k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

第10のヒエラルキーとは?

 

 このブログでは、天使達をよくヒエラルキー存在と呼んでいる。これは、人智学派がよく使う表現に倣ったものなのだが、ヒエラルキーとは、日本語にすれば「階層」などの意味である。

 霊的存在達も進化していくのだが、天使にも色々種類があるのは、これまで辿ってきた進化の経過の違いによるのである。それはまた天使の種類により「霊的な力」に、あるいは「神との霊的距離」に差が存在するということである。より早く進化の道を歩んだ天使ほど力が強く、神に近い存在(逆に言えば人間から遠い)となるのである。より早く進化した霊ほど力があるというのは、その進化の期間が長いほどより強力な存在となるからである(この場合、期間とは物理的時間とは異なるが)。

 このようなことから、天使にも序列が生じる。これが階層構造、即ちヒエラルキーをなしているので、翻ってこうした天使群をヒエラルキー存在とも呼ぶことになったのだ。

 

 このヒエラルキー存在には当然名前があるのだが、よく知られているのは、キリスト教において使用されている名称であろう。その様なものとして有名なのが、「偽ディオニシオス・アレオパギタ」によるものである。

 ディオニシオス・アレオパギタは、「『ディオニュシオス文書』(Corpus Dionysiacum)と呼ばれる一連の神学的文献群の著者と同定されている人物である。この文献群は、元々は『使徒行伝』(17:34)に一度だけ登場するアテナイのアレオパゴス評議所の評議員である『アレオパゴスのディオニシオ』の手によるものと長年信じられてきた」(ウィキペディア)。しかし、「15世紀以降、その文書群が後世の別人によるものだと判明したため、著者の区別をつけるため、“偽”(ラテン語 Pseudo)という接頭辞をつけて呼ばれるようになった」(同)のである。

 『ディオニュシオス文書』には「天上位階論」のような天使を論じた書物があるのだが、現在ではこのように、一般的には、歴史的なディオニシオス・アレオパギタの作ではないと考えられるため、あえて彼の名前の頭に「偽」と付けられているのである。

 しかし、シュタイナーによれば、これらはまさしくディオニシオスの作と言えるのである。というのは、彼は、『使徒行伝』に述べられているようにパウロの弟子であり、その秘教を受け継いだ者であったからである。その教えに天使論があり、それらは当初口伝で伝承されたが、後に書物に書き留められたのである。それが『ディオニュシオス文書』の元となったのだ。

 

 さて、ディオニシオスによれば、そしてシュタイナーによれば、天使達は、3つ組の3階層に分かれている。それらの3階層は、上位からそれぞれ三位一体の父、精霊、子の相に対応するという。具体的な名前は、次のようである。なおシュタイナーは、これに天使の特徴を表現する独自の名を付けているので合わせてこれを付す(*印)。

 

熾天使セラフィム) *愛の霊

智天使(ケルビム)  *調和の霊

座天使(トロノイ、王座)  *意志の霊

主天使(キュリオテーテス、主権)  *智恵の霊

力天使(デュナメイス、力)  *動きの霊

能天使(エクスーシアイ、能力)  *形の霊

権天使(アルカイ、権勢)  *人格の霊、根源の力の霊

大天使(アルカンゲロイ)  *炎(民族)の霊

天使(アンゲロイ)  *生命(あるいは黄昏)の子

 

 9階層の天使は、上にいくほど神に近く、下に行くほど人間に近い存在となる。一番下の天使は、各人間を守り、指導するいわゆる守護天使となるのである。

 

 しかし、天使は9階層に分かれるとされるが、実は、これが全てではない。シュタイナーによれば、第10番目の階層、ヒエラルキーがあるというのである。しかしそれはまだ生まれてはいない、今は生まれつつあるのであり、それが実際に誕生するのはまだずっと先である。

 第10のヒエラルキーとは何であろうか?

 今回は、これについて述べている論考を紹介する。前回掲載したハンス=ヴェルナー・シュレーダー氏の『人間と天使』の中の一節である。

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第10ヒエラルキーの出現について

 この本の最後に、現在の人類の状態ではほとんど予感することができない、未来の人間像についてお話しします。それは、現在、まだその偉大さが覆い隠されており、未来になって初めて現れるものです。しかし、そのとき、人間の成長のために無限の「投資」がなされていたこと-それは、ゆっくりとしか実を結ぶことができないのですが-が明らかになります。パウロは将来の「神の子たちの顕現」について語っており、それはまさに将来の人間像を指しています。また、ヨハネはその最初の手紙の中で「私たちが何になるかはまだ現れていない」と述べています。キリスト教的な意味で、「希望の原理」(エルンスト・ブロッホ)は、この人間のまだ隠された未来の力と結びついています。

 人間の発展は、大いなる宇宙的関連の中にあります。人間は、創造的な自由とより高い善の担い手となるよう召されており、パウロがその「現れ」を宣言している「神の子」となるのです。この賛美の言葉には、さらに大胆な言葉が添えられています。それは、キリストが旧約聖書から取り上げて確認した言葉です。それは、「あなたがたは神々です」と言われています。これは、人間が神性に似ているという古代の知識とのつながるものです【訳注】。これらすべてが最初はベールに包まれており、また堕落によって、まるで失われてしまったように見えても、それはまだ人間の中に「投資」され、隠されているのです。ちょうど、芋虫やさなぎの中に、蝶の形が密かに準備されているのが見えないように、人間の中に隠されている未来のイメージを見ることはできません。

 

【訳注】旧約聖書の創世記1章26節に「神は言われた。“我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。”」とある。つまり人間は神の「似姿」なのである、なお、文中では、神が「我々」と語っているように、この神は、実際には唯一神の父なる神ではなく、そのしもべの天使であるエロヒム達であるとする解釈がある。

 

 しかし、今日、私たちは人間の未来への道において決定的な段階に入っています。このことは、多くの人が、多かれ少なかれはっきりと感じていることです。私たちはすでに、運命において天使たち、民族の指導と言語の活性化において大天使たち、人類の指導領域において根源の力の霊(アルカイ)の働き【訳注】がいかに変化しているか、これらの存在たちが、それらの任務からの後退がいかに起こっているか、そして、人間が、自ら霊的存在たちとつながり、それによって彼らの協力を自分自身の運命と人類の発展に新たに呼び込むことがより一層、人間に委ねられなければならないという話をしたときにこの事実について触れました。このことが人間の自由をさらに発展させるために必要であることも、すでにお話ししました。

 これらのヒエラルキー存在達が、人間を救うために、敵対的力の影響を緩和し、バランスをとっていなかったなら、これまで人間は、敵対的力に救いようがないほど陥っていたでしょう。天使的存在の直接的な指導と導きは、人間にとって必要であり、有益でした。しかし、常にそれらが継続するわけではありません。人間の力は成熟していくものです-個人の人生において、人間が成長し、両親の指導から抜け出ていくのと同じです。今世紀、人類にも精神的な成熟の時期が来ているのです。ヒエラルキー存在が退き始めているのです。

 

【訳注】天使は人間個人を、大天使は民族(その民族の言語も)を、根源の力の霊は進化の一定期間の時代を導く役割を担っている。

 

 このことは、人類の発展にとって二つのことを意味します。第一に、個人としての人間、そして人類全体が、以前よりもはるかに敵対者の猛攻撃にさらされるようになったことです。この事実は、はっきりと体験することができます。人類は、眠っていた、成熟した力を霊的な成熟という意味で使うことを学んでいるかどうかを示していかなければなりません。ここに、信じがたい課題があります。しかしそれは、人間の中に本当に生きているものに対する無限の信頼を、神の側から証明するものでもあります。

 一方、天使たち自身との新しい関係も生まれています。人間は今、自分よりはるかに上の存在たちとの「パートナーの位置」へと成長しているからです。天使、大天使、元力は、人間から生まれるものを、ますます価値あるものとして認識し始めています。人間が努力して自分からえるものは、霊的存在にとって有意義な実質となるのです。ヨハネの黙示録では、-これまで示したように-キリストと結ばれた者の力によって、霊的世界に有意義な結果が生じると、さまざまなところで述べられています。霊的な世界において また、言語や共同体の発達、ミカエルの働きについても、これまで語られてきたことを思い起こすことができます。

 この天使たちとの新しい関係は、私たち自身の運命の中で最も経験できるものです。ここでも、現代の人間は、運命の導きが微妙に、あるいはより顕著に後退していることに気づくでしょう。特に28歳前後、遅くとも中年期には、自分自身の天使との関係が変化することが多いのです。そう、人間が、純粋に唯物的な行動によって、夜、自分の天使に会うことが十分にできなくなると、運命の導きが効かなくなるとさえ言わざるを得ないのです。

 ますます、ここでも人間自身がイニシアチブを取らなければならなくなるのです。天使が不誠実であるわけではなく、天使の誠実さは揺るぎません。しかし、天使は、人間が自由に創造的に霊とつながる存在としてふさわしい地位に成長するために、人間自身がもたらしうるまたすべき誠実さをますます要求しなければならないのです。それ以外の方法では、人間は自分の最も内なる存在の自立を見出すことはできず、また、それ以外の方法では、自分を導く道徳的、創造的な力を発展させることはできません。

したがって、こう言わなければなりません:

 

"人間は内なる忠誠、霊的存在の導きに対する忠誠を必要とします。

この忠誠の上に、彼は自分の永遠の存在と本質を築き上げ、

そしてそれを通して感覚的存在を永遠の光で満たし、

力で貫くうことができるのです。" ルドルフ・シュタイナー

 

 ここに、人間が天使のパートナーになる始まりがあります。なぜなら、すでに-繰り返して言います-内なる忠実さにおいて自分の運命の正しい道を求める人間から放射されるものが、霊的存在にとって価値あるものになり始めているからです。

このように述べてきたことにより、人が、今語った2つの方向で自分の使命を把握するなら、遠い未来へと至る端緒に気づきます。それは、敵対する力との闘いにおいてより強くなること、そして霊的存在への意識的な向き合いと忠誠心においてより一層目覚めることです。

 自分のこの道において、人間は、この世の他のいかなる存在も持ち得ない経験をします。そして、人は、自分だけが世界の未来にもたらすことができる能力を発展させるのです。こうして、人間は、被造物の貴重な一員となるだけでなく、自分自身でも創造的な力を発展させるのです。パウロの言葉を借りれば、「神の子」となるのです。人間の神に対する本来の似姿は、より高い次元で、つまり自由に、意識的に、取り戻されるのです。そうすることで、人間は、創造的存在の秩序へと昇っていきます。人間は、ヒエラルキー的な存在の第10の王国を形成しようとしているのです。

 この発展は、人間自身にとってだけでなく、被造物全体に対して広範囲に及ぶ重要性を持っています。それは、「世界の進歩」をもたらすのです。ヨハネの黙示録の最後には、未来の世界のイメージとして、新しい地だけでなく、新しい天も登場します。人間は、霊の王国の第10位として、ヒエラルキー的な天の存在の一員に昇り始めると、その存在はもはや地に届くだけではありません。いわば天に向かって「上へと成長」し、そこで、彼だけがもち、世界の他のどの存在にもない創造的な力を発揮できるのです。宇宙全体を新たにする力です。

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 人間は、神々の被造物であると同時に、神々とともにその創造に参加することを使命として与えられているのである。そのために、人間は、霊的進化の道を歩み、霊的能力(あるいは霊我などの霊的からだ)を獲得していかなければならないのだ。

 しかし、もちろん、現在の人間が全てその様な道を歩むとは言えないだろう。あまりに物質に埋没してしまい、利己的心性を抜け出せない人間は、進化の道を踏み外し、そのまま元に戻れなくなると言うことである。

 また、確かに、こうした考えは、人間に言わば、自然の他の存在に対して、特権を与えているようにも思われる。しかしそれは、人間がこの世界を勝手に支配できるということでは決してない。創造に参加するとは、霊界のヒエラルキーがそうしているように、徹底的に、地球の他の存在に奉仕するという事でなのである。

 このように、実は、人間はこの世界の未来を握っている存在とも言える。この世界の進化は、人間自身の霊的進化にかかっているのだから。これは反面、人間を「支配する」ことが、この世界を支配することにつながると言うことである。霊的敵対者達が狙っているのは、まさにこのことなのである。人間を本来の進化の道から逸脱させ、それにより、神々から、この神聖な宇宙を簒奪することが目的なのである。