k-lazaro’s note

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レンブラントの「神殿の12歳のイエス」

レンブラント「神殿の12歳のイエス」(アム・レマーホルツ美術館)

 前々回、レンブラントは、その光と影の技法を、薔薇十字団の創立者とされるクリスチャン・ローゼンクロイツから教えられたという説をブログに書いた。その時に、レンブラントには、「二人の子どもイエス」を描いた絵があることにも触れた。今回は、これについて述べたヘラ・クラウゼ=ツィンマー氏の文章を紹介したい。

 

 その前に、クリスチャン・ローゼンクロイツについて少し補足説明をしておきたい。彼は、一般に17世紀に誕生したとされる秘教団体「薔薇十字団」(シュタイナーによればその実際の誕生は更に時代を遡る)の創始者とされる「伝説的」人物であるが、シュタイナーは、クリスチャン・ローゼンクロイツの個性(自我)は、かつて、イエス・キリストによって直接秘儀参入を受けた、福音書に登場するラザロであったとする。そしてラザロは、イエス・キリスト磔刑にも立ち会ったのであるが、実は、ヨハネ福音書及び黙示録の著者であるヨハネその人であるというのである。

 また、その個性は、その後も転生を続けており、その中で有名であるのは、サンジェルマン伯爵の名であった。

 秘儀参入を経験し、高度に発展したこのような人物は、人類を導く人達であり、「マスター(ドイツ語ではマイスター)」と呼ばれる。人智学では、釈迦仏陀もそのようなマスターであると考えているが、釈迦仏陀は、仏陀となって以後、地上界に再び受肉することはなく、霊界からインスピレーションを与える存在となった。これに対して、クリスチャン・ローゼンクロイツは、幾度も地上に転生し、地上界において密かに人類を導いてきたのである。

 レンブラントを指導したクリスチャン・ローゼンクロイツがラザロ(ヨハネ)の転生した後の姿であるとするなら、レンブラントが、彼から、イエス・キリストの秘密をも伝えられたと考えることも可能であろう。それが、レンブラントが、「二人の子どもイエス」のような秘教的な絵画を描けた理由という事である(秘教的知識が、いわゆる画家のギルドをとおして伝わってきた可能性とは別に)。

 

 ヘラ・クラウゼ=ツィンマー氏は、『絵画における二人の子どもイエス』において、この絵について解説している。それは、イエスが12歳になってエルサレムの神殿に赴いた時の情景を描いたものである(ルカ福音書にその記述がある)。

 12歳の神殿における二人の子どもイエスのテーマについては、既にブログで触れてきている。二人の子どもイエスとは、福音書のマタイ伝が伝える子どもとルカ伝の伝える子どもであるが、この二人は、12歳になったとき、共に家族と一緒に神殿に行き、そこで神秘的な出来事があって、二人が一人のイエスとなったのである。実際には、神殿の出来事の後に、マタイの子どもは間もなく亡くなり、残ったルカの子どもは知恵を増し、力強く成長していくこととなった。

 その隠された意味は、マタイ伝の子どもの個我が、その体を離れ、ルカ伝の子どもの体に移ったということである。こうしてルカ伝の子どもは、やがて大人になって、今度は、ロゴス・キリスト霊をその体に受けることとなるのである(その際に、かつてのマタイ伝の子どもの個我はその体を去る)。

 このマタイ伝の子どもの個我は、かつてゾロアスターという名を持った人類の卓越した指導者であった。そしてイエスの体を離れた後のその呼び名は、「マスター・イエス」であり、やはり彼もまた、クリスチャン・ローゼンクロイツと同様に、「マスタ ー」として転生を繰り返し、人類を導いてきたのである。

 またルカの子どもは、それまで地上に受肉したことのない、汚れのない魂であったという。

 ヘラ・クラウゼ=ツィンマー氏は、このようなことをふまえて、レンブラントの「神殿の12歳のイエス」の絵を解説するのである。

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17世紀

 16及び17世紀に、絵画は新しい性格を得た。その時、宗教的テーマに並んで、肖像画、風景画、神話的テーマ等々が現れたのである。しかし何より、空間遠近法と、明暗表現の発展が、宗教的光景の描写にも全く異なる様式をもたらした。黄金の背景は消えた。今や、頭の光輪は、全く避けられるのでなければ、光の働きによりもたらされた。絵画は、ますます外的視覚に対応するよう努めることとなっていった。言われているように、絵画は、“より官能的”になり、人物は非常に外的・演劇的動きの中に生きるようになった。即ちバロックになったのである。

 その際、秘教的伝統は完全に失われたのではなかった。一般的に物質的なものへと向かっていく発展にも関わらず、霊的な世界理解の深層の痕跡を引き続き追究する、またそれに対応する伝統の相続人であるサークルがその時にも存在した。バロックの絵画には、多くの驚くべきものが登場した。・・・

 そうでなくてもあまり描かれない光景に属する12歳のイエスのテーマにおいては、そもそも二人の子どもの伝統の継承を期待することはできないだろう。私は、16世紀中葉以降の時期を見渡すのは不必要であると考えた。

 その時、レンブラントの絵画を見たのは、非常な驚きとなった。驚いたのは、レンブラントが、論評したイタリアとドイツの絵画の伝統の外にいたからでもある。しかし、比類のない人物である彼の場合には、そのような絵は、その類縁のものを求めることができない、独自なものと見ることができよう。

 小旅行が、レンブラントの作品よりさらに後、つまり1699年から1705年の間に成立した絵を見る機会をもたらした。それは、シュヴァ―ベン地方のハイスターキルヒにあるヨハネ教会の、これらの年に、石膏と絵で飾られはめ込まれた天井に見つかった。

 

レンブラント

 レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(1609-1669年)は、一方で冷たく具象 的な表現に、他方で光の効果の技巧にはまり込もうとする絵画の発展を新たな地平に高めた。彼の筆の下で、明暗の芸術は、外的なものを越えていく質-魂の温かさと精神的光-の担い手となった。

 16世紀以来、外的世界の発見の熱狂の中で、人々は、その住む世界を狭めることとなり、もはやそもそも宗教的テーマを全く描けなくなっていった。イエス降誕の絵は、今や、その出来事自体の印象を伝えることなく、人間によって表現される降誕劇のようになった。この発展は、照明を外的に扱うことに始まっており、それゆえ既にコレッジオにも見られる。

 レンブラントはこれに対して、言わば魂の深みの領域から出来事を取りだしている。それは、それぞれの人間本性に沈潜している秘密から働きかけているようである。救済史は、今や、ヨーロッパの発展において内面化され、この溶解のプロセスから変容して浮上することができた。

 この革新は技術的様式もまた変革した。

 古い画家は、敬虔な信仰心から、絵の中に黄金の背景と頭の光輪を置いた。彼らは、その高価な材料を、自然-外的被造物-がそれらを差し出すまま借用した。16世紀には、黄金の背景は廃棄された。

 レンブラントの筆は、今や、色彩の作用に動きを与え、明と暗の協働から再び黄金の色合いを作り出した。しかしそれは既に出来上がっているものではなく、そのニュアンスは、浮かび上がった白色を伴う明るい黄色と温かみのある褐色から、無数のプロセスの中で生まれてくる。それは、私達が見ることのできる、黄金産出の芸術的錬金術である。

 レンブラントの作品を探求していくと、12歳のテーマに長年骨を折ったことに気が付く。多くのスケッチが、それを証明している。しかし、それらは常に一人の少年を描いている。それだけに、ヴィンタートゥール(アム・レマーホルツ美術館、オスカー・ラインハルト・コレクション)〔スイス〕で、ある墨絵の前に立つと、驚きを隠せなくなる。

 その絵は、褐色の上に褐色で描かれており、多様な明暗の度合いを見せているので、油彩画への傾向を見せており、ひょっとすると習作と見るべきかもしれない。

 見るものすべてを理解しようとするのは、また先ず簡単ではない。

 この光景は、エルサレムの神殿の内部空間に私達を置き、人のいない玉座のあるアプシスコンチャ[1]に目を向けさせる。丸天井から、鳩の形の灯りがぶら下がっている。

 この後陣-キリスト教会で祭壇が置かれているあのアプシスの類である-には、人がおらず、薄暗い。その前の空間はしかし、多くの人々で活気があり、彼らは集団ごとに分かれて、様々な高さの場所に、あるいは接続する階段にいる。

 空間の深さは、様々な距離に人々が配置されていることにより体験される。その全ては、確かに薄暗い印象を与えるが、人の往来、会話と研究、傾聴と観察など多くの出来事に溢れている。

 絵の左側の一番前には、演台の所で二人の男が座っており、その一人は、後ろを振り向き、しかしもう一人は、本を読むのに熱中している。レンブラントは、書物を扱っていることを、持ち上げられた本の頁と読んでいる者の腕の、明るくはっきりした白色により強調している。

 それに対して右では、少年の周りに集まった年老いた男たちの輪において、言葉が支配している。ここでは読まれることも本をめくることもなく、話が聞かれ、またよく質問がなされ、議論がされている。光はその群衆全体に様々な具合に当たっており、少年の脇と背後が一番明るく照らされているが、光源自体は隠れている。それは右の前景にいる二人の男により覆われており、それによって彼らは暗いままである。この瞬間、イエスはこの二人に特に話しかけている。少年に最も近い男は、両手でこぶしを作っており、他の男は、組んだ腕を杖の上に置いている。二人は、横顔でその少年をみている-人を寄せ付けない、攻撃的でさえある姿勢で-。明るく輝く少年は、ここで疑いと強い不信とぶつかっているように見えるが、一方、他の周囲の者達は静かで、心を開いているようである。バルコニーには、これに参加するかのように、下を見下ろしている聴衆がいる。

 この集団は、広く拡がっており、絵の右半分以上を占めている。

 絵の他の側は、このようには統一的ではない。このテーマで、全く接触のない二つのグループに構図が分かれていることは、それ自体既に奇妙である。レンブラントは、私が知る限り、それを他の12歳のスケッチでは行っていない。つまり、絵の右側はそれ自身で言わば円を描いており、中心に少年を置いて、他の出来事には背を向けている。絵の左半分においては、それに対して、三人の男性の集団が、前景の学者達と他の全ての人物の上にそびえ立っている。彼らは、そこに階段が続いている高い場所に立っており、言わば、玉座をもったアプシスへの入口を占拠している。特に、三人の男たちの内で一番前にいる人物は、高さのある見事なミトラ(冠)と、既にそのままでも高い位置にいる集団を更に上へと伸ばす杖によって目立っている。三人の背後には、奥に立っている多くの人々が押し寄せている。

 しかし、この言葉の真の意味で“高い位置にいる”集団に、更に、その後ろ姿しか見えない第4の人物が属している。それは、男たちの前を通り過ぎようとしている少年である。

 光が、くっきりと燃える点のように、3番目の男の前にある。〔光の〕濃縮が非常に目立っている、絵で最も明るいこの点が何を表しているのかを理解するには少し時間がいる。通り過ぎようとしている少年は、下がった腕にたいまつを持っているのである! その炎が、この光の点である。それがまた、この祭司グループを照らしているのである。

 ゆえに、去りゆく第2の子どものモチーフである。しかし彼は、どこに行くのだろうか。彼は、空のアプシスにのみ行き着ける。しかしそこには、火をつけるべきロウソクはない。では、彼はそのたいまつで何をするのか。

 この発見に基づいて、二人の子どもの構図の下に、今この絵を観察すると、二人の子どもが形の上で全く対のように描かれているという考えが浮かぶ。

 教えている少年は、絵の右で、座って、広く拡がった男達の集団に取り囲まれている。彼は、明るく、正面を向いており、はっきりとわかる顔で、肩に束ねていない髪が落ちており、腕を広げて挙げている。光源は見えず、その光は石壁と欄干を照らしている。この集団全体は、そこに照射する輝きを受け入れている鉢のようである。

 第2の少年は絵の左側にいる。広さより、高みへと進展することによって強調された祭司達に並んで、一段高い所に立っている。ここにいるのは多くの人間ではなく、三人に限定されている。少年自身はうす暗く、見る者に背を向けている。彼の髪は、短めでひきしまっている。彼の仕草は下に向いており、両手は見えない。ここには、見えないのではなく、非常にくっきりと点のような強調された光源がある-下から姿を照らす松明である-。

 右の集団の灯りは、豊かに、言わば、その周囲に来た者すべてに対し、区別なく愛情をもって広がっている。ここには、人々を結び付ける要素が表現されている。これに対して左の松明は、他の者から抜きんでた、選ばれた誇りある男達、高みに位置する三人のみを照らしている。こちら側で感じ取られるのは、むしろ、書物、位階、そして官職に基づく者、法と戒律に従い組織された、選ばれたユダヤ民族の性格である[2]

 こうして、絵を二分することにより、二人の子どもイエスの世界と性格が、自然に、また同時に正確に描写された。一方は、三人のマギ達が礼拝した、ソロモンの王の系統の気高い、高貴な生まれの子どもであり、空の玉座に何の障害もなく歩んでゆくことができる者-そう、それが彼に期待されている-である。他方は、“ナザレ人”、ガリラヤ出身の愛を放つ子ども、今や新しい英知に照らし出さているが、しかし、そうでなければ彼の民族の上流の人々の間で、耳目を惹くこともない者である。

 二人の子どもを結ぶ対角線は、一組の男に触れており、特にその内の一人はおおざっぱではなく念入りにスケッチされており、明らかに肖像画的に描かれている。彼は、レンブラント自身を思い出させる。彼の背後には女性が立っている。それにより、右の少年の両親が暗示されているのであろう-そして同時に、画家は、自分自身を示唆している。神殿の奇跡の光の中に入ってきて、驚いている者として-。

 左にも一組の人間が見える。彼らは、他の者から離れ、二人だけで階段を昇っている。言ってみれば、他の子どもを追って。このペアは、小ささが強調され、また愛くるしく描かれている。少し振り向いているような右の人物は、衣装と頭巾から明らかに女性である。二人の頭も松明の明かりを受けている。

 レンブラントは、光が衰えていく場所ではなく広がる場所に自分を置いている。しかし彼は、構図のほぼ半分を去りゆく者たちの場面に当てている。

 上にシャンデリアが浮いている中央の空の玉座は、絵の印象にとって最も重要な意味をもっている。至聖所のこの玉座にはまだ誰も座っていない。しかし、ここで二人の子どもにより成し遂げられたものすべては、メシアの到来のために起きたものである-言わば、それは見えないが現存している中で-。左の少年は、この至高の者の受肉のために自らの命を犠牲にしている。彼は、松明を下しているのだ。

 言い換えれば、レンブラントは、昔の画家たちがしているように12歳のイエスを真ん中に置いてはいないが、またしかし、その絵には中心がないのでもない。その中心は、洗礼により初めて現れるロゴスであるキリストである。ベルゴニョーネは、彼のイエスを神殿の閉じた幕の前に置いたが、レンブラントは、閉じた幕を知らない。彼の神殿は、その最も奥まで開かれている。その最も奥にあるものは、まだ成就されていない待望である。しかし、上からぶら下がった灯りは、慰めとなる約束を与えている。その形が翼を広げた鳩を思い出させることに【訳注】、人はすぐ気づく。それに対して、客観的に見ると、それはシャンデリアであるようだと気が付くには時間を要する。何より本質的なことは、この上から降りてくる灯りがなければ、このアプシスは薄暗く荒涼としたままであることである。

【訳注】福音書によれば、神の霊(キリスト)は、鳩の形をしてイエスに舞い降りたという。

 

 薄暗闇の人を待つ肘掛椅子と舞い降りるような灯りのふるまいは、二つの部分に分かれている構図が無関係に分裂することを防いでいる。アプシスの丸みは、開いた両腕でもってするように、人の世の出来事をメシア待望の偉大な秘密の中へと包み込んでいる。

 今神殿で起きていることは、ロゴスの開示を近くに引き寄せ、それを決定的な段階にまで具現化するものである。玉座が見えるようになるのだ。

 このように、レンブラントは、12歳の神殿の場面から、卓越した着想により三つに区分される出来事を構成した。それは、キリスト教の秘密がこの画家の魂にいかに深くまた生き生きと沈潜しているかを予感させる。

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 レンブラントの絵に対するクラウゼ・ツィンマー氏の解説は、『絵画における二人の子どもイエス』の文章の中で、私が特に感銘を受けたものの一つである。それは、氏の解説の見事さとともに、絵そのものの表現の見事さによるものである。氏のような解説がなければ、単なる宗教絵画として何気なく見過ごしてしまうような絵だが(レンブラントは、ほかにもいくつかイエスの生涯をテーマとする版画を制作している)、そこには、この上なく大きな秘密が非常に巧みに隠されているのだ。レンブラントのその巧みさは、見事と言うほかないだろう。

 またこの絵を見いだしたクラウゼ・ツィンマー氏の鑑識眼も見事である。それは勿論、シュタイナーの示唆があったからこそであるが、クラウゼ・ツィンマー氏だからこそ、良くそれに応えて、レンブラントの絵を見いだすことができたと言うことができるだろう。

 私が知る限り、彼女に匹敵するのは、この方もこのブログで取り上げてきているが、デイビッド・オーヴァソン氏しかいない。

 二人は、一方はドイツ語圏、他方は英語圏における、この道の二大マイスターなのである。