k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

アーリマンの目的とは ②

アーリマン(下)とルチファー(上)の間のキリスト

 前回は、「アーリマンの死後生への働き」について見てきた。今回は、後半として、カルル・シュテッグマン氏の『もう一つのアメリカ』をもとに、更にアーリマンが自ら地上に受肉することにより何を目指しているのかを探る。(「 」内は、『もう一つのアメリカ』より引用)

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アーリマンの受肉と彼の目的

 「正しい瞬間にアーリマンが地上の肉体に場所を得るために、ある人間が準備される。彼が既に多くの人間をとおしてあらゆる分野で執筆者として活動しているのは、それを進めているのである。

 アーリマンは、自分の受肉を自ら準備している。それは、その受肉する体そのものであり、またそれが活動しやすい社会である。「執筆者」とは、アーリマンが、地上の人間をとおして、アーリマン的思考方法や文化を世界中に流布しているということである。現在であれば、書籍だけでなくネットに流れている情報も含めてであろう。

 実際に受肉すると、その活動は更に強化される。

 「シュタイナーは、次のように語っている。『アーリマンが正しいときに、西方で受肉すると、彼は、秘密の学院を創立するだろう。そこでは、途方もない魔術の技が追究され、通常は努力してのみ獲得されるすべてのものが、人類に注がれるだろう。』(以下、引用文はシュタイナーによる)彼は弟子達に、彼らの思考を変えることなく、超感覚的な知識を伝えることができる。アーリマンは、現在ある思考を維持したいのだ。

 かつて、アーリマンは、ミカエルの霊界の学院に対抗して、地下に学院を置き、自分の配下の人間や霊的存在を教えてきた。ミカエルの霊界の学院が、その後、地上で人智学として結実し、多くの人智学徒を生んだように、その受肉後は、地上に魔術の学院を置くということであろう。秘儀参入において霊的能力を得るには、道徳面を含め、厳しい修行が必要であるが、アーリマンの学院ではそれが容易に得られるようになるのである。

 さて、しかし、「アーリマンは、一方で、著述家として、今日の知識と思考を作り出すために、あらゆる事をなすなら、なぜ、人間に霊視力を与えるのだろうか。」本来の霊視力は、エーテル界のキリストを見る能力でもあり、アーリマンにとって不都合なはずである。なぜか?

 「アーリマンは、人間に起きることを、霊的側面についてもよく知っており、人類が自然の霊視力を獲得することも、それがエーテル界でのキリストの出現に向かうことも知っている。この能力は、今、次第に強くなっている。全てが一度霊的なものに移行するのである。これを、自分の考えで造り出したいのだ。アーリマンがもたらす霊視は、霊学[人智学といっても良い]が発展させるものとは根本的に違うものとなるだろう。アーリマンにより作り出された霊視では、各人が自分の主観的なビジョンを持ち、他の者のビジョンとは異なるものとなる。人々は、ただ争うようになるだろう・・・しかし、人は、結局自分の物語に満足するようになるのである。』・・・現在の知的思考、感情生活、自分の中の衝動世界を変化させようとしないなら、・・・アーリマンが本能と衝動の世界を捉え、それを霊視的イマジネーションに変えるだろう。

 つまり、アーリマンが与える「霊視」は、本来のものではなく、各人の主観が造り出した偽りのものなのである。制御すべき放縦な本能と衝動が霊視的イマジネーションとして現われ、むしろ人々の間に混乱をもたらすものである。

 「『本来は利己的で、その人にのみ属する衝動世界は、そこに生きるヤーヴェ神から解放される。するとそれは、浮上してきて作用するが、意識されずに、表象世界をそのイマジネーションで貫く。彼は、霊視、ビジョンを得るのである。しかし彼が体験するのは、すべて、自分の衝動世界にあるものである。このもやのようなイマジネーションが、全宇宙であるかのように人を欺くのである。』人は、自分自身を体験しているだけである。

 『重要なのは、霊視であるこの未来の英知から、アーリマンを遠ざけることである。・・・それには、アーリマンが地上に現われるまでに、自己の努力により、霊学の内容を獲得することである。』・・・アーリマンは、地球の支配者に、ドッペルゲンガーは、人間の発展の支配者になろうとしている。」

 実際世の中には、多くの「霊能者」がいる。しかし、その見えているものは、実際には、単に主観的なものが投影されているのかもしれない。やはり判断の基準となる人智学等の知識や冷静な理性が必要であろう。

  各人が自分の世界で生きるというのは、まさにコンピューター上の仮想世界で実現している。現実の自分を離れて、自由に自分の欲望を追求できるのだ。あるいは、映画「マトリックス」のように、脳神経を操作され、現実と仮想の区別がつかなくなり、各人がそれぞれ別の仮想世界にいながら、それを知らずに生きていくというような事態がやってくるかもしれない。

 

 キリストによるゴルゴタの秘儀は、霊界から引き離され、悪の霊に支配されつつあった人間を救い出すためのものであった。

 「『ゴルゴタの秘儀が起きなかったら、これらの存在は、人間に死がカルマとして予め定められていても、人間の中に留まり続ける可能性を獲得しただろう。それらは、人間の発展に対する勝利を得て、地上における発展の支配者となっただろう。』これらの存在は、人間本性の死を獲得しようとしているが、まだそうなっていない。キリストは、ゴルゴタの秘儀を通して、復活した体、ファントムを造り出した。それによってのみ、人は、死後において完全な自我意識を保持し、不死性を獲得できる。自分自身を知り、それにより、霊的に地球と結びついたままでいることができる。不死性とは、死後も自分の意識を保つことである。」

 シュタイナーは、キリストが復活してもたらした復活体をファントムと呼んでいる。これは、エーテル体とも異なり、形態体とも呼ばれ、人間の形態、すなわち実際の肉体の超感覚的な原型のことを言う。それは、ルチファーの働きによって破壊が進んでいたのだが、それをキリストが修復したのである。それにより、人は、死後も自我意識を保持し、霊界を上昇していくことができるようになった。これに対してアーリマンのもたらす不死性(アーリマン的霊的体)が実現していたら、アーリマンは、死者を支配し、人の死後にそれを本来去らなければならないドッペルゲンガーは、死後も人に取り憑き続けることができるようになるのである。

 

 人間を地球に押し留めようとする霊的存在は他にも存在する。

 「シュタイナーは、違法に地球に住んでいる、月、金星、水星存在について、次のように語っている。『これらの存在は、私がアーリマン存在に分類しているものと同じものである。彼らは、人間を可能な限り地球にとどめることを使命としている。』」

 これらの存在は、地球は一度物質的に消滅し、木星状態に移行していかなければならないのだが、「これらの存在は、それを阻止しようとする。彼らは、人間が、定め通りに地球と共に最後まで発展を遂げ、木星状態に成長していくことを阻止しようとする。地球を今のままの状態にとどめたいのである。人間の未来を奪い、全く異なる発展をさせたいのである。

 『これらの違法な存在者達は、睡眠中の人間に地球のエーテルからエーテル体を与えようとしている。それはほとんどうまくいかないが、ごくたまにうまくいくのだ。』正常なエーテル体は、宇宙的な世界エーテルから集められる。地球のエーテル体は、宇宙の英知を自身に担うことはできない。地上の英知、地上の思考を担えるだけである。人は、そのようなエーテル体によって地球に縛り付けられ、宇宙から切り離される。『アーリマン存在が、それを成し遂げると、人間は、死後、自分をエーテル体にとどめておくことができるようになる。普通、死後、エーテル体は2,3日で分解していく。しかし、人間は、エーテル体に留まるようになり、次第に、エーテル的な人間種族が生まれてくるのである。するとそれによって、地球は保持されることができる。実際、地球の固体及び液体の構成物の中には、地球の終わりまでに人類を次第にエーテル的幽霊にしてしまい、正常な地球進化が達成されないようにしようとする存在の一団がいるのである。』人は、死後地球のエーテルにより新たに造られたエーテル体に留まるようになるだろう。このエーテル体は分解しないからである。宇宙の高みにのぼることができず、自我のない魂存在としてずっと地球に縛り付けられるのだ。シュタイナーは、この事象を、「死者における霊体の地球(地上)化」と呼んでいる。」

 「違法に地球に住んでいる、月、金星、水星存在」とはどのような存在なのかについては、よくわからない。シュタイナーはあまり説明をしておらず、霊的ヒエラルキー(天使)の一種なのか、そうでないのかなど、人智学派の間でも見解が分かれているようである。

 人のエーテル体は、本来、宇宙エーテルからできているのだが、それを、地球エーテルに置き換えようというのである。それが成し遂げられると、人は、死後、その地球エーテルに留まり、その先のより高次の霊界に赴くことがなくなるのである。そこに新たに、エーテル的な人類が生まれるのである。

 さて、現在、ワクチンによる大量殺戮が進んでいると言われる。そのワクチンを打つと、死後に、地球に縛られることになると語る人智学者もいる(このブログの記事「コロナ・ワクチンー霊的観点から」参照)。これはまさに、アーリマンやドッペルゲンガーのための新たな人類を創造する思惑と関連しているのだろうか。

 ワクチンの目的は人口削減にある、という主張が存在する。しかしなぜ、支配者達の生活を支えるために本来必要なはずの人間達を、既に従順でおとなしくワクチンをも受け入れるようになった人間達を大量に殺戮しなければならないのかという疑問がある。悪の霊的勢力は死者の力を自分達のために利用するというので、それが理由かと思っているが、それにしてもワクチンにより結果的に将来に向けてもたらされる死者は膨大になることが予想されることから、何か他に理由があるのかと思っていたが、上にあるように、アーリマンの影響下に死んだ後に生まれる「エーテル体幽霊」を作り出すことが目的なのだろうか?

 

 更にアーリマンの目的が語られる。

 「ルチファーの受肉の使命は、物質的な器官である脳を創造し、地上に思考を生み出すことであった。ルチファーは、地上で、初めてこの頭脳による思考活動を行なった存在である。アーリマンは、これと対極の目的、つまり、物質的頭脳に依存しないようにすることを使命としている。彼は、地上で知的な活動をしている思考を手に入れたいと思っている。これは、地上の知識とそれにより今日の思考方法もまた数多くの本の中で保存されている多くの図書館で見ることができる。

 実は、シュタイナーによれば、文字や印刷術の出現自体にアーリマンが関わっているという。それらは、思考を固定化するものである。死んでいる思考とも言えよう。確かに、文明の発展はこれらなくしては存在しないが、文字によって人間や宇宙の存在全てを表現することはできない。人の営みについても、書き記された歴史が歴史となるのだが、それが真実を伝えているとは限らないことは言うまでもない。

 「アーリマンが、一方では、物質的地上生に保持するだけでなく、唯一の認識の源泉にしようと望んでいるこの思考は、他方で、死後に、人間のエーテル体とともに分解していくことはない。脳と離れて、更に生き続けるのである。それにより、アーリマンは、それまでもてなかった権力をもつようになるだろう。エーテル体は、生きている思考体である。しかしそれは、その生きた力を失い、干からびてしまうこともあり、すると純粋な頭脳思考が生まれる。エーテル体のうちに生きているものは、宇宙のエーテル的実質から人間に織り込まれたものである。それは、宇宙から完全に引き剥がすことはできない。それは、引き続き、宇宙的なエーテル事象を人間の体組織に送り込んでいる。この人間の内部で継続されているものが、エーテル組織なのである。ゆえに、死後、人が自分のエーテル組織の中にいることを意識する瞬間、この意識は、宇宙意識へと変様し始める。人は、世界エーテルを、自分のエーテル組織と同様に自分自身の存在の中にあるものと感じるのである。エーテル体は、すぐに世界エーテルに分解していく。』エーテル体の分解は、地球意識の宇宙意識への変様を意味する。また人が宇宙の中で発展を続けることを意味する。

 エーテル的思考と物質的思考がある。エーテル体は、宇宙エーテルと常に交感しており、つながっている。それで、死後、人はそれを認識するようになり、エーテル体は世界エーテルへと分解していくのだ。

 アーリマンは、脳に結びついた知的で干からびた思考を造り出そうとしている。それは、人間を離れて存在し続ける。それが具象化したものが書籍や、現在であればコンピュータの記憶媒体に保存されたデータであろう。

 これに対して、

 「干からびた思考に生命を与え、それにより思考をエーテル化、霊化することが、人智学の使命であるそれにより、思考は脳から次第に自由になる。それは自らを宇宙に開く。」

 人間の意識は、本来、身体(脳)に依存しない。所謂「臨死体験」は、それを表わす現象である。霊界を認識するとは、脳から自由になることなのである。

 アーリマンは、キリストに対抗し、「復活体」を造る。

 「アーリマンの『復活体』は、思考する意識を、死を超えて人に与え、『永遠の命』を与える。しかしそれは、ただ保存された地球とのみ関わる。キリストは、古い地球から新しい地球-木星状態-を造ろうとしている。アーリマンは、それを包んでいるエーテルと共に古い地球を、自分の住処とし、そこから新しい自分の惑星を造り出すために、保存し、濃縮し、硬化しようとしている。知的な思考を、『地球化されたエーテル体』により死後の生-もはや物質的脳がないにしても-のために保存しようとしている。」

 神々の定めた地球の進化によれば、地球段階の次は木星段階となり、キリストはそれを目指しているが、アーリマンは、それを奪い、自分の惑星を造ろうとしており、そこで用いる思考をも準備しているのだ。

 ここで思考があたかも1つの「もの」のように語られていることは奇異に感じられるかもしれない。これはつまり、常識的には、脳が思考(その内容)を造り出していると考えるからである。しかし、事実は、人の意識は本来肉体に依存しないし、思考により生み出されたものは、人を離れて霊界に存在することになる。あるは、古代においては、思考は、空気のように外から人の中に「入ってくるもの」であった。その様な時代には、まだ人間は、自分で思考を造りさせなかったのだ。

 アーリマンは、死者を地上エーテル体に留めるように、地上において生み出された思考を保存したいのだ。

 

 既に何度か触れてきた、欧米のアーリマンに奉仕するオカルト結社について、次に述べられる。

 「その中では、しばしば参加者を死後も結びつける魔術的儀式が執り行われている。結社の目的のために、死後も活動しようとしているのである。『ある種の儀式的魔術的結社のサークルに入った者達は、死を超える力、言わばアーリマン的不死を得る。彼らが属する結社は、彼らにとって言わば城であり、本来は物質的な死までしか生きるべきでない彼らの力が、死を超えて生きているのである。このような考えが今日、多くの人に生きている。人が、個人として活動するだけでなく、その様な結社の道具として活動することにより成り立つ、アーリマン的不死を獲得するという考えである。』

 この儀式で何が起きるのか? 逸脱した天使が、儀式の間に、人に意識されることなく、人々のアストラル体エーテル体、肉体に、それらを造り変えるために作用するのであるそれにより、もはや、輪廻を生きていく永遠の人格を保持することができず、代わりに、アーリマン的不死を求めるのである。アーリマン的不死には、地球状態を保持するという目的が加わる。」

 アーリマン的不死とは、自我(魂)のない不死である。生き続けると言っても、主体性はなく、言わばアーリマンの道具として存在を続けるにすぎないのだ。

 

 「シュタイナーによれば、『人は生まれるときに、新しい意志を持ってくるが、思考は、それとは離れて、人の脳を発見する。意志は、体の他の部分を自分のものにする。生きている間は、意志と思考の間に不断の相互作用が存在する。意志が思考を支配しており、人は、意志と思考から構成されたものをもって再び死を通っていかなければならない。アーリマンは、それを阻止する。意志が分離され、思考がただ人の中でのみ形成されることを望んでいる。それが実際に起きてしまうと、人は完全に人格(個体性)を失ってしまう。人は過重に本能的に形成された思考を持って死ぬこととなる。しかし、人は、この思考を保持できない。アーリマンは、それを自分のものにすることができる。そしてそれを残った世界に加えると、この思考は、残された世界で働き続けるのである。現在の唯物主義が続くと、アーリマンの力が強くなり、人から思考を盗み取り、それを地球に付与して作用させることができるようになる。すると、本来は、滅んでいかなければならない地球が保持されるのである。アーリマンは、一方で、思考を獲得するために、意志のない思考を望んでいる。他方で、宇宙的意識に導く宇宙的エーテルでなく、地上的エーテルから織りなされたエーテル体を人間に付与したいと望んでいる。自我のない思考を造り出せば、この思考を自分のものにして、自分の考えで用いることができるのである。地球を硬化するために、地球にそれを注ぐのである。」

 人の意識作用には、感情、思考、意志があり、アトランティス時代にそれらは不調和に陥ったと言われる。独立性をもっているのである。意志は自我意識と結び付きが強い。思考は意志から分離されることにより、アーリマンに奪われてしまうのだ。思考の主体は自我であるが、地上においてはアストラル体エーテル体が必要であり、アーリマンは地上的エーテル体を造り、地上的思考を担わせ、それにより自分の地球を造ろうとしているのだ。

 

 アーリマンが受肉するということは、アーリマンの地上での働きが頂点に達するということである。すると、彼と彼の従者達が長い間努めてきたが、今までなしえなかったことが可能になるという

 「地上的思考を人間の脳から切り離し、それを死後の世界に持ち込むのである。これをアーリマンは数百年の間実現しようと努めてきており、一部は、自分の力で、可能となるだろう。その時、彼の道を歩む人間達は、死後も自分の思考を保持し、思考力だけでなく、記憶も維持して、自分が造り出した知識を持ち込み、拡張することができるようになるのだ。それにより、そうした人は、肉体がなくなっても、地上での自己意識を維持できるのである。しかしそれは、実際の自己存在の意識ではなく、制限された地球エーテル的意識である。人々は、自由な自我を展開することができず、アーリマンの道具である、一種の思考する集団的存在になるのである。それは、地上の人々への影響力と世界を破壊する力の点で、従来の死者達よりずっと強力になる。加えて、不正に地球で活動する、月、金星、水星存在達によって、地球エーテルだけからなる新しいエーテル体を人間に植え付けることに、アーリマンは成功するだろう。そのエーテル体は、持ち去られた意志のない地上的思考の、記憶と死後の新たな自己意識の担い手になるだろう。それによって、ドッペルゲンガーによっても、その様な人間が死んだ後にもそこに留まることができるようになるのだ。ドッペルゲンガーは、人が死後宇宙意識に移行することにより、もはや自分の意識が消え去るおそれがない。地上的になったエーテル体と地上的思考に住み続けるのである。そして、死者を、その地上に向けられた思考と行為に強めるのである。」

 このようなアーリマン的不死を獲得する最初の者は、アーリマンに奉仕し、儀式を行なう結社の指導的人間だという。彼らは、死後も、その目的をより高められた意識で継続して追求できるようになる。

 アーリマンの王国の住人には色々な種類がある。

 「アーリマンの無意識的な道具である人間、意識的な、共に働く人間、天使、大天使、アルカイそして堕落した形態の霊としてのアーリマンである。」

以前「古代メキシコの秘密とアメリカ」で触れた「メキシコの黒魔術師」のような、秘儀を受けた者達もいる。彼らは、

 「キリスト意識を地球から取り去り、宇宙の光が輝かないように地球を暗くし、地球発展の主導権をえるための認識を発見でき、宇宙に、地球圏を越えて昇っていくことができるようになるだろう。黒魔術的秘儀参入者の困難は、生命を殺して、冷たい、心のない思考を自分の内に造り出すことにより、強く地球の重力に捉えられ、自分の力では宇宙的高次世界に昇れないことであった。彼らは、驚きと共に地球を去る犠牲者の魂の中で、自らを望む世界へと運ばせるために、人々を殺さなければならなかった。その様な高次世界への上昇は時々しか起こらなかったので、常に秘儀参入者は努めたのである。アーリマンは、地上への受肉と、それにより強まった力により、これを可能にする。

 アーリマンの受肉は、その従者達の力を強めるのである。こうして、アーリマンは、彼に結びついた人間達と霊的存在達を正当なヒエラルキーから分離し、自分自身のヒエラルキーを造るのだ。神々に対抗するアーリマンの軍団である。

 本来の天使群であるヒエラルキーの大天使は、人間に、人類意識を与え、それが、人間を正当なヒエラルキーに結びつけるのである。人類意識の発展により、地上的拘束、国家的言語や、民族、血族的共同体から人は自由になるのだ。しかし、

 「アーリマン的大天使はそえを妨げるのである。彼らは、今やアーリマンの道を歩まなければならない。新しく獲得された彼らの力により、アーリマンは、ローマ時代から努力してきたことがうまく行くようになるのだ。それは、強固な中央集権により、内と外に向けて、地上に支配権を獲得し、更に地上における全ての自由な自我の発展を不可能にする新たな世界帝国を打ち立てることである。

 このようなアーリマンにとって最大の敵は、真の霊的認識、宇宙的英知である霊学である。アーリマンは、地上から霊学が消え去ることを望んでいる。

 「アーリマンは、新しい認識、発見、発明、人体の操作により、人間の魂の形成に決定的な影響を与え、技術の分野で、機械的あるいは唯物主義的なオカルティズムの方向に更なる成果を導入することに成功するだろう。アーリマンは、自分の受肉により新しい惑星への礎石を置くのだ。

 新しい発見、人体への操作とは、まさに、遺伝子技術を利用した現在の「ワクチン」ではないか。死者も生者も、アーリマンによって操作され、本来の自然のあり方を奪われるのだ。それがアーリマンによる新しい惑星創造の出発点なのである。

 今、ネットでは仮想世界の構築が本格化してきている。日本でも「ムーンショット計画」なるものが政府により打ち出されている。「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」するというのだが、本当にこんなものが必要なのだろうか。そんなものを求めている人がどれほどいるというのだろう(実際に求めているのは、これに関わる業界くらいだろう)。

 これは、アーリマンによる新しい惑星(世界)のカリカチュアに他ならない。あるいは、それへ進むために、人々の潜在意識に訴える前段階の役割を担うものだろう。

 

 アーリマンの受肉により、地球を巡る戦いは、決定的な段階に入っていくことになる。 これは恐ろしい戦いである。しかし、人類に迫っている危険に、怖じ気づくことなく、はっきりとみつめなければならない。

 アーリマンとの戦いは、それを人類の霊的発展のために役立てることでもある。そのためには、アーリマンの働きをしっかりと認識することである。

 「シュタイナーは、次のように述べている。『人間の次の文明発展のための使命は、アーリマンの受肉がより高次の霊的発展に役立つように、完全に意識的に、アーリマンの受肉に対峙することである。』受肉の前、さなか、その後に、アーリマンの働きを、人類のより高次の発展に奉仕させることは可能なのである。」

 それに役立つのが、人智学(精神科学)などの霊的認識である。

 「『いつも秘儀参入者により語られたことは正しい。霊的な英知からくるものが人に流れ込むとき、アーリマン的諸勢力にとって、それは闇という大きな恐怖であり、また燃え尽くす炎である。今日、アーリマン的学問で一杯の頭の中に住むのは、アーリマン的天使には良いことである。しかし、霊的英知に満ちた頭は、アーリマン的天使にとって、燃え尽くす炎や、暗闇の大きな恐怖と受け止められるのである。その様なことを真剣に受け取れば、アーリマンの諸勢力と正しい関係を築くことができ、世界の救済のために、燃え尽くす犠牲の炎の場所、有害なアーリマン的なものに闇の恐怖が差し込む場所を、我々自身が打ち立てるのである。』その様な場所が、西方には必要である。」

 アーリマンは、人に知られることを恐れている。知るとは、その本質を認識することである。人は、アーリマンをも驚かすような「霊的英知に満ちた頭」を造らなければならないのだ。

 一方で、アーリマンに対抗する地上の霊的潮流への攻撃は強まっていくだろう。おそらく、第2次世界大戦においてナチスにより人智学が攻撃されたように、今後、人智学などに対してあからさまな攻撃が起きることも考えられる。

 現在は修復されているようだが、人智学協会は、シュタイナーの死後、指導者間の分裂対立を起こしたことがある。これは、内部に入り込んだ魔の力の影響もあるだろう。これまで密かに行なわれてきた攻撃が、今後、表立って行なわれる可能性があるということである。

 コロナやウクライナ問題においては、政府に反対する人々は排除されてきている。このようなことはあらゆる分野に拡大していくだろう。「非正当的な考え」がパージされるのである。

 ネットでは、「非科学的」な内容の排除が既に進んでいるようだ。このブログのような人智学を扱うブログが排除されたとき、アーリマンが受肉しているのは間違いないだろう。