k-lazaro’s note

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「二人の子どもイエス」とは ㉑

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アウレウス写本

 芸術における系図

 イエス系図は、マタイ福音書とルカ福音書に記述されている。そして、そこに挙げられているイエスの先祖の名前が、ダヴィデ王の子(即ちソロモンとナタン)から異なっていることを⑯で述べた。それは、つまり、ダヴィデ王の子孫は、ソロモンの系統とナタンの系統に分かれており、それぞれの系統から時を同じくして二人のイエスが生まれたと言うことを示している。
 この系図に関わる謎を、『二人の子ども』から引き続き見ていこう。

 図像学の現代の歴史家、ゲルトルト・シラーによると、マタイ伝によるキリストの先祖が全て描かれている絵を含む写本で現存する最も初期のものは「コーデックス・アウレウス(アウレウス写本)」(上図)である(ブカレスト国立図書館蔵、Codex Aureus)。これはシャルルマーニュの写字室の一つで書かれたが、それはおよそ810年頃と想定されている。この絵では、先祖は、マタイ伝が示唆しているように、13人の3つのグループに分けられており、それぞれのグループの族長は、14番目の者として、半身で描かれている。この細密画において、その族長は、アブラハムダヴィデ、イエコニアスと名付けられている。その絵がマタイ伝の文章を忠実に反映しているなら、族長アブラハムのまわりには12人が集まっているはずである。この系図の精髄は、キリスト自身であり、マタイによって特別なものとされた42世代(13×3=39+3=42)を反映するように設計された完全な数秘学が見える。私は、ギリシア語の二つの略語、IHS XPS(キリストの卵型の枠内にある)の重要性をこの数秘学から簡単に指摘しよう。

 上の絵は、マタイ福音書系図を絵で表したものである。マタイ福音書は、系図アブラハムから始めて、以下に続く先祖のそれぞれの名前をあげているが、1章17節で次のようにまとめている。「だから、アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である。」つまり14世代が3回繰り返していると強調しているのである。著者のデヴィッド・オーヴァソンは、この42という数字に「数秘学」的意味があるという。

 イエスの二つの系図を描くこの絵の枢要な秘密を示すものは数秘学という言葉である。中世の芸術家は、世代のリストにおける数秘学の重要性を認識しており、時々、この数秘学に秘密の意味を与えた。例えば、3世紀においてオリゲネスは、42世代を、モーゼによって率いられた砂漠の旅の宿営地としてリストアップされた42のキャンプサイト民数記33)に関連付ける努力をしている。オリゲネスにとって、これは数秘学によるこじつけではない。なぜなら、イスラエルに法を与えた、モーゼは、神からの新しい定めをもたらしたイエスの原型と見られているからである。
 従って、イエス系図の中世における表現を十分に理解するには、芸術家が数秘学に表した関心事をある程度理解することが必要となる。この関心事の背後には、多くの芸術家が、ルカとマタイの系図に現れている数秘学は異なっていることを理解していたという事実がある。
 ルカ伝は、その系図においてアダムからイエスまでで76人の名前を挙げている。ナタン(ルカ伝は彼の流れを扱っている)とイエスの間では42人の名前を挙げている。マタイ伝のリストは既に見たように、アブラハムからイエスまでの系図をのみ示しているという意味で完全ではない。実際彼は、既に見てきた42人ではなく、全部で41人の名前しか挙げていない。しかし、全部で42人とすべき記録をマタイが実際には誤ったのではないとみる刺激的な可能性がある。このようなことを研究してきた者には、イエスの洗礼の時にキリストがイエスの身体に「生まれた」と長い間信じられてきた。これは、イエスとキリストで2「世代」がカウントされるということになる。上のようなケースにおいて、この問題を熟考した芸術家は、この絵画的系図でキリストのイメージに二つの略語(IHS XPS)-イエスとキリストという二つの名前を示している‐を注意深く添えた。このようにして、42世代は損なわれることがなくなったのである。

 マタイ福音書は、自ら各14世代と述べていながら、実は、バビロンへ移されてからイエス(キリスト)までは13人の名しか記していないのである。しかし、オーヴァソンは、この意味を、キリストはイエスの身体に後から受肉したので、イエスとキリストを別の存在として2世代と数えていると解釈しているのである。またそれは、この絵の中央上部にいるイエス・キリストの両脇に「IHS」と「 XPS」、即ちIHS=IHESUSイエス、 XPS=christusキリスト、と添えられていることが表しているとする。

 マタイ伝の数秘学は奇妙なものである。しかし、イエス・キリストの名前の二重性が常に結び付けられていたのではないものの、多くの絵画作品にはそれが反映されている。例えば、ヴァチカンのピナコテカ(美術館)には、マドンナと子供を描いている、ヴィターレ・ダ・ボローニャによる14世紀のパネルがある。聖処女のドレスには正確に41の星がある-子供が失われた一つをなす-。

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マドンナと子ども(ヴィターレ・ダ・ボローニャ

 イエスが星を表しているというアイデアは、中世のキリスト教シンボリズムにおいてよく確立されていた。それは、古代におけるキリスト教の聖母と天の処女宮との 間の関連に由来するものである。処女宮の図像の主星で、その手の近くにある星はスピカと呼ばれる。それは穀物の星あるいは、聖体拝領における聖なるパンと関連した小麦の星である。キリスト教の聖処女のイメージでは、その星は子供へと形を変える-しばしば星は聖処女のドレスにシンボルとして残されているが-。悲劇「タイタス・アンドロニカス Titus Andronicus」における、タイタスがルキウスに対して、「さようなら、処女の膝の中で・・・」と叫んでいる場面で、シェイクスピアはこのことが念頭にあったに違いない。
 42という数字は、イエス・キリストに関わっており、星はイエスを表している。聖母がその膝の上に抱いている子どもは、天から地上に降った星である。
 この42という数秘学は、イエス系図に関連する幾つかの図像に現れる。例えば、リッチフィールド大聖堂図書館にある8世紀の「聖チャドの福音書」には、二つの十字架を抱えたマタイの像がある。実際、彼の右肩にある十字架は、二重らせん十字架で、芽吹いたばかりの葉のようなもので覆われている。その終端は十字架で、全部で14ある。もう一つの十字架の3重の終端と一緒に考えると、3×14通りの配列が可能となる。

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「聖チャドの福音書」のマタイ

 おそらくもっとも洗練された系図の42という数字の使い方は、システィーナ礼拝堂の巨大な天上フレスコ画におけるキリスト教シンボリズムにおけるミケランジェロの目論見にあるものである。ミケランジェロの名前のリストは-芸術史家シャルル・ド・トルネイが正しくも「ヨセフの男子系統」と呼んだように-、マタイ伝からとられており、像に沿ってあるいは像の近くに刻まれている。
 ミケランジェロの、教会の天井の42人の先祖の描写は、非常に洗練されており、多くの繰り返しを含んでいる。これらは主に、各先祖を子供として、その両親とともに描こうとする芸術家の試みから結果するものである。おそらく、彼の象徴の目的は彼らを聖家族の原型として描くことにある。しかし、その手法は、多くの場合、同じ人物が二度、一度は子供としてまた一度は父親として現れることを意味する。
 ミケランジェロのオリジナルな数字のシンボリズムはもはや作品の中では明らかではない。1535年に、芸術家が巨大な「最後の審判」をシスティーナ礼拝堂の壁に描き始めた時、先祖が描かれている半円形部の二つを彼の新しいデザインの一部によって完全に上塗りしてしまった。この半円形部はアブラハムからアラムまでの7人の先祖を描いていた。幸い、初期の版画からこれらを再現することは可能であった。この再現から、全部で、8つの三角小間はそれぞれ一人の先祖を描いており、一方16の半円形部は他の32人を示している。これは、勿論、全部で40となる。父親のヨセフを描いている半円形部の一つは、子どものイエスも描いており、それにより数は41となる。我々は後に、この半円形部をより深く見ることにしよう。

 オーヴァソンは、「聖チャドの福音書」の人物をマタイとしているが、ルカとする本もある。4つの福音書の作者は、それぞれ動物のシンボルをもっており、この絵に見える牛は、本来ルカのシンボルだからである。
 古い絵を読み解く時、数字に込められた意味を解釈する数秘術は欠かせないようである。その様な絵には、意味も無く描かれているものは何もないと言える。細部に真実が宿っているのである。