k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

フリーメイソンと世界大戦③

 カルル・ハイゼ氏の『協商フリーメイソンと世界大戦』から一部を紹介している「フリーメイソンと世界大戦」シリーズの第3回である。

 これまで、本来のフリーメイソンは、人類の霊的発展に資するという普遍的な目的を有しており、一宗教あるいは一政党、党派の利益を追求するものではなかったが、やがて、利己的な目的のためにそれを追及する組織が活動するようになった。それはアングロサクソン系のフリーメイソンであることが示された。

 これからは、第一次世界大戦を巡る諸勢力の動きの中に、これの具体的な活動が示されていく。

 

 今回の部分においては、アニー・ベザントの名が良く出てくる。彼女は、ブラヴァツキーらが亡くなった後に、神智学協会の実権を握った人物である。当時の多くのオカルティストと同様に、彼女もまたフリーメイソンに所属していたのだ。

 また彼女は、シュタイナーの神智学協会からの脱退の原因となった、クリシュナムルティーを再臨のキリストとする運動を協会内に立ち上げた人物でもある。

 彼女がフリーメイソンに所属していたということは、こうした動きの背後に、「変質した」フリーメイソンの影響もあったのだろうか?

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協商メイソンの政治活動について

モットーによれば、"民衆を分裂させるように心がけよ、そうすれば自分自身が民衆を支配することができる!"。(ミュッフェイマン博士) 【訳注】

 

【訳注】レオポルト・ハインリッヒ・ヴィルヘルム・ミュッフェルマン(1881年5月1日ロストック生まれ、1934年8月29日†ベルリン)。弁護士であり、ベルリンの経営者協会(ヴェラ)の最高経営責任者であり、第一次世界大戦の予備隊のキャプテンであり、ドイツの人道的フリーメーソンのパイオニアであった。(wiki

 

 もし今、ある人が、協商メイソンのロッジが、かつての君主制のドイツに実際に反対していた、つまり、明白な王朝としての、中央列強に反対していたと言うのなら、事実を中立的に検証してみれば、世界が大混乱に陥る以前から、多くのロッジ・サークルが、政治的・共和主義的な感情で動いていたことがわかる。このことを心に留めておくことは容易である。メイソンを支配している、人間同士の普遍的な友愛の原則は、民主的な制度を前提としている。しかし、メイソンそれ自身は、多くの位階に分かれており、「見習い」から「職工」、「マスター」、「グランドマスター」、そして、33、またそれ以上の高位の位階までが上下関係にあることを考えれば、王冠(ティアラ、宝石の着いた胸当てあるいは豪華なレガリ)がふさわしい最高のイニシエートを頂点とする君主制が成り立ちうるのだ。実際、メイソンのロッジではなく、その壮大な精神的原型である「秘儀」が全地球上に息づいていたはるか昔の時代には、最高の司祭イニシエートはまさに「クニリゲ(チューニング)」なあるいはその諸民族の王であった。王朝の排除は民主的な組織の基本原則ではなく、今日でも協商メイソンには、それぞれのロッジの意志1)に従う王たちが、干渉されることなく存在する。 [ゲルマン民族の王権は、「王権」の原型である古代のイニシエーションが常に不可欠な要素であり、歴史的な時代まで存在し続けた:「神の恩寵による王権」の原形は、常に社会貴族制度に基づいていたのである。「エルツ・アルマネ」あるいは最高権力者として、霊的プレテンデンツ(正当性)と霊的的なプレデスティナティオーン (前もっての定め)から、世襲王権を主張することなく、貴族(the nobles)によって元首として選ばれるという社会貴族的な性質を持っていた。1)]

 

1) ドイツ人は、そのような恣意性を知らなかった。このことを自分自身に納得させるには、さまざまな皇帝の誕生日祝いやフリードリッヒ大王の記念式典での、アーント師による「ロッジ演説」(ベルリン1906年)を読むだけでよい。- また、フリードリヒ2世が1754年から1757年まで、「3つのグローブの」グランド・ロッジのグランド・マスターであったことにも注目すべきである。1774年、彼はドイツ・グランド・ロッジとイングランド・グランド・ロッジの堕落した同盟を称え、1777年にはベルリン・グランド・ロッジ「三つのグローブ」(国立グランド・マスター、フリードリヒ・アウグスト・フォン・ブラウンシュヴァイク公の「大神官」の下)に自分の肖像画を貸した。(参照:Arndt, p.: 56/68 and 105/111, and as well as 団員,-. Schutter, "Geheime Gesellschaften etc." Ⅱ.p.39/41 参照)。

 

   このように、「民主主義の原理」は古代の原理であり、政治的メイソンリーによってのみ台無しにされたのである。最も組織化された国家の王と王侯は、同時に崇高な友愛団体の一員であった。もし民主主義の原理が、今日のような明確な政治的形態で大衆迎合的になされていたら、それは不合理であったろう。しかし、「父祖の遺産」として「すでに所有している」ものを、「子孫」が「獲得しなかった」のが常であるように、友愛というメイソンの理想もまた、多くのロッジ・サークルで「純粋な政治的共和主義的信念」へと貶められた: 早くも1872年には、イギリス人のジョン・ヤーカー・ジュニア ギリシアの偉大なロッジの元グランドマスターであり、同時にスエーデンボルグ儀式のグランドマスターは、彼の著書『学問的、宗教的神秘、グノーシス的、秘密の学派、現在の薔薇十字運動とメーソンにおける様々な儀式』2)で、次のように語っている。:

 

「メイソンの同胞団は現在統治されているように、(メイソンの)生業は、ほとんど、聖パウロの言葉を忘れた享楽主義者ボンヴィヴァンの "楽園"(それは、今、彼らのエゴイズムをのみ満足させる "兄弟 "となっており、"隣人愛の宝石を持つ彼らの胸"...、それは、我々の組織に関係することにより、権力とお金をまんまと獲得したペテン師の天国である。...そして、この愚かな人間が人々から築かれない限り、彼らの個人的な欲望と欲求は高まるばかりである。」

 

 世界的に一般的になっている同胞団の本質の衰退は、人々が先ず個々の構成員において、そして団全体で弱くなっていることを示したところではどこでも入口を見つけるクリングゾール【訳注】の霊によってもたらされたものである。そしてそれこそが、今日私たちが、協商国のフリーメイソン・サークルでこのようなあからさまな邪悪な企みを見出している理由なのである。ドイツ中央党の創始者であるヴィンドホルストでさえ、文明に反するものとしてそれらと闘ったほど、歴史書が、イエズス会の幹から高貴な薔薇の芽を否定した歴史時代があったように。グイド・V・リストの『アリオゲルニネンの愛』の長い叙述には、我々がすでに「触れた」、そして「秘儀を授かっていない」者にとっては奇妙な描写、すなわち、外的には相互に敵対する、メイソン、イエズス会ユダヤ人、反摂政主義者、プロテスタントカトリック社会主義者が、その存在の根底で、V・リストが「一つの大きなインターナショナル」と呼ぶ、組織的な団結が培われている、という説明を見いだす。それは、常に議会制憲法を、その密かな希望の中では、共和国への移行としてみなしている2)、またそれを彼は「世界支配を意図したプルトクラシー(金権政治」と表現した、あの「一つの党」である。

 

【訳注】R.ワーグナーの楽劇《タンホイザー》によって一般に知られるが,元々は、聖杯伝説に関わる人物で、黒魔術師と言える。人智学派では、悪に仕える人間の象徴。

 

1,)参照: Guido List, ;Armanenschaff der Ariogermanen",,-Part,:p. . - イシス.entehleiert "p.176. -- ') "Aimanenschaft" II, p. 24129, 40142,-.56157.... - , -

 

 それゆえ、かつて理想的であったすべての共同組織に入り込み、それによって共同体を腐敗させ、台無しにする個々の人間や、最後には「秘密の政治家達」の全共同体が存在していなかったのだろうか?クリングゾールの道は「常にそこにあった」のであり、「人間が心に思うことは、幼い時から悪である。」(創世記8章21節)。フリーメイソンの用語は、確かにこれらの、不当に同胞団に浸透するユダの性質をしっている。彼らは「Cowanコーワン」あるいは、盗み聞きする人と呼ばれる。ある場合には、彼らは無害にされうるが、しかしまれでないのは、時の経過において、彼らはまさに権力を自分にもたらす者であり、そして、グランドマスター・ヤーカーによって痛烈に非難された「ボンビバンツ」として認識される者なのである。

 人類は、不断の再生のために、ゲーテのいうあの闇の力に対峙しなければならないのだろう。それは、ゲーテの「ファイスト」で、「常に悪を望み、しかし善を創造する」力の一部として擬人化されて、「目に見えず、理解しがたく、ほとんど不気味な力」として現れる・・・それは、 政府も王冠も超越する。したがって、計画に従って、自らの秘密の目的のために人民の力を搾取し、人民の善を自らの財源に流用し、その模範的な「内的・外的組織を通して、それを見事に組織する方法を知っている」1)、・・・確かにそれは、人類にとって必要である。しかし、人類はその際、根底にある陰謀を究明しなければならない。それは、かつてエドワード7世の寵愛を受けた「偉大なスコットランド人」アニー・ベサントの旗印の下の「インド志向」のいわゆる「神智学者たち」とともに、メイソンの仲間の中にも働いている。

 協商国のメイソンが興味深いとしても、私たちオカルティストには、「神智学協会」の会長であるグランド・マスター、ミセス・アニーベザントも劣らず興味深い。彼女について、C.W.リードビター氏は、「アディヤル・アルブムス」。-アニー-ベサントが出版した-で述べている。

 

「私は、この 地球の発展の最高の指導者の前で、会長師の側にいた。そして、私は自分が何を言っているのか知っている。賢い者には私の声を聞かせよう・・・」29

 

 アニー-ベサントは、このように私たちの地上での存在の最も神聖な謎に入門しているマスターとして、ここで私たちに紹介され、彼女自身は、我々の進化の最高の霊に身を献げたのである。...アニー・ベゼントについては、しかし、1913年3月1日、「神智学協会」のフランス支部会長であるシャルレ・ブレヒに宛てた純粋な手紙の中で、エドゥアール・シューレは次のように判断している:

 

【訳注】エドゥアール・シューレ(Eduard (Édouard) Schuré、1841年1月21日 ストラスブール - 1929年4月7日 パリ)は、フランスの哲学者、詩人、劇作家、小説家、音楽評論家、秘教研究者。シュタイナーと交流があった。

 

1)『アルマネシャフト』II, 16/17頁

2) 引用:Eugene -Levyl '"Annie. Besaht tind.die Krisis in der Theosophi-schen Gesellschaft", 5913, p.125.

 

会長の傑出した人格、彼女の高貴な過去は、神智学協会が寛容、公平、真実という広い道を守ることを保証しているように思われた。残念なことに、事態は違った方向に進んだ。この逸脱のもともとの原因は、学識のあるオカルティストでありながら、乱暴な性格で、道徳性の疑わしいリードビーター氏とベザント夫人の緊密な提携にある......」1)

 

 リードビーターの上記の発言は、すべてのオカルティストにとってきわめて注目に値する。ベサント=リードビーターが、ある時、ある場所で、この二人の逸脱したメイソン神智学者達の全活動を指導し導いた、本質的に霊的な力に直面したことは、ほとんど疑う余地がない。また、オカルティストにとって、ある種の魔術的実践や降霊術などを通して、超物質的な存在との交流が達成されることは疑いの余地がない。そして我々は、ベサント=リードビーターが、信用を失ったメイソンリーにおいて常に主要な役割を果たしてきたそれらの実体の一つと関係していたと推定出来るだろう。そして、カトリック教会は、その存在のために、反メイソンであるとみなすことは根拠があるのである。私たちはここで、『ヘルメス的教育書簡』124頁で著者が発した、霊的研究者にはよく知られている、ある「圏・スフィアー」に触れた一文を参照するだけでよい。ラファエルは言う。「これらの圏には数多くの霊的存在の種族が住んでいる。その中の多くのものは、最高の知性とずるがしい賢さを持っている。これらの存在は、地上では "反転した兄弟I n v er s i v e Brethren"(すべてをひっくり返し、闇の魔術を仕掛ける "左手の兄弟")という名で知られている、霊界の強力な兄弟団の "霊感を与える秘密の存在 "である。そのため、オカルトやカトリックの文献には、フリーメイソンが崇拝しているとされる、キリストに敵対する霊的存在である「バフォメット」や「雄ヤギ」の話がしばしば出てくる: 無知の評判を責められることのないよう、私たちはいわゆる「タクシル=ヴァウガンペテン」(レオイ=タクシルが追及し、1897年4月19日にパリの「地理学会」で自ら名を付けて明らかにしたもの)についてよく知っていることを述べておきたい。タクシルの欺瞞では、「最も人間の愚かさに捧げられた」包括的で広範な作品があり、『三点の兄弟』と題されている。それは、1884年4月20日レオ13世教皇回勅("Humanum genus")を受けて書かれたものである2)。これにちかいものは、Count von Hoens団員: "社会文化的効果におけるローマ教皇庁", Vol. I, 190o, pp: .339/4o, 342.に見られる。

 

1)このC.W.リードビーターが誰であるかについては、ベサント夫人が『セオソフィスト』の1911年11月号で次のように語っている。彼は忍耐強く懸命な労働を通して、『報酬を獲得した...本当に神性の入り口に立つまで!...』」。マドラスのネール博士は異なる意見を持っており、マドラスで発行された医学雑誌『防腐剤』の中で、この「オナニズムの高僧」を完全に神格化している(参照:LevY, "Annie Besant 'etc.", p. 169, and E. Wolfram, "Der Hhmbug Sterhs Osten", pp. Wolfram, "Der Hhmbug des Sterhs im Osten", pp. バタイユ博士とハックス博士の'似非'啓示を支持した。-

 

 タクシルの著書で本質的なのは、メイソンによるルシファー崇拝についての記述である。しかし、タクシルタギルの仕事は、今度は、その最もどぎつい部分で見いだされる(しかし、古い儀式や最近の儀式、特に1890年以前にタキシルが書いたものについては、多くの真実も含まれている)。カトリックの聖職者であったフェルトキルヒのヘルマン・グルーバーは、3巻からなる著作『レオ・タクシルのパラディズム・ロマン』、Betrug als Ende eines Betruges" (Germania-Verlag, Berlin 1897/98) の中で、「タクシルに対して声を上げた」1)。このタクシルの「バフォメット」(B i t r u)は存在しない。しかし、霊的な若返りの真に尊重されるべきシンボルは存在し、それは時々「バフォメット」と呼ばれる: そして、この本物のテンプル騎士団とメイソンのシンボルに、すべてを汚すあの秘密の力は対立しており、それゆえ偽りのバフォメットのシンボルも、真に実際に現われてきているのだ。闇と不実の存在。それに ベサント=リードビーターだけでなく、他のメイソンたちもその餌食になったようである。彼らは、天と地の間にはどんな学校の知恵も知らないことがあると知っていながら(ハムレットが言うように)、この「彼らのより高い知識」は、黄金の天国の光ではなく最も暗い闇、不道徳そして戦争に導く、まさにその源に負っているのである。ゆえに、(タクシルのそれについての偽りの本にもかかわらず)実際に存在するこの偽りのバフォメットに、アニー・ベサントは、恐ろしい世界紛争に責任のある「一つの国際ロッジグループ」の「上官」たち(真のオカルト世界によってそう嘆かれている)と同様に、彼に対して身を捧げたかもしれない。

 

1)ヘルマン・グルーバー師(S. J.)、 904年にブリュッセルで開催された国際メイソン会議(公式報告書、p.92f.)で、多くのフランス人フリーメイソンの出席のもと、レオ・タクシルの著作(1885年から1889年まで)には、すべての階位の儀式がその主要な内容において非常に正確に記述されていることが矛盾なく述べられているという事実に、本書の第2版で注意を喚起している。 レオ・タクシル」は1881年2月21日にロッジに受け入れられたが、ヴィクトル・ユーゴーとルイ・プレインからの手紙を偽造したとされ、同年10月5日に再び除名された。

 

  今、エドアルト・シューレにより表現された「寛容の道」を放棄することは、私たちのことには影響しない。真実こそが決定的な瞬間なのだ。しかし、シューレ、レヴィ、そしてE. ヴォルフラムが提起したケースのように、ベサント夫人は、世界に、来るべき新しい擬似キリストを受け入れさせようとしており、そのために「新しい教団」を創設しようとしている。「東洋の星」である。ベサント夫人は、さらに別の同胞団、彼女自身がその先頭に立つ、今回は明らかにメイソン的なものを隠れ家にしている。そこでは、男性と女性は平等な権利を持っている。それは「普遍的なコ・フリーメイソン同盟」である。それが何のために使われるかは、現代の政治的なメイソンの性質についての私たちの以前の発言の助けを借りて、ベサン夫人が長い間世界政治の思い上がりを見せているという事実から明らかになるはずである。私たちの誤解でなければ、1911年、印刷物として出版された講演のひとつで、彼女は、真実に反して、世界平和を人類のために維持することは、彼女のオカルト的友人である、イギリス王エドワード7世に委ねられたと主張した(一方、世界大戦の惨禍から地球を守るために、繰り返し自からの辱めの限界に進まなければならなかったのはドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とドイツ国民であった)1)。「人類の精神的覚醒のこのたゆまぬ先駆者がイギリスでもった1911年秋の別の講演で、アニー・ベサント発議のように語った2) 。

 

「地球の表面で起こっているこのような変化の中で、私たちは、国がどのように築かれ、民族がどのように発展するかを理解することを学ぶべきです。--この強力な(現在の白人の)世界帝国は、イギリスとインド(ベサントのメイソンの本拠地!)を中心地として、そして大きな近隣の国アメリカとドイツをそれぞれの側で支柱として(!)持つでしょう。アメリカは、日に日に我々との距離を縮めている(!)。... おー、ドイツもまた、“平和の絆“によってこの国(イギリス)と結びたいのではないだろうか?」

 

「英国の”コ・フリーメイソン”の平和のためのこのプロパガンダは、インドの「奇跡の少年」アルキュオーネ・クリシュナムルティーの肉体にキリストの再臨が間近に迫っていることに言及して神秘的に正当化された。(!)(しかし彼は、奇跡の少年ではなく、最近いわれているように、今、アニー・ベサントによりフランス(!)の生徒4)に代えられようとしている)。(すべての協商政治は、どれほど人生の奥深くにまで到達しているのだろうか!)

 

1)一例を挙げると、フランスとドイツの間のモロッコ(19o8/09)の多数の紛争を思い出そう。ハンガリーカサブランカ大使は、ブダペストの上司に次のように書いていた-それは1908年11月だった。イギリスはフランスを戦争に引きずり込もうとした。イギリスは、これは革命の時期であり、そう好意的に返すことはないだろうと(イギリスから)言われた。. そして、ドイツ連邦に対する義務を果たすことはまだ可能であろう」(1916年6月、殺害された伯爵首相のハンガリー下院での演説より)。. .

 2)アニー・ベサントの5大講義「当面の未来」(Dr.VollratW「神智学」1912年3月号、p.430.参照)。

3)【略】

4)2)「神智学」、同書、p.463。

4) アニー・ベザントの教えは、キリスト・イエスが私たちの時代に二度目の肉体をもって受肉するというものである。- 彼女自身とリードビーターは、この受肉を準備するために選ばれた。アニー・ベザントは、私たちの時代の1年--33年には、キリスト・イエスは一度もいなかったと教えている。期待されている「キリスト」は、インドの少年クリシュナムルティかフランスの少年の中に「居を構える」だろう(彼を通して自らを明らかにするでしょう)。 むしろ彼は、紀元前105年に異端(「冒涜」)の罪で石打ちの刑に処され、その後木に吊るされた、パレスチナ小アジアキリスト教以前のエッセネ共同体のイニシエートであった。-タルムード文学とオカルティズムは、このイエシュ・ペン。バンディラをよく知っているが、彼を「本物のキリスト教」のキリスト・イエスと混同してはならない。これはアニー・ベザントがやっていることであり、この妄想の上に彼女の欺瞞を構築している。それは、「タクシルのペテン」のように更に悪い形で現われているのだ!)

【訳注】クリシュナムルティをキリストの再臨とする、神智学教会におけるこのベザントの動きが、結局シュタイナーの神智学からの離脱につながった。この文にあるような背景から考えれば、むしろ、ベザントを突き動かしたのは、シュタイナーの「エーテル界におけるキリストの再臨」に対抗し、それを排除しようとする霊的存在からのインスピレーションであったのであろう。

 

世界におけるイギリスの支配は、アニー・ベザントの高位司祭同僚、そして「神性の別の境界」に立つメイソン、アングロ・アメリカ人のW.Leadbeaterにより、すでに1910年に出版された「第六の根本人種の始まり」についての論説の中で、イギリス-アメリカの普遍メイソンリー」の意味で強調されていた。

 

(現在の人類から出現する新しい)共同体が話す言葉は、もちろん英語である。」2)

 

  しかし、1911年にはまだ平和主義者であると思われたベザント夫人は、ドイツ人の性質について、この今は残念ながら「イギリスの世界覇権の崩壊した柱」について、今日の私たちにどのように教えているのだろうか。彼女は--世界中で称賛された、メイソン・神智学の兄弟愛の偉大な統領--は語っている(元植民地責任者A. "W. Sellin - [ミュンヘン]による英語版では)3)。

 

「私たちは、(ドイツ)帝国が強盗、殺人、略奪の理論をどのように実行したかを見ている。“神に選ばれし民 "は、ヨーロッパの他の国々にとって悪臭を放つ存在となった。この帝国の胎動は、根拠のない深みから生み出され、憎しみのうちに宿り、母胎の中で育まれたものであり、誕生の時は決してやってこない。 」

 

 長年にわたりそれの魂に心を留めていた、その同じ女性、アニー・ベザントが、ドイツとその国民についてこれを語っている。これは、1912年まで、-おそらく2000人のドイツ「コ・フリーメイソン」会員に加えて、55人のドイツ人、7人のオーストリア人、ハンガリー人、ボヘミアン人、スイス・ドイツ人の以前の神智学協会4)のグループ、3000人を超える仲間、その家族と支持者により敬愛され、多くの本がドイツ語で読まれていた、その同じベザント夫人の言葉である。同じく、彼女の「神智学活動の契約」に、1910年に、中央評議会の4人の非ドイツ人以外に、3人のドイツ人が署名した、そのベザント夫人の言葉である5)。

 アニー・ベザントが、ドイツに対する風を起こしたとするなら、自分のロッジで、中央諸国に対する嵐が支配することが出来ただけである。このように、彼女の主な協力者の一人である英国人サトクリフSutcliffは、メイソン神智学的心情を利用して、「白い同胞団への祝辞」と反ドイツの攻撃を組み合わせたのである。

 

1) パリのメイソン『マタン』紙は、「リードビーターの研究成果」に関する長い記事を掲載し、その中にはこの著名人の肖像も含まれていた。

2) ヴォルラータ博士「神智学」1910年、189頁。英語がゴシック語のレベルにとどまっており、(ドイツ語のように)それ以上発展していないことに注目されたい。- - - .

3) 参照「人智学研究」Cvon.A.W;Sellin,- 1918, p. 78/79.-カール・ロリム(ラーチ)が訳している("Truggestaltder Annie Besant", p. 50): 「,,,...神に選ばれた(ドイツの)民は、ヨーロッパの鼻孔の中で悪臭を放っている。憎悪によって孕まれ、貪欲の胎内で成形された、底なしの地獄の穴の胚胎世界帝国は、決して誕生してはならない。それは新たな野蛮である。気高く、思いやりがあり、人道的であるすべてのものに反している。」

4)『神智学』(ヴォルラス), 1913, p. 90:

5)「神智学」(ヴォルラス),419ro.p. 210.

 

 サトクリフは、イギリスの『現代占星術』やオランダの『ウラニア』で、第一次マルヌの戦いと、そのときに起こった「英仏両軍の奇妙な幻視」について論じている。「それは、この戦いの最も重要な瞬間に連合軍に与えられる神の助けを証明するものである。危機に瀕した重大な結果を実際に経験した者は誰もいない。この神の来臨の実在を疑うオカルティストはいない」とサトクリフが言うように、「帰ってきたキリスト」(「フランス民族の新しいベザントの被後見人の肉体において」p.26参照)は、「期待される新しい『世界教師』」であり、「協商の救い主」であることを暗示しているように思われる。サトクリフは続ける。「ドイツが悪魔に魂を売り渡し、ベルギー侵攻という歴史上最大の悪行を犯した計画を実現するための運命的な決断であった。」- しかし、サトクリフは、マルヌの戦いの結果を、未来の人類の種が救われたことを意味するものと解釈している(このような暗示が含まれていたエルンスト・ティーデ著『AstrorOgische Rundschau』(マリエン・ウェルダー社)のI91748年12月号/1月号を参照)。- また、神智学者たちの道具の一つである「東方の星」には、アルゼンチンのフランス特使によって、「同盟国イギリスとともに帝国の蛮行と戦っている」フランス共和国へのシンパシーが表明されていた(Dr. Heinz Brauweiler:『世界大戦における団員達』p. 93参照)。 【以下④に続くに続く】

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 文中に「バフォメット」という言葉が出てきた。これは、現在一般的には、「異端」と断罪された聖堂騎士団員達が崇拝していたとする一種の悪魔の名前というのが定説ではなかろうか。オカルト雑誌でよく見るあの山羊頭の悪魔である。だが、著者によれば、それも偽りの、改竄された意味づけのようである。本来は高貴なもののシンボルと言うことだろう。

 ちなみに、フレッド・ゲッティングズは、『悪魔の事典』で「バフォメット」について次のように記述している。

 「この名前は、中世後期のさまざまな文書に、デヴィルと同義語かあるいは特定のデーモンを表わしているかのように記されている。おそらく、おそらく”モハメット“が転訛したものであって・・・テンプル騎士団がデヴィル崇拝や偶像崇拝にふけっていたわけではない・・・通俗的な魔術の歴史書で描写されている” バフォメットの頭“は想像の産物であるらしい。・・・この言葉の奇妙な由来は数多くあり・・・”天“を意味する中世ラテン語の転訛かもしれない。」

 また我々がよく目にするあの山羊頭の図像は、エリファス・レヴィによるものだが、ゲッティングズは、これを「まったくのナンセンス」と断じている。

 

 さて、秘教的な教えは、本来人類の霊的進化を導くためのもので、まだ成熟していない一般の人々には隠されてきたものであるが、これを知る者は一般の人々より優位な地位を獲得できる。それゆえに、自己の利益のためにそれを用いることは本来禁じられているのだが、あえてそれを行なってきたのが「左手のブラザーフッド」であろう。

 そしてその背後には、霊的進化に敵対する霊的存在がいるというのが、これまでブログで取りあげてきたシュタイナーの考えである。

 こうした霊的存在の配下に、黒魔術的な秘儀伝授を受けた者達がおり、更にその下に、その命を受けて社会のさまざまな場所で働く者達がいるという構造である。

 いわば、この「現場」で働く者達は、またさまざまな組織に属して連携しており、その一つが(変質した)フリーメイソンということだろう。「一つ」ということは、そうした組織は他にもあるらしいと言うことである。上の文中に「メイソン、イエズス会ユダヤ人、反摂政主義者、プロテスタントカトリック社会主義者が、その存在の根底で、V・リストが“一つの大きなインターナショナル”と呼ぶ、組織的な団結が培われている」とあったように。

 ただこの問題は更に複雑で、一般に、イエズス会フリーメイソンは対立関係にあるとも言われている。それぞれの根本を遡れば、やはり一枚岩ではないようなのだが、両者は時に、連携することはあるようである(両者とも、人類の真の霊的発展・成長を阻止するということで一致している)。さらには、現代では、その構成員が相互の組織に入り込んで入り乱れているという事情があるのかもしれない。

 

 さて「政治的フリーメイソン」の主流をなすアングロサクソン系のそれは、現在においても活動しているのだろうか?おそらくそうであろう。

 ウクライナパレスティナの紛争の背景にも彼らの動きがあるのかもしれない。しかし、彼らの活動は、ヨーロッパや中東だけにはとどまらない。世界の覇権を維持するという以上は、当然アジアでも活動しているだろう。そしてその手先とされてきたのは、明治以来の日本ではなかろうか?

 日本の明治維新の背景にイギリスやアメリカが影響力を持っていたことは、近年よく知られてきている。実際に、その中にはフリーメイソンの会員と言われる者達も存在してきた。こうした力は、その後の日本の対外政策にも影響を及ぼしてきたようである。

 先の世界大戦で日本は英米に敵対したが、敗戦後、結局またそうした構造は復活したのではなかろうか。最近の日本政府のアメリカへの従属は度を超しているようにも見える。

 日本は、第2のウクライナにされるのではないかという声も聞かれる。マスコミに流されることなく、真実を見極める目が必要だ。

仏教の霊的基盤


 このブログでは、これまで何度か仏教とキリスト教の関係について触れてきた。キリストの地上への受肉ゴルゴタの秘儀)に際し、仏陀が霊的に参与していたこと、また逆に大乗仏教の誕生は、キリストのゴルゴタの秘儀が契機となっていることなどである。

 仏教であれキリスト教であれ、この宇宙の源でもある、同じ一つの霊的世界を源泉としている。従って、様々な宗教も、この霊的世界が、それぞれの地域や時代に応じて現われたものであり、そのおおもとは同じはずである。シュタイナーの霊学(精神科学)は、こうした立場で、諸宗教を把握し、それらの関係について理解するための示唆を与えている。

 仏教とキリスト教の関係について、日本において研究を進めた方に、人智学者の西川隆範氏がおられる。残念ながら故人となってしまったが、生前には沢山の人智学関係の著作を残された。

 

 宗教は、神霊的存在を信仰あるいは崇敬の対象としている。諸宗教の根本は同じと言うが、それこそ宗教によってその対象は異なるという指摘もあろう。だが、実際はどうであろうか。

 世界宗教に限って考えれば、先ずキリスト教イスラム教(そしてユダヤ教も)については、イエス・キリストの捉え方に違いはあるが、「唯一神」としてのエホバ(ヤーヴェ)を共に崇拝している(秘教的理解ではエホバは天使存在であり、実際はそう単純ではないが)。では、残るもう一つの世界宗教である仏教では、どうであろうか。

 仏教にも色々宗派があり、神霊存在の捉え方にも相違がある。そもそも仏教は、「神」を信仰していないという主張もあるだろう。だが、時代的経過を見れば、大乗仏教の誕生なども契機として、ゴータマ仏陀以外の「神霊的」仏陀、菩薩達が信仰されるようになったと言えるだろう。大日如来阿弥陀仏文殊菩薩弥勒菩薩等々、日本においてもなじみのある仏様達である。また仏教を守護するという12神将などの「天部」はまさに「神々」である(ただしその実体はおそらく天使的存在と思われる)。

 これらの仏様達は、明らかに非キリスト教的であるように見える。では、仏教は、やはりキリスト教とは全く異なる神霊存在を信仰しているのだろうか?

 この問題を解く一つの解釈は、仏教の説く神霊存在は、アジアにおける諸民族の民族魂的存在とすることである。だが、秘教的理解では、至高の神以外の神霊的存在は、ヒエラルキー存在つまり、それぞれ階層の異なる天使達にほかならない。一つの民族あるいは時代を導く神霊存在、それも天使なのである。そしてキリスト教において、ヒエラルキーは9種類に分類されている。9種類の天使群が存在するのだ。

 とすれば、このヒエラルキー存在の観点から、仏教の神霊存在とキリスト教のそれとの対応関係を考えることができるだろうか。

 西川隆範氏は、『仏教の霊的基盤』という著書の中で、この対応関係に触れておられる。この本は、隆範氏としては初期の時代の著作だが、副題にあるように「神秘学の観点から仏教の本質と未来を探求」したものである。

 この本の「七 天・明王・菩薩・如来」の章で、西川氏は次のように説明している。

 

 「仏教の世界観では、宇宙の構造は、欲界六天、色界十八天、無色界四天から構成されている。(注:欲界は、最下層の霊的世界で、欲望の支配する地獄や人間界を含む世界であるが、『六欲天』の場合は、欲界に属する人間に近い神霊存在の世界を指す。同様に、色界、無色界もそれぞれに多重構造をなしている。)」

 そしてヘルマン・ベック(人智学派の仏教学者)によれば:

「これら世界領域のそれぞれには、その世界領域に相当する一種の生類が属している。いやそれどころか仏教の立場からすれば、実際のところ、その世界領域は、その様な霊的生類のみで構成されているにほかならない。」

「瞑想者は、それに該当する段階において、いわばそれらの神々の意識に沈潜する」

という。

 つまり、仏教の説く宇宙の構造をなす霊的世界のそれぞれの領域は、霊的存在自体がその領域の実体を成している、それぞれに属する霊的存在達によって構成されているということであり、それぞれの領域に意識を高めると言うことは、それぞれに属する霊的存在の意識に入り込むと言うことであろう。

 そして、西川氏は、欲界に始まる天界の位階の基本をなす9つの領域を示し、それに対応するキリスト教ヒエラルキー存在を次のように挙げる。

 

四王天四大王衆天] = 天使

忉利天 = 大天使

夜摩天 = 権天使(アルカイ)

兜率天 = 能天使(エクスシアイ)

化楽天 = 力天使(デュナメイス)

他化自在天 = 主天使(キュリオテテス)

梵衆天 = 座天使(トローネ)

光音天 = 智天使(ケルビム)

浄居天 = 熾天使セラフィム

 

 このように仏教の説く霊的領域とキリスト教ヒエラルキー(天使)の対応関係が挙げられているのだが、西川氏は残念ながらこの文章において、このように説明する根拠を示していない。ただ、この説明の中にヘルマン・ベックの名が出ているので、ベックの著作にそれを求めることができるのかもしれない。
 ヘルマン・ベックというのは、ドイツの高名な仏教学者で、後にシュタイナーの指導の下にできたキリスト者共同体の司祭となった人物である。
 そこで、私は、ヘルマン・ベックの本を当たってみることにした。彼の『仏教』という著作が日本の仏教学者、渡邊照宏氏により翻訳されており、岩波文庫になっている。若い頃に一度読んだことがあるのだが、面白かったという記憶があるだけで内容はほとんど覚えていない。
 しかし、その頁をめくってみると、若い頃に、その本の文章に傍線を付していた箇所が出てきた。その先をずっと読んでいくと、何と、上の文章に該当する部分があったのである。若い頃に啓発された文章に、また引き戻されたという次第である。
 さて、ベックの説明は、仏教経典を根拠として、仏教では「上位にあるこれらのものたちが本来の意味における神々の序列であり、・・・原則として9序列に区分される。それは下から・・・」と述べて、上述の四天王にはじまる9つの序列を列挙するのだ。しかし、それがキリスト教の天使のヒエラルキーに相当するとは書いていない。
 従って、両者に対応関係を見るのは、西川氏個人の考察であるのかもしれない。ただ、ベック氏にしてみれば、この著作は一般人に向けた仏教の解説書であるので、ここでそうした説明を加えるのは不適切であると判断したとするなら、それも当然のことである。ベック氏が、両者の関係を意識していなかったとは言えないだろう。
 西川氏の説明は、あるいは、ベック氏を含む人智学者の他の研究に基づくものかもしれない。引き続き、私としても探してみたいと思っている。

 さて、ウィキペディアによれば、四王天あるいは四大王衆天には、四天王が住み、忉利天には帝釈天ヒンズー教のインドラ)が住む、四天王は帝釈天に仕えているという。ここに、天使と大天使の関係を見ることはできるが、疑問に思うのは、仏教の四天王とは4柱の神、帝釈天は1柱の神であることである。例えば天使であれば、人間の守護天使となるので少なくとも人間の数ほど存在するはずであるが、それが4柱の神であるというのはどう理解すれば良いのだろうか。

 また実は、仏教の世界観はもっと複雑で、霊的世界も、上の説明よりもっと多くに分かれている。上の○○天がどうして選ばれたのかも説明がないため、自分の現在の知識では解説が出来ない。さらに研究が必要である。言えるのは、ただ、仏教の「○○天」というのは、前述のように霊的世界の一領域を表わしており、それらに天使、大天使など霊的存在者達が属するという考え方があるというのみである。

 西川氏は、前掲書で、「インドの叡智は天動説にたって、地球領域を越えた欲界を月領域、金星領域、水星領域、太陽領域の4領域からなるものとし、色界初禅天(注:兜率天含む)を火星領域、二禅天(注:光音天を含む)を木星領域、三膳天を土星領域、四禅天(注:浄居天含む)を恒星の領域としている。」と記している。

 これは、神秘学あるいは秘教的キリスト教の教えも同様で、やはり地球を宇宙の中心に置いた天動説的世界観に基づいて(シュタイナーは、秘教的世界観によれば、地動説ではなく、天動説が正しいとする)、天使は、月下の世界、つまり月領域を支配しており、以降、上位の天使群ほどその支配領域が大きくなり、セラフィムは恒星天までを支配領域としているとするのである。

 このようなことからも、西川氏においては、仏教の各世界領域がキリスト教ヒエラルキーとの対応関係のもとに理解されていたことがわかる。

 

 ところで、仏教で言う「神」とは、仏陀に仕える神的存在である。仏教学的には、「仏教以前にインドで信仰されていた神々が仏教に取り込まれたもの」ということになるようだが、そもそも仏陀とは悟りを開いた「人間」を指す。とするなら、ここでは、人間と神的存在の上下関係が逆転しているのではなかろうか。このことも、実は、神的な菩薩(菩薩とは本来仏陀になる前の「人間」である)が存在することとあわせて、長らく私には疑問に感じる点であった。

 もちろん、ここでいう神は、キリスト教的な至高神とは異なるだろう。キリスト教的理解では、その神に仕える天使的存在ということになる。

 しかし、そうであっても、ヒエラルキー的には人間の上にたつ天使が、人間のしもべとはいかなることだろうか。

 このことを理解するうえでも、以前このブログで触れた「菩薩問題」の理解が役立つようだ。

神智学と再臨のキリスト、そして菩薩問題 - k-lazaro’s note (hatenablog.com)

 それは、菩薩と言っても、それには人間の菩薩とそれに霊感を与える神霊的菩薩の二種類が存在するという事である。そしてこれは、仏陀においてもあてはまるのである。仏陀は、菩薩がいわば一段上の位に昇った存在である。同様に、仏陀を指導する神霊的存在は、菩薩の神霊的存在よりも上位に位置する存在となるのである。

 このことからすれば、仏陀(の神霊的存在)に仕える神霊的存在=神(大天使に対する天使)も存在するといえるのである。

 実際には、「菩薩」や「仏陀」にも、また「神」にも、もっと多様な存在が意味されている場合があるだろう。そうであるなら、事態はもっと複雑になるが、上の理解が基本となるようには思える。

 

 話は逸れるが、以上からすると、諸宗教において神とされているものが、その実体は天使であるという場合があることが分かってくる。聖書に出てくるエホバやエロヒムという名の「神」も実は天使存在であることは既に触れたことがある。

 そして、ギリシア神話の神々も天使的存在であると、シュタイナーは、語っている(『シュタイナー・コレクション 4 神々との出会い』高橋巌訳)。ギリシア神話の神々は、人間と同様な欲望を持ち、誤りも犯す『人間らしい』存在である。その神々は、人間に近いヒエラルキー存在であるならば、そのようなことも理解できるかもしれない。

 また、「人間の直ぐ上に位するヒエラルキー存在たちも、人間と全く同じように、地上で進化を遂げるように努力している、とギリシア人は考えていました。・・・ギリシア人の神々は、エジプトやペルシアの神々に比べると、自分の進化のために努力するあまり、・・・人間にかまけていられなかった」。だからこそ、「ギリシア文化という、神々から自立した人間的な文化が生じた」というのである。

 エジプト時代に比べ、ギリシア時代は、人々の霊的認識は薄れていったとされる。神霊存在と人間が疎遠になったのである。人間的なギリシアの神々はその反面として現われたものであったのだ。

 このようなことからわかるのは、時代や民族の違いにより、神々の現れ方も異なるということだが、それはやはり人類の霊的進化の段階に応じたものであるということである。

 そしてまた、人間と同じように、神々(神霊存在、ヒエラルキー存在)も進化していくということである(本来の進化の道をはずれる悪魔的神霊も存在する)。更に言えば、同じ人間でも、一方に秘儀参入者のように、通常の人間より先を歩んでいる人々がいるように、同じ天使でも、他の天使よりも先を歩んでいる(より早く進化している)天使がいるということなのだ。人々から神と崇められるような天使は、通常の人間の守護天使ではなく、そのような天使ではなかろうか(秘儀参入者のような人々の守護天使はまた一般の人の守護天使とは異なる。大天使に近い存在である)。

 

 ここで話を本来のテーマに戻すと、仏教の教えによれば、通常の人間(凡夫)と異なり、菩薩は修行を通して悟りを約束された人間であり、仏陀はその悟りを得た人間である(もはや輪廻からは脱している)。そして、シュタイナーによれば、それぞれに、人間の直ぐ上の位に位置するヒエラルキー存在である守護天使がついている。菩薩、仏陀にも天使が付き添っているのである。

 だが、仏陀とは、もはや地上に転生せず霊界から働くことができる存在である。ということは、もはやそれまで付き添っていた天使も役割を終えることになるのである。具体的に言えば、釈迦仏陀守護天使は、もはやその役割を終えているのだ。そして、そのことにより、天使の上の位、大天使の位に昇ることができるようになったのである。これが神々の進化の一例である。

 

 さて、今回、議論してきたのは、大日如来阿弥陀仏文殊菩薩弥勒菩薩等々の仏教の神霊的存在達は、キリスト教ヒエラルキーと同じ存在であるかと言うことであった。その答えは、以上のことからすれば、肯定的なものとなるだろう。しかし、具体的個別に、それぞれの仏、菩薩をどのヒエラルキー存在かと同定することは、今は困難である。

 私自身はそのような知識を持ち合わせておらず、今のところ、それをテーマとした書籍も、西川氏の本以外に見いだせていない。ただし、いわゆる人智学派の「菩薩問題」をテーマとして、その中で、文殊菩薩弥勒菩薩等について論じた本が、ドイツの人智学者から出されている。アジア人としても大変興味深い内容であるので、いずれ紹介したい。

※この原稿を脱稿した後、たまたま西川氏の著作『シュタイナー仏教論集』(アルテ刊)のページをめくっていたところ、「ベックは、『涅槃教』を独訳したとき、その脚注で、これらの9つの天とキリスト教の9位階の天使との対応をしさしている。」と言う文章に巡り会った。やはり、西川氏の記述の根拠はベック氏にあったのである。
   そこでベック氏の『涅槃教』の著作(英語版)を見てみると(既にこのブログで紹介済であったが、この時には気付かなかった)、脚注に次のようにあった。

 「パーリ語で”33の神々【忉利天】”。これは、9位階の第2の者、それを指揮するのはインドラ-即ち民族魂でもある大天使のヒエラルキー-である。仏教における9位階の名は、『仏教』を参照。」そして、
 「本来、インド人は、”4人の偉大な王”(あるいは”世界の守護者”【四王天】)を最も下位のヒエラルキーとして、”大天使”については”33の神々”-それを指揮する者はインドラ、ドラゴンを退治する者、インドのミカエル-として語っている。」

 これらからすると、ベック氏がここで個別に同定しているのは、天使と大天使のみであるが、全部で9位階としていることから、天使の9位階が想定されており、他の7つのヒエラルキーについても、西川氏が示すように同定されると示唆されるのである。

コロナ血液現象の謎

『コロナ血液現象』表表紙

 今回は、久しぶりにコロナがテーマである。

 コロナについては、その病気そのものとそれのワクチンに関するものの2つの問題あるいは疑問があると思われる。ワクチンの問題(そもそも従来の意味でのワクチンではないのだが)は、言うまでもなくその副作用(それが本来の作用であると言う人もいる)であり、これは多くの国で一般の人が知るようになっている。最近では、ワクチン・メーカーのアストラゼネカ社自身が、ワクチンの血液凝固の副作用を認め、製品の回収を開始したようである。

 このようなことから、各国で、その被害に対する裁判も起きており、日本でも、最近、被害者が国を相手とする集団裁判を起こしたことが報道されている(マスコミがこれを報道したこと自体にこの間の情勢の変化が見られる-以前であれば無視されていただろう)。

   しかし、日本では残念ながら、まだ多くの人がその問題について認識できていない。その様な状況だから、更に恐ろしいレプリコン・ワクチン(人間の体内で増殖する)なるものが、世界の中で唯一日本において実施されようとしているのだ。

 では、前者の新型コロナ、Covidそのものの問題とは何であろうか。それは、一つは、そのそもそもの原因に関わるものである。一般的には、ウイルスによるものとされるが、既にこのブログでも紹介しているように、そうしたウイルスはそもそも存在しないという主張もあるのである(ウイルス自体が実際には分離されていないのだ)。トマス・コーワン氏はその代表者といえるが、彼によればその原因は、電波の5Gであるという。

 また、新型コロナとは、結局、どのような病気なのかということも問題であろう。その症状は人により実に様々で、実際には一種の風邪に過ぎないという人もいる。それがどのような病気なのかということに、そもそも確定した共通認識がないのだ。PCR検査でその病原因とされるウイルスの遺伝子の断片が検出されたとして、コロナに罹患したとされるが、人により、確かに重篤あるいは死亡に至る場合もあるが、軽い人ならまさに風邪に似た症状を呈するにすぎないのである。

 今回は、このような問題あるいは疑問に一つの手がかりを与えると思われる本を紹介したい。

 

 書名は、『コロナ血液現象 Corona Blood Phenomena』という。その副題によれば、健常者、ワクチン接種者、回復者それぞれの血、血漿、脳脊髄液を顕微鏡で検査したものということである。この場合の、ワクチン接種者、回復者とは、コロナワクチンの接種者や、コロナ(及びワクチン接種による病変)からの回復者を意味している。このような人々の血液等を顕微鏡で調べたというのである。

 元々は、2022年にドイツで出版されたと思われるが、私が入手したのは本年出版の英語版である。

 著者は、イング・ユング=ナスタンスキー Inge Just-Nastanskyという方である。本の著者紹介によれば、1942年にドイツのケルンに生まれ、シュトットガルトで総合診療医をしているという。それまでは、大学で医学を学んだ後、外科の補助医としての勤務や農村部での医療実践に従事し、さらに1989年からはオイリュトミー及びオイリュトミー療法を学び、一時、学校医なども務めた。2001年からは、滴下研究(Water Drop Research)を行っているという。

 この最後に出てきた、滴下研究の一つの成果が今回の本となっているのである。

 

 この本は、本の副題のように、顕微鏡による調査結果をまとめたものなので、本の大部分はその顕微鏡写真が占めている。

 前書きと後書きが付けられているが、本文中は、写真とそのキャプションや簡単な説明が付いているのみである。

 以下、これらを頼りに、本の内容を簡単に説明しよう。

 

 著者がこの本をまとめる事になったきっかけは、COVIDのために、あるいはCOVID「ワクチン」接種後に医学的治療を求めた多くの患者たちの存在であった。このため、「SARS-2ウイルス病と、それに使用されるmRNA“ワクチン”の結果として生じる、ヒトの血液中の変化について理解を深めてもらうことを」目的として本を出版したのだという。 

 他の医学仲間との協力のもと、罹患者のための治療法が開発されてきたが、同時に、滴下イメージング法による血液検査が行なわれてきたというのだ。その結果、「20年にわたる血液イメージングの研究に比べ、前例のない血液の変化が明らかになった」というのだ。

 ここでこの滴下イメージング法について説明すると、本によれば次のようなものとなる。

 

 それは、液滴をスライド上で乾燥させてその様子を顕微鏡で観察するという絵画的手法である。自然界の物体(植物の器官、鉱物、宝石、金属......)は、水の入ったグラスに一定時間「セット」される。一定時間ごとに、注射器で水を採取し、細い針でスライドに滴下し、乾燥後に暗視野マイクロスコープで観察し、40倍、100倍、200倍、400倍の倍率で写真を撮るのだ。

 滴下した後、乾燥させた液体の滴の形には、その前の生きたプロセスの結果が、構築された構造を示す画像としてに現れるというのである。

 この「生きた」構造が生成される仕組みについて著者は次のように説明する。

 そこに出来上がった画像は、いわば水と自然物(クラスター形成など)との間の高度に特殊化された力の相互作用の中で成熟していったものである。すべての自然物は、地球が今日まで発展してきた過程で、生きている霊的・宇宙的世界の力の結果である。したがって、鉱物、宝石、金属などのイメージに「生きている」デザインがあるのである。

 秘教的知識によれば、物質世界のすべての存在は、超感覚的世界から生まれてくる。それらは、それぞれの超感覚的、霊的な原像を元に一定の形を持って物質世界に現象してくるのだ。つまり、それらはデザインされている、ということだろう。

 しかし、「水中でのイメージの創造に先立つこの「生命」を、どのようにしてプロセスとして認識することができるのだろうか。

1) 生命の特徴は、まず第一に、幅広く相互にコミュニケーションを行なうすべての部分が全体的にまとまっていることである。このつながりは、水滴の閉じた円形の形によってもたらされる。すべての生物は、その中で、その種に適した方法で成長し、環境に対して自己を主張することができる皮膚、殻を必要とする。

2) 生命- 雫のイメージはすべて、私たちを取り巻く自然にふさわしい調和と美しさを特徴としている。それらには、結晶のようなものであれ、成長する植物のようなものであれ、花のような造形であれ、リズミカルな創造力が織り込まれている。

3) 生命- 最後に、それらは典型的なイメージの特徴から、水中に置かれた客体を識別することを可能にする。一つの種のイメージは常に同じように再現可能で、調整水の中で数ヶ月間安定したままである。」

 

 著者がここで述べている「生きている霊的・宇宙的世界の力」とは、シュタイナーのいうエーテルに関わるもののようである。生物及び無生物を問わず、この物質的世界の存在を生み出し背後で支えているのがエーテル(生命あるものにおいてはその生命原理となるが)であり、滴下イメージング法とは、そうした超感覚的な力を可視化するもののようである。

 また著者は、そのイメージついて次のようにも述べている。

 「いくつかの植物の果実と宝石の滴下像を示す。後者の場合、典型的な像が現れるまで、1年以上にわたって何カ月も、調製水の中に置かれる。自然界からの雫のイメージは、見る者に美的・道徳的な効果を与える。それらは、あらゆる生き物の中にありながら、普段は隠されたままになっている、私たちの現象世界における活動的な力について、私たちに語りかけてくる。もしこれらの力が私たちの中にも働いていなければ、私たちは、それらを驚きを持って認識することはできないだろう。」

 

 確かに、この本に載せられた通常の自然物や健康人の滴下イメージ(顕微鏡写真)は、リズムカルで調和が感じられる。美しくもあるのだ。だが、病人やワクチン接種者のそれは、醜く、嫌悪感をもよおしさえするものであり、前者との違いは明瞭である。

 この違いについて著者は次のように記している。

 「50人以上のCOVIDワクチン接種者、C DVID感染者、COVID回復者の代表的なサンプルがここに記録されている。それは、最初の20人のグループで、血液の広範囲にわたるさまざまな変化を見せている。そこでは、血液像の全体的な一貫性は失われ、多くの場合、説明のつかない多数の相互に類似した現象が繰り返し現れた。」

そして、COVID患者の血液像とCOVID 「ワクチン接種 」者の血液像との間に有意差は認められなかった、というのである。つまりワクチン接種者は、コロナ罹患者と同じ血液のように見えるというのだ。

 しかし、追跡調査で、ワクチン未接種の回復者の血液像が、数日から数週間後に完全に正常な「理想的な血液像」に急速に戻ったという。「異常な現象や破壊の兆候はすべて血液から消えていた」のである。

 一方で、20人の「ワクチン接種者」の追跡調査では、1年以上経っても血液の完全な正常化は見られなかった。ワクチン接種していると、その回復が見られないようである(勿論、長期的に見ればどうかはまだわからない)。

 そして興味を引くのは、次の文である。

 「これらについて、性別と年齢分布に差は見られなかった」ことから、これらの情報は略されているが、非常に個別的、特殊なケースも掲載されておらず、さらに「製薬メーカーが公表していないCOVID“ワクチン”の成分分析を伴うSARS-CoV-2に関する科学的研究については、画像作成法によって何度も確認されているにもかかわらず、掲載を見送った」、と言うのである。

 つまり、滴下イメージの分析により、ワクチンに公表されていない成分の痕跡が見つかっているようなのだ(長年の研究により、個々の物質の特定が可能なのであろう)。これらワクチンについては、確かに、製造工程での異物混入があるようなので、それを示すものかもしれない。ある種の物質の「意図的な汚染」ということも、巷間で噂されているが。

 ちなみに著者は、「一般的に、これらはワクチンではなく、これまで一度も使用されたことがなく、テストもされていないナノテクノロジー医薬品であることが知られている」と述べており、その様な問題の研究は今後に期待するとしている

 以下に述べるが、やはりナノテクノロジーの痕跡が見られたのかもしれない。

 

 掲載されている写真はこのブログで紹介することは出来ないが、本の表紙・裏表紙に一部載っているので、それを示しておく。

※表表紙はトップに掲載

本の裏表紙



 以下、本文に掲載されている写真についての説明文を若干紹介しよう。

 

 先ず、通常の人の血液像だが、自然物の像がとても多種多様であるのに対して、非常に統一性を持っているという。そのイメージは、言葉での説明が難しいのだが、形としては、コロナ環をもった太陽のようである。円形の本体の周りが放射状のものに取り囲まれているのだ。なお、「本体」の内部は、糸のようなもの(著者はこの糸をタンパク質であるとしている)が毛根様に絡み合っているようにみえる。

 そして驚くべきことに、この形が、最近変化したというのだ(一般的にということであろう)。どのように変わったかと言えば、そのコロナ環の部分が、以前は絡み合うように丸まっていたのだが、それがほどけて、密度も絡み具合も減っているのだ。なお、この原因については、この本では特に考察されていない。

 

 次にワクチンについてだが、先ずワクチンのみの液滴では、ファイザーの像は、格子状のものがびっしり詰まっており機械的な印象を与える。それは、まさにネットに出てくる、人工的なナノ物質に似ているかもしれない。

 血液にこれを加えるとその相互作用が見られることになる。その結果は、外周のコロナは、断片化し、放射状に外部に広がっていたものが、外部から遮断され閉鎖されたように見える。そして内部は、部分的に、純粋なワクチン成分で見たように、機械的な格子状(結晶のようでもある)の構造に変化している。

 さらに、血漿にワクチンを加えると、やはり血漿の内部構造は破壊され、そこには、皮膜のやぶれたリング上のものが生まれている。

 

 以上は、試験管上で行なわれた観察であるが、次は、実際の人間からとられた血液の調査である。

 ワクチン接種者の血液は、やはり試験管の時と同じような状況である。周囲のコロナは閉じており、内部の糸状の構造は破壊されている。代わりにやはり格子状の構造物が出来ており、そこに虫様の物(微少血栓?)が見られるものもある。中には「炭素集積体」と言うような単語で説明されているものも見られるが、その正体は良く分からない(色は黒いので、やはり炭素なのだろうか?)。

 以上のワクチンによる血液の変化は、ワクチン非接種のコロナ患者の血液にも同様に見られる。ワクチンを接種するということは、コロナに罹患することと同じであることを示しているのだろうか?

 それは、ワクチンは、コロナウイルスの持つスパイクタンパク質を体内で産出させるものなのだから当然の結果かも知れない。

 

 検査は、血液の他に人の脳脊髄液でも行なわれている。

 脳には「血液脳関門」があり、それにより脳神経細胞に影響のある物質がブロックされている。これにより血液の全てが脳に入り込むのではない。つまり脳には防御壁があるのだ。問題は、これをワクチン成分が通り抜けるかという事であるが、残念ながら実際はそのようであることが分かっている。

 著者は、モデナワクチン接種後の脳脊髄液を調べて、これを確認したのだ。

 「モデルナで3回 ワクチン接種 された患者の脳脊髄液の画像から明らかになるのは、恐ろしい驚きである。脳脊髄液の滴下像には、最も多様な塩の形が散らばっている。文字通り塩化され、こうして “物質化”されている。背景は、“予防接種を受けた”人々の血液像でよく見られるような真っ黒ではなく、細かい塩のような直方体の構造で濁っている。典型的な六芒星は、非常に短くリズミカルに黒中心に伸びており、小さなスケールでしか現れない。これらのことはすべて、モデルナCOVID予防接種の成分が血液脳関門を突き破ったことを示唆している。

 このことから、血液と同様に脳脊髄液もワクチンにより変化していることが分かる。これは当然、ワクチン接種後の脳機能の変調、精神障害の理由を説明することになるだろう。

 

 次に本書のまとめの文章を紹介する。それは、ゲーテの「ファウスト」の(人智学者達には有名な)あの言葉で始まる。

 

「値は全く特別な液体である」

 

 「ゲーテが『ファウスト』の中でメフィストフェレスの口にこの深い真理をついた文章を入れたのは、非常に意義深い。

 実際に神性に反抗する存在は、人間の血の状態について、人間自身よりもよく知っている!メフィストフェレスファウストの血の一滴を自分のものにする。彼は、この液体の特別な意味を知っていたからである。

 福音書では、人間がキリストを認識する前に、悪魔がキリストを認識している(例えば、マルコ5:1-13参照)。」

 シュタイナーによれば、 人間の 「自我」は血液を、人体におけるその器官としているのである。

「栄養、呼吸、感覚器官におけるすべてのプロセスは、血液に影響を及ぼす。血液から隠されたもの、生理的・生化学的な影響を受けないものはない。私たちが肉体的あるいは精神的に「消化」しなければならないもの、精神的あるいは意志をもって私たちの行動に流入させるもの......すべては心臓を中心とする静脈血流と動脈血流の極性においてそのバランスを見出す。

 右の心臓の静脈血は、私たち個人の生活(栄養、代謝器官など)によって形作られ、動脈血は宇宙環境からその刻印を再び受け取る。というのも、空気中の酸素によって、私たちは光をも吸い込み、血液は完全に生まれ変わるからである。

 この静脈血と動脈血のバランスに、私たちは意識的に参加することができる。良心は心臓で鼓動しているからだ。私たちは、自分がしてきたこと、経験したこと、学んだことを、環境から刷新や修正の刺激として与えられることを比較考量することができる。心臓の知覚的な魂の生命において、なったもの、なりつつあるものが、共に音を立てている、そしてこれが、血の出来事を経由する自由な生きる道の発芽力となる。」

「この秘密の何かは、光線のハローと個々のタンパク質の糸のデザインを持つ通常の、あるいは理想的な血液の写真に隠されている。

 COVID患者やCOVIDの「ワクチン接種を受けた」人々の血液写真には、自由で意識的な生命形成のプロセスを-簡単に言えば-不可能にするような甚大な変化が現れている。多くの罹患者は、いかに“足元の地面がなくなったか”、いかにもはや統一体としての自分自身の存在を経験できなくなったか、いかに段階的に何度も何度もこうした“脱電離化”の状態がかなりの不安につながったかを述べている。魂の領域で起こるこれらの障害に加えて、幅広い臓器病変(神経器官、呼吸器官、代謝器官など)があり、また、長い間「治癒」していた古い病巣、癌を含め、が再燃することも非常に多かった。」

 著者は、このような血液の変化をもたらした要因については不明な点が多い、としつつ、これは、「血液の生体構造への攻撃」であるとしている。

 ただ、これらすべての症例については、回復への道を助ける治療法があるとし(これも滴下法で確認されている)、例えば、ホメオパシー人智学的に拡張された癒しの技術を挙げている。

 「これらのアプローチは、発熱、痛み、呼吸障害の場合、解熱剤、鎮痛剤、抗生物質、コルチゾンを直ちに投与しないという点で通常の治療処置とは異なる。症状と闘うのではなく、根本的な原因に基づき、個々の患者に適応した療法を開始するのである」という。

 

 次に、さらに脳機能への影響について語られる。

 「“ワクチン接種”後には脳脊髄液(人の脳液)も変化することを想定しなければならない。第V章では、2016年に受診した人の正常な脳脊髄液と、モデルナを3回注射した患者の脳脊髄液を比較した。ワクチン“接種 "後の変化は明らかに顕著である。」

 ただ検査件数が少ないので、患者のさらなる脳脊髄液検査が緊急に必要とし、またその際に、脳脊髄液の塩分含有量がポイントという指摘もある。

 

 そして最後に、「多くの不可解な点や未解決の問題があるため、画像資料は、数千枚の画像で構成されているが、決して完成したものではない。これは、画像資料の刺激から生じる可能性のあるさらなる疑問、あるいは回答への呼びかけと結びついており、著者はこれに強い関心を抱いている」と述べられている。

 

 以上で本書の説明は終わりである。

 では、これらからどのようなことが導き出されるだろうか?

 先ず、ワクチンの弊害についてはどうであろう。実際に、接種者の血液や脳脊髄液の構造が変化しており、それはその人に悪影響をもたらしていると推察できるのではなかろうか。ただ、それらの実際上の機序までは分からないので、あくまで推察の範囲ではあるが。

 また、コロナがただの風邪かどうかについては、明らかにそうではないようである。

 著者はこのようなことに関して述べていないので、全く私個人の考察となるが、コロナ及びそのワクチンによる変化は、やはりそれに特有のものであり、従来の風邪等による変化とは異なるものであろう。とすれば、風邪とはやはり区別すべきものなのだ。

 コロナによる症状の多様性は、勿論、個人差、個人個人の体質、環境等の違いによるものもあるだろうが、そもそもPCR検査の不正確さからすれば、本来コロナでないものがコロナとされている場合もありうるので、そのことが一つの原因であるということは考えられるだろう。

 そしてそもそものコロナの原因であるが、ワクチン接種者の血液がコロナ患者同様の変化を見せていると言うことは、そこに共通するものが存在していことが予想される。

 そして上で述べたように、その変化した血液、脳脊髄液の滴下像の機械的なイメージである(ワクチンの種類により違いはあるが)。感覚的なものだが、通常の血液の像が有機的な感じがするのに対して、ワクチン接種者及びコロナ患者の血液は、非有機的イメージがするのである。これは、その起源を示唆しているのだろうか?

私たちは、実際には何を食べているのか?

 このブログでは、健康の問題も取り上げてきた。人智学は、人間の構成要素を肉体、心魂、霊(更に細分化することもある)としており、人の成長にとっては、それぞれの健全性が重要である(霊自体は本来病むことはないが)。

  心身症というものがあるように、肉体と心魂が相互に影響し合っていることは現代医学でも認識されているが、人智学では、そこにエーテル体やアストラル体、自我との関係など、健康や病気については、肉体以外の様々な要素が考慮されることになる。

 カルマにより肉体に支障をもつようになる人もいるが(その人にとっては必要な病気)、一般的には、肉体の不調は、心魂や自我の成長には障害となる場合もある。霊的に成長するためには、肉体や心魂の健全性がないがしろにされても良いと言うことはない。

 霊的敵対勢力の人類に対する攻撃も、当然、人類の身体や心も対象とし、それらを劣化させようとしてきたことは想像できる。現代世界では、人間の生活空間全体が様々に汚染されており、何の問題もなく健全に成長し、生活すること自体が実に難しくなっていることの真の原因は、その結果であるかもしれない。今のコロナに関わる動きの背景にあるものも同様であろう。

 

 今回は、健康を支える食べ物の問題である。

 既に多くの食品に人工的な添加物が加えられており、遺伝子組み換え食品も増えてきている。最近では、昆虫食やコオロギ粉末入などというものや、肉や卵そのものにも人工物が出てきている。人工物だらけである。それらの身体への影響はどうなるのだろうか?決して良いはずはないだろう。

 では、健康をもたらす食べ物とはどのようなものだろう。今回紹介する、ドイツの人智学系医師オットー・ヴォルフOtto Wolff氏の『私たちは、実際には何を食べているのか?』という本に一つのヒントがある。

 この本の原書はドイツ語で、人気があるらしく、各国で翻訳されているようである。ヴォルフ氏は既に亡くなっており、今回引用するのは、ヴォルフ氏の本に他の研究者が補足を加えた英語版からである。

 

 以前、「栄養の真実の基礎」で、人が食べる普通の食べ物を摂らなくても生きている人が実際に存在しており、本当は、「人は、光から生命力をえている」という考えに触れた。

k-lazaro.hatenablog.com

 今回紹介するヴォルフ氏も、この光(もちろん太陽の光であり、人工の光ではない)が、命をもたらしている、光の凝縮(変容)したものが生命であり、食べ物はそれを媒介しているのであるという。従って、食べ物を摂らずに生きている人は、食べ物という媒介物を経ずに、直接太陽から命を受け取っているということが言えるだろう。

 以下の文章では、このことと、健康に良い具体的な食べ物とその食べ方のヒントが語られる。

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はじめに

 自分の食べるものについて考え始めた人は、すぐに、この分野には他のどの科学の分野よりも、果てしない矛盾があることに気づくだろう。例えば、文明国では平時から食料が豊富であることは事実である。したがって、多くの人は、私たちの栄養状態はかつてないほど良くなっていると信じている。しかし、ある人は、これは量的なことであって、食の質はかつてないほど悪くなっていると主張するのである。だから、私たちは、人類の本来の栄養に立ち返らなければならないと語る。しかし、そうした栄養とは何だったのだろうか。・・・

 多くの人は、ローフードダイエットだけが健康的な食事だと確信している。結局のところ、動物は食べ物を煮たり揚げたりしないのだという。また、調理することで消化が良くなり、生ものは消化が悪いと主張する人もいる。また、どのような脂肪を使うかについても、意見が分かれるところだ。・・・

・・・

 もちろん、栄養学の分野では科学的な研究も行われている。人が必要とするカロリーや、ビタミン、タンパク質、脂質などの量も、綿密に計算されている。しかし、これらの研究は決して終わりを告げることはない。常に「新しい」ものが登場し、それはすぐに世界中に広まり、「古い」見解は完全に「時代遅れ」になってしまう。・・・ほんの数年前までは、植物性脂肪だけが健康に良いとされていた。動物性脂肪は極力排除すべきとされていたのだ。その後、サバなどの冷水性魚の油脂が心臓発作の予防に役立つということが分かってきた。この魚油は、植物性油脂ではない。また、肉にしか含まれない特定の「必須アミノ酸」が必要で、ベジタリアン食では十分ではないという話もよく聞く。一方、数多くの研究は、ベジタリアン主義者は、何ら欠乏に苦しんでおらず、結局より健康であることを示してきた。・・・それらはしばしば理論的であったり、一方的であったり、科学的な研究ではそう簡単に把握できない他の要因に影響されているのだ。

 では、私たちはどうすればいいのだろうか?あらゆる提案を試す?「疑わしい」と思われるものは省くのか?アメリカのユーモア作家であるマーク・トウェイン(1835-1910)は、このジレンマをすでに知っていた。彼は、「最も安全な食べ物は、適量を摂取された水である」と書いた。しかし、今日、この言葉でさえ必ずしも正しいとは言えない。多くの場所で飲料水がかろうじて飲めるという状態になっているのは、塩素が過剰に添加されていたり、農薬や農業用肥料が流れ込んでいたり、多くの人や産業をすでに「通過」してしまっていたりするからだ。だから、もう絶対に「安全」な食べ物ではないのである。今日使われている水の「処理剤」にも問題がある。それらは、有害物質の大部分は除去できても、生命を運ぶかけがえのない運び手としての本来の役割を水に取り戻すことはできないのだ。

・・・

 これらの矛盾は、今日の生活における根本的な問題を指摘している。大量の細部は知られており、それらを測定し、変化させることができるのに、物事の本質を認識することができない-そのことにしばしば気づいてもいない。栄養に関して言えば、本質的な問題は、「なぜ食べなければならないのか?なぜ、食べ物がないと人は死んでしまうのか?なぜ、水や塩、石や木だけでは生きられないのか?である。

 昔の人は、食べ物を「命の媒介者」(ドイツ語Lebensmittel)と呼んだが、それは正しい直感であった。石や木、あるいは塩には生命がないことは明らかで、だから人間は食べても生命を得ることはできない。もちろん、例外もある。例えば、木食い虫は木を食べて生きている。木食い虫にとっては、木は命を媒介するが、人間にとっては違う。そこで、私たちは基本的な原則にたどり着く:

 命を含むものだけが、命を養うことができる。

 

 これは現代人にとっては新しいことかもしれないが、古くからある考え方である。アンゲルス・シレジウス(1624-1677)はこう書いている:

 パンは私たちの食べ物ではない。パンの中で私たちを養うものは、神の永遠の言葉であり、霊であり、命である。

  • もともとこの文章では、「言葉」の代わりに「光」が使われていたが、当時は「神の言葉」という、より一般的な表現のほうがふさわしいと思われたのかもしれない。しかし、「光」は明らかに適切である。 (筆者注)ドイツ語のnicht (not)は、Licht(「光」)と韻を踏み、Wort(「言葉」)とは韻を踏まない。(編集者注)

 

 アンゲルス・シレジウスが言いたかったのは、私たちを養うのは物理的な物質そのものではなく、その「中身」であるということである。重要なのは生命の力であり、生命と霊である。

 パンを食べるときに神の言葉や霊を食べるというのは、現代人にとってはまさに異端に聞こえるのではないだろうか。現代人は「命」や「霊」が何であるかを知っているのだろうか。この4行には、現代の私たちが知っているさまざまな内容よりも、もっと多くの知恵が詰まっているのだ。現代に至るまで、食べ物は神様からの贈り物であり、それをただ捨てさることは罪であることを誰もが知っていた。今日、これは大量の食品で起こっている。昔は残飯やゴミは豚の餌にしたり、堆肥にしたりしていた。しかし、そのような食べ残しは「市場に出回らない」、つまり、食料の大量廃棄につながっているのだ。

 科学的な研究が進むにつれて、生命という力ではなく、物理的な物質に焦点が当てられるようになった。しかし、それはあくまでも「パッケージ」に過ぎない。生命は物質ではないからである。それは、力であり、ある特定の物質と結びつくことができるだけである。

 生命とは何かということを見失った人々は、「食べ物」を「生命の媒介者」から「栄養の媒介者」(ドイツ語Nahrungsmittel)と呼び方を変えてしまった。というのも、私たちが口にするものすべてに生命が含まれているわけではないからだ。例えば、塩は生命を維持するためではなく、より高い目的を持つものであることがわかる。消化の悪い繊維食料も、生命を含んでいないので、栄養にはならない。しかし、生命維持のための機能は果たしている。

 第三のグループは、嗜好品(ドイツ語ではGenussmittelといい、文字通り「楽しみの媒介者」)で構成されている。これらは、私たちを養うわけでもなく、生命機能を助けるわけでもない。これらは楽しみのためだけのものであり、ほとんどの場合、生命に破壊的な影響を与える。最も広く使われている刺激物は、コーヒー、紅茶、アルコール、タバコ、砂糖である。

 このように、食べ物から受けるのは生命である。現代人は、生命そのものを力としてとらえることはできないと考えている。だから、例えば牛乳100mlに何キロカロリー含まれているか、パッケージの表示でわかるようになっているのだ。カロリーとは、ある物質100gを燃やすとどれだけの熱が発生するかを示す数値である。(このため、食品の「カロリー」や「エネルギー含有量」という表現が使われる。ある程度は役に立つが、それにもかかわらず、これは本当のポイントを逃している。これらは技術の分野で使われる用語であり、そこでしか正当化されない。しかし、食品の場合、重要なのはカロリーではなく、その中に含まれる生命なのだ。ガソリンやワックス、パラフィンなどは、エネルギー含有量が非常に多く、「熱量」が高いが、だからといって食品になるわけではない。炭水化物、脂肪、タンパク質、ミネラル、ビタミンなどの量を羅列するのは、生命という本質を捉えていないため、あまり意味のないやり方である。

 どの食品にたっぷりの生命が宿っているのだろうか?生命は、カロリーを測るような方法では測れない。したがって、生命そのものから出発しなければならない。生まれてくる赤ちゃんは、母親から命をもらう。生まれてからも母親は母乳を与えてくれるが、これは赤ちゃんにとって理想的な食べ物の形である。生後6カ月くらいから、果物、穀物、牛乳など、少しずつ命を含んだものが入ってくる。牛はどこから命を得ているのだろうか?牛は厳格な菜食主義者なので、自分の食べ物である植物からである。興味深いことに、人間は古来、肉食動物以外の動物の肉しか食べていない。なぜだろう。牛は植物から命を得ているが、猫はネズミから命を得ており、ネズミ自体もベジタリアンである。このことを理解するためには、新しい生命を生み出すことができるのは植物だけであることを知らなければならない。動物は植物から生命をもらっている。動物の肉を食べることで、私たちは動物の生命を直接摂取しているが、それは植物から間接的に得ている。つまり、動物の中にある生命は、今で言うところの「中古品」なのだ。動物は自分から命を得ているのではなく、植物から命を得ており、その植物は太陽の光から命を得ているのである。そして、昔の人は知っていたように、「神の霊」は太陽の光の中にあるのだ。植物の中の生命はもっと濃縮されている。この生命は動物の中で変化し、内なる光として、意識として利用できるようになる。生命そのものが消費されるのだ。もし、私たちが動物によって生きている動物の肉を食べなければならなかったなら、食料や栄養をえているとしても、もはやほとんど命をえることはなかったろう。なぜなら、もともと太陽の光に由来する生命は、光→植物→動物→人間という経路で、徐々に減少しているからである。これは理論ではなく、現実的な意味を持っている。唯一可能な結論は、植物性の食事が最も生命力が強いということであろう。

 下のグラフは、動物の意識の程度さえその肉の生命の量に影響することを表している。これは、草食動物が1kgの肉を作るために必要な食料(植物性物質)の量をキログラムで示したものである。つまり、牛肉1kgを作るには約9.5kgの穀物が必要だが、鶏肉1kgを作るには約2kgの穀物しか必要ない。動物の意識が高度になるほど、同時に生命が破壊されることを示している。これらのデータは、世界の食料を確保する上で非常に参考になる。食用に飼育されている牛や豚のために必要な面積を、人間が食べるための穀物や野菜の栽培に充てれば、全世界の食料をまかなうことができるはずだ。

 一般に、野菜は肉よりもはるかに多くの生命を含んでいる。しかし、後者にもそれなりの役割と正当性があり、これについては後で十分に説明する。

植物は光からその命を得ていることを見てきた。この光を再び自由にすることは可能なはずである。そして、実際にそうなっている。乾燥した植物を燃やすと、植物の中にあった太陽の光と暖かさが、再び火の中に現れるのだ。だから、燃やせるのは、光と暖かさを含んだ、元々生きていたものだけなのである。岩石は燃やせないが、石油は生きていたから燃やせるのである。

 これは外界の自然だけでなく、動物や人間の中にも言えることだ。私たちが食べたものは、体内で燃やされたり酸化されたりして、私たちが直接感じる温かさがまた出てくる。光は今、内なる光として、意識として再び姿を現す。その過程で、生命は減少する。生命は消費され、内なる光、つまり意識へと変化していくのである。

 

魚・鶏・豚・七面鳥・羊・牛  生命はどこから来るのか?

 これまで見てきたように、牛は植物から生命力を得ている。この原理はすべての動物に当てはまり、「他の生物を食べることで生命を維持する」という意味で従属栄養動物heterotrophic animalsと呼ばれている。しかし、植物はどこから生命を得るのだろうか?植物は「自給自足」を意味する「独立栄養」と呼ばれている。もちろん、これは誤解を招く表現である。植物は、命を、自分からではなく他のあるものから得なければならいからだ。

 現代において人は、動物が植物を食べて生きているように、植物もカリウム、リン、窒素で「生きている」と思って育ってきた。しかし、これには間違いがある。動物は植物の命から命を得ている。しかし、生命そのものは力であり、限られた時間だけ物理的な物質と結びついているに過ぎない。カリウム、リン、窒素などの物質は完全に死んでいるので、植物は「生命」を得ることができない。

 植物にとって最も重要なのは光であることは、ただ観察すればわかることである。光もまた、生命と同じように力である。植物が緑色である限り、光を直接取り込んでいるのだ。このことは十分に研究されている。植物はクロロフィルという緑色の色素の力を借りて、光を取り込むことが分かっている。そして、水と空気中の二酸化炭素から炭水化物を作り出すことができるのだ。炭水化物は植物の体を作る物質であり、生命活動は炭水化物の中で行われている。しかし、光がなくなると同時に、植物は炭水化物を作らなくなる。このように、生命は太陽光から生まれる。言い方を変えれば、次のようになる。

「生命は、変容した光である」

 だから、石ころのような死んだものに光が当たると、それは暖かさに変わる。しかし、葉っぱに光が当たると、それは生命に変わるのだ。では、なぜ上記のようなミネラルが肥料として重要なのだろうか。生命は、存在するもののうち最も普遍的な力である。そのため、生命は、それに結びつく様々な物質やキャリアを必要とする。水は、生命の主要なキャリアの1つである。しかし、「生きている水」は、まったく別のものだ。古代の人々は、普通の水と生きた水をはっきりと区別していた。例えば、生きている植物の樹液にはカリウムが含まれているが、これはカリウムが、そのあらゆる性質を通じて「水に属している」からである。水は、植物が生産する炭水化物の中で、命へともたらされたのである。炭水化物とは、「炭素と水の化合物」という意味で、まさにその通りである。

 植物がこのような物質を扱うには、リンのほかカリウムも必要だ。リンは生きた炭水化物の一部にはならないが、リンがないと炭水化物を生産できず、炭水化物の代謝を管理でない。窒素とタンパク質も同様である。確かに炭水化物だけで構成されている植物はない、少量のタンパク質も必要だ。しかし、タンパク質は動物や人間で初めてその存在意義を発揮する。植物には、空気中の窒素を取り込んで緑肥になるものもある。それ以外の動物の排泄物は、有機物の形で窒素を含んでいるので、肥料として使わなければならない。

 植物にカリウム塩を補給すると、水を大量に取り込むことができるようになる。しかし、それで植物が元気になるわけではない。というのも、植物がカリウムと一緒に取り込むのは、死んだ水かもしれないからである。生命は力であり、水と違って、力は重さでは測れない。しかし、人は、量が多くて重いということは、食品としての価値も高いと考える。窒素にも同じことが適用される。有機窒素は肥料から取り込むことができるので、生命の循環を維持している。人工肥料は、硝酸塩の形で窒素を含んでいる。これは溶けやすいので植物に取り込まれやすく、実際、植物は取り込まざるを得ないので、硝酸塩が残留することがある。この残留物は、ニトロソアミンに変化し、毒性を持ち、癌の原因となるため、非常に問題である。このように、ある意味、溶解性によって植物がこれらの物質を取り込まざるを得ないのだ。しかし、植物が、その代謝に適した方法で処理し、変化させることができるかどうかは別の問題なのである。厩肥を間違って処理したり保存したりすると、人工肥料と同じかそれ以上に悪くなる可能性があることに注意する必要がある。

 このように、肥料や堆肥は、植物が光から生命を生み出すための道具や補助を提供するだけである。植物は、生命そのものをそれらから得ることはできない。しかし、生きていれば生きているほど、言い換えれば有機的であればあるほど、肥沃(こやしのように)になり、その効果は高くなるのである。

 全く別の角度から、光や生命そのものを通して「肥沃化」にアプローチする方法がある。ルドルフ・シュタイナーが提唱した「バイオダイナミック農法」である。バイオダイナミック農法の製品は、「デメター」というラベルで販売されている。バイオダイナミック農法は、植物の生育が太陽光だけでなく、宇宙全体に依存していることを農家が認識する農法である。個々の宇宙的な要因に対する洞察力があれば、適切なオーガニック製品を用いて、植物がその影響を受けやすいように刺激することができる。そうすることで、植物が本来持っている生命力を高めることができる。このような調剤の使用によって得られる効果は目に見えている。植物の色が明るくなり、状態が良くなるだけでなく、動物の健康や製品の味も良くなるのである。

 ここ数十年、食糧事情が一変したのは、1エーカーあたりの収穫量が大幅に増加したためである。これは、集約的な農法によって可能になったことだ。より良い「収量」をもたらす植物や動物の品種を開発することが可能になったのである。選択育種とは、主に収量を最大化することを目的とした一方的な育種であり、グルテンやデンプンの含有量、焼成品質など、簡単に評価できる変数を測定する傾向がある。考慮されないのは、生命や、牛乳で行われたような長期的な栄養実験のデータなど、食品の本当の価値について重要な情報を与えることができる変数である。

 

 選択的育種は高いパフォーマンスを要求するが、それはすぐに消耗することを認識することが重要である。その場合、新しい種を購入しなければなりません。これはジャガイモだけでなく、他の植物、そして動物にも当てはまることだ。このことが意味するのは、再生産能力が枯渇しているということである。新しい植物を作るには、それらの中の生命力が足りないのだ。穀物の古い品種は、求めるものが少なく、抵抗力があった。選択的に育成された新品種は、人工肥料や農薬という植物の「保護剤」に依存して生きている。新品種は、人工肥料を使った畑でテストさえされる。人工肥料に耐性のない植物は排除される。人工肥料があるからこそ、選択育種された品種は高い収穫量を得ることができるのだから、これは完全に論理的なことである。選択的品種改良と人工肥料は、このように密接に関係している。

 最大限の収量を得るためには、前述した窒素、リン、カリウムの施用など、適切な「道具」が必要である。しかし、まだ高パフォーマンスに特化していない、環境とのバランスに優れた植物は、人工肥料を必要としない。

 選択的に飼育された牛や豚、産卵鶏などの有機的「生産者」にも同じことが言える。彼らは特別な飼料に依存している。1日に2回、20〜25リットルのミルクを出す、ボリュームのある乳房を持つ「現代的な」牛の高い性能は、濃厚飼料を与えることによってのみ達成できる。これらの飼料の「濃縮された強さ」がどこから来るのかは、全く語ることができない。カロリー、ジュール、タンパク質、ビタミン、ミネラルの含有量は、牛乳パックに記載されている表示と同じように、製品に含まれる物質の真の活力や品質について、ほとんど語られることはない。このようなデータは、ある程度は必要だが、的外れなものだ。音楽でいえば、音の大きさだけで判断するようなものである。

 そのような量の牛乳を出す牛なら、カルシウムが必要なのは明らかである。しかし、そのカルシウムがどこから来るかは別である。一昔前までは、牛の死体から採取した骨粉と、牛に必要なタンパク質を一緒に何年も食べさせることもあった。牛が菜食主義者であることは、まったく無視された。牛からとった動物性食品を与えることは、牛の本性にまったく反している。いわば、共食いを強いられたのである。このような餌の与え方は、生き物の自然な欲求に対する感覚を完全に失っていることを示している。物質だけが重要で、品質を無視して収穫量を優先する、純粋に物質主義的な考え方に基づいているのだ。これらの添加物は、動物の脳が破壊される狂牛病BSE)が発生した1988年から1990年にかけて、ようやく各国で禁止されるようになった。狂牛病は「狂人」によって引き起こされたものであり、「狂人病」と言った方が適切であっただろう。彼らの狂気は、動物や植物は化学工場のように「生産」すべきであり、したがって化学物質のように工業的に扱われるべきという考えであった。牛を試験管のように見るのだ。カルシウムやタンパク質が不足すれば、有機化学のように添加するだけでいい。これらの物質がどこから来たかは重要ではない。これはまさに狂気の沙汰である。物質的な損失が計り知れないだけでなく、人間や動物に多大な苦痛を与えている。これは単なる産業事故ではなく、自然や生命に対する人間の考え方や関わり方の重大な誤りであることに気づかなければならない時が来たのだ。自然に対する生来の私たちの本能は明らかに失われてしまった。その代わりに自然界に存在する関係性の知識を学ぶ必要があるのである。

 この後、さらに多くの事例が紹介されるが、問題は、間違った、あるいは不十分な給餌による短期的な、あるいは最も明白な問題ではなく、むしろ長期的な問題であることがわかる。

 洞察力が得られるのは、生命全体に影響を及ぼすような効果。プリオン、有効成分、遺伝子など、より小さな単位を研究することによってでは決してない。生命と栄養の本質と意味を知ることによってのみ得られるのである。

 ルドルフ・シュタイナーが19231年1月13日に行った講演で、例えば牛に肉を食べさせたらどうなるかと言ったことは注目に値する。「有害な物質が生成され、それが脳に到達して、牛は発狂する」と語ったのである。それは、まさに狂牛病により起きたことである。

 

生の食べ物は "サンフード"

 果物は生で食べるのが一般的である。しかし、なぜジャガイモは調理され、穀物はパンに焼かれるのだろうか。使用される熱は食品を変化させ、わずかに分解する。生食栄養の熱心な支持者は、調理によって何かが破壊され、「失われる」ので、この考えを強く嫌う。しかし、よく考えてみると、熟した果物は太陽によって「調理」されているのである。サンフードという言葉は、まさにこれに当てはまる。秋に太陽が少なければ、ブドウは酸っぱく、リンゴは硬く、といった具合になる。もっと正確に言うと、太陽の暖かさによって、植物の中で作られるデンプンや酸が、熟成を示す糖や香りに変化するのだ。植物によって状況は様々である。サクランボやイチゴは熟すのが早い。リンゴは遅いので、一般に保存性が高い。未熟な果物は、調理することで美味しくなることは、主婦なら誰でも知っている。実は、料理は遅れた熟成の一種であり、消化の補助でもある。古代ギリシア人はこのことを知っていた。古代ギリシャ人は、調理と消化の両方に「ペプシス」という言葉を用いていたのである。

 適切な加熱処理を行うことで、食品を消化しやすくすることができる。加熱の有無や時間については、それぞれの食品によって異なる。人は極端になりがちだ。ある人は、「消化がいい」と思って加熱したものしか食べない。しかし、長い目で見れば、これは消化を弱めることになる。逆に、生ものしか食べない食生活は、消化の過程で全身を酷使するため、負担になることがある。しかし、治療として数週間(例えば4週間)生食療法を行うと、生物全体を調整することができ、特に慢性疾患には有効であることがしばしば証明されている。同じように、「調理された食事」は弱った生体を一時的に和らげることができ、それは有用であるが、長期的には生体を弱めることになる。

 したがって、健康な人は、常に生の食品だけを食べる必要はない。生の食品の食事には、治療効果がある。ただし、1日の食事量の3分の1程度を生で食べることが望ましい。ここで重要なのは、「生」は「新鮮」という意味でもあるはずだということだ。6ヶ月経ったリンゴは、明らかに生命力を失っている。乾燥した果物は、たとえ加熱していなくても、新鮮とは言い切れない。また、「缶詰から取り出したばかりのもの」が新鮮でないことは、言うまでもない。

 調理済みか生か、という選択は、主にその食品による。果物は太陽の光で「調理」されているが、ジャガイモはそうではない。穀物は、果実であるが、別のカテゴリーに属する。昔から、穀物は挽いて調理してお粥にしたり、後述する特殊な製法でパンにしたりすることが多い。しかし、人によっては、そのような調理法では十分な効果が得られないこともある。そこで、特に感染症(特にウイルス感染症)を繰り返しやすい人や、体力のない人(慢性的に疲れている人、アレルギー体質の人など)には、生穀物ミューズリーを食べると良いことが分かっている。

 

【訳注】ミューズリーは、シリアル食品の一つ。オーツ麦(オートミール)にドライフルーツやナッツを混ぜ合わせている。グラノーラオートミールなどと同じように、牛乳をかけて食べるのが一般的。

 

 生穀物ミューズリーは、バーチャー・ミューズリーとは異なり、通常、あまり新鮮でないロールオーツではなく、生で食べられる挽きたての穀物をベースにしている。挽きたての穀物は、食べる直前に細かい粉にする。ライ麦、大麦、オーツ麦のいずれかを食べるのが理想的である。穀物の生命力は、その発芽能力と挽いたばかりの状態に左右される。挽いた後、穀物は生命力を失い始めるが、挽いた直後に食べれば、まだ生命力の多くを保っている。毎日、大さじ2~3杯程度の穀物を細かく挽く(あらかじめ保存しておくことはしない)。水(牛乳は不可)に、理想的には一晩、穀物が隠れる程度の水で浸す。約8~12時間後の朝(またはその逆)、つぶしたバナナ(砂糖は使わない!)で甘みをつけると、よりなめらかになる。サワーミルク、サワークリーム、ヨーグルトを加える(牛乳は不可)。季節の果物やナッツ、ヒマワリの種も加えてもよいだろう。

 この生穀物ミューズリー(ヴェルナー・コラートまたはマックス・オットー・ブルッカーのレシピ)を4週間毎日食べると、免疫系が刺激されることが医学的に証明されている。ただし、この期間は砂糖と砂糖を含むもの(チョコレート、ジャム、ケーキなど)を食べないようにしなければならない。これには、合成甘味料、天然甘味料(蜂蜜、粗製サトウキビ糖、濃縮アガベジュース、メープルシロップなど)を含むすべての甘味料が含まれる。時々、少量のドライフルーツ(ナッツと一緒に食べるのがベスト)を食べたり、コップ半分の水で薄めたフレッシュフルーツ・ジュースを飲んだりするのはOKである。ブドウ、パイナップル、マンゴーを除くすべての生果物は、量の制限なく食べることができる。

 

保存は、生命は保持できるか?

 すべての植物には、熟成と結実の時期がある。人は昔から、食料を蓄えることで冬をしのいできた。その時の生命を維持することはできない。しかし、古くなることを遅らせることはできるし、ほとんど止めることもできる。その最も古い方法が「冷やす」ことである。温度が低ければ低いほど、その効果は絶大で、生命は凍結される。しかし、この方法では細胞が破壊される可能性があることは、今日では誰もが知っている。ラズベリーやリンゴのような水分を多く含む果物は冷凍しても、解凍すると元のようにはならない。また、すべての生命活動が寒さで停止するわけではないことも分かっている。例えば、レバーはいつまでも冷凍してはいけない。冷凍状態でも化学変化が起こり、かえって害になる可能性があるからだ。

 また、古くからある保存方法として、乾燥がある。草は干し草にして冬場の飼料にする。穀物が穂の上で熟すときに自然乾燥させることで、何年も保存することができる。穀物がまだ生きていることを示すテストは、水と暖かさの中に入れて発芽させることである。しかし、エジプトのピラミッドで発見された穀物の種が、5000年後の現代でも本当に発芽できたかどうかは定かではない。その報告は矛盾を含んでいるのだ。

 熱もまた、寒さだけでなく、保存につながる。現代の科学的な調査によって、なぜ生命体が保存できないのかが明らかにされている。動物を殺すと、その生体物質から生命が引き抜かれるが、この生命は一度に「なくなる」のではない。一定時間、ある程度、それはそこに残るのである。生命過程の総体、生命体[エーテル体]は、肉から離れているが。(そうでなければ、臓器移植はできない。)

 果物も同様で、収穫後も熟成を続ける傾向がある。しかし、熟成がピークに達すると、古くなり始まる。これは、果物によって進むペースが違う。外皮に傷がついたり、つぶれたり、リンゴジュースのようにつぶして搾汁したりすると、アルコール発酵が急速に進む。パスツールの研究により、アルコール発酵は酵母と呼ばれる微生物によるものであることがわかった。これを加熱処理で死滅させ、密閉容器に入れれば、日持ちする。果物や野菜、肉などを瓶やボトル、缶に詰めるのは、この工程を踏んでいる。容器を開けて空気を入れ、そこにいる細菌や酵母をすべて取り込むと、腐敗や発酵が始まる。食品はさらに分解される。このように、缶詰めされた食べ物は、まだ「生命」を持っているが、明らかに生鮮食品と同じ量ではない。また、保存の仕方によっても、その量は変わってくる。

 古くなって腐敗し、人間の食用に適さなくなった肉にも、まだ生命がある。ハゲタカ、ネズミ、ハエ、ウジ、バクテリアなど、文字通り、それをごちそうになる生き物がいる。ハゲタカ、ネズミ、ハエ、ウジ虫、細菌など、そのような肉を食べて生きている。しかし、人間には「より多くの」生命、あるいは「より質の高い」生命が必要であり、そのためには新鮮な肉が必要である。燻製もまた、古くからある保存方法のひとつだ。煙には、腐敗の原因となる細菌を殺す物質が含まれている。しかし、煙には発がん性物質も含まれている。(もし燻製が古くからある確立された方法でなく、現代に導入しようとしたら、間違いなくその危険性から厳しく禁止されるだろう)

 また、アルコールも細菌を殺す。一方、乳酸は雑菌の繁殖を抑えるだけである。

 最後に、食品を保存するために化学物質が使われることもある。それには、多かれ少なかれ殺菌作用があり、細菌や真菌の増殖を一時的に抑制するものもある。安息香酸はその一例だ。安息香酸は樹脂や樹皮に含まれる天然成分で、現在では短期保存のために頻繁に使用されている。

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 人智学では、生き物の生命を支えているのは、エーテルであると考えている。実はこのエーテルにも色々種類がある。熱エーテル、光エーテル、科学エーテル、生命エーテルである。太陽には、これらのエーテルが働いており、植物には、光エーテルが入り込んでいるという。太陽は、旧約聖書の、天地創造の神々エロヒム(霊的ヒエラルキー)のすみかであり、日光には、エロヒムの愛の力が含まれている。(『シュタイナー用語事典』西川隆範著)

 

 今、人工肉や、太陽光を使わない人工的光による栽培など、食べ物の「脱自然」が進んでいるが、遺伝子組み換え食品と同様に、その人体への悪い影響が危惧される。これらは、経済合理性や、資源問題、気候変動問題等が理由とされるが、それだけが理由だろうか。

 人工的な食べ物が中心の食生活となったとき、人間の身体はどのようになっているのだろうか(心身相関からすると、当然、人の心にも影響するのだが)。トランスヒューマニズムというのは、精神面だけでなく、人体を含めた人間総体の「変容」を目指しているのかもしれない(コロナ・ワクチンの、もう一つの隠された理由?)。

ルドルフ・シュタイナの現在の活動

 シュタイナーは1925年3月に亡くなったのだが、シュタイナーが自らの次の転生について語っていたことは、このブログの記事で以前触れられていた。今回は、これに関連する記事なのだが、以下の文章では人智学協会(運動)の歴史に関わる記述もあり、人智学協会の歴史についてある程度知識がないと理解するのが難しいと思われるし、そうしたことに関心の無い方にはあまり意味のないものかもしれない。また、私自身も、それらについてはまだよく把握していない状況である(まあ,今回だけでなく、これまでの記事についても、十分理解しているかというと心もとないのだが)。

 そのようなこともあり、実は、これを掲載するかは迷うところであったが、この問題について、日本では私が見た限り情報があまり伝えられていないようなので、問題提起の意味も込めて載せることとした。

 本文の前に、予備的情報をまず提示しておきたい。

 

 現在に至る人智学協会は、一度再編されている。つまり、当初の人智学協会は神智学協会から分かれて設立されたのだが、それは、現在の協会と組織的に異なるものである。最初の協会において、シュタイナーは、役員として位置づけられることはなかった。会員ですらなかったようである。しかし、その後、人智学運動は困難に直面し、結局、シュタイナーは、運動を立て直すために、新たに人智学協会を組織して、自らがその先頭に立つこととしたのだ。

 この間の経過ついて、ウィキペディアでは次のように説明されている。

 「協会の発展的解消と再編

 会員数の急激な増加と、それに伴う組織内の人間関係(方向性)の複雑化、人智学に基づく学校や病院などの関連組織の創立に伴う問題、さらには協会外で強まる人智学に対する反対運動により、人智学協会の組織は根本的な刷新を迫られる。とりわけ、シュタイナー自身の手によって設計され、人智学運動の中心となっていた木造のゲーテアヌムが放火によって1922年の大晦日に焼失したことは決定的な出来事であった。

 シュタイナーは1923年にヨーロッパ各国に自立した“邦域協会”を設立し、同年クリスマス期に、それらを包括する形での“普遍アントロポゾフィー協会”を約800名の会員と共に設立した(クリスマス会議)。この協会の設立に際してシュタイナーはアルベルト・シュテッフェン、マリー・シュタイナー、イタ・ヴェーグマン、エリーザベト・フレーデ、ギュンター・ヴァックスムートらと共に協会理事会を組織し、自身は創立理事長に就任する(このとき、中央経営陣である協会理事会はドルナハのゲーテアヌムに移されたので、以降同協会本部は「ゲーテアヌム」と呼ばれるようになる)。そして、この協会こそが“現存する”アントロポゾフィー協会なのである。」

 この説明は、客観的にはそのとおりなのだろうが、本質の部分では不十分であるように思われる。確かに、学校や病院などの関連組織の運営などの業務も加わり、協会の組織・運動が拡大したことに伴い、組織的、人的問題が生じてきたことは確かだろう。運動面、思想面、方向性の相違、対立も生まれたであろう。しかし、それらは協会が一端解散されることとなった本質的理由ではない。トマス・メイヤー氏などの指摘するところでは、結局、それは、当時の協会員たちのシュタイナーの意図に対する無理解だったのである。

 前の協会と後の協会との大きな相違は、それに対するシュタイナーの協会への関わり方にある。前者において、シュタイナーはその中で役員とはなっていなかったのだが、後者においては、その理事長に就任しているのである。

 前者の場合、それはシュタイナーの存在とは別に(もちろん緊密に連携するが)、自立的な組織が目指されたと言うことであろう(結果してそれは果たされなかった)。だが、後者は、シュタイナーと一体化した組織となったのである。これは、実は、秘教的には、シュタイナー自らが協会のカルマを引き受けるということなのである。

 しかし、これは、それまでの「霊界(霊的ヒエラルキー)」の意図にはないことであったという。シュタイナーの様な秘教のマスターは、公的な職についてはならないというルールがあるというのである。だから、あえて彼は最初協会に入ることもしなかったのだ。

 しかし、事態は切迫していた。このままの人智学協会(運動)が続けば、それまでの努力が水泡に帰すおそれが出てきたのである。それでやむなくシュタイナーは、方針を転換したのだ。それは、実際には、きわどいかけであったようである。「霊界(霊的ヒエラルキー)」がその後、どのように反応するかが分からなかったからである。

 しかし問題は更に続く、上に「クリスマス会議」という言葉が出てきた。それは、新しい組織を誕生させるための重要な儀式を伴っていた。ここでシュタイナーは、会員達の覚醒を促したのだ。

 だが、下の文章にもあるように、それはどうも失敗したようなのである。そしてそれは、シュタイナーの死後、協会指導部の内紛、マリー・シュタイナー、イタ・ヴェーグマンら旧指導部の追放という事態を生むことになる。

 この対立はやがて修復されたようだが、協会の以降の指導部は、クリスマス会議の失敗という認識に立っていないようである(メイヤー氏はこのことを批判している)。クリスマス会議の失敗を認めることは、以降存在してきた指導部の正当性に疑問を投げかけることになるからであろう。

 

 さて、以下の記事は、『ヨーロッパ人』誌2024年3月号掲載のものである。ダフネ・フォン・ボッホという方が著者だが、実際には、文章の多くは、トマス・メイヤー氏の著作から取られている。

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ルドルフ・シュタイナー-彼の存在と現在の活動についての質問

 

 最近ロシアで行われたアーリマンの受肉についての講演の際、私は何人かの聴衆から、ルドルフ・シュタイナーの現在の場所と現在の活動についてのさらなる情報を尋ねられた。私はこの質問に自分の言葉ではなく、トーマス・マイヤーの著書『巨人の肩の上の小人のように』からの引用で答えた。その中には、ルドルフ・シュタイナーによる現在の活動への言及も含まれている1

 これらの記述は、最初のゲーテアヌムが全焼した後、1912年から存在していた人智学協会を再び設立するというルドルフ・シュタイナーの考えから始まる。この出来事は1923年のクリスマス会議で行われ、今日では「あの」クリスマス会議として知られている。

 二重の角括弧内は、私が追加したものである。

ダフネ・フォン・ボッホ

 

 このルドルフ・シュタイナー人智学協会を再創立したこのクリスマス会議はどのように行われたのだろうか?1912年以来、シュタイナーが会員になることなく存在していた人智学協会が、新たに設立された協会の会長職を引き継ぐことになったのである!

 

クリスマス会議と地上のミカエル学校の前史

 前史は1923年の夏と秋に遡る。この年は、ゲーテアヌムの火災で廃墟と化した旧協会が、各国協会の設立によって再度強化されることになっていた年であった。このようにして、シュタイナーは麻痺した協会を「活気づける」-シュタイナーはかつてこう言ったように-ことを望んだのだ。

 D.N.ダンロップとエレノア・C.メリーが企画したペンメーンマウルのサマースクールで、シュタイナーはイタ・ヴェークマンに、協会の新たな設立が必要かもしれないとほのめかした。イタ・ヴェークマンが、設立すべき「新しい秘儀」についての質問を投げかけたのもこの場であった。

 しかし、シュタイナーはここ数ヶ月の各国での設立の進展に満足できなかったようで、すべての国を包括する国際的な協会を設立するという考えを持ち出さなくなった。このため、神智学協会が設立される1923年11月17日にハーグで開かれた会議で、-オランダの国内協会が設立されるとことになる-現実的な危機に直面した。ウィレム・ザイルマンスの証言によると、シュタイナーは打ちひしがれたようにホテルのロビーに現れ、一言も話さなかったという。「何かあったのですか」というイタ・ヴェグマンの心配そうな質問に対して、彼はこう言った。「メンバーは望んでいません......彼らは善意に満ちていますが......私はどうしたらいいのでしょう......?私はどうしたらいいのだろう......?」

 そこでシュタイナーは、自分が会員でもなく、ただそこで活動していただけの協会を放置し、新しい協会を設立することを控えようと真剣に考えた。憂慮したイタ・ヴェ-クマンは、その時、ペンメーンマウルで約束したことを思い出し、協会を離れないように頼んだ。それが転機となった。彼は、彼女が助けてくれるならと承諾した。別の日、オランダの全国協会が設立された。会長にはウィレム・ツィールマンスが就任した。...

 しかし、忘れてはならないのは、協会を再興し、会長職を引き継ぐという決断は、シナリオ1ではなく、シナリオ2【次善の策】だったということだ。そして、クリスマス大会の開幕前夜、シュタイナーは、まず開幕日の組織上の詳細を説明した後、この事実を思い起こさせ、この試みは、事態を十分に深刻に受け止めなければ、やはり自分が協会を脱退することになりかねない、と緊急に述べている。彼は、「事実は、物事は非常に、非常に真剣に、非常に真剣に、現時点ではとらえられなければならないということです。そうでなければ、人智学協会を脱退しなければならないという、私がしばしば口にしてきたことが実際に起こらざるを得なくなるでしょう」3 この言葉で、秘儀の形成の全サイクルは、締めくくられた。そしてこれらの言葉はまた、クリスマス会議への辛く深刻な前奏曲を形成しているのである。このサイクルでは、本当の意味で人類史上最も重要な秘儀について、惜しみなく説明されている。これらは、前章で述べた、超感覚的なスクールにおけるミカエルの偉大なイニシエートの教えの地上でのイメージなのである。

 強調しなければならないのは、1923年11月17日にシナリオ2が実現する直前、ルドルフ・シュタイナーが、クリスマス会議の開幕前夜にシナリオ1を思い出させていることである。それゆえ、このことは背景にあり、ゆえに、当初、それは実現しないままとなっているのだ。

 しかし、1924年の出来事の進展、とりわけシュタイナーの死後の進展を理解したいのであれば、当初実現しなかった協会のシナリオを忘れてはならない。それは真剣な意図であった。そして、秘儀参入者の真剣な意図は、精神的なゲームではなく、それが可能になったり必要になったりするときはいつでも、実現を待っているものなのである。

...

 

「クリスマス会議の衝動は打ち砕かれた。」(R.シュタイナー)

 AAG一般人智学協会内では今日に至るまで、一般的に完全に無視されている、確固たる基盤の上に成り立っている旧会員による様々な声明がある。その内の、1924年の晩夏、すなわち晩夏の最終日[1924年9月20日]に閉会したドルナッハの振り返りの最後の7時間の頃のもの二つを取りあげよう。

 最初のものは、オイリュトミストのマリア・イナ・シュウルマン(1894-1977)が書いたもので、彼女は、有名な人智学者で青少年向けの本の著者であるヤコブ・シュトライト(1910-2009)と会った。

 シュトライトの報告によれば、「1950年代のことです。著者はマリア・イナ・シュウルマン夫人(音楽家マックス・シュウルマンの妻)と会話をした。私たちは、ルドルフ・シュタイナーが亡くなってからの人智学協会の懸念について話しました。彼女は初期のオイリュトミストの一人で、ルドルフ・シュタイナーのもとでオーベルファーのクリスマス劇で天使を演じていた。そして彼女は次のように話してくれた:

 “クリスマス会議の話し合いが終わった後、私は舞台の後ろの大工仕事場の方に座っていたのですが、そこには公演の前後に休めるソファのある芸術家コーナーがありました。ルドルフ・シュタイナーがレクチャー・シアターから奥に来ました。私がそこに座っているのを見て、「これであと10年は大丈夫だろう(!)」と言って、彼は去っていきました。晩夏(1924年)、私は同じ場所でのイベントの前に、芸術家たちのコーナーに座っていました。ルドルフ・シュタイナーが講演にやってきたのです。ルドルフ・シュタイナーは私を見て、はっきりとこう言いました:「クリスマス会議は失敗した。」彼はそのまま歩いていきました。私は深いショックを受けました。私は2年間、この体験を夫に話す勇気さえなかったのです。- そして、この発言の証人として、遺産管理局に報告書を提出しました。" 4

 二人目の証人はブルーノ・クリューガー(1887-1979)で、元人智学者、弁護士、シュタイナーの生徒である。シュトライトは次のように報告している:

 “私たちが会った1970年代当時、筆者は、上記の[[スイスの人智学協会の]]会報の編集者であり、ルドルフ・シュタイナーの重要な共同者であることを知っていたので、シュトゥットガルトに滞在している間に彼を訪ねることにした。(さらに一人称で): シュトゥットガルトの教師セミナーで講義をしたとき、私はクリューガー博士に電話をかけ、話をしたいと頼んだ。今朝11時から11時15分に来てください!私は力強い声の強烈な個性を発見した。彼は私にいくつか簡単な質問をし、それから主に彼が語る会話となった。それは2時間続いた!かれは、人智学協会に関しては、1923年のクリスマス会議について意見を述べた。- 彼は1924年の夏の終わりにドルナッハに来て、ルドルフ・シュタイナーに出会い、シュタイナーは、すぐに彼に近づいてきた。クリューガーは、彼の驚くべき声を聞いた-「クリスマス会議の衝動は打ち砕かれた!」

 クリューガー博士がそう言ってシュタイナー博士の言葉を口にしたとき、それは痛ましい叫び声のように聞こえた。しかし、シュタイナー博士はこう続けた。「クリューガー博士、10月にドルナッハに来てください。私たちはすべてを新しくしなければならない。」“

 ブルーノ・クリューガーの報告から明らかなように、クリスマス会議だけでなく、シュタイナーが19番目の授業の「クラス」と呼んだ、その後に設立された地上の「人智学的ミカエル学派」も粉砕されたのだ。そうでなければ、なぜ「すべてを新しく」しなければならないかという理由がわからないからである。

 否定的な意味をもつこのシュタイナーの言葉は、1924年に収穫された、カルマの講義の高揚から農業コースまで、例を挙げればきりがない大きな収穫から何も奪うものではない。しかし、シナリオ2が継続できなかったことは明らかである。そして今日に至るまで、このことは一般に単に無視されている

 

1924年9月28日の最後の要求

 シュタイナーは、カルマの講義が終わり、最後の反復レッスンの1週間後に、健康を害してこの要求を終えることができなかった。

 ここではそのすべてには触れない。繰り返しになるが、私たちは、クリスマス会議でシュタイナーが新協会の会長職を引き継いだ後に取り組んだすべてのことに光を当てることができる、ある特定のモチーフを選び出したいだけである。断片的に残るが、すべてはこの「ミカエル思想」のスピーチに集約される。そして、このことについてルドルフ・シュタイナーは次のように述べている。

 「近い将来、ミカエル思想が、少なくとも12人の4倍の中で完全に生かされるようになり、12人の4倍の中で、自分自身によってではなく、ドルナッハのゲーテアヌムの指導陣によってそのように認められるようになり、そのような12人の4倍の中で、ミカエル祝祭ムードのために、指導者たちが生まれるようになれば、ミカエル潮流とミカエル行為を通して、将来人類に広がる光を期待することができる。」5

 秋の初めからまもなく、ミカエル祭の前夜にかけて、従って、晩夏のクリスマス会議や高等学院の否定的な発言の後、このような希望に満ちた真剣な展望が語られたのだ。シュタイナーがゲーテアヌムで創設した教育機関の力に対する最後の希望を示しているのだろうか。そう解釈することもできる。しかし、確かなことは、「近い将来」に48という数字に達しなかったということである。

 ルドルフ・シュタイナー自身が指摘したように、48は12の4倍【訳注】で構成され、12は世界史におけるすべての偉大な同胞団設立の数(使徒たち、聖アーサー騎士団など)であることを考えるならば、シュタイナーの最後の言葉は、未来への約束として理解することもできる。未来とは、彼の人生をはるかに超えたものであり、彼自身が代表を務めるゲーテアヌムの指導者たちを超えたものでもある。

 

【訳注】ここで触れられていないが、4とは、人間の構成要素である肉体・エーテル体・アストラル体・自我を示す数でもあり、このことが「4倍」の背景にあるのかもしれない。

 

 シュタイナーの死後、後のゲーテアヌムの指導者たちが大失敗した今日から見れば、この見解は唯一現実的なものであるように思われる。言い換えれば、4×12人の共同体の形成が必要であるという訴えは、クリスマス会議と高等学院の失敗した衝動の半径をはるかに超え未来に至るものであり、その未来では、1923年晩秋のシナリオ1が、潜在的段階から現実の段階へと出現することになるのである。

 議論を先どりすれば、「ゲーテアヌムの指導者たち」は、遅くとも1935年に、最後の要求のミカエル思想を最も真っ向から否定し、シュタイナーの献身的な協働者を理事会と協会から追放したとき、秘教的に自らの動きを封じてしまったのだ。...

 より広い意味で重要なのは、D.N.ダンロップは、1930年に重病を患った後、アーサー王同胞団に似た「同胞団」を創設するという考えを抱いていたという事実である。このような衝動は、この闘病中に起こったキリスト体験の中で彼の中に生まれた。彼の魂の友であったエレノア・C・メリーが、しばらくしてそのことについて彼に尋ねたとき、彼はただ「自分は、未来を見た」と答えたのである6。...

 1960年4月、ヴィレム・ツィールマンス・フォン・エミショーヴェンは、ドルナッハで開かれた総会で、多くの人々を驚かせたが、オランダ全国協会がAAG 一般人智学協会に復帰することを発表した。この一歩の前には、多くの議論があったが、最後には初代会長のアルバート・シュテッフェンとの間で行われた。後者はこの一歩を歓迎したが、それはおそらく、ツィールマンスがいかなる条件も課さなかったからであろう。「なぜ」という質問に対して、ツィールマンスは「時間が差し迫っているから」、そして「私たちがそれを望んでいるから」と答えた7

 明らかにこれは、シュタイナーが、運動の最高潮を予見して、2度にわたって語った【20】世紀末に関して述べられたものである。それは、人智学運動の初期の時代からすぐに転生してくる、よりアリストテレス的な志向を持つ弟子たちを含む、アリストテレス的な魂とプラトン的な魂の偉大な統一である。再統合により、世紀末の【受肉した】魂達が協会とのつながりを見出す可能性が提供されるのだ。これがツィールマンスの暗黙の希望だったのである。

 ミカエル学院の第4段階は、地上における2番目の段階である。それは当然、以前のルドルフ・シュタイナーの「個性」individualityの新たな受肉と結びついている。生前のルドルフ・シュタイナー自身からも、そのような受肉についてさまざまな言及があった。

 おそらく最も有名な発言は、シュタイナーが、教師カロリーネ・フォン・ヘイデブランドに対して、西ヨーロッパのシェイクスピアの町ストラットフォード・アポン・エイボン【訳注】で行ったものだろう。                             

 

【訳注】ストラトフォード=アポン=エイヴォン(英: Stratford-upon-Avon)は、イングランド中部のウォリックシャーにあるタウンかつ行政教区。

 

 これは1922年の復活祭の頃に起こったことで、ヘイデブランドはこの発言をシュトゥットガルト・ヴァルドルフ・スクールの教師仲間であるヴァルター・ヨハネス・シュタインに伝えた。シュタインは日記にこう記している。「ヘイデブランドは語った。1922年のストラトフォードで、ルドルフ・シュタイナーは、彼が80年後にアメリカに戻ると言った、と。」8 新しい活動の始まりは、おそらく80年の後と考えられているのだろうということは-シュタイナーは、確かにこのことを視野に入れており、未来の誕生ではないからだ-ヨハンナ・フォン・カイザーリンクのあまり知られていない発言からも明らかである。それは次のようなものだ:

 “博士がかつて私におっしゃいました。-その時は誤解していましたが:

 「アメリカで、敵対勢力は、私が向こうにいるときにこそ、その力を最大限に発揮するのです。」“9

 悪が "その力を最大限に発揮する "とき、悪の深淵と秘密の秘儀参入者は、離れていることはない。(シュタイナーからヨハンナ・フォン・カイザーリンクへ)。

 彼は、いわば、台風の目(よく知られているように、最大の静けさが支配する場所)にその対抗する働きを確立し、ここから放射するのだ。そしてここから、世界における新たな働きのために、最強の弟子たちとミカエルに奉仕する者たちを準備し、霊感を与えるのである。そして、超感覚的な世界ですでに準備された、厳格に規律づけられ、当初は世界によって認識されず、妨害されることもない新しい同胞団を造り出すのである。...

 第一クラスの第二部と第三部は、機関においてはなく、D.N.ダンロップがすでに創設を意図していた新しい同胞団の小さなサークルの中で実現されなければならない。D.N.ダンロップは、未来を見通していた。

 その未来は今、現在となっている。

 

[ダフネ・フォン・ボッホ博士による要約・編集]

 

1 Thomas Meyer, Like dwarves on the shoulders of giants - The Michael School and its four phases to date, Perseus Basel, 2020.

2 Emanuel Zeylmans, Willem Zeylmans von Emmichoven - ein Pioneier der Anthroposophie, Arlesheim 1979, p. 124 (E.Z.による引用は省略)

3 "Introductory words before the lecture on 23 December 1923", Dornach (GA 232), ed. 1998.

4 この対談と次の対談は、Jakob Streit発行の『Mitteilungen der Anthroposophischen Vereinigung in der Schweiz』(2003年復活祭)に掲載された。

5 最後の住所は1924年9月28日、ドルナッハ(GA 238)。

6 Eleanor C. Merry, Memories of Rudolf Steiner and D.N. Dunlop, Basel 1992, p. 52.

7 Willem Zeylmans, quoted in: s.o. ( 2), S. 343.

8 ライナー・モネによるトーマス・マイヤーへのインタビュー(www.perseus. ch/PDF-Dateien/MeyerInterview.pdfより引用。

9 『Der Europäer』Vol.22, No.9/10 (July/August 2018), p.11.

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 さて、上の文章では、人智学運動についての、20世紀末に関する見通し(予言)が述べられていた。それは、シュタイナーと共に初期に人智学運動を担った人々が、シュタイナーのように、その死後にすぐに転生してくる、そして「アリストテレス的な魂とプラトン的な魂の偉大な統一」が行なわれると言うことである。アリストテレス的な魂、プラトン的な魂とは、ギリシアの偉大な二人の哲学者に関わる二つの霊統が存在しており、それが、人智学において合流するという事である。この二つの流れは、古くから存在し、それぞれ別の道を辿ってきたようなのであるが、両者は、今後協力し合い、それにより人智学の運動は最高潮の時期を迎えるというのである。

 予見された時期は既に過ぎ去っており、その予見が正しかったのかどうかについては議論がわかれているようである。実際、振り返れば、その様な時期は存在しなかったとも見えるが、時期がずれた、今後そうなるといことかもしれない。

 さて、最後にシュタイナーの転生に関して、「彼(シュタイナー)が80年後にアメリカに戻ると言った」とする文章が出てきた。この意味が、少しメイヤー氏の文章ではわかりにくいような気がする(私のドイツ語力不足が何よりの原因だろうが)。

 「80年後にアメリカに戻る」というのは、その時に、シュタイナーの「新しい活動」が始まるという意味で解釈すべきだとメイヤー氏は述べているようである。死後80年後となれば、シュタイナーは2002年頃(1922+80年)に転生したこととなるが(その場合、シュタイナーはまだ若いので、現時点ではまだ活動を開始していないように思われる)、活動の開始が2002年頃となれば、このことについてメイヤー氏ははっきりと書いていないが、当然、シュタイナーの誕生はそれよりもだいぶ前と言うことになるだろう。

 ヘイデブランド氏の証言がそのように解釈できるかと言うことだが、確かに、その頃に「戻ってくる」とは、その頃に「戻って活動している」ということであるとの読み取りは可能であろう。

 また、「80年後」の原文は、「in 80 Jahren」であることから、ドイツ語としては、他に、「80年の内に」と訳すことも可能らしいので、そうとすれば、受肉自体は80年以前のある時期と幅をもつことになる。そしてその場合、80年という年数を示したのは、やはりこの頃に活動を始めるという意味を込めたと理解することも可能だろうか?

 いずれにしても、私たちは、シュタイナーと共に同じ時代を生きているのかもしれない。

 

 ちなみにアントロウィキでは次のように解説されている。

 「エーレンフリート・プファイファーはW.J.シュタインの日記を引用しているが、その日記はルドルフ・シュタイナーから次の転生についての発言を引き出したとされる同僚の教師の言葉を引用している:

 ルドルフ・シュタイナーは1922年にストラットフォード・アポン・エイボンで、自分自身について非常に直接的な発言をしている。W.J.シュタインの日記には次のように書かれている:"キャロライン・フォン・ヘイデブランド(シュトゥットガルト・ヴァルドルフ・スクールの同僚教師)が言うには、1922年のストラットフォード(イーヴン)でシュタイナー博士は、自分は80年後-それは2002年となる-にアメリカに戻ってくると言った。

 

(ルドルフ・シュタイナーは現在21歳である。マスターがそのような姿を現すことができ、公に著名な仕事が展開されるようになるのは、早くても40歳になってからなので、彼の世界的な仕事が世間に明らかになるのは2042年になってからである)。

 

 しかし、このようにしてシュタイナーから得た引用に信憑性が認められるかどうかは疑問であり、また、救いの約束という意味での“ルドルフ・シュタイナーを待つ”ことが誰にとっても有益かどうかも疑問である。シュタイナーは正確さだけでなく完全性も重視すると主張しているのだから、もしこの情報が重要であれば、次の転生を別の方法で伝えただろうと推測できる。加えて、シュタイナーは個人崇拝を確立しようとする傾向に対して極めて批判的であった。このことは、シュタイナーが常に強調していた自由(自律性、独立性)の強調や、いかなる教条主義も否定していたことからもうかがえる。彼自身の意見では、ルドルフ・シュタイナーの次の転生についての議論の関連性は、おそらくほとんどないだろう。」

 

 本文では、人智学協会の秘教的意味にも触れられていた。人智学協会というものは、オカルト史的には、シュタイナーの創立した神智学の分派というように位置づけられるだろうが、シュタイナーからすれば、唯物主義を乗り越える、来るべき時代のために霊界から要請されたものということができる。具体的には、上の文章にあるように、霊界におけるミカエルの秘儀の学院を地上にもたらすことであろう。

 それは、人類の霊的進化を進めるための一つの必然として求められたものである。

 しかし、協会が、人間により組織され、人間が関わるものである以上、そこには人間特有の問題が伴わざるを得ない。多くの者が関わる組織ゆえに、妬みや嫉妬、利己主義、打算等々を離れた人間ばかりとはいかないのだ。そしてそれが、霊的敵対勢力のつけ込むところなのである。

 私には、今の人智学協会指導部を批判できるほど知識はないが、メイヤー氏らの論考に出会ってからは、少し距離をおき、客観的に見るようにしたいと思うようになっている。

 協会の指導部は、ゲーテアヌムに本拠をおいており、確かに多くの人智学者を代表するものであることに変わりはないだろうが、批判的視点なく何でも受け入れてしまうのは危険である。人智学は宗教ではないのだ。もとより、盲目的に信じるものではない。

WHOパンデミック条約の目的は何か?

 13日、WHOの「パンデミック条約」に反対する大規模な集会・デモが東京で開催されたようである。マスコミは取りあげていないので、知らない人の方が多いだろう。「パンデミック条約」自体がマスコミによりほとんど取りあげられておらず、なにが問題なのか分からない人もまた多いのが現状だろう。

 この条約は、一部のネット上で、昨年来騒がれてきたものだが、新型コロナ、ワクチンの問題とも密接に関連するものである。

 これまで世界中で行なわれてきた新型コロナ対策の無意味さ、不条理さそして危険性は、次第に明らかになってきているが、WHOは、それらを推進するうえで大きな役割を果たしてきた。この条約は、このようなことを推し進める体制を更に強化しようとするものである。

 それは、世界の公衆衛生や医療を巡り、WHOの各国に対する権限を増大させるものである。感染症がはやったとき、WHOがパンデミックを宣言し、その対策(ワクチン等)を各国に事実上強制できるというのである。これは、世界政府への一里塚と批判する者もいる。

 そのための法的枠組みが「パンデミック条約」であり、それが次のWHOの総会で決定されるのではないかというのである。

 今回は、これに関連する『ヨーロッパ人』誌(4/5月号)の記事を紹介する。

 

 以下の記事では、WHOの組織的な問題が語られている。その財政の多くが民間の寄付に依存しており、その民間とは、「慈善家」のビル・ゲイツ氏の財団や製薬会社なのである。これらは全て「ワクチン」推進派と言える。

 民間企業がWHOに寄付する目的とは何であろうか?勿論、慈善や人間愛ではない。WHOをとおして世界中の公衆衛生・医療政策を支配し、ワクチンを中心とするような方向に誘導し、それにより利益をえるためであろう。

 当然、WHOの高官達もそれを是としており、そして、その恩恵に預かっているとみて良いであろう。しかし、彼らは、国民の選挙によって選ばれているのではない。出身国で問題のある人物でも、誰かのお眼鏡にかなえば就任できるのだ(医者でなくても!)。

 記事にはスイスの状況を伝える内容があり、そのまま日本に当てはまらない部分もあるが、この問題について良い示唆を与えるものとなっている。

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計画されているWHO改革と国の法支配への影響

 

 世界保健機関(WHO)は、1948年4月7日にジュネーブで設立された国連の専門機関である。

 WHOの使命は、「すべての人々が可能な限り最善の健康状態を達成できるよう支援する」ことである。設立以来、WHOは重要な保健政策問題を扱ってきた。当初は感染症対策が主な任務であった。グローバリゼーションが進むにつれ、保健分野における世界的な取り組みを中央で指揮・調整し、国家や国際機関がともに保健上の脅威に適切に対応できるようにすることがより重要になってきた。WHOの目的は、世界中のすべての人々が心身ともに健康な生活を送れるよう、枠組みを整えることでもある。

 WHOのあまり知られていない側面としては、現事務局長であるエチオピア人のテドロス・アドハノム・ゲブレイエソス氏が、マルクス・レーニン主義のティグライ人民解放戦線のメンバーであった保健大臣在任中に人権侵害を行ったとして、特に母国から繰り返し激しい批判を受けてきたという事実がある1WHOの暗黒面には、2020年5月にコビッド19をめぐる広報を悪名高いPR会社に依頼した事実も含まれている。それは、 1990年8月、第二次湾岸戦争に賛成票を投じるよう米国民を説得するため、いわゆる保育器の嘘をついたヒル&ノウルトン社である2

 

WHOの資金調達

 WHOがその任務を遂行するために自由に使える予算は約35億米ドル(2021年)である。したがって、国連の専門機関の中でWHOの予算は最大である。WHOの予算は、国連が各国の経済力に応じて決定する加盟国からの義務的拠出金と、任意拠出金で構成されている。2021年のドイツの義務的拠出金は3100万米ドルだった。

 しかし、義務的拠出金は現在、予算総額の約15%を占めるにすぎない。予算のほぼ85%は、官民を問わず自発的な拠出金で占められている。ドイツだけでも、2021年には6億ドル以上が自発的に拠出されている。WHOへの最大の寄付者の一人であるビル&リンダ・ゲイツ財団を筆頭に、民間からの寄付に大きく依存していることは、国連の専門機関の中でも特別な特徴である。

 1960年以降のWHO予算の推移を見ると、加盟国の強制拠出金による通常予算は数十年間停滞しており、任意拠出金によってのみ大幅な予算増が記録されていることがわかる。WHOの通常資金が1960年以来ほぼ5倍に増加しているのに対し、任意資金の割合は同じ期間に100倍以上に増加している。つまり、義務的な寄付の割合が少なく、少数の寄付者からの自発的な寄付が多いというアンバランスがある。過去10年間、WHOはビル&メリンダ・ゲイツ財団から任意拠出金全体の約9〜16%を受け取っており、それ以来、同財団はWHOへの拠出金において、米国、ドイツ、英国に次ぐ第2位または第3位の拠出者となっている。WHOへのもう一つの重要な寄付者は、Global Alliance for Vaccines and Immunisation (Gavi)である。Gaviは、ジュネーブに本部を置く世界的に活動する官民パートナーシップで、スイスではスイス法に基づく財団の地位を有している。Gaviの目的は、開発途上国における予防可能な疾病、特に小児の予防接種へのアクセスを改善することである。WHOの2年ごとの最終予算は、2022年から2023年までの総額61億2000万米ドルで承認された。このうち10億ドル近くが義務的拠出金、51.6億ドルが任意拠出金である3

 任意拠出は、一般的に特定の目的のために拠出されるため、問題がある。WHOが何にお金を使うことができ、何に使うことができないかは、寄付者だけが決定する。たとえウィキペディアにおいてさえ、ある批評家はWHOへの寄付を問題視している。2014年の時点で、ZDFの政治テレビ番組『Frontal21』は、WHOの年間予算約40億米ドルのうち、企業、特に製薬業界からの多額の寄付を含む自発的な寄付だけで約30億米ドルであると報告している。報告書によると、トランスペアレンシー・インターナショナルは、WHOに対する各国の義務的拠出金があまりにも低すぎると批判している。このため、2001年以来、WHOは産業界に取り込まれている。フロンタル21の報告書によると、2010年の欧州評議会によるWHOの調査を率いた英国人のポール・フリンは、WHOを次のように批判している: 「私の意見では、(WHOは)今日でも製薬業界に過度に影響されており、製薬業界は自らの経済的利益のために医療費を巧みに操っている。」WHOのプロジェクトは、ビル&メリンダ・ゲイツ財団から75%の資金提供を受けている前述のGaviワクチン同盟を含め、官民パートナーシップとしても部分的に資金提供を受けている。この財団は、フランクフルト・アム・マインに本部を置く援助・人権団体メディコ・インターナショナルなどから、株式を保有する企業による標的対策を推進・支援していると非難されている。ビル&メリンダ・ゲイツ財団は、メルク・アンド・カンパニー、グラクソ・スミスクライン、ノバルティス、ファイザーなど、同財団が株式を保有する企業にWHOとの契約を推奨している。「製薬会社であるビッグファーマと食品会社であるビッグフードは、WHOにおいてまさにこの利益相反を不謹慎にも利用している」とインドの保健専門家アミット・セングプタは言う4。2017年5月にトーマス・クルーケムがドイチュラントフンクのラジオで指摘したように、寄付者からの圧力の下、WHOは感染症に対する技術主義的な闘いに集中している5

 

計画されているWHO改革とスイスの立場

 WHOは現在、国際法上の2つの異なる制度について交渉中であり、いずれも2024年5月末に開催される次回の世界保健総会で採択される予定である。パンデミックの予防、準備、対応に関する条約、協定、その他の国際的文書(CA+)という扱いにくい名称の新条約(通常、パンデミック条約と呼ばれる)と、国際保健規則(IHR)の改正と新版(現行版は2005年までさかのぼる)である。

 政府間交渉機関(INB)によるパンデミックへの備えと対応に関する新条約の交渉。WHOパンデミック条約の交渉文書の最終改訂草案は、2024年3月7日となっている6 。第二のプロセスは、保健上の緊急事態、準備、対応に関する既存の国際的な法的枠組み、すなわちIHRの改訂である。この改正作業は、国家間保健規則作業部会(WGIHR)によって調整されている。INBもWGIHRも、WHOの最重要機関である世界保健総会(WHA)の下部組織である。現在の形では、ほとんどすべての規制分野で内容が重複しており、WHOとその加盟国がなぜ、範囲と内容が重複する2つの国際文書の交渉にリソースを割いているのか不明である

 2024年5月の第77回WHAで単純多数決で採択された場合、2022年に改定され2023年11月に発効したIHR第59条、第61条、第62条の新版に従い、10ヶ月以内に国が積極的に拒否または留保を提出しない限り、IHRの改定は12ヶ月以内にすべての国に対して発効する。2022年の改正以前は、各国はIHRの改正に対して18ヶ月の猶予があった。この改正発効のための迅速な手続きは、改正プロセスをさらに加速させるだろう。

 対照的に、WHOパンデミック条約は現在、WHO憲法第19条の下で交渉が進められている。条約が世界保健総会(WHA)で3分の2以上の賛成で採択されれば、WHOの各加盟国は、自国の国内法に定められた手続きに従って条約に署名し、批准することができる7

 スイス連邦公衆衛生局(FOPH)のウェブサイトには、この改革プロジェクトに関する次のような声明が掲載されている。「スイスにとって、拘束力のある国際協力は、将来の保健上の緊急事態に備えるための重要な前提条件である。COVID-19のような世界的な健康危機が繰り返されないようにしなければならない。今回のパンデミックは、ウイルスが国境を越えて急速に拡散することを示している。世界中のすべての国、地域社会、関係者の備えと保護を強化することは、最終的にはスイスとその国民を守ることにもつながる。

 スイスは、法的拘束力のある制度の計画を早くから支持してきた。今回の危機は、スイスにとって国際的に拘束力のある文書がいかに重要であるかを示している。そのため、スイスはこの交渉プロセスを支持し、その利益に積極的に貢献している。

 主権国家であるスイスは、いかなる条約、協定、その他の文書にも自由に署名し、批准することができる。

 スイスは、最終的な交渉内容に従って交渉がまとまった時点で初めて、その結果に同意するかどうかを決定する。」8

 予定されているIHRの改正については、スイス連邦公衆衛生局(FOPH)は言及していない。その際、国際的・地域的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)の確認は、情報統制(検閲)、監視、デジタル化の手段を正当化し、ワクチンなどのパンデミック関連製品の開発と流通を加速させ、それを国民が受け入れるための基盤を作るために使われる中心的なテコである。2023年12月初旬、NZZのカタリーナ・フォンタナとのインタビューの中で、WHOや他の加盟国との条約交渉を担当するFOPHの外交官ノーラ・クローニヒは、IHRの重要性を意図的に軽視した。国際保健規則の調整は、どちらかといえば軽微で技術的なものであり、必ずしも国会の決定を必要としない9。以下は、法の支配の観点から疑問のあるIHRとパンデミック協定に関する改革案の例である。独自の判断を下したい人は、これらの提案を読み、評価することを避けては通れない。原文や参考になる分析はAktionsbündnis Freie Schweiz(ABF)で見ることができ、その一部はドイツ語訳もある(脚注2参照)。判断の根拠は入手可能である。しかし、管理された考え方の快適な道を拒否する者は、個々の判断を下す苦労を免れない。

 

WHO事務局長の無制限の権限

 将来、WHO事務局長は、脅威の証明も法的管理もなしに、パンデミックを宣言する時期を単独で決定できるようになる(IHR2024草案第12条「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)の決定」を参照)。パンデミックの口実は、ほぼ無制限に拡大できる。新型インフルエンザの亜型、あるいは国際的な公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)の可能性だけでも十分である。門戸は恣意性に開かれている。国際的な保健衛生上の緊急事態の宣言は、連鎖的に憲法に関連する結果を引き起こす最初のドミノのようなものである。WHOが出した指示が賢明で、正当で、必要なものかどうか、巻き添え被害が回避されているかどうかをチェックする独立した管理・是正メカニズムは存在しない。一般に、法的保護の規定はない。WHO事務局長の決定を見直したり、国際保健上の緊急事態を終結させたりする可能性はない。その結果、一個人の裁量権が、管理機構も説明責任もなく、最大限に拡大さるのである。

 これは既存の憲法上の保障とは相容れない。スイス連邦憲法(FC)第29条aによると、すべての人は法的紛争が生じた場合、司法当局の判断を受ける権利を有する。連邦憲法第30条第1項もまた、法的手続きにおいて裁かれなければならないすべての人は、法律によって設立された有能で独立した公平な裁判所を利用する権利を有すると規定している。

 

パンデミック対策のためのWHO勧告は拘束力を持つようになる

 IHR2024草案の第1条では、定義とともに、WHO勧告の拘束力のない性質への言及が削除されている。これだけでは勧告の性質が疑問視されることはないかもしれないが、それ以上に明確な規定が他に2つある。IHR2024草案の第13条aによれば、加盟国はWHOを国際公衆衛生対応の指導・調整機関として承認し、国際公衆衛生対応における勧告に従うことを約束する。英語の法律用語では、「何かをすることを約束する」とは拘束力のある法的義務を意味する。さらに、IHR2024草案の第42条によれば、(恒久的および一時的な)勧告は、すべての締約国によって直ちに実施されなければならない。

第18条第1項によれば、勧告の対象は次のようなものである。

- 健康診断証明書と検査室分析の見直し

- 健康診断の依頼

- 予防接種またはその他の予防措置の証明の検証

- 予防接種またはその他の予防措置の要請

- 疑いのある人を公衆衛生の監視下に置く;

- 疑いのある人に対し、検疫またはその他の保健措置を実施すること;

- 罹患者の隔離と、必要に応じて治療を実施する;

- 疑いまたは罹患者の接触者追跡を実施すること;

- 疑いまたは罹患者の入国拒否

 実施委員会(IHR2024草案第53条A)も計画されており、加盟国による保健規則/勧告の正しい実施を審査する。さらに、WHOが定めた枠組みの中で加盟国が正しく行動しているかどうかをチェックする、参加と報告義務を伴う遵守委員会(IHR2024草案第53条の2の4)も設置される。この2つの委員会は、現在のように単に勧告を出すだけであれば、余計なものである。勧告の履行が遅れたり、履行を拒否したりする加盟国に対しては、相当な世論の圧力がかかることが予想される。

 その結果、スイスは勧告を実施する義務を負うことになる。特にIHRは国際法上の地位を享受しているのだから。これを現行の憲法規定と整合させるのは難しい。BV第163条第1項によると、連邦議会は連邦法または条例の形で立法規定を制定する。連邦憲法第164条第1項は、すべての重要な立法規定は連邦法の形で制定されなければならないと明確に定めている。これには特に、a.政治的権利の行使、b.憲法上の権利の制限、c.個人の権利と義務に関する基本規定が含まれる。

 連邦憲法第185条第3項により、連邦参議院は、発生した、または差し迫った公の秩序または内外の安全に対する重大な妨害に対抗するため、条例および政令を発することができる。ただし、このような条例は期限付きでなければならない。連邦憲法第10条によれば、すべての人は、生命に対する権利(死刑は禁止されている)、個人の自由に対する権利、特に身体的および精神的完全性に対する権利、ならびに移動の自由に対する権利を有する。拷問やその他の残虐な、非人道的な、あるいは品位を傷つけるような扱いや刑罰は禁止されている。連邦憲法第31条第1項により、人が自由を奪われるのは、法律で規定された場合に限り、また法律で規定された方法による場合に限られる。これは、WHOが検疫や隔離措置を命じる権限を持つことと相容れない。

 

WHOの検閲と操作許可

 WHOの検閲と操作の権限 IHR2024草案の第44条1項(h)によれば、加盟国は、公衆衛生問題、予防・防疫措置、活動に関する虚偽で信頼できない情報が、メディア、ソーシャルネットワーク、その他の流布経路で流布されることに対抗するため、相互に協力し、支援することを約束する。パンデミック協定草案(2024年3月7日現在)第18条第1項は、同様の形式を規定している: 各締約国は、パンデミックとその原因、影響、推進要因に関する信頼できる事実に基づく情報へのタイムリーなアクセスを促進し、特にリスクコミュニケーションと効果的なコミュニティへの関与を通じて、誤った情報や偽情報に対抗し、これを排除することを目的とする(訳注:Heike Wiegand, ABF)。

 このようなことから、パンデミックの定義においても、パンデミックの予防や対策においても、WHOが真実を独占することになるのではないかという懸念が生じる。このような検閲の仕組みは、憲法の保障とは相容れない。連邦憲法第16条は、意見と情報の自由を保障している。すべての人は、自由に意見を形成し、それを妨げられることなく表明し、広める権利を有する。すべての人は、情報を自由に受け取り、一般にアクセス可能な情報源から情報を入手し、広める権利を有する。この規定は、連邦憲法第17条第1項によって補足され、報道、ラジオ、テレビ、その他の公共放送による実演や情報の自由を保障している。連邦憲法第17条第2項は、検閲の禁止を明記している。

 

IHRの改定に関する結論

 現在の草案によれば、WHOは改正IHRを通じて、国家主権と個人の自己決定を無期限に停止し、自らの存在(健康、私生活)の中核的な問題について権限を与える無制限の権限を与えられることになっている。スイスの弁護士フィリップ・クルーゼは、WHOの専門家として知られ、現在ではいくつかの議会で公聴会を開いているが、講演の冒頭でこの状況を次のように例えて説明した: それは、あなたの健康に関する契約であり、あなたの財産や個人的な自己決定を含む、あなたのすべての権利に関する契約であり、この医師は、あなたの健康状態や個人的な生活状態を恣意的に決定し、特定の状況下では、生涯にわたって、あなたに有害な行動や有害な薬物を押し付けるフリーパスであり、あなたはその問題について何も言うことができず、異議を唱えることも許されない。

 スイス連邦憲法が例示する基本的人権は、欧州人権条約、市民的及び政治的権利に関する国際規約(国連規約第2条)、国連世界人権宣言の規定によって補完することができる。これらの国際条約は、スイスと連邦最高裁判所を拘束する法律である(BV第190条参照)。

 このような背景から、WHOの改革計画に対するFOPHの見解を理解するのは難しい。これは憲法国際法の基本原則を放棄するものであり、WHOがボタンひとつで憲法の重要な柱をいつでも停止できるフリーパスにほかならない。

 結局のところ、交渉の末にこの2つの条約のどちらかに基本的権利保護というイチジクの葉が書き込まれようが、大差はない。科学がテーゼとアンチテーゼを用いて活動することを許されなくなり、民主主義においてさえも賛成意見のみが許され、反対意見はもはや許されないのであれば。そうなれば、もはや基本的権利の保護などありえない。民主主義は、実質的に世界中でWHOの健康独裁に取って代わられる恐れがある。

 

計画経済保健カルテルとしてのWHOパンデミック協定

 米国のジェームズ・ロガスキーは、WHOの改革が法の支配にもたらす差し迫った結果について、非常によく説明している10。彼の見解によれば、WHOパンデミック条約は、国家主権に対する攻撃でもなければ、基本的自由や人権を制限・廃止する根拠でもない。また、WHOが強制マスクや予防接種、戸締まり、渡航制限を課すことを認めるものでもない。人々の健康にはまったく関係ないのだ。その限りでは、多くの人々がIHRの改正案をWHOのパンデミック条約と混同しているため、この点で誤解が生じている。そのため彼は、提案されているパンデミック条約を読み、研究することを勧めている。彼自身、この条約を拒否し、阻止すべき理由が少なくとも10個はあるという結論に達している11

 決定的なのは別のことなのである。WHOパンデミック条約は枠組み条約を作るものであり、その実施とさらなる発展は、直接的な責任を持たない巨大な官僚機構を生み出すことになる。そこには多額の資金が絡んでいる。2024年3月初めのサラ・ウェストールとの素晴らしいインタビューの中で、ジェームズ・ロゴスキーは年間210億米ドル(!)の予算が必要だと述べている12彼は、新しい枠組み条約を気候変動枠組み条約と比較している。選挙で選ばれたわけでも、知名度があるわけでも、責任があるわけでもない官僚たちが責任者となる。特に重要なのは、新たに設置される締約国会議、つまりWHO加盟国すべてが所属するわけではない専門委員会である。議会の承認要件などの民主的参加権は、状況によってはこの方法で回避される可能性がある。2024年3月7日のパンデミック条約草案の第21条第2項によれば、締約国会議は3年ごとにWHOパンデミック条約の実施を定期的に見直し、その効果的な実施のために必要な決定を下すとされる。ジェームス・ロゴスキーによれば、この交渉は、OPECパンデミック企業機構)とでも呼ぶべき新たな世界的カルテルの設立を目指している。そのため首謀者たちは、低所得国でのPHEIC(Pharmaceutical Hospital Emergency Industrial Complex:ジェームス・ロゴスキーが頭文字をとって訳したもの)を劇的に拡大するために、何十億もの公的・私的資金を流用することを目的とした国際貿易協定を実際に交渉している。そうすることで、必要なインフラもそこに構築され、恒久的に恐怖を与えることで、より多くの医薬品やワクチンを販売し、組織的犯罪シンジケートのメンバーがそこから利益を得ることができる。そのため、前述のインタビューには、次のようなタイトルが付いている。「WHO-マフィアによる世界的な乗っ取り。組織化されたマフィア支配が私たちの現実―金の流れを追え」

 2023年10月16日、ラウラ・ケルシュは、WHOの改革計画に関する詳細かつ根拠のある分析を、ドイツ批判的裁判官・検察官ネットワークのウェブサイトに発表した13。とりわけ彼女は、パンデミック関連製品が契約によって規制され、初めて健康安全保障の中心的手段として定義されるという結論に達している。その結果、ワクチンや医療製品(検査や医薬品など)の製造・販売がさらに促進されることになる。WHOは、産業界や慈善財団と協力し、それらの管理と流通において中心的な役割を担うことになる。2024年3月7日のパンデミック条約草案の第13条は、これが中央計画経済であることを明確に示している。とりわけ、WHOはパンデミック関連製品の必要性を決定し、その公平な配分を保証することになっている。自由競争保護のための通常の独占禁止規則とは逆に、WHOは、地域機関や機構を含む国際調達機関間の資源獲得競争が回避されるように、ネットワークを調整することになっている(草案第13条(e))。

 ラウラ・ケルシュによれば、ワクチンや診断薬のようなパンデミック製品は、それゆえ、保健安全保障の中心的手段であり、非政府の利害関係者や関係者にとっての永遠の金鉱として、国際条約に盛り込まれることになる。これはとりわけ、先進国が資金を提供する発展途上国への市場拡大、特定された保健緊急事態におけるWHOによる製造・流通管理の加速化、CEPI(Coalition for Epidemic Preparedness Innovations)のような官民パートナーシップとWHOの協力の可能性によって達成されるであろう。CEPIは2017年にダボスで設立され、当初はノルウェー、インド、EUゲイツ財団、ウェルカム・トラストから資金提供を受けていた。ドイツはCEPI最大のドナー国のひとつである。CEPIはこれまでに、COVID-19に対する14のワクチン候補を含む21のワクチン候補に投資をプールし、未知のウイルス(Disease X)に対するワクチン開発のための迅速対応プラットフォームの開発に投資しており、将来的にはわずか100日以内に新しいワクチンを開発することを目的とした100日ミッションを立ち上げた。最近では2023年9月に、CEPIとバイオエヌテックがMPox(サル痘)に対するmRNAワクチンを開発するための提携を発表した。診断薬の開発・販売についても、CEPIに匹敵する官民パートナーシップが存在する14

 

展望

 法の支配の欠如に関して、緊急に必要とされるコロナ時代の再評価を行う代わりに、政府と産業界の責任者たちは、悲惨な誤った開発を続け、深め、法制化することを平然と続けている。PCR検査は感染の検知には役に立たないことが明らかになって久しいが、マスクは感染を防ぐどころか害を与え、modRNA注射(「予防接種」)は感染からも感染性からも守らないことが証明されており、この目的のために認可されたわけでもないにもかかわらず、これらの措置はすべて標準的な慣行となろうとしている。その目的は、予防的に危険を回避する名目で、人々を常に監視することである。言い換えれば、誰もが法律の枠内で自由かつ自主的に行動し、法律違反のみが罰せられるという立憲国家が、保健警察と治安維持国家に取って代わろうとしているのだ。将来のパンデミックは、教会のアーメンのように確実なものだと思われている。不確実なのは、その時期と頻度だけである。

 EUはグローバルな医療安全保障のパイオニアである。EUはすでに、EUレベルで保健衛生上の緊急事態を宣言できる法的基盤を構築している。このようなEU緊急事態は、国際的なPHEICと国内的な伝染病緊急事態の間の「ギャップ」を埋めるものであり(例えば、ドイツの感染症保護法第5条)、将来的には、WHOのPHEICと同時に、あるいはWHOとは独立して、EUレベルの地域緊急事態法として可能になるだろう。EUレベルでの保健衛生上の緊急事態とそれに関連する措置は、EU規則で標準化されているため、ドイツの法律にもそのまま適用できる。

 これらの技術革新は、EU機能条約(TFEU)第168条(人の健康の保護と改善)の権限基準などに基づき、EU規則の形で採択された15。このような国境を越えた保健衛生上の緊急事態に対処する責任は加盟国にあるが、どの国も単独では対処できないため、補完性は確保されるべきである。健康脅威の通知と評価のためのIHR手続きと同様に、規則(EU)2022/2371は、国境を越えた深刻な健康脅威の可能性について、加盟国に対応する通知義務を伴う早期警報・対応システムを確立している。

 規則(EU)2022/2371の第2条(1)によれば、生物学的、化学的、環境的、あるいは未知の起源による、生命を脅かす、あるいはその他の深刻な健康被害は、国境を越えた健康に対する深刻な脅威として分類される。ハザードの分類には、動物由来を含む伝染性疾患、伝染性疾患とは関係のない生物毒素またはその他の有害な生物学的物質、気候関連のハザードを含む環境ハザード、および原因不明のハザードを含む生物学的ハザードが含まれる。IHRと同様、EUもここではオールハザード・アプローチをとっているが、気候関連のハザードや原因不明のハザードを含む環境ハザードにまで拡大している。特に後者については、曖昧さという点で、これを上回るものはないだろう16

 スイスでも、WHO改革の実施は以前から計画されていた。連邦議会は、伝染病法の包括的な改正を提案している。これに関する協議(協議手続きの一環としてのコメント)の期限は、2024年3月22日に切れた。改革案を公平に読めば、この法律案が採択されれば、将来のWHOの要求事項の多くがすでに満たされていることがわかる。WHOの改革案の一部または全部が失敗に終われば17 、改革案がなくても、EUと同様、スイスでも医療独裁が行われる可能性がある。また、この法的規則はあまりにも曖昧で、恣意的な適用の可能性がある。WHOに関する本記事では、この点について深く触れることはできない。関心のある読者は、連邦参議院の法律草案とABFのウェブサイトを参照されたい。ABFのウェブサイトには、有用な情報を含む多くの協議文書が掲載されている18。さらに、「Bürger fragen nach」という団体による優れた声明もある19

 自由と人権、そして法の支配を重視する人々に、スイスでのその目的を実現するためにできることは、言及されたすべての改革プロジェクトについて、まだそれらを阻止するために、国民投票を実施することである。 国民投票に必要な数の署名を集めることができれば、パンデミック法の修正で、それは容易なはずだ。一方、パンデミック条約とIHRの場合は、国民投票が義務か、少なくとも任意かによって決まる。これは、スイスがパンデミック条約を批准することが超国家的組織への加盟に等しいか(BV第140条第1項第2号による強制的な国民投票)、重要な立法規定を含む国際条約に関するものか、その実施に連邦法の制定が必要であるか(BV第141条第1項第3号による任意的な国民投票)によるものである、2024年5月に改正IHRが単純多数決(とスイスの同意)で採択された場合、国民投票の問題を評価するのはより難しくなる。この場合、強制的な(BV140条1項a号にいう事実上の連邦憲法改正国民投票が可能か、あるいは任意的な(BV141条1項d号3号に基づく)国民投票が可能かは、まだ解明されなければならない憲法上の問題である。いずれにせよ、共同決定という民主的権利を行使できるかどうかは、できるだけ多くの批判的で警戒心の強い市民にかかっている。投票結果がどうなるかは、また別の問題である。

 

ジェラルド・ブレイ

1 https://paz.de/artikel/der-mann-mit-der-schier-unglaublichen- vergangenheit-a9978.htmlなどを参照。このような報道は根拠のない中傷として紹介されることが多いので、興味のある人は自分で調べてほしい。

 2 Arnold Sandhaus: "Strategic theatre", Der Europäer Vol.25 / No.2/3 / December/January 2020/21, p. 28-31 参照。

3 ドイツ国連協会ウェブサイト参照: https://dgvn.de/finanzierung-der-un/wohin-fliessen-die-gelder/die-who- and-its-financing

4 https://de.wikipedia.org/wiki/Weltgesundheitsorganisation 参照。

5 Thomas Kruchem: World Health Organisation on the begging stick. WHOのジレンマ, https://www.deutschlandfunkkultur.de/weltgesundheitsorganisation- am-bettelstab-das-dilemma-der-102.html

6 英語の原文とドイツ語訳は、Aktionsbündnis Freie Schweizのウェブサイトhttps://abfschweiz.ch/wissen-bilden/

7 Dr Silvia Behrendt と Dr Amrei Müller: https://uncutnews.ch/die- proposed-amendments-to-international-health-regulations-an-analysis/

8 https://www.bag.admin.ch/bag/de/home/strategie-und-politik/ international-relations/multilateral-cooperation/organisation-mondiale-sante/inb.html

9 https://www.nzz.ch/schweiz/who-pandemiepakt-soll-die-schweiz-dem- abkommen-beitreten-ld.1768402; 一読に値するインタビューの批判的分析は、ProSchweizのウェブサイトhttps://proschweiz。ch/analyse-des-nzz-interviews-vom-5-dezember-2023-between-katharina-fontana-nzz-and-nora-kronig-bag-woman-ambassador-kronig-don't-sell-us-for-stupid/。

10 彼のウェブサイト:https://jamesroguski.substack.com/ には多くの貴重な寄稿がある。

11 https://jamesroguski.substack.com/p/read-the-treaty; ドイツ語翻訳はこちら: https://abfschweiz.ch/wissen-bilden/

12 https://rumble.com/v4gjbr6-institutionalize-mafia-control-is-our-reality- follow-the-money-w-james-rogu.html?utm_source=substack&utm_medium

=電子メール

13 Laura Kölsch: https://netzwerkkrista.de/2023/10/16/kommt-die-globale- gesundheitsdiktatur/

14 Laura Kölsch, op. c. (footnote 13) with corresponding references.

15 欧州議会および欧州理事会規則(EU)2022/2370参照。

2022年11月23日欧州疾病予防管理センター設置に関する欧州議会および欧州理事会規則(EU)2022/2370(...)、2022年11月23日欧州議会および欧州理事会規則(EU)2022/2371(...)、2022年11月23日欧州疾病予防管理センター設置に関する欧州議会および欧州理事会規則(EU)2022/2370(...)を参照のこと。

健康に対する国境を越えた深刻な脅威に関する2022年11月23日付欧州議会および欧州理事会規則(EU)2022/2371、2022年10月24日付欧州議会規則(EU)2022/2372

公衆衛生上の緊急事態が発生した場合に、危機に関連した医療対策の提供をEUレベルで確保するための枠組みについて

16 Laura Kölsch、前掲書(脚注13)。

17 IHR第55条によれば、改正案は交渉の4ヶ月前(この場合は2024年1月27日)に加盟国政府に提出されなければならない。クリストフ・プフリューガーによると、提案された文書とその提出日について担当のFOPHに問い合わせたところ、交渉可能な文書はまだなく、次回の交渉は4月22日から26日にかけて行われるとのことだった。したがって、IHRを国際法に従って2024年5月末のWHAで扱い、採択することはもはや不可能である(https://www.christoph-pfluger.ch/2024/03/18/ who-agrees-the-deadlines-are-definitely-missed/#more-2013 参照)。

18 ABFについては脚注4参照

19 https://vbfn.ch/2024/03/15/6-55-nr-

 

18 ABFについては脚注4参照

19 https://vbfn.ch/2024/03/15/6-55-nr-sr-revision-des-epidemiengesetzes- epg-consultation/

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 保健衛生や医療は、特に専門的知識がモノを言う世界である。専門家以外のほとんどの人は、彼らに言われればおとなしく引き下がるしかない。専門家は権威であり、その元締めが、国で言えば厚労省であり、国際的にはWHOである。一般の人は、これらの組織がいうなら間違いないだろうと普通は思うものである。

 しかし、コロナは、そうした常識が誤っていることを明らかにしたと言える。「専門家」の話を聞いて多くの人がワクチンを打って、その結果はどうなったであろうか?最大の人口減少である。

 結果して、(一部のあるいは大多数の)医者の権威がむなしい虚構であることが、一部の人々に分かってしまった。彼らは、もうワクチンを打たない、拒否するのみであろう。

 しかし、それでは困る人間がいるようである。人が拒むならば、ワクチンは任意ではなく、強制とするしかない。その様な流れであろうか?

 そもそも現代医学は、製薬会社と切り離せない関係にある。石油王のロックフェラーが、石油原料の医薬品に目を付け、伝統療法などを駆逐する形で、それを築いてきたという指摘もあるが、こうした企業が今の医学界を支えている(あるいは支配している)ことは間違いないだろう。大学の医学部もそれらの企業の支援に多くを負っているのだ(企業から寄付をもらいながら、その企業を規制する役に就いているという矛盾、利益相反もある)。

 コロナにおいても、それら企業はワクチンにより莫大な利益を得ている。この流れを永続化、さらには拡大したいと思うのは企業の思惑として当然のことであろう。一方で、化学的薬に頼らない自然療法や伝統療法は目のこぶである。

 今後の流れとしては、これらの真に人間にとって有用な療法が排除されていく方向にあるのかもしれない。既にEUでハーブ療法が規制されてきているという。他の自然療法も規制されていくのではなかろうか。その理由は、おそらくそれらが「非科学的」であるということになるだろう。ここにまた、それらを「非科学的」と断定する「専門家」が登場するのである。

 

 さて、今回の記事は、主に経済的、法律的問題からの提起と言えるが、このブログの趣旨的には、こうした世界的な動きの霊的背景を思わざるを得ない。

 コロナ・ワクチンのそうした背景については、これまで何度か取りあげてきた。それは、簡単に言えば、人の本来の霊的進化を妨げるもののようである。霊的対抗勢力が人間を支配するための、人間改造の道具とも言えよう。

 世界統一政府へ向けた地ならしということも気になる。霊的対抗勢力の狙いは世界全体の支配であろう。保健衛生や医療は、確かに、世界で統一した対応が求められる分野である。先ずここから手を付けると言うことだろうか?

 今、世界を埋め尽くす情報の海で、人々は溺れてしまっているようだ。むしろ人は判断力を失っているのだ。自分で判断するのは努力を要する。権威に従う方が容易なのだ。

 シュタイナーは、権威に盲従してはならないというということを常に強調した。自らの頭で考えることを求めているのである。それによってのみ、これからは霊的に成長できるのである。

カルマの藪と真のカルマ研究

ネロ

 シュタイナーが、転生とカルマの教えの現代における復活という使命をもっていたことは既にこのブログで述べたことがあるが、この問題について今回も触れたい。

https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2023/06/28/084042

 東洋では、こうした考えは途切れることなく伝えられてきたと思われるが(しかし現在においては、それを信じる者は多くはないだろうが)、西洋においては、むしろ神霊界の配慮により、一時期、隠されてきたと言われる。それが、人類の霊的発展(個我の確立)のために必要だったからである。

 霊あるいは(真の)個我は不滅である。そして、霊あるいは個我は、物質的世界に受肉し、そこで活動することによってのみ霊的に成長できるのだ。そのためには、幾度も転生を繰り返す必要があるのである。

 さて、今回紹介するのは、おなじみの『ヨーロッパ人』誌の記事で、著者はトマス・メイヤー氏である。

 この論考では、シュタイナーのカルマ研究のきっかけとなった出来事が語られる。それをつくったのは、カール・ユリウス・シュレーアというシュタイナーのゲーテ研究の師に当たる人物である。

 興味深いのは、実は、シュタイナーの本来の使命であるカルマ研究は、道半ばであったようであるが、それは、本来他の人物が行なうはずの「人智学」を打ちたてるという仕事をその人物が行えなくなり、代わりにその仕事までシュタイナーが担うことになったからである。このため、シュタイナーが、自分の本来の使命にかける時間が限られてしまったというのだ。そして本来人智学を担うべきはずのその人物こそが、シュレーアであったというのである。

 このように二人には深い因縁が存在していたのだ。それは、以下に語られるように、シュタイナーのカルマ研究のきっかけをシュレーアがつくったことにも現われているのだろう。

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カルマの藪と真のカルマ研究

"ヨーロッパ人" 2023年9月2日

 

 ルドルフ・シュタイナーの精神科学におけるカルマ研究とは何か?

 シュタイナーはそれをどのように行い、どこから始めたのか。

 私達は、音楽の都であり、精神分析発祥の地でもあるウィーンへ導かれる。そこは、カルマ研究発祥の地でもある。

 

カール・ユリウス・シュレーアとネロ

 シュタイナーは、カルマ研究に携わるようになった経緯をこう語る。1990年代、シュタイナーは師であるカール・ユリウス・シュレーアーの『ファウスト』出版を手伝っていた。ある日、シュタイナーはこの件でシュレーアーを訪ねた。それは1889年1月30日未明、マイヤーリングで皇太子ルドルフとその愛人メアリー・ヴェッツェラが心中した直後のことだった。 ウィーンは衝撃に満ちていた。誰もこの行為を理解できなかった。ルドルフは王位継承者であり、オーストリア帝国の全世界は彼のものだった。

 シュレールは彼を出迎えると、突然、悲劇に関連する言葉を発した。彼は、「ネロ」と言ったのだ。

 骨相学者がシュレールの頭蓋骨を触診し、「神智学的高揚」、つまり神智学的思考の傾向があると診断したことがあった。

 だから、彼が、シュタイナーに突然言ったことは、単なる恣意的なものではなかったのだろう。これは、シュタイナーの28歳の誕生日直前のことだった。なぜシュレーアはこのような発言をしたのだろうか?と、思いがけず、シュタイナーは、自問しなければならなかった。その一言が、彼にこの問題を調べるよう促したのである。

 そして、シュタイナーの人生におけるカルマの最初の体系的な調査につながった。つまり、それはシュタイナーから直接もたらされたものではない。彼は世界からそうするように促されたのである。シュレーアはシュタイナーのためにカルマの研究の端緒を "もたらした"のだ。

 

 皇太子ルドルフとネロ

 シュタイナーは1924年4月27日、ドルナッハでの講演でこのことを報告した(『Karmavorträge』第2巻、GA 236)。ここで初めて、シュタイナーはルドルフに関する研究結果を発表した。このように、カルマに関する最初の研究は、主観的な理由から客観的には困難、非常に困難なものであった。当時、ウィーンには、自分がネロであったと信じる人々が大勢いた。霊学研究が、単に無視したり脇に置いたりすることのできない事実である。シュタイナーは当初、ネロであると主張し、狂信的にそれを唱える人々に狼狽した。彼はそれを乗り越えなければならなかった。そして、今や、人は、「藪」を通り抜けなければならなかった、と語るとき、彼は、イマジネーション的に話すのである。真実ではないことを信じていた人々が作り出したアストラル的な藪。カルマの研究が始まると、すぐにそのような困難が待ち受けていた。シュタイナーは、たまたまそのような困難に聴衆の注意を向けているわけではない。

 カルマの研究は真剣さを要する仕事なのだ。真剣さのない人は、簡単に幻想を作り出すことができるのである。

 1924年4月27日、シュタイナーは最も入念な研究の後、ルドルフは確かにネロであったと宣言した。シュタイナーはこのことをシュレーアから引き継いだわけではなかったが、シュレーアにはこの真実に対する驚くべき霊感があった。

インスピレーションと直感

 しかしながら、インスピレーションはカルマ研究の十分な根拠とはならない。十分な確実性がないのだ。シュタイナーはそのような研究のために、決してインスピレーションだけに頼ってはいなかった。彼の確固たる基礎は、精神科学的な意味での直観イントゥイチオーンであった。そして彼の発展した直観は、シュレーアのインスピレーションが正確であることを確認した。

 シュタイナーは、今日流行しているような「妥当性」からよりもインスピレーションから出発した。この「妥当性」は、一挙に「確かなこと」だと宣言するのである。しかし、それについてはまた後ほど触れる。

 4月27日はどんな日?4月27日はどんな日なのだろうか。ペルセウスのカレンダー【訳注】によると、何より、紀元前470年のソクラテスの誕生日である。これは1912年のシュタイナーの元のカレンダーにすでに記されていた。ソクラテスは19世紀にゴットフリート・トビアス・シュレーアとして再び現れた。そしてこのシュレーアーは、シュタイナーの父方の友人であり、この講義で重要な言及をされているカール・ユリウス・シュレーアーの父親となった...。

【訳注】ペルセウスとは、メイヤー氏が主催している出版社で、ペルセウスが発行している手帳には、歴史的人物の生没年月日が記されているので、そのことを指すものと思われる。

 

ゲーテアヌムの形態、シューレの火の夢、カルマのメッセージ

 4月27日、シュタイナーは(最初の)ゲーテアヌムの形態について、「カルマを見ることを目覚めさせる」形態であることを強調した。この建物全体が「カルマを見るための教育」の役割を果たすものであり、彼はこう強調した:

「このカルマを見るための教育は、現代の文明の中に入っていかなければならない。」

 しかし、1923年から24年にかけての大晦日にこの建物が破壊されたことを考えると、彼もまた認めざるを得なかった。「しかし、この現代文明に入るべきものの敵にとっては、本当の意味で人々を教育するもの、つまり文明に必要なものが燃えてしまうことが当然なのであった。」

 エドゥアール・シューレは、この火事について重要な夢を見た。「私は、ゲーテアヌムだとはっきりわかる建物に・・・2つの花をもつ植物を見た。花は互いに接近していたが、異なる種類のものだった。ひとつは木のような色をした固い花で、もうひとつは繊細で、ほとんどエーテルのようだった。どちらの花も突然すっと伸び、無限に広がり、大地に深い穴を残して突然消えた。私は、その穴のあたりが、ヨーロッパであることがわかった。その植物の無限へと伸びる急成長は、ヨーロッパに埋めようのない空白を生み出すという予感で目が覚めた。翌日、私はゲーテアヌムが全焼したことを新聞で知った。」

 この建物が突然失われたことは計り知れない。少なくとも前世紀の終わりまで目に見える形で残っていたとしたら、例えば1968年の世代にとって、この建物を体験することは、オリエンテーションであり、カルマを観察する教育であっただろう。

 シュタイナーは建物が破壊されることは予想していたが、こんなに早くそうなるとは思っていなかった。シュタイナーは、古い建物で最後の講義をしているときから、刻一刻と災害が起こっていることに気づいていたが、警告にとどめなければならず、自ら直接介入することは許されなかった。この建物は会員達の警戒心の試金石となった。彼らはこのテストに合格できなかった。しかし、シュタイナーは巨大な決断を下した。全焼したもの、つまりカルマのビジョンを目覚めさせる建物の形態を、カルマの講義の不滅の思考形態に置き換えたのである。このことは、まさにネロとルドルフに関するこの講義においてはっきりと把握できる。カルマを覚醒させる形から、まさにこの講義で伝えられているようにカルマを覚醒させる思考へと。

ネロの個性の内的発展と悪の認識

 1924年4月27日、シュタイナーはネロの魂の発展の3つの段階を的確に説明した:

  1. 彼は純粋な欲望から破壊者となった。彼はローマで起こした火を見て楽しんだ。このことは、彼のカルマの背景について疑問を投げかけるが、シュタイナーはこれには触れていない。ネロは、皇帝という地位の力を比較的自由に行使した。

2.外見的には取るに足らないその後の転生で、「数世紀か比較的短い時間後」にネロの魂は再びこの世に現れた。しかし、今度は従属的な立場に置かれた、そこでも「破壊しなければならなかった。」だが、自由な権限によってではなく、命令によって破壊しなければならなかった。シュタイナーは、この第二の転生について正確な時期と場所を示していない。確かなのは、数世紀後、つまり紀元4世紀から7世紀頃ということだけである。重要なカルマの変容の中で、「この魂は今、主権ではなく、自分の自由意志でなく、それ(破壊)を行わなければならないとき、それがどのようなものかを感じる必要をもったのである。」

3 「世界を破壊する放射」が、一度は自分の意志で、一度は命令で、外に向けられたこの二度の転生の後、破壊の方向の逆転が起こる。破壊の方向が、今や内側に向けられたのだ。これがルドルフ存在のカルマ的な背景であり、それにより、自殺に至った彼の自己破壊的傾向が理解できるようになる。

 シュタイナーは、意識魂の時代の主な課題を、悪の認識により特徴付けた。たとえネロとして、彼が最初に「途方もない力で」悪の現象を作り出したとしても、「ある程度、ネロの中に、悟性魂の時代におけるこの課題の先駆者を認めることができる【訳注】。「この力は浄化されなければならない。」この浄化は、最初は死後にすでに起こっている。そして、その後の2回の転生での「公正な均衡」の後、「ある状況下で、人間の人生が犯してきたことが、善のための力に変容するることができるのである。」

 将来性のある眺望! シュタイナーの真面目な霊的弟子であったルートヴィヒ・ポルツァー=ホーディッツは、ネロの時代以降の、ローマ皇帝の家系とのカルマ的なつながりを自覚するようになったが、1924年4月27日のシュタイナーの説明に触発され、その生涯の終わりには、ルドルフの人生における善の種を追求し、そこから一種の神秘劇を創作した。彼はそれを「ルドルフ、オーストリア皇太子-1882年から1889年までのオーストリアの運命の結び目の魂の霊的イメージ」と呼んだ。その中で、ルシファーとアーリマンが、生きている魂と亡くなった魂と一緒に登場する。

 このように、地上でのこの3つの人生の後に、ネロの個性が、良い意味で、悪を認識する一種の専門家として現われ、働くことになる1つの人生を期待することが出来る。そこに、現在と未来のための途方もないその現実性がある。

 

現代の "カルマ研究"

 締めくくりに、この3回の転生を経たネロの個性の存在とその探求と対比させて、今日のいわゆるカルマ研究を見てみよう。この研究は、数年前から『カルマと伝記』(Karma and Biography)という包括的でりっぱな本として出版されている。ホセ・マルティネスの編集によるデータ分析である。

 この本にはネロ/ルドルフに関する論文もあり、その中でシュタイナーの研究への明確な言及がなされている。しかし、どのように? ただ並んで簡単に触れられているだけの中間の転生の代わりに、第3の転生として、シュタイナーによって明らかに無視されているスペインのカスティーリャブルゴーニュのフィリップ端麗公が語られている。

 彼は1478年から1506年まで生きていた。従ってシュタイナーが報告しているように、ネロの後の「比較的短い期間」でも「数世紀」でもない。この矛盾は全く触れられていない。シュタイナーに遡るのはネロとルドルフだけで、カスティーリャのフィリップは編集者ホセ・マルティネスの「研究」によって発見されたことが述べられている。触れられている中間の転生(したがって4番目の転生ということになるが、シュタイナーの一連の転生は明らかにこの点について真剣に受け止められておらず、フィリップに置き換えられているため、これは矛盾なくして主張されない)の人格の場合、それはハンセン病を患っていたとも主張されている。シュタイナーの、ネロに続く転生における破壊的な活動の明確な言及は-それは命令によって実行されたものであるが-、「破壊的な効果をもたらした、際立って外に向けられた感情性」へと変異している。そこには、まさに、比較的権勢を持ったネロ以降の跳躍点であった「命令」の痕跡はない。そしてこの論文は、中間の受肉を完全に排除し、この「研究」を要約する際に、ネロ、フィリップ、ルドルフの3人の人物に限定している。言い換えれば、シュタイナーの名を挙げなかった中間的受肉はあっさりと取り消され、フィリップ端麗公に置き換えられているのである。

 マルティネスはどこからフィリップの着想を得たのかは説明されていない。しかし、このような時代と事実の表面的な扱いは、良い結果をもたらさない。シュレーアのネロのインスピレーションとは到底比較にならないのである。

 私たちは、シュタイナーの研究にも直接言及しているが、それは実際にはそれをあからさまに改ざんしているため、この混乱に踏み込まなければならないと考えたのである。

 この本に収録されているワーグナーの "研究 "も状況は同様で、彼は、アベラールの妻エロイーズであり、やや後のアビラのテレジアであると主張している。シュタイナーの唯一の、広く伝わっているマーリンとの関連は、言及されないままである。最後に、雑誌『現代』の編集者であるゲロルト・アレッガーも、マルティネスに触発された「カルマ研究者」としてこの巻に登場している。彼はフリューのニコラス【訳注】という重要な人物を取り上げ、彼をラムセス2世の周辺に位置づけることを意図したもっともらしい話を読者に提示する。最初のもっともらしい話は、突然、確かな知識へと変化する!

 

【訳注】1417年 - 1487年3月21日。スイスの隠者、禁欲主義者であり、スイスの守護聖人

 

 今日の「カルマ研究」は、このように、シュタイナーの真剣な研究に対する完全な無知、あるいは意識的、無意識的な改竄のようにみえる。シュタイナーのネロ講演におけるカルマの藪に影響を受けることなく、人は、最も怪しげなインスピレーションの下に新たに働き、新たな「藪」を生み出したのだ。シュタイナーのカルマ研究の成果は、カルマ観照を目覚めさせることを目的とした最初のゲーテアヌムの建物のように焼き払うことはできないが、霊的な思考形態として、霊的な対抗勢力のンスピレーションのもとで、無視したり改ざんしたりすることはできる。ここで短く取り上げた本では、その両方が熱心に実践されている。

 1924年にシュタイナーが言ったことを忘れてはならない:

「カルマの真理の全面的な啓示こそ、アーリマンが最も恐れるものである。」

 ここに示したようなカルマの藪の形成を、霊的科学の使命に対抗するこの力は恐れる必要はない。それはアストラル界を汚染し、その結果、すべての真のカルマの研究を客観的に妨げるのである。

   トーマス・メイヤー

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 記事の後半では、メイヤー氏と同じ人智学派と思われる人物のカルマ研究が批判されていた。そこでは、シュタイナーの「改竄」という言葉まで使われており、その指摘は厳しいものであった。

 このような主張に、読者の中には驚かれた方がいるかもしれない。(実は、指摘の本を、私は既に買っていたので、私は、その意味で二重に驚いている。)

 ここで指摘されたことには2つのポイントがあると思う。1つは、カルマ研究の難しさである。この問題については根拠を示すことが難しい故、誤った推論がまかり通ってしまう恐れがあるということである。

 シュタイナーは、高次の霊的認識を持っていたがゆえに、そうした研究が可能であったのだが、外面的歴史的資料のみでは、それこそ藪の中に入り込む可能性がある。十分な検討と慎重な判断が必要だ。現状では、シュタイナーが残した情報が重要な手がかりということになるのかもしれない。

 さて、もう一つの問題は、霊的対抗勢力に関わるものである。彼らが敵視するのは、霊的認識が広まることであり、その中でカルマと転生の教えは大きな位置を占めている。これが復活されては困るのだ。そのため、こうした動きには常に攻撃が加えられてきたのである。

 それについては人智学も例外ではない。実際に組織としての人智学協会を破壊あるいは変質させる、またはシュタイナーの教えを改竄するなどが行なわれてきたようなのである。

 トマス・メイヤー氏は、よくこうしたことを指摘してきているが、今回もその流れにあるものであろう。

 今回批判の対象となった著者の意図は、私には分からない。メイヤー氏の批判が完全に正しいかどうかもわからない(上の文章を読む限りでは妥当性があるが)。ただ、間違いなく言えるのは、人智学を標榜する本だからと言って、それが、意図的かそうでないかは別として、すべて純粋にシュタイナーの教えに基づいているとは限らないと言うことである。その著者の個人的解釈、判断が入ることは当然であるが、そこに、別の意図が侵入する可能性もあるのだ。

 アーリマンやルシファーは、可能なところならどこにでも潜り込むのだ。

 これまでこのブログでは、何人もの著者の論考を取り上げてきた。基本的には、私なりに人智学を理解するうえで有益であると思われるものをのせてきたつもりである。ただ、それが完全に正しいかどうかは、非力な私には正確に評価することは出来ない。あくまで、こうした考えがあるので紹介するというスタンスであるが、そうしたなかにも、悪意のある意図した改竄、変質が加わっているものがあるかもしれない(こうした問題については、いずれ詳しく触れる機会があるかもしれない)。

 今更の弁明で恐縮だが、各読者においては、このような点をふまえてこのブログと付き合っていただくことをお願いしたい。

※マルティネス氏の本を出した出版社からの弁明が『ヨーロッパ人』誌の次の号(3月号)に掲載されていたので、その一部分を紹介しておく。

「ホセ・マルティネスとの協力関係において、私たちは常に、何が情報であり、何が確実であるものなのかを区別することに細心の注意を払っている。たとえば、私たちのカルマの本では、一連の転生に関する霊的研究者の情報から始まり、この霊的研究の内容が読者の意識にどのようにもっともらしく受け取られるかで終わるプロセスを、系統立てて説明しようとしている。私たち社員は、転生を直感的に見たわけでも、認識したわけでもないので、それが真実であると確信することはできない。
 ホセ・マルティネス自身、自分の研究結果(それは彼にとって確かなものである)は情報として扱うべきであり、例えば、この意図のもと、我々の『カルマ』の「方法」の章で紹介されている道具の助けを借りてチェックすべきであると繰り返し指摘している。」

 この本の内容は、マルティネス自身にとっては確信のあるものだが、あくまで情報の1つとして受け取り、他の者により検証されるべきもとである、ということであろうか。