書が成立するまでには、他に多くの偽典、外典とされる、正典にとりあげられることのなかった文書が存在していて、それらもキリスト教徒に読まれていた。福音書と言われるものも、上の4つの他にも存在していたのである。キリスト教会は、これらを整理して、公の会議により今の新約聖書を「正典」として定めたのである。

 しかし、ではなぜ、この正典を決める際に、明らかに矛盾を抱えていながら、この4つの福音書が残されたのだろうか。それは、当然、当時のキリスト教会の教義にそれらが合致していたからなのだが、その時には、それらに存在している矛盾はそれほど問題視されなかったのだろうか?(聖職者達は、その後、これらの矛盾を説明するのに苦労するようになったのだが)

 そして結果的に、これらの矛盾の存在は、福音書自体の歴史的価値を否定することにもつながる。このようなこともあって、福音書は、後世の作り物であり、イエスの生涯の事実を伝えるものではないということとされのだ。さらには、この結果、イエスの実在すら疑う意見も登場することになるのである。

 

 では、福音書についてシュタイナーはどのように語っているだろうか?

 彼は、4つの福音書は、それぞれに正しいとするのである。例えば、先に挙げたイエス系図の相違・矛盾については、「二人の子どもイエス」という考えに従えば、問題が解決される。このように、他の矛盾にもそれぞれに本来の正しい意味があるというのである。そして、福音書が4つ存在するということにもまさに意味があるというのだ。

 

 今回は、こうした問題をテーマとする人智学派の著作を紹介する。

 シュタイナーの指導により創設された「キリスト者共同体」の司祭、ドイツ人のクリストフ・ラウ氏(1928-2018)の『4つの福音書-そのエッセンスと霊的背景』である。その最初の章「真の起源」から一部を掲載する。

 福音書が4つ存在するのは、結果して偶然にそうなったのではない。世界の成り立ちにも関わる意味があるというのである。

 なお、前編と後編の2回に分けての掲載となる。

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起真の源

初期の状況

 その昔、キリスト教徒は毎日聖書から新たな勇気を引き出し、自分たちの主義主張を聖書に一致させていた-聖書の言葉が教皇の権威に変わった就航改革以来。これはゲーテ(1749-1832)の時代まで続いた。人々は聖書の数多くの箇所を心で知った。人文主義啓蒙主義が台頭し、科学的な関心が高まると、聖書は顕微鏡で批判的に見られるようになった。文献学の助けを借りて、いくつかのテキストの歴史的価値がより正確に決定された。本物のテキストと信頼性の低いテキストとが区別されるようになった。しかし、聖書が評価されればされるほど、その精神的な尊敬は低くなり、生活習慣の変化のもとで、聖書を愛し敬う人々の数は減っていった。聖書が求められることはめったになくなった。

 現代人は、聖書の豊かな文献の前に無力な立場に立たされることが多い。以前はただ聖書を読むだけでよかったが、私たちの求める同時代の人々にはもはや不可能である。聖書を理解するための鍵が必要なのであり、それなしには、読むためのあらゆる補助手段、多くの翻訳、聖書を解釈するためのIR-さまざまな試みにもかかわらず、アクセスを見出すことはできないのである。・・・

 一部の信者にとっては今日もそうかもしれないが、多くの人々はもはや聖書とは無縁なのである。・・・

 しかし、現代世界が私たちに与えている新たな問題や、現代の人間像など、背景を深く見ていない限り、一般的な不満を述べるだけでは不十分である。このことは、20世紀半ば頃、マールブルク神学者グループによって巻き起こった議論に示されている。ルドルフ・ブルトマン(1884-1976)は、福音書から超感覚的なものをすべて取り除き、神話的な要素を含まない話やエピソードだけを有効なものとして認めようとした。彼の研究は、聖書のメッセージを合理的な手段で相互解釈することで、実存的な解釈を通して信仰を救おうとする誠実な努力によって行われた。しかし、結局のところ、神話的世界の反響は現代とは何の関係もないと説明したとき、ブルトマンの悪魔祓いの言葉は、多くの場合、まだ自明である聖書の言葉の素直な受け止め方に、核心で出会ったのである

・・

 即座に、哲学者のカール・ヤスパース(1883-1969)が反論した。彼は、両方の世界を同時に認識することは絶対に可能だと主張した。・・・

 

「哲学者にとって、この信仰は最も疎外的で、最も突飛なものである。ペラギウスが執拗に描写し、パウロが 「私の中のキリスト 」という言葉で意味した、人間の 「神が創造した先天的な高貴さ 」に依拠して、ヤスパースは人間に対する肯定的な告白で公に反論する: 「人間の現実は根本的な罪深さではない」。ヤスパースは、ブルトマンの研究が信仰を持つ人々に及ぼす影響をはっきりと見抜いていた。

 ・・・

 ある神学者が、信仰とは「可能なこと」を知的な力で保持することであるという、今日広く見られる誤解について語るとき、彼らは信仰の惨めな縮小を裏打ちしている。新約聖書研究の関心が哲学的な細部に移って以来、聖書の言葉は知的に扱われ、多くの人々の信仰の基盤を揺るがした。【訳注】

 

【訳注】このブログで紹介済みの他の論考でも、こうした聖書の「脱神話化」については既に触れられている。それは、悪の霊、アーリマンによりもたらされた近現代の事象の一つの例としてであった。「脱神話化」の背景には、キリストの真の霊的本性を隠蔽するという意図があるのである。それは、人類から霊的認識を根こそぎにするという意味でもある。

 この後詳しく論じられていくが、聖書は、霊的(秘儀的)源泉から生まれたものであり、もともと霊的なものを否定する立場の(人文)科学によっては、その真の意味を把握することが出来ないのだ。その様な立場からすれば、当然、キリストのなした奇跡はおとぎ話であり、そもそも、他に歴史的記録の残っていないキリストの存在自体も疑われることとなる。

 

 この根本的な議論は、聖書の扱われ方に直接的な影響を及ぼした。神学者たちはこう考えなければならない: 現代の人間として、どうすれば聖書で指導的役割を持つ現実への信頼を取り戻すことができるのか。この100年の間に、表面的な解剖が方法となり、それまでの信頼が破壊された。テクストの全体性とその深い見方を理解しない人にとっては、茎から摘み取られた一枚の葉は、その手の中ですぐに萎れてしまうだろう。しかし今日、私たちはテキスト全体の細部にまで目を通し、全体から細部の意味を把握することができる。豊かな源泉が再発見を待っている。というのも、ほとんどの研究者は、視線を文献学の特殊な問題に向け、より大きな問題を考えることはほとんどないからである。長い間、福音書の理解は出典理論と呼ばれるものによって阻まれてきた。この説によれば、福音書は短い語りと、証明されていない推測から仮定された「ロギア・ソース」(Logienquelle)、略して「Q」と呼ばれる言葉の集合体から生まれた。マタイとルカは二次記者として、主記者マルコからテキストをコピーし、残りを 「Logia source 」からの断片で埋めたと考えられている。【訳注】

 

【訳注】現在主流の聖書論がこの「Q理論」である。Q資料とは、「新約聖書の『マタイによる福音書』および『ルカによる福音書』の執筆の際に両福音書に共通の源泉となったと考えられる、仮説上のイエスの言葉資料である。マタイとマルコの両福音書の共通点は、一方が他方を省略したなどというものではなく、両者が同じ資料をもとに書かれたことに由来するという見解が有力視されるようになった。さらにルカ福音書との比較研究により、マルコには収録されていないが、マタイとルカには共通して収録されているイエスの言葉の存在が指摘され、このマタイとルカに共通のイエスの語録資料を、ドイツ語で「出典」を意味する言葉 "Quelle" の頭文字をとって「Q資料」と呼ぶようになった。」(ウィキペディア

 それぞれの福音書を文献学的に比較研究したところ、それらに共通するものがあるので、「それらの共通の原典があるちがいない」とされたのだ。いかにも近代科学的推論であるが、人智学派はこれを否定する。

 

 研究者の中には、マルコのテキストが二次記者にほとんど引き継がれたとされているため、マルコのテキストが完全に保存されていることに驚きを示す者さえいる。事実の証拠もないのに、マルコは他の福音書記者と比べて、最も少ないテキストしか提供していないと主張する。実のところ、マルコは豊富な特別な資料を提供しているのである。それに注意する者は誰が見ても、編集によるセレクションという説得力のない理論を見抜くことができるだろう5。その一方で、多くの神学者の関心は、出典の区分に関する問題から、著者の人物像や福音書とその文学的世界との結びつきに移っている。しかしこの転換は、十分ではない。福音書は、伝記や他の文学的カテゴリーのものとして書かれたものではまったくない。それらは、比較することできない、一つのカテゴリーをそれ自体で形成しているのである。

 一方的な知的研究は、絶対的な学問的信仰と原理主義の前面との間で、不健全な両者の対立を招く。真実は、研究と信頼関係が相互に支え合うものである。偏りのない検証の必要性と共に、個々の疑問は今後も継続させよう。私たちは、神学の最も重要な仕事は、聖書のみことばの現在の真理を新しい方法で伝え、聖書のみことばを消化不良の石ではなくパンにするような方法で、現代の読者に近づけることだと考えている。私たちにとって、福音書に対するもう一つのアプローチは、すべての文献の情報源とは別に重要である。18世紀に福音書の歴史批評的研究が導入されると、福音書は口承的な伝承から始まったと考えるようになる。G.ヘルダー(I 744-1803)の伝承仮説(traditionshypothese)やシュライアマッハー(1768-1834)の断片仮説(FragmententheorieまたはDiegesentheorie、ギリシャ語のdiggesis、Otnynatc、narrativeに由来)のように。

 

 この紹介の文脈の中で、19世紀の二源説(Benutzungstheorie、die Zwei-Quellen Theo-rie)の大部分は、今日でも研究分野を広く支配している文学的な説明によって実施されていることに、少なくとも注目することは可能である。短いエピソードの明確な区分は、口承の伝統の中ですでに行われていた可能性はあるが。ブルトマンはすでに、福音書記者が福音書全体の構成に編集者として自律的な責任を負っていたのに対して、古代文学やラビ文学に範例がある短い文学形式との明確な区別を要求していた。

 最近では、作品の出典を区別することよりも、「その文学的形式を真摯に受け止め、理解すること」に関心が向けられている。口承伝承と文字伝承の間のジレンマから、オスカー・カルマン(1902-1999)の思慮深い声は、口承伝承においてすでに「いくつかの個別的な事項の統合」がより大きな文脈をもたらすことを立証したとき、有意義な解決策を示唆した。ディベリウス(1883-1947)と同じように、伝統の地層と言った方がよい」7。この方向に従えば、古い議論から離れ、自由な口承形式と堅固に作られた文 形式が、監督する精神の影響のもとで、共に福音書という芸術作品を生み出したということに同意することも 考えられるだろう。

 このような印象、つまり文学的要件はそのプロセスにおいて補助的な段階を占めるに過ぎないという印象を私は抱いているのだが、最近の研究において、M.ディベリウスが、文言の出典の無限定の範囲ゆえに、判断を保留しているのに対して、格言の出典である「Q」が固定的な量として捉えられていることは驚くべきことである。例えば、ドーマイヤー(1, 1942生)は、「福音書」という表現の二重のあいまいな意味-マルコでは、まだ口承の告知とされ、パウロ書簡では、固定された書き物として現われている-を知っているというのは正しい。・・・

 

 私たちにとって第一の関心事は、各福音書を、統一された目的、意図を表現する全体的な有機体としてとらえることである。この全体性から、個々のエピソード、時には一文さえも理解することができる。芸術作品では、細部が全体の文脈の中で把握されるときに、何かが得られる。そのように、この全体の意味も、テキストの構造に沈潜し、全体を見ることによってのみ、徐々に明らかになるのである。

 福音書を理解するためには、このような言語学的、歴史学的な知識とともに、グラフィックなフレーズの中にある特定の内容を解き明かすための知識も必要である。これらを解読することは、テキストだけでなく、芸術作品を理解するための必須条件である。こうして身につけた知識は、構造をより深く、意図されたものの根源にまで浸透させることができる。知的外在化に対抗する手段として、エミール・ボック【訳注】は、福音書記者たちの構成の仕方を最初から研究に取り入れることで、新しい読書の仕方を発見した10個々のエピソードとモチーフの文脈を全体としてのその作品から一貫して考察することで、彼は才気に富む洞察を獲得し、先入観から解放され、妨げられることなく福音書の一つ一つにアプローチする方法を示した。生涯をかけて新約聖書の記述を解き明かすために翻訳し、解説してきた彼は、ついにその知識をまとめた:

【訳注】著者と同じキリスト者共同体の司祭で、発足時の設立メンバー。多数の著作を残した。

福音書は、世俗的なものではなく、超人的なテキストであり、「聖典」である。それは、地上の人間レベルから、天上の神話のそれまで立ちのぼっている。それを、今日の人間は、完全に取り戻さなければならない。今、われわれは厳密に構成された4つのテキストを持っているが、それは細部よりも構成によってほとんど明らかとなる。そしてそれはmそれらが比較され、そしてそれにより、一致を、逸脱や矛盾と同様に解読することを学ぶとき、語り始める。」

 

 矛盾は、不明瞭な箇所をより正確に問う機会を与える。個々の文章に対する努力は、その文脈を調査することから始めなければならない。作者の特別な特徴は、しばしば意図された内容に関するいくつかの事柄を示している。

 

 個々の箇所に関する注解書は数多く存在する。しかし、テキストを全体としてとらえることによってのみ、真の意味が浮かび上がってくるのである。このように全体を読むことは、直感的な理解に役立つ。さらに、生命を脅かされるような状況にある人々に、生きるための真の力を伝える。このことは、死刑判決を受けた若きレジスタンス闘士カトー・ボンテス・ファン・ベーク(1920-1943年)が証明している。長患いの患者とともに投獄されていた彼女は、ヨハネ福音書を読んだ後、死刑の直前に妹にこう書き送った。「4つの福音書を体系的に読みなさい。この体系的な読書によって、自分がどれほど強くなれるか、まったく信じられないでしょう。」12ステマティックな読書とは、彼女の手紙の他の箇所からもうかがえるように、カトー・ボンテス・ファン・ベークが意味していたのは、福音書を統一された全体として読むことだった。

 霊的な糧の価値を学ぶことは、糧を得ずに長く過ごすことから始まる。捕囚や強制収容所で、詩や聖書の一節から力を得ていた人々にとって、聖書は気晴らし以上のものであり、彼らの精神に対する真の栄養であった。彼らは聖書を、自分たちの置かれた状況に対する治療薬と受け止めた。彼らは、このレメディのキャビネットの中で自分の道を見つけ、レメディが何のために使われるのかを認識することを学んだ。包みの中のメモを調べたり、薬の名前を知ったりするだけで、病人に何の役に立つというのだろう?ハインツ・シュヴィツケ(1908-1991)は、捕虜となり、仲間の捕虜のために、新約聖書を持たずに、福音書のエピソードを記憶から自由に語り聞かせた。それによって、多くの人々が初めて福音書の内容に触れ、その生きる力に触れたのである。聖書は、助力する霊、とりわけ天使の存在と影響を認める者だけが理解できるのである。

 

 ブルトマンや他の多くの人々が「神話」と呼ぶものは、実は現実であり、目に見える世界の霊的背景である。このため、福音の数々の記述に登場する霊的世界を経験した人間は、聖書の言葉に対する正しい関係の最初の方向性を示すことができる。これを超えて、私たちは福音書の文脈と背景を確立するために、公平な方法で模索する。

 

意味の鍵としての構造

 福音書記者たちの生き生きとした語り口は、彼らの文章の美しさと密接に関係している。まるで秘密の合意でもあるかのように、4人の作家はそれぞれの作品の始まり、中間、終わりの構造に重要な示唆を置いている。数年前、イギリスの神学者モーナ・フッカー(1931年生まれ)は、各作品の冒頭ですでに、それぞれの作品のプログラムが示されていることを指摘した。「それぞれの福音書記者は、彼が重要だと考える特定の神学的テーマと、彼の本の残りの部分を読むときに私たちに注目してほしい考え方を強調する序言を私たちに提供したのである。」13

 それはまだ確認されておらず、私たちの経験によれば、補足が必要である。確かに、プロローグは書き手の意図を示すものだが、その意図が完全に日の目を見るのは、中盤と終盤になってからである。だからこそ、これらの領域を含めることも必要なのだ。この3つの段階によってのみ、各テキストの主要な内容の概略が、正しい特徴を把握する限りにおいて、明らかになるのである。明らかに、作者の本来の意味を引き出すためには、前もって予想することなく、作者の文体の特徴に厳密に注意を向けなければならない。以下の個々の分析においても、この方法を堅持するつもりである。

 

 各福音書記者は、その作品の形式の中に、自分の関心事の特徴を隠している。構造を捉えることにより、福音書の隠された意味に接近する道が開かれる。福音書の形式は、その内容に必要な対応として与えられており、両者はナッツと殻のように調和している。背景を含めることで、関連する概念に入り込むことができれば、内容は必然的に本来の深みを取り戻巣に違いない。どの雪の結晶も、その形において他の雪の結晶と同じものはないが、それぞれがその宇宙的起源の同じ6面の形の法則に従っている;同じように、どの福音書も他の福音書と同じではなく、まるで共通の法則の下にあるかのように、4つの福音書すべてが同じような基本構造を示している。

 それぞれの福音書記者は、自分の作品の始まり、中間、終わりを異なった方法で強調している。構成の違いはあっても、最初の二つの福音書は同じ原則に従っている。それらは、洗礼者の出現、洗礼、イエスの誘惑を含むプロローグから始まる。マタイはそのプロローグで、系図とイエスの誕生を記し、マルコは、そのプロローグで、イエスの宣教をすぐに始めるために、主に洗礼者の働きを紹介する。両者の福音書記者は、本文の後半をペテロの告白から始めるために、中間を特徴的な違いによって印している。マタイはペトロの告白で福音書の前半を終え、受難の最初の告知と、師を守ろうとしたペトロの拒絶で後半を始める。このように、マタイは福音書の前半で、エルサレムへの道の必然性をより強く強調している。一方マルコは、本文の前半を盲人の癒しで終えているが、ペトロの拒絶と彼の告白を切り離すことはないが、後半の冒頭で両者を、一方は他方に続いて、カイザリア・フィリピへの方向転換という形で、描いている。両方の福音書記者にとって、変容は後半の始まりに近く、キリストの復活はその終わりである。

 ルカは、マタイやマルコとは異なる位置づけで中盤を描いている。ペトロの告解と山上の変容は、ガリラヤにおけるキリストの使命のクライマックスとして、福音書の前半に属する。まるで、未来のヴィジョンはクライマックスに属するとでも言いたげに。彼とともに、トランスフィギュレーションは重要なバリエーションを含んでいる、モーセとエリヤはユダヤ教の偉大な預言者であり、イエスの逝去がエルサレムで成し遂げられることを明らかにする。この後、ルカは本文の後半(ルカ9:51f.)を導入するが、そこにはエルサレムへの旅の前にサマリアを歩く長い行程が含まれている。

 ヨハネは、福音書の前半、五千人の食事の後のカファルナウムでのいのちのパンの講話(ヨハネ6:68f.)で、すでにペトロの告白を紹介している。彼は、山上での変容を全く述べていない。彼にとって、ペトロは一番弟子ではなく、ラザロなのである。その結果、彼のよみがえり、あるいは目覚めは、彼の福音書の真ん中に位置する。そもそもヨハネは、受肉の意味を明確に説明することなく、ロゴスの地上への降臨を提示している。長い間、この福音書記者の関心はベールに包まれたままである。福音書の前半を支配しているのは、光という主要なモチーフである。光は地上の世界に降り注ぎ、闇やファリサイ派の不理解によって拒絶され、最後には完全に抑圧される。中盤では、イエスとラザロとの関係が始まり、ラザロは目覚めを通して「最愛の弟子」となり、「愛」という主要なモチーフを照らし出す。このモチーフは、足の清めと別れの講話で完全に展開され、復活したお方とペトロの会話の中で最後に鳴り響く。この成就の保証人として、ロゴスの愛を受けることを最初に理解した「最愛の弟子」が、この会話の間、背後に立っている。

 本文の正確な理解は、13世紀から派生し、今日でも通常行われている章立てによって困難になっているが、真の分割はほとんど考慮されていない。どの新約聖書版でも、実際の構成は踏襲されていない。分割は、構造に対する欺瞞として受け入れられなければならない。同じことが、古いギリシャ語写本やラテン語写本の章についても当てはまる。それ以前の分割はすべて、理解を助けるどころか、理解を妨げるものである(脚注58参照)。

 

宇宙の四位一体: エレメントと4つのエーテル

  4という数の法則は、目に見える世界を支配している。私たちは、4つの元素と4つの気質について話し、空間をコンパスの4つの点に、1日を4つの時期に、1年を4つの季節に秩序づける。4は、神聖な基本方位のすべての文明における数字であった。ギリシア人とローマ人は夜を4つの夜警に分け、ギリシア人は4年ごとに「オリンピア」に集まった15。太陽の1日のコースの4つの通過は、(トリプルの)十字形の時計の文字盤から読み取られる。太陽は、十字形(幻日)に配置された荘厳な装飾の完全なハローの中で光を放つとき、4重のイメージの中心であり原点として自らを明らかにする。

 

 バビロンでは、星座(獅子座、牡牛座、鷲座、人間座)は4つの「世界の角」の代表であり、季節を司るものとされていた。太陽が牡牛座に移ると春が訪れ、獅子座からは夏が、蠍座(または鷲座)からは秋が、水瓶座からは冬が訪れる。翼のあるライオンと雄牛は、石造りの記念碑的な彫像として都市の門を守り、入ってくる人々に、別の世界への情け容赦のない門番を思い出させた。有翼の雄牛マルドゥクヘブライ語でメロダク)は、原初の蛇ティアマトとの戦いでよく知られていた。同時に、彼は、バビロンの都市神として、太陽の春分点が牡牛のサイン(前2907~前747年)にある限り続いた文化全体を代表した。バビロンとアッシリアでは、マルドゥクは翼のある牡牛、ネルガルは翼のある獅子、ニムルタ(またはニヌルタ)は鷲の頭の存在、ナブ(またはネボ)は人間の姿として崇拝されていた16

 「メソポタミアの星座では、太陽が春分夏至の日に昇る門として知られる4つの星座が特別な意味を持っていた。」17 4つの主要な星座には、それぞれ 「王星 」が属している。牡牛座のアルデバランは、蠍座のアンタレスと向かい合い、獅子座のレグルスは水瓶座の王フォマルハウトと対応している。イエスの洗礼のイコンにおいて、ヨルダン川が水差しを手にした水男として表されるとき、それはバビロニアの水男オアンネスを想起させる。太古の昔から、これらの4つの星座は特に崇敬され、これらの星座だけが王家の星を装飾品として持っていた。

 エジプトの天界では、4つの主神が4つのエレメントにより支配し、さらにオグドード(8人のグループ)を女性の妃により補佐していた。エジプトの地理的な状況に合わせて:

 東は火、北は水、西は空気、南は土に対応する。

 

 エジプト人は、太陽の年周の4つの主要な駅を、オシリスが創造した神々によって指示された宇宙の発展として経験した:

ヌン、暖かさを育む原初の海、火としての物質の原初の姿、ヘー、吹きつける空気のそよ風、ケク、氾濫する水の闇、ネヌ、地上の堆積物である18

 

 さらに、ピラミッドの基部は正方形の原理に従っていた。基部は、コンパスの、空間の方位に従って配置され、頂部は金メッキが施されていた-こうしてこの建物は、(A.M.ミラーによれば)天と地上の四位と一体となった。数多くの証言の中で、私たちが特に関心を抱いているのは、(エドフとアスワンの間にある)コム・オンボーの、いまだ存続している神託寺院である。内部通路の背後の壁の神託の穴の上には、神的な風が動物の姿で描かれている-それは、私たちの福音書記者のシンボルと比較できるものである。

 

 獣帯の4つの主要な絵と福音書記者のシンボルとの関係については、天の絵を5千年前に太陽が立っていたようにとらえるべきである。今日の星の位置から、シンボルの起源やゴスペルにおける星の影響について、手がかりを得ることはできない20。牡牛座と蠍座春分点と、獅子座と水瓶座の2つの夏至は、バビロニアの天球図において十字を形成している。太陽と月は、その「家」であるライオンとカニでは上部の摂政として支配し、その下では、各個の惑星が「フロアー」ごとに2つの家を支配した。土星は一番低い階にあるウォーターマンと冬のヤギの家のペアを占めていた21

 

20 このように、ヘルマン・ベック(『マルコの福音書:宇宙のリズム』所収)は、j, 82, 111で、アストラルクロスと物理的・エーテル的クロスを正確に区別しているが、ルドルフ・ハウシュカ(『実体の本質』(サセックス:ソフィアブックス、2002年)所収)、およびR. シュタイナー(『人間の質問と宇宙の答え』、lect. 1922年7月2日)では、4つのサインのうち2つは正反対のものとして立っている。シュタイナーの『人間の質問と宇宙の答え』の講義は、地球と宇宙の物質に関する示唆を与えているが、サインや星座に関する示唆は与えていない。音楽と福音書における「宇宙のリズム」についてのベックの研究は、「古典的な」熱帯十二宮を研究しているのであって、恒星帯(天空の星)を研究しているのではない。彼の研究は、地球の魂、あるいは「地球のオーラ」(ケプラーが使用し、シュタイナーが頻繁に引用して賛同している言葉)に永久に刻み込まれる星座、つまり、キリストが地球を歩いたときの星座と星座が一致したときの星座が、今日霊的に活動しているときの星座であることに関係している。例えば、H. Beckh, John's Gos-pel: 宇宙のリズム』(テンプルロッジ、2021年)、p. 33f. この問題はさらに複雑である。C. Rauもある論文で園芸について言及しているが、彼が指摘するように、それは太陽星座ではなく太陰星座に関するものである。C. Rau, 「Feuer, Wasser, Luft und Erde als Himmelskrafte」 (Fire, water, air, and earth as heavenly powers), Die Christengemeinschaft 41, no. 8 (1969), pp.229-231; In English in Collected Articles, 1922-1938 (Tem-ple Lodge, 2023)-Tr. note.

 21 この秩序は、天の模型としてのバビロニアの塔(七段の階段を持つジグ・グラート)の形に反映されている。H. Banzhaf, 「Der Tierkreis als himmlisches Symbol der Ganzheit」 (The zodiac as a heavenly symbol of wholeness) Astrologie Heute (Astrology today) 92 (2001), 25-29; J. Schwabe, Archetyp und Tierkreis (Archetype and zodiac, Kiwi: Benno Schwabe, 1951) も参照。

 

 

 世界の四隅を風と季節の守り神として崇めることは、太古から存在する宇宙の秩序を表現している。獅子と水男、蠍と牡牛は、火、空気、水、土の4つの要素を表している。トリゴン(3分1対座)(互いに120°に立つ)の3つの獣帯の宮は、常に同じ種類のエーテルを表し、特定の効果を持つ(図1、上、p.281参照)。

【3×4=12 トリゴンは4つある】

 

  何十年にもわたって繰り返された農業試験で、マリア・トゥーン(1922-2012)は、月を通して伝えられる植物に対するトリゴンの影響を正確に証明することができた:

 

 これにより、トリゴンの主な代表として、ライオン、ウォーターマンスコーピオンから毎回最も強い効果が出ている:大地のトリゴン(生命エーテル)は根に影響を及ぼし、水のトリゴン(音エーテル)は葉の成長に影響を及ぼし、空気のトリゴン(光エーテル)は花に影響を及ぼし、暖かさのトリゴンは果実や種子の成長に影響を及ぼす。正確な研究結果は、数十年にわたる研究によってますます具体的になっていった22

 

 牡牛座の二宮に植えられた苗は最高の根菜を、蠍座に植えられたレタスは最も大きな葉を、水瓶座に植えられた花は最も美しい花を、獅子座に植えられた果樹は最高の実をつける。これらの結果から、王星を含む星座が4つしかない理由がすぐに理解できる:それらは、間違いなくトリゴンの王なのである。

 

 私たちにとって重要なのは、福音のシンボルと宇宙との関係が、古めかしい神話に従っているということではなく、今日存在する世界を形作る者としての意義を科学的に実証できることである。【後編に続く】

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 この世、物質世界は、4によって支配されている。

 地上には、天空(宇宙、黄道12宮)から力が働いているが、それらは4つにグループ化される。

 アジアでも、四天王(あるいは四王天などとも)が崇敬されているが、この4柱の神々も4方に配置されている。洋の東西を問わず、4とはその様な意味を持つのだろう。

 世界の王、創造者であるキリストが地上に受肉し、活動したとき、全宇宙の力がそこに働いていたという。このような存在を表わすには、4つの方面からの叙述が必要なのだ。福音書が4つなので、偶然ではないのである。

 後編では、この4にまつわる話しが更に続く。