k-lazaro’s note

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21世紀の道徳的霊的なエネルギー

ジョン・ウォーレル・キーリー

 「エーテル界を巡る戦い」で、物質的世界に最も近い超感覚的世界であるエーテル界を巡り、人類の霊的進化を進める勢力とこれに対抗する勢力の戦いがあることに触れた。エーテルは、生命の源で、人と植物・動物の体はそれにより浸透され、生命活動が維持されている。生まれるときに世界エーテルから取り込まれるのである。シュタイナーは、このエーテルが未来のエネルギーとして使われるようになると考えていた。しかし、そのためには、人間の道徳性が必要だというのである。
   人類は、これからエーテルを認識できる能力を自然に獲得していく。それによりエーテル界に再臨したキリストを体験するようになる。そしてそれは、既に一部の人々で起きているという。シュタイナーは、そのような人として、「キーリーエンジン」を発明したジョン・ウォーレル・キーリーを考えていたようである。
 キーリーは、一般的には詐欺師と見なされ、その業績は黙殺されているが、秘教やフリーエネルギー界隈では評価されているようである。今回紹介する記事は、人智学系の「ヨーロッパ人」という雑誌に掲載されたものである。

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キーリーエンジンから「ストラーダーマシン」へ

21世紀の道徳的霊的なエネルギー形態に向けた伝記・エピソード
「DER EUROPÄER  1997年4月 6号」より

 ある種の超能力によってのみ動かすことのできる、彼の名を冠した新型モーターの発明者、ジョン・ウォーレル・キーリー(1837-1898)は、約100年前に亡くなっている。ルドルフ・シュタイナーは、キーリーの発明について、何度か言及している。ある意味で、シュタイナーの神秘劇に登場するストラーダーという人物の実在のモデルにもなった。それにもかかわらず、キーリーは今日までほとんど知られていない。しかし、彼は、西洋で自然に発展した「機械的オカルト」、つまり、非物理的なエネルギーでモーターや機械を作動させる能力の重要な代表者である。

 以下では、キーリーとその重要な発見に関するポール・エンバーソンのエッセイ(一部抜粋)と、それに続いて、技術的にも道徳的にも新しいエネルギーの問題に生涯をかけて取り組んできたエーレンフリート・ファイファーの未発表の報告を紹介することにする。

編集部

"機械的オカルト "については、ルドルフ・シュタイナーの1918年12月1日の講演、『現代の基本的社会的要求』(GA186号)を参照のこと。

 

ジョン・ウォーレル・キーリーと未来の道徳技術

 道徳(モラル)技術の先駆者は、1837年9月3日にフィラデルフィアで生まれたアイルランド系のアメリカ人、ジョン・ウォーレル・キーリーという発明家である。キーリーは、ルドルフ・シュタイナー(および精神科学者一般)から高く評価されていた、実に例外的な人物であった。(訳注)

 

(訳注)神智学協会のブラヴァツキーからも評価されていたとされる。以下にもブラヴァツキーの言葉が引用されている。

 

 彼は、エーテル力の新しい自然な知覚(自然な霊視)が目覚め始める西洋人のタイプの代表であった。ルドルフ・シュタイナーは、東洋人、中欧人、西洋人の役割について語る時、確かにキーリーを西洋の人類の代表とし、東洋の代表であるトルストイと対比させたのである。

 神智学協会の創設者であるヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーは、1888年に出版した『秘密の教義』の中で、次のように書いている。「ある人物が自らの魂の力によって機械を動かす能力を持っていることを、人類は今少しずつ発見している、この点では、キーリ氏は非常に才能に恵まれていて、しかも知性的にも機械の天才なので、最も驚くべき成功を収めるかもしれません。彼はすでにいくつかの、誰よりも多くのことを成し遂げています。

・・・ブルームフィールド=ムーア夫人が『超能力とエーテルパワー』のエッセイで、キーリー氏は『魂において十分に偉大で、心において十分に賢明で、勇気において十分に崇高で、あらゆる困難を克服し、ついには世界最大の発見者、発明者として世界の前に立ち現れる』と主張していることに、筆者は一瞬でも反しようとは思わない。」

偉大なパイオニアがそうであるように、キーリーもまた、時代のはるか先を行き、同時代の人々が理解できないような分野で仕事をしていたのだ。彼は、当時の科学者のほとんどから「ペテン師」と呼ばれていた。なぜなら、彼が成し遂げたと主張することは不可能だと思われていたからだ。また、デモンストレーションの前に、自分の装置を分解して組み立てることも許した。しかし、その説得はうまくいかず、事実よりも偏見が勝ってしまった。

 ルドルフ・シュタイナーは、1906年にキーリーの作品について次のように述べたことがある。「タウによって表現されるものは、無私の愛の力によってのみ動かすことのできる原動力です。それ自体は機械の駆動に使えるようになりますが、自分勝手な人間が操作すると、機械は止まってしまいます。

 キーリーが、自分がいるときだけ動くエンジンを作ったことはご存知でしょうか。彼はそれで人を欺くことはしませんでした。彼は、魂から発生する、機械的なものを動かすことのできる原動力を自分の中に持っていたからです。道徳的でなければならない原動力、それは未来に対する考えであり、文化が自らを覆さないためには、文化に植えつけなければならない最も重要な力です。機械的なものと道徳的なものが混ざり合い、機械的なものは道徳的なものなしには成り立たないからです。今日、私たちはその瀬戸際に立っています。これからの機械は、水や蒸気だけでなく、精神的な力、精神的なモラルで動くようになるのです。この力はタウの印に象徴され、すでに聖なる聖杯のイメージによって詩的に示されてきました」。(訳注)

(訳注)タウとは、聖杯のイメージと関連付けられているので、ギリシア文字のΤのことと思われる。

 キーリーが発電機に与えた原動力は、水からエーテルが放出されるプロセスを引き起こしたのだ。この力を、知人たちは「キーリーのエーテル」と呼び、銅管を通してモーターなどに伝導させた。この効果は、キーリ氏自身にしか出せないものであり、この発見が直ちに商業的な利益を生むことはない。しかし、彼の発見をもとにキーリー・モーター・カンパニーが設立され、多くの投資資金を集めることになった。

 株主たちは、製品化に向けて圧力をかけ始め、キーリーは要求に応じないため、ついには法廷に立たされ、投獄されてしまった。友人たち賠償金で自由になったものの、絶え間ない圧力の結果、選んだ研究の道を捨てざるを得ず、別の動力に向かうこととなったのである。

 彼の友人であり、スポンサーでもあるブルームフィールド=ムーア夫人が報告している。

 「キーリー氏が認めているのは、振動力の応用が失敗した後、経済的な破綻を受け入れるか、その基礎や原理から抜け出て第3の道を試み、別のルートで成功を求めるざるをえないということです。」。

 しかし、彼に仕事についてはキーリ本人に語らせてみよう。

 「数年前、私はこの力を開発し、機械を作動させるために、それまで使われていた管状接続の代わりに、2つの共鳴媒体の間の接続にワイヤーを使うことを考えたが、この変更を成功させることができたのは、ごく最近のことだ。つまり、私の力は生み出され、私の機械は動き、私の大砲はワイヤーによって作動するようになるのだ。」

 キーリーは、この自然の力の新たな変化を「負の引力」と呼び、「彼が実験した2つの力の形態とそれに伴う現象は、全く互いに対立している。」

 これは、キーリ氏がモラルテクノロジー分野の研究を放棄したことを意味し、悲劇的な一歩であった。そして、市場性のある製品を求めて、人間と電磁気学の関係に着目したのである。もちろん、彼の直感は正しかった。無私の目的しか果たせないモラル・テクノロジーの力は、そのメカニズムが個人または集団に同調するかどうかにかかっているのだ。このような性質は、キーリーが今想定しているような技術には欠けている。人間の神経系から破壊の力を外部の電磁システムに伝達することで動き出す機械には、道徳的な性質がないのである。原則的に誰でも操作できる。もし、そのような機械を作っていれば、「自分しか装置を動かすことができない」というジレンマも解決できたはずだ。しかし、このような技術は、人間の操作者、つまり、破壊のプロセスを通じて神経系の中で自己意識を獲得するその活動との全関係から、我々の中のエゴイスティックで破壊的な要素に関係しているのだ。

 ヘレナ・ブラヴァツキーも『シークレット・ドクトリン』の中でキーリーの判断に至り、短いながらも重要なコメントを残している。

 「私たちが強調した箇所は、キーリー氏が<共感振動>と呼ぶ、振動の力の応用のオカルト的側面に直接関係するものです。<ワイヤー>はすでに、純粋なエーテル面から地上へ一歩、下降しているのです。」6

 ブラヴァツキーは、人間の中にある死の力を利用した、非常に破壊的となりうる技術の使用に伴う危険性について警告している。しかし、キーリーは、この道のりの最初の段階を越えることはなかった。この時、高次の力が干渉して、それ以上進むことができなくなった。ブラヴァツキーはこのことについて、こう言っている。

 「なぜキーリーさんは、ある限界を超えてはいけないのかと問われれば、答えは簡単です。それは、彼が無意識のうちに発見したものが、アトランティス人が知っていて『マッシュ・マック』と呼び、アーリア人のリシが『アストラ・ヴィディア』である名前で呼んだ、公表するのは好ましくない恐ろしい恒星力だったからです」。

 ブラヴァツキーの表現は、現代では科学と神秘主義が混同されている印象を与えるかもしれないが、キーリーの活躍した分野をある程度理解している者にとっては、驚くほど的確な表現である。ブラヴァツキーは、キーリーが「振動の共振」(共感的振動)の領域から、いわゆる「ダイナスフィア」の力の使用から、実際に恒星の力が作用する領域へと移行したことを十分に認識していたのである

 ブラヴァツキーはキーリーの才能を認め、彼を世界で最も偉大な発明家の一人と見なしたのである。同時代の人々の欲望に押された彼の進む道にある落とし穴や危険は、彼女にとって極めて明白なものであった。

 しかし、彼女はキーリーの偉業、すなわち道徳的技術の発見に対する賞賛の念をいささかも曇らすことはなかった。

 彼女は、キーリ氏が「負の引力」とその電線による伝達の研究を、実験段階にとどまることなく続け、いつの日か彼の独自のシステムを世界が認める日が来ることを予見していたのだ。

 「その時ようやく、彼とその仲間たちが当初計画したように、<キーリーのエンジンとパワーが必要になる。なぜなら、その時は、金持ちよりも貧しい人々のために必要とされるからだ。」。

 そして実際に、彼はもがき続けた。従来の技術者や科学者の多くは、彼の研究を否定していた。彼の発見を理解した指導的な精神科学者たちは、キーリーがエーテルの力を使って仕事をしていることを公に認めた。

 ハリソン(訳注)は彼を偉大な発見者の一人とみなし、ローレンス・オリファントはキーリーのエンジンについて、「私はこれが健全な力学の原理に基づいていると信じており、おそらく既存のあらゆるものを革命化する一連の発見の最初のものであろうと思う。機械理論とその基礎となる多くの原理は、革命的に変化するだろう。」と書いている。

(訳注)イギリスと秘教学者。『超越的宇宙』という本が出しているが、素性は不明。

 ルドルフ・シュタイナーは、キーリーの発見の正しさと、彼が無私の愛の力によってエンジンを始動させる能力を実際に持っていることを確認したのであった。その後、シュタイナーはキーリーの発見のアイデアを「神秘劇」に導入し、それは、第3作、第4作ではストラーダー博士の発明として、中心的なモチーフのひとつになった。

 彼は繰り返し道徳的な技術の重要性を説き、今後20年以内にそれが出現しなければ、否定的な形態が発展してしまうと強調した。1920年代初め、実業家たちが精神科学の振興のためにシュトゥットガルトに研究所を開設した際、彼は道徳技術に必要な感受性に関わるメカニズムの開発のために詳細を説明した。

 ジョン・ウォーレル・キーリー氏は、おそらく世界が知る限り最も偉大な発明家である。

 彼は勇気と無私の精神を持った天才であり、同時に今日の西洋の人類を代表するにふさわしい人物であった。本業の研究を放棄し、ネガテイブな技術に走ったことは、失敗に終わったとはいえ、彼の人生の功績をいささかも減じるものではない。

 

未来に向けた2種類の技術

 ポール・エンバーソン 著

 自然は内部から再生し始めているのだ。その最高の部分である人間が、それを変容させるのだ。人類は、最初は不器用でも、試行錯誤しながら地球を作り直していく。手仕事の技術が、この創造力の主な表現である。将来、人間は生きている感覚を持った機械存在を作り、その機械存在との距離を縮めていくだろう。私たちの時代に始まった人間と機械の共生も、いつかは完全なものになるだろう。もし人類が醜い、破壊的な機械を作れば、私たちの世界は反発を生み出し、邪悪なものになってしまうだろう

 しかし、人類が優美で道徳的なテクノロジーを創造すれば、私たちの世界は美しい場所になるはずだ。どうすれば、道徳的で優美な技術を生み出すことができるのか。どのような原理で、どのような方法で、私たちを導くべきなのか。

 ルドルフ・シュタイナーは、これらが現代と未来の中心的な問題であると考えたのである。彼は、「人生における一つの大きな問題は、霊的なエーテルを外的な現実的な生活に役立たせる試みがなされるべきであると言うことによって説明することができる。- 私は、アトランティス後の第5期は、人間の心情、人間の心情の動きをいかに波動的に機械に移すことができるかという問題を解決しなければならないという事実、人間は、ますます機械的にならざるを得ないものといかに結びつけられなければならないかということに注意を促した。これらのことは、まるで戦うべきもののように扱われてはならない。それはかなり間違った見方です。こういうものは、留まるところを知らないでやってくるものです。世界史の中で、世界の大目標と調和する人々によって演出されるかどうかが問題なのである。

 世界史の過程で、世界における地上の発展の大目標を熟知し、これらを人類の利益のために形成する無私の人間たちによって登場させられるか、それとも、これらのものをエゴイズムや集団エゴイズムの意味でのみ利用する人間集団によって演じられるか、という問題だけなのである。この場合、重要なのは「何を」ではなく、「どのように」取り組むかということである。その何かは、確実に来るのだ。今後の地球の発展にとって。人間と機械の融合は、大きな問題である。

 このような問題が日常的に発生する時代に、私たちはすでに突入している今日、私たちは、人間の魂の生命の波動を、いかに正しい方法で機械に伝えるかという問題に直面している。この問いに取り組むためには、人間が機械と「つなぎ合わさる」には、基本的に2つの方法があることを念頭に置かなければならない。

- 魂の律動的な生命力と同調する感覚(情)的なメカニズムによって その仕組みは、完全な自由を保持する人間に適応している。

- 神経内の死の力に同調する電磁波デバイスを使用するエレクトロニクスによって  人間が機械に適応する。魂はアーリマン的・ダブルの束縛に陥ってしまう。

 

 ルドルフ・シュタイナーは、未来のテクノロジーについて語る際に、人類が第二の道を進んでいくことへの懸念を何度も口にした。彼は、デジタル・エレクトロニクスの出現を予見し、その本質と内なる可能性を、あの時代にはほとんど理解できない聴衆に理解させようと努力したのだ。次のように語って、

人間の意識は崩壊する力と結びついていることを、これまで何度か公開講座でも意図的に指摘してきました。バーゼルでの公開講座で2度ほど申し上げたことがあります。これらの力、死にゆく力は、ますます強力になっていくでしょう。そして、人間の中で死んでいく、電気や磁気に関係する力と、外部の機械の力との間につながりができてきます。いわば、人間は自分の意図、思考を機械の力に導くことができるようになるのだ。人間の本質にあるまだ発見されていない力、外的な電気や磁気の力に作用するような力が発見されるでしょう。」

 コンピュータやデジタル・エレクトロニクス全般は、その第一歩と言えるでしょう。霊的な観点から見ると、機械に使われる力とエレクトロニクスに使われる力は相反するものです。

 道徳技術は、機械をさらに発展させ、人間の心臓と肺の律動的な生命プログラムに対応した感覚的な振動機構が構築される世界の発展に基づくものである。

 

機械的オカルティズム」とは何か?

 この「機械的オカルト」の能力によって、今日工業化の根底にある特定の社会形態は、まったく新しい基礎の上に置かれることになるのです。このような秘密結社(西側)のメンバーなら、誰でも知っているのは、現代人の中にまだ潜在しているが、発展しつつあります、ある種の能力は、調和のとれた振動の法則の助けを借りて、機械や機械装置などを大規模に動かすことが可能です。私の神秘劇の中で、ストラーダーという人物に結びつけた言葉の中に、その小さなヒントがあります。

 こうしたことが、今日も生まれているのです。これらのことは、物質的なオカルトの分野では、それらの秘密のサークルの中で秘密として保たれています。

 振動曲線がわかっていれば、人間がほんの少し手を加えるだけで動くモーターがあります。そうすれば、現在、人間の力が必要な多くのものを、純粋に機械の力で置き換えることができるようになるのです。純粋に機械的な力によって

           1918年12月1日、R.シュタイナー

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 後半の記述の著者であるポール・エンバーソン氏は、やはり人智学者で、技術関係の秘教的側面についての著作を出している。特にコンピューター関係には、アーリマンの影響が強いという。
 もともと電気というものは、シュタイナーによれば、光(エーテル)が、ルチファーの支配する世界で物質以下の状態となったもの、磁気とは、化学作用・音(エーテル)がアーリマンの領域に堕とされて生じたものである。人間の中にも電磁気が働いているが、それは実際には、死の力を支配するこれらの霊にその源があるのである。

 エンバーソン氏の記述によれば、シュタイナーは、人間と機械の融合を予言していたようだ。現在、トランスヒューマニズムによりそれが主張されているが、勿論それは、人類の進むべき道ではないだろう。それは、人間性を奪い機械が優位となる未来を指向している。そうではなく、人間は自由や霊性を保持し、機械を人類全体の幸福のために使用する未来を築かなければならないのだ。
 エーテルを巡る戦いは、未来のエネルギーや機械を巡る戦いでもあるようだ。