k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

輪廻転生をふまえた人体解剖学

 

ヨハネス・W・ローエン氏

   人間が輪廻転生するというのは、人智学における基本的認識の一つである。しかし、キリスト教において(ということはそれを信仰している人々においては)、それは一般的に認められていない。シュタイナーは、この失われていた認識を復活させることを自身の使命の一つとしていたと言われる。
 当然、人智学派にはこれに関する多数の著作がある。その様な中でも、以前、「生理学的観点から見た輪廻転生」という記事で紹介した、人智学派の解剖学者ヨハネス・W・ローエン氏の論考は。特別なものだと思われる。輪廻転生の一般論ではなく、解剖学者として、人体と輪廻転生の関わりを具体的に論じているからである。

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 だが、前に掲載した論考は、輪廻転生についての総論的な内容が多く、解剖学者として専門とする人体組織の輪廻転生との関わりについてはあまり触れられていなかった。そこで今回は、この各論的部分を紹介する。

 これは実は、前回紹介した本の文章の前に位置する文章である。

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 生物学的プロセスとしての輪廻転生

 ルドルフ・シュタイナーの輪廻転生論は、それ以前の時代の輪廻転生の教えとは根本的に異なっている。何よりも、人間の[肉体、エーテル等]構成要素の変容だけでなく、人間に働きかける「神々」と世界の発展も含んでいる点によってである。それによって、それは人間や世界全体を包含する進化学の根幹となる。そこでは、人間は、もはや、物質的な法則によってのみ支配される、死んだ、機械のような、硬直した世界を目にしている脇役としてではなく、世界の発展そのものの中で中心的な、責任ある一員であるように見えるのだ。「霊的研究者」(シュタイナーは繰り返し自らをこう表現している)のこうした洞察の途方もないこの次元は明白である。オカルトの領域では、プトレマイオスの世界観(物理的ではなく精神的なものにおいて)がここに再び根拠を持ってくる。シュタイナーは、彼の今の受肉における彼の中心的な仕事は何かという質問に対して、現代的な輪廻転生理論の構築とカルマ的関係の解明を挙げている。実際、シュタイナーの輪廻転生説が一般的で自明な人生観になれば、私たちの生き方や行動全体に急激な変化をもたらすだろう。この秘教的な探求の成果が人間の公共財産となれば、それは、精神上の根本的大変革を意味する。500年前に、中世から近代へ、信仰の世界から知の世界へというように、意識変化が起こるからだ。人生と発展は、再び意味を獲得し、人間は、厳粛な真剣さをもって、人間と世界を発展させ、「神々の目的」に調和したより高い存在形態に引き上げるために努力するようになるのであるルドルフ・シュタイナーの伝記の悲劇は、彼がカルマ研究の成果を語ることができたのが人生の最後の最後であり(GA233-239参照)、彼のメタモルフォーゼの教えの包括的叙述に至ることができなかったことである。

 シュタイナーの輪廻転生論の中心的な内容は、次の通りである。

1.私自身の霊的(神的)存在の核としての「自我」が死後も保存さる。

2.霊界を通過する際に胴体部(すべての器官を含む)が頭部に変化(変成、メタモルフォーゼ)する。

3.死後の発達段階における存在メンバー(エーテル体、アストラル体など)の変化とこれに伴うカルマのプロセス。

 このことは、人間の肉体の進化的なさらなる発展、すなわちキリストの行いの意味での肉体の霊性の高まりと密接に関連していると見なければならず、仏教のように、転生から転生へと強くなっていく「苦をもたらす」肉体からの離脱と霊化の過程として見てはならない。しかし、シュタイナーの輪廻転生説の物質的側面こそ、人間と世界を理解する上で非常に基本的かつ中心的なものでありながら、今日に至るまで十分な理解やさらなる発展が得られていないのである。シュタイナーの講義では、それらは、あちこちに、また部分的に、ただ示唆的に語られているのである。しかし、もう今日においては、断片的ではあるものの、全体像を描くことができるのである。

 

1.[人間の]構成要素の死後の変化

・・・人が見ているのは、もはや動かず、どんどん分解していく硬直した体だけだ。・・・もはや生命現象の蘇りは観察できない、魂は肉体に戻らない。細胞や組織が崩壊する。内部の濃度関係の不均衡を維持してきた細胞膜で活動していたイオンポンプが働くのを止めたのである。成分は物理法則に従い、物質の濃度差をならし、固体・液体物質は地上に、気体物質は周囲に移行する。シュタイナーは、霊的なものである限り、熱だけは例外であるという。私たちの肉体の霊的なもの、ある意味ではその原型、その霊的構造は、朽ちる(verwesen)(なんと深遠な言葉!)物質から離れ、「全宇宙に取り込まれる」(GA168号、70頁)、ただ熱の中に生きている「この霊の一部が分離し、地球とともに残る。熱、私たちの内なる熱、私たち自身の熱は分離され、地球と共に残るのである。しかし、肉体の中にある霊的なもの以外のはすべて、世界空間全体、宇宙全体に運ばれていくのです」(GA168号、71頁)。

 ここでは、私たちの生だけでなく、世界や進化など、私たちの存在の中心的な問題に触れている。このことは、この先も私たちが心がけることである。

 シュタイナーのオカルト的観察によれば、死は残された者にとってとても悲しいものであり、死者自身にとっては大きな出来事として映る。彼は、死を、肉体に対する霊の輝かしい勝利として経験する。死は彼にとって「最も偉大で、最も輝かしく、最も重要な出来事」として現れ、その中で彼の「死後の自我意識」が起きるのである。人は、死ぬ瞬間を「自分の前にある最も輝かしい、最も荘厳な瞬間の一つとして」(GA168.p.71)常に持っている。

 実際、「致死的事故」や「溺死」の後に生き返った多くの人々が、この「死の瞬間」の光に溢れるさまと幸福感を異口同音に語っている(例えば、Jankovich, 1985を参照)。

 決して、自我意識を失って、無の闇夜に沈んでいくわけではない。エーテル体は肉体から切り離され、魂と霊は肉体とのつながりを失うが、「自我」の意識は溶解することはない。かつて身体が満たしていた空間を振り返り、その場所に残る「空虚」を見つめる。

「私たちは、超感覚的力として肉体の根底にあるものと共に、死から新しい生までの間、世界のあらゆる場所―空虚のままのとどまっている場所を除いて-に存在しています。それは、私たちがこの物質的世界で、皮膚の中で占めている空間です。そして、私たちはいつもこの空虚に目を向けているのです。そして、自分自身を上から見て、空洞を覗き込むのです。私たちが覗き込むものは空のままですが、それは、私たちがその根本的な感覚をもつほどとても空のままなのです。...強力な内なる生の経験、強力な経験と結びついています、...それは今や、死と新しい誕生との間の全人生、... 私たちがあの世の人生と呼ぶものに同行している感覚です。それは、世の中には、何度も何度もあなたによって満たされなければならないものがあるという感覚です。そして、人は、自分のみがそのために存在しうるもののために、人が世の中に存在しているという感覚を獲得するのです。人は、世界に自分の場所を実感するのです。自分が、それなくして世界は成り立たない世界の構成要素であると感じるのです。それがこの空虚の認識です。」 (GA 168, p. 73/74)

 そして、私たちの肉体の根底にある霊体の空虚な領域のこの認識は、(おそらく何度も転生して初めて)この空間の空虚を霊体に戻すために、つまり、ゴルゴダで起こった新しい誕生を自分の個体でも再現するために、再び転生する衝動を呼び起こすのである。

 多くの臓器を持つ肉体は、大宇宙全体の力を含んでおり、したがって模像的に小宇宙を表している。【訳注】死後、この小宇宙は、「空虚の空間」すなわち死体を除いて、大宇宙に「広がる」(上記参照)。したがって、死後は壮大な反転、あるいは変容のプロセスが起こるのである。大宇宙に流れ出た臓器や組織の力は、残された「空洞」 を埋める新たな肉体へと新たに凝縮される-今度は勿論、過去生の人生体験の果実により豊富化されて-。

【訳注】秘教では、大宇宙と小宇宙(人間)は照応関係にあるとする。人間の各組織は、実際にそれぞれ個別に各天体の影響を受けている。

 

 その際には、シュタイナーによれば、胴体の器官が頭部に変容する。古い頭は突き出される。死後の時間の大部分(通常数世紀)は、新しい組織の頭部への胴体の変化のために費やされる。この組織には、人間が本質的に「祖先から、地球から」受け取る、新しい胴体-肉体が取り付けられるのである。このように、人間は「本質的に二重の性質を持っている、・・・。頭部は、他の部分と全く異なる観点から構築されているのです。」(GA170号94頁、付録10)である。

 死後すぐに、頭部は分解し始める(溶けさるのである)。つまり、頭の形成力は流れ去っていき、もはや体験されることができない。身体の他の部分の形成力、胴体のエーテル体とは異なる。シュタイナーが繰り返し強調しているように、私たちの記憶は神経系だけでなく、主にここに保存されているのである。それが解放されることで、過去のすべての人生を網羅した、光に満ちた巨大な記憶のタブローが出現するのだ。鮮明なイマジネーションの中で、過ぎ去った人生の出来事が意識に現われるが、それは、死後2〜3日ほどを要する。そして、これらのイメージは薄れていく。それらは、ある意味、宇宙へ「飛んでいく」のだ。私たちはそれらを保持することはできず-世界が、それらを私たちから取り去るのです。(GA 234, p.150)。

 しかし、そこにまったく新しいものが現れる。記憶のイメージの背後に、次第に、道徳的な価値観が浮かび上がる。イマジネーションの領域からインスピレーションの領域へ、私たちは移行する。これがアストラルの世界である。今、「誕生までに経験したすべての行いの霊的反対像が見えるようになるのです。」(『GA234』152ページ)--このプロセスは、一生の約3分の1も続く。今、私たちは、自分の感情ではなく、他の存在の感情を体験することによって、自分が他人に与えた過ち、幸福や不幸を経験する。これは、燃えるような痛みをもたらすが、同時に大きな満足感ももたらす。ここは、かつて煉獄とかカマロカと呼ばれていた領域である。そこで、新しい人生で過ちを正し、カルマのバランスを取りたいという衝動が生まれるのだ。宇宙的に言えば、ここはまだすべて月領域である。【訳注】

【訳注】シュタイナーによれば、霊的認識には、イメージ(像)によるイマジネーション、音によるインスピレーション、そしてイントゥイッション(そのものと一体となる感覚)がある。自分の全ての行いを(相手の立場から)再体験する期間は、その人の人生の三分の一ほどの期間とされる。90歳で亡くなったなら30年かかるのである。

 

 アストラル体が「不純物」を取り除き、自分自身から不純物を分離して初めて、魂は太陽圏に接近することができるのだ。しかし、人間は、カマロカの後、月圏から太陽球、そして恒星圏へと移行する力を持っていない。ここで「高次の太陽の存在」(キリスト)が人間を助け、「運命の核から解放」し、星の圏に引き上げる。それにより人は、(自分の)未来の体の霊的な部分を造り上げることができるようになるのである。(GA 215, p.177)。

 今や、胴体の器官や器官システムから頭部の器官や器官システムへの壮大な変容と再編が始まり、そこでは[天使群の]第一ヒエラルキーと第二ヒエラルキー存在が決定的な役割を果たす。

 しかし、この様々な惑星圏(月、水星、金星、太陽圏、そして火星、木星土星圏)を通過する間、人間の魂の意識は、交互に明るい状態と暗い状態を通過する、つまり内なる光が輝き、(霊的)外部世界へと向き、しかし再び自分へと向き、光が消えていくと想像しなければならない。そして、ついに-死と新しい誕生の中間で-内なる光の力は少なくなり、霊的周辺世界の概観はどんどん暗くなっていく。内的体験はますます豊かになり、人は、言わばしだいに目覚める、しかし「霊的な世界で閉ざされたように感じる夜へと」(GA 63, p.344)。これは「霊的な真夜中」または「世界の真夜中の時間」であり、そこでは、地上に再び向き合いたいという切望が目覚め、内的な転換が起こり、最終的に新しい身体性への新たな受肉が起こるのである。したがって、死後のプロセスは「円環的」であり、図17の図にレムニスケートのイメージが選ばれたのはこのためである。

 自分の霊的核の覆いをすべて脱ぎ捨てた後、ある意味で、「霊的宇宙の前に精神的に裸で」立っており、その宇宙が私たちに再び「服を着せる」のである。(GA 234, p.161)

 この "服を着せる "のは、地上での生活において、我々すべての思考、感情の動き、人生経験などすべてにすでに関心を持っていた神々(とりわけ上位の階層)の協力によって行われる。(GA 168) これらの知恵から、これらの経験を取り込んで、先ず人間の新しい肉体の頭部を形成するための基礎となる霊的体が形成される。世界の真夜中の時間が過ぎると、人間自我の地上への降下が始まり、そこで再び太陽圏を通過しなければならない。月圏では、あとに残されていた不完全な部分やカルマのかけらが、新しく出現した私たちの構成要素に組み込まれ、それにより私たちは、地上の新しい生活でそれらを解消しバランスをとることができるのである。このようにして、受肉から受肉へと、人間存在を、魂と霊の存在の核だけでなく、肉体そのものもより高度に発展させることができるのである。

 

2 頭部のメタモルフォーゼ

 ルドルフ・シュタイナーは、残念ながら頭の形成については、ほんの少ししか言及していない。たとえば、1923年11月11日(GA 230, p.215)で次のように語っている。

「...高次の世界の霊的存在が人間と一緒に働いて[...] 次の転生の形態となるものを、最初は霊的に形成しています。そして、この霊的な形は、胎児として物質的生命に与えられたものとつながっていくのです。しかし、天上の霊界では足と脚が頭の顎に変身しています。そこで腕と手は頭のヨーク骨(上あご)に変化します。そして、下方の人間全体が、今度は後の頭のための霊的原基となるものに変化します。それは、人が認識により世界から体験できる最も驚くべきものと言えるでしょう。どのようにこの変容が生じるのか、ある意味で、まず世界全体の模像が作られ、それがどのように形へと分化していくのかということです。」(GA225, pp.29-31;付録10も参照)

 頭部はいわば、常に「全体の似姿」である。その中に、全体がより高い次元で反映されており、それを、私は以前の論文で統合と呼んだ(J. W. Rohen, 2007)。ゲーテが輪廻転生の過程と関係なくとも、すでに原理的に認識していた椎骨の変容の場合、個別の椎骨の変成ではなく、すべての椎骨の頭蓋骨の基底骨への変容が問題なのである。脊柱全体の形状は、頭蓋骨の底部の2つの中心骨、蝶形骨と後頭骨に統合されており、これらを合わせてOs basilareとも呼ばれる(図18)。しかし、椎骨の後方部分、すなわち6つの突起を持つ椎弓は、現在、同じく6つの突起(翼)を持つ蝶形骨として前面に現れている。そして、前方部分、つまりふっくらとまたどっしりした形状を持つ椎体が、小脳が埋め込まれる後頭骨の殻となるのである。突起部と継ぎ手をもつ椎骨の後方部分は、運動に、特に直立運動と直立歩行に使われる。蝶形骨のあたりでは、この直立の力は、精神的に体験できる自我の力となっている。ここに、脳下垂体があるトルコ鞍が存在する。そしてそれとあまり離れずに、松果体が存在しており、それにより、松果体と脳下垂体の間の、頭の中心部分で、精神的事象が生起することが可能となっており、ルドルフ・シュタイナーは、これを火花が飛び散る様子に例えて、記憶の事象の基礎としている(GA 128, pp.86-88)。しかし、この領域は、記憶の事象にとって重要なだけでなく、上に示したように、生体の中で上昇あるいは下降し、意識ある自我存在としての私たちの生命を構成する物質的・精神的な流れ全般にとって重要である。したがって、変容した脊柱は、頭蓋骨の底部に、脳の集中点としてのその上の松果体(それに属する「愛の槍」のように)により霊的なものからのインパルスを受け取り、自我という存在が世界において自由と愛を実現することを可能にする聖杯の鉢を形成するのである。これはいわば、脊柱の変容した直立力である。

 

図18 脊椎の変態の模式図。椎骨の基部(蝶形骨と後頭骨)は、椎骨全体が変成したものだが、反転して一体化した形になっている。

 

 頭部では、おそらく脊椎の肋骨要素が変容したものであろう鰓弓部(咽頭弓など)がこれに隣接している(図19)。これらが胸部で呼吸器となるなら、それから、頭部では、空気の振動の精神的なものを知覚できる器官、すなわち音伝導器(耳小骨)、音生成器(喉頭、舌骨など)が生まれるのである。ここで再びより高次の形成段階への統合プロセスが生じた。そこでは、肋骨のリズミカルに繰り返される形姿的要素が、聴覚や言語という人間の新しい機能領域に用いられる、分化した個々の器官(耳介、喉頭など)となっているのである。空気の動きに精神的なものを感じ取り、それを言葉にして伝えることは、身体の直立によって初めて可能になったことであり、したがって、直立あるいは自我の力の結果でもある。

図19 5つの「鰓弓」(咽頭弓、青枠)が、聴骨(マレウス、アンビル、蝶形骨)、発声器官(喉頭、舌骨)に変態する様子。

 

 この直立の過程と密接な関係がある顎の骨の変容もこれから理解できる。人間への進化では、下肢が長くなり、まっすぐに、つまり垂直になった。足は直角に曲がり、垂直の支柱が生まれた。こうして、上肢(肩甲骨と鎖骨のある腕)が解放された。下顎は下肢の変容、上顎は上肢のそれと見ることができ、これについては後述する(p.142参照)。

 頭部では、下顎は、口腔底と顎関節のための角度のついたブラケットを形成しており、これは、この折り曲がりにより圧力負荷からほぼ独立することとなり、その結果、発話の形成に役立つことができるようになった。わずかにアーチを描く口蓋を形成する上あごと一緒になって、言葉や音を形成するための「子宮」としての役割を果たすことができる口腔という空洞を頭部がついに生まれた。

 これらの変容を理解するためには、それに対応する内部の臓器も見ておかなければならない。女性の場合、骨盤には内部の性器(子宮、卵管など)があり、頭部では変容して発声器官(口の器官など)になる。

 生殖器官が現在の形に発達したのは、人間ではごく遅く、シュタイナーによれば、それらはもはや発達する能力はなく、すでに「崩壊の過程にある」(GA100、P247)。一方、「心臓や喉頭、言葉の形成に関わるもの全て」のような器官は、「まだ“萌芽状態”にある器官に属する。そこから、その機能的に生殖器に代わり、はるかに凌駕する器官が形成されるのである。それらは、最高の意味で随意的な器官となるのである。」(『GA100』P247)。

 

 そして他のところでは、本来、人間の咽頭は未来の器官であると述べられている。「現在、喉頭は言葉を通して私たちの内的状態だけを外部の世界に伝えているが、将来は、私たち自身のすべて、つまり人間全体を生み出すのに役立つものを伝えるようになるだろう。それは、未来の生殖器官となる。将来、人間は喉頭の助けを借りて、言葉によって自分の心情の状態を表現するだけでなく、喉頭を通して世界の中に自分自身を表現する、つまり人間の繁殖は喉頭という器官に結びつくことになるだろう。」 (GA 134)

 しかし、これは非常に遠大な視点であり、シュタイナーによれば、地球の将来の惑星発展期においてのみ起こることなのである。それでも、それは、これらの器官の現在の形を理解させるような傾向を提示している。

 人間の場合、口腔は直立によって調和のとれた中空空間となり、その空間のわずかな変化により、喉頭から吐き出される空気量に、定められた形を与えることができるようになった。それは、喉頭(発声)と口腔(調音)の相互作用によって、ちょうど、人間が男性と女性の生殖器官の相互作用によって骨盤の中で受肉するのと同じように、ある意味で「受肉」する言葉の鋳型となる。

 生殖器がある骨盤の空間は、レムニスカート状に湾曲した骨盤骨と、5つの椎骨が融合してできた三角形の仙骨が融合することで形成されている(図20)。脊柱の上端では、最初の2つの椎骨(第1頸椎と第2頸椎=軸椎)の分化により、最大限の(最も繊細な)運動の可能性が得られるが、下端では、直立歩行の安全のために運動の可能性を大きく犠牲にした固い骨が形成されている。角度のついた大腿部と股関節とともに、上からの体重負荷と下からの重力の影響の相互作用において、ダイナミックで調和的なバランスを保つことができる安定した丸天井のアーチがここに形成されている。このイメージからすると、骨盤の前部にある恥骨弓の三角形の形状は、ほとんど象徴的な意味を持っていることになる。仙骨の三角形に比べ、恥骨弓の三角形は逆向きで、先端が上を向いている。ここでは、言わば、空間が取り去られているので、ここから子供を宿し、かつ、生まれることができる(図20)。羞骨と仙骨の三角形は、互いに投射し、それが旧約聖書で神(上の三角形)と地上の力(下の三角形)の相互作用の象徴とされてきたように、互いに重ね合わせて6角形の星(六芒星)を形成している。仙骨がOs sacrum、聖なる脚と呼ばれていたことと関係があるのだろうか。いずれにせよ、ここにもなお、高次の次元に属する、明らかな秘密があるのである。

図20:骨盤と仙骨、大腿骨(正面から)。骨盤は内側に曲がったレムニスケートを形成し、骨盤腔を形成しています。仙骨と恥骨は、互いに投影すると6角形の星形になる(右図)。女性の骨盤内空間では、出産前に子供が発育することができる。

 

 このような構造を背景にすると、それに対応する頭部領域の変容も理解できるようになる。シュタイナーによれば、下肢は下顎に変容し(GA 230, p.211)、その際、Schlaefenschuppeと側頭骨錐体を含めると、口腔を包む大きな、ベルト状のリングが生じる。そして、これが言葉の「産道」となり、これは、骨盤の輪のように外に向けて開くが(口の開き)、また内側にも、のど(咽頭)を通して喉頭や食道へと開いているのである。そのため、聴覚器官(言葉の知覚)と喉頭(言葉の生成)は、この構造的複合体に含まれる。股関節が3次元空間において上下の力の調和を生み出すように、頭部にある2つの顎関節は、一方で、発声のための口腔の変形を可能にし、しかしまた他方で、咀嚼時の食物の粉砕、すなわち消化のための空間一杯の物質の溶解を可能にする器官である。

 この上と下の力の二面性は、上肢とその変容である頭部領域にも表れている。直立によって上肢が解放された。下肢だけで空間移動が可能である。今や、これで腕は、重力関係を考慮することなく、上と下の間を自由に行き来できるようになった。垂直方向は、ある程度、3次元の次元から外れることになる。シュタイナーはかつてこのことを次のように表現した:「腕と手の動きの中で、私たちは自分の行為において次元性を次のように体験しています。私たちは、自分自身の行動で2つの次元を完全に経験しており、・・・三次元(上-下)は、既に意識の中にあります。」-ゆえに、ある意味で、これは私たちが積極的に対処する必要のない与件を表す。(GA 324, p. 39) しかし、私たちは水平方向にのみ(あるいは主に)意志を持ってここに生きていることによって、垂直方向、すなわち上下方向の次元で起こるすべてのことは、イメージに、すなわち霊的なものにとっての身振り、模像、表現の要素になり得るのである。手のひらを上に向けると「受け取る」、下に向けると「与える」「祝福する」「行う」という意味になる。この2つの対極的ジェスチャーにおける前腕骨の回転(プロネーション=内転、スーピネーション=外転)は、これらの関係を明確に反映したものである。

 この観点から上顎を見ると、手と腕の動きの二元性が、全体として一つの大きな形の総体に統合されていることがすぐにわかる。すなわち、上顎の、上方に向かう翼状の前頭突起に上方への回旋(いわばsupinatory gesture)、下方に向かう歯槽突起に下方への回旋(いわばpronatory gesture、図21)である。歯は咀嚼に役立つだけでなく、音の形成にも一役買っている。前頭突起は、思考領域(「上方」)を表し、形状的にはその人の思考能力、ある面では自我の性質も反映している前頭骨に隣接している。歯槽突起は、門歯、犬歯、臼歯の3つのグループに分けられ、合計16本の歯が閉じた弓状に並んでいる歯列をもっている。これらは、これまで時折想定されてきたように、おそらく個々の指に対応するものではなく(Mees, 1981)、むしろそれぞれの歯が、空間の三次元性の中に形成される身体の身振りを自己の内に統合していた可能性があるのだ。この動きのダイナミックさは、上肢のジェスチャーに最もよく表れている。手を上に向けると(腕の外旋、スーピネーション)、すべての指が隣り合わせになる。手は何かを取り上げたり、受け取ったりすることができる。しかし、何かを掴んだり、手作業で何かをしようとすると、親指を指の反対側に置き、腕を内側に回す(プロネーション)必要がある。それにより、この手の2つの基本動作は、人間が空間世界の中でどのように位置づけられるかを示している。そうすることで、それらは、心魂体験のジェスチャーにもなるのである。手を上に向ける(supination)ことは「精神世界に向くこと」(ホモ・サピエンス)を意味し、手を下に向け内側に向ける、つまり拳を作りつかむことは「地上に向かうこと」(ホモ・ファベル)を意味すると解釈できるのである。

 

図21:上顎骨(矢印)が前頭突起で前頭骨に振り上げられ、歯突起(歯槽突起)で歯列弓に到達して咀嚼作業に参加する運動力学。頬骨弓のブライヤーは、顔面脊柱と大脳脊柱を挟み込むようにしている

 

 歯列の中で、食べ物をとるのは切歯だが、まだすり潰したり消化したりはしない。それは、まだ、すべての指が平行に並んで、受けるように上に向けた手のような形状である。切歯が特に発達しているのは、常に餌をかんでいるが、咀嚼に費やす時間は少ない齧歯類である。一方、反芻動物では、臼歯が特によく発達している。それらは、切歯にわずかに存在する歯の隆起を拡大させ、水平な咀嚼面を発達させたものである。この隆起の形成過程は、手の親指の対峙に例えることができる(J. W. Rohen, 2007参照)。親指と他の指の対峙によって、手は地上に働きかけ、変容させる効果を持つ握り手となるのだ。臼歯は水平な咀嚼面を発達させたので、特に「咀嚼」、つまり食べ物を粉砕・消化するのに適している。これは、手が地上界で物を掴んで作業するときに行う作業と基本的に同じである。

 犬歯は、形的に臼歯と切歯の中間的な位置を占めている。特に、獲物をじっくりとすり潰すことのない肉食動物では、差別化が図られている。動物では、歯列は通常、非常に片寄った分化をしているが、人間では、3つの歯の基本的な形がすべて調和した形、すなわち隙間のない歯列を形成しており、これは人間の精神構造の表現ともなっている。切歯の個々の形は、人が周囲の世界に対してどのように振る舞うかを反映しており、何でもつかみ取り自分の方に引き寄せる「げっ歯類タイプ」(突き出た大きな歯)か、より内向的で周囲世界を退けるタイプ(小さく内向きになった歯)かを表している。犬歯が強く発達している人は情緒不安定で短気な人に多く、逆に強力な臼歯は代謝が活発で肥満傾向の人に多い。顔の頭蓋骨が全体としてそうであるように、歯列も、個々の歯の形に至るまで、運動人間全体のイメージである。ただし、頭部では、ダイナミックな事象の多様性が全体の形に統合され、いわば(比較的)永続的な形に凝固しているのだ。

 ここで、シュタイナーが何度か言及している、手足の骨(管状骨)から頭蓋冠への変容について考えてみよう(GA 323, p.27など)。そこでは、特に、このメタモルフォーゼは、手袋をひっくり返したようなイメージで、無限に続く巨大な変化の過程として全体を想像しなければ理解できないことが強調されている(付録11)。しかし、このイメージはあくまでも最初のアプローチとしてであり、全体としてはもっと複雑なプロセスであることは間違いない。頭蓋冠の形成は、全体的に見て、五芒星のような形をした5つの骨化点から始まることは、すでに前述したとおりである(図13)。骨化は、結合組織から直接起こる(結合骨化)、つまり管状骨(コンパクタ)の表層のように外側から直接起こる。しかし、管状骨は骨髄を内部にもっており、骨髄はより網目状の骨質(海綿体)の中間スペースに収容されている。この骨の柱状の台架は、地球の力を受けており、現状の負荷(軌道)に応じて構造化されている。一方、外側(コンパクタ)は筋肉とともに実際の運動系を表している。したがって、外側(デスマル)から形成されるコンパクンタは、形成的な宇宙の力の影響下にあり、スポンジオサ(海綿体)は地上的な力の影響を受け、造血の骨髄を通じて代謝と血液循環に仕えている。・・・

・・・

 最後に残るのは、脳そのものの形成です。これについては、シュタイナーからの情報はない。一度だけ彼は、大腸と大脳の機能的な関係を論じた(GA 312, p.93 ff.など)。腸は栄養摂取のために使われるが、栄養摂取は、食物を直接吸収することにあるのではなく、実際には物質世界との分化した対峙を示しているのである。物質の完全な分解と対応する身体本来の実質の再構築が、上記で説明したように、関連臓器(肝臓、心臓、肺など)の活動によって初めて栄養プロセスとなる消化のプロセスを特徴付けている。大腸では、消化物が再びとどめられ、いわば内側から「見る」ことで、体にとって重要な物質を選んで取り込んでいる。ここでは、物質的な領域で、生体の生命にとって大変重要な一種の知覚のプロセスが起こっている。大腸と同様に、脳の他の部分の上に花づなのように配置されている大脳でも、感覚的な印象は、処理され、必要に応じて記憶に留められる。これも結局は環境との対峙であるが、物質的なものではなく、魂的霊的なものである。大脳の下にある大脳皮質下の中核領域で、例えば上部腸と関連臓器(肝臓、膵臓脾臓など)と同様のプロセスがどの程度行われているかは、まだ調査する必要がある。

 今日、頭部、特に神経系のメタモルフォーゼを、代謝器官と結びつけて実際に即して把握するのはまだ早すぎる。ここに、後世の課題がある。

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 このセクションは、専門的な内容が多く私自身理解があまり出来ていないので、解説も出来ない。長いので途中省略した。

 このように胴の頭部への変容というシュタイナーの主張をふまえて、ローエン氏は、解剖学の知見から実際の胴と頭の骨の対応関係等を考察しているのだが、勿論、これが正しいかどうかは分からない。

 ただ、両者に対応するものがあるらしいということは感じられるのではないだろうか。

 また、輪廻転生をとおした身体のメタモルフォーゼ(変容)という観点をふまえると、人体についての考察がより深まるように思える。人体には、人間の過去と現在そして未来が混在しているのだ。過去の身体が自身の現在の身体を作り出し、また未来の身体を準備している。あるいは、喉頭は未来には生殖器に変容するとされる。秘教においては、すべてが進化の相の下に捉えられている。現在の人体は完成されたものではなく、まだ進化の途上にあるのだ(また人間そのものも)。

 

 上の文章は、輪廻転生をテーマとしているので当たり前だが、人の死後の出来事も語られていた。人智学者としては当然であるが、解剖学の大家がこのような文章を記していることには、驚きを感じる。

 人智学の立場に立って未来の医学、解剖学や人間学を考えるなら、そこでは、このような文章が当たり前になるのかもしれない。目に見えるものだけで人体や人間そのものの真の姿を理解することはできないのである。
 一方で、このような機械論的、唯物論的見方を「常識」とさせる流れも存在してきた。そのような流れは、人間に霊性を認めない。人間を動物以下の存在にしようとしているともいえる。
 コロナを巡る状況を見るとき、そうした動きが強まっているようにも思える。
 今、どちらの流れに人類の未来を委ねるかが問われているのである。