k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

進化と地質学的惑星形成

 前に「惑星胚」https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2026/04/03/085621という記事で、現在の惑星形成の定説とは異なる仮説を紹介した。ドイツの科学者(独立生物学者・地球科学者)であるS.エヴァ・ネッセニウスという方の論考である。それは、月の地球からの放出という出来事にも触れており、シュタイナーの教えとの近さが感じられるものであった。

 今回は、上のものと内容が重複するが、彼女の別の本を紹介する。それは、“Evolution and geological planet formation – the biogenic origin of the early continents of the earth” というものである。

 また今回も、AIによる要約を参考とする。前回のものよりも詳しく、また意味がくみ取りやすいものになっていると思う。【注】は筆者による。

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⭐ 本の最重要ポイント

 この論文は、「地球と月は“生物的プロセス”を含む巨大な惑星胚(planet-embryo)として形成された」という極めて独創的な仮説を提示している。

 つまり著者は、惑星形成は“熱い岩石の衝突”ではなく水・コロイド・微生物・バイオミネラリゼーション(生物による鉱物形成)が主役で、地球は初期に「巨大な生物的球体」として成長した。そしてその内部から 月が“出産”されたというモデルを提案しているのである。

 

1. 序論:従来の惑星形成モデルへの疑問

〈背景:従来モデルの限界〉

 惑星形成は「高温の岩石衝突 → 火成岩 →大陸」というモデルが主流である。しかし最古の岩石は変成岩であり、火成岩ではない。変成岩は「元が生物的沈殿物だった可能性」を排除できない。

 だが、実験では「岩石衝突で惑星が成長する」モデルが再現できない。

 

【注:従来のモデルでは、太陽系内の様々な惑星は、太陽の形成後に残ったガスや宇宙の円盤から形成されたと考えられている。今日最も広く受け入れられている仮説は、重力を持つ中心天体のまわりで物質が回転しながら内側へ落下していくことで円盤が形成されるという降着円盤モデルとして知られているものである。このモデルでは、まず宇宙塵が太陽の周囲の軌道を回り始め、次々に衝突して1kmから10km程度の微惑星という塊を作る。その後数百万年間は衝突により、1年あたり数cm程度の速さで成長したとされる。また最初から地球は岩石・金属主体で形成されたのであり、また地球の初期は極めて高温で、表面全体が溶けた岩石の「マグマオーシャン(マグマの海)」状態だったが、その後、数百万〜数億年のスケールで次第に冷却していった。それによりやがて生物が誕生したというのである。

 最古の岩石体は、アカスタ片麻岩と言われるもので、変成岩である。ただ最古の鉱物とは、ケイ酸塩鉱物のジルコンで、これは火成岩にも変成岩にも結晶として含まれている。その最古のものは、やはり変成岩の中に含まれているのである。

 変成岩とは「元の岩石が高温・高圧で再結晶したもの」で、火成岩由来ものもある。アカスタ片麻岩は「火成岩が変成したもの」であるというのが定説とされる。ではなぜ、変成岩のアカスタ片麻岩が最古とされるのかというと、それより古い火成岩は、プレート運動、再溶融、変成作用により「ほぼ失われてしまった」とされるからである。

 これは、「高温の岩石衝突 → 火成岩 →大陸」という惑星形成のモデルが要請することと言えるのではなかろうか。これに対して、鉱物の生物起源を唱えるS.エヴァ・ネッセニウスからすると、変成岩は「元が生物的沈殿物だった可能性」(例えば石灰岩)を語ることはできるのである。つまり最古の変成岩は、無機質な鉱物からではなく、生物から生まれたと考えることもできるのである。

 

〈著者の問題提起〉

 惑星形成の順序そのものが誤っている可能性がある。惑星形成と生命の起源は、同時進行だったと考えるべきである。そのために、惑星形成プロセスを新しい順序で再構成する必要がある。

 

2. Hypothesis(仮説)

 著者は惑星形成を 7段階のプロセスとして再構成する。

 それは以下の者である。

Stage 1:Hydrous accretion and chemical evolution(水を含む冷たい星雲での化学進化)

背景

 新の天文学では、原始太陽系円盤に大量の水蒸気が存在することが確認されている。これは「地球は高温で形成された」という従来モデルと矛盾する。

著者の主張

 惑星は「冷たい水・ガス・コロイドの巨大球体(planet-embryo)」として成長した。 二次エアロゾル・シリカゲル・水が化学反応の場となり、アミノ酸・核酸前駆体が形成される。

 著者のモデルでは、その内部構造は次のようにある。

- 外側:氷の殻 

- 内側:水蒸気・霧・コロイド 

- 深部:シリカゲルが圧力で凝縮し、化学反応の場となる 

 これが惑星内部の“原始スープ”であり、生命の前段階がここで進行した。

 ここで重要なのは、惑星形成と生命の化学進化は 同時に起きたとすることである。つまり、惑星は「生物的な球体」として成長したのである。そして地球と火星は「生物的惑星胚(planet-embryo)」だったのである。

【注:ここがシュタイナー及び人智学者と共通する部分である。宇宙・地球は有機体であり、生命体として誕生したのだ。現在の地球に見られる鉱物質は、言わばその生物の死骸である。】

 

Stage 2:Biomineralisation(生物による鉱物形成)

背景

 極限環境微生物は鉱物を沈殿させる能力を持つ(ピリット、シリカなど)。

【注:鉱物を沈殿させるとは、溶液中のイオンを固体の鉱物として析出させることである。それは、微生物の生存戦略としての「バイオミネラリゼーション(生物的鉱物形成)」であるという。】

 

著者の主張

 初期地球の大陸は、微生物が沈殿させた鉱物の巨大堆積物として成長した。つまり大陸は「生物が作った巨大な沈殿構造」である。

 その具体例としては次のようなものがある。

- 硫酸還元菌 → ピリット 

- 鉄細菌 → Fe²⁺を酸化してFe³⁺沈殿 

- 珪藻 → シリカ沈殿 

 これらが大陸の基盤を形成したのである。

 

Stage 3:Great rise in oxygen(酸素上昇と鉱物沈殿の加速)

背景

 シアノバクテリアの光合成で酸素濃度が上昇。

【注:シアノバクテリアは、“原核生物の細菌”で、地球最古級の生命の一つとされる。それは“酸素発生型光合成”を行い、地球の酸素のほぼ全てを作った存在だとされる。】

 

著者の主張

 酸素の増加により金属イオンが酸化され、不溶性鉱物として沈殿し大陸がさらに成長した。酸素の増加は真核生物の進化を促進した。

 

Stage 4:Reef-building organisms and Cambrian radiation(カンブリア爆発の起源)

背景

 初期大陸は生物的コロイド構造で、海中に沈んでいた。

【注:生物的コロイド構造とは、ナノ〜ミクロサイズの粒子(タンパク質、脂質、核酸、細胞小器官など)が、水を主体とする媒体中に分散し、安定した“半流動・半固体”の構造をつくっている状態。細胞質、血液、ミルク、結合組織など、生体のほとんどはコロイドである。】

 

著者の主張

 海綿・サンゴなどの礁形成生物が大陸をさらに成長させた。惑星胚内部の多様な遺伝情報が蓄積され、それがカンブリア爆発の多様性の源泉となった。

 カンブリア爆発は「突然の進化」ではなく、惑星胚内部に蓄積された遺伝情報の再組み合わせで説明できる、とする。

【注:カンブリア爆発(Cambrian explosion)とは、約5億4千万年前に起きた “動物の爆発的進化” のことで、ほぼすべての主要な動物門が短期間に出現した地球史最大級の生物進化イベントである。これは生命史の中でも特別な現象で、「なぜ突然これほど多様な動物が現れたのか?」という問いは現在も研究が続いている。

 なお、「惑星胚内部の多様な遺伝情報が蓄積」ということについては、後述する。】

 

Stage 5:Embryonic stages until Carboniferous(石炭紀までの惑星胚段階)

背景

 地球はまだ巨大で低密度である。大陸は半分水没している。

【注:シュタイナーも、地球は昔巨大であったとしている。最初の段階は土星紀とよばれ、地球は土星の公転軌道範囲にまで広がっていたのである。熱実質のみの状態であり、それがその後、言わば濃縮して小さくなっていったのだ。】

 

著者の主張

 光合成で酸素濃度は史上最大(30%)となる。このため、昆虫が巨大化するなど、生物進化が加速した。地球はまだ「惑星胚」であり、内部に大量の水とガスを含んでいる。

 

Stage 6:Permian hot phase and origin of the moon(ペルム紀の高温期と月の誕生)

背景

 ペルム紀は地球史上でも特に高温期である。

【注:最新の古気候研究では、ペルム紀末の植物化石の炭素同位体分析から、日中の気温が40℃を超え、局所的には地表温度が65℃に達した可能性が示されている。高温化した理由としては、パンゲア形成による乾燥化・温暖化、大陸が一つにまとまったことで内陸が乾燥し、気候は暑く乾いた方向へ進んだ、シベリア・トラップの超巨大火山活動、温室効果の暴走(末期)があげられている。】

 

著者の主張

 地球内部の生物的堆積物が溶融し、体積が減少した。そして体積減少により地球の自転が加速した。密度の異なる内部物質が赤道付近へ移動し、それが地表を破り、月として“ゆっくり押し出された”。遠心力により月材料が浮上し、パンゲアを引き裂いて噴出した(パンゲアの割れ目と対応しており、現在のイースター島付近が起源地)。これが大西洋・太平洋の同時形成と海底拡大の始まりである。

 その後の影響として、

- 圧力変化で海洋底拡大が開始。 

- 太平洋・大西洋の海洋底は同時に形成された。 

- プレートテクトニクスが、月の脱出後に始まった。

 

Stage 7:Sea transgressions and plate tectonics(海進とプレートテクトニクス)

著者の主張

 月の脱出後、地球内部の圧力が変化し、大規模な海洋底拡大が同時に太平洋・大西洋で始まった。プレートは拡大し続け、沈み込みは拡大を相殺できない。 

地球は「生物的惑星胚」から「死んだ地質的天体」へ移行した。

 

3. Findings from the planet-embryo(惑星胚の痕跡)

 著者は、以下のような形態学的主張を行なっている。

- 大陸の形は、人間の頭蓋骨の縫合線と対応する。 

- 大陸の割れ目は、月が通った“産道”に対応する。胎児の眼窩の位置が月の出現地点に対応している。 Volvox(群体藻類)が娘群体を放出して死ぬ様子や、トビハゼ(Periophthalmus)の眼が突出する様子を、月の出現の象徴として挙げている。 

- 地球はかつて巨大な生物的球体(planet-embryo)であり、その形態的記憶が生物の遺伝子に残っている。

- カンブリア爆発の再解釈:惑星胚内部の遺伝情報が再組み合わされ、それが多様な動物門の同時出現を説明する。

 

⭐ 総合的結論

1. 惑星形成は「冷たい水の星雲」で始まり、生物化学反応が同時進行した。 

2. 初期地球は巨大な生物的惑星胚であり、内部で生命が進化した。 

3. 月はペルム紀に地球内部から“出産”された。 

4. プレートテクトニクスは月の脱出後に始まった。 

5. 大陸形状と生物形態は惑星胚の形態的記憶を共有する。現在の生物(特にヒト)はその生物学的子孫でもある。

6. 地球膨張論と沈み込みの両立:従来の膨張論は沈み込みを否定して批判されてきたが、Nesseniusは「月出現が両方のきっかけ」とすることで両立可能だと主張。

【注:膨張論の前提は、地球は過去に現在より小さく、膨張によって大陸が引き裂かれた、海洋底は「新しく作られるだけ」で、古い海洋プレートが消滅する仕組みはない(海洋プレートは消滅しないため)としたが、1960年代以降、複数の独立した観測が沈み込みの実在が示した。しかし現在も膨張(海洋底拡大)と沈み込みの根本原因が不明である。つまりプレートテクトニクスは「どう動いているか」を説明するが、“なぜ動き始めたのか” はまだ未解決のまま残っている。これに対して、ネッセニウスは、両方の根本的原因として月の噴出を提示したのである。】

 

7.既知のプロセスを新しい順序で再配置することで、惑星形成の未解決問題(鉱物の凝集、初期生命の急速な出現、大陸移動など)を解決できる。

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 以上がネッセニウス氏の本の概要である。

 ここで「大陸の形は、人間の頭蓋骨の縫合線と対応する」と言うことについて更に触れておきたい。これは形態学的に類似が指摘できるということだが、その原因は「大陸形状と生物形態は惑星胚の形態的記憶を共有する」という彼女の仮説により説明されている。

 また本文には、「以前は、先カンブリア紀の地球生態系では、多くの初期原核生物が水平な遺伝子移動を行うことができました。遺伝子プールから得られるすべての遺伝情報は、惑星胚の幹細胞に結合・収集されます。内生共生は、細胞核が大量のDNAを保存する真核動物の発達において重要なステップです。多細胞性や頭部形成を伴う分節は、より高度な発達へのさらなるステップです。共腸類は、胃管に匹敵する段階にあります。頭足類や軟体動物のような他の非分節動物門は、神経系の中心を含むため、機能的に頭部とみなせる多くの器官を発育します。分節された動物は、神経系の中心を頭蓋末端に置き、非分節動物から発展します。」という文章があり、この説を補強している。

 地球は元々1つの生物(惑星胚)であると考えると、現存する生物はもちろん、鉱物もまたその生命に由来することになる。そして両者ともに、惑星胚の幹細胞に内蔵された遺伝子情報を共有しているので、類似した形体をとったということであろう。

 なお、水平な遺伝子移動とは、遺伝子のやり取りが“縦方向(親→子)”でなく“横方向(他個体→他個体)”ということである。先カンブリア紀(約40億〜5.4億年前)は、地球上の生命のほとんどが原核生物(細菌・古細菌)であり、原核生物は遺伝子を自由に交換できたのである。

 内生共生とは、「原始的な細胞が別の細胞を取り込み、それが共生して新しい細胞構造を作る現象」ということで、例えば、ミトコンドリア(酸素呼吸のエンジン)や葉緑体(光合成のエンジン)は、古い段階で原始的な真核細胞に取り込まれた細菌が起源とされている。

 また上の文章は、かつての動物類の形態が人間の肉体に統合されてきていることを示唆していると思われる。

 大陸の形と人間の頭蓋骨との類似についてのこのような説明は、仮説的にはありうるのだろうが、納得するにはまだハードルが高いように思われる。これについては、おそらく本来はエーテルなどの超感覚的世界を前提にしなければ説明は難しいのではなかろうか?

 

 鉱物の生物起源については、このブログの記事「岩石と鉱物は生あるものから生まれてきた」https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2022/01/25/084438で取りあげられているので、そちらも参照してほしい。

 これは、ヴァルター・クルースWalther Cloos氏の『The Living Earth. The Organic Origin of Rocks and Minerals』を紹介したものである。クルース氏は、一昔前の世代の研究者になるが、最近の研究者にはドイツの人智学派の地質学者ダンクマール・ボッセDankmar Bosse氏がいる。

 ボッセ氏は、地球と月の分離についても述べており、このブログでも既に取りあげている(https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2022/03/04/090036)。

 月の生成に関する現在の科学的コンセンサスは「巨大衝突(ジャイアント・インパクト)仮説」で、これは、約45億年前、火星サイズの原始惑星 テイア(Theia)が原始地球に衝突し、その破片が地球周囲に円盤を形成、数百〜数千年で月へと集積したというモデルである。

 これに対してネッセニウス氏やボッセ氏の主張は、分裂(fission)説に分類されるだろう。この説は、学問的にはもともと「高速自転した原始地球が赤道付近から物質を放出し、それが月になった、太平洋盆地は「その傷跡」である」とする19〜20世紀初期の仮説だが、現在の主流科学ではほぼ完全に否定されているという。それは、必要な自転速度が非現実的(地球がほぼ破壊されるレベル)、角運動量が説明できない(現在の地球‐月系の運動量は分裂では再現不可)、太平洋盆地は地質学的に若い(月形成の痕跡ではない)などの理由からである。

 ネッセニウス氏は、月の分離はペルム紀に起きたとしているので、上の「太平洋盆地は地質学的に若い」という点はクリアーできると思われる。ボッセ氏によれば、シュタイナーが月の分離が起きたとするレムリア時代中期は古生代に相当するので、月の分離はペルム紀に起きたとするネッセニウス氏の主張と一致する部分があるようである。

 シュタイナーによれば、月の分離は偶発的な単なる物理的現象ではない。性の分離などがそれにより生じており、人類の進化と密接に関連する出来事であった。それは霊的ヒエラルキー達によって起こされた必然的な出来事であったのだ。

 なお、シュタイナーによれば時間の進み方は昔と今では異なっている。単純に現代のスケールを原始の時代に当てはめることはできないのである。

 

 ネッセニウス氏は、ボッセ氏と異なり、この本ではシュタイナーの名を出してはいない。突飛な点はあるものの、あくまで科学的な知見に基づき科学的推論により自説を論じている。ただ人智学系の研究者の研究を知らないわけではないようである。

 ちなみに、ネッセニウス氏のこの本(論文)は、「ミュンヘン大学(LMU)の科学運営委員会によって選ばれ、その一部は、2012 年の国際会議「Planet Formation and Evolution of Planetary Systems(惑星形成と惑星系の進化)」において、ポスター発表として提示された」と記載されている。

 これは、日本では到底考えられないが、この論文がドイツでは学術的な評価を得ているということである。この分野で、新たな潮流が生まれているということだろうか。

 既に量子物理学の世界においては従来の常識が通用しなくなっている。新たな知見が生まれ、単純な機械論的世界観の限界が認識されるようになってきているのである。先端の科学においてはそれまでの世界観を乗り越えようとする胎動が生まれているようである。

 それは、このブログの一つのテーマである、「神秘学と科学の統合」が進んできていることを示しているのかもしれない。

ルドルフ・シュタイナーと哲学から人智学への移行

 シュタイナー没後100年が経過し、シュタイナーその人を巡る議論が人智学の内外で進んでいる。薔薇十字運動の指導者の素性については死後100年間秘匿されるという原則がある。薔薇十字運動の創始者はシュタイナーではないが(クリスチャン・ローゼンクロイツである)、シュタイナーもその系譜の中に捉えることができるので、没後100年ということから、シュタイナーについても真実が明らかになるのではないかという考えもあるようである。

 以前、「シュタイナーとは誰か②」https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2026/06/14/081302 で、イレーヌ・ディエットIrene Dietという人智学者の著作について触れた。そこでは、彼女は、これまで出されてきたシュタイナー伝記の常識を覆す主張をしているのだが、その主張にはやはりシュタイナーの本質に迫るものがあることを論じた。

 その後、彼女の本を出版している出版社(おそらく彼女自身の設立による)のニュースレターを購読することにしたのだが、その中に興味深い記事があったので、それを今回は紹介したい(まだ彼女の本自体は本格的に紹介できていないのだが)。

 彼女について補足すると、どうも彼女は人智学協会及びそこに関わる主流派と言えるような人智学者には批判的なようである。その著作には、そのような主張が見られるのである。彼女が協会系の出版社からではなく独自の出版社から本を出しているのもおそらくそのせいであろう。

 こうした姿勢は、上で述べた、彼女の従来のシュタイナー伝記への批判的な主張とも関連しているようである。彼女が問題視しているのは、それらがシュタイナーの自伝『我が生涯』の記述と矛盾があると言うことである。これは、以下に紹介する文章とも関連するのだが、そしてまた現在の一般的なシュタイナーの見方とも関連するのだが、シュタイナーは、初期は哲学的思考を発展させ、その後、ある秘儀参入者により霊的認識に目覚め、その結果、その後、神智学協会に関わり、そして人智学協会を設立するなど秘教的な活動をするようになったというストーリーである。しかし、実際には自伝に秘儀参入のような記述はなく、それはあくまで伝記作家や研究者の推測なのだ。

 これに対してディエットの主張は、シュタイナーには初めからそのような能力が存在していた、だから、シュタイナーの伝記を前半と後半で、一種の「秘儀参入」を区切りとして分けるのではなく、連続的にあくまで内発的な発展として捉えるべきだと言うことのようなのである(シュタイナーに既に子どもの頃から能力があったことは認められている。この問題は前のブログ記事も参照のこと)。

 そして上のようなシュタイナーについての通常の認識にも関連して最近とみにその傾向が強まっているようなのだが、シュタイナーの「脱神話化」の動きである。シュタイナーを当時の思想家達の中に位置づけ、「一思想家」として捉えようとすることである。これには、日本でも見られるが、シュタイナーのオカルティスト(秘教家)としての面をマイナスに評価、あるいは無視するというヴァリエーションもある。後半の秘教家としての主張はまさに「神話」のようなものだというのである。

 これらについても彼女は批判的なのである。そうした考えは、シュタイナーの本質を歪めてしまうからである。

 筆者としても、この点では彼女の考えに近い思いを持っている。常識的な思考に囚われて、その目線でシュタイナーを捉えようとしては駄目なのである。しかしそれは、シュタイナーが語っていることを真摯に受け止めれば自然とわかることなのだ。霊界の、超感覚的な物事をあれほど具体的(科学的に)に語り、しかも自然科学や人文科学にも通じ、芸術にも関わるなど超人的な活動を行なった人間が、通常の人間であるはずはないのだ。だから、シュタイナーを同時代や今の他の思想家達と並べて、優れた「思想家」、あるいは「教育思想家」(にすぎない)などと論じる、世の中によく流れている通説に出会うと、歯がゆい思いをしているのだ。シュタイナーは異質な存在である。先ずそれを認める必要があるのである。

 以下の文章は、その一端を示しているものと思われる。内容を理解するのは少し難しいのだが、基調としては上に述べたことがあるので、その様なことも感じ取ってもらえばと思う。

 なお、この文章には、ここで述べたことに関連する、いわくがあるようなので、先ず紹介しておこう。

 この文章は、実は、最初アメリカのハーバード大学の教員に依頼されたことに由来するものだというのである。ハーバード大学でシュタイナー没後100年の記念事業が2025年12月に行なわれることになり、彼女はその講師の1人として招待されたのだ。その講演で話す予定の内容をまとめたものということである。

  ところが、彼女が講演の内容の要約をその教員に送ったところ、それに対する「非難に満ちた長いメールが」送られてきたのである。その中には、彼女が「とりわけ宗教を代弁していると非難」が指摘もあったという。これに驚愕し、結局彼女は講演を辞退したのである。

 このエピソードが示すのは、彼女と主催者のシュタイナーに対するスタンスの違いである。主催者にとって、シュタイナーは、例えばニーチェのように優れた「一思想家」にすぎないのだ。彼女の話を「宗教」と表現したのは、それを超える存在として彼女が認識していることを批判したのであろう。大学で扱われるような学問においては、思想家シュタイナーを語るべきであり、「宗教家」シュタイナーであっては駄目なのである。

 もちろん、彼女は、シュタイナーが宗教の創始者であるといっているわけではないが、シュタイナーの偉大さはそうした人物に匹敵するということである(もちろん、シュタイナーが打ちたてたものは今の世の中に見られるあまたの新興宗教の類いではない)。

 「思想家」として捉えるにしても、人類の精神史に深く刻まれるべき希有な存在の1人なのである。

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ルドルフ・シュタイナーと哲学から人智学への移行

 今日に至るまで目に見え、社会の発展に深く浸透しているルドルフ・シュタイナーの影響は、様々な方面から多様な形で彼に帰せられている思想的内容だけでは説明できない。そのような思想的内容は、常に限定的な、特定の歴史的瞬間においてのみ意義を持つ影響しか及ぼさないプログラムへとしかつながり得ない。ルドルフ・シュタイナーの影響はそれを超えており、人類にとって新たな形の創造的な精神の「在り方」を可能にしたという、彼に内在する特異性から生じている。思考が形成される方法に着目したこの新しい形態を、ルドルフ・シュタイナーは「人智学(アントロポソフィー)」と呼んだ。この思考の形成は、もはや外部から人間に迫ってくる個々の現象に沿って行われるのではなく、人間存在の最も内奥で自ら行われる営みである。

 しかし、ルドルフ・シュタイナーが初期の著作ですでに強調していたように、人間存在の最も内なる部分は、それを取り巻く世界と同じ性質を持っているため、思考によって創り出されたこの確固たる拠り所を出発点として、人間自身の本質に対しても、世界に対しても、現実に即した新たなアプローチを見出すことができるのである。ルドルフ・シュタイナーの初期著作は、しばしば彼の後のアントロポソフィーに関する著作の哲学的基礎と見なされているが、まさにこれらの初期著作の中にこそ、このアントロポソフィーの最も内なる本質が、思想家にとって追体験し、共感できる可能性として含まれているのである。しかし、哲学から人智学への直接的な移行は、ルドルフ・シュタイナーがちょうど1900年頃に著した著作、すなわち『19世紀の世界観と人生観』(後に加筆され、『哲学の謎』というタイトルで再刊された)に明らかに表れている。

 ルドルフ・シュタイナーはこの著作において―人智学特有の視点から―人類の哲学的発展を描き出している。今日広く普及しているアプローチとは異なり、ルドルフ・シュタイナーは、ある哲学者の思想をその先人たちの思想にまで遡って解明しようとするような、歴史的な「文脈化」を追求しなかった。その代わりに、彼にとって常に中心にあったのは、それぞれの思想家の個性であった。その思想家は当然ながら自らの時代の中で生き、創造を行っており、したがって、当然ながら、過去の思想家たちの思考内容も常に明らかにしなければならない。

 一方、今日広く行われている、ルドルフ・シュタイナーを研究対象とする学術研究は、主にこうした「文脈化」、すなわち、ルドルフ・シュタイナーが着想を得た様々な影響や、彼の思想を構成する要素に関心を寄せている。ヨスト・シーレンが編集したアンソロジー『人智学の哲学的源泉』(アランウス大学での講義シリーズをまとめたもの)⁷も、クリスティアン・クレメントが編集したルドルフ・シュタイナーの著作 (SKA;シュタイナー批判版)⁸、ハルトムート・トラウブによるフィヒテがルドルフ・シュタイナーの思想に与えた影響に関する研究⁹、そして様々な学術誌に掲載された数多くの研究論文¹⁰も、同様のアプローチを裏付けている。今日のルドルフ・シュタイナーを扱う学術研究は、ほぼ例外なく、このようなルドルフ・シュタイナーの「文脈化」に注力していると言えるだろう。

 しかし、このような探求では、ルドルフ・シュタイナーが体現する本質を見過ごしてしまう。この方法では、その本質を見出すことはできない。視線が本質から逸らされているため、その本質はこの視線からは見えなくなるのである。

 

7 フランクフルト・アム・マイン、2022年。

8 SKA(ルドルフ・シュタイナー著作集――批判版)は2014年から刊行されており、ルドルフ・シュタイナーの全著作をテキスト批判的に再刊することを目的としている。

9 トラウブ、ハルトムート『哲学と人智学――ルドルフ・シュタイナーの哲学的世界観:基礎と批判』、コールハマー、2011年。

10 とりわけ、2020年にクリスティアン・クレメントとハルトムート・トラウブによって創刊され、2023年からはマルセロ・ダ・ヴェイグラとハルトムート・トラウブが編集を担当している学術誌『Steiner Studies. Internationale Zeitschrift für kritische Steiner-Forschung』を参照のこと。

 

 しかし、ルドルフ・シュタイナーの人智学の本質が何であるかを把握しようとするならば、著作『哲学の謎』¹¹が鍵となるだろう。そこで示されている哲学から人智学への移行は、ルドルフ・シュタイナーが哲学の発展をどのように捉えているかという点に込められている。この移行を特徴づけるのは、まさにその視点そのものである。なぜなら、この視点は、人類の発展の過程において、世界や自分自身という謎に常に新たな形で向き合わなければならない魂の内的な織り成しに注がれているからである。このようにして、魂は一歩一歩、19世紀の哲学、とりわけ認識論における探求において根本的な体験となった、その認識の限界に近づいていくのである。

 1914年に追加された『人智学への概略的な展望』において、人間の魂の発達の核心に焦点を当てたこの視点そのものが、自らを次のように説明している。そこでは、通常の意識は確かに自己意識的な「私」の基盤をなしているものの、それ自体としては、世界の現実にも、自らの現実にも近づくことができないことが明らかになる。なぜなら、この自己意識的な「私」は、自らの本質および世界の本質を覆い隠すベールによって生じているからである。したがって、現実性を主張するあらゆる認識は、通常の意識を克服することから生じるものでなければならないからだ。

 

 ルドルフ・シュタイナーの、現代にまで及ぶ影響力を理解しようとするならば、彼の著作が立脚するこの基盤に注目する必要がある。しかし、この視点は、ルドルフ・シュタイナー自身の視点と同様に、純粋に外的なものであってはならない。私が目指すアプローチとは、人智学そのものの内面的精神過程において、ルドルフ・シュタイナーの著作に迫ることにある。

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 筆者も、シュタイナーは秘儀参入者から秘儀参入を受けたという考えを以前は当然のように思っていたのだが、イレーヌ・ディエットの本を読んでからは、再考するようになっている。この問題は、「シュタイナーは誰か」ということにからむのだが、実際にはなかなか複雑なようである。確かに、シュタイナーの生涯に幾つかの節目が存在しているのは間違いない。その変化をシュタイナー自身の内発的な発展として捉えるべきなのか、そうでないのかということになるのだが、後者の場合でも、シュタイナーのように霊的能力において高次に発達した人間の場合、外からの影響(その1つが秘儀参入である)としても実は様々なものがあるのである。これについて、また別の機会に譲りたい。

 さて、ここでディエットの上の主張について振り返ってみよう。

 彼女は、「シュタイナーを研究対象とする学術研究は、主にこうした『文脈化』、すなわち、ルドルフ・シュタイナーが着想を得た様々な影響や、彼の思想を構成する要素に関心を寄せている」と記している。シュタイナー研究のこうした態度は、日本でも主流だと思われるが、アカデミックな場では普通のものであろう。大学の哲学、思想の研究とは、対象を歴史的な文脈において、誰から影響があった、誰に影響を与えた、というようなことを研究するものである。対象は相対化され、その文脈の中でしか語れないのだ。それが一般的に「科学的」だと思われているのである。

 しかし彼女の主張は、それでは、シュタイナーの本質を見出すことはできない、ということである。

 彼女は、シュタイナーの『哲学の謎』(邦訳がある)について、その「視点は、人類の発展の過程において、世界や自分自身という謎に常に新たな形で向き合わなければならない魂の内的な織り成しに注がれている」と語っている。これは、シュタイナーが、哲学の歴史を、人類の精神史(この場合、シュタイナーにおいては宇宙史でもある)として語っていることと関連している。

 哲学は、個々の人間の思索の成果として地上に現われたものだが、その根底には、人類全体及び宇宙にもつながる基盤が存在しており、それにより時代の発展に応じて、その時々に生み出されたものなのである(そうした基盤が地上に現われたもの)。従って、それは人類の精神的・霊的な進化の歩みを表わすものに他ならないのだ。

 そしてその哲学は、シュタイナーにおいて人智学へと更に発展を遂げたと言えるのである。それは、かつて人類が有していた霊的認識を人間の知性が取り戻したということである。哲学の原点は、プラトン・アリストテレスに代表される古代ギリシアの思想家たちにあるが、彼らには、それ以前の秘儀参入の伝統が存在していた。その叡智を、人間の知性で表わしたものが当時の哲学なのである。哲学(人間の知恵)は、やがてそうした原点を失って、言わば純粋な物質世界に言わば落ちていき、生をうしなったのであるが、今や再び、霊界へと上昇していかなければならない。それを実現するために誕生したのがシュタイナーの人智学なのだ。

 このような大きな役割を持ったシュタイナーを、当時の思想家達の影響がどうだというような分析で捉えようというのは、全く本質を外した議論なのである。

 またそれは、哲学の影響についてだけでなく、秘教的思想との関係でもそうなのである。例えば、神智学の影響がよく語られる。ブラヴァツキーとの思想が近いのは確かなのだが、だからその影響をシュタイナーが受けたというのは間違いなのだ。

 この物質世界が1つであるように、霊界は1つである。物質世界の法則は誰が発見しても同じになるように、霊界についても(それが正しいものなら)誰が語っても同じになるのだ。シュタイナーの教えは、本来、ブラヴァツキーの思想に関係なく、自らの霊的認識能力で獲得したものなのである(ただそれを語るには、あるオカルト的な原則が必要なのである)。

 このようなことを気付かせてくれるディエットの主張は、シュタイナーの本質を捉える上で、非常に示唆に富むものだと思われる。

エーテルの誕生:成長力が思考力へ

 これまでこのブログでは、ほとんどシュタイナー教育関係の記事を紹介してこなかった。この方面については、既に多くの情報が発信されており、このブログの当初の関心とも異なるので、ことさらに取りあげる必要を感じていなかったからである。しかし今回は、その教育関係の記事である。

 以前からエーテルについてはもっと勉強が必要だと思っており、題名が興味深いエーテルについての論考をネットで見つけたので読んでみたところ、最初気付かなかったが、それは実際には幼児教育についての論考だった。最近エーテルに関する記事を掲載したばかりなので、その流れで今回はこれを紹介することとした。

 この論考は、人智学派の医学者ミヒャエラ・グレックラー医学博士によるものである。それはそもそも『The Developing Child: The First Seven Years』というシュタイナー派の幼児教育の論文集に収録されているものである。

 ミヒャエラ・グレックラー博士は、現在、スイス・ドルナッハにあるゲーテアヌムの医療部門の責任者を務めてる方である。ドイツでは小児科医および学校医として活躍しており、著書に『A Guide to Child Health』(フロリス・ブックス刊)他がある。

 

 早期教育の弊害は昔から語られており、そうした反省からシュタイナー教育が評価されるようにもなってきたのだが、そもそもなぜ早期教育が問題なのかということは、人間のエーテル体に関わっているのである。

 エーテル体は生命体を支えている超感覚的体だが、幼児においては、特に7歳まではこのエーテル体が発達していく過程にあり、肉体の発達に関わっている、それが一段落すると、以降は、人間の思考を支えるようになるのだ。早期教育はこの過程を阻害するのである。

人間の教育には、エーテル体(そして人体の他の構成要素についても)について深い認識をもつことが必要なのだ。そうしたことに、以下の論考は役に立つだろう。

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エーテルの誕生:成長力が思考力へと変容する過程

ミヒャエラ・グレックラー医学博士

 

 人智学医学においては、ヴァルドルフ幼稚園に見られる状況と似たような状況があります。ルドルフ・シュタイナーとイタ・ヴェグマンは、人智学医学について多くの有益な指針を示しましたが、それらは毎年再検討されなければなりません。そうすることで、特定の薬がなぜ正しいのかについて、ますます詳細な理解が生まれてくるのです。ヴァルドルフ幼稚園でも同様です。部屋をピンク色に塗ったり、『システィーナのマドンナ』を飾ったり、布や木片などを入れたかごを用意したり、いくつかの物語や歌を覚えたりすれば、それがヴァルドルフ幼稚園だと感じるかもしれません。しかし、自分が行っていることの「なぜ」を理解し、区別をつけ、活動をさらに発展させていくためには、絶えず努力し続けなければなりません。子どものエーテル体は、思考と深く関わっています。私たちは建設的に考えることができ、それは健全なことです。また、癒やしと再生をもたらす思考をもって考えることもできます。なぜなら、年長の子どもや大人の思考の生命は、幼い子どもに見られる成長力と同じものだからです。これらの成長力は、思考力へと変容していきます。知識を持つ人は、他の人々にとってより高い知識への道を開くことができます。たとえ秘儀参入者でなくとも、どの霊的研究の結果が人生の現実に適合するかを、見極めることができるでしょう。ルドルフ・シュタイナーは繰り返しこう述べていました。「単に何かを信じるのではなく、それを証明せよ!」 子どものエーテル的力を理解するために、霊的研究の結果を見てみましょう。エーテル的力の特別な性質を証明し、それに基づいて取り組むことは可能です。

 

 ひとまず、エーテル的力とその働きについては、次のようなイメージで捉えることができます:

 エーテル的な力は、妊娠中から出産後、21歳に至るまで、身体を構築しています。私たちは、肉体に及ぼされるその働きを自覚していません。しかし、肉体に及ぼす働きから解放されると、それらは思考の領域で活動を始め、私たちはそれを自覚できるようになります。例えば、生命活動やエーテル力が肝臓で働いているときは、私たちはそれを自覚していませんが、思考を組み立てる方法は、より高次の意識的な領域に属しています。その領域については、私たちはかなりよく観察することができます。

 神経や感覚器官が形成されるには時間がかかり、この過程は9歳まで続きます。例えば、目は8歳頃まで十分に発達しません。遠近感もその頃まで発達しません。9歳の子供は、ピッチャーを体からどのくらいの距離に持てばよいかを判断できるため、カップに正確に注ぐことができます。就学前の子供には、まだ遠近感が発達していないため、これはできません。

 幼い頃に、二次元であるテレビの視聴やその他の手段によって目が酷使されると、その器官は損傷を受けます。修復できるものもありますが、基本的な器官そのものを変えることはできません。

 16歳になるまで、心臓、循環器系、肺は発達し続けています。16歳頃になってリズム系が発達するまでは、子どもに運動競技のトレーニングをさせるべきではありません。22歳になるまで、骨は発達し続けています。ホルモン系や代謝系も成熟していきます。したがって、生後18年から22年にかけて、身体は全体としてではなく、器官ごとに、また系ごとに発達していきます。身体の3つの系―代謝系、リズム系、神経・感覚系―の発達を考察すると、これら3つすべてが、子供が生後3年間に経験する3つの行為の影響を受けていることがわかります。生後1年目の終わりに現れる直立と歩行は、神経・感覚系の発達を刺激します。生後2年目の終わりに見られる言語の発達は、呼吸・リズム系の発達を助ける。生後3年目の思考過程は、代謝・四肢系の発達を助けます。この時期、子どもたちが遊ぶにつれて手足の器用さが増し、物を作り上げたり作り直したりすることを学んでいるのです。

 ある観点から見れば、最初の7年間で発達するのは神経系であり、リズム系の場合、その発達は主に7歳から14歳の間に起こります。代謝系の場合、その発達は14歳から21歳の間に頂点に達します。したがって、7歳から14歳までの学年では、教師は生徒の感情に訴えかけるような話し方を通じて、生徒たちに働きかけます。言葉は好悪の感情を刺激し、それが心臓や肺といったリズム器官の成熟を促すのです。

【図省略】

 上記の図は、一見すると分かりにくいかもしれません。というのも、私たちは通常、生後7年間までの幼い子どもについて、「意志・代謝系」が働く時期だと語っているからです。これは事実ですが、生後7年間を「意志の時期」と呼ぶ一方で、幼い子どもは「感覚器官」でもあると私たちは言っているのです。神経系は身体的な動きを通じて発達します。一般医学もこのことを理解しており、脳に障害のある子供たちの神経系を刺激するために体操を処方しています。9歳になるまでは、思考を発達させるために、子供はできるだけ動き、活発に活動すべきです。幼稚園の先生は、幼い子供に教えるために動きを活用しており、子供の神経・感覚系を発達させるのに役立つのも動きなのです。動きは、脳を刺激するための最良の教育です。

 誕生時には肉体は生まれますが、その肉体が「自我」の道具として使われるようになるのは3歳になってからです【訳注】。7歳でエーテル体が生まれますが、エーテル体が道具となるまでには2、3年かかります。14歳でアストラル体が生まれますが、自分の感情をコントロールできるようになるのは16歳か17歳頃になってからです。同様に、二十一歳で自我が誕生しますが、人生を真剣に受け止め始めるのは二十三歳頃になってからです。身体が誕生してから、それを自在に使いこなせるようになるまでには、常に数年を要するのであす。

【訳注】幼児期における自我の誕生である。これにより人生の記憶も始まる。

 思春期の発達について見てみましょう。14歳を過ぎると、若者は感覚的なイメージに縛られない思考を育み始めます。16歳を過ぎると、ティーンエイジャーは非常に理想主義的になることがあります。もはや、教師が事実を教え、それを信じるよう求める必要はありません。彼は自らの主人となるのです。意志の器官が成熟していれば、この思考過程の成熟は16歳前後で起こります。判断し、物事を秤にかける能力が発達し、この能力は成熟した代謝力から生じます。

 成熟した大人の思考を見れば、大人は思考生活において自己主導の可能性を必要としていることがわかります。大人は思考の中で「歩む」のです。また、思考生活において「感情」も必要としています。例えば、ある思考が心地よいものか不快なものかを考慮しなければならず、また思考生活においてイメージも必要とします。これが今や純粋な思考活動となり、成人は物事の成り立ちの法則を見出すことができるようになります。それまでのすべてが段階的に組み合わさり、このようにして、代謝系、リズム系、神経・感覚系といった異なるシステムが互いに助け合いながら発達していくのです。

 誕生から60歳に至るまでの人間の長期的な発達を観察すると、次のようなパターンが見て取れます。最初の20年間は、身体が急速な成長を遂げます。その後、20年間は身体が比較的安定した状態が続きますが、40歳から60歳にかけては、身体の力が衰え始め、体はますます弱くなっていきます。

 

 0~20歳 思考に費やすための肉体的エネルギーが確保されるにつれて、思考の活動は年々活発になっていきます。

 20~40歳 均衡の時期であり、この時期は自分自身に生じている変化や成長をそれほど強く自覚することはありません。

 40歳以上 年を重ねるにつれて、肉体的エネルギーは衰える一方で、精神的なエネルギーはますます高まっていく可能性があります。

 

 レイモンド・ムーディ博士の臨死体験に関する著書によれば、死の淵に立たされたとき、人は驚くほど明晰な思考を経験する。死は、最も純粋な明晰さと自覚が訪れる瞬間である。

 幼稚園児の生活におけるエーテル的力についてはどうだろうか。生の知恵はエーテルの中に宿っている。エーテルを、バラ色でぼんやりとした心地よい雲のようなものだと想像してはならない。エーテル体は知恵と真実の体である。エーテル的な力は、身体を築き上げる働きをしている。嘘は人間の知恵と生命を破壊し、エーテル体を傷つける。真実でないものはすべて、幼い子供に害を及ぼす。したがって、私たちは子供のために、真実と誠実さに基づいた環境を築かなければならない。

 幼稚園の午前中は、まるで身体のように、すべての器官が互いに調和して機能する一つの有機体として捉えるべきです。午前中の各部分は、互いに滑らかに調和していなければなりません。これは、エーテル的な力が働く仕組みと合致しています。私たちのエーテル的な力は、霊界から生じます。それらは、その高次の世界における霊的存在たちの関係性から生まれるのです。互いに特定の関係にある二人の天使を想像してみてください。これは極めて活発なプロセスであり、そこから私たちのエーテル的な力が生まれるのです。したがって、私たちは思考を通じて、この世界のあらゆる存在と触れ合うことができます。誰かが私たちに対して否定的な考えを抱いているときは、エーテル的に触れられているため、それを知ることができます。もし高次の存在たちが思考しているとしたら―どれほど強力な力が解き放たれることか。これはすべて、私たちの思考に反映されています。私たちは、この高次の知恵を内面に抱えているのではなく、それを反映しているのです。これを反映すること、それこそが、高次の知識との私たちの最初の関わりなのです。

 子どもは私たちを模範として捉え、私たちにエーテル的なつながりがあることを感じ取ります。もし子どもが私たちの仕草から、私たちが物質世界を大切にしていると感じれば、それに応えてくれるのです。私たちは日々の活動を通じて、自分たちの関係性を表しています。私たちは子どもたちのために、そのような朝を作り出しています。私たちは、喜びであれ悲しみであれ、あらゆることを真剣に受け止めます。もし私たちが皿洗いをしている最中に「外に出たい」と願っているなら、子どもは私たちの行動に不誠実さを感じ、何か分裂的なことが起きていると感じるでしょう。もし私たちが自分の仕事を好きで、それが役に立つと感じているなら、子どもはそれを感じ取り、それに反応するのです。

 エーテル体は絶えず再生し続けなければなりません。例えば、毎日の排便によって、私たちは6~7オンスの細胞物質を失っており、それを補充しなければなりません。毎日、非常に多くの細胞が死んでいきますが、エーテル体は私たちのために新しい細胞を再生し続けなければなりません。それを拒むことはできません。同様に、私たちも「今日は掃除をしない」などとは言えないのです。エーテル体がその働きを果たせるよう助けるために必要なことを、私たちは繰り返し行います。

 芸術は再生の手段です。芸術家は自らの芸術に繰り返し取り組み、常により良くする方法を模索しています。それは内なる力の表現です。私たちは毎日、自分なりの芸術的活動を行う必要があります。単に他者の創造性を「消費」するだけではいけません。創造的な想像力を通じて、あらゆる人間の行いは変容し、より美しいものへと生まれ変わることができるのです。

 これは自己鍛錬のプロセスです。幼い子供たちと関わるためには、私たちは小さくてユーモアあふれる芸術家にならなければなりません。

 私たちの動きには、創造的で目的意識のある質が備わっていなければなりません。単なる機械的な動きであってはなりません。幼稚園の教師として、私たちはできるだけ多くのオイリュトミーを学ぶべきです。なぜなら、私たちに必要なのは、単なる身振りの外形だけではないからです。オイリュトミーの動きには、生命力が満ち溢れています。

 言語発達に障害のある子どもたちは、運動を必要としています。これは、話しすぎたり、不適切なタイミングで話したりする子どもたちにも当てはまります。これらは同じ障害ですが、異なる側面から現れているのです。そのような子どもたちには、落ち着きを取り戻させる必要があります。私たちは保護者に、子どもを膝の上に座らせ、明瞭で発音の正しい詩を朗読するように指導すべきです。

 私たち自身の性格や意志の衝動が、動きに特殊な性質を与えます。意志を通じて、私たちは動きに衝動をもたらし、魂を通じて質をもたらし、精神を通じて意味をもたらします。世界における万物のこの真の関係性の中で、子どもは健全で整った有機体―すなわち知恵の組織―を築き上げます。そうして初めて、成人して新たな一歩を踏み出すための自立心が生まれ、この世に存在するあらゆるものへの関心が芽生えるのです。この両方が必要です。

 

Q:空想(ファンタジー)とイマジネーションの関係についてお話しいただけますか?

A:エーテル的な力は肉体に対して作用し、次第に解放されて思考の力となります。その過程で、それらは感情の領域、すなわち内なる魂の力の領域を通過し、空想の性質を帯びるようになります(ルドルフ・シュタイナー:「ファンタジーとは、魂の領域へと投影された成長の力である。」)。

脳や思考の力に近づくにつれて、ファンタジーはますます凝固していく。なぜなら、それはすでに死に向かっている過程だからです。私たちが誰かを見る時、目を通じてエーテル体に印象を与えるのは、エーテル的な過程です。こうして私たちは印象を記憶する。それは死に向かっている過程です。イメージは固定化され、新しいもののための余地を作るために消え去らなければなりません。こうした消えゆく思考は、私たちが世界の中で自分の位置づけを定める助けにはなりますが、内面生活にとっては助けにはなりません。私たちの霊的な可能性を育むためには、ファンタジーの力を生き生きと保ち続ける必要があるのです。そうでなければ、私たちの存在全体が、この消えゆく過程の影響を受けてしまうでしょう。

だからこそ、おとぎ話は重要なのです。おとぎ話には、種として私たちの無意識の内に取り込まれ、後に内面生活の思考として現れるような、空想的なイメージが存在するからです。

子どもの身体の発達に関しては、生理学の教科書を参照して各臓器の発達について学ぶことができます。それぞれの臓器には独自の成長曲線があるからです。そして、これを精神的な発達の事実と結びつける必要があります。

生後9~10年間の子どもの教育において最も重要な事実は、運動が神経・感覚系を刺激するということです。熟練した動きはすべて脳を刺激します。なぜなら、脳が「鍛えられる」からです。脳はあらゆる動きや活動を認識しなければならないのです。子どもの脳を刺激するのは、大人の「知的な言葉」ではなく、子ども自身の活動なのです。私たちは保護者と共に働きかけ、このことを理解してもらえるよう支援すべきです。「身体の知性」こそが、「脳の知性」の基礎なのです。

Q:幼い子どもたちの言語障害についてお話しください。

A:言葉を大切にし、まるで生き物のように言葉を紡ぐことが重要です。言葉には意味がなければなりませんが、単なる情報の伝達手段ではありません。吃音のある子どもでも、克服しようという意欲さえあれば、成長するにつれてこの問題を乗り越えられることがよくあります。3歳児が吃音を見せる場合、ほとんどの場合(約95%)、その問題は自然に解消されます。時間をかけて耳を傾けてあげてください。ただし、子どもに「もう一度言って」と繰り返させるのは避けてください。就学前には、すべての発話訓練を、詩や歌、会話といった遊びの形で、はっきりと、あまり速くならないように行うべきです。こうした子どもたちのほとんどは、就学前段階では専門的な支援を必要としません。

Q:幼い子どもの自慰行為の問題についてはどうでしょうか?

A:これは環境の問題です。子どもが周囲に興味を示さなければ、自分の身体に興味を持つようになります。子どもの興味を引くような工夫をするべきです。解決策の一つは、子どもが周囲の環境で積極的に活動できるように導くことです。

Q:温熱力や防寒着に関して、防寒着を着ることを嫌がる子どもにはどう対処すべきでしょうか?

A:適切な服装で改善が見込める虚弱体質の子がますます増えています。特に、胴体部分(胸、お腹、背中)には何層も重ね着させる必要があります。そこは内臓がある部位であり、最も温める必要があるからです。体幹が十分に温まれば、手足にも十分な血行がもたらされます。手足は常に体幹よりも温度が低くなっています(28℃対37℃)。暖かい服を着るのを嫌がる子どももいます。おそらく、その服が合成繊維製だからでしょう。合成繊維の服を着て体を温めるのは、非常に不快なものです。また、約70%のケースでは、子どもが反抗の形で服を着るのを拒んでいる可能性があります!

Q:片親家庭の子どもについてはどうでしょうか?

A:片親家庭で母親と暮らす子ども、特に男の子については特別な懸念が語られることがありますが、通常、そうした子どもたちは人生の中で自分なりの男性像―叔父や祖父、あるいは近所の人など―を見出していきます。男性教師のクラスに配属することもできますが、その男性を特別なロールモデルとして受け入れるとは限りません。年齢混合のグループは、こうした子どもたちだけでなく、すべての子どもたちにとって有益です。なぜなら、それは家族のような役割を果たすからです。年少の子どもたちは、年上の子どもたちを尊敬し、自分自身の成長の行方を彼らに求めます。一方、年上の子どもたちは、自分たちがどこから来て、どこへ向かっているのかを振り返ることができます。教師は、年齢ごとの違いを見極め、芸術的な流れを作り出す必要があります。アシスタントもこのプロセスに加えることができます。年齢別に統合されたグループが、子どもにとって最善です。保護者が、子ども一人ひとりに毎日少なくとも5分間、意識を向けることができるよう支援すべきです。同様に、幼稚園においても、教師は週に1、2回、子ども一人ひとりと個人的な時間を持つべきです。今日の多くの子どもたちは、医師や治療的オイリュトミストによる癒しのケアを必要としています。人智学には、子どもたちを助けるための知識がありますが、十分な人材が不足しています。教師として私たちは知識を広げる必要がありますが、他の専門職の代わりになろうとしてはなりません。私たちは協力し合って取り組む必要があります。もし自分のコミュニティに人智学の医師がいない場合は、他のコミュニティの医師との関係を築くようにしてください。これにより、その人に電話をかけて、子どもに見られた症状を説明し、アドバイスを求めることができる。このようにして、私たちはこの地域で非常に必要とされている新しい社会的なつながりを築き上げている。

Q:現代の子どもたちが直面する多くの問題に、どのように対処すればよいのでしょうか?

A:現代社会に対する認識を深めていく中で、中には実に暗い未来像を描く人々もいます。もちろん、問題は数多く存在します。現代の食生活の問題と環境問題が相まって、子どもたちにアレルギーを引き起こしている実態が見て取れます。また、子どもたちが座りっぱなしの時間が長すぎたり、自発的な活動が十分にできていないことも明らかです。子どもたちはさまざまな距離から世界を見るべきであるのに対し、テレビの前に座っていると、たった一つの距離からしか世界を取り込んでいないことがわかっています。テレビが子どもたちに及ぼす問題は他にも数多くあります。例えば、子どもたちはテレビに映る人物の外見しか見ず、その人物の「自我」までは見ていません。感覚のほとんど、特に高次の感覚は働かされていません。したがって、テレビは子どもたちの統合を促すどころか、むしろ統合を阻害する作用を持っています。

食事の面では、大量の砂糖を摂取する子どもたちに問題が見られます。砂糖は消化管で容易に消化されます。その消化にはエネルギーを必要としません。砂糖を消化するのに胃さえ必要としないのに対し、パンなどのより複雑な食品から砂糖を作り出す必要がある場合、それを消化するには膨大なエネルギーを要します。砂糖を作り出すには労力が必要です。砂糖を食べることは、むしろ薬物を摂取するプロセスに似ています。ほんの少しの摂取で、一つの体験、一つの物語が始まる。それはあまりにも簡単で、ほとんど労力を要しない。また、現代の人々には多くの睡眠障害も見られます。人々は人生での経験をうまく消化できず、それが睡眠の問題につながっています。その結果、睡眠薬に頼るようになり、昼も夜も半睡半醒の状態に陥ってしまいます。

人智学は、現代のあらゆる問題を理解する手助けとなるべく、今世紀に誕生しました。こうした問題がなければ、私たちは自由への道を見出すことはできなかったでしょう。人智学など必要とされなかったはずです。これらの問題は自由の発展と深く関わっており、その意味で、贈り物なのです。過ちを伴わずに自由を追求することは不可能であることを、私たちは忘れてはなりません。

私たちは、そこから生まれる新たな可能性のために、人生の暗い側面を評価し、さらには愛するようにならなければなりません。そうすることで、これらのキリスト教的かつ人間的な側面を育むことができるのです。「ヴァルドルフ教育はテレビを禁じている」と言うべきではありません。むしろ、どの年齢ではそれが健全な衝動であり、どの年齢ではそうでないのかを理解しようとする努力なのです。16歳を過ぎれば、テレビを見ることは身体や魂にとって問題にはなりません。

予防接種に関しては、接種によってどのような発達の可能性が失われるかを理解しておく必要があります。親たちがこのことを知ると、しばしば悲しみを感じ、予防接種の限界を乗り越える方法を見つけたいと願うようになります。身体は、精神的な側面、すなわち思考の生活やおとぎ話の世界から刺激を受けることができます。エーテル体は、内側から、そして外部からの刺激要因を通じて、身体に働きかけます。

現代の最も危険な側面を考察すると、私たちの意志、感情生活、そして思考の中に、重大な障害が生じていることがわかります。意志の領域において、現代人は非常に受動的になっており、受動的になると、私たちは能動的な人々を嘲笑し、さらには憎むようになってしまうのです。これに対する癒しの解毒剤は、私たち自身の活動です。感情の領域では、私たちは嫉妬や憎しみさえも「批判」という名目の下に隠し、批判ばかりする社会となってしまいました。これらすべては、恐怖の衝動から生じているのです。私たちは他者の能力を恐れ、自分自身をも恐れている。他者への関心を育むことで、恐怖という障害を乗り越えることができます。この関心から、愛が生まれる。同情は愛ではありません。多くの人がそう思っているかもしれませんが、同情はあまりにも簡単に変わってしまうからです。思考の領域において、私たちの文化ほど多くの「嘘」を含む文化は他にありません。それは、答えに興味がないにもかかわらず「お元気ですか?」と自動的に尋ねることから始まり、そこから嘘は広告や、嘘に基づいた生活の他の多くの領域へと広がっていきます。嘘に対する癒しは、真実を愛することです。

 

฀ 意志฀฀ 感情的な฀ 思考฀

฀฀ ฀ 感情฀฀

無活動฀฀ 恐怖฀฀ 嘘

฀

฀活動฀฀ 愛฀関心฀ 真実฀

 

現代生活の状況において、私たちは活動、関心、愛、そして真実の道を志さなければならない。これは私たちを自由へと導く道であり、これこそがキリスト教の道である。こうした分野における教師の献身的な取り組みが浸透した幼稚園の環境の中で、子どもたちは個性を育み、それによって現代の困難を乗り越える力を得ることができるのです。

ガンと寄生虫とヤドリギ

 最近、In Deepさんの記事に「がんは寄生虫疾患と似ているのか?」という記事が掲載され、興味深く読んだ。以前からこうしたことはネット情報として知っていたのだが、それに関連して考えていたことがあるので、今回はそれについて記したい。

 先ず、上の記事の概要について紹介しておこう。

 それは「がんは、特に最近は若年層のがんが著しく増加していることが報告されています」という文章で始まる。このことについては、ワクチンの関係も指摘されているが、また別の問題なのでここでは述べない。

 続いて、In Deepさんの記事では、ガンに関して、「今年、『50年以上前に米 CIA が機密書類でがんと寄生虫の駆除薬の関係に言及していた』ということが話題になったことがある」ということが語られ、その内容が述べられている。

 

 CIAの機密文書の概要は次の通りである。

・ 寄生虫と悪性腫瘍( がん細胞)の間で、生化学的類似性(嫌気性代謝、グリコーゲン蓄積など)が見られる。

・これにより、寄生虫治療薬が腫瘍にも効果を示す可能性がある。

・その例としてミラシルDが挙げられ、ビハルツ住血吸虫症(寄生虫病)だけでなく、実験的な がんの成長に対しても有効だったとソ連の研究で報告されている。

・他にも核酸合成阻害やアテブリンなどが、寄生虫・腫瘍に選択的に作用する例として言及されている。

 

 そして「がんは 寄生虫疾患と似ているのか?」(Huseyin Vodinali 2026/09/15)という記事が紹介されている。その中では、「米国や欧州で行われているがん治療は、高額でしばしば効果のない化学療法に依存しているが、イベルメクチンやフェンベンダゾールといった安価で効果的な薬剤が進行がん患者を治癒できるという主張がますます多く見られるようになっている。」と述べられており、

 また「現在、イベルメクチンの がん治療への使用を調査する臨床試験(ヒトを対象としたもの)が 7件実施されている。そのうち 1件はカリフォルニア州で実施されており、6件はフロリダ州で実施されている。

 これにより、イベルメクチンは今日のがん治療分野において最も注目され、活発に研究されているアプローチの一つとなり、主流の腫瘍学分野で現在進行中のどの研究よりもはるかに説得力のあるものとなっている。」という。

 以上が記事の概要である。

 

 イベルメクチン(ivermectin)とは 寄生虫感染症を治療するための抗寄生虫薬で、日本の大村智博士(その功績により2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞)が発見した放線菌(ストレプトマイセス・アベルミティリス)由来の化合物を基に、米メルク社が開発した薬である。ヒトと動物の両方における寄生虫感染症の治療に使用されるが、よく「馬の寄生虫薬」と紹介されるようである。

 イベルメクチンは、新型コロナのパンデミックに際しても効果があるとされて話題になっていたのだが、それに付随して、ガンに対しても効果があるという情報も広がってきているのである。

 

 さて、上の記事は、簡単に言えば、ガンと寄生虫は類似しており、寄生虫に有効な薬や処置はガンにも効くということである。そもそもガンは、「悪性新生物」と呼ばれるくらいだから、ガンと寄生虫は似たようなものだとは感覚的には理解できるが、実際に、科学的にも検証されているのである。

 ある研究では、がん細胞が寄生虫と共通する戦略をもっているという。

・宿主組織を破壊しながら移動する(寄生虫の侵入・移動と類似)

・免疫から隠れる(免疫編集)

・宿主の免疫反応を操作する(寄生虫の免疫回避と同じ)

・組織構造をゆるめて拡散する(寄生虫の組織改変と類似)

 このようなことから、がんは「寄生虫のような生存戦略」を獲得した“自己細胞の変質体”と理解されつつある、というのだ。

 またネット上には、そもそもガンの原因は寄生虫という言説も見られる。これを一般化することは科学的には否定されているのだが、一部の寄生虫は実際にがんを引き起こすことが確認されているのである。例えば、肝吸虫は胆管がんを、血吸虫は膀胱がんを引き起こす可能性があるようである。

 

 寄生生物とは、宿主に寄生してそこから自分の栄養を得る生物である。そして、がんは“寄生虫ではない”が、“寄生的に振る舞う生命現象”である。このように両者は似ているのだ。

 さて、寄生虫は動物に寄生する生物であるが、植物にも似たようなものが存在する。それらは寄生植物と呼ばれる。そしてその1つにヤドリギが存在する。次にこれに関わる話しに移りたい。それは生物光子の研究とシュタイナーをつなぐ話しでもある。

 これは、以前紹介した書籍『シュタイナーと人智学』に述べられているので、その文章から要約する。

 

 生物光子(バイオフォトンbiophoton、生命を意味するバイオbioと光子を意味するフォトンphotonを組み合わせた造語)研究の先駆者であるドイツの生物物理学者のフリッツ・アルバート・ポップは、生物内の光を研究していた。

 ポップは、生物が微弱な光(紫外線から可視光領域の光で1~1000フォトン/秒/cm²)を放出する現象を発見し、これを「バイオフォトン」と名付けた。

 フォトンがどこからやって来るかというと、ポップによれば、生鮮食品(特に有機食品で、逆に加工食品や非有機食品は弱い光しか放出しない)や自然環境(太陽光、植物)がフォトンを放出し、これが人間に取り込まれるという。

 そして、ポップによれば、フォトンは、主にDNAがその生成・貯蔵の源であり、量子コヒーレンス(同期した波動特性)を持ち、細胞間の情報伝達や代謝の調整に寄与するとされる。バイオフォトンは、生物システムの「エネルギー場」や「情報場」として機能し、健康状態を反映する。健康な人間や高等動物の細胞などはコヒーレントな光を放出し、がん細胞や不健康な細胞は非コヒーレントで乱れた光を放出する。また、健康な状態では、バイオフォトン放出量は少なくても安定(低エントロピー)しており、病気やストレス下では、放出量が増加する場合や、逆に減少する場合がある、とされる。

 ポップは、他の生物の光子の情報を使って不調になった生物の光の調整に使えるのではないかと考え、癌治療に役立つとされる植物抽出物質の影響を研究した。その中で、ヤドリギ抽出物ががん細胞のバイオフォトン放出を正常なレベルに「修正」し、高コヒーレンスなバイオフォトンを放出し、これががん細胞の異常な光パターンを整えることを発見したのだ。

 さて、このヤドリギは、実は、シュタイナーの示唆により人智学派医療において研究され、実際にヨーロッパなどでは癌の治療薬として使われているのである。

 それは、1900年代初期にルドルフ・シュタイナーの指導により医師イタ・ヴェグマンが始めた研究から生まれたがん療法で、ヤドリギから抽出した医薬製剤イスカドール(Iscador)を使うものである。

 なお、これに関する和書には、『ヤドリギ がんを癒す自然の力』(ヨハネス・ヴィルケンス+ゲート・ベーム著 涼風書林刊)がある。またこのブログでも「癌とは何か②」(https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2023/03/22/081128)で掲載しているので参照してほしい。

 シュタイナーは、ヤドリギの生態(寄生・冬季の成長・独特の形態)を「がんの病理に対抗する生命力の象徴」と捉えたとされる。つまり、ヤドリギは寄生植物であるが、むしろ宿主を殺すような病気に対抗する力を備えているというのだ。

 確かにヤドリギは宿主である樹木を殺すようなことはしない。宿主の余分な水分を取り込んで自分の生存に役立てているだけで、両者は共存しているのである。

 寄生生物から寄生生物と似たガンに対抗する薬ができるというのも奇妙な感じがするが、「毒をもって毒を制す」という言葉は、医学的にも実際にその例を見ることができる。人智学系医療でも取り入れられているホメオパシー(同種療法Similia similibus curentur)も「似たものが似たものを治す」という治癒である。

 

 私は専門家ではないので、これ以上論じられないが、寄生生物とガンに共通点があるのは確かなようである。イベルメクチンについても更に研究されていくだろう。

 イスカドール(Iscador)については、薬効成分が色々研究されており、医学的にも認知されているようである。ホメオパシーの原理は科学的にAはまた認められていないのだが(理論的に薬効が期待できないほど成分が希釈されるため、今の科学はその効果を認めないのだが、そこには別な原理が働いている。これについても『シュタイナーと人智学』を参照)、実際に効果があり治療に役立てられている。

 今回こうして述べてきた事柄は、どちらかと言えば、今の科学、医学では主流ではなく、まだ周辺的存在であり、未解明なことも多い。しかしその未解明な部分には、人間や自然の本質的なものが隠されているように思う。

 将来いずれこうした問題も解明されていくことを期待したい。

エーテルの基礎【後編】

 前編から続く後編である。

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 2.1.5  4種類のエーテル

 

エーテルの力は、物理的に知覚可能な自然界に作用する、非物理的かつ霊的な性質を持つ力である。これらは主に、生物の発達における形態造形や組織化の過程に関与している。ルドルフ・シュタイナーは、熱エーテル、光エーテル、化学エーテル、生命エーテルという4種類のエーテルを記述しており、これらは火、空気、水、土という4つの元素(Element)と関連付けられている。

【注:エレメント(元素)については以下に説明されるが、化学や物理学で言う元素とは異なる。物質そのものよりもその現われる形体の区別である。ギリシアでは、最初4元素が考えられていたが、プラトン、アリストテレスにより第五元素としてエーテルが加わることとなった。

 

これら4種類のエーテルは、ギリシャの元素論における4つの元素への対応によっての特徴付けられる。ただし、これらの元素は、実際に存在する火や土などを指すものではない。ルドルフ・シュタイナーは、物質世界がこれらの「原初的な構成要素」から成り立っているとする四元素説の意味でこれらを用いている。例えば、「水」により、「流体のもの」そのものが考えられているのだ。前述の四元素は、その内部で作用するエーテルの力の現象形体として現れる。各元素には、それぞれ一つのエーテル種が結びついている:

 

エーテル種:熱エーテル 光エーテル 化学エーテル 生命エーテル

元   素:火     空気    水      土

 

エーテル種と四元素とのこの結びつきは、地球の進化における共通の発展過程から生じている。【現在の】地球は、その過程で、それぞれの段階でエーテル要素と地球要素が対をなして造形された4つの惑星段階を含んでいる(STEINER 1989を参照)。

【注:地球の最初の段階である土星紀に熱(火)と熱エーテルが、次の太陽紀に光エーテルと空気が、月紀に化学エーテルと水が生まれ、現在の地球紀に生命エーテルと固体が生まれ、現在の地球はそれらすべてを備えている。

 

ヴァックスムートは著書『地球と人間』(1980: 85)において、4種類のエーテルとその作用範囲について次のように記述している。「したがって、自由な生命エーテル、化学エーテル、光エーテル、あるいは熱エーテルは、それらが物質や構造の中に沈潜し、結合している場合とは全く異なる機能を持つ。したがって、物質界においては、生命エーテルの造形力は主に形体をもつように凝縮された構造物において、化学エーテルの造形力は液体において、光エーテルの造形力は気体において支配的であり、一方、熱は物質界と自由な力の世界との間の移行領域を支配している。したがって、物質界においては、化学エーテルは主に液体のプロセスにおいて、光エーテルは気体状の領域において作用することになる。」

【注:生命のない自然界では、生命以外の3つのエーテルは、単独で働くが、生物の中では、4つのエーテルが共に働いている。この中で熱エーテルは地球において最初に生まれたものであり、その物質世界での現われである熱(火)は、感覚的世界と超感覚的世界の橋渡しをするものとなっている。熱(火)を通して両世界は往来しているのである。】

 

「エーテル力」あるいは「エーテル的造形力」という用語は、人智学を基盤とする文献において、さまざまな記述がなされている。マルティ(1989: 48)は、これら二つの用語を次のように区別している:

「エーテル自体は非特異的に、すなわちあらゆるものに等しく作用する。葉や花、あるいは心臓といった具体的なものが生じるためには、エーテル力に加えてさらなる力が加わらなければならない。これらが造形力である。造形力は、葉や果実、植物や動物を生み出すようにエーテルに影響を与える。」

 

 4種類のエーテルの作用の例:

• 熱のエーテル:熱が生じる場所にはどこでも、その背後に超感覚的な力が働いている。

植物界におけるスパイシーさや芳香―それは、暖かい夏の果実や、一部の針葉樹の精油、あるいは香りのよい樹脂に見られるものだが―これらすべては、熱エーテルの働きに起因している。

• 光エーテル:あらゆる光の現象は、このエーテルの力の表れである。光エーテルは、とりわけ「空気」の要素の中に存在する。光エーテルの作用力は、雪や山水晶の繊細な造形に表れており、また、スギナやカモミールなど、極めて繊細な構造を持つ植物にも見られる。

• 化学エーテル:その力は、液体媒体における化学的プロセス、すなわち分化、分離、結合を引き起こす(WACHSMUTH 1924: 39 参照)。化学エーテルは「音のエーテル」とも呼ばれる。これは、化学的な性質を持ちながらも、音の造形に寄与する現象が存在するためである。

• 生命エーテル:生命エーテルは、形態造形の過程に関与している。木材、葉の組織、骨など、あらゆる固体物質の生成は、生命エーテルの働きに起因する。その典型的な例として、牛の角が挙げられる。

 

一方、ヴァクスムート(1980)によれば、エーテルの力は造形力と同一である。「造形力において我々は、単に均一な性質を持つエネルギーや力の世界、決して均一で一般的な『生命力』 やそれに類するものではなく、多様で異なる性質を持つ作用原理と向き合っている。それらは、その中に作用する傾向を、特定の運動過程、膨張や収縮、現象世界における特定の形態やプロセスの造形へと具現化し、これまでに単独で考察されてきた物理的側面からは導き出せない、むしろそれらに上位に位置する特定の性質と結びついているのである。」 (WACHSMUTH 1980: 79) ヴァックスムートによれば、エーテル的造形力は、自由な力として、あるいは物質や有機的構造に結びついた力として、二つの現れ方をする。

【注:人智学者の中には、今の感覚的世界が存在するには、エーテルのみでなく他に造形力が必要であるとする考えと、造形力はエーテルそのものに備わっているとする二つの考え方があるということ。】

 

ルドルフ・シュタイナーは、宇宙において作用するエーテル的造形力を計7つ挙げているが、そのうち現在の現象世界の時空間的プロセスにおいて顕現するのは4つに過ぎない(ヴァックスムート1924: 35参照)。シュタイナーの『農業講座』における解説では、4つのエーテル力が挙げられており、これらは「地上の力」と「宇宙の力」にまとめられている。地上の力と宇宙の力は、互いに極性的に対立している。宇宙の力には熱エーテルと光エーテルが、地上の力には化学エーテルと生命エーテルが含まれる。すべての生命体は、宇宙的・地上的の二極性をその内に宿しており、この対極的な力の緊張関係の中で発展が起こる(STEINER 1985を参照)。

「熟しつつある果実からは、植物の存在における地上の力と宇宙的な力の相互作用が特に明確に読み取れる。果実は、地上の物質性によって、質量、密度、重さという形を与えられている。リンゴの重みで、木の枝が折れそうになるほどだ!しかし、もともと色も味もなかった物質の粒子に、星の領域が色彩、香り、味、そして保存性といった性質を与えているのである。」(ビューラー 1987: 54)

熱エーテルと光エーテルという宇宙の力は、膨張する傾向を持ち、中心点から放射状に広がることを志向しており、遠心的に作用する。一方、地球の引力の影響をより強く受ける残りの二つ、すなわち化学エーテルと生命エーテルは、収縮する傾向、つまりすべてを特定の中心点に集中させようとする傾向を持ち、吸引的な、求心的な作用を及ぼす。

「植物の極性を考察すると、根の領域には物質の凝縮、集中、そして水分やミネラル分の蓄積という傾向が見られ、そこでは有機体が外界を自らの内部に取り込もうとしている。対照的に、花の極では、外界に開かれ、身を委ね、放射し、粉々になる傾向が見られる。

このように、下極では基本的に求心性の作用場が、上極では遠心性の作用場が支配的である。葉の領域では、蓄積と放出、同化と異化、受け取りと与え合いがリズミカルに交互に繰り返されている。ここで、生物全体の上極と下極との間のリズミカルな均衡が成り立っている。」 (ヴァックスムート1980: 251)

根の極には主に化学エーテルと生命エーテルの力が存在し、それとは反対側の花の極には熱エーテルと光エーテルの力が作用している(図2-3「植物における極性の力の作用」参照)。

三分肢構造は、宇宙と地球の極性に基づいており、人智学の自然理論における特別な構造化原理である。植物において―そして人間や動物においても―この三分肢構造は有機体の中に現れる【注】。そこでは、外の世界へと開かれ、委ねようとする傾向を持つ「拡張の極」と、凝縮し、内側へと集中しようとする傾向を持つ「集中の極」が対をなしている。これら二つの対立する極の間には、結びつける第三の要素が加わり、リズミカルな交替によって均衡を生み出している。植物はこの三分肢構造をその一般的な特徴として示しており、葉がその仲介的な結びつきとなっている(図2-3参照)。「根の実質を凝縮し、水分を吸収する下極とは対照的に、上極はその特徴的な傾向として、宇宙の光の世界に対する開放性、すなわち『自らを放射する』傾向、花粉における物質の微細化、種子の散布などを示している」(ヴァックスムート1980: 255)。

【注:人間の三分肢構造とは、頭部:感覚神経系、胸部:循環系、四肢:代謝系である。】

 

動物や人間においては、このリズミカルな連結点は胸部領域に見られる。植物との比較において重要な相違点は、動物や人間の頭部極において作用の方向が逆であることであり、ここでは求心的な、凝縮をもたらす造形力が優勢である。

【注:植物は、人間の構造が倒立しているという。植物では、人間でいう頭が下になっているということである。】

 

2.1.6 エーテル的性質の表現としての形態と色彩

2.1.6.1 序論

 

エーテル的なものには二つの現れ方がある。それは、四つの構成要素からなる、まだ形を成していないエーテル力と、そこから発展する個々のエーテル体である。地球という有機体を考察することで、このことを如実に示す例を見出すことができる。世界の海は、地球表面の約70%を占めている。海は海流やリズムに支配されており、その全体としては非個体的な形態を呈している。四種のエーテルが介入することで、個別の造形過程が生じる。熱のエーテルの働きによって蒸発が起こり、特徴的な雲の形が造形される。雨滴には化学エーテルが表れ、雹の粒には生命エーテルの造形力が働き、結晶状の六角形構造を持つ雪の結晶には、光エーテルの典型的な造形様式が現れる。

「さまざまな化学元素において、他のエーテル的造形力が結晶化の過程でどのように作用するかによって、三角形や球形、あるいはそれらの混合形などが生じる。地球有機体内の関連性は、雹、雨、雪など、すなわち上層大気から私たちのもとに降り注ぐ成形された実質において、極めて明確に示される。」(ヴァックスムート1924: 182)

第一に天からの贈り物である水について、もう少し考えてみよう。それは、雨や雪、露や霧の中で、空気中の水蒸気から液体として新たに生成される。水とは、私たちの水域を満たし、そこを流れ、土壌を潤し、地下水を通じて井戸や泉から私たちに清らかな飲料水をもたらしてくれる液体である。湿気が生じる場所ならどこでも、水は生命の源となり、数え切れないほどの微生物、植物、動物にとっての生息地となる。そして、水は常にエーテルの活動を運ぶ媒体なのである。

流れる水の中には、その特徴的な形が波や渦である特定の形態が現れる。有機的な造形の領域においても、水のこうした基本的な形態―波と渦―は繰り返し現れる。テオドール・シュヴェンクは、これらの有機的な造形を徹底的に研究し、その過程で次のような疑問を抱いた。「水は、その影響を受けやすい性質ゆえに、自らの背後にある造形力や創造的な理念に従属し、それらにとって単なる可視的な表現に過ぎないのだろうか?しかし、それはつまり、水が、それより上位にある(精神的な)緒力の世界の身体であり、その力の世界が、いわば水を通じてその素材界にのみ入り込み、それによって媒介者として有機体を造形しているということになる。」(シュヴェンク 1982:47)

シュヴェンクは、自身の著作『感覚的なカオス』【邦訳本『カオスの自然学』工作舎刊】の別の箇所で、この問いに次のように答えている。「それはまるで、器官の造形において、水の法則に従いながらも目に見えない世界で支配する力の世界が、創造し造形しているかのようだ。その力の世界は、流れるような反復の中で形を何度も何度も描き出し、物質をゆっくりとその中に組み込んでいく。それは確かに肉体の感覚による直接的な知覚からは逃れているが、私たちは、目に見えない書き手が水で水の上に文字を書き記している様子を認識している。その目に見えず、したがって超感覚的な力の世界について、ルドルフ・シュタイナーの精神科学は、それを『エーテル的な造形力の世界』と説明している!(シュヴェンク 1982: 51)

造形力は、有機的な形態を造形するために、媒体としての水を作用点として必要とす。エーテルの力が、霊的な造形力として物質的な自然界に浸透するためには、水が急速で混沌とした運動状態にある必要がある。この「感覚的な混沌」こそが、エーテル的造形力の造形作用のための前提条件である。

【注:植物の種子も、混沌状態になることにより宇宙からの力を受入れることができ、植物へと成長していく。】

 

エーテルの極性―一方には膨張する傾向を持つ熱エーテルおよび光エーテルという宇宙的力、他方には収縮する傾向を持つ生命エーテルおよび化学エーテルという地上的力(表2-2参照)―は、あらゆる自然現象の根底にある原初原理を示している。エーテルの力は、固体、液体、気体の物質とは全く異なる性質を持っている。したがって、エーテルの力は物質や元素と同一視することはできない。

「物質の運動形態や法則をエーテルに当てはめても、エーテルについての正しい理解には至らないだろう。しかし、エーテル、あるいはエーテル的な造形力を、あらゆる実体性を剥ぎ取られた造形力、作用原理として捉え、それらが現象世界において、特定の運動や、特定の性質を持つ特定の形態を造形するという、その内部に作用する傾向のみを具現化するものと見なせば、この困難は解消される。したがって、光エーテルによって実質的な媒体の中で引き起こされる振動、すなわち形態は、三角形の図形を表していると言えるだろう。」(ヴァックスムート 1924 : 39)

ギュンター・ヴァックスムートが著書『宇宙、地球、そして人間におけるエーテル的な造形力』で述べた、4種類のエーテルに特有の4つの異なる造形傾向は、後年、実験的に裏付けられた。また、植物の再生に関する独自の調査からも、これらの記述が実証された。

 

2.1.6.2 4種類のエーテルの典型的な形態:

 

•    熱エーテル:熱エーテルの形態的傾向は球形、すなわち球状である。「もしそれが単に『運動』であるなら、それが作用する実体的な媒体において、やはり運動を引き起こすことしかできないだろう。しかし、その運動形態には球体的な形を生み出す傾向が不可分につながっているため、自然界のどこに現れても、球体的な形を生み出すのである。」(ヴァックスムート1924: 37)

•       光エーテル:光エーテルが作用する場所では、3角形や6角形の形態が支配的である。例えば、雪の結晶、水晶、あるいは蜂の巣などが挙げられる。

• 化学エーテル:化学的プロセスは、とりわけ液体の中で作用する。そのため、化学エーテルの影響を強く受けて成長する植物は、平面的で丸みを帯びた形態を造形する。

•    生命エーテル:数字の「4」は、四元素や四季など、地上の領域と関連付けられている。生命エーテルの造形作用は四角形であり、結晶化する塩などにその表れが見られる(ヴァックスムート1924: 182 参照)。生命エーテルの典型的な造形傾向は、植物における木質化という一方向的な物質造形過程に見出すことができる。

 

2.1.6.3 4種類のエーテルの典型的な色

 

精神科学の考え方に従えば、色彩の世界における様々なバリエーションは、地球有機体におけるエーテル的造形力の働きによって生じる。「地球有機体の光を通す物質界において、

 

•    熱エーテルが作用すれば、赤色が現れ、

・- 光エーテルが作用すれば、黄色が現れ、

•    化学エーテルが作用すれば、青色が現れ、

•    生命エーテルが作用すれば、紫色が現れる。」(ヴァックスムート 1924:159)

 

その水的な要素が主に化学エーテルによって支配されている海は、したがって私たちには青く見える。対照的に、主に熱エーテルによって支配されている燃え盛る炎は、赤く見える。「あらゆる色は、光と闇という現実のエーテル的力同士の闘争の結果である。」(ヴァックスムート1924:159)

 

2.1.6.4 要素、エーテルの種類、形態、および色間の精神的な関係

 

人智学では、元素とエーテルの種類との間に、精妙な物質性をもつ精神的性質の関係や相互作用が確立されている。私たちは、四つの要素、あるいは四つのエーテル力が、それぞれ独立して作用する力の領域として捉えがちであるが、自然界においては、四つのエーテル的造形力が常に相互に作用し合っており、あるいは一つのエーテル力が他の三つのエーテル力に対して支配的な役割を果たしている。個々の元素の間、あるいは同じ元素に属する凝集状態の間の相互作用は、(いかなる物理的な媒介も介さずに)エーテル的要素の微細な力の働きを通じて行われる。熱エーテルの作用する場合にのみ熱現象が生じるのに対し、光や化学的プロセスといった他の現象は、それらを引き起こすエーテル的な力自体が最初から全く異なる性質を帯びているため、それによって全く異なる性質を持つことになる。

思考を明確にするためには、表2-3に示されているような図式的な分類が非常に有用である。なぜなら、それは理解を容易にするからである。まず、区別することを学ばなければならないからだ。しかし、生の現実は当然ながら決して図式的ではない。したがって、共に考える者として、私たちは頭の中で、この明確に区切られた枠組みを再び乗り越えなければならない。

 

2.1.7 エーテル的造形力の現れとしての植物の形態

2.1.7.1 序論

 

植物はその成長において環境に完全に開かれており、その形態の造形においてエーテル的造形力の影響に強く反応するため、植物のさまざまな現れ―その形態―から、エーテル力の影響をたどることができる。その際、植物が「原型」に従って現れているのか、それとも原型の変容が起こっているのか、という点を基本的に区別する必要がある。この変容した植物像への影響は、実に多様な作用領域から生じ得る。植物の様々な例や植物の成長過程を通じて、個々のエーテル力がどのように作用しているかが明らかになることを示したい。なぜなら、エーテル力が表現されるのは、まさに植物の形態そのものだからである。

【以下省略】

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最後に「原型」(Urbild)という言葉が出てきたが、これはゲーテが自然学の論考で用いた言葉でもある。生あるものでもないものでも、今地上にある固体のものは、一定の形を持っている。つまりそれらには原型があるのである。それはもちろん、理念的なものと言えるが、プラトンが語ったイデアのように、それはもともと霊界に存在しており、つまりそれこそが実在なのである。

生物と無生物との違いの1つは、生物においては、形が変容していくということである。それは時間の中に現象していくのである。エーテル体とは「時間体」なのだ。

 

もちろん、今回紹介した論考でエーテルについて全てが語り尽くされているわけではない。今回の論考に出てきた、例えばヴァックスムートは、シュタイナーの高弟で主に自然科学の分野で研究を行なった人物で、このような人々の研究によりエーテルに関する基礎的な知識が形作られてきたのだが、上で少し触れられていたように、それでもいくつかの点については論争があり、人智学の中で必ずしも全てのことで意見が一致しているわけではない。

なにしろ相手は、実際には感覚で捉えられないものである(その働きの結果は感覚的世界に現われるが)。一般的な科学の対象のようには行かないのだ。

しかし、人智学者の中では研究は進んできており、今ではエーテルの「実用化」についても語られるようである。シュタイナーは、未来のエネルギーとしてエーテルを考えていたのだが、そのことについては既に何度かこのブログで触れている。かつてキーリーモーターという、今は忘れられてしまった発明が存在したのだが、シュタイナーはそれにその端緒を見ていたのである(ブラヴァッツキーもまた)。

そして今、エーテルの実用化を実現しようと研究しているグループも生まれてきているのである。実は、シュタイナーは、「神秘劇」という劇の中で、キーリーモーターを思わせる、エーテルのエネルギーを生み出す器具を舞台の小道具として使っているのだ。しかもそれは張りぼてのような単なる小道具ではなかった。シュタイナーは、これについて、形はもちろん、素材についても詳しく注文しているのである。つまり、おそらく、それこそ実際に稼働するものとして構想されているようなのである。なお、これらについて、後日触れていきたい。

エーテルの基礎【前編】

 シュタイナーは、人間は、肉体・エーテル体・アストラル体そして自我という4つの構成要素からなると教えている。そしてさらに、自我が下位の構成要素に働きかけることにより霊我等の高次の霊的な構成要素が加わっていくとしている。

 エーテル以上の構成要素は、しかし物質的感覚では知覚できないので、それらも霊的な構成要素と言って良いだろう。霊的認識能力がある者にはそれらは見えるのである。いわゆるオーラなどと称されるものである。

 シュタイナーの霊的進化論によれば、現代の人間は、この霊的認識能力を獲得しつつあるとされており、それによりエーテルを先ず認識できるようになるようである。人々がエーテル界に再臨したキリストを体験するというのも、そのことと関連しているのである。

 このエーテルについては、これまでも幾度かこのブログで触れてきている。多くの記事の中で出てくる概念である。しかし、詳しくこれを論じる論考を紹介したことはなかった。今回は、このエーテル自体をテーマとする論考を取りあげる。

 エーテルという言葉は、シュタイナーを学ぶ人にはなじみのある言葉だと思う。近代のオカルティズムの中では神智学協会で使われるようになったのだと思うが、これは近代オカルティズムの「発明」ではない。調べると直ぐに分かるが、類似の概念は古代に既に存在していたものである。東洋で言う「気」や「アーカシャ」と同じという解説も存在する。つまり普遍的な概念なのだ。

 しかし、それが実際にどのようなものかというと、簡単に説明するのは難しい。これが、このブログで今まで本格的にこの問題を取りあげてこなかった理由でもある。

 今回紹介する論考は、最近手に入れた『エーテルの探究Ätherforschung: Grundlage für die Regeneration von Pflanzen und den Wiederaufbau der Landschaft』という本のエーテルについての概論部分である。エーテル全般を理解するのに役立つと思われる内容である。

著者は、Jörgen BeckmannとGeorg Wilhelm Schmidtの2人となっているが、Georg Wilhelm Schmidtがシュタイナーの示唆のもとに、自分の父親と農作物・果樹・森林樹木の再生と種子の発展のために実践し研究した成果を、生物学博士Jörgen Beckmannが、シュタイナーのエーテル論に基づいて体系化した内容というものらしい。

なお予備知識として、本文の前に多少解説を付しておく、また文中にも注記で補足していく。

 

シュタイナーの宇宙論では、世界は大まかに物質的世界とアストラル界、そして霊界の3つに分かれている。エーテル界という言葉も使われるのだが、この中ではエーテル界は独立した世界とはみなされていない。物質的世界とアストラル界の両者にまたがるあるいは媒介する領域なのである。エーテル界を一種の霊的(超感覚的)世界と見るなら、それは、従って、物質的世界に接した、一番近い霊的(超感覚的)世界ということになる。

人体論的には、エーテル体は、先に述べたとおりで、「人体」を構成する要素の1つであるが、そのエーテル実質は、このエーテル界から人体の中に取り入れられたものなのである。通常の人間の場合、このエーテル実質は、人が死ぬことにより、普遍的なエーテル実質(エーテル界)に戻っていくことになる。しかし霊的に成長した人の場合、それは個人的なエーテル実質として死後も保持されることになるのだ。高次に発達した人間のそれらは、複製され他の人間に利用されることもあるという。

エーテル体は生命原理であり、それが無生物の鉱物的存在に入り込むことにより、生き物が生まれることとなるのである。しかし、エーテルの役割は、生命体を生み出すことだけではない。そもそも物質的世界を作り出し維持すことにおいても不可欠のものなのである。

また、一般的に、それは4種類存在するとされる(他に「道徳エーテル」などというものもあるが、これはまた別途論じたい)。それらは、一度に生じたのではなく、地球の古土星期から順次その種類を増やしてきたのである。古土星、古太陽、古月、そして現代の地球期の4段階で複層化してきたのだ。

では、前書きはこれくらいにして、本文に移ろう。

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2 エーテル界の基礎

2.1 エーテル学入門

2.1.1 エーテル界

 

「エーテル界」という表現は、人智学の世界観において、現実の一領域を指す用語として用いられる。これは、「物理界」、「心魂界【アストラル界】」、「霊界」といった名称が、それぞれ現実の領域を示すのと同様である。エーテル界は、物理界と心魂界の間に位置している。人智学における自然観では、鉱物界、植物界、動物界、人間界の4つの界が区別される。これらの各界には、それぞれ特徴的な作用原理が現れている。鉱物界では無機的・物理的な原理、植物界では生命的な原理、動物界では霊的な原理、そして人間界では霊的な原理である。

 「生命」とは、エーテル界の領域である。エーテル界は、植物、動物、そして人間の生命現象における原動力である。エーテル界の作用範囲を理解するには、生きた有機体が死んだ有機体へと移行する過程を思い描き、その際に死んだ有機体から何が失われているかを自覚すればよい。死んだ有機体には、呼吸、循環、栄養摂取、成長などの生命機能が欠けている。R・シュタイナーによれば、生きている有機体は、彼が「エーテル体」と呼んだ霊的な体によって織りなされている。エーテル体は目に見えない超感覚的な組織であるが、その働きは物質界への介入や造形を通じて現れる。

【注:睡眠中の人間は、アストラル体と自我が体から抜けている状態である。死ぬということは、更にエーテル体も抜けていくということになる。】

 

エーテル体は、目に見えない超感覚的な組織であるが、物質界への介入や物理的現象の造形を通じて、その働きが可視化される。私たちの知覚能力は、まず感覚的な領域において物質的(物理的)世界の知覚に向けられているが、それでもなお、非物質的・霊的な世界の一端を知覚することも可能である。

 

 2.1.2 四つの自然界の本質的構成要素

無機物と生物を区別するにあたり、人智学の世界観では、鉱物界において物質性は、その作用が物理学的に解釈可能な力によって支配されていることが強調される。一方、生物においては、超感覚的な性質を持つ、より高次の組織原理が加わっている。ルドルフ・シュタイナーは、自然の記述において四つの自然界を区別している。これらは互いに積み重なり合っているため、自然界の階層構造があると言える。四つの自然界には、鉱物界、植物界、動物界、そして人間界が含まれる(STEINER 1981を参照)。シュタイナーの見解によれば、生物は物理的な体に加えて、「超物理的な」体も持っている。それに応じて、これらの自然界の領域内には、物理的な要素と「霊的な」要素が示される。物理的な領域は、自然科学が宇宙や地球、そして自然界について研究してきたすべてのものを包含する。シュタイナーの世界観によれば、自然界には、生命過程や物理的過程を決定づける、上位の霊的な力が作用している。というのも、ルドルフ・シュタイナーは霊的なものを第一義的なものと捉えており、自然界におけるあらゆる現象は霊世界の生命表現として解釈されるからである―したがって、物質とは凝固した霊である。

【注:初めに存在したのは霊である。霊のみが存在しており、それが言わば凝固することにより他の世界が生み出されていったのである。幾つもの段階が経過して現在の物質的世界が生み出されたのであるが、やがてそれらはまた霊界に戻っていくのである。ちなみに、物理学関係に『物質のすべては光 ― 現代物理学が明かす、力と質量の起源』(著者はノーベル物理学賞受賞者のフランク・ウィルチェクFrank Wilczek)という本がある。シュタイナーによれば、光は一種のエーテルなのである。】

 

ここでシュタイナーが用いる「体」という概念は、特定の有機体内に存在し、あるいは作用している諸原理の総称に過ぎず、これらはヴァクスムート(1924: 222)によって次のように特徴づけられている【注】。

・「物理的肉体」

ある有機体にそれぞれ属する物質の総体

・「エーテル体」

その有機体の形態や生命現象において作用するエーテル的な造形力

・「アストラル体」

その特定の有機体において造形的に作用する衝動、欲望、情熱など、すなわち霊的な衝動の総体。

【注:英語「body」(ドイツ語ではLeib)や日本語の「体」は、魂に対立する肉体を表わすが、1つにまとまったものを表わす場合がある。上の説明にあるように、このことから「エーテル体」等の言葉が使われるのだ。従って、「体」といっても必ずしも物質的なものではないことに注意が必要である。】

 

この超感覚的な体は、自然界の各界において異なる構造を持っている。「霊的な体」の質の違いは、とりわけ自然界の各界の質の違いの原因の一つであり、その結果、人間、動物、植物、鉱物間の差異を決定づけている(表2-1参照)。

すべての物質的客体は、物理的体を有している。それはまず、無生物の鉱物性物質から成り立ち、物理学および化学の法則に従う。しかし、生物においては、この物理的肉体は、生命の力によって形作られ、維持されている。

植物は、物理的肉体に加えて、いわゆるエーテル体を持っている。これは、成長、生殖、代謝、形態造形などを引き起こし、調節する生命の力の担い手である。「エーテル体は、化学的・物理的な物質を、それらが生命のプロセスとなるよう形作るものである。」(STEINER 1981: 26)

植物が枯れる際、エーテル体の喪失によって分解のプロセスが始まり、植物が個々の鉱物成分へと分解されていく様子が明らかになる。

動物は、物理的体、エーテル体、そしてアストラル体を備えている。アストラル体は、欲望、恐怖、痛み、その他の感情といった力を内包し、調整し、統合するため、しばしば「魂の体」とも呼ばれる。「アストラル体という言葉は、天体体あるいは星の体とも呼ぶことができ、星の世界と関連し、そこから由来する力の組織を指し示している。」(ビュラー BÜHLER 1987: 63)

【もともと「アストラル」は「星の・星界の」を意味している。】

 

アストラル体は星の力を統合し、地球圏の外で作用する宇宙の力とのつながりを築く。動物界においては、アストラル的なものは内側から作用する。しかし植物においては、アストラル的なものは外側から作用し、外側から植物を貫流する。

人間は、物理的肉体、エーテル体、アストラル体、そして第四の存在要素としての「自我」を持っている。「自我」とは、時間を超えて個性として存在し続ける、人間の霊的中心を意味する。自我こそが、人間を個として成り立たせているものである。それは人間に、感情を超えた純粋に霊的な次元における意思決定の自由を与える。人間の自我構造は、意識、自由意志、道徳的行動能力、そして思考力の担い手である。

【自我は輪廻転生の主体である。自我をもつということは、個別・独立した存在であることを意味する。そのような存在においてこそカルマは意味を持つ。】

 

自然界の4つの異なる段階、すなわち鉱物・植物・動物・人間、それぞれが独自の法則を有していることが明らかになっている(表2-1参照)。個々の自然界は、無機・鉱物界から始まり、植物界などを経て、階層として捉えられる「秩序」の各段階において霊的な次元が加わっていくという特徴を持ち、したがって、これは基本的な進化の原理として理解されるべきである。

【注:地球自体も進化してきており、最初の段階は土星と呼ばれ、次に太陽、月を経て現在の地球へと至っている。土星で先ず肉体の元が形成され、それに続いてさらに他の構成要素が加わっていったのだ(太陽:エーテル体、月:アストラル体、地球:自我)。鉱物・植物・動物・人間の各領域(界)は、この4段階に対応している。】

は、

 

2.1.3 エーテル体とアストラル体 ― 植物界から動物界への移行の特徴について

2.1.3.1 序論

 

シュタイナーによれば、植物の物質的な身体は、第二の非物質的な身体性によって織りなされており、彼はこれをエーテル体、あるいは造形力体と呼んでいる。この造形力体は超感覚的な組織化力を表しているが、その作用は、物質性への介入や、物理的な構造や器官の造形を通じて顕在化する。あらゆる生物はエーテル体を持っており、細胞分裂の刺激、成長、形態の造形、そして再生能力や生殖能力をこのエーテル体に負っている(例:その形態、ならびに再生能力および生殖能力(ビュラー1987: 51 参照)。

エーテル体は、原則としてあらゆる生命現象の担い手であり、したがってあらゆる生物に見られるものである。ルドルフ・シュタイナーは、このエーテル体をしばしば「物理的身体の建築家」と表現した。この「建築家」は、生物の構造を調整し、構築し、組織化する。

「造形力体の組織化により、特定の極性、領域、器官系、および個々の器官が空間的に並列に配置される構造を築き上げるだけでなく、特定の造形力が時間的な順序で作用することにより、発達の過程にも影響を及ぼす。ある造形力が一時的に優勢になったり、例えば求心性および遠心性の造形力がリズミカルに交互に作用したりすることで、発達の過程に影響を与え、その結果、細胞分裂や伸長、絞扼や陥入、あるいは展開や拡張といったプロセスへと導かれるのである」。(ヴァックスムートWACHSMUTH 1980: 357)

 エーテル体は、画一的に作用する力ではなく、熱エーテル、光エーテル、化学エーテル、生命エーテルという4つのエーテル力の相互作用である【4つの種類については後に詳しく説明される】。植物の身体的形態は、これら4種類のエーテルから成るエーテル体によって構築される。胚葉から枯れた植物に至るまでの植物の発達段階において、4種類のエーテルは極めて異なる形で作用する。発芽過程において、多くの植物種の胚葉は、後の葉の形とは全く異なる形状を示す。化学エーテルの強い作用により、胚葉には丸みを帯びた広範囲な形状がしばしば現れる。化学エーテルの片寄った作用は極めて強く、それぞれの種に典型的な葉の特徴さえも覆い隠してしまうほどである。一年生植物の春の発育期における下部の葉層には、幅広で丸みを帯びた形状がしばしば見られる。その年の日照量がピークに達する時期(洗礼者ヨハネの祝日・夏至祭)に向けての発育段階になって初めて、葉の大きさは縮小し、一部の植物種では、光エーテルの影響下で、花の下部から葉縁が細線状になるまで、強い鋸歯や切れ込みが現れることがある。雌しべ、雄しべ、花粉の最も繊細な形態造形においても、光エーテルの働きが認められ、空気要素との関連も見出される。こうして、風は羽のように軽い花粉を、大陸を越えて運ぶのである。熱エーテルは主に果実造形の質を決定づける。味、香り、芳香の造形は、熱エーテルの作用に起因する。

植物のエーテル体は、動物や人間のものとは異なる構造をしている。植物は本質的に、外界、すなわちその環境に向かって造形される。植物は葉のシステムにおいて、まさに「表面の存在」であり、その性質上―開かれた樹液の流れに貫かれながら―球体的な周囲の力に心を開き、身を委ねることができる(ビューラー 1987: 60 参照)。

「生物組織の造形力体の自律化は、自然界において特定の段階を経て進行する。植物が、鉱物界と動物・人間界との間に位置する中間的な存在であることを示しているのは、動物や人間よりもはるかに強い程度で環境の影響に開かれていること、 また、例えば向日性や向地性といったトロピズム(向日性・向地性)を通じて、地球や宇宙の力場に身を委ねているのに対し、人間や動物は、その造形力体の自立化によって、すでにこれらからはるかに強く解放されている。」(ヴァックスムート 1980: 247)

放射される宇宙の力と、放出される地球の力の相互作用から、植物の生命が生まれる。生命への移行において、植物の物質は、放出される物理的な力から離れ、放射されるエーテル的な力に従わなければならない。エーテルの力は、植物の物質を無生物のつながりから引き離す。枯れゆく植物の有機体においては、エーテルの力、すなわちエーテル体がその体を離れる。残された物質的体は、その後、個々の化学的構成要素へと分解される。したがって、エーテル体は、生物が物理的・化学的な力の分解傾向にさらされるのを防ぐという機能を担っているとされる。「エーテル体が、いかにして植物の物質を無生物の関連性から切り離し、死の瞬間に即座に起こる、純粋に物理的な領域への逆戻りを防いでいるかを示さなければならない。」(ポッペルバウムPOPPELBAUM、ボッケミュールBOCKEMUHLほか 1985: 179)

 

2.1.3.2 自然界における極性と高まりの法則

 

マルティンMARTIN(2000: 37)は、自然界における極性と高まりSteigernの法則について次のように記している。「ある自然界から次のより高い自然界への上昇は、常に、より高い現実領域とより低い現実領域の極性によってのみ把握することができる。その際、より低い領域の固有の法則性が抑え込まれ、より高い領域のために奉仕されることによって、高まりが生じるのである。」

植物から動物への生物の移行を考察すると、両者の生物において、細胞が生命の基本構成要素として用いられていることが注目される。動物においても、細胞は器官を構成する基礎となっている。しかし、植物では葉や花、果実といった器官が環境の影響に完全にさらされているのに対し、動物の器官は体内の空洞の中に隠されている。植物と動物のもう一つの顕著な違いは、植物が特定の場所に根を張っているのに対し、動物は自由に動き回れるという点である。

 「動物界を特徴づける極性は、睡眠と覚醒という二つの意識状態の対比に表れている。動物が眠っている間は、その寝床に縛られた状態が植物を連想させるが、目覚めるとすぐに、外界からの感覚的知覚によって意識的な内面的生活が喚起され、それに続く外的な活動が生まれる。動物の形態、毛皮や羽毛の色、行動、発声などは、この内的な心魂生活の表れである。それらは、アストラル体の働きの表れなのである。」(MARTIN 2000: 38)

では、エーテル体がアストラル体に対してどのような役割を果たしているのかを理解しようとすれば、エーテル体は物理的体とアストラル体の間に、一種の「仲介者」としての位置を占めていることがわかる。「一方では、物理的・化学的プロセスに介入し、代謝に影響を与え、器官造形作用を及ぼす(この点において植物的存在との共通点もある)ことで、物理的体に作用し、さらに有機体のリズムや、本能生活の特定の部分(日や年の経過に伴う変動)を決定づける。他方では、アストラル体との「霊的なつながり」を築く。「植物に比べて動物にさらに加わるアストラル体は、生物の物理的組織におけるエーテル体の働きが、心魂的な感覚として知覚されるように作用する。」(クラフトKRAFT 1995: 123)

「エーテル体は、化学的・物理的な物質を、それらが生命過程となるよう形作るものである。それによって、エーテル体は物理的体の中に生き、その内部に存在し、化学的・物理的な過程をその中に包含し、包み込むのである。そのすべての中に、アストラル体が再び生きており、エーテル体内で起こるすべてのことを、エーテル体において心魂的な体験として感じ取っている。このように、エーテル体は物理的体において活動し、創造を行うものであり、アストラル体は、動物や人間の存在において、エーテル体の働きを心魂的に体験する部分である。このように、物理的肉体は器官の構築においてエーテル体と結びついており、エーテル体は、この構築および器官の活動に関する内的な体験においてアストラル体と結びついている。したがって、物理的肉体においてエーテル体とアストラル体を構成するすべての要素を、互いに相互関係の中に位置づける必要がある。」(STEINER 1981: 26)

 図2-1は、4つの自然界における極性と漸進の法則を視覚的に示している。

 

 2.1.4 植物に対する宇宙空間の影響 ― エーテル的およびアストラル的な作用力の交わり

 

 地球は宇宙空間に囲まれている。この空間からは、エーテル的エネルギーやアストラル的エネルギーなど、多様な力が地球へと降り注いでいる。シュタイナーは、宇宙においてエーテル領域(惑星の空間)とアストラル領域(恒星の空間)を区別している(STEINER 1981: 160 参照)。それによれば、エーテル的な力は太陽と惑星の空間にその起源を持ち、一方、アストラル的な力は恒星からきて作用する。

  恒星天、すなわち星座からは、植物にその種特有の形態を与える力が植物へと注ぎ込まれている(MARTI 1989: 135参照)。これとは対照的に、移動する惑星は植物の成長を決定づける。惑星空間から作用する成長の力は、恒星からの力によって種特有の形態へと特殊化される(STEINER 1981: 162 参照)。エーテル界に対応して、アストラルの領域も、動物や人間のアストラル体の個々の形態が造形される源となる、普遍的なアストラル圏について言及することができる。しかし、植物の場合、アストラル的な要素は、その物理的・エーテル的な構造に対して、あくまで外部から作用するに過ぎない。「植物は、そもそも地面に立っている限り、物理的体とエーテル体しか持たず、動物のようにその内部にアストラル体を持っているわけではない。しかし、外部からのアストラル的要素が植物をあらゆる方向から包み込んでいるに違いない。もしアストラル的要素が外部から植物に触れていなければ、植物は開花することはないだろう。ただ、植物は、動物や人間のようにアストラル界を直接取り込むわけではないが、外部からその影響を受けなければならない。

「アストラルは至る所にあり、アストラルの媒体である窒素も至る所に存在し、空気の中に織り込まれている……」(STEINER 1985: 73)。「空気的」なものは、アストラル性の主要な媒介者と見なされている(BÜHLER 1987: 67 参照)。植物の有機体に外部から作用するこのアストラル的な働きについては、いくつかの例を挙げることができる。多くの種において、花の受粉は「空気的」なものの助けを借りて行われる。また、花の中空部分の造形においても、アストラル的な働きの介入が明らかである。花は、エーテル的な働きとアストラル的な働きの接点である。ここでは、受粉過程に関与する昆虫を中心とした動物界との接触が生じる。

 「植物界は、物理的な体性、エーテル的な体性のみを呈するように発展しています。それは植物そのものの中にあります。しかし、植物界のアストラルに目を向けると、この植物界のアストラルを、地球を取り巻くアストラル大気として捉える必要があります。植物そのものにはアストラル体は存在しません。しかし、地球はアストラル大気に包まれており、例えば花や果実が開花・結実する過程において、このアストラル性は確かに作用しているのです。」(シュタイナー 1981:141)

このいわゆるアストラル大気は、すべての植物が共有するアストラル体であり、同時に地球という有機体のアストラル体でもある。したがって、植物には独自の個別のアストラル体はなく、いわゆる「集団魂」が存在し、その総体が植物のアストラル体を構成している(図2-2参照)。「多種多様な植物の物理的な形態は、基本的に、ある植物種の個々の存在の背後に、植物の集団魂、すなわち主導的・作用的な『集団の自我』を認識して初めて理解できるのである。植物にも、そのアストラル体と自我がある。植物のアストラル体全体、すなわち地球上に存在するすべての植物のアストラル体は、地球そのもののアストラル体と同じものである。したがって、植物は地球のアストラル体に浸っており、すべての植物の自我は地球の中心にあるのである。」 (ハーゲマンHAGEMANN 1973: 218)

【注:進化しているのは人間だけではない。鉱物、植物、動物もまた共に進化していく。またそれらも、本来4つの構成要素をもっているのである。ただ物質的体以外は、まだ集団的なものもあり、人間の様に全てを個別に有しているのではない。】

 

宇宙空間がその力によって地上の植物の生命にどのように作用しているかを理解するために、シュタイナーは『農業講座』(STEINER 1985: 51参照)において、宇宙空間との特別な関係を持つ種子をその例として挙げている。種子が土壌と接触し、発芽のプロセスが準備されると、「……その時、周囲の宇宙全体が種子に作用し、種子の中で自身を表現し始め、小さな混沌の中から、あらゆる方向から宇宙からの作用によって種子の中に構築されうるものが造形されていく。そして、私たちは種の中に宇宙の写し絵を見出すのである。」(シュタイナー 1985: 52)

【以下後編に続く】

石器時代の農業革命  

 シュタイナーの説く人類史は、実際には宇宙史と同じものである。原初の古土星に始まるその宇宙・人類史は自然科学の領域に属するものであるが、現在のところ科学界の多数派からは認められていない(ただ最新の水惑星の知見がシュタイナーの教えと合致しうるという論考を本ブログで紹介しているでhttps://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2026/04/03/085621)。

では遺跡や文字資料で知ることができる歴史時代についてはどうであろうか。こちらは歴史学の領分である。

シュタイナーによれば、それはアトランティス没後の時代(紀元前8000年以降。ただし、アトランティスの崩壊は一度に起きたのではなくそれ以前から始まっていた)ということになる。彼は、現代に続くこの時代を「後アトランティス期」と名付けている。

シュタイナーは、アトランティス文明没落後に、それを逃れた人々が現代に続く文明を築いた、その最初の文明がインド(後のインダス文明とは異なる)で、次の文明がイランで、次にエジプト・カルデアで興ったとしている(その後、更に文明が交替していき現代に続く)。そしてそれぞれの文明は秘儀参入者である人類の指導者により導かれた、イラン文明の誕生に深く関わったのは、ゾロアスターであるという。

これらの時代は、考古学的、文献的な資料で検証することができる。ではシュタイナーの主張がこれらの資料で裏付けられるかというと、残念ながら、ここにおいてもシュタイナーにとって不利なようである。歴史学の世界でシュタイナーの語るような説はみられない。今も異端説のままである。

だが、既にこのブログでトルコのギョベクリ・テペについて触れている(https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2022/02/28/092930、https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2022/10/31/105706)が、この遺跡には、従来の定説を覆すような発見があった。それはシュタイナーの教えを支持すると考えることができるものであった。

ギョベクリ・テペの最大のポイントとは、“文明は農耕によって生まれた”という20世紀の歴史学の基本モデルを逆転させたこと、である。つまり、農耕 → 定住 → 余剰生産 → 宗教・神殿・都市という従来の順序が、宗教的儀礼・神殿建設 → 大規模な協働 → 定住化 → 農耕の開始  という“逆順”であった可能性が示されたのである。

これがなぜ「シュタイナー説」を支持するかというと、アトランティス時代及びその後の最初の頃の後アトランティス文明は、霊的能力を有した秘儀参入者(神官とも言える)が人類を指導していたのであり、文明の発展は、霊的世界との密な交流の中で進んできたとシュタイナーが主張しているからである。つまり、「宗教的権威」により人々は統合され、またその指導により文明が発達したと考えられるのであり、ギョベクリ・テペが示したのは、まさに宗教が先に存在し、その後文明が発達していった証拠となるからである。

このように今後更に歴史の研究が進んでいけば、シュタイナーの教えを裏付けるもっと他の証拠が出てくる可能性があるだろう。

 

さて人智学者達は、シュタイナーの示唆に基づき、歴史学の領域でも研究をしてきている。古くは、シュタイナーから直接指導を受けたカール・ヘイヤーという歴史家がいる。

最近では、アンドリュー・ウェルバーンという歴史家が、シュタイナーの教えを支持する歴史や宗教史に関わるいくつかの著書を著わしており、『アトランティスの後 ルドルフ・シュタイナーとネオ先史時代 Ⅱ』(邦訳なし)では、シュタイナーの視点でアトランティス後のインドからアジプト・メソポタミア、ギリシア・ローマの文明までの発展を論じている。それは、最新の歴史学のみならず、文化人類学、発達心理学的な観点をもふまえたものである。

この中でウェルバーンは、イラン文明についての説明で、アメリカの先史学・宗教思想研究者であるメマリー・セットガストの説を紹介している。彼女の本は、『先史学者プラトン―紀元前一万年‐五千年の神話と考古学』として和書が出ているので、興味のある方は是非読んでほしい。

彼女は、カリフォルニア大学バークレー校とコロンビア大学で学位を取得した独立研究者で、旧石器時代から現代までの宗教・文化(特に宗教と農耕の関係)を主な関心対象にしているという。オイリュトミーを学んでいたので人智学との接点はあるが、著書の中では特にそうしたことへの言及はないようである。

彼女の仮説は、シュタイナーを根拠にしたり参照したりしたものではないが、シュタイナーと通じるものがあるので、これを紹介しよう。

 

 彼女の本の題名に「紀元前一万年」とあるのは、人類史上の大転換である、農耕が行なわれるようになった「新石器革命」(約1万年前以降)に関連する。先ず「新石器革命」について詳しく見ておこう。

 

「新石器革命」とは、石器時代の農業革命のことである。狩猟採集から農耕・牧畜へと人類の生活様式が劇的に転換した大変革で、食料生産が安定し、定住・集落形成・社会階層化・文明の萌芽が一気に進んだ点で、人類史最大級の転換点と評価されるものだ。

それ以前は、人々の主な生活スタイルはいわゆる狩猟採集であったが、農耕・牧畜への移行し、小麦・大麦・稲・トウモロコシなど地域ごとに異なる作物が栽培され始めた。作物栽培は当然、動物を追う移動生活から定住生活への以降であり、住居が固定化し、村落・集落が成立するようになる。余剰生産の誕生 食料の蓄積が可能になり、人口が急増する。業・階層化・都市化が始まり、職人・商人・司祭など専門職が登場し、社会構造が複雑化し、現在につながる文明の前提が整うことになったのである。

これらは世界各地で約1万〜7000年前にほぼ同時期に起きたとされている。

これを支えたのは技術革新であった。以前の素朴な石器から農耕・建築に耐える強度の高い磨製石器が主流になった。陶器・貯蔵施設で食料の長期保存が可能になり、灌漑が始まり水管理によって生産性が向上した。

なぜ農耕が始まったのかについては諸説ある。気候変動説(氷期終末〜完新世の気候安定化が農耕を後押し)、人口圧力説(人口増加で狩猟採集が限界に達した)、社会的要因説(大量の食料を必要とする儀礼・宴会が農耕を促した)、共進化説(人間と植物が相互適応し、栽培が自然に拡大した)などである。

そして、これに関連して、この農耕社会への移行により人類に宗教が発生したという仮説がこれまで一般的な考え方であったのである。それは次のようなものである。

農耕は、自然の周期に依存する営みである。そのため、農耕民は次のような“宗教的構造”を必然的に持つようになる。

季節の循環(春→夏→秋→冬)=死と再生の象徴化

種を土に埋める=死/発芽=再生 

収穫の不確実性=祈り・儀礼の必要性 

共同体の協働=祭り・儀礼の社会的機能 

余剰生産=神官・王権の成立

つまり、農耕は「自然の力を人格化し、祈りを体系化する宗教」を生み出す土台となった、というのである。つまり先ず農耕の発展がなければ宗教も生まれないということである。

 

これに対して、マリー・セットガストは、自身の研究の成果から、その農耕革命が宗教改革的な文化変容の結果であり、それを推進したのはゾロアスターであると主張しているのである。そして「ゾロアスター」という名は、実際にはそれは高位聖職者につけられた一般名詞であり、そのために複数のゾロアスターが存在してきたというのである。

しかし「新石器革命」の頃にゾロアスターが活動していたとは通常考えられていない。ゾロアスターの生没年は不確定で、従来の学説では紀元前1500〜1200年頃や、より遅い紀元前7〜6世紀頃ということになっているからである。これに対して、セットガストは、ゾロアスターの「存在」はもっと遡りうるということを示している。

先ず、セットガストは、『When Zarathustra Spoke: The Reformation of Neolithic Culture and Religionザラスシュトラが語るとき――新石器時代の文化と宗教の再構築』(2005年)で、彼を大きく取り上げている。そこで彼女は、以下のように主張している。

古代ギリシア・ローマの史料(クサンソス、エウドクサス、プリニウス、プルタルコスなど)が、ザラスシュトラ(ゾロアスター)の時代を紀元前6500〜6200年頃と記している点を指摘する。この時期にイランから南東ヨーロッパにかけて農耕・定住文化が急速に広がった考古学的変化(新石器時代の「定住革命」の最終段階)と、ゾロアスターの宗教改革が結びつくというのである。従来の「農耕は生存のための経済的必要性から始まった」という見方に異を唱え、宗教的・文化的な改革(彼の教え)が農耕の普及を促した可能性を提示したのである。

 

後の『先史学者プラトン』でも、先史時代の宗教・文化転換とプラトンの神話記述を接続する文脈でゾロアスターが登場する。

要するに、セットガストはゾロアスターを新石器時代の重要な宗教改革者として、通常より大幅に古い時代に位置づけ、考古学と古代史料を統合して解釈する立場を取っているのだ。次のように整理できる。

 

1. 古代ギリシア・ローマの歴史家は、ゾロアスターを「非常に古い時代の人物」と記録している 

2. その年代は、新石器時代の農耕文化の大変動期(前6500〜6200)と一致する 

3. この時期、アナトリア〜イランで宗教改革的な文化変容が起きている(Çatalhöyükの精神文化の変化など) 

4. ゾロアスターの教え(倫理化・抽象化)は、農耕文化の成熟と矛盾しない 

5. よって、ゾロアスターは「新石器時代の宗教改革者」である可能性が高い

 

これまでのセットガストの主張は、宗教的改革が先にあり、農耕を生み出し普及させたということだが、農耕はまた宗教にも逆に影響を与える。セットガストは、次のようにも語っているようである。

- 農耕の開始は、自然の秩序(季節・死と再生)を意識化させた 

- その結果、宗教は自然崇拝 → 象徴体系 → 倫理宗教 へと進化した 

- 新石器時代の宗教改革(ゾロアスター)はその最初の大きな波 

- 農耕文化の広がりとともに、宗教は地域を越えて伝播した 

- 神話は農耕文化の精神構造(犠牲・再生・循環)を反映している

 

またセットガストは、農耕革命は“宗教の再編成”を生んだとし、農耕革命は単なる技術革新ではなく、人類の精神構造の転換点であると捉えているようである。

ようするに、農耕革命とゾロアスターの宗教改革は結局相互に影響し合ったということだろうが、この、歴史の発展を人類の意識の変化(進化)と結び付けて考える視点は重要である。前に述べたウェルバーンも同様な立場だが、それはシュタイナーに遡るものである。

つまり、人類の歴史とは、意識の進化の歴史であるということである。狩猟採集から農耕への変化は、意識の進化に対応するものなのだ。時代は意識の次の段階を求めるようになっており、それを実現するために、ゾロアスターは農耕革命を準備したのであり、また実際に農耕の浸透により全人類的な意識の進化が進むこととなったのである。

人類の意識の進化は、個人の中にその繰り返しを見ることができる。「個体発生は系統発生を繰り返す」とは、19世紀の動物学者エルンスト・ヘッケル が提唱した 反復説(生物発生原則)であるが、これは秘教においても語られている真理である。これが真ならばその逆もまたしかりであり、人の精神の成長を観察すれば、人類のそれを推察できるということである。これが、アンドリュー・ウェルバーンが本の中で発達心理学の知見に触れていることの理由なのである。

一般的に歴史学や心理学でも、人類の精神・意識は進化してきたとする考えは、明確ではないにしてもある程度受入れられているようだが、ユング派やトランスパーソナルの心理学等を除きあまりそうした視点の研究は成されていないように見える。しかしシュタイナーや秘教の教えているのは、むしろ人類の精神・意識の進化が先にあり、人類を動かしている、その現れが実際の歴史にすぎないということである。ゆえに、この視点がなければ本当に歴史を理解することはできないのである。

ウェルバーンやセットガストの研究は、歴史学の新しい地平を拓くものである。こうした動きが進むにつれて、シュタイナーの教えの正しさもまた理解されていくだろう。

 ちなみに、シュタイナーによれば、ゾロアスターは、幾度も転生を繰り返し人類の指導に当たってきた秘儀参入者であり、マタイ福音書の伝える(子ども時代の)イエスに生まれ変わったとされる。こうしたゾロアスターの転生について、ウェルバーンは、『14の封印の書The Book with Fourteen Seals: The Prophet Zarathustra and the Christ-Revelation』で、ナグ・ハマディ文書の『アダムの黙示録』はイエスに至るゾロアスターの転生を記したものであるとする説を展開している。

 マタイとルカの福音書の矛盾がシュタイナーの教えによって解明されるように、古代文書にもシュタイナーは光を投げかけている。シュタイナーの教えは、歴史学や思想史、精神史の研究にも多くの示唆を与えているのである。