シュタイナーが、転生とカルマの教えの現代における復活という使命をもっていたことは既にこのブログで述べたことがあるが、この問題について今回も触れたい。
https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2023/06/28/084042
東洋では、こうした考えは途切れることなく伝えられてきたと思われるが(しかし現在においては、それを信じる者は多くはないだろうが)、西洋においては、むしろ神霊界の配慮により、一時期、隠されてきたと言われる。それが、人類の霊的発展(個我の確立)のために必要だったからである。
霊あるいは(真の)個我は不滅である。そして、霊あるいは個我は、物質的世界に受肉し、そこで活動することによってのみ霊的に成長できるのだ。そのためには、幾度も転生を繰り返す必要があるのである。
さて、今回紹介するのは、おなじみの『ヨーロッパ人』誌の記事で、著者はトマス・メイヤー氏である。
この論考では、シュタイナーのカルマ研究のきっかけとなった出来事が語られる。それをつくったのは、カール・ユリウス・シュレーアというシュタイナーのゲーテ研究の師に当たる人物である。
興味深いのは、実は、シュタイナーの本来の使命であるカルマ研究は、道半ばであったようであるが、それは、本来他の人物が行なうはずの「人智学」を打ちたてるという仕事をその人物が行えなくなり、代わりにその仕事までシュタイナーが担うことになったからである。このため、シュタイナーが、自分の本来の使命にかける時間が限られてしまったというのだ。そして本来人智学を担うべきはずのその人物こそが、シュレーアであったというのである。
このように二人には深い因縁が存在していたのだ。それは、以下に語られるように、シュタイナーのカルマ研究のきっかけをシュレーアがつくったことにも現われているのだろう。
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カルマの藪と真のカルマ研究
"ヨーロッパ人" 2023年9月2日
ルドルフ・シュタイナーの精神科学におけるカルマ研究とは何か?
シュタイナーはそれをどのように行い、どこから始めたのか。
私達は、音楽の都であり、精神分析発祥の地でもあるウィーンへ導かれる。そこは、カルマ研究発祥の地でもある。
カール・ユリウス・シュレーアとネロ
シュタイナーは、カルマ研究に携わるようになった経緯をこう語る。1990年代、シュタイナーは師であるカール・ユリウス・シュレーアーの『ファウスト』出版を手伝っていた。ある日、シュタイナーはこの件でシュレーアーを訪ねた。それは1889年1月30日未明、マイヤーリングで皇太子ルドルフとその愛人メアリー・ヴェッツェラが心中した直後のことだった。 ウィーンは衝撃に満ちていた。誰もこの行為を理解できなかった。ルドルフは王位継承者であり、オーストリア帝国の全世界は彼のものだった。
シュレールは彼を出迎えると、突然、悲劇に関連する言葉を発した。彼は、「ネロ」と言ったのだ。
骨相学者がシュレールの頭蓋骨を触診し、「神智学的高揚」、つまり神智学的思考の傾向があると診断したことがあった。
だから、彼が、シュタイナーに突然言ったことは、単なる恣意的なものではなかったのだろう。これは、シュタイナーの28歳の誕生日直前のことだった。なぜシュレーアはこのような発言をしたのだろうか?と、思いがけず、シュタイナーは、自問しなければならなかった。その一言が、彼にこの問題を調べるよう促したのである。
そして、シュタイナーの人生におけるカルマの最初の体系的な調査につながった。つまり、それはシュタイナーから直接もたらされたものではない。彼は世界からそうするように促されたのである。シュレーアはシュタイナーのためにカルマの研究の端緒を "もたらした"のだ。
皇太子ルドルフとネロ
シュタイナーは1924年4月27日、ドルナッハでの講演でこのことを報告した(『Karmavorträge』第2巻、GA 236)。ここで初めて、シュタイナーはルドルフに関する研究結果を発表した。このように、カルマに関する最初の研究は、主観的な理由から客観的には困難、非常に困難なものであった。当時、ウィーンには、自分がネロであったと信じる人々が大勢いた。霊学研究が、単に無視したり脇に置いたりすることのできない事実である。シュタイナーは当初、ネロであると主張し、狂信的にそれを唱える人々に狼狽した。彼はそれを乗り越えなければならなかった。そして、今や、人は、「藪」を通り抜けなければならなかった、と語るとき、彼は、イマジネーション的に話すのである。真実ではないことを信じていた人々が作り出したアストラル的な藪。カルマの研究が始まると、すぐにそのような困難が待ち受けていた。シュタイナーは、たまたまそのような困難に聴衆の注意を向けているわけではない。
カルマの研究は真剣さを要する仕事なのだ。真剣さのない人は、簡単に幻想を作り出すことができるのである。
1924年4月27日、シュタイナーは最も入念な研究の後、ルドルフは確かにネロであったと宣言した。シュタイナーはこのことをシュレーアから引き継いだわけではなかったが、シュレーアにはこの真実に対する驚くべき霊感があった。
インスピレーションと直感
しかしながら、インスピレーションはカルマ研究の十分な根拠とはならない。十分な確実性がないのだ。シュタイナーはそのような研究のために、決してインスピレーションだけに頼ってはいなかった。彼の確固たる基礎は、精神科学的な意味での直観イントゥイチオーンであった。そして彼の発展した直観は、シュレーアのインスピレーションが正確であることを確認した。
シュタイナーは、今日流行しているような「妥当性」からよりもインスピレーションから出発した。この「妥当性」は、一挙に「確かなこと」だと宣言するのである。しかし、それについてはまた後ほど触れる。
4月27日はどんな日?4月27日はどんな日なのだろうか。ペルセウスのカレンダー【訳注】によると、何より、紀元前470年のソクラテスの誕生日である。これは1912年のシュタイナーの元のカレンダーにすでに記されていた。ソクラテスは19世紀にゴットフリート・トビアス・シュレーアとして再び現れた。そしてこのシュレーアーは、シュタイナーの父方の友人であり、この講義で重要な言及をされているカール・ユリウス・シュレーアーの父親となった...。
【訳注】ペルセウスとは、メイヤー氏が主催している出版社で、ペルセウスが発行している手帳には、歴史的人物の生没年月日が記されているので、そのことを指すものと思われる。
ゲーテアヌムの形態、シューレの火の夢、カルマのメッセージ
4月27日、シュタイナーは(最初の)ゲーテアヌムの形態について、「カルマを見ることを目覚めさせる」形態であることを強調した。この建物全体が「カルマを見るための教育」の役割を果たすものであり、彼はこう強調した:
「このカルマを見るための教育は、現代の文明の中に入っていかなければならない。」
しかし、1923年から24年にかけての大晦日にこの建物が破壊されたことを考えると、彼もまた認めざるを得なかった。「しかし、この現代文明に入るべきものの敵にとっては、本当の意味で人々を教育するもの、つまり文明に必要なものが燃えてしまうことが当然なのであった。」
エドゥアール・シューレは、この火事について重要な夢を見た。「私は、ゲーテアヌムだとはっきりわかる建物に・・・2つの花をもつ植物を見た。花は互いに接近していたが、異なる種類のものだった。ひとつは木のような色をした固い花で、もうひとつは繊細で、ほとんどエーテルのようだった。どちらの花も突然すっと伸び、無限に広がり、大地に深い穴を残して突然消えた。私は、その穴のあたりが、ヨーロッパであることがわかった。その植物の無限へと伸びる急成長は、ヨーロッパに埋めようのない空白を生み出すという予感で目が覚めた。翌日、私はゲーテアヌムが全焼したことを新聞で知った。」
この建物が突然失われたことは計り知れない。少なくとも前世紀の終わりまで目に見える形で残っていたとしたら、例えば1968年の世代にとって、この建物を体験することは、オリエンテーションであり、カルマを観察する教育であっただろう。
シュタイナーは建物が破壊されることは予想していたが、こんなに早くそうなるとは思っていなかった。シュタイナーは、古い建物で最後の講義をしているときから、刻一刻と災害が起こっていることに気づいていたが、警告にとどめなければならず、自ら直接介入することは許されなかった。この建物は会員達の警戒心の試金石となった。彼らはこのテストに合格できなかった。しかし、シュタイナーは巨大な決断を下した。全焼したもの、つまりカルマのビジョンを目覚めさせる建物の形態を、カルマの講義の不滅の思考形態に置き換えたのである。このことは、まさにネロとルドルフに関するこの講義においてはっきりと把握できる。カルマを覚醒させる形から、まさにこの講義で伝えられているようにカルマを覚醒させる思考へと。
ネロの個性の内的発展と悪の認識
1924年4月27日、シュタイナーはネロの魂の発展の3つの段階を的確に説明した:
- 彼は純粋な欲望から破壊者となった。彼はローマで起こした火を見て楽しんだ。このことは、彼のカルマの背景について疑問を投げかけるが、シュタイナーはこれには触れていない。ネロは、皇帝という地位の力を比較的自由に行使した。
2.外見的には取るに足らないその後の転生で、「数世紀か比較的短い時間後」にネロの魂は再びこの世に現れた。しかし、今度は従属的な立場に置かれた、そこでも「破壊しなければならなかった。」だが、自由な権限によってではなく、命令によって破壊しなければならなかった。シュタイナーは、この第二の転生について正確な時期と場所を示していない。確かなのは、数世紀後、つまり紀元4世紀から7世紀頃ということだけである。重要なカルマの変容の中で、「この魂は今、主権ではなく、自分の自由意志でなく、それ(破壊)を行わなければならないとき、それがどのようなものかを感じる必要をもったのである。」
3 「世界を破壊する放射」が、一度は自分の意志で、一度は命令で、外に向けられたこの二度の転生の後、破壊の方向の逆転が起こる。破壊の方向が、今や内側に向けられたのだ。これがルドルフ存在のカルマ的な背景であり、それにより、自殺に至った彼の自己破壊的傾向が理解できるようになる。
シュタイナーは、意識魂の時代の主な課題を、悪の認識により特徴付けた。たとえネロとして、彼が最初に「途方もない力で」悪の現象を作り出したとしても、「ある程度、ネロの中に、悟性魂の時代におけるこの課題の先駆者を認めることができる【訳注】。「この力は浄化されなければならない。」この浄化は、最初は死後にすでに起こっている。そして、その後の2回の転生での「公正な均衡」の後、「ある状況下で、人間の人生が犯してきたことが、善のための力に変容するることができるのである。」
将来性のある眺望! シュタイナーの真面目な霊的弟子であったルートヴィヒ・ポルツァー=ホーディッツは、ネロの時代以降の、ローマ皇帝の家系とのカルマ的なつながりを自覚するようになったが、1924年4月27日のシュタイナーの説明に触発され、その生涯の終わりには、ルドルフの人生における善の種を追求し、そこから一種の神秘劇を創作した。彼はそれを「ルドルフ、オーストリア皇太子-1882年から1889年までのオーストリアの運命の結び目の魂の霊的イメージ」と呼んだ。その中で、ルシファーとアーリマンが、生きている魂と亡くなった魂と一緒に登場する。
このように、地上でのこの3つの人生の後に、ネロの個性が、良い意味で、悪を認識する一種の専門家として現われ、働くことになる1つの人生を期待することが出来る。そこに、現在と未来のための途方もないその現実性がある。
現代の "カルマ研究"
締めくくりに、この3回の転生を経たネロの個性の存在とその探求と対比させて、今日のいわゆるカルマ研究を見てみよう。この研究は、数年前から『カルマと伝記』(Karma and Biography)という包括的でりっぱな本として出版されている。ホセ・マルティネスの編集によるデータ分析である。
この本にはネロ/ルドルフに関する論文もあり、その中でシュタイナーの研究への明確な言及がなされている。しかし、どのように? ただ並んで簡単に触れられているだけの中間の転生の代わりに、第3の転生として、シュタイナーによって明らかに無視されているスペインのカスティーリャとブルゴーニュのフィリップ端麗公が語られている。
彼は1478年から1506年まで生きていた。従ってシュタイナーが報告しているように、ネロの後の「比較的短い期間」でも「数世紀」でもない。この矛盾は全く触れられていない。シュタイナーに遡るのはネロとルドルフだけで、カスティーリャのフィリップは編集者ホセ・マルティネスの「研究」によって発見されたことが述べられている。触れられている中間の転生(したがって4番目の転生ということになるが、シュタイナーの一連の転生は明らかにこの点について真剣に受け止められておらず、フィリップに置き換えられているため、これは矛盾なくして主張されない)の人格の場合、それはハンセン病を患っていたとも主張されている。シュタイナーの、ネロに続く転生における破壊的な活動の明確な言及は-それは命令によって実行されたものであるが-、「破壊的な効果をもたらした、際立って外に向けられた感情性」へと変異している。そこには、まさに、比較的権勢を持ったネロ以降の跳躍点であった「命令」の痕跡はない。そしてこの論文は、中間の受肉を完全に排除し、この「研究」を要約する際に、ネロ、フィリップ、ルドルフの3人の人物に限定している。言い換えれば、シュタイナーの名を挙げなかった中間的受肉はあっさりと取り消され、フィリップ端麗公に置き換えられているのである。
マルティネスはどこからフィリップの着想を得たのかは説明されていない。しかし、このような時代と事実の表面的な扱いは、良い結果をもたらさない。シュレーアのネロのインスピレーションとは到底比較にならないのである。
私たちは、シュタイナーの研究にも直接言及しているが、それは実際にはそれをあからさまに改ざんしているため、この混乱に踏み込まなければならないと考えたのである。
この本に収録されているワーグナーの "研究 "も状況は同様で、彼は、アベラールの妻エロイーズであり、やや後のアビラのテレジアであると主張している。シュタイナーの唯一の、広く伝わっているマーリンとの関連は、言及されないままである。最後に、雑誌『現代』の編集者であるゲロルト・アレッガーも、マルティネスに触発された「カルマ研究者」としてこの巻に登場している。彼はフリューのニコラス【訳注】という重要な人物を取り上げ、彼をラムセス2世の周辺に位置づけることを意図したもっともらしい話を読者に提示する。最初のもっともらしい話は、突然、確かな知識へと変化する!
【訳注】1417年 - 1487年3月21日。スイスの隠者、禁欲主義者であり、スイスの守護聖人。
今日の「カルマ研究」は、このように、シュタイナーの真剣な研究に対する完全な無知、あるいは意識的、無意識的な改竄のようにみえる。シュタイナーのネロ講演におけるカルマの藪に影響を受けることなく、人は、最も怪しげなインスピレーションの下に新たに働き、新たな「藪」を生み出したのだ。シュタイナーのカルマ研究の成果は、カルマ観照を目覚めさせることを目的とした最初のゲーテアヌムの建物のように焼き払うことはできないが、霊的な思考形態として、霊的な対抗勢力のンスピレーションのもとで、無視したり改ざんしたりすることはできる。ここで短く取り上げた本では、その両方が熱心に実践されている。
1924年にシュタイナーが言ったことを忘れてはならない:
「カルマの真理の全面的な啓示こそ、アーリマンが最も恐れるものである。」
ここに示したようなカルマの藪の形成を、霊的科学の使命に対抗するこの力は恐れる必要はない。それはアストラル界を汚染し、その結果、すべての真のカルマの研究を客観的に妨げるのである。
トーマス・メイヤー
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記事の後半では、メイヤー氏と同じ人智学派と思われる人物のカルマ研究が批判されていた。そこでは、シュタイナーの「改竄」という言葉まで使われており、その指摘は厳しいものであった。
このような主張に、読者の中には驚かれた方がいるかもしれない。(実は、指摘の本を、私は既に買っていたので、私は、その意味で二重に驚いている。)
ここで指摘されたことには2つのポイントがあると思う。1つは、カルマ研究の難しさである。この問題については根拠を示すことが難しい故、誤った推論がまかり通ってしまう恐れがあるということである。
シュタイナーは、高次の霊的認識を持っていたがゆえに、そうした研究が可能であったのだが、外面的歴史的資料のみでは、それこそ藪の中に入り込む可能性がある。十分な検討と慎重な判断が必要だ。現状では、シュタイナーが残した情報が重要な手がかりということになるのかもしれない。
さて、もう一つの問題は、霊的対抗勢力に関わるものである。彼らが敵視するのは、霊的認識が広まることであり、その中でカルマと転生の教えは大きな位置を占めている。これが復活されては困るのだ。そのため、こうした動きには常に攻撃が加えられてきたのである。
それについては人智学も例外ではない。実際に組織としての人智学協会を破壊あるいは変質させる、またはシュタイナーの教えを改竄するなどが行なわれてきたようなのである。
トマス・メイヤー氏は、よくこうしたことを指摘してきているが、今回もその流れにあるものであろう。
今回批判の対象となった著者の意図は、私には分からない。メイヤー氏の批判が完全に正しいかどうかもわからない(上の文章を読む限りでは妥当性があるが)。ただ、間違いなく言えるのは、人智学を標榜する本だからと言って、それが、意図的かそうでないかは別として、すべて純粋にシュタイナーの教えに基づいているとは限らないと言うことである。その著者の個人的解釈、判断が入ることは当然であるが、そこに、別の意図が侵入する可能性もあるのだ。
アーリマンやルシファーは、可能なところならどこにでも潜り込むのだ。
これまでこのブログでは、何人もの著者の論考を取り上げてきた。基本的には、私なりに人智学を理解するうえで有益であると思われるものをのせてきたつもりである。ただ、それが完全に正しいかどうかは、非力な私には正確に評価することは出来ない。あくまで、こうした考えがあるので紹介するというスタンスであるが、そうしたなかにも、悪意のある意図した改竄、変質が加わっているものがあるかもしれない(こうした問題については、いずれ詳しく触れる機会があるかもしれない)。
今更の弁明で恐縮だが、各読者においては、このような点をふまえてこのブログと付き合っていただくことをお願いしたい。
※マルティネス氏の本を出した出版社からの弁明が『ヨーロッパ人』誌の次の号(3月号)に掲載されていたので、その一部分を紹介しておく。
「ホセ・マルティネスとの協力関係において、私たちは常に、何が情報であり、何が確実であるものなのかを区別することに細心の注意を払っている。たとえば、私たちのカルマの本では、一連の転生に関する霊的研究者の情報から始まり、この霊的研究の内容が読者の意識にどのようにもっともらしく受け取られるかで終わるプロセスを、系統立てて説明しようとしている。私たち社員は、転生を直感的に見たわけでも、認識したわけでもないので、それが真実であると確信することはできない。
ホセ・マルティネス自身、自分の研究結果(それは彼にとって確かなものである)は情報として扱うべきであり、例えば、この意図のもと、我々の『カルマ』の「方法」の章で紹介されている道具の助けを借りてチェックすべきであると繰り返し指摘している。」
この本の内容は、マルティネス自身にとっては確信のあるものだが、あくまで情報の1つとして受け取り、他の者により検証されるべきもとである、ということであろうか。