k-lazaro’s note

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聖書に見る輪廻転生

アントニオのコイン(秘教によれば人の魂は巨蟹宮を通って地上に降るという)

 輪廻転生とカルマについて以前触れた(「人間は一度しか生まれないのか?」)が、今回はその続きと言える。
 前回の記事で聖書にも輪廻転生の記述があると述べた。いくつかあるようだが、例えば マタイ福音書に次のように述べられている。

 「ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。・・・言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。・・・あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。」(マタイ11章)

 エリヤとは、旧約聖書の「列王記」に登場するユダヤ預言者である。旧約聖書の「マラキ書」には、このエリヤについて、「主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす」とその再来が予言されているのだ。イエスは、彼が、洗礼者ヨハネとして転生していると語っているのである(もちろん、正統派の解釈ではこのようには解しないだろうが)。

 

 聖書についての考え方も色々あるだろうが(まさに神からの天啓、あるいは古代人の空想の産物)、シュタイナーの見解にたてば、神霊存在から、霊的能力を持った人間(預言者)を通して人類に贈られたものに外ならない。

 しかし、それゆえ、その解釈は実際には普通の人間には難しいのである。その真の意味を読み解くには、やはり霊的知識が必要なのだ(霊的知識を否定する現代の聖書学者には到底無理なことである)。霊的知識・認識を再び人類が取り戻すためにシュタイナーは活動したのだが、それは、このことにも関連していると思われる(それは未来の「キリスト教」を確立する基礎となる)。

 今回紹介するのは、聖書を、このシュタイナーの教えをもとに解釈するという試みを行なったエドワード・R・スミスEdward R Smith氏の『燃える柴The Burning Bush』の輪廻転生についての一節である。

 スミス氏は、残念ながら故人となったようだが、米国の人智学者である。もともと法律関係の仕事をされていたが、敬虔深いクリスチャンで、シュタイナーを知ってからは、シュタイナー思想に基づいて聖書を理解しようと努め、その成果をいくつかの本にまとめられたのだが、『燃える柴』はその最初期の作品である。

 今回は、この本から、輪廻転生についての記述を紹介する。

 

 以下においては、シュタイナーの前世も語られる。シュタイナー自身は、このようなことを明確には述べていないが、彼の公式のあるいは私的な様々な発言や、シュタイナーの前世とされる歴史上の人物達の伝記等の情報を総合して判断すると、このような結果となるらしい。以下に記されているシュタイナーの前世は、人智学派ではほぼ定説になっているようである。

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旅の途上の柱達【訳注】

【訳注】「柱」とは、人類を導く偉大な指導者達のことである。

 ・・・「闇」の中に「火」の柱として現れた人間の個性を振り返ってみよう(出13,21)。

 聖書は、その旅の記録として見なければならない(ルカ15,11-32、11,5-8、マタイ25,14-30のたとえ話は、すべて「旅」の比喩を使って語られている)。ルドルフ・シュタイナーは、聖書の記述に描かれた人類の航海に大きな役割を果たした、人間的・霊的衝動のある糸-個性(人格)の転生のシリーズ-について、明確な示唆を与えている。シュタイナーの啓示は、その中に巨大な信頼性を感じ始めた人々にとっては、受け入れ難いものではなく、聖書の迷宮のような織物の中に真理と意味を探求する上で豊かなものをもたらすものであろう。ここ数十年の調査で、クリスチャンを自認している人のかなりの割合が、輪廻転生を信じるか、あるいはオープンマインドで検討する意思を持っていることが示されている。しかし、説教壇からの、情報に基づく勇気のある声はどこに行ったのだろうか。会衆の中の思慮深い人々は、「羊のようにさまよい...羊飼いがいないために苦しんでいる」(ゼク10,2、マタイ9,36、マコ6,34)ことはなかったのか?

 この巻の幕間には、カルマと輪廻転生が霊的な現実であるという見解を支持する、豊富な聖典の証拠が示されている。聖書の文章には、以前はなかったところに、深い意味があることが示されている。聖書そのものが、人間の旅路の統合的な記述であり、すべての個人に適用されるものであることがわかる。聖書という船は、カルマと輪廻転生がその底の奥深くにしっかりと積み込まれていることを理解することなしに、人間の将来の進化の航海に乗り出すことはできないということに、今までに多くの人が気づいたことだろう。

 シュタイナーは1910年3月6日に "エーテルにおけるキリストの再臨"というタイトルで講義を行った。これは、現在同じタイトル(RCE)で集められている13の講義の一つとして収録されている。「ルドルフ・シュタイナーと新しい神秘の創設』(RSFNM)の第4章(fn78)において、プロコフィエフは、この講演の重要な側面を、シュタイナーの言葉を見事に言い換え次のように表わした。

 

 この偉大な宇宙の法則に従い、世界を指導する力に奉仕し何かを成し遂げた各個人は、一定の時間の後に、その結果として同様の行為を行うが、それは最初の極と反対の極のように見えるような方法で行う。

 

ルドルフ・シュタイナーは、アブラハムの使命におけるこの偉大な宇宙の法則の働きについて光を当てた」と説明する中で、プロコフィエフは言葉を引用する。

 

 過去から現代(キリスト後二千年)に至るまでモーゼの霊が支配していたのと同じように、現在(キリスト後三千年)はアブラハムの霊が支配し始めている。過去(紀元前三千年)に人類を肉体世界の中の神の意識に導いたアブラハムが、今度は人類を再びそこから連れ出すためである。ある行いをする者は、それを複数回実行しなければならない、つまり、少なくとも2つの時期に実行し、2回目の行いは最初の行いの反対として現れるというのが、宇宙における永遠の古代法である。アブラハムが人類にもたらしたもの、肉体的な意識にもたらしたものを、彼は、再び霊的な世界へと運ぶのである。【訳注】

 

【訳注】アブラハムは、紀元前2000年頃に存在したイスラエル民族の祖とされる人物であるが、シュタイナーは、アブラハムを、人類の中で初めて、論理的思考に適した物質器官を有するようになった者としている。

 

 プロコフィエフは、同章の67節で、プラトンの著作の中で輪廻転生に関する彼の教えを示す箇所を見事にレビューしている(ただし、それらは個々人の「私である」(自我)という明確な概念を欠いていると指摘している)。そしてプロコフィエフは、アリストテレスがいかに「物理的世界に真の関心を持ち」、「地上の思考(論理学)の父であるだけでなく、ある意味では...物理科学の祖」であり、その点で「来るべきキリスト教の真の先駆者、前触れ」となったかを示す。シュタイナーは、ギリシャ人、特にプラトン-アリストテレス-アレクサンダーのグループが、キリスト教普及の道を用意したことをしばしば指摘した。偉大な使徒パウロが活動できたのはその世界であり、我々の新約聖書が与えられたのはその言語であるからである。

 プロコフィエフは続けて、「しかし、このような地球との関係(すべての人間の中で、永遠不滅の「私」である降臨したキリストを燃え上がらせること)が生じるためには、キリスト教の時代が始まる前にその準備をすることが不可欠であったのだ。そして、このことは、地上のあらゆるものを必然的に軽視することとなる、古い形態の輪廻転生の教えを拒否することによってのみ可能であった。」そして、彼はこの文章を続けて、シュタイナーの『人類はいかにして再びキリストを見出すか』の講義から引用している。:

 

......(中略)......人類の発展のためには、地球上で繰り返される人生に対する意識が一時的に後退し、人間が地球上のたった一度の人生を真剣に、強烈に受け止めることに慣れることが必要だったということは、確かに事実です。

 

 シュタイナーは、自分をアブラハムアリストテレスと直接名乗ることはなかったが、アントロポゾフィストたちは、彼がそうであったと明確に信じており、彼がそうであったことは、この偉大な宇宙の法則に合致する。

 この「偉大な宇宙の法則」がどうあるべきかについては、カルマの基本的な法則を述べているに過ぎないので、ほんの少し考えるだけでよい.。アブラハムアリストテレスも、キリストが地球を歩く前に生きていた。彼らの客観的カルマは、キリストが罪を赦しに来る前に「書物」(「アカシック」)【訳注】に刻まれた。もし彼らが高貴な存在であり、人類を下降させる役割(この文脈では罪または客観的カルマ)が、キリストによって、後に彼らが転生した時に赦されたとしても、彼らは自分が最初に植えたものを修正または変容させることによって全人類に償いをしたいと気高く願ったことだろう。

 このような現象は、彼らだけではなかったであろう。聖書の物語の中には、私たちがまだ特定できない他の多くの人々が間違いなく存在する。しかし、本書の幕間には、私たちが "柱 "と呼ぶ5人の人物を特定することができた。この5人について、私たちは次のように考えている: 1.聖書の物語の大部分は彼らに関するものである。2.聖書の大部分は、彼らによって直接または間接的に私たちに与えられた。3.キリスト教の未来の主な部分は、彼らの肩に掛かっている。この5人は、あくまで人間であり、キリストが中心である。この5人は、その「しもべ」に過ぎない(イザ42,1参照)。この後のリストでは、いくつかの人物を括弧で囲んでクエスチョンマークを付けている。私が知る限り、シュタイナーからの明確で直接的な表明がないことがその主な理由である。しかし、シュタイナーの教えに照らし合わせると、これらはもっともらしいと思える。これらの人物は、その連鎖の中で与えられた最初の人格(括弧内の有無は問わない)に基づき、時系列でリストアップされている。

 

1.アダム・カドモン ⇒ フィネハス ⇒ エリヤ ⇒ 洗礼者ヨハネ ⇒ ラファエロ ⇒ ノヴァーリス

2.(カイン?)⇒ (ツバル・カイン?) ⇒ (ジュヨシュア?) ⇒ ヒラム・アビフ ⇒ ラザロ=ヨハネ福音書記者) ⇒ クリスチャン・ローゼンクロイツ ⇒ サン・ジェルマン伯爵

3.ツァラトゥストラ ⇒ ザラトス(あるいはゾロアスター) ⇒ ナザレのイエス(洗礼者ヨハネによる洗礼まで)(原註1)

4.エアバニ ⇒ (アブラハム?) ⇒ クラチュラス ⇒ アリストテレス ⇒ シオナチュランダー ⇒ トマス・アキナス ⇒ ルドルフ・シュタイナー (原註2)

5.(モーセ?) ⇒ パウロ

 

(原註1) シュタイナーによれば、この個性の多くの転生が、古代(先史時代)のペルシャツァラトゥストラとして誕生してから、ソロモン・イエスの子供が誕生するまでに起こった。・・・ここでは、シュタイナーによれば、バビロニアの「中期の預言者」の何人かの教師であったザラタスの間の転生だけをリストアップする。ザラタスの名は、ザラタスやザラトスとも様々に表記され、ナザラトスとも呼ばれることが多い。

(原註2)・・・エアバニ、クラティロス、シオナチュランダーとして知られる歴史的人物は、他の人物に比べてあまり知られていないが、少なくともわずかな情報は入手可能である。そして、いずれの場合も、シュタイナーに再び現れた進化の糸と合致しているようだ。エアバニは、ギルガミッシュ叙事詩におけるエンキドゥの別名である。シュタイナーは、この叙事詩の「洪水」が人間の心と魂の状態と関係があり、最終的にアトランティスを浸水させ、聖書の「ノア」の記述にあるもっと以前の洪水と誤って関連付けられていることを示した。ギルガミッシュ叙事詩はエンキドゥを神のような生き物として描いており、・・・エンキドゥが堕落を経なかったナタン・イエスの子供のような個性であることを示唆していると考えている。シュタイナーは、『人智学の光に照らされた世界史』の第3講と第4講で、エアバニ(エンキドゥ)について少し長く語っている。・・・エアバニが宇宙からもたらした知識は、普通の人間が認識できる知識をはるかに超えている。聖書を学ぶ人は、エンキドゥと死海の西側にあるオアシスで先史時代の神殿跡であるエンギディとの類似性に魅了されるに違いない。この地は、聖書の中で6回ほど言及されている。クラティロスはエフェソスでヘラクレイトスに師事したアテネ人であり、プラトンの教師の一人であった。クラティロスについて歴史が語っていることと、シュタイナーが言語とアルファベットの起源、特に「名前」の意義について語っていることを見れば、その類似性に驚かざるを得ない。プラトンのクラティロス、7 GB 85、22 Brit 567、"言語"、25 Brit 895、"プラトン主義"、27 Brit 22、"学問 "を参照のこと。「名前」の意義は、[スコラ哲学の]Realism対Nominalismの哲学学派で表面化し、「名前」の「現実性」を支持するクラティロスの立場とアリストテレスやアキナスの立場との関係が注目される。シオナチュランダーは、歴史的な観点から見ると、列挙された人物の中で最も無名な人物と思われる。彼は聖杯の知恵に関係し、パルジファル伝説の中で役割を果たしたという。シュタイナーは私の知る限り、この2人を1つの個性として明確に認識したことはないが、ある著名なアントロポゾフィー研究者がそのような結論に達したと私に教えてくれた。・・・【訳注】

【訳注】シオナチュランダーは、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「聖杯物語」の登場人物である。一般に聖杯に関わる物語は創作とみなされているが、人智学派は、史実を反映していると考えている。

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 シュタイナーは、輪廻転生とカルマについての認識を復活させることを使命の一つとしていたという。このため、歴史的人物の前世やカルマについて語ったが、自身の前世については明確に語らなかった。それは、オカルト的には禁忌にあたっていたのだろう。そこで多くの人智学者達が、シュタイナーの前世を研究することとなり、それらの関連本も色々出ているようである。

 人智学派以外にも、近年、人の輪廻転生や前世をテーマとする著作が出版されるようになっているが、将来においては、こうした人の前世を語ることが普通になるのかもしれない(そうした状況になるのを阻止しようとする攻撃もあるが)。

 シュタイナーの前世は、ここに述べられているのが全てかというと、当然そうではない。シュタイナーは、1925年になくなったのだが、20世紀末頃に再び転生すると語っていたようである。しかし、通常の人間では、このような短期間で転生することはあり得ない。彼は、秘儀参入者であり、特別に霊的な進化を遂げていたからそれが可能となるのである。

 このような存在は、オカルト界では「マスター(ドイツ語ではマイスター)」と呼ばれるが、彼らは、通常の人間と異なって、死後に、地上世界での汚れをはらう期間を必要としない(通常それには、人生の3分の1の期間が必要とされる)だろうし、地上の人類を導くという使命があるため、短期間で再び霊界から戻ってくることができるのだろう。彼らの主な活動の場は地上なのである。

 上に出てきたサン・ジェルマン伯爵が、不死身と考えられたのは、死んだ後、直ぐにまた転生し、過去の記憶も保持することができていたからであるとされる。実際には、死んでいるが、またすぐに生まれ変わり、まさに同じ人物として活動することができたのだ。

 このことからすると、シュタイナーの前世もかなりの数に及ぶことが想定される。このことから、他のマスター達との関係も含めて、シュタイナーの明らかになっていない前世については、人智学派内に様々な議論があるようである。このテーマについては、また後日触れることにする。