k-lazaro’s note

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キリストの再臨とアーリマンの受肉 ⑥

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John Singleton Copley 「イエスの昇天」

 このテーマの④で、磔刑後に復活したキリストが昇天する際の聖書の記述に触れた(「白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。”あなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります”」(使徒行伝1:11))。
 昇天の時の情景については、この文の少し前に「こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。」(使徒行伝1:9)とあり、上の絵は、この様子をよく表している。つまり、キリストが再臨する時は、キリストがまた雲の中に現れると解釈することができるのである。
 シュタイナーによれば、この「雲」とは、実際の雲ではなく、「エーテル界」のことであるという。エーテルとは、人間を含むすべての生き物の生命活動を司る超感覚的実質で(東洋の「気」に近いとも言われる)、生き物は物質的身体の他にこのエーテルの体をもっているのだが、それは、この世界自体が有しているエーテル界から受け取られたものである。
 このエーテル界にキリストは再臨するのであり、西暦紀元の出来事のように、物質界において再び肉体を得るのではないのだ。そしてそれは、1930年代から人間によって認識されるようになるという。
 エーテル体やエーテル界は、かつて、霊的修行をして霊視能力を獲得した者しか見ることができなかったが、この頃になると、そのような修行をしなくても、人類の霊的進化により、それらを見ることができる能力を自然に備えた人々が出てくるというのである。
 これが、シュタイナーによる「キリストの再臨」である。
 これに対して、キリストがこの世界に再び人間として現れるという考えも存在する。ある人物を再臨したキリストとみる運動が、シュタイナーがかつて属した神智学協会において展開されると、シュタイナーは明確にこれを否定し、シュタイナーは神智学協会と袂を分かつこととなった(この再臨説は、キリストと見なされたその本人によって否定されてしまう)。
 神智学協会脱退後に、シュタイナーが中心となって生まれたのが、人智学協会である。