k-lazaro’s note

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二人の子どもイエス-神殿の出来事 ④

 

 

ベルゴニョーネ「神殿のイエス

ベルゴニョーネのミラノの絵

 ③では、神殿の出来事の隠された真相について述べた。これに続いて、今回は、この秘密を密かに表現している絵画を紹介する。

 先ず、クラウゼ=ツインマー氏が『絵画における二人のイエス』で最初に解説しているのは、ベルゴニョーネのミラノの絵である。

 実はこの絵は、二人の子どもイエスが描かれている絵として、シュタイナー自身が発見した絵なのである。

 クラウゼ=ツインマー氏によれば、他の神殿のイエスの絵と比べて「ベルゴニョーネ(約1450—1523年)のミラノの絵は、全く違う印象を与える。それは、ルドルフ・シュタイナーがそれに注意を向けて以来、コンラット、ボック、ピヒト等の人々がかかえることとなった全ての問いと探求の、言わば『原イメージ』である。」

 ここで出てくるシュタイナー以外の名は、人智学派のキリスト教団体の指導者達などで、シュタイナーの示唆を受けて、クラウゼ=ツインマー氏以前に、こうした絵画を研究してきた人々である。(その意味で、彼女の本は、これらの先駆者の努力をふまえているのだが、その本に収集した絵画等には、彼女自身が直接発見したものも多く含まれている。)

 この絵は、イタリアのミラノのサンアンブロジオ教会の北側側廊にかつてあったが、現在は、その教会に接続した博物館で見ることができるという。

 この絵を見て先ず驚くのは、「全く大きくて見逃しようがないくらいに第2の少年を描いている」ことである。

 この絵を見て、シュタイナーは、次のように語ったという。

「その少年は立ち去っている。1人は教えており、他の1人はそこを離れようとしているが、それは普通のイエス少年ではない。・・・ゆえに、数百年間にわたり、人々はまだ、第2のイエスが存在していることを意識していた、と言いうるであろう。」(ルドルフ・シュタイナー 1923年5月9日講演 GA349)

 この明瞭さに、先に名の出た人々も驚いたという。「S.ピヒトとエミール・ボックは、この絵の衝撃的な明瞭さに対して、彼ら自身には非常に身近で信頼に足るものを、しかしひょっとするとなお他の解釈が可能な芸術作品に持ち込まないために、自ら何度も反論を試みた。

 実際、祭司に教授をしているのが第1の場面、両親と帰ろうとしているのが第2の場面として、それらの場面が一緒に描かれているにすぎないのではないか、という疑問が浮かぶ。」

 古い絵画の中には、同じような人物が何度か登場するものが存在する。それは、実際に同じ人物の時間の異なる場面を一枚(ひとつながり)の絵画の中に納めているのである。

 あまりにも第2のイエスがはっきりと描かれていることから、この絵もそのような技法であるという考えが出てくるのである。実際、ベルゴニョーネ自身の、そうした描き方の美しい例が「聖ベネディクトの生涯の場面」(ナント美術館)にあるのだ。

「その絵は、一度、部屋の中で十字架像の前でひざまずいている若い聖人を描き、次に机のところで年老いた二人の婦人を祝福している聖人を、そしてさらに家の戸口から出ていく聖人を描いている。その絵全体は、おそらく断片であり、それは、なお続く絵のフリーズ〔壁面の帯状装飾〕であった。」

 しかし、この聖ベネディクトの絵は、「常に繰り返し絵の説明の中に現れる、正確に同じ衣装と顔つきの、同じ少年を人は見ている。しかしここでは、例えば他の場面を取り除いて、その個々の場面をそれ自身として観察するのは容易である。それらは交錯していないからである。それぞれの出来事はそれ自身で完結しており、それから次に続く場面を推し量ることができない。」

 つまり、一枚の絵と言いながら、いくつかの場面が並んでいるだけなのである。そして、そこに登場する聖ベネディクトは、当然常に、同じ服装で同じ顔つきをしているのである。

 しかし、この同じベルゴニョーネのミラノの12歳の絵は、それと全く異なっている。聖ベネディクトでは、それぞれの場面を切り取っても問題がないが、ミラノの12歳の絵では、そうはいかないのだ。

 

 それでは、クラウゼ=ツインマー氏の解説を以下に引用しよう。

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 そのような分離を試みると、ここでは全くそのようにいかないことに人は気づく。第1に、2つの光景に分けるには、斜めに切らねばならないし、幾つかの頭を切断することになる。第2に、例えば、前方の男性の驚いたしぐさや上方の少年の視線は無意味になってしまう。そのように斜めに分割することを試みると、この絵の右半分全体の構成は、左半分の出来事に組み合わさっており、従って、ここでは分割出来ない一体的な絵が存在していることを知る。緊密に結び合わされて、同じ瞬間に起きたものとして絵全体が表現されているのである。

 ピヒトが自ら提起し、また結局、複数の場面であるというテーゼに行きつくこととなる第2の反論は、真中の教えを説いている少年がそこにいる人々の記憶像であるというものである。

 これもまた、問題がないとは思えない。一つは既に述べた理由で、また第2に、絵の主要モチーフで、「支配的に真ん中に或るもの」(上方の少年として描かれているもの)が添えられた記憶像とは見なし難いからである。この中央の少年には、彼の姿としぐさのために最も広く自由につかえる空間が与えられているのである。この絵の他の誰も、正面の顔を遮られることなく見せてはいない。私達は彼の中に主要なモチーフを見なければならない。しかしこれに驚くべき付随的モチーフが、第2の少年によって添えられている。彼は退こうとしており、この絵の中央も、上方の空間も求めてはおらず、彼のしぐさは正にそれを断念している様子を強調している。

 よりはっきりとさせるためにもう一度あの問題に立ち返ろう。当時の画家は、意識的に二人の子どもを描き、それが時間的に引き続いて起きたものととらえられないようにしたいなら、何をすべきか又できたのか。どのような手段を用いたのか。

 彼は、顔と姿が異なり、色の異なる服を着た子ども達を描き、分割できないように、彼らのふるまいを交差させることができる。

 最後の点については既に幾つかの事を見てきた。真中の少年は、力強く咲き誇るような若々しさで画面全体を支配している。彼には、弱々しさは何もない。その顔の表情には、子供の柔和さに深みのある真剣さが混じっている。その視線は、ずっと先の、腕を広げたマリアの前に立つ子供がいる光景に向けられている。この少年は、神殿とその場の人々から立ち去り、後にするしぐさをして、彼女と歩みだしている。同じ髪型と簡素な服装は、確かに、彼が真中の少年と兄弟のように似ている印象を与えている。しかし、彼のそむけた、しかし完全に横向きになってはいない顔は、よりほっそりしており、か弱そうで透明感がある。彼の退去が、多くの祭司達の、中央の少年への集中を途切れさせている-その彼自身もそれにより気を反らされたようである-。

 衣服の色に関しては、以前は、真中の少年のものはバラ色で、下の少年のものは明るい緑であった。修復(1950年頃)以来、真中の少年の服が赤で、下の少年がバラ色となっている。従って、それらは今、色彩的にはずっと互いに調和がとれており、下の少年のそれが上の少年のよりもより柔らかいというだけになっている。最後の修復がオリジナルを再生させたとするなら、それまでの間、下の少年の服は他の色で塗り変えられていたに違いない。

 上の少年の背後には濃い緑色のたれ幕が掛けられているので、そこで赤と緑の色が力強いアクセントを生んでいる。下の、現在はバラ色の少年の背後には、明るい緑色の服を着た祭司が座っている。このバラ色と明るい緑の重なりは、上の赤と緑のそれの反映あるいは共鳴のように見える。

 前方の少年の後頭部から横顔が見える老人の足は、絵の中央で、右側の前にいる祭司の足の近くにある。従って、彼らの足の線は上に伸びており、教えを説く者がそこに現れる、開いた角度のある空間を作っている。

去ろうとする少年の隣で読みながら座っているこの老人は、はっきりと描かれた頭の隣に、第二の明るい横顔のようなものを持っている。この点については、よく見ようとしても不明瞭なので、何らかの影響で絵が損なわれたのか、あるいはある時に、そこに色々と手が加えられたのかは分からない。

 はっきりと違うのは頭の光輪である! 玉座についている少年の後光は軽やかな感じの白色と表現できるが、しかし、下の少年と彼といるその両親は強い赤みがかった黄色の光輪をしている。

 前の少年の視線も興味深い。彼の左(手前側)の目は、右下に向いており、会衆者を指すと同時に彼らに別れを告げている彼の手のしぐさを補強している。しかし彼の右目は、彼が今や向かおうとする道の方を真っすぐ見ている。解剖学的に言えば、この少年は斜視である! 彼の眼は、彼の身振りのように、異なっている。これは、繊細であるが、とてもはっきりした特徴であり、この画家がいかに細部に至るまで念入りにこの光景を描いたかがわかる。

 前方の祭司のものすごい驚きと他の少年を目で追っている上の少年の泰然とした偉大さは、左の少年の別れをするしぐさと一緒になって、この出来事の核心を私達にはっきりと示す意味深い三角形を構成している。(ベルゴニョーネのロディの「受胎告知」の三角形の構図が思い出される。)

 三角形を絵の下の縁まで引き伸ばすと、右の頂点で、そこで完全に孤立しているように見える男の頭がこの三角形に属している。これは誰であろうか。それは作者だろうか、それとも、絵の寄贈者だろうか。だが、寄贈者の肖像とするには多くの理由で通例にそぐわない。普通、寄贈者は礼拝図の中で、馬小屋の中で、あるいは王の1人として、又は従者の中にひざまずいている姿で描かれる。あるいは、聖母や磔刑のキリストの前の聖人の従者としてひざまずいているものである。12歳のテーマは、そのような礼拝にはふさわしくないので、普通は、寄贈者の絵にも選ばれることがないのである-そうでなくても、その絵は、礼拝の絵と比べて珍しいということは別にして-。寄贈者がそもそもそのようなテーマを選ぶなら、従って既に特殊なことである。エネルギッシュな男性の横顔は、絵の下の縁で信心深く祈っているのではなく、それと同じ高さにある、去りゆく少年の足の方を真剣に集中して見ているのである。

 もしこの頭がなければ、三角形には、右の支持点が欠けることになる[1]。従って、この男性は、歴史的には上の光景に結び付いていないが、画家あるいは寄贈者自身であれ、絵の核心の構成要素となっている。彼の心、彼の精神には、ここに示された出来事が生きているのである。

 この絵を斜めに裁断することはできない。そうしてしまうと、理解できない断片があるだけになる。しかし、そのドラマチックな核を取り出し、言わば堂々と簡潔に示すために、脇にいる集団を取り除いて、二人の少年と右の祭司の三角形だけを一度じっくりと見ることはできる。ここで重要なものは、この三角形にすべてある。3人のしぐさと顔が語っている。少年たちのしぐさには似たところもある。ただ中央の少年は、自分の左手を上に向けているが、もう一人の少年は、断念し、同時にそれを裏付けるように下向きにしている。それに加えて、それを知覚し驚愕した祭司があり、それに男性の頭が続く。(ひょっとすると、この老祭司も、同時代人のポートレイトなのであろうか?)

 そしてもしその核、絵の中心的ルーン文字をそのように観察するなら、去ろうとしている者に向けられた、“彼を”注意の中心に置いている二人の目、上の少年と祭司の目を、他のしぐさの添え物に邪魔されずに、見ることとなる。その驚くべき、魂的霊的三角形の会話を見てみよう。そこに視線の円環がある、それはどのように動いているだろう。上の少年は視線を下に向け、下の少年はさらに右に向けている-彼のしぐさがそれを補強している-。そしてすべては、右の祭司の、驚きながらの受容の中で終わっている。その図は、「秘密を見た男」と題することができるだろう。それをじっと見つめるほど、それは、秘密に参入することが許された男の記録、叙任の賜物のように見える。

 問題となっているのはまさに“二つ”の光景なので、ベルゴニョーネの絵は、確かに、複数あるいは二つの場面を描いた絵であり、ただそれは、時間的経過の中にあるのではない。二つの場面から一つの全体を構築するという画家にとって困難な課題を、ベルゴニョーネはりっぱにやり遂げている。

 もう一つ考えなければならないのは、この絵が、元々は教会の内陣にあったとされる、剥ぎ取られたフレスコ画であることである。従って、この絵は、ある一連の壁画から取られた唯一残存する場面である可能性がある。そのような場合、この絵の少年達の二重性はより奇妙である。場面の進み方は決まって左から右に流れるからである。従って、去ろうとする少年が上の少年と同じ少年で、その行為を、時間をかけて行ったとすると、彼が左に向かうのは適切ではない。その場合、彼は〔過去の〕行為の方に動くことになるからである。しかし勿論、例外もあるが。

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 この絵の場合、二人の子どもイエスが描かれていることは明らかであろう。しかし、おそらく、上のような解説を読まなければ、二人の子どもイエスは同じ人物で、博士達と議論をしているイエスと、それが終わってマリアに従い帰ろうとするイエスが1つの画面に描かれているだけであると解釈してしまうに違いない。ルネサンス期においては、その様な解釈しか許されていなかったし、シュタイナーの説明を知らなければ、普通の人間には、その様な考えに思い及ばないからである。

 こうした神殿にいる二人のイエスを描いた絵画は他にも存在する。ベルゴニョーネの名は、この本を読むまで私は知らなかったが、他の絵の作者の中には、誰もが知る画家もいる。それらの紹介は、後日行なっていくこととしよう。