k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

ブラザーフッドとダブル(ドッペルゲンガー) ③

 

f:id:k-lazaro:20220221095846p:plain


 左手のブラザーフッドとダブルに関するシュタイナーの講演の最後である。

ーーーーーーーーーー

個々の霊的存在と世界の不分離の基礎 その3

 人類が今日までたどり着いてきた古い知恵によって、何千もの会議-世界会議や国民会議など-を開催し、何千もの学会を設立することができる。しかし、これらの会議、学会に、霊的科学の生命線がその中に流れていなければ有効でない。今日、人間に欠けているものは、霊的世界の真の探究に踏み出す勇気である。たとえば『霊の科学の光に照らされた人間の生活』という小さなパンフレットを広く一般に回覧することだこれにより人間が宇宙の秩序とつながっているという知識を呼び起こし、何か新しいことが達成されるだろう。

   ポスト・アトランティス第5期の人類にとって不可欠なことは、過去の叡智によってある意味、ベールをかけられてきた偉大な生命問題を扱う方法を見つけることである生の大問題の一つは、"霊的エーテル "を外側の現実的生活に奉仕させることである。アトランティス後の第5期は、人間の心からの放射をいかにして機械へともたらすか、いかにして人間存在を、ますます機械的にならざるを得ない環境と結びつけるかという問題を解決しなければならないことである。アメリカでは、機械的なものを人間の生活そのものに拡大しようとする試みがある。ダーウィンの淘汰の原理が実際に生活の中に持ち込まれている。

   このような状況では、人間のエネルギーを機械のエネルギーに結びつけようとする意志が存在する。それは完全に誤った見解だが、これらのものは、必ずやってくるだろう。問題は、それらが、地球進化の偉大な目的に精通し、人間の健康のためにこれらを構築しようとする人々に託されるか、それとも、利己的な意味で、あるいは集団の利己的な意味でこれらを利用する人間の集団によって実行されるかということだ人間存在と機械との融合は、地球進化の残りの期間にとって大きな意味を持つ問題となるだろう。

 

※ シュタイナーは、人間のエーテルをエネルギーとする機械について語ったことがあるが、それに関連するのだろうか。トランスヒューマニズムにおいても人間と機械の融合が語られている。それは、「利己的な意味」なのだろうか。

 

 私は、人間の意識が崩壊の力と結びついているという事実に、意図的にしばしば注意を向けてきた私たちの神経系の中で、私たちは死んでいくのである。これらの力、つまり死に絶えようとする力は、ますます強力になっていくだろう人間の内部で死につつあるこれらの力は、電気的、磁気的な力、機械の中で働いているこれらの力と関連していることを発見するだろう人間はある程度まで自分の意図なり、自分の思考を機械の力に向けることができるようになる人間の本性の中にあるこれまで発見されていなかった力が発見され、それが外側の電気的、磁気的な力に作用するようになるのである第一の問題は、人間と機械との統合であり、それは将来ますます優勢にならざるを得ない。第二の問題は、霊的な関係を呼び寄せて助力をもらうことである。しかし、これは時期が熟し、十分な数の人々が正しい方法でその準備をしたときにのみ可能なことである。しかし、その時は、霊的な力が、病気と死との関係で生命を支配するのに十分に動けるようになった時でなければならない。医学は精神化されるだろう。

 第三の問題は、誕生と教育についての人間の考え方に関することである私は、受胎や男女の関係に関して、将来どのように唯物論的な科学が確立されるかという会議がすでに開かれていることを指摘した。今後、この応用に何が関係しているのか、大規模な霊的医療や霊的国民経済の基礎をいまだに妨害しているのはどの勢力なのかが明らかにされるだろう。

※ 優生学もこのような唯物的科学に該当するのだろうか。

 今日、古代の錬金術についていろいろと語られている。ホムンクルスなど、ここで語られていることは、ほとんどの場合、根拠のないことである。なぜなら、16世紀以降、これらのことに霧がかかり、人間の意識の中で退いてしまったからである。

 これらのことを支配している法則は、人間の中にある、目覚めと眠りのリズム的な交替を支配している法則と同じものである。霊的進化においても、16世紀以来何世紀にもわたって特徴づけられてきた、霊的科学の眠りを無視することはできないのだ。人類が霊的なものを一時的に眠らせるのは、それが別の形で再び現れるために必要だったのだ。

 ある種のエゴイスティックな集団が密かに努力している。第一に、ある種の知識-その知識とは、今日、錬金術占星術などの誤解された言葉で指定されているもの-は、休止しなければならなかった。そうして、人間はもはや自然の中に魂の要素を認識することができず、自分自身に引き戻されざるを得なくなる。なぜなら、内面の力を覚醒させるには、ある種のものは、まず抽象的な形で現れ、後に再び具体的な霊的な形をとる必要があるからである。

  この数世紀の進化の過程で、3つの観念が徐々に生じてきた。この三つの観念を、カントは神、自由、不死と呼び、ゲーテは神、徳、不死と正しく呼んだ。それらは、現代人は抽象的にとらえているが、14、15世紀まではより具体的にとらえられていた。古代の原始的な感覚では、より物質的に捉えられていた。実際、当時は錬金術の実験によって、神の働きが現れる過程を観察しようとした。彼らは賢者の石を作り出そうとした。 
 この賢者の石は、人間に徳を積む可能性を提示するものであったが、もっと物質的に考えられていたそれは人間を不死体験に導き、宇宙との一定の関係を築かせ、それによって生死を超えたものを自分の中で体験させることであった

 しかし、西洋のある兄弟団は、依然として古い伝統との関係を保ち、ある種の集団の利己的関心に奉仕させようとしている彼らの学院で、神は金と訳され、人はその神秘の背後にある金の神秘ともいうべきものを求めている。地殻の中の太陽のようなものである金には、実に大きな謎が隠されている。実は、金は、他の物質と、神の思考が他の思考にあるのと同じような関係にあるのだ。

※ 「オカルト的な見方をすれば、地上の金はすべて太陽光を凝縮したものである。“地球と太陽がまだ一つの塊を形成し、すべてが純粋なエーテルであった頃、すべてが溶解し、太陽光のような細かさで存在していた。ミネラルは凝固することができなかった。太陽が分離した後、純粋な太陽光の何かが地球に残った時、地脈の中で金へと凝縮されたのである。金は太陽光を凝縮したもので、太陽と直結している。"(R.S)」(アントロウィキ)

  これは、誕生の神秘をエゴイスティックに集団で利用することに関係している胚(胎児)が発達するとき、その胚には、宇宙のあらゆる方向からの力、宇宙的な力が働いている。受精が行われるとき、その受精から何が発生するかは、どの宇宙の力が活動するかによって決まる。

                図9 

f:id:k-lazaro:20220221094342p:plain

 今日、例えばニワトリであれば、この生き物の中に新しい胚が発生したとき、生物学者は、卵が鶏から成長するために必要な力を調べる。これはナンセンスだ。は鶏から成長するのではなく、鶏は土台に過ぎず、力は宇宙から働きかけ、鶏の中に準備された基盤の上に卵を生み出すのだ今日、生物学者が顕微鏡の中で見ているものは、ある星座で一緒に働く星の力に左右される。鶏から卵を呼び出すのは宇宙である。これらはすべて、太陽の神秘と、地球から見た金の神秘と結びついているのだ。

 私たちが話している学院では、徳は徳とは呼ばず、単に健康と呼び、人間の健康や病気に関係する宇宙の星座を知るように努めている。宇宙星座を知ることによって、健康や病気に関係する地表にある個々の物質、ジュース、分泌物などを知ることになる。
 この方向から、人間はあらゆる倫理的原則を学ぶことによって善良になるのではなく、例えば、ある星座の下で銅を、別の星座の下でヒ素を摂取することによって善良になるという概念も広がっていくだろうこのようなことが、エゴイストに傾いた人々の集団によって、いかに権力のために利用されうるか、想像がつくだろうこのような知識を、他の人々から隠しておくだけで、大勢の人々を支配することができるのである。本当の意味で、物質的なものは何もなく、霊的なものだけがあるということを知る者だけが、生命の神秘の彼方を突き進むことができるのである。

 同様に、この方向から、不死の問題を唯物論的な道に持ち込もうとする試みも行われるだろう。この不死の問題は、同じように、宇宙の星座を利用することによって、物質的な道に導くことができる。もちろん、これによって、獲得するのは別の不死である。ある者は、肉体に働きかけ人為的に延命することが不可能な場合、その魂が、死後も兄弟団のロッジにとどまり、自分が自由になる力で、そこで援助できるように準備をするのである。不老不死は、これらの世界では単に延命と呼ばれている。

 それらを唯物論的な道に持ち込むなら、神、徳、不死という抽象的な観念を金、健康、延命という具体的な観念にするのなら、集団エゴイズムの意味で利用することが実際に可能となるのだ科学は何世紀にもわたって地球上で起こっているプロセスだけを見つめ、最も重要な地球外事象として近づいてくるものの研究をすべて拒否してきたが、宇宙から浸透してくる力を利用することが考えられるのは、まさにアトランティス後第5の時代であろう将来、科学が精神化されたとき、あるプロセスを朝、夕、昼に行うか、朝に行ったことが夕方の活動要因によってさらに何らかの影響を受けるか、朝から晩までの宇宙の影響が排除、麻痺されるかどうかが問題になるであろう人類が完全に退廃してしまわないためには、この学問の変化は行われなければならない

 前回ゴルゴダの謎の衝動は、西洋からの別の衝動、一種の反キリストを導入することによって世界から排除されること、東洋の方向からは、20世紀に現れるキリストの衝動は、エーテルに現れるキリストから注意、関心を遠ざけることによって麻痺させられることに注意を喚起したが、今回はどうだろうか。

 キリストの代わりに反キリストを導入しようとする人々は、特に最も物質的な力を通して働き、しかもこれらの方法により霊的に働くことができるあるものを利用しようと努めた。とりわけ彼らは、電気と特に地球の磁気を利用して、地球全体に影響力を持とうと努めている。ダブルとの謎は解明されるだろう。地球の「ダブル性」をもった磁気を利用することが、また地球全体に霊的に働く導く力を送る南北の磁気を利用することは、アメリカの神秘となるだろう。磁針が東西に振れる場所と、全く振れていない場所を観察してほしい。ある天の方角から霊的存在が絶えず働いているのだ。この霊的存在を地上の存在に奉仕させるだけで、宇宙から働きかけている霊的存在が地球の磁気の神秘を伝えることができるので、エゴイスティックなグループは、この神秘に隠れて、金、健康、延命の三点に関して非常に重要なことを実現することができるのである。

※ アメリカはダブルの働きが強い場所であるとされる。

 東洋の方向からは、すでに説明したことを強化する試みがなされるでしょう。宇宙の反対側から流入し、活発に働いている存在を、地上の存在に奉仕させるのである将来、大きな闘争が起こるだろう。人間の科学は宇宙的なものへと向かっていくだろうが、その方法はさまざまだ。善良な癒しの科学は、2つの宇宙の流れが共に働くことによって、地上に生じることができる特定の宇宙的な力を見出すことが仕事となる。この二つの宇宙の流れとは、魚座と乙女座の流れである。魚座の方向で太陽の力として宇宙から働き出すものが、乙女座の方向で働くものとどのように結合するのか、その謎を発見することが最も重要なことである良いことは、宇宙の二つの方向から、朝と夕方の力を人類のためにどのように配置することができるかを発見することだ:一方は魚座の方向から、他方は乙女座の方向から。

                図10 

f:id:k-lazaro:20220221094707p:plain

 極性の二元論、プラスとマイナスの力によってすべてを達成しようとする人は、これらの力には関心を持たない霊性を宇宙から流れ出させる力は、磁気の二重の力、正と負の力の助けを借りて、双子座から宇宙に出現する。これらは真昼の力である。双子座の背後には、プラスとマイナスの磁気が何らかの形で隠されていることは古代において知られており、今日でも外的な科学者によって知られている。宇宙における二重性の啓示を通じて獲得すべきものを麻痺させようとする試みがなされ、特に双子座から人類に向かって流れ込み、完全にダブルに奉仕させることができる力を通じて、物質主義的、エゴイスティックな方法で麻痺させようとする試みが行なわれるだろう。

 ゴルゴダの秘儀を回避することを何よりも望む他の兄弟団は、人間の二重性を利用しようとする。この人間の二重の性質は、アトランティス後第5期において人間を統一体として包含しているが、人間の中に低次の動物的な性質も含んでいるのである。人間は、ある程度までは本当にケンタウロスであり、この低次の獣的、アストラル的な性質を含んでいる。彼の人間性は、何らかの形でこのアストラルな獣の上に乗っている。人間の中のこの二重の性質の協力を通じて、力の二元論も存在する。この力の二元論こそ、東方インド流のエゴイスティックな兄弟団が、ポスト・アトランティス第6期を準備する任務を持つ東ヨーロッパを惑わすために、より多く利用されることになるだろう。このために射手座の力が使われるのだ。

 人類の前に立ちはだかる問題は、二重に間違った方法で宇宙の力を自ら使いこなすか、それとも単に正しい方法で使いこなすか、ということだ。これは、占星術に本当の意味での新しさを与えるだろう。宇宙では、知識を持った者たちの間で争いが起こるだろう。ある者は、朝と夕方のプロセスの使用をもたらすだろう。西洋では、朝と夕方のプロセスを除いて、真昼のプロセスが好まれ、東洋では、真夜中のプロセスが使用される。化学的な引力や斥力によって物質が作られることはなく、朝夕の工程で作られるか、昼や夜の工程で作られるかによって、異なる物質が作られることが知られるようになるのである。そのような物質は、神・徳・不老の三組、つまり金・健康・延命に全く異なる働きをすることが分かってくる魚座と乙女座から来るものの協力から、人は有害なものをもたらすことができない。これによって、ある意味で人間から生命のメカニズムを分離するものを達成するだろうが、決して、誰にも、集団的パワーや他の集団への支配権を与えることはないだろう。この方向から呼び起こされる宇宙の力は、奇妙な機械を生むだろうが、それは人間を仕事から解放するものでしかない。なぜなら、その中にある種の知性の力を持つからである。宇宙を指向する精神科学は、人間が自ら作り出したこれらの機械化された動物から発せられるすべての大きな誘惑が、人間に有害な影響を及ぼさないように配慮しなければならない

 死者は地上の残った者のために積極的に関与するようになるだろう。人間の地上での行いによって、死者の協同は良い方向に導かれ、死者が活動する衝動は、死者が死後に体験している霊界から取り出された衝動そのものから発生することができるようになるのだ。

 これとは反対に、死者を人為的な手段で人間の生活に導こうとする試みが多くなる。双子座を通る間接的なルートによって、死者は人間の生活へと導かれ、人間の振動が機械のメカニズムに伝えられるようになり、そこで振動し続けるようになる。宇宙は、今示したような間接的な道を通って、機械に動きをもたらすだろう。

 だから、こういう問題が出てきたときには、何も不適切なことをしないで、自然界にある素朴な力だけを適用することが大切である機械的な生活に不適切な力を持ち込むことは断念しなければならないオカルトの領域では、人間のエレメントを機械装置に関係させる場合は、労働力の決定にダーウィンの選択理論が利用されル様な仕方であってはならないのである。

 ある者は、実際に関与している真の衝動に一種のベールをかぶせようとしている。自分たちのために何かを守ろうとする人間の力が働いている。彼らの目的は、フランス革命の頃までは正当化され、ある種のオカルト学派でも守られてきた衝動が、今ではアーリマン・ルシファー的な意味で管理され、18世紀末以降に一般に克服されたと考えられている社会の形態を維持することである。

 18世紀末に克服された原理の代表者と、新しい時代の代表者という、主に二つの勢力が対立しているのだ。多くの人々が、本能的に新しい時代の衝動の代表者であることは、極めて明白である。古い衝動の代表者、18世紀、17世紀、16世紀の代表者達は、人工的な手段によって、ある利己的な兄弟団から発せられる力に利用されねばならないのである。新しい時代に、必要なだけ多くの人々に対し権力を拡大するための最も効果的な原理は、経済的依存の原理である。しかし、それは道具に過ぎない。経済原理は、地球上の多数の人間をこれらの原理の軍隊にすることに関わるすべてのものと結びついているのだ。

 それは、今日の世界で行われている戦いである。西洋では、18世紀、17世紀、16世紀に根を持つ原理が、革命のフレーズ、民主主義のフレーズに身をまとうことによって、気づかれずにいる。この原理は、仮面をかぶって、この方法でできるだけ多くの力を得たいという衝動を持っているのだ。「今日、協商国と中央同盟国の間で戦争がある」という言葉で表現できる幻想によって眠りに誘われるのを許すとき、この努力は助けられるのである。それは現実ではない。少なくとも、幻想を現実として受け入れないように努めなければならない。

※ 協商国と中央同盟国の間で戦争とは、第一次世界大戦のことである。戦争の背後には、人類の霊的進化に関わるブラザーフッドの動きがあった。

 私が、かつて、メフィストフェレスファウストと対峙した際に発した言葉、「君は悪魔を知っているようだね」を引用したとき--彼は、確かにウッドロー・ウィルソンについて言ったのではないが--、それは決して偶発的な発言ではない。それは、この状況を照らし出すべきものなのだ。個人の強さの背後には、しばしば単なる星座の背後にあるものとはまったく異なるものがあるからだ。すべては星座(星の配置)次第なのだ。

※ シュタイナーは、アメリカのウィルソン大統領の第一次世界大戦後の動きについて批判的に述べている。

 脳に関する重要な洞察がある。脳が価値を持つのは、それが実際に特定の霊的な魂の力によって照らされ、活性化されているからなのか--霊的な重さがそこにあるのか--、それともこの脳には、秤に載せて重さを量れるほどの価値しかないのだろうか。前回紹介したダブルに関する謎を理解すると、以前は秤の上の塊としてしか価値を持たなかった脳に、価値を与えるという点に到達する。なぜなら、脳を蘇らせたいのなら、ダブルによってのみ蘇らせることができるのである。

 私はただ一つの提案しかできない。これらの領域をさらに構築していくことは、あなた方自身の内省に任せる。本当に内省の実体として使うなら、多くのことを得る可能性があるだろう。

ーーーーーーーーー

  この講演は、第1次世界の戦火が激しい中で行なわれた。 1917年4月6日に、ウイルソン大統領の下で、アメリカがドイツに宣戦布告し、この大戦に加わっていた。 
 シュタイナーは、戦後に出されたウイルソン十四か条の平和原則についても批判的であった。その背後に、英米ブラザーフッドの思惑を感じていたのであろう。
 結局、ドイツに厳しい戦後処理もあり、ナチスが台頭して、世界の平和は実現せず、第2次世界大戦へとつながった歴史を見ると、そうした思惑が垣間見える様に思える。
 背後にあったのは、人類の未来を巡る戦いである。一つは、キリストの再臨(エーテル界での出現)を、もう一つは、現在のアングロ・サクソン文化の次に予定されているロシア文化を巡り、それらを進める動きと、阻止しようとする動きの対立である。

 現在、またウクライナ危機が創り出されている。そこにコロナ禍との関連はあるのだろうか? 人類は今、二つの危機に直面しているのだろうか?