まもなくクリスマスがくるので、今回は、これまで触れてきた「二人子どもイエス」のテーマとの関連でクリスマスについて述べてみたい。
「クリスマス」というのは、英語の「キリスト(Christ)」の「ミサ(Mass)」という意味に由来する。つまりキリストの降誕を祝う祭りである。しかし、聖書にはイエスの誕生した日を示す記述がないため、実際にはイエスの誕生の日には諸説があり、クリスマスは、その誕生を祝う日であって、イエスの誕生日というわけではない。
その日付は、主に12月25日であるが、西洋では歴史的に12日間続き、十二夜(1月6日の公現祭の夜)に最高潮に達する「降誕節」(Christmastide)が開始される日である。
その日付については、1月6日、2月2日、3月25日、4月2日、5月20日、11月8日、12月25日等々様々あったが、結局12月25日が採用された。それは、古代共和政ローマ時代の「ローマ暦」において冬至の日とされていた12月25日が、「降誕を祝う日」として次第に定着していった。あるいは、古代ローマの宗教のひとつミトラ教では、12月25日は「不滅の太陽が生まれる日」とされ、太陽神ミトラスを祝う冬至の祭であり、これから派生してローマ神話の太陽神ソル・インウィクトゥスの祭ともされていた。これが降誕祭の日付決定に影響したのではないかとも推察されている(ウィキペディアより)。
冬至には日が最も短くなるため、それは同時に次の日からまた日が長くなること、太陽が力を取り戻すこと、再生を意味する。人類の救済のために降誕した聖なる存在にとって、ふさわしい日付けである。いずれにしても、イエス(キリスト)の誕生については、太陽との関連が意識されていたということであろう。
さて、上に示した写真は、一般的なクリスマスの物語のイメージを表わしている。中心にイエスとその両親、左側に、誕生した救世主を礼拝するために訪れた羊飼いとイエスの誕生を教えた天使、右側に、同じく東方の3博士(あるいは王)がいる。また3博士の上には、彼らを導いた星が輝き、牛やロバなどの動物が周りにいる。そしてそれらは馬小屋を背景としている。
正式には、3博士がイエスのところに訪れたのは、公現祭の日の1月6日とされているのだが、人形飾りでは羊飼い達と一緒に置かれ、イエスの降誕劇でも、羊飼い達に続いてすぐに博士達が現われるのが一般的であろう。
写真のこのような登場者達は、聖書に基づいている。しかし、聖書が語っている物語からすれば、不正確といえる。
イエスの誕生の物語が述べられているのは、4つの福音書のうち、ルカ福音書とマタイ福音書である。この2つの福音書のその記述には、実は矛盾とも言えるような違いがある。
羊飼い達が出てくるのはルカ福音書のみで、博士達はマタイ福音書にしか登場しない。また、イエスが生まれた場所については、一般的に馬小屋あるいは牛や馬を飼っている洞窟と考えられているが、それは、イエスが「飼い葉桶」に寝かせられていたとルカ福音書に記述されているからなのだが、マタイ福音書では、それは単に「家」と表現されている(逆に言えば馬小屋ではないと思われる)。しかし、ルカ福音書には、家との記述はないのである。
またマタイ福音書のイエスの家族は、ヘロデ王による殺害を逃れるために、生まれて直ぐにユダヤの地を離れエジプトに逃亡するのだが、ルカ福音書はそのような記述がまったくないのである。
なぜ2つの福音書でこのように異なるのか。一般的には、先ずルカの馬小屋での誕生があって、そこに羊飼いがやってきた。その後、家族が泊まれる家を得ることができて、そこに博士達がやってきたという解釈となるだろう。2つの福音書が同じ1つのイエス、イエスの家族の物語であるとするならこれが当然の解釈である。
しかし、これによると2つの福音書は、1つの物語の時系列のそれぞれ一部しか述べていないこととなる。成人後のイエスの物語は、4つの福音書で同じ出来事の記述が見られ、同じ一人の人物の物語をそれぞれの視点で語っていると理解できるのだが、誕生の物語については、2つの物語は全く別の物語として成立しており、その様に見る方が自然の流れとなっているのである。
何よりも、ルカとマタイでそれぞれに記述されているイエスの系図が決定的に異なることは既にこのブログで触れたとおりである。
これらの矛盾、問題点を解くもっと明快な解決策が存在する。それが、子ども時代のイエスは二人いたとする「二人の子どもイエス」説である。ルカ福音書のイエスとマタイ福音書のイエスは、別の人物とすれば、難なく問題は解決するのだ。
つまりイエスの誕生物語は、もともと2つ存在するのである。一部のキリスト教芸術家達は、この秘密を実際に絵などの作品で示してきたのであり、それは既にこのブログで取り上げたとおりである。
さて、上の写真に出てくる他の部分についても触れておこう。
先ず、牛とロバである。これについて詳しく論じたのは、デイヴィッド・オーヴァソン氏である。『二人の子ども』の中で次のように述べている。「雄牛とロバは、最初期の公式なキリスト聖誕図の全てに存在する。それらは、初期のキリスト教芸術家にとって重要だったので、彼の両親が描かれていなくても、まぐさ桶の中の子供イエスの脇に二匹の動物が描かれていた。・・・」
牛とロバは、我々にとっても、クリスマスのイメージによく合致しているように思われる。だから写真のように、その造形がこの場面にはよく添えられているのだ。しかしオーヴァソン氏は、「正典の福音書の物語には決して現れていないことを知るのはショックである」と言う。そう、確かに、これらの動物は、ルカにもマタイの福音書にもその記述がないのである。ただ、イエスが「飼い葉桶」に寝せられていたという記述があるので、自然の連想で、それらの動物がいても不自然に感じないのだ。
しかし、オーヴァソン氏によれば、そこには、人類の宗教史・思想史における深い意味が隠されているという。
「生誕物語に関連する二つの動物は、単に子供を守っているということやルカ福音書の素朴な人間の知恵を示すものという以上の意味を持っている。両者とも、前キリスト教時代の密儀の伝統に由来する象徴的意味があるのである。雄牛は、ミトラの牛、そしておそらくエジプト神アピス-共に重要な宗派で、キリスト誕生の時代にも密儀を行っていた-を示唆するものである。後に見るように、ロバは、アプレイオスの神秘文学に照らして解釈されるかもしれない。・・・」
キリスト教以前、古代世界を支配していたのは、密儀宗教であった。しかし、それは、イエスが誕生する頃には、その効力を失ってきていたのである。キリスト教はその様な状況の中で誕生した、古代の密儀宗教に代わり、それを受け継ぐ、若々しい生命力をもった新しい宗教であったのである。それは、古代の密儀宗教自身がまた自覚していたことでもあった。従って、
「飼い葉桶とともにいるロバと雄牛は、古代の密儀を集約し、新しいキリストの密儀を承認するものと見ることができるであろう。」
ロバと雄牛は、古代密儀宗教を象徴しており、(その本質において)新しい密儀宗教であるキリスト教の誕生を見守る、証人であったということである。
次に述べるのは、上に輝く星である。これは、たいていの人が知っているように、3人の博士達をイエスにまで導いた「ベツレヘムの星」である。これはロバと雄牛と異なり、実際に福音書(但しマタイ福音書にのみ)に出てくる。
この特異な星の現象を実際の自然現象(例えば惑星の合)と考え、それによりイエスの実際の誕生年を推測する試みもあるが、これは、いずれにしても東方の3博士に結びついている。
では、そもそもこの3博士とは何者か? 実際には博士であったり王であったりするのだが、古くは、マギと呼ばれていた。マギとは、マジック(魔術、奇術)という言葉が示すように、魔法使いということ、より正確には密儀を受けた者のことである。まさに古代の密儀宗教の代表者なのだが、この場合、ペルシアの古代の密儀宗教である。具体的には、ゾロアスター教の流れをくむ者達なのである。
そして、彼らの宗祖ゾロアスター(ザラスシュトラ)は、弟子達に、自分がいずれこの世に再受肉すること、それは星によって知ることができることを予言していたというのである。その星こそが、「ベツレヘムの星」であり、再受肉したゾロアスターこそが、マタイ福音書の語るイエスなのである。
ゾロアスターとは、「黄金の星」という意味である。