k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

自由をめぐる闘い(前編)


  ウクライナ問題が新たな段階に入っている。ロシア語話者の地域(いわゆる親ロシア派が支配し独立した地域)がロシアに編入されたからである。
 西側の政治家は一方的な併合だと批判し、更なる制裁をと語っている。日本でも圧倒的多数の賛成票が信じられないようで、住民が強制されたという批判を多くのマスコミが行なっている。
 しかし、今回のロシアの侵攻は、2014年の欧米の支援を受けた民族主義者らのクーデター以降、ウクライナ政府が行なってきた、今回編入されたドンパス地域への軍事攻撃(住民虐殺)が背景にあり、ロシアへの編入はもともと多くの住民がずっと望んできたことなのである。
 マスコミは、こうした事実を知らないのか、知っているが黙っているのかわからないが、そこに登場する「専門家」も含め、このような実態を語らず一方的にロシア側を非難するばかりであり、害悪でしかない。
 この地域が編入されたと言うことは、今後この地域への攻撃はロシア国内への攻撃となる。従って、ロシアからすれば祖国防衛の戦闘となる。ステージがアップするのだ。これまでロシアの軍事攻撃は抑制的であったが、その制約がなくなる。ウクライナの国土は壊滅的な攻撃を受ける可能性があるのだ。
 またプーチンは、既にこの戦いがロシアとNATO諸国との戦いであると明言している。実際、現段階では、NATOは武器や軍事情報の提供だけでなく、人的にもウクライナ軍と一体化していると言われている。
 とすれば、これはロシアと西側諸国との戦争となるのである。アメリカが相手となれば、核攻撃も選択肢とならざるを得ないのだ。これが、プーチンが語っていることであり、彼は「脅しではない」とも主張しているのである。実際、ドイツのメルケル元首相は、プーチンの話を真剣に受け止めるべきだと語っており、NATOを除く世界の多くの指導者あるいは識者達が、懸念を表明しているのである。
 しかし、日本ではこのような切迫した状況がほとんどマスコミによって報道されていない。ロシアは、弱いのでウクライナが反撃している、プーチンの体制も危なくなっている等の根拠のない話が語られるばかりである。

 一方で、制裁を科している西側ヨーロッパ諸国の方が、むしろエネルギーや食料危機により、大変な状況となっている。既に庶民の生活は圧迫され、多くの企業が倒産しており、今後更に危機は深まるだろう。本当は、制裁どころではないのだ。だから、国民の中にはロシアへの制裁をやめて中立的立場をとるべきとする意見や運動が盛り上がってきているのである。
 しかし、これらの国の指導者達は依然として従来の姿勢を変えていないようである。
 冷静に考えれば誰でも分かる理屈が通らないのだ。なぜだろうか?
 これらの指導者達(エリート)は、我々とは異なる理屈をもっているらしい。それは、どのような思考であろうか?・・・
 

 これまでこのブログでは、ロシアや中欧を巡る隠れた歴史に触れる論稿を何度も紹介してきた。それらの多くは、シュタイナーの語った、英米アングロサクソン系のブラザーフッドのオカルト的戦略を背景に世界情勢を分析したものであった。
 人類の歴史は、意識の発展の歴史、霊的進化の歴史である。古代、中世、近代、現代の人類の意識の発展段階はそれぞれ異なる。そして、その時代の文化を主に担う民族も
交代していくのである。これまでは、英米が主導する文化であった。しかし、未来においては、ロシア等がその役割を担うのである。それは、人類が失った霊性を回復する文化である。
 しかし、アングロサクソン系のブラザーフッドには、それを知りつつ、それを阻止しようとするものがある。いわゆる影のブラザーフッド、あるいは左道のブラザーフッドである。彼らは、英米の支配を今後も永続化したいのである。そのために、ロシアやそれと連携することが期待されるドイツなどの中欧を弱体化し、英米に従属させたいのである。 
 歴史上で起きる衝突、混乱は、こうした新旧の力の相克から生まれるのである。今、ウクライナを巡って起きている出来事も、まさにそれであろう。

 意識の進化(霊的進化)の観点では、かつての人類は、個人意識が希薄であったが、近代以降、個我の意識が発展するようになった。集団に属し、そこに安住していた人間は、それから独立するようになったのである。しかし、個我の発展は、利己主義という負の側面も生み出した。未来においては、これを克服しつつ、個人が個人として尊重される社会が求められているのである。
 影のブラザーフッドは、これも嫌っている。自分たち以外の全ての人間を支配下に置きたいのである。それが、彼らの背後に存在する闇の霊達の願いだからである。

 影のブラザーフッドの政治的願いは、従って、英米による世界の一極支配である。いわゆる日本を含めて西側は既に英米に従属させられている。今、これに対抗しているのが、ロシア・中国であり、彼らにとっての最大の敵なのである。 

 今回紹介する論考は、紹介済みのものと内容が重複するが、第1次世界以降の、そうした影のブラザーフッド(ここでは「秘密のエリート」)の動きを論じた、『ヨーロッパ人』掲載の記事である。
 前半と後半に分かれており、前半では、現代までの出来事の背後の動きに触れている。後半では、その霊的背景が語られる。

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自由をめぐる闘い(前編)

『ヨーロッパ人』 Jg.26 / No.9/10 2022年7月/8月号               

 

 自由、平等、友愛というフランス革命の偉大な理想は、同時代のすべての警戒心に多大な魅力を与えた。シラー[ドイツの詩人]は、何よりも自分の心と魂のすべてをそれらに輝かせて、まったく新しい条件のもとでの人類の偉大な未来を願った人であったろう。

 その後、ルドルフ・シュタイナーは、人間を完全に自分の足で動かす自由の哲学を掲げ、倫理的個人主義を確立した。そして、その衝動が本当に精神から来るものであるならば、その人を対立に導くのではなく、他の自由な人間との協力に導くものであることを示すのである。シュタイナーの社会思想は、三重の社会有機体の名でまだあまり知られていないが、鋭い思想家たちが示したフランス革命の大理想の明らかな矛盾が解決できることを示している。社会組織を、自由が実現できる精神生活、人間の平等が実現できる法律生活、そして、多くの人にとって意外なことに友愛や兄弟愛が実現できる経済生活という比較的独立した部門に意識的に細分化するならば、そのような矛盾はなくなるのだ。(訳注)

(訳注)シュタイナーが神秘学者として活動する前の時期の著作に『自由の哲学』があり、彼は、その本で、人間にとっての真の自由について論じた。「三重の社会有機体」は、シュタイナーの社会思想で、それに基づく運動は、社会三層化運動とも呼ばれる。人間の3重の構造に模して社会有機体を構築する考え。その具体的内容は、後の文章で説明される。

 

 このような大きな衝動は、大きな抵抗なくして実現することはできない。ある種の集団は衝動に基づいて活動し、遅くともフランス革命で正当性を失った思想に導かれ続けるだろう。しかし、人々は、たとえほとんど無意識であっても、偉大な理想を自分のものである価値あるものとして認識しているので、支配しようとする権力のサークルは、成功を望むなら、嘘と協力しなければならないのである。だからこそ、大きな理想は表立っては攻撃されない。むしろ、誤魔化すためにフレーズが捏造されるのだ。例えば、由という理念を、その逆を求めているにもかかわらず、フレーズによってプロパガンダするのである。(訳注)

(訳注)英米の支配層は、よく自分たちの行動を「民主主義」や「自由」を守るためとして正当化するが、実際に行なわれているのは、その逆で、それらを破壊していることは世界中の良心的識者達により指摘されてきた。残念ながら、日本を含め欧米の一般大衆には、その意識が拭いがたくこびりついており、英米が善で、それにはむかう者(例えばロシア、中国)は悪であると、自動的に受け入れてしまっている。しかし、欧米以外の世界ではその常識は通用しない。これまで、英米勢力により痛めつけられてきているからである。ウクライナ問題で、欧米のロシア批判に同調しない国々が多数存在することに表れている。ロシアを絶対的に悪とする「国際世論」は、実際には、一部の国々の世論に過ぎないのだ。

 

 秘密のエリート

第一次世界大戦中、ルドルフ・シュタイナーは、17カ国から集まった第一ゲーテアヌムのスタッフ(中には敵もいた)に講義を行い、その内容は「Zeitgeschichtliche Betrachtungen」として書籍化された(GA 173 a-c)。その中で、第一次世界大戦が自然発生的に起こったものではなく、1880年頃からすでに作られていた最初の構想にさかのぼって計画されていたことを示したのである。計画者たちは、セシル・ローズやアルフレッド・ミルナー卿などからなる「秘密のエリート」で、アングロサクソン種族の優位性を確信し、歓迎されない競争相手であるドイツを排除して、世界政府を作り、その成果によって輝かしい未来がもたらされると期待していたのである。

シュタイナーの発見は、例えば、Jakob Ruchti1, Carroll Quigley2, Anthony Sutton3, Guido Preparata4, Christopher Clark5 の重要な研究によって確認されている。2013年、スコットランド人のGerry DochertyとJim Macgregor※6による「Hidden History秘密の歴史」が、「Verborgene Geschichte秘密の歴史」というタイトルでKopp Verlagからドイツ語で出版された。この書籍は、「秘密のエリート」の行動を非常に正確に、鮮明に描写している。(訳注)

(訳注)アマゾンの当該書の紹介文には次のようにある。「第一次世界大戦の責任者を独自に暴露している。この本は、人類に対して行われた最も凶悪な犯罪の責任者であるロンドンの大金持ちと権力者の秘密の陰謀の罪を隠すために、戦争の起源に関する記述がいかに意図的に改ざんされてきたかを明らかにするものである。彼らは10年間、世界を支配する計画の第一段階として、ドイツの破壊を企てていた。フランツ・フェルディナンド大公の暗殺は、決して偶然の出来事ではなかった。サラエボからベオグラードサンクトペテルブルクを経て、ロンドンの陰謀団に至る指揮系統の中で、慎重に設定された導火線に火をつけたのである。」

 

第一次世界大戦

1871年ドイツ帝国が成立した。帝国の成立の前には、独創的な野戦司令官ヘルムート・フォン・モルトケが勝利した独仏戦争があった。この戦争の過程で、ヴィルヘルム1世は、ヴェルサイユでドイツ皇帝に戴冠し、アルザス・ロレーヌは新興帝国に併合された。

帝国の成立により、産業はかつてないほど急速に発展したが、帝国の存在を正当化するような内容を内外に示すことは全くできなかった。ドイツの偉大な哲学者や芸術家の功績は、このようなコンテンツを作るための優れた基礎となったことだろう。しかし、まさにその逆が行われた。彼らの作品は、無視されるか、あるいは拒絶されるかのどちらかであった。第一次世界大戦におけるドイツの罪を語るなら、この機転のなさと反発のなさに見出すことができるだろう。

もちろん、前述の「秘密のエリート」の狙いや非人間的な行為に全く同意することはできないが、いかに長期的な計画を立て、慎重かつ粘り強く活動したかは賞賛に値するだろう。第一次世界大戦の勃発時、それに対抗していたのは、ヴィルヘルム2世という虚栄心の強いおしゃべり好きで、シュタイナーが「無価値」になったと言わざるを得ないドイツ政策であった-何が行われているのか把握できず、それに応じて陰謀に対する答えも見いだせない。このため、参謀長のヘルムート・フォン・モルトケ(前述の陸軍元帥の甥)に全責任がかかっていた。

フランスは1894年、巧妙な計画によってロシアを同盟に導き、そのためにアルザス人ユダヤ人将校アルフレッド・ドレフュスを犠牲にしたのである※7(訳注)。しかし、その背後では、英国王エドワード7世をはじめとする「秘密のエリート」が糸を引いていたのである。また、彼らは、1904年にイギリスがフランスと結んだ秘密同盟「Entente cordiale」(!)の責任者でもあった。

(訳注)1894年、当時フランス陸軍参謀本部の大尉であったユダヤ人のアルフレド・ドレフュスがスパイ容疑で逮捕(実際は冤罪であった)され、国を揺るがす大きな問題となった。人権問題にとどまらず、対独復讐主義や反ユダヤ主義軍国主義、教権主義など、第三共和政下の諸争点が噴出して、フランス国内が二つに分裂した。

 

カイザーの素人的な介入にもかかわらず、モルトケは前任者のシュリーフェン・プランを修正し、フランス、ロシア、イギリスの連合国による二正面戦争の脅威にシュリーフェン計画で対抗しようとしたのである。彼は、フランスと和平協定を結ぶために、開けた地域でフランスを早く倒すことを計画したのだ。そうすれば、その後、ロシア軍に対抗するために、後方の自由を手に入れることができるだろう。この計画は、皇帝の不手際と一部の軍幹部の強引な行動によって失敗に終わった。

モルトケは退陣した。後継者であるフォン・ファルケンハイン将軍の戦いは、数十万人の死傷者を出す壊滅的な塹壕戦となった。モルトケは、無能な皇帝、後継者の戦争遂行、迫り来る敗戦から、言いようのない苦しみを味わった。「戦後は勝者のプロパガンダが戦後の歴史学になる」という言葉は、当然ながら第一次世界大戦にも当てはまる。そのエネルギーと周到さには驚かされる。

ドイツ帝国が戦争の唯一の責任を負うという嘘を、「秘密のエリート」がいかに精力的に、そして慎重に流通させ、今日に至るまで守り通してきたか、驚くばかりである。「Hidden History』の著者であるDochertyとMac-gregorは、このことを詳細に報告し、戦後、ヨーロッパの公文書が徹底的に「クリーニング」されたことを指摘している。この大仕事を任されたのは、45歳の鉱山技師ハーバート・クラーク・フーバーであった。フーバーは、自分の存在をアピールしていた。

ロスチャイルド家が所有する金鉱を管理する、タフで冷酷な "エリート "として。フーバーは、新しい任務を人知れず遂行するために、飢えた子供たちを救うという偽装を行なったのだ。彼は1000人の諜報員を集め、最初の運搬で37万5000冊の戦争機密文書を押収した。その文書は、ヨーロッパに食糧を運んできた船でアメリカに運ばれ、スタンフォードに保管されていた。フーバーは、その功績により、後にアメリカ大統領(1929〜1933年)に就任した。

 

ルドルフ・シュタイナーの覚書

1917年、世界大戦のさなか、ルドルフ・シュタイナーはオットー・グラーフ・フォン・レルヘンフェルトから、中欧が戦争の行き詰まりから抜け出すにはどうしたらいいかと尋ねられた。この質問によって、シュタイナーは、数週間に及ぶレルヒェンフェルトとの会話の中で、「三層構造」と呼ばれるようになった彼の偉大な社会的思想を初めて表現することができたのである。その後、2つのメモ※8を作成し、各国政府関係者に送った。シュタイナーは、これらによって、中欧、特にドイツ帝国に欠けている精神的実体としての内容を与えようとした。そして、相手の理解を得、そのうえで協商国が無視できないような和平工作を開始することを期待した。

シュタイナーはこのメモの中で、関連する事実に関する膨大な知識を駆使して、ドイツ帝国に侵略されたから戦争を継続しなければならず、将来そのような侵略を不可能にしなければならないと主張する協商国のスポークスマンに反論している。また、アメリカのウィルソン大統領にも反対した。彼は、14項目のプログラムの中で、特に民族の自決権を要求したが、これは無数の浅薄な考えの人達を魅了するものだった。シュタイナーは、このような自決権、つまり「民族の解放」は、必ず民族間の無数の紛争を引き起こすだけであることを示したのである。また、西欧型の民主主義システムの押し付けを許すことは、中欧にとって有害であると指摘した。その帰結として、根本的に新しいことを、しかし、既存のものから有機的に発展させられたことをあえてするために、世界大戦の破局を招いた思考の習慣を捨てるよう自ら立ち上がらなければ、中欧アングロサクソンの世界支配の奴隷になることを、彼は先見の明をもって予見していた

 

まず人民を解放し、次に人民を解放する!

 シュタイナーは、「民族の解放を考える前に、まず人間を解放しなければならない」と主張し、この新しい考えを実現するために、中欧地域が特に適していると考えたのである。彼は、第一に、民主的な人民代表制をとり、その活動範囲を純粋に政治、軍事、警察業務に限定することを要求した。第二に、政治と軍事の問題から解放され、国民のニーズを満たすことに完全に集中できる経済議会である。そして第三に、法律、教育、精神的なものを包括し、個人の自由に全面的に委ねられる「分野」である。ここでは、国家は取り締まる権利だけは持っているが、主導権は持っていないという。「国家は、事実上、専門家や民間の共同事業者に、裁判所、学校、教会などを設立させ、個人には、自分の学校、自分の教会、裁判官を決めることを委ねている。もちろん、その都度ではなく、ある一定期間である」※9。

 シュタイナーは、これを聞いた人たちが、自分たちのこれまでの考えや先見の明のなさが、戦争という大惨事を招いたのだと理解し、それにより目あたらしいものを理解するようになることを望んでいた。もし、この新しいものが著名な人々によって支持されていたならば、協商国[イギリス・フランス・ロシア]は面目を失わずにこの和平構想を無視することはできなかっただろうと、シュタイナーは予想していた。

 シュタイナーの考えは聞き入れられた。外務大臣リヒャルト・フォン・キュールマンが、ボルシェビキとブレスト・リトフスクの「平和条約」を交渉したとき、このメモランダをブリーフケースに入れて持っていたのである。しかし、一方的な軍事的思考しかできないヒンデンブルクルーデンドルフに、条約の内容について口車に乗せられてしまったのである。シュタイナーは、交渉の内容を読んで、ぞっとした。しかし、この敗北は、戦後の再挑戦を妨げるものではなかった。この時、彼は同僚とともに革命的な考えを持つ労働者に接近し、新しい考えを伝えようと最大限の努力をした。

 シュタイナーは、労働者の間に大きな関心と理解を見出した。しかし、彼らの指導者は、希望に満ちたアプローチを阻止した。彼らもまた、身近なことを考えることしかできなかったのだ。シュタイナーはもちろん、自分の画期的なアイデアを実現するために十分な反響とエネルギーが得られる見込みがないことは承知していた。しかし、戦時中から戦後にかけては、自分や弟子の声を聞いてもらうチャンスだと考え、全身全霊を傾けて2つの試みに着手したのである。"成功のために働くな "と、彼は友人に言った。

 ルドルフ・シュタイナーの最も重要な弟子の一人であるルートヴィヒ・ポルツァー=ホディッツは、弟を通じてハプスブルク家の最後の皇帝カール1世とつながりがあり、アルトゥール・ポルツァーは彼の内閣のトップであった。こうしてシュタイナーの覚書はカール皇帝の手元に届き、ポルツァーがそれを皇帝に伝えたとき、皇帝は、「期待を持って注意深く」聞いていた。この芽も謀略によって抑えられ、ポルツァーは内閣のトップを辞めざるを得なくなった。アルトゥール・ポルツァーは、退位後の皇帝カールについての回顧録を書いている※10。その中で彼は「三層化」について触れ、シュタイナーの覚書を付録として印刷させた。興味深いのは、もちろん偶然ではないのだが、英語版とイタリア語版では、シュタイナーや三層化と覚書への言及がすべて慎重に削除されていることである。このことから、反対派はシュタイナーの社会思想の爆発力をよく知っていた、そして今も知っていると結論づけることができる。

何も学んでいない?... ルートヴィヒ・ポルツァーの覚書

 その後、1930年にルートヴィヒ・ポルツァー自身が覚書を書き、有力な60人の人物に送った※12。彼は、「人は、世界大戦から何も学んでいない」と指摘した。その考えは、確かに国家ではなく大陸で行われ、同じく伝わったテンプレートにしたがって機能する。人は超国家的なメカニズムを目指す。しかし、経済や「精神領域」に直接関与する国家権力は、国家権力以上に生命を奪う。その結果、生活の困難さは計り知れないほど増大し、人々は独裁者を求めるようになる。しかし、命令する権力は、決して生産的ではない。ポルツァーはナチスの独裁を予見し、中欧アメリカとアジアの大規模な対立の戦場となることを予見していた。1914年のドイツ政府のように、再び「無価値」になろうとしている現在のドイツ政府の無思慮な行動を考慮するならば、ポルツァーがヨーロッパに迫っていると見た恐ろしい危機が、その真の姿に気づかないまま、今日も迫っていることを恐れざるを得ない。

 ポルツァーは、生産的なアイデアは、決して命令する力から生まれるのではなく、解放された精神生活からしか生まれないと書いた。しかし、もしそれが国家や経済に干渉されるなら、人間は十分に成長することができず、技術的進歩に対抗して内面的な発展を遂げることもできないだろう。自由でない者は、この進歩を利用することができる代わりに、その下僕に沈むことになるのだ。彼は、不自由なまま、荒々しい暴力で人生の意味を問う若者たちに、満足な答えを与えることもできないだろう。

 経済は個々の国家の主権から切り離されなければならない。決して階層的な構造であってはならない。そのためには、自由な協定と経済のさまざまな部門間の理解、そして売却できない生産手段に基づく資金調達が必要である。

そして、国家は純粋に政治的、警察的、軍事的な仕事に限定すべきである。

 

第二次世界大戦

 周知のように、これらのアイデアは採用されなかった。ヴェルサイユ平和条約は、ドイツ人にとって不当なものであると認識されていたが、むしろ国家社会主義者(ナチス)の手にかかるとプロパガンダの武器となり、その台頭を加速させた。また、アントニー・サットンは、褐色党[ナチス]が欧米からかなりの資金援助を受けていたことを明らかにしている※13。ひどい狂信者でユダヤ人嫌いのヒトラーを、反ユダヤの狂信者ではまったくないが、自分たちの計画にヒトラーを利用しようとする人たちが支えていたのだ。いわゆる総統は、実際には、自分の憎悪に操られた者であり、「秘密のエリート」の「役に立つ馬鹿」であった。

 「ヨーロッパの解放者」と無批判に称えられたチャーチルは、ヒトラーとは両義的な関係を持っていた。「人は、ヒトラーの体制は嫌いでも、その愛国的な業績は賞賛できる。もし我が国が一度敗れたとしても、同じように不屈の闘志を持ち、勇気を奮い立たせ、国の中で正当な位置を占めるように導いてくれる人が現れることを期待する。」と、彼は1947年9月17日の『イブニング・スタンダード』紙に書いている※14。しかし、他のどの政治家よりも、チャーチルも戦時中および戦後に民主主義と自由の偉大な擁護者として行動し、そのために賞賛されている。

 しかし、それは、チャーチルがロンドンで行った演説の次の一節が示すように、すべてフレーズだった。「もちろん我々は、ヨーロッパ合衆国が国際関係の問題の最終的かつ完全な目標であるかのように装ってはいない。権威ある全権的な世界秩序の構築は、我々が目指すべき最終目標である。効果的な超政府が速やかに樹立されない限り、平和と人類の進歩の見通しは暗く、疑わしいままである。しかし、間違いはないはずだ。ヨーロッパが統一されなければ、世界政府の確実な見通しは立たない。むしろ、ヨーロッパの統一は、この理想に向けた必然的な第一歩なのだ第一次大戦後、国際連盟アメリカの力を借りずに、弱小の断片化したヨーロッパに国際秩序を築こうとした。この失敗は、大きな代償を払うことになった。第二次世界大戦後の今日、ヨーロッパは以前にも増して弱体化し、混迷を深めている。平和の殿堂の4本の柱のうち、1本は粉々に砕け散って目の前にある。私たちの願望を満たす寛大な上部構造を構築するために、それらをまとめ、再構築する必要があるのだ。もし今後5年の間に、平和に関して抗しがたい力と申し分ない権威を持つ世界組織を構築することができれば、すべての人が享受し共有する祝福は限りないものとなるだろう。ヨーロッパがその集団的個性を自覚し、人類の展開する運命を導く上で相応の役割を果たすことを決意する統一と安定ほど、この世界組織の構築に力強く役立つものはないだろう」。※15

 チャーチルはここで、「秘密のエリート」が求めてやってきており、今も目指していることを公然と述べている。人類は、抵抗できない、手のつけられない世界政府によって支配されることになる。少数の人が、世界中の人々の生活を支配することになるのだ。これは、遅くともフランス革命で克服された衝動を土台にしたプログラムである。これは、ルドルフ・シュタイナーの「三層化」の考え方に沿って考えられた社会組織の中で展開される時にその創造性が期待される人間の自由という考え方に対抗するプログラムである

 多くのドイツ人がヒトラーに流されることを許し、ヒトラーの恐ろしい侵略戦争強制収容所において、無数のドイツ人が個人的に罪を負わされた。しかし、今日、非常に多くのドイツ人が、恐ろしい出来事にまったく関与していないにもかかわらず、ドイツ人であることに罪悪感や恥ずかしさを感じているのは、一方では不条理であり、他方では「秘密のエリート」によって意図されていることなのである。大きな功績を残したセバスチャン・ハフナーは、このドイツ人のことを「ジキル・ハイドのような性格」と語っている。善良な面と犯罪者の面を持ち合わせているからである。ハフナーは、それによって「秘密のエリート」の活動を無視ており、良いことだけでなく悪いこともする素因を持つのが一般的な人間の現象であることを考慮に入れていない。ルドルフ・シュタイナーは、すべての人間はあらゆる犯罪を犯す素質さえ持っており、通常犯罪が実行されないのは、当人がその素質を持っていないからではないと指摘している。

 

世界大戦後

 中欧は、ルドルフ・シュタイナーが考えるように、フランス革命で人間の深層から湧き上がった偉大な理想を実現するのに適した地域であるが、世界大戦後、文字通り荒廃してしまったのである。しかし、人間の自由を求める闘いは続き、今も続いている。権力を行使し、権力を強化するために、数え切れないほどの嘘が世に送り出された。ここでは、代表的なものをいくつか紹介する。

 捏造されたトンキン事件は、ベトナム爆撃を支持するようアメリカ国民を説得するために利用された。

 いわゆる「インキュベーター(保育器)の嘘」は、第一次湾岸戦争を可能にする感情を呼び起こし、イラク大量破壊兵器保有しているという嘘は、第二次湾岸戦争を促進する感情を呼び起こした。世界貿易センタービルの3本(!)のタワーが倒壊したという嘘は、その後の戦争を、それに参加した国の国民が必要と考えるに至った。いわゆるコロナのパンデミックの行方を決定づけた計画と嘘は、全世界の人々の個人の自由に対する直接的な攻撃であり、ウクライナにおけるロシアの戦火を一方的に描いたことは、民族間の理解に対する攻撃である。

 平易な言葉で語られることは非常に稀である。ジョージ・フリードマン(!)(訳注)は、西側勢力圏が長期計画で何を重視しているかを率直に語っている。「前世紀を通じて、つまり第一次、第二次、冷戦を通じて、米国の最大の関心はドイツとロシアの関係だった。この2国が一体となれば、我々を脅かす唯一の国になるから、そうならないようにすることが必要だ」※16。

(訳注)1949年、ハンガリー生まれ。ルイジアナ州立大学地政学研究センター所長などを経て、1996年に世界的インテリジェンス企業ストラトフォーを創設、チェアマンを務める。 同社は、政治、経済、安全保障にかかわる独自の情報を、アメリカほか各国の政府機関、世界中の一流企業に提供し、「影のCIA」の異名をもつ。 著書に『100年予測』『続・100年予測』など。

 

 フリードマンが言う「アメリカの利益」とは、もちろんアメリカ国民の利益ではなく、アメリカの政策をほとんど中断することなく決定し、権威ある世界政府を目指している権力者たちの利益のことである。

 それらは、人間に永続的に属している偉大な理想と対立するものである。

 

             ディーター・アッカーマン博士(Dr. Dieter Ackermann)

 

《注》

1 ヤコブ・ルヒティ『第一次世界大戦の勃発』ペルセウス出版社、第2版。

2 キャロル・クイグリー『カタストロフィと希望』ペルセウス出版、第5版、2013年。

3 アンソニー・サットン『ウォール街ヒトラーの台頭』ペルセウス出版、第7版。

4 グイド・G・プレパラータ『誰がヒトラーを強力にしたのか』ペルセウス出版、第3版。

5 クリストファー・クラーク『夢遊病者たち:ヨーロッパはいかにして第一次世界大戦に移行したか』オレル・フュスリー出版社。

6 ジェリー・ドハティ&ジョム・マクレガー『隠された歴史』(コップ出版)。

7 トーマス・マイヤー「欺瞞と世界政治」『ヨーロッパ』18巻2/3号(2013/1/14)。

8 ウィルベルト・ランブレヒツ『1917年の覚書』イタ・ウェグマン研究所2017年。

9 op. S. 80.

10 Arthur Graf Polzer-Hoditz, Kaiser Karl, Aus der Geheimmappe seines Kabinettchefs. アマルティア出版社 1929年

11 op. S. 535

12 トーマス・マイヤー『ルードヴィヒ・ポルツァー=ホーディッツ-アイン・ユーロペア』ペルセウス出版、第2版、p.687ff。

13 アンソニー・サットン『ウォールストリートとヒトラーの台頭』ペルセウス出版。

14 https://winstonchurchill.org/publications/finest-hour/finest-hour-156/ did-churchill-ever-admire-hitler/

15 1945年5月14日、ロンドンのアルバート・ホールで行われたチャーチルの演説の一節。

16 https://de.wikipedia.org/wiki/George_Friedman

【後半に続く】

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 現代の多くの軍事的衝突、侵略は嘘から始まっている。意図的に作り出されたものなのである。しかし、そうした真実は公には語られない。民主主義を、自由を守るためという美名に隠れているのである。
 アメリカが、そのようにしていかに多くの国々を破壊してきたことか。今、ウクライナを侵略し破壊し、人命を奪っているとロシアを批判する者がいる。しかし、彼らは、こうしたアメリカの行い(その被害の程度で言えば、ロシアの何十、何百倍かわからない)を批判してきただろうか?
 また、そもそも今のウクライナにしても、もとはアメリカやNATOがその原因を造り出したものである。ドンパス地方へのウクライナ政府による攻撃や、NATOによるロシア包囲の強化等である。
 嘘は、影のブラザーフッドが得意とし、よく利用するものである。

メディア界による「霊的なものに対するワクチン」②


 ①では、霊界(エーテル界)の認識から人類、特に若者をそらすために、歪んだエーテル界のイメージを注入する「ワクチン」がメディアを通して行なわれているとして、いくつかの海外のファンタジー文学が分析された。

 トールキンら初期のファンタジー文学にも問題がないわけでは無いが、彼らは敬虔なキリスト教徒でもあり、その様な視点からの物語であったのに対して、現代的ファンタジー文学においては、霊界が暗黒界として描かれ、マイナスのイメージが支配しているようである。またその背後には、作者に、こうした物語のインスピレーションを与える存在がいることも示唆された。

 さて、今回は、その続きであるが、前半とは異なり、多少肯定的な評価がなされる作品もあり、その中では、日本のメディアについても触れられている。以下、その部分の抄訳を掲載する。

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物質界に直接接する霊的世界

 シュタイナーが物質界に直接接する霊的世界と呼んだのは、エーテル界である。彼がこのような表現を使ったのは、この世界が我々のすぐ近くにあるからである。この世界で、19世紀の40年代以来、ミカエルと闇の霊達の戦いが起きて、その結果、闇の霊達は、その世界から物質世界、我々の地上的意識に転落したのである

「物質世界に、直接、別の超感覚的世界が隣接している。この超物質的世界が、この時代ほど強力に働きを及ぼす時代はなかった。ただ人はそれに気づいていないのである。人の魂の周りで、恐ろしい状態となっていても。」

 シュタイナーは、闇の霊達の転落に関する更なる秘密を語っている。それを知っている西のオカルティストたちは、それを知っていることが大事であることを明かそうとはしないのだ。その際、彼は、エーテル界に、過去の人々がその存在を経験したことがないエレメンタル霊が存在していることに注意を促した。彼は、これを、誕生と死のエレメンタル霊と呼んだ。エレメンタル霊は、誕生と死を生み出すためにおり、神々は、誕生と死を生み出すために、生に対して敵対的で破壊的な性質のこれらの存在を用いなければならなかった

「これまで秘儀に参入した者は、この誕生と死のエレメンタル存在について広く人々に語ってはならないことを自分の厳格な使命と考えたのである。」

 シュタイナーは、現在のエレメンタル霊について更に語っている。神々は、全発展期間中にある特定の時点に至ると、以前は人間の支配から除いていたある力を、人間の支配下に譲り渡さなければならない。それは、アトランティス時代にも行なわれた。アトランティス時代の中頃に、成長力を、成長力に結びつくエレメンタル存在を人間に引き渡したのである。しかし、人間はそれをきちんと扱わず、誤用したので、結局アトランティスは沈んだのである、

 後アトランティス時代にもそれは行なわれたが、それは、誕生と死のエレメンタル力である。それによってのみ、自然科学と技術の成果、近代の技術的発見が成し遂げられたのだ。全ての技術的発見、特に電気は、エレメント的力が神々から人間に移行したことの表れである。

「文明は前進しなければならない。我々の時代と未来の文明は、次のようになる。誕生と死のエレメンタル霊は、ある時点までは、人間の生成消滅においてのみ、神々の指揮の下に働いていた。エレメンタル霊は、それをもって誕生と死において働いていたその力により、技術、工業そして商業などで働いている。・・・アトランティスと同様に、今、商業的、工業的、技術的文明として開始されているものには、第5文明期の崩壊に導くものが含まれている。我々は、カタストロフィを引き起こすに違いないものに働きかけ始めているのである。

 それは回避できるのだろうか。シュタイナーは、この発展には、回避できない鉄の必然性が問題になっていることを指摘している。全ての発展形態は、上昇の期間だけでなく、下降の期間があり、それにより新しい発展プロセスが始まるのである。この法則は、7の通じに反映している。上昇の3つの期間、中心期間、そして下降の3つの期間があるのだ。

 西の民族の秘儀参入者には、境域(訳注)に、一面的な体験が現われる。

(訳注)「境域」とは、物質世界と霊界の間の境のことで、通常の意識ではこれを超えることはできない。そこには、監視をする霊的存在がいる。しかし、シュタイナーによれば、霊的進化により、今、人類は無意識のうちにこれを超える体験をしているという。

 

「境域を超えると、人は、以前見たことのないアーリマン的デーモン、死、病気、破壊等のデーモンをお供にする。それは、人を、超感覚的認識へと目覚めさせ、それが、人を霊界に至らせるのである。」

 しかしこの存在は、メディア制作者、著者、映画制作者等として活動する者にとって、全く意識されず、その作品に紛れ込んでいるのだ。

 以降において、更なるジャンルに向かうが、そこでは、「超自然」ではなく、人間自身により作られた技術の破壊的力として、「下自然」が現われている。

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 物質世界の中に人の肉体があるように、エーテル界の中に人のエーテル体がある。霊界もいくつかの領域に分かれているのだが、その中で、エーテル界は、最も下位の、ということは最も物質世界に近い霊界である。

 そして今、人類は、このエーテル界を認識する新しい霊的認識能力を獲得しつつあるのである。

 一方、人は、自我意識の発展のために物質世界に受肉する必要があったのだが、本来霊的存在である人が物質世界に受肉する(誕生と死を経験する)ためには、誕生と死のエレメンタル霊の働きが必要であったと言うことらしい。そして、近代以降、この霊の働きにより、商業的、工業的、技術的文明が発展してきたということであろう。

 その霊は、下自然(物質以下の世界)を志向しており、無意識の中で人間にその様な影響を与えているのである。

 これらをふまえて、次は、メディアの別のジャンルについて語られる。

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サイエンス・フィクション-霊的構成物の現代の形態

 20世紀の80年代から、サイエンス・フィクションサイバーパンクと呼ばれるジャンルが発展してきたサイエンス・フィクション自体は、19世紀の半ばから、主にアングロサクソン空間で発展してきた。

 60年代のフィリップ・K.ディックに始まり、その後継者には、ウィリアム・ギブスンやタッド・ウィリアムズ(「アザーランド」)らがいる。4つの「アザーランド」小説では、重度の昏睡状態にあり、インターネットの深層に捕えられている子ども達を、大人達が探しに行くというものである。その前提になるのは、ほぼ全ての感覚がインターネットと完全に融合しているインターフェースである。

  20世紀の終わりに、同じような設定の映画「マトリックス」が書かれた。ここでも、人類は、ネットワークの支配下にある。服従しない人間達が、下自然と闘っているのである

 ここでも、下自然に対し超自然を対峙させることには成功していない。

 超自然を対峙しない、下自然との関わりを扱うもう1つのジャンルは、ディストピア小説である。

 ジェームズ・キャメロンが、最初の映画ターミネーターの着想を得たのも夢であった。

 ここで何が描かれているのだろうか。主役の女性(ジョン・コーナーの母)の行為は、別の時間にあり、天使の時間意識を前提にしている。天使の体の最下層の要素は、エーテル界であり、天使にとって、人が体験するように、物事は時間的に順番に生起するのではない。従って、天使は、人の全生涯の出来事を一度に見る。映画のシリーズでは、主人公達は、ターミネーターの知らせにより、自分たちの未来の運命を知る。ここに、対応する鏡像が現われている。エーテルの霊的現実では、人間の上に立つ天使は、運命の流れの眺望をもっているが、ここでは、スカイネット-その名はエーテルを示唆している-の組織のために働く、人の下に位置する機械、サイボーグが、それをもっているのである。霊界への境域で、霊的な力が純粋に破壊的なものとして体験される。これは、西のオカルティズムの同じシグナルである。

 ここでも、転落した闇の霊達の模像がある。しかし、本来のエーテル界は決して見られない。

 同じような模像は、「スーパーナチュラル」でも見いだせる。

 霊的唯物主義は、霊界を真似る。歪んだ形で霊界を示して、霊的視野にベールを掛けるのである。これに「ワクチン」が成立する。誤った霊性が接種されることにより、全ての霊性への拒絶が生み出されるのである。

 霊的唯物主義の歪んだ像に対しては、本来の正しい像を問わなければならない。

 

エーテルの真のイメージ?

 エーテル界の真のイメージを示す例を見てみよう。

 アヴァターの成功の理由は何だろうか。そのストーリーも脚本構成も特にオリジナルであると言うことはない。監督のキャメロンは、いくつかの素材から構成したのである。彼は、彼の頭の中のイメージを映画化するためにコンピューター技術を一緒に発展させてきた。それた彼のオリジナリティである。

 しかし、技術面がこの映画の成功の理由ではない。アヴァターは、現在の世界的な様々な危機的状況を反映しているのだ。自然破壊、軍産複合体により破壊、利益優先の経済状況等々 我々の惑星が存続を続けるためには、それらを止めなければならない。ここにも、トールキン以来の、エコロジー的メッセージが見いだされる。

 キャメロンは、ターミネーターからの転換をアヴァターで見せている。ファンタジー的世界、惑星パンドラに、そう遠くない未来の軍事-工業複合体を対峙させているからであるパンドラでは、知恵の木、人間の堕罪に対し、生命の木、天国的生命界が対峙している。ノアの洪水以前の原初的人間、植物、動物世界が、軍事-工業的拡張主義と対決しているのである

 惑星の住人ナヴィがエイワと呼ぶより高次の実在が存在する。ナヴィの霊的な生命力、ナヴィを導く力であり、全生命を貫いている。全生命は、それによりつながっており、それは、共通の結節点、魂の木に流れている。ここで人は、初めて一種の超自然に出会う。この生命の木は、今日のインターネットの肯定的な対極像のように見える。この木に、ナヴィ達は、ログインできる。生物界の全ての記憶、体験が流れ込んでいる。一種の集合的記憶エーテル的心象、アカシック・クロニックである。外的物質に浸透する霊的生命原理への洞察は、事実上、エーテル界の正しいイメージと呼ぶことができる。

 キャメロンは、ターミネーターの下自然から、一種の超自然に転換したのである。

 しかし、後味の悪さもある。破壊都市の悲惨な戦いで終わるからである。

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 ここでは、キャメロン以外の作品も語られているが、それらは省略した。スカイネットが支配する未来像は、おぞましいものであるが、シュタイナーは、蜘蛛のような半機械の生物が地球を覆っている未来世界について語っており、これを思い出させる。

 これに対して、アヴァターで出てくるネットワークは、生命の木であり、生物全体を根底で支えているエーテル界を思わせるものである。

 次は、いよいよ日本のメディアが登場する。

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宮崎駿と日本アニメの世界

 エーテル界の真のイメージの2つの例を更に指摘しよう。それは、アメリカではなく、日本に由来する。そこでは長年、アニメやマンガの世界で、今日のポピュラー文化におけるエーテルの感覚的イメージが見いだされる。宮崎駿の、もののけ姫千と千尋の神隠し、天空の城、ナウシカのような作品、また久保帯人のブリーチのマンガシリーズ等を通して、日本を見ると、ここでは、よりリアルなものとそうでないものがあるが、エーテル界への関係が、特に芸術的観点でも、存在しているようである。ここでは、キャメロンの映画以上に、「すべての霊的なものに対するワクチン」という意味で、対抗イメージの感じはしない。むしろ、これらの映画に長く取り組むほど、エーテル領域への繊細な感受性の感覚が生じる。ここで出会うのは、破壊的な力、地上に緊縛された死者だけではない。マンガとアニメのアジア的世界に、エーテル界、そしてまた死者の世界の脅威への心配が生きており、従って、破壊ではなく、超自然との関係の破壊ではなく、それを守り育むことが重要なのである。

 中国のタオイズムとも似た、日本の神道信仰に由来する自然と死者へのこの尊敬的態度は、宮崎の作品で、人間の技術の破壊的力と対決している。今では、人間の手に移行した、エーテル界に関する中で既に部分的に触れた破壊的なエレメント的力に対して、ここでは、友好的な、自然との平和的な交流の意味で働く存在が対峙しいている。それにより、人間は、超自然に近づくと、破壊的な力とのみ関わることとなるアメリカの映画とは異なり、良い霊と悪い霊と関わるようである。

 宮崎駿においては、70年代、80年代の初期の映画で既にエーテル世界と向き合っていた、彼の全作品で、これが表現されている。宮崎は、1941年1月5日に、東京で、航空機部品製造事業家の次男として生まれた。彼は、1963年に東映スタジオに入る前に、4年間、政治学と経済学を学んだ。80年代初めに、彼は、それまでで最大の作品、ナウシカの制作を開始した。この作品のヒロインがナウシカというのは偶然ではない。なぜなら、ホメロスがオデッセイで描いたパイアケス国の王女(ナウシカ)は、このギリシアの神話では、オデッセイの記憶力がそこで再生、強化されるエーテル界のイメージとなっているからである。1984年に完成したこの映画で、宮崎駿の原モチーフが既に現われている。即ち、空気、軽さのエレメント、飛翔、脅威にさらされた自然、自然のエーテル力を維持するための格闘とその破壊に対する戦い、死者への尊敬をもった交流である。ナウシカの成功により世界的名声を得た彼は、スタジオ・ジブリを設立して、そこで、彼は、以降、自分の作品を制作していく。それにより彼は、日本を代表するアニメ作家となったのである。もののけ姫を制作した後、彼は、若い才能に席を譲るために、監督の引退を表明した。しかしその後、復帰し、千と千尋の神隠し等の作品を制作していった。

 宮崎映画は、なにより、アメリカのプロダクションの影響を受けることなく、歪みや、意味のない暴力、他人の不幸を喜ぶような傾向を持つことなく制作されたことで、際立っている。宮崎は、オリジナリティーをもって自分が創作した物語を、子どもの視点で、ユニークな仕方で伝えることを理解している。彼は、その際、しばしばヨーロッパの文明空間からそのモチーフを得ている。ナウシカは、ホメロスのオデッセイ、天空の城の雲に浮かぶ島、ラピュタガリバー旅行記ハウルの動く城は中世のメルヘン、ポニョはアンデルセンの人魚姫によっている。

 宮崎においては、自身のイメージ言語により、実際にエーテル世界に接近することが可能となっているのだ。彼が、最も印象的にこの軽さ、エーテル的なものの世界を描いているのは、1986年のジブリ作品、天空の城ラピュタである。この作品では、二人の主人公が空の上のラピュタに昇っていく。それは、雲の中に浮かぶ島であり、その城は、生命の秘密を隠している。その一人、シータは、浮遊する力を持つ宝石をもっている。この映画で描かれているのは、重さのない、つまり地上世界ではなく超自然の世界である。

 従って、宮崎駿の映画にはほとんど、対抗する2つの前線が現われているのがわかる。外界の背後にあるより高次の自然を知っている、シータとパズーのような人々と、人間の破壊的物質的世界を代表する、政府のエージェントのムスカのような人々である。

 シータ達が天空の城に行き、そこで見たのは、平和な自然の風景であった。ここにも、宮崎の超自然の理解が現われている。そこには、破壊を行なう人間はおらず、むしろ、自然の力に似た、動植物たちを世話するロボットがいるのである。シータ達は、ムスカに捕まるが、彼に打ち勝ち、ラピュタを離れる。巨大な木により爆発を免れたラピュタの上部の平和な町は、天空へとどんどん昇っていく。

 破壊的力、技術の下自然への入り口が、人間達に与えられたが、彼らは同時に、超自然を知覚することもできた。それは、ラピュタの二人の子孫、ムスカとシータにより代表されている。しかし、人々は、破壊的力を、軍隊のように、自己の利益のために乱用したので、城は、人間が到達できる天空に留まることができず、消え去ったのである。

もののけ姫」では、自然の霊的な力がまだ完全に消えていない中世の光景が描かれている。イノシシの形をした自然霊を殺したアシタカは、自分に掛けられた呪いを解こうとする。彼は、自然を破壊する人間達と、鹿の形をした神が支配する森の霊や動物たちとの戦いに巻き込まれる。この生命の支配者に、若いオオカミ少女もののけ姫が仕えている。人間の自然に対する破壊的な支配と、治癒的であるが悪いもののようにも見える自然の力の戦いが、ここでも、宮崎駿の主モチーフを表わしている。

 千と千尋で、宮崎駿は、アニメにより、より高次の別の世界の雰囲気を創造している。

 ブリーチでは、尸魂界(ソウル・ソサエティ)という死者の世界が描かれている。・・・

 ここで特徴的なのは、死後の生が発展の道とみられていることである。それは、時間が経過した後、生あるものの世界への再受肉へと導く。神秘儀参入者達は、尸魂界、死者の世界に入っていけるが、その世界は、外側のルコン区域と中心のセイレイテンの2つの区域に分かれている。・・・

 特別なのは、作者の久保帯人が、この世とあの世の関係と相互依存をかなり正確にイメージして描いている事である。この実際に霊的にインスパイアーされたマンガ世界が、日本で大きな成功を収めていることは興味深い。

 これらのイメージは、未来にとってどのような意味を持っているのだろうか。これらのメディアの内容は、世界的に、大部分の若い世代にとって、一種の理想像の役割を持っている。超感覚的なものについてのよりリアルなイメージは、若い人達が、真剣に霊界に取り組むことになるのだろうか。

ミカエルの使命は、それにより思考の影が再び生命を得ることになる力を、人のエーテル体にもたらすことである。すると、命をもった思考に、超感覚的世界の魂や霊達が近づいてくるようになる。解放された人間は、かつてそうであったように、それらと共に生きることができるようになる。人間は、それらの働きの地上における模像にすぎない。」

 超感覚的世界の魂や霊達は、少なくとも、日本のアニメ映画で、人間達に近づいてきている。しかし、その人間達がそれに対して行なっているのは、自分のエーテル体を活性化することではない。自分の肉体を鍛えることである。剣術等で。闇の霊達が住むようになった領域、つまり感覚界に結びついた思考を変様する必然性は、インスピレーションを得た東洋のメディア世界でも、明白になっていない。身体的格闘術は、おそらく霊的修練の予備段階と見なされうるだろう。アニメやマンガで優勢なイメージは、これに対して、自立した思考を麻痺させるように働く。特有のイメージ豊かな表象は、最初に発展すべきものではないからである。その限り、このメディア自身は、霊界の真の学問の代用品、即ち、子どもと若者の場合には、人間に適した霊的教育法とは決してなり得ない。

 

霊学とミカエルの使命を巡る戦い

 ミカエルは、アーリマンによって意識を混濁させられ、エーテル界にただ闇を広げようとしている天使達からエーテル界を開放しようとしている。ミカエルは、1879年の彼の統治の初めから、人間の思考により到達可能な霊的世界、物質界に直接接した世界を体験させることを望んでいる。そのため、彼は、闇の霊達を地上に、即ち人間の物質的意識に転落させたのである。そこで、それらは、医学的人間学の歴史に見られるような働きをしたのである。

「この天使存在達は、地上に転落し、滴下により、ここで災いを引き起こそうとしている。ここで、この知識を誤った方向に導き、それから善い力を奪い、それを悪しきルートに導こうと、即ち、向こう側で、霊達の援助により獲得することができなかったものを、1879年以来転落したので、ここで人間の助けにより、達成しようとしているのである。彼らは、正しい成熟期に、群衆統治の知識、誕生・病気・死等々の知識を人間の間に広げることの内に存する善き世界計画を破壊しようとしている。」

 しかし、ミカエルの働きはパラドックスである。彼は、よりによってなぜ闇の霊達を人間の物質的意識に転落させたのだろう。その転落には、別の結果が存在する。それによって初めて、思考を通して形成される霊学が発展したのである。思考は、霊的なものに迫るには、物質において言わば、疲れるまで働かなければならないのだ。

人は、唯物主義への転落をただ目にし、そしてそれを悲しむことができるだけである。しかし、この時代に観察することができるのは、物質世界に限られたが、魂の内面では、人間の、純化された、自己自身の内に存立する霊性が、体験として発展したのである。この霊性は、今、ミカエルの時代には、もはや無意識のままに留まることはできない。自己の特性を意識しなければならないのである。

 1879年以前には、霊界への参入は、思考の道によっては可能でなかった。人が、霊界に入ろうとすると、意識は、完全に覚醒したままではいられなかった。シュタイナーは、この霊学の先駆者を薔薇十字会と呼んでいる。しかし、彼らは、自分たちの知識を広める際に、霊学を用いることはできなかった。従って、彼らは、公に現われることもできず、知られることなく、選ばれた個人的な弟子にのみ関わったのである。公開するには、普遍的に思考が用いることのできる学問が必要だからである。その代わり、彼らは、「薔薇十字の図」と呼ばれる一種の図版の教科書を持っていた。シュタイナーによれば、

「正しく没頭すれば、人は、この図を通して、窓のように、霊界をのぞき見ることができる。彼らは、それらの図で感情的に体験できるものを、彼らが図の意味や解釈を与える以上に、記述した。そしてしばしば、この図で、その人物の体験のそのような言葉が語られるのを聞くと、思考によっては正しく理解することができなかった。彼らが与えるのは思考ではないからである。しかしそれは、重要な作用を後に残したのである。・・・自分の内に生きているが、概念化できない認識を得たという感情が生まれたのである

 それは、14世紀から18世紀終わりまでの人間性において、感情によって、神的なものを広範囲に告げて広めた仕方の1つなのである。この時代には、多くが、人々の間で思考を使わずに、やりとりされたのである。」

 1879年から、ようやく霊学は可能になったのだ。それ以前は、感情でのみ把握されていたので秘密にされていた超感覚的世界の知識を公にすることが可能になったのである。先入観のない思考により把握されることが可能になったのである。

 しかし、闇の霊達は、この道を妨害しようとしている。

「しかし、この天使的存在達が地上に転落し、この知識を誤った方向に導こうと、それから善の力を奪おうとしている。」

 そして、超感覚的な知識を誤った方向に導く主要な手段の1つが、これまで述べた、メディアなのである。メディアはまた、まだ若くて完成していない思考により、可能な限り早い時期に、霊界の認識を妨害するために、特に若者に向けられている。

その際に特徴的なのは、西洋のインスピレーションを受けたメディアでは、闇の霊達の霊的リアリティの反対像が描写されていることである。そこでは、物質界に直ぐに接する霊界は、闇の霊達で溢れており、逆に、ミカエルとの戦いが消え失せ、エーテル界での戦いでこの霊達が勝利を得たかのような印象が常に与えられることである。

 今日のように、多数のこうしたメディアの内容が現われる以前、著者は、個人的には、霊界に接近する素朴な試み、つまり曖昧さや異質さが問題だという印象を持っていたが、今日においては、その創造物を意識することなく、全ての霊性に対するワクチンという意味で、霊的リアリティを暗黒のものにする目的にのみ役立つ、霊的リアリティの正確な対抗イメージがここでは問題であると確信している。

 このメディアの内容は、従来のものを越えている。それは、表象力を感覚世界に固定するのだ。しかしさらに、霊的なものへの対抗イメージを拡散することにより、それに対するワクチンとなるのである。それは、闇の霊が支配する下自然のイメージである。

 このようなワクチンの攻撃を意識することが、今日の若者の教育において大変重要である。

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 ナイダー氏が日本のアニメに触れているのは驚きである。宮崎作品などは、やはり海外でも有名なようである。また作品が知られているだけでなく、その内容についてきちんと分析がされ、一定の好評価がなされている。
 宮崎作品には、シュタイナーの語るエーテル界と通底するものがあるようである。
 実は、シュタイナーは、日本から発する唯物主義的インパルスは強いと言うようなことも語っている。現代の日本文化には確かにその様な傾向は否めないだろう。しかし、一方で、人智学派から評価される一面もあるようだ。全ての現象に善と悪が混在しているのだ。あるいは、唯物主義的傾向を世界に発する日本にも、それゆえに、真の霊界に向かうインパルスが、霊的存在により与えられているのかもしれない。

 さて、今回は、シュタイナーの語る「霊的なものに対するワクチン」として若者のメディアが語られたのだが、コロナ・ワクチンにもそのような影響を指摘する声がある。ワクチンにも、実際にはいろいろあるのかもしれない。
 本来なら、人類は、今後、物質世界の認識に、霊的な認識を加えていかなければならない。そのために、エーテル界(そしてそこでのキリストの再臨)を認識する能力が自然に備わっていく時代が来ているのだ。
 これは、闇の霊達にとっては大きな脅威である。これを必死で妨害しようとしているのである。現代世界の様々な危機を、このような視点で見ることも必要だろう。
 危機の多くは、確かに人間が造り出したものだ。戦争の原因はまさに人間にある。病気の多くも実は、人間由来であると言える(有害な物質による汚染等)。二酸化炭素とは別に、気候変動、災害の増加すら、シュタイナーによれば、人間の唯物化の結果なのである。
 一方で、それらに人類を導く存在もいる。危機を造り出す人間の背後に霊的存在がいるのである。こうした真実を先ず知ることが必要なのだ。

メディア界による「霊的なものに対するワクチン」①

トールキン

 「ソロヴィヨフのアンチキリスト予言と現在の世界情勢」で、予言と現在の世界情勢の関連に関するインゴ・ホッペIngo Hoppe氏の論稿を紹介した。現象として現われている実際の出来事は確かに異なっているが、その背後の本質は、ソロヴィヨフが予言物語で語っているものと同じであることが示された。

 世界政府に向かおうという流れは、その外的な側面であり、内的な側面としては、「世界観」の変化があるという。それは、唯物主義的世界観が「崩壊」したことに起因するが、それに代わって登場してきた「霊的世界観」は、実際には偽物であり、真の霊界を歪めたものとなっていると批判された。

 今回は、この霊的世界観を巡る、別の論稿を紹介する。

 著者は、このブログでその著作の一部を取り上げたことのあるアンドレアス・ナイダー氏であり、これまでの論稿と同じく『超自然と下自然の間の人間』の中に掲載されている。

 

メディア界による「全ての霊的なものに対するワクチン接種」

 ナイダー氏は、シュタイナーの考えから見た現代の情勢について、エーテルへの覚醒を巡って戦いが起きているとして、次のようにまとめている。

 

-19世紀の半ば以来、我々は、闇の霊達の転落の結果、一層危険をはらんだ形を取った強力な唯物主義に関わっている。

-我々は、しかし、この転落により、シュタイナーの霊学の形で、霊界の真の認識が到来してきている状況をも見ている。

-唯物主義は、先ず2つの仕方で作用している。1つは「民族優生学」にまで至る唯物主義的医学的人類学として、1つは、心霊主義の形の霊的唯物主義である。

-カリ・ユガの終焉以来、エーテル体は、物質体の硬い境界から解放され、それによりエーテル体の新しい霊的知覚能力が生じている。

-しかし、以前の輪廻から、エーテル体に死んだ書き込みが含まれており、それは、意識的に把握されないと、ルチファーとアーリマンの攻撃ポイントになる可能性がある。

-20世紀の初めから、同時に、無意識的な霊界への境域通過により、そもそも無意識的な霊界体験が強まっている。

エーテル体験への意識的な覚醒と、唯物主義に押しとどめようとすることの間のこの戦いの場で、現在、特に、真の霊界認識を妨げようとしている西のオカルト的権力指向が勝っている。その霊として、今日の若者のメディア世界に目を向けることができる。

 

 「闇の霊達の転落」とは、1879年にミカエルとアーリマン的な天使存在(ドラゴン)の戦いが天界で行なわれ、ミカエルによって打ち負かされたアーリマン的な天使存在が地上-この場合は人間の意識-に転落させられたということである。

 この結果、世界の唯物主義的傾向が強まったのだが、他方で、シュタイナーの霊学、即ち人智学が地上に誕生することができたという。また、人間には、エーテルへの覚醒、つまり超感覚的認識が生じており、これによりキリストのエーテル界への再臨を体験することができるようになるのだが、闇の霊達はこれを阻止しようとしている。これの地上における先兵となっているのが西側のオカルト結社であり、今、エーテル界を巡る戦いが行なわれているのである。

 

 ナイダー氏は、ここで、人類をエーテル界を含む霊界から目をそらさせようとする試みがこれまで行なわれてきたとして、シュタイナーの予言した「全ての霊的なものに対するワクチン」について語る。

 このワクチンは、現在のコロナ危機により導入されたワクチンではないかという指摘もあり、このブログでも既に取り上げているが、ナイダー氏のここでの解釈は少し異なる。

 「シュタイナーは、闇の霊達の影響は、特に、子ども-青年に有効となるだろうとみていた。

 『闇の霊達にとって重要なのは、地上において広がり、その中で、光の霊達が自分たちの正しい方向に働き続けることのできるものを混乱させ、誤った方向にもたらすことである。・・・闇の霊達は、魂から、そのできるだけ若い内に、肉体を通して、霊性への傾向を追い出すワクチンを発見するように、彼らに食料を与える者、つまり彼らがそこに住むこととなる人間達にインスピレーションを与えるだろう。』

 ワクチンとは何か。体に、それが拒むべき胚芽が接種されるのである。それによって、体は、この胚芽に抵抗するようになるのだ。故に、人を、霊性に対し抵抗するようにしたいなら、人間に、霊的なものをただ萌芽的に、つまりは病気的な形で接種しなければならない。すると、人はそれを拒み、霊的なものをその真の形では認識できなくなるのである。」

 闇の霊達は、子どもや若者達をターゲットとしており、主にメディアによってそれを行なっているという。ただ、偽りの霊性が故に、霊界の真の認識を求めることになりうるので、若者のメディア全般を否定するものではないとする。重要なのは、メディアでの偽りの霊性と霊的唯物主義への傾向を見抜くことである。

 ナイダー氏は、以上のことをふまえて、20世紀以降の、青少年を対象とする小説や映画等のメディアの隠れた側面を述べていく。

 以下、その部分の抄訳を記載する。

 

20世紀の終わり以来の増大する青年へのメディア世界の影響

 世紀の変わり目に、子どもと青年の世界は完全に変化した。この頃から、新しい神話の特別な形式と呼べる内容が洪水となって押し寄せたのである。それらは、古い神話やメルヘンのように、我々を、別の現実、見かけ上の超感覚的世界と、そして多くの場合、エーテル界と接触させるものであるからである。

 例えば、ルイス・キャロル不思議の国のアリス、ピーター・パンは、これらがもっとファンタジックであった19世紀や20世紀初めとは異なっていると考えることができる。この領域は、子どもと若者の文学だけでなく、そのメディア一般を支配している。

 一方に、トールキンの指輪の王[指輪物語]を筆頭とする古典的ファンタジー小説があり、彼に追随して、オンラインゲームに至る、いわゆる「ハイ・ファンタジー」の無数の模倣者がいる。これに加えて、90年代と2000年以降には、魔術的イメージや儀式を用いる現代の平行世界を舞台とするハリー・ポッターが加わった。既に1995年に現われた「黄金のコンパス」も同様のものである。至る所で、神話的、魔術的力と存在が出現している。ハリー・ポッターによって、新しい神話が世界中に広まるという新しい次元が現実になった。

 その結果として、21世紀の最初の10年の間に、ファンタジーの世界に新たな要素が加わった。ステファニー メイヤーのBisシリーズを筆頭とする、ヴァンパイアとゾンビ小説などの空想小説、都市ファンタジーである。そこに、悪魔ハンターや堕天使の小説が加わってきている。

 しかし、死者や境界現象を扱う小説も常にでている。

 

ファンタジー-ドラゴンとの戦いあるいは単なる逃避?

 これらの文学は、少数の例外を除いて、イギリスとアメリカに由来することが特徴的である他方で、これら全ての小説は、エーテル界とも呼びうる、別の、超感覚的世界に関係しているが、その世界は、たいてい非常に薄暗く、不気味である。その場合、死者の世界も出てくるが、それは不気味で破壊的である。それにより、西のオカルティズムに由来するとして既に述べたようなモチーフが浮かび上がる。

 ファンタジーの父であるトールキン(1892-1973)に目を向けると、彼には、このジャンルの原モチーフも見られる。彼は、第1次世界大戦に従軍し多くの友を失った。その戦争は、恐ろしい破壊をもたらす物質的な戦いであった。彼は、人が、自分をただの物質と見なすと、破壊的な結果に陥ると言うことを、明確に見たのである。そこで彼は、釣り合いを取るものとして、上昇を可能とするものを、彼が「新しい神話」とよぶものを求めたのである。

 彼は、元々、言語学者、神話学者であった。彼は、ゲルマンとアングロサクソンの言語に取り組み、エッダと古アイスランドのサーガ等の古い文献をよく知っていた。彼は、その様な神話は、英語を話す民族には存在しないと考えた。そこで、自分の民族に、言わば自分たちの霊的根源を再びもたらそうと、新しい神話を贈ったのである。それは、最初、人間の前に地上で生きた、人間の始祖を扱った。

 彼は、創世神話の形にしていたが、子ども達に頼まれ、小さな民族、ホビットを創作したのである。

 これにより、我々は、ファンタジー文学の本質的要素、つまり逃避的傾向に至る。このホビット世界には、彼が、破壊的であるとみたもの、つまり技術は何も存在しない。「指輪の王」は次のように始まる。

 「ホビット族は、目立たないが、非常に古い民族である。以前は、今日より豊かであった。・・・土地が豊かで、彼らは、道具を使うのはうまかったが、鍛冶のフイゴ・・など、複雑な機械はわからなかった。」

 トールキンには、超自然と下自然の2つのモチーフがある。超自然は、エルフによって、下自然は、サウロン、指輪の王によって代表されている。

 サウロンには、強力な同士、サルマンがいる。その名付け方に、アーリマンとの類似を見ることができる。トールキンは、神話学者として、ペルシアの闇の力の名を知っていたのである。(訳注:アーリマンはゾロアスター教の悪の神の名でもある)

 指輪の吸引力は、唯物主義の力を表わしており、闇の霊達が及ぼす働きの直接的な表現となっている。その吸引力は、非常に強く、最後に、ホビットのフラドは、それを捨てるのを躊躇するようになる。しかし、小さな奇跡によりそれは捨てられる。こうして、中つ国は、闇の力から救われるのである。

 シュタイナーは、教育学コースで、第1次世界後の状況について、若者達が、ドラゴンを避けるようになったと語っている。

 「20世紀初めに多くの者達が、心の中で経験しているのは、心情的・本能的に、ドラゴンを目の前にしているが、ミカエルを見ることができないといことである。故に、彼らは、できるだけドラゴンから離れようとするのだ。」

彼らは、もはやドラゴンについて知ろうとしない。彼らは、ドラゴンの領域から出ていきたいので、年を取ることから逃げているのだ。これは、若者の運動の一側面である。彼らは、ドラゴンに勝つ見込みを持てないのだ。

 この若者に、当時のトールキンと彼の共闘者も属していた。指輪の王の関係するサークルがあり、ナルニア王国のCSルイスもそれに属していた。彼らはみな敬虔なクリスチャンであり、無神論者ではなく、自分の作品を宗教的確信から発表していた。

 「信仰上の啓示を、人間の認識の流入から厳しく守ろうとする人々においては、人間は、その様な道において、アーリマンの影響に入り込む可能性があるという、無意識の恐怖がある。」

 アーリマンとの格闘は、結局、信仰のために避けられる。霊的認識(その様な道)によって、人間は、アーリマンの手に陥る可能性があるので、人は、人々をそれから守るのである。しかし、アーリマンとの格闘は、霊的認識の道によってのみ行なわれるのである。

 ある場面で、トールキンのファンタジーの後退的傾向は明瞭になっている。・・・

 トールキンにより道を付けられたファンタジー文学は、結局、逃避の運動を示している。人は、そこではまだ霊的認識なしで、心の力のみでドラゴンと戦うことができた工業化前の世界に戻ることにより、霊的認識力の把握によりドラゴンとの戦いを避けるのである。

「古代において人は、ドラゴンを取り出すことにまだ関わっていたが、必要な量の死の力を一緒に得ることができたので、ドラゴンを屈服させることがまだできた。当時、人は、その体験に、心の力で克服することができるだけの知性的なものを付与していた。今日、ドラゴンは、強烈に客観化しており、外から我々にやってきて、魂の存在としての我々をむさぼり食うのだ。・・・15から19世紀に人間は、ドラゴンに対して無力となった。物資的世界への信仰に次第に陥った時代である。」

 トールキンは、外的に客観化したドラゴンを感じた。彼は、闇の霊の転落を予感したのである。しかし、彼は、新しい神話では、ドラゴンと戦う適切な武器を見いだすことができず、古い手段に頼ったのである。

闇の霊達は、指輪の王で、シュタイナーが、西のオカルティズムの現象形態として語った形で、つまり地上につなぎ止められた死者達として現われている。指輪の幽鬼達(訳注:サウロンに仕える邪悪なるしもべ)は、前世で、指輪、物質主義の誘惑に引き込まれたことにより、死んでもそれから自由になることができず、指輪の王、サウロンに使われているのである。

 「人間の魂は、純粋に霊的存在であり、肉体に対して完全に自立していることを知っており、しかし、人間に唯物主義的心情を育みたい秘儀参入者は、何を望むだろうか。彼らは、できるだけ多くの魂が、生きている間に、ただ物質的な概念だけを受け入れるようにしたいのである。それによりこの魂は、地上世界に留まるよう準備されるのだ。このことをよく知り、あの関係をよく認識している友好関係が築かれると、この関係は、この人間の魂が、死後に物質界に留まるようにするのである。この友好関係は、多くの場合悪意ある権力の中にあるが、この魂が、死後、この兄弟団の勢力圏内に来るようにすると、この兄弟団には、とてつもない力が生まれるのである。」

 トールキンの描く死者の参入の仕方は、西のオカルティズムの目的についての、シュタイナーの記述に性格に一致している。彼は、唯物主義への転落の背後で何が働いているかを無意識に知っていたが、それに対抗する手段を知らなかった。

 

 ハリー・ポッターにおいても、西のオカルティズムの形態に密接に付属する悪の出現形態が見られる。それにより、霊的なものはすべて、驚異的、破壊的な形で現われる。そしてそれは、地上につながれ、破壊的な作用を及ぼす死者の世界から生まれるのである。しかし、ハリー・ポッターの魔法使い達の周りの混乱は、闇の霊達の転落による悪、結果と古い手段により戦うことができるという、ルチファー的幻想を呼び起こす。

 今日の若者も、当然、ドラゴンの実在を感じている。しかし、ファンタジー文学で目覚める希望は、過去の手段によりドラゴンと戦えるということなのだ。

その場合、エーテル体への死んだ書き込みも呼び出される。ルチファーは、体験の古い段階に人間を留めようとするものだからである。彼は、意識的な体験で、認識を前提とするエーテルへの現代の覚醒を妨げようとしている。ドラゴンからの逃避は、アーリマンを避けるが、ルチファーに導くのである。

 「原初の存在に留まること、根源的で素朴な、人間を支配している神的善を保持し、自由が完全に用いられることから退こうとすることは、全てが人の自由の発展に向かっている現在のこの世界にいる人間を、しかし、現在の世界を否定しようとするルチファーへと導く。」

 確かに、指輪の王の最後に、指輪を破壊するという大きな使命は果たされるが、「善き神々」、エルフ達は、人間から去って行くのである。それにより、ドラゴンとの戦いも終わる。全叙事詩は、従って、後ろを向いた性格を常にもっているのだ。

 

映画とファンタジーロールプレイングゲームサウロンの自己主張

 トールキンの創作したジャンルの後退的なイメージ、ファンタジーは、20世紀の終わりに、拡大の新たな頂点に達っした。

 90年代の終わりに、ピーター・ジャクソンの映画化が現われた。パラドックス的であるが、コンピューターの世界へと広がったのである。

 トールキンは、本でも私生活でも、テクノロジーに批判的であったからである。最初は、テープレコダーにも拒否反応を見せたくらいである。

 更に一歩進めたのは、ウオクラフトの世界のオンラインゲームである。指輪の王を手本にして、世界中でインターネットの中で、若者がゲームをしている。彼らは、ルチファー的なドラゴンとの戦いに没頭しているのである。また同時に、アーリマン的技術によって画面に釘付けになっているのだ。トールキン的に言えば、サウロンの指輪に占有されているのである。新しい神話によってドラゴンとの戦いに勝利するというトールキンの希望は、今やここにおいて、すっかりとその幻想的性格を示している。

 

ロマンチック及び都市ファンタジー-霊界はベールで覆われる

 子どもや若者の文学等に現われているものは、19世紀の心霊主義の霊的唯物主義の現代版である。

 ステファニー・メイヤーは、J.Kローリングの後に世界的に成功した作家である。彼女は、モルモン教徒の両親に生まれ、30歳の時に一組の恋人の夢を見た。ベラとバンパイアのエドワードである。その物語は最も成功したバンパイア・サーガとなり、新しいジャンル、ロマンティック・ファンタジーを生み出した。

 バンパイアとは、19世紀にドラキュラ伯爵の形で世に出てきた。それは、バルカンの民族的サーガであり、その小説の作者ブラム・ストーカー(1847-1912)が発表する以前は、全く知られていなかった。バンパイアは、死者だが、不死であり、地上的なものから自由になっておらず、人の血を求める。ゆえに、それは、シュタイナーの語る、闇の霊達の転落後に、唯物主義により唯物主義的観念に貫かれた死者達の似姿である。彼らは、死後、物質界に留まり、闇の霊達のとりこになり、破壊的な働きをする者達である。彼らは、霊的な認識を欠いて、地上に縛り付けられたのだが、地上的愛が、死後の生において変化することによっても、その緊縛は強められる。

 「しかし人は、物質的存在と生きることにより、地上界で感覚的考え方により得たものへの愛の力を霊界に持って行く。その愛は、既に、物質界で、その物質界を理解することにより発展したものにより既に燃え上がっているのである。現代の自然科学によるその世界観的体験は、心情として受け入れられると、それに対する愛を発展させるのである。愛は、それが広がる場所に応じて、高貴なものにも低次なものにもなるものである。人が死の門を通り、地上界に破壊の中心として留まり続けなければならないなら、多くの愛をも育んだのである。留まらなければならないということは、純粋に自然的な概念に結合した結果であるから。しかし、この愛を破壊的な行いに用いており、その行いを愛しているのである。自分自身で、破壊的な行いを愛していると見なすように定められているのである。」

 バンパイアにおいては、彼らは、愛しているが、その愛は破壊的に作用するのだ彼らは、言わば、唯物主義的心情の死者である。それまでその様な小説を考えたこともなかった若い小説家は、どこからこの夢を得たのだろうか。ローリングと同じように、彼女は、自分の知らない存在に憑依された犠牲者なのである。(訳注)

(訳注)ハリー・ポッターの著者のローリングは、列車に乗っているときに、突然そのもの語りの着想を得たという。つまりインスピレーションを得たのである。バンパイア物語の『トワイライト』の作者ステファニー・メイヤーは、その着想を夢で得たという。つまり二人とも、何者かからインスピレーションを受けたのであろう。

 

 シュタイナーは、今日、闇の霊達の転落以来、人は、思われている以上に夢により霊界からインスピレーションを受けていることを示した。この人間が、霊的なものに明瞭な認識を持っていないと、内面では唯物主義的であると、闇の霊達の道具になるのである。

 第2のジャンルは、都市ファンタジーである。それは、より荒涼としており、暴力的で、リアリスティックである。ここでは、バンパイアと人狼だけでなく、デーモンとして闇の霊的存在が現われる。そこでこの小説には、デーモン・ハンターが出てくる。ここには、明瞭に、闇の霊達の似姿を相手にしている。この小説では、物質界に直接接する世界(訳注:本来それはエーテル界である)は、実際上こちらでもあちらでも境界が存在せず、脅威をもたらす、不安にさせる仕方で現われており、出版社のその宣伝では、「超自然的なものがドアをたたくとき、あなたは、開けるだろうか?」と問うメッセージが使われている。

 人は、この小説によって、闇の霊達はまだ物質界に接するエーテル界で生きており、ミカエルにより堕とされていないと言う印象を持つ。しかしそれにより、エーテル界から、本来の霊界の真実と相容れない、闇の印象が生まれる。それによって、超感覚的なものの誤ったイメージが作られ、これによって、若者は、霊的なものへのワクチンを接種されるのである。

 このジャンルで成功しているのは、カッサンドラ・クレア[「シャドウハンター」シリーズ]である。

 このような小説では、物質主義的なものの克服やより高次の認識が、超自然に対峙する下自然を認識するために、必要とされず、そもそも霊的次元は問題とされていない。脅威をもたらす超自然的なものを排斥し、それから自由になることが重要なのである。

 19世紀の心霊主義の直接の子どもである、死者を知覚する能力持つ少女の物語がある。ケリー・アームストロング等である。この小説では、誰も、人の霊的本性を実際に把握することはできない。それが、著者達の気づいていない、この全てのたくらみの背後にある意図である。

 西のオカルティズムとカトリック教会が、輪廻の思想を覆い隠そうとしていることについて、シュタイナーは、語っている。

 「ある指導の下にあり、輪廻転生の教えが真理として人々の間に現われるのを望まなかった人々がいる。それを望まないなら、その教えを隠し、秘密にしなければならない。そのために、人々は、死と誕生の間の生の真の観察からそらされ、この秘密なしに、誕生と死の間の生を受け入れ、そのようにこの地上生を継続している存在がそこにいるかのように、霊媒から説明を受けるようになるのである。

 この分野で起きる全てのことには、多くの計算がある。その様なことを企てるオカルティストは、左の道に属するとき、当然ながら、ある秘密から人々を切り離すためにすべきことを知っているのである。」

 左道の西のオカルティストと高教会(訳注:主にイギリス国教会の伝統派)の近くにいるオカルティスト達は、19世紀の心霊主義霊媒術をとおして、この糸のもとに共に働いていた。そして、死と新しい誕生の間の生に覆いを掛けることにより、輪廻転生の考えを抑圧したのである。心霊主義について、シュタイナーは、語っている。

 「全く唯物主義的な性向は、しかし、唯物主義を信じないのではなく、唯物主義の中で、霊的世界観を求めるために、ルチファー的なものをその世界観の中に持つと言うことはあり得る。19世紀の人間の典型は、頭は完全に唯物主義的性質であるが、心は霊的なものを憧憬していた。このような場合、そうした人間は、物質の中に霊的なものを求めるのである。そして、霊的なもの自身に物質的形態を与えるのである。

 その様な人の背後に全てを見通している人物がいるとすると、この人物は、その様な人を軽くあしらっているのである。この人物は、この人間を、他の人々が霊的なものを物質的に見るように仕向けるように準備することができ、うまく、人々を光の背後に導くことに成功するのだ。」(訳注)

(訳注)キリスト教は一般的に輪廻転生の教えを持っていない。シュタイナーによれば、それは、人類の発展の一時期に必要なことであった。しかし、霊界の認識においてそれは不可欠の思想であり、人類はそれを取り戻さなければならない。シュタイナーの本来の使命は、このことにあったと言われている。

 

 結局は唯物主義的性向の人間は、霊界についての明瞭な考えを持っていない。それにより、悪の実態について誤った観念を持つのである。ルチファーとアーリマンの2つの悪の形態を区別できず、混同するのだ。

 「両者を区別せず、ごっちゃにすると、アーリマンのイメージ、アーリマンの世界として人を欺くものを、ルチファーがアーリマンを助けるので、受け入れ、ある誤りを真実として甘受するよう切望するようになるのである。

 この驚くべき事実が、最高度に生じた。本来は、アーリマンの誘惑により、唯物主義の時代にのみ栄える誤りが、ルチファーが内側から助けることにより受け入れられることになったのである。アーリマンは、外的な現象の把握に紛れ込み、欺く。しかし人は、世界観におけるその様な唯物主義的考えを煽る様な切望を、人の内面でルチファーが覚醒させない場合には、その策略に陥ることはない。」

 唯物主義的世界観で働いているアーリマン的闇の霊達が、認識されないのは、ルチファーが、同様に知られることなく、この唯物主義に、エーテル体へのあの死んだ書き込みに由来する憧憬が、それにより一見満足させられる一種の偽りの霊性を紛れ込ませるからである。このようにして、霊的唯物主義に奉仕する本や映画などがどんどん現われており、それにより、霊的なものの真の性格を覆い隠しているのである。

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 エーテルを巡る闇の霊達の攻撃の道具としてのメディアに関わる話は更に続く。②では、日本のアニメについても触れられる。

9月24日に予定されている不吉な出来事とは?


 今「陰謀論界隈」で9月24日に何か起こるのではないかという話題が注目されている。例えば次のような記事。

 これに関連する海外記事を見つけたので紹介したい。

 著者は、マイケル・スナイダーMichael Snyder氏で、彼は、アマゾンの紹介記事によると、「全米の主要なラジオ番組やテレビ番組に頻繁に出演し、彼のウェブサイトは1億回以上閲覧されています。マイケルの記事は、他の数多くの主要なウェブサイトにも再掲載されており、その中には、地球上で最も大きなオルタナティブ・ニュースのウェブサイトも含まれています。マイケルと妻のメランダは、この国の方向性を深く憂慮し、アメリカに新風を吹き込むために懸命に働いている。」とある。その著作には、終末論的内容のものがあるようである。

 「9月24日」というのは、あるドイツ連邦議会の議員が、この日は、誰もが忘れられない日になると語ったことに始まるのだが、マイケル氏によれば、この日の近辺には、色々と宗教的な意味合いもあるらしいのだ。以下はその記事である。

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9月24日に予定されている不吉な出来事とは?

2022年9月11日 by マイケル

 2022年9月24日、彼らは一体何を計画しているのだろうか? 下記のように、ドイツのある議員は、9月24日は誰もが「自分がどこにいたかを正確に記憶する日」になると公然と警告している。 言うまでもなく、そんな日はそうそう訪れない。 当時生きていた人たちにとって、ジョン・F・ケネディの死はそのような日の一つであった。 9.11もその一つである。 しかし、私の頭には、他にあまり思い当たる節がない。 2005年のハリケーンカトリーナニューオーリンズを襲ったとき、私は何をしていたか覚えているし、今年の初めに起きたロシアのウクライナ侵攻は大きな転機となった。 それ以外では、このカテゴリーに入るような日はあまりない。

 

 だから、ドイツ連邦議会の議員の発言は奇妙に思える。

 

"誰もが2022年9月24日を忘れないだろうし、誰もが自分がどこにいたかを正確に知っているだろう"

 

 なぜ?

 なぜ彼は9月24日が歴史的な日になると信じているのだろうか?

その彼が話しているビデオを見ると、9月24日という言葉が出たとき、他のドイツ人議員の反応が聞こえてくる。彼は、明らかにすべきでないことを明らかにしたのだろうか?

 現時点ではわからない。

もしかしたら、9月24日には何も予定されていないのかもしれない。

もしかしたら、彼の演説の続きを聞けば、彼がまったくつまらないことに言及していることがわかるかもしれない。

 

 しかし、これが私の注意を引くのは、9月25日と9月26日は非常に重要な日になると思うからだ。

 今年のエルル29日は9月24日の日没に始まり、9月25日の日没まで続く。

 前回の記事で詳述したように、2001年のエルル29日には、それまでの米国史上最悪の株式市場の大暴落を経験した。

 その記録は、ちょうど7年後の2008年のエルル29日に破られるまで続いた。

 2015年のエルル 29日は日曜日に当たり、株式市場は日曜日は休みである。 だから、その時は記録が更新されることはなかった。しかし、その年の8月から9月にかけて、とてつもない金融の揺さぶりがあった。

2022年、エルル29日は再び日曜日に当たる。 だから、その日にも株価の暴落はないだろう。

 しかし、9月25日(日)の日没からロッシュ・ハシャナが始まるので、非常に注意深く見守ることになる。

 ユダヤ教の伝統によれば、7年間のシェミタのサイクルが終わり、その日の夕方、太陽が沈むと、新しいサイクルが始まる。

 もちろん、ユダヤ教の権威者がシェミタの周期を正しく計算しているかどうかは分からないし、聖書もシェミタの周期が何日に始まるかを完全に明らかにしているわけではない。だから、あまり独断的なことは言えない。

 とはいえ、ロッシュ・ハシャナが近づくにつれ、間違いなく多くの信者が「厳戒態勢」に入るだろう。ジェームズ・ベイリーが見た夢は、非常に驚くべきものだった...。

 

 8月24日の夢で、私は見知らぬ人と話していて、"9月25日、26日以降は何も同じものはない "と告げました。

 それで夢は終わりでした。とても短い夢でしたが、予言的な警告だったと思っています。その数日後、また短い夢を見たのですが、これは私にこのことを伝えるように指示していると思いますので、それを受けて、この記事の残りの部分は私の解釈である。

 

"何も同じものはないNothing will be the same "は、すべてが変わると言っているのと同じだ。制限が与えられていないので、この変化の大きさは、あらゆるもの、あらゆる場所、あらゆる人に影響を与える、非常に大きなものになると思うので、これが起こるかどうかは、見逃せないほど大きなものになるので、迷うことはないだろう。

 " 25日、26日後" は、終了日を明らかにせずに開始を明らかにしているので、この変化は無期限に続き、以前のように戻ることはないということだと思う。

 多くの人は、2日間というのは不思議に思うかもしれない。

 しかし、ロッシュ・ハシャナが9月25日の日没から9月26日の日没までということを理解すれば、完璧に納得がいくだろう。

 そして、ユダヤ教の伝統によれば、この24時間は新しいシェミタサイクルの最初の日なのだ。

 その日に何も起こらないということがあり得るというのは、ジェームズの意見に完全に同意する。

 ジェームズの言うように、この日がひとつの区切りで、それ以降は何も起こらないということもあり得る。

 いずれにせよ、これからの7年間は、人類史上最も混沌とした年になることは間違いない。

 もう一つ、この記事を終える前に触れておきたいことがある。

 今年の「秋」を迎える直前に、女王の「秋」(訳注:Fall 没落の意味もある)が起きていると指摘されているのである。

 そして、今年の「秋」には、西洋文明の「没落」が本格的に始まるのではないかと、多くの人が予想しているのだ。

 もしかしたら、これは単なる偶然で、人々はこのすべてに深読みしすぎているのかもしれない。

 その可能性は十分にあります。

 しかし、西側世界全体を代表する人物を一人だけ選ぶとしたら、それは彼女だったろう。そして、西側世界は確実に完全な崩壊の危機に瀕しているのだ。

 私たちは、ほとんどの人が想像すらしなかった破滅的な出来事が起こる時代に突入しているのだ。

 人類の歴史はすべて、壮大なクレッシェンド(漸増)に向けて積み重ねられてきたのだが、私たちはそのためにここにいることができるのだ。

 今月は特に重要な月になるのだろうか?

 聖書にある「定められた時」は、いつも私たちが集まり、主と会うための時である。そして、歴史上、神はその約束の時にしばしば大きなことをなさってきた。

 今年、神が何か大きなことをされるかどうかは分からないが、間違いなく、私たちは注目すべきなのだ。

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 この記事では、経済危機等による西欧の没落が示唆されているが、実は、今、西欧は、ロシアへの制裁のブーメランで経済破綻が目前に迫っていると指摘されている。このことからすれば、その日付は別にして、現実味を帯びた主張とは思える。

 なお、この西欧(この場合英米を除く)の没落は、アメリカによって意図的に進められたという主張もあるようだ。アメリカのシンクタンクにそのような戦略が実際にあるという指摘があるのだ。

 さて、マイケル氏は、この文章にも出てきた「シェミタサイクル」に関連した別の記事を書いているので、これを次に紹介しよう。

 シェミタというのは、ヘブライ暦で、7年周期の7年目である「安息年」を指すらしい。ヘブライ語の新年は今9月中に始まり、2021年9月から2022年9月はシュミータの年になっているという。旧約聖書によれば、7年ごとの終わりに、負債を帳消しにしなければならないのだという。
 従って、これから新しいシュミタサイクルがまた始まるのだが、マイケル氏によれば、その時に、「5頭の赤い雌牛がイスラエルに到着した」というのである。

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ユダヤ教の指導者たちが新しいシェミタサイクルの開始に備える中、5頭の赤い雌牛がイスラエルに到着したのは単なる偶然か?

9月18日、2022年 by マイケル

 大きな予言的な出来事が起こったばかりなのに、アメリカではほとんど誰もそのことを話していない。 近年、ボネ・イスラエルと呼ばれる西側クリスチャンのグループが、神殿研究所の関係者と協力して、完璧な赤い雌牛を探している。

神殿の生け贄を復活させるには赤い雌牛が必要だが、イスラエルでは2000年以上目撃されていない。このことは、終末の預言に直接関係することなので、これまでにも何度か書いてきた。長い間、完全な赤い雌牛の探索はうまくいっていないように思われたが、今その状況が一変した。 9月15日、アメリカから5頭の完璧な赤毛の未経産牛がベングリオン空港に降り立ったのである。 以下は、テンプル・インスティテュートの公式サイトからの引用である。

 

「2022年9月15日(木)午後5時、完璧で傷のない5頭の赤毛の未経産牛がアメリカからイスラエルに到着しました。ベングリオン空港の貨物ターミナルの荷揚げ場でささやかなセレモニーが行われ、新しい到着者を迎え、この歴史的・予言的な日を実現するために心血と手段を注いできた素晴らしい人々によるスピーチが行われたのです。」

 

 この出来事の預言的な重要性を言い表すのは難しいだろう。 民数記19:1-10に、赤い雌牛の灰が初めて使われたことが書かれている。

 

「主はモーセとアロンとに告げて言われた。

2 これは主が命じられた律法の定めである。『イスラエルの子らに告げよ、彼らはあなたに斑点のない、傷のない、くびきのない赤い雌牛をもってくるように。

3 そしてあなたがたはその雌牛を祭司エレアザルに渡して、陣地の外に連れ出させ、その面前で雌牛を殺さなければならない。

4 祭司エレアザルはその指でその血を取り、その血を会衆の幕屋の前に七度、直接振りかけなければならない。

5 また祭司はその目の前で雌牛を焼き、その皮、肉および血と、その糞とを焼かなければならない。

6 祭司は杉の木、ヒソップおよび緋を取り、これを雌牛の焼かれる中に投げ入れる。

 

7 それから祭司はその衣を洗い、その肉を水に浴び、そののち陣営に入るが、祭司は夕方まで汚れた者となる。

8 また雌牛を焼く者はその衣を水で洗い、その肉を水で浴びなければならない、そして夕方までは汚れた者とされる。

9 また清い人はその雌牛の灰を集めて、宿営の外の清い所に置き、イスラエルの子らの会衆のために、これを別れの水として保管しなければならない。

10 また雌牛の灰を集める者はその衣を洗って、夕方まで汚れた者とされる。

 

 赤い雌牛の預言的な意味と、それが私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの十字架上の死とどのように結びついているかについてもっと知りたい方は、ジム・ステイリーによるこの素晴らしい教えを読んでほしい。

 

 「昔から、エルサレムで神殿のいけにえを再開する前に、赤い雌牛の灰が必要であると言われてきた。

 そして、いくつかのユダヤ人の情報源は、この赤い雌牛がある限り、新しい神殿が建設される前でも古代の慣習が再開される可能性があるとさえ言っている...

 正教会のラビや指導者によると、これらの雌牛は、第3神殿が再建される前であっても、エルサレムユダヤ教神殿の多くの慣習を復活させるために使用することができるそうである。」

 

 新しい神殿が建設されている間に、幕屋を設置することは可能なのだろうか?

それは確かに考えるべきことである。

 いずれにせよ、艱難時代の半ばに反キリストが介入して、犠牲をやめさせる時の舞台が整いつつあるのだ。

 つい最近まで、受け入れられる赤い雌牛を見つけることが難しかったのは、その条件が非常に厳しいからだ。

 まず、赤い雌牛は傷のないものでなければならない。

 しかし、ここ欧米では、子牛が生まれたときに耳にタグを付けるので、そのタグが傷になってしまうのだ。

 幸いなことに、テキサス州のある牧場主はこの条件を知っていて、赤毛の未経産牛が生まれたときに、子牛の耳にタグを付けなかったそうだ。

 また、ユダヤ教の伝統では、赤くない毛が2本以上生えていると、その子牛は失格になるとされている。

 100%赤い子牛が生まれたとしても、成長するにつれて黒や白の毛が生えてくることがある。

 それが問題なのだ。

 雌牛の可否を判断するために、ラビは文字通り虫眼鏡で隅々まで調べる。

 他にも条件はあるが、特に挙げたいものがある。

 イスラエルに納められた赤毛の未経産牛は、いずれも生後5カ月から8カ月である。しかし、ユダヤ教の伝統では、2歳1日齢でないと赤毛の儀式に使えない。

 だから、その年齢に達するまで、イスラエルで育てられることになる。そしてそれは、時計の針が進んでいることも意味している。

 この5頭の未経産牛は、2024年のある時期に重要な年齢に達するので、その時に使わないと全く使えなくなるのだ。

 つまり、2024年にイスラエルで2000年以上ぶりに赤毛の雌牛の儀式が実際に行われる可能性が非常に高いということだ。

 そして、この赤い雌牛が、ちょうどユダヤ教の指導者たちが新しいシェミタサイクルの始まりの準備をしているときにイスラエルに到着したことは、非常に興味深いことだと思われる。

 ユダヤ教の伝統によれば、9月25日の日没から7年間の新しいシェミタサイクルが始まる。その瞬間、文字通りイスラエルの国全体が閉鎖され、ロッシュ・ハシャナが始まる。

 エルサレムでの生け贄の儀式が再開されるのは、このシェミタサイクルのときだろうか。

そうであるなら、反キリストが生け贄の儀式に終止符を打つシェミタサイクルになるのだろうか?

 また、契約の箱の発見が発表されるのを待っていることにも注目すべきである。これは私の最新の著書でも取り上げたことですが、聖書の大きな祭りの前後に発表される可能性があると思われる。

 聖櫃はエルサレムの地下でずっと静かに待機しており、ユダヤ当局がその発見を発表すれば、聖櫃を納める幕屋か神殿の必要性が大きく加速されることになる。

 一方、神殿の山では緊張が高まり続けており、イスラエル当局は次の休暇中にさらなる暴力が起こるだろうと予測している...。

 イスラエル国安全保障会議の安全保障担当幹部は24日、近年エルサレムでの足場を強化しているテロ組織ハマスが、神殿の山で大規模な紛争を引き起こそうとしており、これがエスカレートする可能性があると指摘した。

 NSCの責任者であるEyal Hulata氏は、ヘルツリーヤにある国際テロ対策研究所(ICT)での会議で、「ハマスや他の(テログループ)により、(緊張)激化させ、(神殿の山にある)アルアクサモスクが危険であるという物語を作り、エルサレムを爆発の起爆装置にしようと常に努力しています」と述べた。

 Hulata氏の警告は、イスラエルの情報当局がラピド首相に、来るユダヤ教の祝日を前にテロ警戒レベルを最高レベルに引き上げるよう勧告したことを受けたものだ。

 私たちはこのような「興味深い」時代に生きており、これからさらに「興味深い」時代になる予感がする。

 私は、今年の聖書の祭りの間、間違いなく最大の警戒をすることになるだろう。私たち全員がイスラエルを非常に注意深く見ているべきだと思う。

 そして、多くの予言が次々と成就していくことだろう。

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 私たちは、今、黙示録の時代に生きているのだろうか? ヨハネの語るそれであれば、勿論、答えは、否である。シュタイナーによれば、それは、遠い未来の出来事であるからである。しかし、シュタイナーは、それに準じたことが、それ以前にも起きると示唆している。黙示録的なことは起こりうるのである。
 それが人類の進化を巡る善と悪(この場合、神の計画に基づいた進化を進めるのが善、それに抗うのが悪)の戦いであるなら、常にこの世界はその戦場であり、まして、キリストのエーテル界での再臨が始まっており、アーリマンが地上に受肉しようとしている時代なのだから、平穏に過ごせるはずはないのかもしれない。

 若かりし頃、ノストラダムスの世界滅亡の預言に驚き、真剣に心配したものの、何事もなく過ぎ(預言の別の解釈はこのブログで紹介している)、ほっとしたのを覚えているが、今になり、まさかこのように世界が混乱するとは夢にも思わなかった。
 様々な情勢を見るとき、今、世界を暗雲が覆っているのは間違いないだろう。果たしてそれは起きるのだろうか?
 コロナやウクライナの異常な姿を見るなら、それは実際に起きていると言うほかない。既に多くの人間が命を失っているのだ。
 これを可能にしているのは、人間の正常な意識、判断力が失われているからである。その背後には、闇の霊が働いていると思わざるを得ないのである。

第3次世界大変の到来か?

  

  21日のウクライナへの一部兵員動員に関するプーチンの国民向け演説で世界が揺れている。西側及び日本のマスコミ、専門家は、ウクライナの攻勢を受けてやむなくプーチンが決断した、ロシアでは反戦が盛り上がってきており、プーチンの足下が揺らいでいるなどと宣伝しているが、これらの主張は、実態には即していないようだ。ウクライナの攻勢は、実際は宣伝されているほどではないのである。
 ロシア派の地域はロシアへの帰属を巡る住民投票を予定しており、それを含めて今後の事態に対応したものであろう。
 ロシアへの編入が決まれば、その地域はロシア国内となり、ウクライナNATOのこの地域に対する攻撃は、ロシアへの攻撃となり、状況は全く変わってくるという。
 その意味では、確かにロシアは西側に追い込まれたのだが、それは、あくまでもロシアの弱体化を進めるため、ウクライナのロシアとの和平交渉を許さず、ウクライナに物的人的支援を行い、戦闘を継続させてきた英米の狙いのせいである。ウクライナは独自で戦える戦力・兵員をもはやもっておらず、今の実態は、文字通りロシアとNATOの戦争となっているのである。
 今回のロシアの決断は、これに対応するものであるが、これは大変危険な道である。ウクライナ侵攻は、名実ともにロシア対ウクライナNATO英米)との全面戦争になりかねないのだ。そして、ロシアは、自国の国民・領土への攻撃が成されれば、核兵器の使用も選択肢とするという方針を持っており(西側も核の脅しをしているようだが)、実際に、プーチンはそれを述べて、「脅しではない」と語っているのである。

 つまり、今回の事態は第3次世界大変へと拡大する恐れがあり、その場合、核の使用もあり得ないわけではないのである。まさに「ハルマゲドン」となるかもしれないのだ。
 このような状況の中で、ロシアのアレクサンドル・ドゥーギン氏が、これに関連する発言を行なっているようである。今回紹介するのは、それに触れた記事である。"THe Falling Darkness"と言うサイトの記事である。プーチンの演説の前日の20日にアップされたようで、ドゥーギン氏自身の発言はまたその前の時期のものであろう。
 このサイトの実態は実はよくわからないのだが、おそらくアメリカのもののようである。またいわゆる「陰謀論系」かもしれない。最初ツイッターでドゥーギン氏の発言を知り、ネットで検索して見つけたものである。著者の素性もよくわからないが、文章を見ると、アメリカのネットという事もあり、ドゥーギン氏を全面的に支持しているわけではないが、ドゥーギン氏の発言に真理の一端を見ているようである。また、ドゥーギン氏が、ロシアの高官に一定の影響力を持っていると考えているようである。

 ドゥーギン氏は、ウクライナとの戦争は、実際には、欧米世界との戦いであるとみている。だから、これに勝利するために、ロシアは国の総力を挙げてたたかう必要があると主張するのである。
 また、この戦いには、宗教的・精神的側面があり、宗派を超えて、伝統的な宗教的道徳的価値を否定する者との戦いであるという。またその敵は、いわゆる「グレート・リセット」を推進する者達につながると考えているようである。それはまた、「アンチキリスト」的勢力であるとも言うのだ。
 これまでこのブログでは、ロシアへの攻撃の背景として、西側に、アンチキリスト的な影の影のブラザーフッドが存在し活動してきたことを取り上げてきた。ドゥーギン氏は、政治思想家・活動家とされるが、宗教及び神秘学の知識も深いようである。あるいは、「アンチキリスト」というのは、単なる喩えではなく、実体をもった存在を指しているのかもしれない。

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ドゥーギン:第3次世界大変が来る
ゲスト・ポスト:ロッド・ドレハー  September 20, 2022

 

 ウクライナの最近の戦場での勝利をきっかけに、アン・アップルバウムがバカげた勝利宣言をしたのを見たか?「ウクライナの勝利のために準備する時が来た」という見出しである。彼女はアトランティック誌に、部分的にこう書いている。

 

「しかし、戦闘はまだいろいろな展開を見せるかもしれないが、ここ数日の出来事は、ウクライナの同盟国に立ち止まって考えることを強いるはずだ。新しい現実が生まれたのだ。ウクライナ人はこの戦争に勝つことができる。私たち西側諸国は、ウクライナの勝利に対して本当に準備ができているのだろうか。勝利がもたらす他の変化を知っているのだろうか?」

 彼女は、プーチンの転落を空想している。

 

 一方、プーチンのお気に入りのロシア民族主義イデオローグ、アレクサンドル・ドゥーギンには、あまり嬉しくない言葉がある。ドゥーギンに同意する必要はない。彼の言うことのいくつかはヒステリックだが、権力を持つ多くのロシア人がそれを信じているという事実を真剣に受け止める必要がある。抜粋する。

 

  「私たちは第三次世界大戦の瀬戸際におり、西側諸国はそれを強引に推し進めようとしている。そして、これはもはや恐怖でも期待でもなく、事実なのだ。ロシアは、集団的な西側、NATOとその同盟国と戦争状態にある(ただし、すべてとではない。トルコとギリシャには独自の立場があり、フランスとイタリアを中心とする一部のヨーロッパ諸国は、ロシアとの戦争に積極的に参加することを望んでいない)。しかし、第三次世界大戦の脅威はますます近づいてきている。

 それが核兵器の使用に至るかどうかは未解決の問題である。しかし、核兵器によるハルマゲドンが起こる確率は、日に日に高まっている。西側諸国は、[ロシアが]旧ウクライナの領土から完全に撤退することにさえ満足せず、我々が自国の領土で終わり、「無条件降伏」(イェンス・ストルテンベルグ)、「非帝国化」(ベン・ホッジス)、ロシアの分割を主張するだろうことは明らかで、多くのアメリカ軍司令官(元欧州司令官のベン・ホッジスなど)も公然とそれを宣言している。

 1991年、西側はソ連の崩壊と我々のイデオロギー的降伏に満足していた。主に、西側の指導の下、西側の自由主義イデオロギー、政治体制、経済を受け入れることによってであった。今日、西側にとってのレッドラインは、ロシア連邦の国境内においても、主権国家ロシアが存在することなのである。(訳注:主権国家ロシア自体がなくなることを西側は望んでいるということ)

 ハリコフ地方でのAFUの反撃は、西側によるロシアへの直接攻撃である。この攻撃は、米国とNATOの軍事司令部によって組織され、準備され、装備され、彼らの直接の監督のもとに行われたことは、誰もが知っている。NATO軍の装備の使用だけでなく、西側の航空宇宙情報部、傭兵、教官が直接関与しているのである。西側諸国から見れば、これは「我々の終わり」の始まりである。ハリコフ地方の支配地域の防衛に弱点を作れば、さらに敗北する可能性がある。これはキエフ反攻の小さな成功ではなく、NATO軍の「Drang nach Osten」の最初の具体的な成功なのだ。」

 

 ウクライナ人を助けるNATOの役割について、ドゥーギンは間違っているのだろうか。もちろん、そうではない。ロシアのウクライナ侵攻に賛成する必要はない-私は賛成しないが! - ロシア人が、この紛争を西側諸国によるロシアへの代理戦争と見ている理由を認識するためだ。彼らは間違ってはいない

 ドゥーギンは、戦争のためにロシアの総動員を呼びかけている。プーチンは、動員を避けるために「特別軍事作戦」(SMO)のために戦争をそう呼んでいる。今、ドゥーギンは国全体を戦争態勢にしなければならないと言う

 彼は、ロシアの味方である世界の国々について語っている。ならず者のギャラリーだ。中国、イラン、キューバベネズエラなど、それらの国々のほとんどが、望ましい未来を提供してくれるという考えは、馬鹿げている。しかし、重要なのは、何が理に適っているかということではない。第三次世界大戦を回避するためには、ロシア人のように考えなければならないのだ

ドゥーギンは言う。

 

 「始まった世界的な対立の中心には、精神的、宗教的な側面がある。ロシアは、神と戦い、精神的・道徳的価値の根幹を覆す反宗教的な文明と戦争しているのだ。神、教会、家族、ジェンダー、人間。正教、伝統的なイスラム教、ユダヤ教ヒンズー教、仏教の違いはあっても、すべての宗教とその上に築かれた文化は、神の真実、人間の高い精神的・道徳的尊厳、伝統と制度(国家、家族、コミュニティ)を尊重していることを認めている。現代の西洋はこれらをすべて廃止し、仮想現実、極端な個人主義ジェンダーの破壊、普遍的な監視、全体主義の「廃絶文化」、ポスト真実の社会と置き換えている。

 ウクライナでは公然たる悪魔崇拝と明白な人種差別が栄え、西洋はそれを支援するだけである。

 私たちは、正教会の長老たちが『アンチキリストの文明』と呼ぶものを相手にしているのだ。したがって、ロシアの役割は、この決定的な戦いにおいて、さまざまな信仰を持つ信徒を団結させることである。

 世界の敵があなたの家を破壊し、あなたの夫や息子や娘を殺すのを待っていてはいけない。神は、私たちがそのような瞬間を見るために生きていることを禁じておられるのだ。

 ハリコフ地方での敵の攻勢は、まさに、我々に対する西側諸国の真の戦争の始まりである。

 西側諸国は、われわれに対する殲滅戦、すなわち第三次世界大戦を開始する意図を表明している。我々は、この攻撃を撃退するために、我々の最も深い国家の潜在力をすべて結集しなければならない。思想、軍事力、経済、文化、芸術、すべての国家機構とわれわれ一人ひとりの内部動員など、あらゆる手段を使って。」

 

 繰り返すが、プーチンのクレプトクラシー(抑制欠如政治)が聖性と良識の力を代表しているという考えは不合理である。ウクライナの「オープンな悪魔主義」は馬鹿げている(しかし、ワシントンのオープンな悪魔主義はそうではない-バイデンの猿痘の皇帝を見たか)。しかし、私はドゥーギンが今日の西洋の精神的な性質について、間違っているよりもずっと正しいと思う。特に。次の点で。

 

 「ロシアは、神と戦い、精神的・道徳的価値の根幹を覆す反宗教的文明と戦争状態にある。神、教会、家族、ジェンダー、人間。正教、伝統的なイスラム教、ユダヤ教ヒンズー教、仏教の違いはあっても、すべての宗教とその上に築かれた文化は、神の真実、人間の高い精神的・道徳的尊厳、伝統と制度(国家、家族、コミュニティ)を尊重することを認めている。現代の西洋は、これらをすべて廃し、仮想現実、極端な個人主義ジェンダーの破壊、普遍的な監視、全体主義の「廃絶文化」、ポスト真実の社会と置き換えているのである。」

 

 ロシアがこの敵に対してある種の聖戦を繰り広げているというドゥーギンの主張を受け入れる必要はない-私は断固としてそうしない-が、西洋がどうなったかというドゥギンの説明はほぼ的を得ていると信じることができる。なぜこのことが重要なのか。なぜなら、西洋に住む私たち全員が、自分たちが守っているものが何であるかを考える必要があるからです。私たちが世界で進めているのは、どのような価値観なのか。それは醜い絵であり、冒涜と破壊の絵である。これをはっきりと見たからといって、あなたがプーチン主義者になるわけではない。ただ、あなたが時代のサインを読むことができるということだ。『Live Not By Lies』の情報源の一人で、ソ連圏からアメリカに移民した科学者であり反共産主義者である彼は、昨日私にこう言った。

 

 「小さな発電所の変電所から政府の上層部まで、成功する候補者を選ぶ鍵は、経験や博識ではなく、イデオロギー的な忠誠心と適合性である。人事部や広報部の話ではない。肌の色や性的嗜好ではなく、知性と知識と倫理が最も重要な仕事、つまり医学、工学、教育などの仕事について話しているのである。

 信じられないかもしれないが、共産主義下で科学、工学、医学の職に就いた人々は、党への忠誠心ではなく、その能力によって選ばれたのである。政権に対するあからさまな背信行為も、しばしば見過ごされた。例えば、私が勉強できたのはそのためだ。共産党は、橋が立つこと、ビルが倒れないこと、ロケットが飛ぶこと、数が増えることを必要としていた。確かに彼らはちょっと邪悪だったかもしれない。でも、彼らのクールな合理性が懐かしい! 本当に。

 今とは全然違うんだよ。たとえ、ここにいる全員が嘘で生きることをやめたとしても、すべては崩壊するのだ。もうだめだ。」

 

 神様、私達を助けてください。

ソロヴィヨフのアンチキリスト予言と現在の世界情勢 ②

フリッチョフ・カプラ氏とその著作

 この項目の①では、インゴ・ホッペIngo Hoppe氏の著書『アンチキリストの短編物語』に基づき、ソロヴィヨフのアンチキリストの予言物語は、メルヘンや寓話的な表現であり、実際に起きるであろう出来事をそのまま描写したものではないので、その背後にある本質的なもの、インパルスを把握することが重要であること、そのような視点で、現在の世界情勢を眺めると、ソロヴィヨフが未来に起きるものとして見たものと現実世界には合致する点が多々あるということであった。

 ①で示されたのは、主に世界の政治的経済的支配の道具としての「世界政府」に関する出来事であったが、今回は、その続きで、ホッペ氏の著作から、内的側面、「“霊的”世界観」に関するホッペ氏の論稿を紹介する。

 

理論的唯物主義の崩壊

 ソロヴィヨフは、予言物語で、新たな生理学的及び心理学的発見により、理論的唯物主義が崩壊したとして、また次のように述べている。「踊る原子のシステムとしての宇宙と言う考えは、もはや思考力を持った人々を満足させなかった。人類は、哲学における子どもの段階を永遠に超えるに至った。」

 ホッペ氏によれば、この言明により、ソロヴィヨフは、20世紀の本質的な発展のモチーフを正しく予見したという。まだ多くの人は理解できていないが、このような理論的唯物主義の崩壊は現に起きているのである。「非有機的物質を対象に研究し、宇宙は単なる踊る原子のシステムであるとする、19世紀の強固な唯物主義を生み出した理論物理学の20世紀の代表者達は、その物質概念を文字通り破壊してしまったのである。」

 アインシュタインやハイゼルベルクのような抜きん出た物理学者によれば、今日多くの人間がなお、唯一の現実と考えているような物質は存在しない。「それは、我々の感覚の幻想である。従って、理論的唯物主義もまた幻想である。それがよって立つ対象は、現実の世界には存在しないからである」という。

 これには多少説明が必要である。ここに出てきた二人は、現代物理学の巨匠であるが、物理学のなかでも素粒子等を扱う「量子力学」に深く関わった科学者である。この量子力学で、ハイゼンベルグは、「不確定性原理」を提唱した。これは、「粒子の位置と運動量、エネルギーと時間などの一組の物理量について、その両者を同時に正確に測定し、決定することはできない」ことをいう。ニュートン以来の古典物理学においては、「最初の条件さえ決まれば、以後の物質の状態や運動はすべて確定される」と考えられているのに対し、現代物理学では、この考えが否定されたのである。つまり、古典物理学では、理論的には、例えば運動している物体の速度と方向がわかれば、その物体がいつどこにあるかを未来のどの時点までも予測できるはずである。だが、現代物理学では、そもそもそれは原理的に不可能であるとされたのだ。測定すること自体が、物体に影響を与えてしまうのである。

 これは、物質を構成する量子は確率的に存在するという、シュレーディンガー方程式(波動関数)から導かれる考えと関連している。そしてこれらから、量子の状態はそもそも不確定ないし確率的であり、それを観測することによって事象が収縮して結果が定まるという理論も生まれるのである。観察する主体は人間である。つまり客観的世界は、人間という主観的存在と不可分の関係にあるのである。

 このように、現代物理学の世界では、既に、従来の一般的な世界観は覆っているのだ。

 ホッペ氏は、続けて次のように述べる。

 「19世紀の唯物主義で残るものは、エネルギーの理論のみである-また『振動』『量』『共振』『フィールド』『無』『反物質』あるいは『マトリックス』も語られている。
 この『理論的唯物主義の崩壊』は20世紀の最も基本的な発展モチーフに属する。それにより、全く新しい世界観的原理が導入された。」

 これを公に広めた中心的人物として、ホッペ氏は、フリチョフ・カプラFritjof Capraの名前をあげる。

 ここで大変懐かしい名前が出てきた。フリッチョフ・カプラ氏とは「1939年2月1日生 オーストリア出身のアメリカの物理学者、システム理論家」で、「現代物理学と東洋思想との類似性を指摘した1975年に書いた『タオ自然学』("The Tao of Physics")が世界的ベストセラーとなった」(ウィキペディア)。彼は、人類の新しい霊性の時代を展望し、70、80年代に世界的に広がった「ニューエイジ運動」とも関係する、いわゆる「ニューサイエンス」の代表者の一人なのである。

 カプラ氏は、「現代物理学は、その科学的探究を通して、全ての時代の神秘家達が既に数千年以前から教えていた事柄と同じ成果に達した、という説を主張している。」この考え方は、「次第に、1975年以来ブームとなった『ニューエージ運動』の固有の強固な核となり、その運動は、今日では、『エソテリック(秘教)』の名で続いている。」

 ここに出てくる「ニューエージ運動」の後継の「エソテリックEsoterik」という運動についてはよくわからないのだが、以来、いわゆるスピリチュアル的なムーブメントは続いており、その中で、神秘主義と科学の融合的な取り組みも確かに存在していることは間違いない。

 ここで重要なのは、霊的なものに反対していた主要な力であった自然科学自身が、物質の存在を疑い、エネルギー概念により、擬似的ではあるが、霊的な見方に移行したことである。「エソテリック」の信条は、「すべてはエネルギーである」ということである、という。

 しかし、この運動の主流においては、魂的・霊的なものと物質を同一視する考えが支配的なようである。ここが問題で、それはこの後、詳しく述べられていく。

 

 ここでソロヴィヨフの予言に戻ると、アンチキリストが、唯物主義を否定する霊的な人物として現われるなら、従来の唯物主義に固まっている者が多い世界で、なぜ名声を得ることができるのだろうかという疑問が浮かぶ。それには、この唯物主義が先ず変化しなければならない。科学自身が、ある「霊的なもの」を認めているのだから、(見かけ上の)霊的理論に大衆を導く-それはアンチキリストのためでもある-精神的な雰囲気を作り出すことができるのである、という。

 おそらく、人類の多くの部分が、長い期間、この世界観の変化を経験しているようである。ホッペ氏によれば、2011年のオーストリアの研究では、全青少年層の80%が、霊的なものに興味を持っているというのである。しかし、自分は宗教的(既製の宗教に関して)であるとしたのは、5~7%しかいなかったのである。アメリカでも同様であるようで、このようなことは、アンチキリストが望む「新しい世界宗教」のための絶好の前提条件だという。これは、キリスト教、仏教などの既製の世界宗教が廃れていくと言うことでもある。

 

 確かに、20世紀に従来の唯物主義は崩壊したのだが、よく見ると、唯物主義的な考え方が克服されたというのは見かけだけである。これは、ソロヴィヨフの物語でも語られた批判である、という。

 現代物理学における変化は、非物質世界に向かう道の1つに過ぎない。シュタイナーによれば、それには、下自然と超自然の2つの道があるという。物理学が探求する非物質世界-電子、磁気、原子-は、下自然で、神秘家(ゲーテなども)が語っているのは超自然である。その意味で、カプラ氏は間違っている、とされる。下自然と超自然を混同しているのである。

 シュタイナーは、電気、磁気、原子のエネルギーを、ルチファー的、アーリマン的、アシュラ的と呼んだ。即ち、それらは、反キリスト的性格を持っているのである。

 問題は、電気、磁気、原子のエネルギーを我々の内部存在と同一視して良いのかと言うことである。自然な感情からすると、霊界、神、そして自分自身を物理的エネルギーと同一視することには抵抗がある。しかしまさにそれが、エソテリックでは起きているのである。これは、理論面でだけではない。ソロヴィヨフの、「電気を引き寄せ、導く」能力を持った魔術師と同じようなことが起きている、というのである。

 ホッペ氏がここで例としてあげるのは、シャーリー・マクレーンである。これもまた懐かしい名前で、彼女は、アメリカの女優なのだが、自身の神秘的経験を元に著わした著作がやはり世界的ベストセラーになっている。
 彼女は、チャネリングにおいて、アンブレスと呼ぶ電気的存在がある人間に入り込んだと述べている。この「霊」が、世界の進化について参加者に語ったというのである。ここでは、電磁的エネルギーがオカルト的世界として理論的に把握されているだけでなく、エソテリックなやり方でオカルト的世界が直接体験されているのである。

 ソロヴィヨフの時代、そのような方法は、スピリチュアリズムと呼ばれた。実際、彼は、スピリチュアリズムに似た形を、「世界帝国魔術師の半分霊的(スピリチュアル)で半分手品のような芸当」に見ていた。それは、今日エソテリックの枠内で用いられているが、それはスピリチュアリズムの後継に過ぎない、という。

 もう一つの例は、ニューエージ運動の中心ともなったフィンドホーンである。フィンドホーンというのは、1962年にスコットランドの北東部に設立された自然農法を行なう共同体であるが、この共同体の創始者を通して、高次の存在が語ったという。

 その霊的存在においては、電磁気的存在だけでなく、原子エネルギー存在が関係している。その存在は、「核エネルギーが使われるようになると、このエネルギーの中で、自分を表わす。核エネルギーが解放されるとき、それは私の一部となり、啓示が生まれる」と語っているのだ。また「私は、世界の至る所で顕れ、私は常に存在する。私は、造る。私は新しい天と新しい地である。」とも語っており、それは、ホッペ氏によれば、聖書の言葉遣いのようであるという。このフィンドホーンの原子存在がキリストと同一視されているようにもともとらえられるのである。

 ここで多少解説すると、フィンドホーンは、元々痩せた土地であったが、そこで創始者達が共同生活を始めると、妖精等の霊的存在との交流が生まれ、それらの指導を実践すると、巨大な野菜ができるようになったというのである。これがやがて本となり、ニューエージ運動の風潮もあって、日本を含めて世界中で評判を呼んだのである。これ自体は、スピリチュアルな運動であると同時に、行き過ぎた化学農業や工業化社会の反省をふまえた自然回帰、あるいは一種のエコロジカルな運動でもあると評価できるのだが、それを指導する高次存在の正体が問題なのである。

 ホッペ氏は、それが、自らをキリストになぞらえるアンチキリスト的存在だと示唆しているようである。原子エネルギーの中に自らを啓示するという表現は、まさに実際には、キリストと対極にあるように思われる。

 ただ、それによりフィンドホーン運動の全てを否定するべきかというと、わからない。実は、私も昔、その本を読んだことがあり、好印象をもっていたのである。勿論、運動を担っている人々には悪意はないだろう。妖精や自然霊の存在をシュタイナーも語っており、人智学派にも幾つかの本がある。フィンドホーンのようなことは、実際にあり得るのだ。

 しかし、妖精達の本来の王は、今は地球霊となっているキリストである。このキリストの席を奪おうというのが、アーリマン達の闇の霊である。フィンドホーンにおいても、このような攻撃があったのかもしれない。

 

 ホッペ氏は、フィンドホーン等の例から、同時代の「エネルギー・エソテリック」は、エネルギーの電磁気的及び原子的な彼岸-それは外的世界には機械を通して現われている-に由来する形而上的な存在と協働していることを示しているという。またエネルギー存在のこのような形を、ソロヴィヨフは、正確に示唆しているという。

 彼は次のように物語っているのだ。「彼[皇帝]は、電気ショックを受けたような身震いを感じた。彼の前に、燐光のようにほのかにきらめく光の中で、ある姿が浮かび上がった。きらめく2つの目が、あらがいようがないように、彼の魂を貫いた。グラモフォン[レコード]からのように、金属的で、完全に魂のない声が響いた。」

 この言葉により、ソロヴィヨフは、アンチキリストの本質の特徴を表現している。それは、次の事実と一致しているという。シュタイナーは、チャネリングで出現した電磁的存在あるいは放射性の「キリストのようなもの」を、悪の、ルチファー的アーリマン的アシュラ的な本性と関連付け、その様な存在により、20世紀に真のキリストが気づかれないままであるように、またエーテル的存在としてのキリストの再臨を人間が認識しないようにする試みが、アンチキリストの側で追求されることを説明したのである。

 この努力は、特定の理念の影響の下になされる。20世紀にキリストによりもたらされる影響圏を、他の存在のために得ようとする努力がなされるのである。つまり、アーリマン的本性の存在をキリストの代わりに据えようとしているのだ。このような努力を根絶することが、正しい霊的発展の使命である、という。あるサークルは、このアーリマン的偽キリストを、キリストと呼ぶのである。

 下自然と超自然を区別するなら、主流のエソテリックのエネルギー的キリストがアーリマン的偽キリストに関連付けられるのは明白である。その超感覚的再臨を、ソロヴィヨフとシュタイナーが同じように、またヨハネの黙示録と一致して、我々の時代に起きることを予言しているエーテル的キリストと彼を明確に区別しなければならない。

 シュタイナーによれば、アーリマン的対抗キリストの出現は、次第に大勢を引きつけていく、見かけ的な唯物主義の克服によって出来する。霊的存在と物質的エネルギーの上述の同一視は、そのような見かけ的な唯物主義の克服の古典的な例である。ついに、それによって、更に強化された唯物主義が生まれるだろう。唯物主義的思考が、カプラのような根本的な誤謬により、霊的領域にまで拡大されるからである。霊性への正統な憧憬が、偽りのエソテリックなエネルギー世界によってうわべは満足させられるが、真の霊的世界からはそらされる、という。

 そこからエネルギー理論が生まれた元々の原子還元論は、感覚的知覚の全スペクトルを単なる幻想として否定するだけでなく、感情や思考、(自己)意識などの全ての人間の内的体験をも否定する。原子還元論は、現代のエネルギー理論においても存続し、(一面的に把握された)東洋のマーヤ[幻想]概念と結合した。その概念は、個人的自己とその感覚的知覚を、理論物理学のように、同じく幻想であるとみなしているので、その考えにそうとみられたのである、という。

 ホッペ氏によれば、これに対してゲーテ的マーヤ概念は、(自己)意識と感覚的知覚を霊的なものの言葉と表現として捉えており、それらが単なる主観、あるいは単なる物質的現象として誤って解釈される場合にのみ、幻想とみなされるのである。ソロヴィヨフで語られている東洋の神秘主義と西洋の物理学の統一は、従って、自己意識の否定に至る。それは、自己意識を、名目的には唯一の実在であるエネルギーや振動の世界のために、非実在であると見なすからである。

 しかしそれは、「私は、私である者[自我]である」(ヨハネ福音書)という言葉によって示されているキリストを否定することと同じである。人間の魂の中で意識化される個人的霊、人間の自我が、カプラのエネルギーの領域では、無へと消えていってしまうのである、という。「活動はあるが、行なう者はいない。踊る者はいない。踊りがあるだけである。」

 以上が、ホッペ氏による、アンチキリストの出現を準備する「“霊的”世界観」に関する現状の分析である。
 私は、ソロヴィヨフの「理論的唯物主義の崩壊」という言葉を初めて目にしたとき、たしかに物理学の世界はその様に進んでいると思っていたので、その卓見(予見)に驚いたのだが、しかし、一般の人々の意識がそのように変化しているようには見えず、崩壊と言える状況が直ぐにくるようには思われなかった。
 しかし、確かに、ニューエージ運動以来、ずっといわゆるスピリチュアルを思考する傾向が人々に浸透してきているのも事実である。
 また一方で、科学の面でも、上で述べた「不確定性原理」等の原理から派生した新たな発見がある。最近話題の量子コンピューターが基づく原理も、実は、量子力学の研究から発見された「量子もつれ」や「量子テレポート」というものなのだが、それには、2つの量子間で距離に関係なく一瞬で情報が伝わるという現象が関係している。つまり、高速を越えることはできないというアインシュタイン特殊相対性理論すらも過去のものとする原理であり、従来の物質観の再考を迫るものなのだ。
 このようなことを考えれば、新しい世界観の誕生が迫っていることは間違いないだろう。またそれは、確かに、従来の唯物主義を否定するものになると思われる。
 しかし、問題は、現在一般の常識では、霊的なものの存在が否定されていることである。ホッペ氏によれば、ここにカプラ氏の限界があったのだが、霊的存在を前提としなければ、唯物主義を克服した先の世界観もまた唯物主義的にならざるを得ない。波動やエネルギーというような概念を用いて、姿を変えた唯物主義が生まれるだけである。
 シュタイナーによれば、人類は今新しい霊的認識能力(エーテルの認識)を獲得しつつある。そしてそれによって、エーテル界に再臨するキリストを認識するようになるのだ。闇の霊達は、これを何としても阻止しないのだ。だから先手を打って、誤った霊界の認識を人類に植え付け、キリストの代わりに別の霊的存在を据えようとしているのだ。 
 そしてそれが、アンチキリスト(この場合、来る自身の受肉を準備しているアーリマン)の狙っていることである。

 さて、上の文章に、「下自然」と「超自然」という言葉が出てきた。実はこれは、このブログで、今回の項目とは別のところで既に出てきた言葉である。先に紹介したことのあるアンドレアス・ナイダー氏の著作の書名『超自然と下自然の間の人間そのものなのである。こちらの著作も、現代人にかけれらている闇の霊達の攻撃について論じた本だったのだ。
 ホッペ氏の著作の紹介は一端これで終わり、次は、今回の項目にも関連するナイダー氏のこの本から紹介することにしよう。

ソロヴィヨフのアンチキリスト予言と現在の世界情勢 ①

ソロヴィヨフ

 以前、19世紀ロシアの哲学者、文明批評家、詩人、ウラジーミル・セルゲイェヴィチ・ソロヴィヨフのアンチ(反)キリスト出現の予言について触れた。

 

 それは、1つの物語となっており、ごく簡単に紹介すれば、アンチキリストが、最初、世界的なベストセラーの作者として名声を博して、世に現われ、やがてヨーロッパ合衆国の皇帝となり、各宗教の統一をも成し遂げようとするが、結局、イエス・キリストにより滅ぼされるというストーリーであった。

 時代設定は20及び21世紀のようで、我々からすれば、既にその中に自分たちがいる時代であるので、現実世界のこの間の出来事を見れば、現実とこの「予言」との違いは既に一部明白となっている。

 しかし、表面的な現象としては違っているとしても、その本質において、ソロヴィヨフが物語った内容は、現実世界とそれほど乖離していないという主張がある。インゴ・ホッペIngo Hoppe氏は、その著書『アンチキリストの短編物語』の序言で、「このアンチキリストの短編物語が部分的にまとっている、19世紀のイメージ及び概念世界の表層を通して[その内部を]見る者は、現代の出来事を展開している重要なモチーフを解き明かす示唆と洞察がそこにあるのを発見するだろう。」と述べている。

 また「彼は、幾分メルヘンのスタイルで書いた」とし、「ソロヴィヨフの物語では、世界情勢に関して常に人々が取り組んでいる、悪の認識と克服という問題が、メルヘンの軽さの気配をかすかにもって現われている。-しかし同時に、単なるファンタジーでは問題にならないような、根拠を持ち、知識に裏付けられたリアリティをもって- それは、ファンタジー物語と言うよりも、学問的な事実の記録というのがふさわしい。」と述べている。

 従って、ソロヴィヨフの「預言」においては、「本質的なものを個別のものから区別することが重要なのである。」

 

 ところで、ソロヴィヨフが、その物語でアンチキリスト出現の世界情勢を示唆することができたとするなら、彼には、予言の能力があったのだろうか。ホッペ氏によれば、彼自身は、自分にそうした能力が無いと語っているという。しかし、ソロヴィヨフは、次のようにも述べているのである。「しかし、私は、この出来事そして未来に心配されるすべてのことを予め見て、感じたのである。」

 ホッペ氏によれば、彼が特殊な能力を持っていたことは、彼の伝記からわかるという。智恵の神(霊)ソフィアの出現を経験しているのである。ソフィアは、ソロヴィヨフが信仰した東方正教会で崇拝されており、その名を冠する教会も多いが、聖母マリアと同一視する考えもある(秘教における聖母の名でもある)。ソロヴィヨフは、このソフィアに生涯で3度出会ったというのである。ホッペ氏は、「この体験が、『アンチキリストの短編物語』で示されていることの内的な核であり出発点であることは容易に思いつく」としている。

 ソロヴィヨフの「予言」の根底にある姿勢は、シュタイナーの歴史は徴候であるとする見方と似ている。「歴史的な経過は、人間の魂の深層で-しばしば無意識に-音を立てて動いている、魂的・霊的なインパルスの外的表現と把握されなければならない。それをソロヴィヨフは体験したのである。」従ってそれは、物質的で事実上のビジョンではなく、象徴的なイマジネーションの形で体験されたのだ。

 

 では、具体的には、どのような世界情勢が、ソロヴィヨフの「予言」と合致しているのだろうか?ホッペ氏は、先ず、総体的に、それらは、20、21世紀の全体主義、野蛮さ、戦争等の悪の強力な顕れであるとする。そして、その出来事を具体的に解説していく。

 その内容をいくつか紹介してみよう。

 例えば、ソロヴィヨフは、20世紀に、「汎モンゴル主義」を掲げた日本が中国と一緒にロシアを超えてヨーロッパを襲ったとする。現実には、日本とロシアとの戦争までは実際に起きたが、ヨーロッパを侵略するまでには至っていない。しかし、これは、汎ゲルマン主義、汎共産主義、汎アメリカ主義の現象を象徴するものと考えることができるのである。

 また、「モンゴル(アジア)」ということであれば、中国は、軍事によってではなく、世界の工場として、「商品により世界を征服している」という。米中間には、「経済戦争」が起きているのだが、更に、軍事的にも、中国は、現在、米国のライバルともなっている。

 最近の台湾情勢を見ても明らかなように、米中(ロシア)間で「第2の冷戦」(あるいは第3次世界大戦)が事実上始まっているとも言えるのだが、シュタイナーは、次のように語っているという。

 「中国とアメリカの間で、対決が生まれる。それは、単に、ヨーロッパで起きるか、太平洋で起きるかという問題である。」アメリカが中国と戦争になれば、ヨーロッパも、NATOを通してそれに参戦することになるのである。

 ソロヴィヨフは、ヨーロッパが統一され「ヨーロッパ合衆国」が発足するとしている。今日のEUは既にその様な組織である。それが各国を支配する権限は次第に強まっており、2012年の時点で、ドイツの新しい法律の90%はEUの指示によるものであるという。そして今、コロナ危機は、EUの経済的政治的統合を更に進めるものとなっている。

 ソロヴィヨフは、アンチキリストがこのヨーロッパ合衆国の皇帝になるとしているが、ホッペ氏は、現在のEUの非民主主義的な運営に触れ、EUの実際の影の面を指摘している。ちなみに、EUの非民主主義的性格は、コロナでのWHOと連携した専制的な対応や、ウクライナ危機での、NATOと連動した一方的なロシア批判、自国民の生活を無視したウクライナ支援等に現在如実に顕れているのではなかろうか。

 さて、「ソロヴィヨフは、ヨーロッパ合衆国とそこから可能となる世界政府を因果的関係にあるものとしている。」これは、実際にチャーチルも主張していたことで、彼は、ヨーロッパ連合は国際問題の完全な解決を意味しておらず、それには強力な世界政府が必要であると述べているのである。それは、このブログで何度か登場してきたアメリカの政治学ズビグネフ・ブレジンスキーの主張でもあったという。彼によれば、アメリカは、永遠に超大国であり続けることはできないので、世界的に地政学的に共同で働く恒常的な枠組み-または「平和的」世界支配のための地政学的中心-を作る必要があるというのである。(この意味で、EUNATOはそうした役割の一端を実際に果たしていると言えるだろう。)

 アンチキリストが望むのは、自身が世界の王となることである。そのためには、「世界政府」が必要なのである。「世界政府」とは、「陰謀論」で盛んに主張されてきた事だが、実際に、これまで、上記の他にも何人かの政治家、学者によってその必要性が唱えられてきている。その理由として挙げられるのは、核軍拡や気候変動、世界的金融危機等の世界的問題は、各国に任せていては解決できないので、「スーパー権力」を有する世界政府の樹立が必要だとするものである。

 その様な主張には、次のようなものもある。「アメリカの力の衰退により、ならず者国家が影響力を持つこと」が心配される、ことである。その様な国の例として挙げられたのは、カダフィが権力を握っていた頃のリビアである。「リビアの体制に責任を取らせるために、世界は声を1つにしなければならない」とオバマ大統領は罵った、という。カダフィの打倒は、西側の記者によれば、西側の価値観の勝利であり、「大西洋[英米]の支配による平和」に向けた一歩である、という。

 この言葉は、ソロビヨフの皇帝の「世界平和は、永遠に確実となった。今日から、その他の個々の権力よりも強力な中心的権力が地球に存在しているからである。」と言う言葉を思い出させると、ホッペ氏は述べる。

 実際、オバマ大統領率いるアメリカは、NATOと共に2011年にリビアの内戦に軍事介入し、結果してカダフィは殺されたのだが、現在リビアではやはり内線が継続しており、破綻国家となっている。「民主主義や人権を守る」ためとしてアメリカに介入された国は、結局荒廃してしまうという、アメリカの介入によるいつものパターンである。西側ではカダフィは「独裁者」と宣伝されているが、確かにその様な傾向がないとはいえないものの、その統治により、かつてリビアはむしろアフリカ諸国の中では安定した豊かな国家であった。それを破壊したのが、大西洋主義者達なのである。(これは今のウクライナ問題でもあてはまるだろう)

 現在は、世界的なコロナ危機により、世界政府を求める声が高まっているが、イギリスの首相を務めたゴードン・ブラウンは、ウイルスと戦うために国際的な命令機関の創立が必要だと主張している。また、教皇フランシスコやドイツのキリスト教民主同盟の有力政治家ヴォルフガング・ショイブレ等の影響力のある他の者達は、同様の目的に賛同している。「秘密のWHOチーフ」として知られるビル・ゲイツは、既に2015年に、来たるエピデミックを予想し、世界政府がどうしても必要であると主張していた、という。

 そして今、コロナ危機を背景に、WHOが、公衆衛生上の問題で各国の主権を制限してWHOの施策を各国に強制することができる条約の制定が目論まれており、それが政界政府の一里塚になるのではないかという指摘が現にあるのは大変不気味である。

 

 上記の他、貧困等の問題も含め現代の世界が抱える様々な問題を解決するには、政界政府が必要であるとするのは、倫理的な課題でもあり、それは、ソロヴィヨフの物語でも語られている。従って、それを求める声は、宗教者からも聞こえるのである。2009年に、ローマ・カトリック教皇ベネディクト6世は、G8の経済サミット直前に、「真正の政治的権威」が必要であると訴えた。彼の後継者フランシスコ教皇も同じ事を主張している、という。

 また、世界中で起こる武力紛争に対する実際の国連の無力さから、人命や人権を守るという理念と実践の乖離が主張されている。それはつまり、「中央集権的な軍事的世界権力」が必要だと言うことである。

 以上のように、「世界政府」を求める勢力はずっと存在してきており、現在の危機を背景にその声が強まってきているのがわかるだろう。「世界政府」というのは、決して単なる夢物語ではない。人類の幸福を実現するための理想論的な願望のようにも思われるが、それが実現し、権力が集中したとき、それを握る者によっては、逆に人類にとっての悪夢が到来するのである。

  

 次の触れるのは、「霊的」世界観の問題である。ホッペ氏によれば、「世界政府」が「アンチキリストの勝利が基づく2つの柱の1つ、権力展開の一方の側面」であるとすると、もう一つの側面もあるという。それは内的側面で、霊性の特殊な形態、皇帝が導入する一種の「世界宗教」である。

 これについては、②で述べることとしよう。