k-lazaro’s note

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人類は第3次世界大戦へと歩んでいるのか?

戦争を操る悪魔

 プーチン大統領北朝鮮を訪問した。報道によれば、ロシアと北朝鮮は「軍事同盟」を結んだようである。他国からの攻撃があれば相互に協力するという。どの国がどの国を攻撃するというのだろうか?既にその様な動きがあるのだろうか?これは、第3次世界大戦に向けた準備なのだろうか? 

 6月15.16日に、スイスで、ウクライナの「平和」に関する欺瞞に満ちた会議が開催された。これは西側の主要国の主導した会議であり、当然ロシアは招待されていない。招待されていたコロンビア大統領は、その会議の内容を把握し、直前になって会議への出席を取りやめた。大統領は、その会議は、平和のためではなく実際には「戦争の準備」のためであるからと語っているという。

 西側の主要国の狙いは、当然、ウクライナの平和ではない。あくまでもロシアを制圧することである。ロシアが優勢な今の現状を認めることはできないから、そもそも、そのような状況での和平などあり得ないのだ。

 すでにウクライナの兵士は底をついている。病人、老人、女性そして学生も投入されている現状である。西側の提供する兵器もロシアにはかなわないことが明らかになっている。

 つまり、さらに戦争を継続するにはNATO(あるいはその主要な加盟国)自身が参戦するしかないのである。

 しかしそれは、ロシアが前々から警告しているように、当然にその国に対する直接のロシアの反撃をもたらし、それはNATOとの全面的軍事衝突、戦争を意味する(NATO加盟国の一国でも攻撃されれば集団的安全保障が機能し、NATOとロシアとの戦争となる)。

 ロシアを相手とするこのような戦争では、核兵器が使用される可能性もある。ロシアには、国家の存亡が係っており、そのような場合にはそれが使用されることを何度もロシアは警告しているからである。NATOとしても、通常兵器ではロシアにかなわないので、核兵器を使用したいと考えているかもしれない。実際に、NATOのストルテンブルグ事務局長が、NATO内で核兵器の使用について協議を始めたという情報もある。

 既に、兵器を提供しているNATO主要国は、ロシア国内への攻撃を容認しており、ウクライナは、(おそらく西側の指揮の下に)ロシア国内の核攻撃の施設への攻撃すら行なっている。これは、ウクライナでの戦闘にとっては意味をもっておらず、ロシアの核に対する事前攻撃(あるいはその準備)の意味があるとも指摘されているのである。

 一方で、最近アメリカでは、18歳以上の徴兵制の「自動登録制度」についての法律成立の動きがあり、イギリスやドイツでも徴兵制度の議論が進められているようである。ドイツでは、ロシアとの戦争を前提とした国家的な体制作りの動きも見られるという。他の国でも、「非常事態」を想定した準備を国民に訴えるところも出てきている。

 核大国との戦争など、かつては考えられないこととされていた。それを始めれば、自国が無事で済むはずはなく、人類の絶滅にも至りうるからである。

 こうした西側の動きは、正常な感覚の人間が行なっているものとは到底思えない。私には、既に西側の指導者には理性的判断力が失われているように見える。一体いかなる狂気なのだろうか?

 

 今回は、こうした問題についての『ヨーロッパ人』誌の2つの論考を紹介する。

 一つは、こうした動きは第3次世界大戦を引き起こしかねないこと(むしろそれが狙われている)、そしてそれは、英国のトップエリートたちのインナー・サークルが、二枚舌、欺瞞、プロパガンダ・キャンペーン、秘密同盟を駆使してドイツのカイザーを追い詰め、意図的に戦争の罠を仕掛けたという「第一次世界大戦」と同じ構図-但し今回は、その相手はドイツではなくロシアである-であるとして、現在の状況を解説するものである。

 そして二つ目は、西側の指導者達が、文字通り戦争熱に取憑かれている(「憑依」されている)ことを論じた論考である。

 どちらも、『ヨーロッパ人』誌の2024年6月号に掲載されたものである。

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NATO列強はいかにして第一次世界大戦の英国モデルを利用し、ロシアを次の世界大戦に誘い込もうとしているのか

 

   ナサニエルロスチャイルドエドワード7世、アルフレッド・ミルナー卿らが率いる英国のトップエリートたちは、二枚舌、欺瞞、秘密同盟を駆使して、ドイツ皇帝を追い詰め、第一次世界大戦勃発の原因を意図的にドイツ側になすりつけた。しかし実際には、戦争が唯一の選択肢であるというところまでドイツ軍を挑発したのはイギリスであった。

 

 ドイツの将軍たちは数週間前、ロシアのクリミアへの主要な橋を爆撃する方法を考えているところを曝露された。これは、ロシアのプーチン大統領が言ったように、ロシアからの厳しい軍事的反応、おそらくはベルリンへの核攻撃を引き出すことが保証された侵略行為となるだろう。

 そしてそれは、ドイツ政府高官が、自国の軍隊はロシアへの攻撃に備えていないと認めることにつながった。もしドイツの将軍や政治家たちが本当にロシアとの戦争を引き起こしたいと思っているのなら、軍部がベルリンの政治的レトリックに追いつくまで、ゆっくりと待った方がいい。

 リミックス・ニュースのジョン・コーディによる3月14日付の記事によれば、ドイツ軍には、ロシアのような非武装の軍事大国はおろか、大規模な戦争を戦うだけの人員も装備もインフラもない。

「ドイツ軍と政府は軍隊について暗い絵を描いているため、ドイツで最も影響力のある政治家の何人かは、徴兵制の再導入を求めている」とコーディは書いている。

そう、徴兵制だ。

 リミックス・ニュースが制作したビデオでは、ドイツ連邦議会の国防委員であるエヴァ・ヘーグルが、ドイツ軍の現状について破滅的な詳細を述べている。ドイツ軍の現状を率直に語っている点で、衝撃的だ。

 彼女は、ウクライナに任せてロシアとの敗戦で浪費し、ドイツが軍備備蓄を空にしていることを「実に印象的」だと感じている。それはまるで反逆罪を公に認めるようなものだ。

 しかし、ちょっと待ってほしい。それだけではない。

 ドイツは、ロシアに対抗できる立場にないことを知っている。だから、NATOから離れてウクライナに軍隊を派遣するために、他のヨーロッパ2カ国、フランスとポーランドの狂った指導者たちと秘密交渉を進めているのだ。しかし、ワシントンとロンドンの承認なしには、それが本当に可能だとは思えない。

 フランス、ドイツ、ポーランドからなるワイマール・トライアングルと呼ばれる組織は、ソ連が崩壊した1991年から存在している。

 ワイマール・トライアングルの宣言された目的は、ポーランド共産主義からの脱却を支援することだった。それがまだ存在しているのは不思議だが、新たな目的を見つけたのかもしれない--ロシアとの第三次世界大戦を扇動するためという。

 ウィキペディアによれば、「ワイマール・トライアングルは主に3カ国の首脳と外相による首脳会議で構成されている。加盟国間の協力には、議会間連絡、軍事、科学、文化協力が含まれる。直近の首脳会議は2023年6月12日にパリで開催された。」中略

 メディアはほとんど報じていないが、ロイターは昨日13日、ワイマール・トライアングル3カ国が3月15日(金)に会合を開き、対ロシア戦争におけるウクライナの支援方法について話し合う「急遽調整された会談」が行われると報じた。この会議では、徴兵制やその他の手段を通じて軍隊を増強し、最終的にはフランス、ドイツ、ポーランドの軍隊を組み合わせて対ロシアのウクライナの戦場に配備することで、(おそらく秘密裏に)合意に達する可能性がある。

 ロシアはこの戦争の第一段階に勝利しており、NATO諸国は戦いを続けたいのであれば、クリエイティブでなければならないだろう。そして、NATO諸国がロシアとの戦争を続けたいことに疑問の余地はない。それはなぜか?ロシアは中国以上に、米国のペトロダラーと米国の軍事的優位に結びついている米国主導の世界経済秩序に挑戦するBRICS諸国連合の中心であるからだ。

 この2年間、私が話を聞いてきた軍事専門家はみな、ロシアとウクライナを越えて戦争が拡大する経済的理由を見落としているようだ。

 

 この2年間、私が耳を傾けた軍事専門家はみな、ロシアとウクライナを越えて戦争が広がる経済的な理由を見落としているようだ。それは、決してロシアとウクライナの問題ではない。世界経済秩序における課題と現実の変化についてだった。

 軍事アナリストたちは、ウクライナとロシアのどちらがこの戦争に勝つのか、それとも負けるのかについて語ってきたが、第3の結果、つまりウクライナもロシアもこの戦争に「勝つ」ことはないだろうという可能性を真剣に考えた人は、いたとしてもほとんどいなかった。それは、本当の戦争はロシアとウクライナの間ではなく、NATOとその同盟国、そしてロシアとその同盟国の間の戦争だからだ。ウクライナ代理人にすぎず、まもなく戦場を離れざるを得なくなるだろう。どこからか新たな軍隊が流入しない限り、戦争は終わり、ロシアの勝利となる。しかし、前述の経済的理由や、ロシアの保守的な文化とは相容れない西側のリベラルな社会的アジェンダに関連するその他の理由から、NATOはこれを許さないだろう。

 例えば、ピート・ブッティギーグ米運輸長官の「夫」が、子供たちのグループを率いて「虹【LGBT】への忠誠の誓い」を行った。それはロシアでは歓迎されないし、許されないだろう。

 だから、もしNATOが、ウクライナが戦争に負けた後、「NATOとは別」であるかのように装ってウクライナに軍隊を潜入させる方法を見つけようとすることは、それこそまさにNATOがすべきことなのだ。

 問題は、プーチンポーランド、ドイツ、フランスの軍隊を自分の裏庭で戦わせている事実とNATOは関係ないという言い訳を我慢するかどうかだ。フランス、ドイツ、ポーランドの軍隊がウクライナに到着した場合、プーチンは、3カ国すべてがNATO加盟国であるにもかかわらず、これはNATOとは別の取り組みであり、本当のNATOではないと同調するだろうか?私はそうは思わない。しかし、それこそがNATOの狙いなのだ。NATOは、プーチンNATO加盟国に侵攻させたいのだ

 この嘘はこうだ: ウクライナで戦っているフランス、ドイツ、ポーランドの軍隊はNATOの一員として戦っているわけではない。しかし、もしプーチンがこの挑発に反応し、フランス、ドイツ、ポーランドの都市やインフラを直接攻撃すれば、プーチンNATO加盟国を「攻撃」したことになり、NATO全体がロシアを侵略する合法的な口実を得ることになる。

 おかしな話だと思うかもしれないが、NATO諸国の誰が責任者なのかを見てほしい。彼らは皆、世界経済フォーラム、国連、英国王室、ワシントンとロンドンの情報機関の手先であり操り人形なのだ。

 仮にフランス、ドイツ、ポーランドが「ワイマール・トライアングル」を装ってウクライナでロシア兵と戦ったとしても、彼らもNATO加盟国であり、プーチンがこれら3カ国のいずれかに反撃すればNATOの防衛メカニズムが発動することは否定できない。そうなれば、第三次世界大戦となるが、それを、アメリカ、イギリス、NATOは引き起こしたいと考えているようなのだ。しかし、ロシアに対して第三次世界大戦を起こす前に、ロシアにNATO加盟国の一つを攻撃させ、彼らは自分たちを「被害者」として位置づけなければならない。

 西側メディアはこの国際的な策略に全面的に加担し、ロシアとその指導者を「侵略者」として描くことで、ロシアに対するプロパガンダ戦争を激化させるだろう。彼らは、プーチンが「旧ソビエト帝国の復活」を望んでいるという大嘘をつき続けるだろう。これには何の証拠もないが、彼らはそれを当然の結論として扱うだろう。彼らが言うのだから、それは真実なのだろう。

 

歴史は繰り返すのか?

 これは、ワイマール・トライアングルが作用するという、私の仮説シナリオであるが、今後6ヶ月から12ヶ月の間で観察される非常に妥当なシナリオだと思う。ワイマール・トライアングル諸国が強制徴兵と戦争経済への転換によって軍事力を増強するには、おそらく約1年かかるだろう。

 それは裏切りのように聞こえるが、そうなのだ。前例がないわけではない。欧米列強にそのような裏切り行為が可能かどうか疑っているのなら、ジェリー・ドカティとジム・マクレガー著『隠された歴史:第一次世界大戦の秘密の起源』という素晴らしい本をお勧めする。この本の主題は、ナサニエルロスチャイルドエドワード7世、アルフレッド・ミルナー卿を筆頭とする英国のトップエリートたちのインナー・サークルが、二枚舌、欺瞞、プロパガンダ・キャンペーン、秘密同盟を駆使してドイツのカイザーを追い詰め、意図的に戦争の罠を仕掛けたというものである。秘密のエリートたちは、金で買収されたイギリスのマスコミを使ってドイツ人に対する憎悪をあおり、後に第一次世界大戦の勃発をドイツ人のせいにした。しかし実際に大火を起こしたのはイギリス人だった。戦争は、強力な金権エリートが平和の可能性をすべて排除したときに始まる。

 保守党と自由党の英国指導部は、ドイツが進撃し、経済力と潜在的な軍事力で英国を追い越そうとしていることを恐れていた。ドイツを阻止しなければならなかったが、イギリスとその同盟国を攻撃的なドイツの犠牲者のように見せかけた。

 今日に至るまで、西側諸国の学生はみな、ドイツが第一次世界大戦を始めたと教えられている。戦争となれば、歴史は勝者によって書かれる。そしてこの場合、誤った歴史が繰り返されようとしている。

 第三次世界大戦は、第一次世界大戦と似たような形で進行しているようだ。ただ今回は、西側諸国の執念の対象がドイツ人ではなく、ロシア人、ひいては中国人である。この2カ国とBRICS連合の発展における主導的役割は、米国の世界経済支配に対する脅威である。そして厳しく対処しなければならないのだ。

 欧米のメディアでどのように物語が構築されているか、すでにおわかりだろう。お気に入りの検索エンジンに「第三次世界大戦ウクライナで始まる」と入力すれば、「ロシアが第三次世界大戦を起こそうとしている」という記事が大量に見つかるだろう。

 このシナリオを煽り、自国の軍隊や市民に有毒な遺伝子組み換えワクチンを処方しているのは、同じグループの人々であることを忘れてはならない。彼らの良心は蝕まれており、壮大きく堕落する寸前である。そう、落下が迫っているのだ。西側諸国が慢心から、戦争でロシアを打ち負かせると考えているのがわかるだろうが、それは不可能な試みだ。NATOとロシアが対峙するとき、勝者はいない。女性やトランスジェンダーの手に軍事的指導力を委ねるような国に、大国としての未来はないし、ロシアや中国との戦争に勝つ能力もない。それなのに、ロシアや中国との戦争を引き起こそうとしているのは、同じ女性化した指導者たちなのだ。幸運を祈る、としか言いようがない。

 

レオ・ホーマン

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 第一次世界大戦はドイツの勢力をそぐという目的があったが、その後ドイツは、戦後の苦境の中でナチスを生み出し、ふたたび世界大戦の道に進み、その敗北により永久的な英米支配下に置かれたようである(現在の状況で言えば、これは日本も同様である)。

 英米により、ウクライナ事変をとおして国内の経済を破壊されても(ノルドストリームは文字通り破壊された)、英米に従い、ウクライナに援助し続けるというその姿勢にそれは現われている。

 それをドイツで現在進めているのは、本来平和の党であるはずの、社民党緑の党なのである。これはかなりグロテスクな状況である。その背景には何があるのか?

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憑依された者 再び意識を圧倒する戦争精神

 

 短期間のうちに熱烈な平和主義者(「二度と戦争はしない」)から狂信的な対露戦争主義者へと変貌させた、与党の代表とそのメディア・スピーカーの間に起こった意識の変化の根底には何があるのだろうか?

 これは、これらの人々の冷静で合理的、理性的な検討と決断の結果なのだろうか?それとも、無意識から感情や思考に湧き上がり、気づかぬうちに、まったく異なる攻撃的な思考を意識に押し込め、それを自分自身のものだと思い込んでいる超人的な力によって決定されているのだろうか?人間は自分の意識を自覚し、常にそれをコントロールしているのだろうか?戦争と平和は、これらの疑問にかかっている。

 

 ローマ神話の軍神マルス

 「火星の帰還」と題された非常に注目すべき論文の中で、心理療法家のマルテ・ネレス1が最近、深層心理学の観点から、人間以外の戦争的な力の問題を取り上げている。この力は、古代には戦争の神マーズと結びつけられていたが、今日では分析心理学において、それぞれの行為者の理性的自我よりも強い無意識の原型的な力として説明されている。名前は変わっても、その影響と力の体験は同じである。

 マルテ・ネルスは、ドイツ国民の意識が最近劇的に変化していることに触れ、こう疑問を投げかける:

「これは、役者たちの公式見解や自己説明がそうであろうように、プーチンがいかに権力に取りつかれ、残酷で狡猾であるかということを、突然認識し、無条件の武装エスカレーションという唯一合理的な結論を導き出したのだろうか?“ウクライナはこの戦争に勝たなければならない”という一文は、単なる言葉の政治的計算なのか、それとも関係者やドイツ国民の意識状態についても何かを語っているのだろうか。平和の鳩はどのようにして巡航ミサイルになるのか。心の中の戦争は、どのようにしてその独特のダイナミズムと充足への憧れを生み出すのだろうか?」

 

圧倒的な力

 理性的、政治学的な説明だけでなく、従来の心理学的な説明も、国民が短期間のうちに達成し、ドイツが踏み出した180度の精神的転回を理解するには十分ではなかった。

 戦争が近づいており、そして戦争に伴う血と人命への渇望、そして基本法第1条に「侵すべからざるもの」と記されている、私たちの社会の根幹をなすあらゆるものを破壊し、その精神が戦争の経験によって養われるという、また何か強烈なものが漂っているのを感じ取ることができる。

「戦争は、それがどこで起ころうとも、またどのような理由で起ころうとも、それ自体、人間の尊厳を侵害するものであり、ドイツ連邦共和国の政治的アイデンティティが本来拠って立つはずのヒューマニズムを放棄するものである。ウクライナはこの戦争に勝たなければならない」という独裁者の“どんな犠牲を払っても”というレトリックが戦場で限界に達しているように見える今、引き下がることはほとんどできない。戦争は人々に独自の心理を生み出す。外的な圧力や強制だけでなく、近代人類が歴史的に獲得してきたあらゆる人文主義的な自己訓練にもかかわらず、戦争が意識に課す内的な「ねばならない」によっても、個人は戦争の論理に従う。火星は速く、反応的である、

 古代ローマの戦争の神マルスは、70年以上追放されていた精神病院から戻ってきた。戦争の魔神は再びボトルから抜け出し、大衆意識、特にメディアの意識を支配している。- ひとたび戦争が勃発すれば、戦争は意識の独裁者となる。私たちがどう感じ、考え、知覚し、行動するかを決定するのは、もはや覚醒した自己でも、理性でも、共感する能力でもない。戦争は、自分が演じたい芝居のために人間の役者を探しているようだ。彼らがそれに気づかず、反省することもなく、怒りと恐怖の一方通行に役者を送り込むのだ。

 

無意識の中の神々

 マルテ・ネルスは、1929年にカール・グスタフユングに言及し、現代の覚醒した人間は、私生活だけでなく公的な役割においても、人々の思考、感情、行動を決定する無意識の魂の力の影響下にあると証言した。C.G.ユングによれば、現代人は、神々の古い陰謀をとっくに捨ててしまったと自惚れることができると考えている。

「しかし、私たちが克服したのは言葉の亡霊にすぎず、神々の創造に関与した精神的事実ではない。私たちはいまだに、自律的な精神的内容に、あたかもそれが神々であるかのように執着している。それらは今、恐怖症、強迫観念などと呼ばれ、要するに神経症的症状と呼ばれている。神々は病気となり、ゼウスはもはやオリンポスを支配しているのではなく、ソラリス神経叢(太陽神経叢)を支配している。そして政治家やジャーナリストの脳を混乱させ、知らず知らずのうちに精神的伝染病の引き金となっている。」

 アメリカの精神分析学者ジェームズ・ヒルマンもユングの考えを引き継ぎ、戦争現象に関連づけた。特に彼の最後の著書のひとつである『戦争の恐るべき愛』では、戦争は国家指導者による重箱の隅をつつくような決定の結果ではなく、関係者の理性的な自我よりも強い意識の力から生じると述べている。戦場だけでなく、デスクワークの現場でも、あるいは単にニュースを読んでいるときでも、人々の知覚、感情、そして最終的な行動を決定する原型的(原始的)な力によって、その心理は貫かれている。

 フロイトの精神モデルで「イド」(精神の利用できない動物的な部分)に与えられた役割は、ユングの弟子であるヒルマンによって原型に割り当てられることになる。しかし、ヒルマンもまた古代の世界観に依拠し、こうした古代の人間の経験心理構造を「神々」と呼んでいる。

 彼にとって 「神」とは、「私」の個人的な意志や決定を超えて存在し、関係者の意識を決定する力である。「私」が終わるところで「神々」の領域が始まる。- この点で、ヒルマンは明らかにC.G.ユングを超えている。

 マルテ・ネルスは、神々の概念を、戦争においてだけでなく、何年も前から戦争が不可避であるかのように思わせる、行為者の意識を支配する心理的騒動に役立つ比喩的説明と呼んでいる。しかし、こうした超人的な力を実在の神的存在に帰結させようとする彼の傾向は明らかに顕著であるたとえば、「今日の人間は、その自己イメージにおいて神々とは無縁であり、自分が火星によって決定されるとは信じていない。現代人が火星に支配されやすいのは、火星がナンセンスであることを科学的に暴いたからである。現代人は、悟りを開いたと思っている精神の中で、神々の存在にちて完全に無意識の中で生きているのだから。」

 

結果

 人間の無意識の中にある、いわゆる圧倒的な原型的な力は、神々にまでさかのぼらなければならないという仮定も論理的で一貫している。というのも、何らかの形で「原型的に」世界を浮遊し、人間の魂に浸透する、それ自身で絶対的な、動的な魂的力は存在しないからである。これは虚構であり、一般的な精神分析の非科学的な信念であり、知覚に基づくものではない。というのも、それらはまさに無意識的なものであり、通常の意識の中では、上に述べたような作用だけが顕著に現れるからである。魂的力は魂からしか発しないのだ。そして、もし魂的力が、人間の魂の方において、人間のそれよりも強いと証明されるなら、それは超人的名存在の魂から来るに違いない。

 しかし、これらの結論が論理的に説得力があるとしても、まだ曖昧なままである。無意識の中で働いている神々、この場合は古代に "火星 "として知られていた戦いの神だが、それ自体が意識に引き上げられる、つまり意識的に認識されるようになって初めて、科学的に確かなものになるのである。

 マルテ・ネルスは、この次の論理的なステップに踏み出せないでいる。

 彼は、すべての古代文化における神々の認識は、現代人の能力の一部でしかない論理的推論によるものではなく、歴史を遡れば遡るほど強くなる本能的霊視能力によるものであることに気づかなければならないだろう。しかし、このような意識状態は、人々が高次の霊世界の圧倒的な経験によって行動を決定され、完全にそれに依存し、自由がなかったことを意味する。

 超感覚的な存在に対する霊視的な知覚が徐々に失われていったことで、一方では、人間の意識が神々やその世界から完全に切り離され、他方では、人間がもはや圧倒的な神々に導かれることなく、自らの悟りから独立して行動できるようになるという、内的な独立と自由がもたらされたのである2

 人類の発展は、当然ながら創造主である神々によって導かれる。神々は人間の自由を望み、それゆえに常に自らを抑制しているのだ。しかし、堕落した邪悪な力は違う。これらは人の意識に働きかけ、それを圧倒し、自分たちに有利なように人々を自滅へと導こうとする。これが、今日私たちが直面している大きな課題なのだ。

 

意識の拡大

 これは、魂の中の邪悪な力の圧倒的な働きに気付き、同時に、善なる神々の存在を認識することによってのみ、実現することが出来る。否定的なものは肯定的なものなしには論理的に存在せず、必然的に肯定的なものを前提とするからである。というのも、否定的な力は肯定的な力なしには論理的に存在せず、必然的に肯定的な力を前提とするからである。このことは、以前の人々が本能的に持っていた、善良な神々を含む神々の霊視的な知覚を、今日、意識的で自由な意志によって、強く、自己に根ざした自由な自我を獲得した後に、再び発達させなければならないことを意味する。さもなければ、人類は破壊と死の勢力の奈落の底に落ちてしまうだろう。

 このような意識の拡大が可能であるという事実は、いまだに誤解されることの多いルドルフ・シュタイナーによって、認識理論の観点から説明され、人間に内在する魂的・霊的知覚器官を目覚めさせるための訓練経路の記述の中で、体系的に示された。高次の存在に対する認識は、科学の基礎を築くものであり、科学はその対象が何であろうと、常にこの2つの要素から成り立っている: 現象の認識と概念的浸透である。こうして宗教は、科学、精神科学へと段階的に高められていくのである。それゆえルドルフ・シュタイナーは、「人智学的志向」(人間中心)の精神科学への道を開いたと主張し、そこから多くの研究成果を発表したのである。

 しかし、それ以前にも、自分の意識を観察し、自分の魂に見出される思考、感情、意志の衝動の性質を調べることによって、人は自分の魂に悪しき力が現実的に働いていること、そしてその有効性に気づくことができる。人は自分の意識の内容に対して責任がある。なぜなら、その意識が、非常に具体的な結果をもたらす行動につながるからである。このように、ルドルフ・シュタイナーはその著書『自由の哲学』の第二付録の最後で次のように述べている。

「人は、理念と体験的に対峙できなければならない;そうでなければ、人はその束縛を受けることになる。」

 理念の内的な質と有効性を経験することが、その試金石なのである。

 

まとめ

 現在の政界の戦争者連中は、自分たちの感情の内なる怒りや思考の独特な冷徹な論理がいかに非合理的であるか、そして自分たちが実際にはどんな糸で引かれているかに気づいていない。この状況は非常に危険である。

 マルテ・ネルスはこのことをこう指摘している:

「近年のドイツ世論を支配している神経症的な奇妙さを理解したければ、何が起きているのかを心理学的に深く考察することを避けては通れない。ドイツ労連会長でもあるカタリーナ・バーレイのような軍事的にまったく経験のない政治家がEUの核爆弾を奨励する一方で、アンゲラ・メルケルの元軍事政策顧問エーリッヒ・ヴァドやアンゲラ・メルケルの元軍事顧問のようなベテラン軍人や、 エーリッヒ・ヴァドや、元ドイツ軍監察官でヘッケラー&コッホ社の元監督委員長であるハラルド・クジャットは、ウクライナ戦争におけるバランスの取れた現実的な展望や交渉、和平の視点を支持している。煽動家たちが見出しを独占する一方で、ヴァドやクジャットは、例えばアリス・シュヴァルツァーの『エマ』に記事やインタビューを載せなければならない。旧来のフェミニストと軍隊 - なんて茶番なんだろう、あるいは最終的に生死の問題でなかったとしたら、神聖な喜劇だ。」

 合理的な観点からすれば、ドイツの戦争推進派が大衆に感染させ、彼ら自身が感染し、内部で突き動かされているように見える、やむを得ない必然性に従うのは難しい。彼らの意識には、それらは明らかだった:

「ロシアとの戦争に備えなければならない。」ボリス・ピストリウスは対露戦争の開始時期を「5~8年後」とさえ考えている4 。- しかし、もっと早くからできることは確かだ。

 他の人々をマリオネットのレベルまで「目覚めさせなければならない」と考えている人々は、なかなか正気に戻らないだろう。したがって、したがって、より多くの人々がより深い背景に目覚め、「やめろ」と呼びかけることがより重要なのである!【核戦争の】5分まえなのであ。

 すべてを破壊する第3次世界大戦へと向かう展開を鑑みれば、過去2回の世界大戦の警告だけでなく、人類最大の神の英雄であるキリストの犠牲も忘れてはならない。イースターの日曜日に集まった弟子たちの深い記憶の力により、復活したキリストは、次のような言葉をもって彼らの真ん中に足を踏み入れたのだ。

「平和があなた方とともにあるように。」

 

 この神聖な平和は、平和とつながるすべての人間において経験することができる。そこから、まったく異なる行動が生まれる。愛と平和の神に対して、私たちを戦争と破壊に駆り立てる悪の勢力は立ち向かえないのだ。

 未来は人間の手の中にある。

 

 ヘルベルト・ルートヴィヒ

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 第2の論考で示唆されていたのは、西側の指導者達が悪の霊的存在により憑依されているという可能性であると思われる。

 実は、それもまた、第1の論考が論じているように、第一次世界大戦時と同じ状況と言うことができるようである。第一次世界大戦時の各国の指導者達が置かれていた霊的背景についてシュタイナーは解説しているが、それによると、霊的力によって、彼らの思考能力が鈍らされていたということが示されているからである。

 そして、その様な状況をよく表わしているものとして提示されたのが、今回の記事の冒頭の絵なのだ。

 シュタイナーは、今後の人類の霊的発展には、ドイツなどの中欧国と東欧のロシアとの連携・強力が必要であるが、これに対抗しようとするアングロサクソンの勢力があると指摘している。そしてこのために実際に行なわれたのが第一次世界大戦であり、そのような背景のもとに、今またウクライナの事変においてロシアとドイツの徹底的な対立・分裂が作り出されようとしているとみることが出来るのだ。

 経済的理由で、アメリカに対抗しうる可能性をもったロシアとドイツの連合を阻止するというアメリカの隠された狙いはこれまで指摘されてきているが、人智学派としては、その霊的背景を考えなければならない。

 何人かの国家元首や専門家は、最悪の事態は今後数ヶ月のうちに起きるだろうとしている。また、そのようなことから、一般市民にすぐに非常時の備蓄を行なうように薦める者もいる。まさに「5分前」なのだ。

 

 最終的には人類の理性や良心が勝つのではないかと(霊的力も働いているだろう)、私は期待しているのだが、世界大戦と言って思い出すのは、ソロヴィヨフの「アンチ・キリスト」の預言である。アンチ・キリストは、世界的動乱、混乱の中から世界に登場してくるのだ。それをむしろ求める力があるとするなら、予断を許さないと言わなければならないだろ。人類が今、崖っぷちにいることは間違いないようである。

 言わば、人類は、今、黙示録的状況にいるとも言えるのだろう(だが今は、決してヨハネの黙示録が述べている「その時」ではない)。しかし、ヨハネの黙示録が最終的に示したのは人類の新たな霊的時代としての「新エルサレム」であった。今回においても、この世界的困苦を乗り越えた先には霊的曙が待っているのではなかろうか。