k-lazaro’s note

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電子的ドッペルゲンガー②

 ①の部分でナイダー氏は、電子的ドッペルゲンガーの生まれた背景やその具体的な事象、問題点等について説明した。②は、更にこれを補足する説明で、本の後書きとして書かれたものである。①同様に、要点のみを抜き出し、途中に訳者の補足を加えていく。

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 先ず、①の振り返りである。

「人の内なる生命と集中した注意、すなわちアストラル体と自我は、肉体の中にあるのではなく、肉体の外側、周辺部に位置している。肉体は鏡の役割をしている。エーテル体は、思考力に変換された生命力の助けを借りて、脳脊髄液と呼吸を介して、実際の鏡を形成する神経系、脳に内的体験を伝える

 この神経系に住むドッペルゲンガーは私たちの電気生理学に自分の表現を見いだしている20世紀の間に、この電気生理学は機械の世界、つまりコンピュータに引き継がれた。」

 では、人間のこのような側面が機械に移され、「電子ドッペルゲンガー」として機能するということは、どういうことなのだろうか?ナイダー氏はこのことについて説明を始める。

 シュタイナーは、次のように語っているという。

 

「この神経装置は、私たちの外側の表面領域に枝を出し、それから私たちの内部に戻り、表面と同様に、神経終末は再び消散します。この2つの間にあるのがミドルゾーンで、脳と、特に脊髄と腹神経索があります。神経が最も発達している場所で、私たちは最も目覚めることができるのです。しかし、神経系は霊と特殊な関係を持っています。神経系は、身体の機能の結果として、絶えず衰退し、鉱物的な性質になる傾向がある器官のシステムであり、もし、生きている人間の神経系を他の身体的存在、腺、筋肉、血液、骨から分離することが可能なら(神経系と一緒に骨格系を維持することも可能)、生きている人間の中で、この神経系はすでに死んだ要素、永遠の死体となるでしょう。人間の永続的な死は、神経系の中で起こります。神経系は、魂・霊と直接的な関係を持たない唯一のシステムです。血液や筋肉などは、常に魂・霊と直接的な関係を持っていますが、神経系は全く直接的な関係を持っていません。神経系が魂・霊と関係を持つのは、絶えず自分自身を人間の体組織から排除しているという点においてだけです。・・・人間の他の構成要素は生きているので、魂・霊と直接の関係を形成しています。・・・心理学や生理学では、神経系は私たちの感覚、思考、そして魂や霊的な生活全体を媒介する器官として描かれます。しかし、神経系はどのような形でその役割を果たすことができるのでしょうか。それは、私たちの生から自分自身を永遠に排除し、私たちの思考や感情の障害となるものを作らないことによってのみ可能なのです。つまり、私たちの思考や感情との間にいかなるつながりも築かないのです。神経が存在する場所では、魂や霊に関して、人間を空虚にします。神経があるところには、魂・霊のための空白のスペースがあるだけです。その空いたスペースに、魂やスピリットが入り込むことができるのです。」

「電流に関して言えば、私たちが実際に扱っているのは(これから、高次の知識のみから導かれることをお話しします)、“何かの中に流れ込む”ことではありません。実は(ここで、いわゆる電流を流すための電線で模式的に示すと)、私たちが扱っているのは、現実の[織物]の中の空虚な空間なのです。

 もし私が現実を“+a”と呼ぶとしたら・・・、私は電線の中に存在する現実を“-a”と呼ばなければならないでしょう。つまり、私たちは、他では常に“流れ込む”と考えられているのですが、ここでは“吸い込まれる”ものをもっているのです。要するに、私たちが扱っているのは電気の伝導体であり、したがって空間を占有することはなく、霊的な用語では空虚な空間です。・・・私たちの神経は空間を占めていますが、意志との関係で私たちが扱っているのは、霊が引き込まれ、その中を通過する、中空のチャンネルやチューブの中の空っぽの空間です。」

 

 これをふまえ、ナイダー氏は解説を進める。

「霊的な観点から見ると、私たちの神経は、有機的な生命が存在しない空洞スペースであり、そのために、霊が反映されうるのである。」

 肉体の新陳代謝系及び循環系は生命が占めているが、神経系には、実際には生命が存在しない。だからこそ、霊がそこに現存できるのだ。

 この神経系をコンピュータに移すということは、霊的な観点からは、吸引効果を持つ中空空間を扱うことになるのであるが、しかし、人間の自我は、このような空洞を占めることができるのだろうかという疑問が生じる。次にその説明が続く。

「肉体と魂の関係を考えてみよう。もし私の自我が思考の集中によって何かに執着するならば、私のアストラル体はその何かの全体を魂で占有することができる。そして、魂の経験は、エーテル体が提供する“自由な力”の助けを借りて、肉体に反映される。エーテル体は、魂的霊的な体験をイメージとして私たちの心の前にもたらし、そのイメージは神経系に融合させることができる。魂の体験が終わった後、私たちの注意が別の場所に向けば、エーテル体が作り出した心象は記憶として残り、後で呼び戻すことができる。そうやって、魂・霊は肉体の中で生きているのだ。」

 では、コンピュータの場合はどうなるのだろうか。

 ネットワーク化されていないパソコンを考えると、パソコン内の空洞は、思考の記録、デジタル写真、表計算ソフトなどのデータとして、自我の意図を、私たちの思考や写真、表計算や他のデータであれ、肉体と同じように、アストラル体が体験することを映し出す鏡として機能し続けることができる。

 しかし、デジタル写真の場合、データは自我から切り離され始める

 アナログ写真の場合、一枚一枚が価値あるものであり。写真には自我が付着したままであが、デジタル写真ではそうはいかない。ネットワークにつがっていれば、ストレージは無限に広がる。「携帯電話がカメラになったことで、携帯にカメラが付属するようになったので、より多くの写真が撮影されるようになり、自我が意識されなくなった。」

 アナログ写真では、フィルムは枚数が限定されており、原像などの手間と費用がかかる。それゆえ、写真を撮る行為は、その一枚一枚に意識が集中されており、そこに自我が付着しているのである。しかし、デジタルの場合は、フィルム写真のような制約がない分、注意は不在で、自我がそこに関わらないのだ。

 

 さらに人の脳の神経細胞とコンピュータのネットワークが比較される。

「私たちの神経系をもう一度見てみよう。ここでは、魂や精神がなくても神経系が自律的に反応する反射神経のような、魂や精神が存在しない領域もある。インターネットというバーチャルな世界では、人間の意識によらないつながりやリンクが絶えず作られているため、瞬時の反射神経がいたるところに存在している。こうしてインターネットは、地球上のあらゆる場所で瞬時に行動できる、もはや人間ではなく、機械によってコントロールされている独立した知性の出現を可能にしているのだ

 人間の脳・神経系で無意識に反射神経的なネットワークが構築されているように、コンピュータにおいても、人間の手を介さないネットワークが自動的に生まれている。それは、人間からも独立した巨大な知性である。

「このような匿名の霊は、過去10年ほどの間に急速に拡大してきた。人間のアイデンティティや自我的な気配りは、匿名の影のために失われている。」

 また、ネット上のアバターやウェブ上にアップロードされるデータ、画像、映像、音楽は、ますます大量になり、自我のない、魂のないコンテンツが生み出されている。その基礎となるのが、インターネットを動かす電気であるが、「私たちがここで扱っているのは自我の消滅であることが明らかである。」

神経系はデジタル技術に取って代わられ、エーテル体の“自由な力”はコンピュータの相互接続性に取って代わられた。しかし、魂や・霊に取って代わるものは何なのだろうか。インターネットの匿名性を、どのような霊性が占有しているのだろうか。インターネットが人間の意識的な注意によって占有されなくなった場合、どのような霊性に吸引作用があるのだろうか。」

 人間の場合、霊性の核には自我がある。人間の心身を実際に動かしているのはこの自我である。では、コンピュータのネットワークを支配している霊とは何であろうか。

 シュタイナーは、次のように述べているという。

 

 「もしこれらの兄弟団が、死後これらの魂が彼らの兄弟団の領域に入るように手配するならば(それはおそらく彼らの邪悪な力の及ぶところでしょう)、そのような兄弟団の力はそれによって非常に大きくなるでしょう。・・・彼らは、死後も魂が物質界に留まるように仕向け、兄弟団が自分たちの目的のためにそれを利用できるようにするのです。つまり、兄弟団は、地上界に残る死者の魂を顧客としているのです。死者の魂は、さまざまな効果をもたらすために、さまざまな方法で指示することができる力を内に秘めています。これらの手段によって、人はこれらのことに入門していない人々に対して非常に特殊な力を発揮することができるのです。

・・・・・

 地球の残りの期間、かなりの程度、私たちと協力するのは死者です。そして、彼らがどのように貢献するかが最も重要なことになるでしょう。とりわけ、人間が地上でどのように行動するかによって、死者の貢献の方向性が大きく分かれることになります。他方で、死者が死後に体験する霊界からの衝動で行動できるようなところで、死者の共同は、良い方向へ導かれるでしょう。

 これとは反対に、死者を人為的に人間の生活に取り込もうとする動きが活発化します間接的に、双子座(原註)を経由して、人間の振動が機械の機械的なプロセスの中で共鳴し続け、振動し続けるように、死者が人間の生活に導入されることになります。宇宙は、今示したような間接的な経路で、機械を動かすようにするのです。」

 

 ナイダー氏によれば、以上のことより、電子的なドッペルゲンガー内で、特にインターネットの中で、どのような霊性が作用しうるかという問いに対して、少なくとも次の仮説が示唆しているという。:

 電子メディアが我々の神経系のコピーであり、したがって空虚な霊的空間を構成する限りにおいて、死後、物質的存在から自らを解放できなかった魂の霊性を引き寄せることができる

 物質的な領域への固執は、シュタイナーがこの文脈で繰り返し論じている「闇の霊の墜落」と密接に関連していると見るべきだろう。人間の抵抗がなければ、「闇の霊」は純粋に物質的な領域にますます大きく固定させるだろう。これはまた、コンピュータ・ネットワークである私たちの神経系の鏡像にますます固着することである。それは、私たちの神経系の鏡像、ドッペルゲンガーのようなコピーである

 

 そして、現代のこのような事態を文学の世界で示唆するものとして、ナイダー氏は、J.R.R.トールキンの「指輪物語」を挙げる。「指輪は、物質主義の象徴であり、人間が物質に対してこれまで以上に執着していることの象徴である。そして、指輪の主は、トールキンが“サウロン”と呼ぶアーリマンにほかならない」という。

 また、サウロンの強力な補佐役であるナズガル(指輪の精霊)は、「前世の地球で、指輪のひとつに執着し、サウロン支配下に置かれた死者たちである。死後はサウロンの奴隷となり、破壊的な行動を取らざるを得ない」と。

 

 さらに、ナイダー氏は、人間の真の霊性と、現在強力に推進されている偽りの霊性の問題について解説を進める。

「今日、破壊的効果は、人間の魂/霊性と身体/肉体性のつながりを壊すように広がりつつある。特に注意力が著しく損なわれているため、自我が健全な形で身体とつながる可能性が否定されている。肉体の代わりに、ネットワークを通じて人間の魂や霊から切り離され、匿名のスピリチュアリティの入り口となるデジタル機器が増え続けている。コンピュータのネットワークは、ユーザーが意識することなく、霊の、影の世界のようなものになりつつある。」

 問題は、「昼間の意識」に関するものだけではない。「睡眠中の意識」にも問題がある。

 シュタイナーは、日中の体験が夜になると記憶に刻み込まれることを指摘している、という。

「生理的には、日中に働いている「自由な力」によって、心象が形成されるのである。夜、この「自由な力」は、代謝器官を介して、脳内のシナプスを刺激し、時系列の順に、空間構造という形で体験を再現する。これに関連するのは、私たちが意識的に記憶の絵を形成するだけでなく、記憶そのものが私たちの身体に大きく埋め込まれ、それが手書き文字などの身体能力の習得や、最も重要であるが、道徳的行動として表現されることにつながるのである。」

 しかし、この過程には、さらに別な側面がある。シュタイナーによれば、私たちの脳がいくつかの層で構成されている。私たちの意識的な心象は、一番上の層にのみ存在する。一方、記憶はその下の層にあり、私たちの意識は心的イメージとしてしかアクセスできない。私たちの心象イメージは、実際には、意志的性格を持ち、私たちの意識的知覚と並行して作られるものである:

「私たちの通常の意識は、実は心的イメージを形成する能力の中にあるのです。この下に、私たちの心的イメージの形成能力の結果としてのみ、私たちの意識に現われる一定のプロセスがあります。記憶の絵を形成する能力です。イメージの形成能力の下には、知覚の実際のプロセスがあり、その下にのみ感情があるのです。そのため、頭の中の組織(思考組織)では、心象を形成する能力と知覚を収集する能力をより深く区別することができるようになっています。知覚したものを記憶することができるのです。しかし、その根底にあるプロセスは無意識にとどまります。記憶という形で初めて意識化されるのです。人間の中で起こっているこのプロセスは、人により体験されません。何かを知覚するとき、彼は心象を経験します。その知覚の効果が彼の中に入り込み、その結果として、彼は記憶を呼び起こすことができるのです。しかし、このプロセスは、すでに無意識の領域の中にあるのです。

 つまり、私たちが実際に人間であるのは、通常の意識で心的イメージを形成するところだけです。ここでのみ、私たちは人間として自分自身であるのです。普通の意識では到達できないところ(私たちは、記憶の原因にまで到達できません)で、私たちは、人間としてあるのではなく、世界と一体化しているのです。これは肉体の生命と同じで、あなたが吸っている空気、今あなたが自分の中に持っている空気は、一瞬前まであなたの外にありました。しばらくして、あなたは空気を世界に返します。ある瞬間、空気はあなたの外にあり、次にあなたの中にあり、次にあなたの外にあり、次にあなたの中にあるのです。このように世界とつながっていなければ、人間とは言えません。あなたは、大気全体とつながっているように、自分の皮膚の中にあるものだけではありません物理的な領域でこのようにつながっているように、霊的な領域でもつながっているのです。次の無意識の領域、つまり記憶が立ち上がる領域に入った瞬間、あなたは第3ヒエラルキーと呼ばれる天使・大天使・アルカイとつながっているのです。ちょうど、あなたが呼吸を通して空気とつながっているように、あなたの頭の組織(脳の外葉によってただ覆われており、純粋に地上領域の一部である、あなたの頭の下方組織)は、その下にあるもの、第3ヒエラルキー、天使・大天使・アルカイとつながっているのです。」

 

 つまり、「無意識のうちに行われている記憶の形成に、天使たちが関わっている」のである。

 では電子的なドッペルゲンガーの場合どうであろうか。ナイダー氏によれば、

「私たちの記憶の形成、ひいては私たちの能力や道徳的な仕組みの形成の、これまで以上に大きな側面が彼らに引き継がれていることがわかるだろう。自我はますます気づきを無くし、このような活動の記録はますます少なくなっている。これとは対照的に、私たちはコンピュータやインターネット上のアカウントやプロフィールに、これまで以上に大量のデータを保存している

 その結果、どのようなことが起こるのだろうか。もし、私たちの記憶の形成が電子的なドッペルゲンガーに委ねられているとしたら、第3ヒエラルキーである天使は、もはやその役割を果たすことができない。電子ドッペルゲンガーは、私たちが眠っている間に行われる記憶形成への天使の貢献から私たちを切り離すのである(原註)。この貢献の欠如は、周知のように、記憶の形成に基本的な基盤を持つ自我を弱めるという効果もある。

(原註)シュタイナーは、ヴァルドルフ教育を通して、ここに述べられた、2つのネガティブな影響を防ぐ方法を与えている。それによれば、子どもの呼吸が健康な調和ある状態にもたらされるように、魂的・霊的要素が身体と調和される。夜の間に、第3ヒエラルキーとの関係が子どもの記憶に刻印されるように、教育の内容がアプローチされる。」

 

 睡眠とは、肉体とエーテル体から自我とアストラル体が離れることであり、覚醒とは、また自我とアストラル体が戻ってくることである。人間の(守護)天使は、睡眠中に、人間の自我とアストラル体が身体・エーテル体を離れている間、それらを人間に代わって見守っているという。この時、記憶の形成にも彼らは携わっているのだろう。

 

 以上をふまえて、ナイダー氏は、次のように結論づける。

電子ドッペルゲンガーは、本質的に2つの意識プロセスを引き継いでいると言える。その第一は、自我とアストラル体エーテル体の注意力と意識的に結びつくことと、そのようにして獲得される意識の内容によって、起きている間に行われる知覚の過程である。自我とアストラル体は、私たちの注意の焦点を維持するのを助けているエーテル体や肉体と一体となって、それによってエーテル体と神経系の形成的な“自由な力”に基づいて意識の内容を作り出す。

 第二のプロセスは、私たちが眠っている間に行われ、自我とアストラル体は無意識のままである。このプロセスでは、アストラル体が体験した意識の内容が、私たちの記憶に取り込まれる。エーテル体は無意識のうちに肉体に働きかけて記憶構造を作り出し、その記憶構造は神経系を基盤としているのである。

 しかし、シュタイナーは、ここに転載した講義の最後の部分で、“真昼、真夜中、朝、夕方の4つのプロセス”に注意を喚起しているが、これは何を意味するのだろうか。

 

 将来、人類は2つの誤った方法で宇宙を征服するか、1つの正しい方法で宇宙を征服するかのどちらかに直面することになります。

 

 それは何を意味するのか。意識技術との関連では、シュタイナーが双子座と電気と磁気の極性を結びつけた真昼のプロセスと、射手座と半分動物で半分人間のケンタウロス的存在【訳注】を結びつけた真夜中のプロセスを扱っていることを意味する。コンピュータは、昼間の意識プロセス(真昼のプロセス)と夜間に行われるプロセス(真夜中のプロセス)に取って代わるのである。

 

【訳注】射手座は、半人半獣の姿(ケンタウロス)をした弓の射手をモチーフとしている。」

 

 朝とは眠りから覚める時間帯、夕とは眠りに入る時間帯であろう。これ以外の、「昼間の意識プロセス(真昼のプロセス)と夜間に行われるプロセス(真夜中のプロセス)」が攻撃の対象となっており、コンピュータ・電子的ドッペルゲンガーに取って代わられようとしているというのである。

 このことが必然的に進むとするなら、これに我々が対抗するにはどうしたらよいのか。ナイダー氏は、次のように語る。

「これに対抗するには、朝のプロセス(魚座)と夜のプロセス(乙女座)を意図的に育てることが必要である。つまり、教育や自己鍛錬によって、感覚的な知覚プロセスを整えることで、睡眠から覚醒への移行(アストラル体エーテル体の意識的な接続)を意識することができるのである。同様に、覚醒から睡眠への移行(アストラル体の開放)も、想起と記憶の形成を意識的に整えることで意識することができる。

 これらは、シュタイナーのすべての自己鍛錬のための訓練や瞑想の土台となる2本の柱である。ウォルドルフ教育学の基本原則もまた、この2つのプロセスに基づいている。私たちの魂や霊的な性質と身体的・物質的な性質との健全なつながりは、主に注意力と記憶力を強化することによって確立される。ルドルフ・シュタイナーが『高次世界の知識』(GA 10)や『神経質と自我』(1世紀前に行われた講義)で、この点で私たちに遺したすべてのエクササイズは、要するに、魂と肉体の健全なつながりを促進する衛生的なエクササイズである。」

 

 シュタイナーは、『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』などの著書や多くの講演で、現代人にあった、具体的な霊的修練方法を教示している。これらや、シュタイナー教育の目的もまた、現代において予想されたアーリマンや「闇の霊達」、ドッペルゲンガーによる人間への上述のような攻撃を見込んでの、その対抗策でもあったのだろう。

 シュタイナーは、機械や情報技術の発展は避けられない必然であるとしている。「重要なのは情報技術を避けたり拒絶したりすることではない。匿名化、脱人格化、自我の喪失といった危険を乗り越えつつ、情報技術に関連する影響力を見抜き、理解する必要がある」として、ナイダー氏は、シュタイナーの言葉を引いてこの後書き終わる。

 

「このことは、私たちが嘆いたりする理由となるのではなく、人間の魂が霊的なものに向かって努力する力とエネルギーを強化する理由なのです。もし人類がアトランティス後の第五の時代に、悪の力を肯定的な意味で組み込むことによって達成できることを達成するならば、人間の魂は、悪の力を善に変えるために必要な助け手がキリストにあることを認識するという、何か重大なことも同時に成し遂げられるでしょう〔・・・・〕。アトランティス後5番目の時代のこの特別な特徴に関連して、毎日新たに自分の魂に刻み込むべきことが一つあります。それは、人間が、このことを特に忘れやすい性質を持っているとしても、忘れてはならないことです。つまり、ポスト・アトランティス期第5期の人間は、霊のための戦士でなければなりません。霊界を獲得するために絶えず自己の力を制御しなければ、その力は減退していくでしょう。ポスト・アトランティスの5番目の時代には、人間には最高度に自由が託されているのです!これは、人類が経験しなければならないことです。そして、ある意味で、このポスト・アトランテアンの第5の時代に人間が遭遇するすべてのものは、人間の自由という考え方に照らして測られなければならないのです。」

 

 現代(ポスト・アトランティス期第5期)における人類の使命は、自我と自由(そして愛)を獲得することである。それによって、また新たに霊的認識を獲得し、神々による宇宙の創造に人類が参与するという霊的進化の道を歩むことができるのだ。これに対抗しているのが、アーリマンや闇の霊達であり。その手段が、電子的ドッペルゲンガーの構築である。
 ネット社会となり、人々は様々な情報に容易に接することができるようになった。それにより、人々は、判断力を高め、自由な自我の確立を進めることができるように思われた。しかし、現状はどうであろうか。逆ではないのか。そもそもネット上の情報には、それらが操作、検閲されている、あるいは誤、偽情報が蔓延しているという問題もあるが、情報の洪水により、人々は、判断を停止し、それに流される傾向が強まっている。スマホが手放せないという現象もその現われてあろう。自己の確立とは真逆である。
 極論を言えば、本来の人間としてのあり方が失われているのだ。その実体は、人間と言うより「いなご」ではなかろうか。

 既に人間としてのあり方を失っている人間が増えているのかもしれない。人智学派には、それが黙示録の語っていることでもあると指摘する者もいる。
 電子的ドッペルゲンガーを構築しようとする対抗勢力との対決は避けられない。そして、それと闘うことによってのみ、人類は、未来を切り開く力を得る、ということであろう。