k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

イエス・キリストの夢でキリスト教に改宗

 最近、「Walk in the Spirit」さんのブログに興味深い記事が載っていた。イエス・キリストが夢や幻に現われ、それがきっかけで大勢のイスラム教徒がキリスト教に改宗しているという報道があるというのである。

 以下は、その2021年の報道記事である。

―――――――――

大勢のイスラム教徒が、イエス・キリストの夢や幻を見た後に改宗しているのでしょうか?
2021年12月7日火曜日 (ライフサイトニュース)

 レーガン時代の政策アドバイザー、ディネシュ・ドスーザ氏が、キリストの神秘的な体験の後に改宗したイスラム教徒の話を、自身のポッドキャストで紹介している。

- ロナルド・レーガン大統領の元政策顧問であるディネシュ・ドゥスーザ氏は11月29日放送の自身のポッドキャストで、アフリカや中東でイエス・キリストの不思議な夢や幻を見たという証言を受けて、「相当数」のイスラム教徒がキリスト教に改宗していると述べた。

  イスラム教では、イエスは偉大な預言者ではあるが、新約聖書で明らかにされている神の子ではないとされている。イスラム教徒がイエスを指すときに使う名前は "Isaイサ "である。ドゥスーザは彼の番組で、世界中のイスラム教徒が夢や幻の中で "イサ"の訪問を受け、教会や牧師を見つけ、聖書を読むようにと言われているという証言を指摘する一連の記事を指摘した。

 イスラム教徒が夢の中で「イサ」を見たという証言は世界中に溢れており、ドゥスーザの発言を裏付けるような記事が多数存在する。アリというインド人の青年は、夢の中でイエスの訪問を受けたという。アリは、夢の中でイエスに出会ったことを「地震だ」と表現した。彼は、イエスが「あなたが必要だ」と言ったと信じ、すぐに教会と牧師を探す気になった。

 このような現象は、牧師やチャーチプランナーがこのような改宗者に伝道する際に使う頭字語MBBがあるほど一般的になりつつある。

 世界のイスラム圏で活動する福音主義グループの間では、その需要の高さから、MBBに対する具体的な宣教方法を開発することが一般的である。

 ドゥスーザは番組の中で、2000年のアルジャジーラのインタビューに言及し、その中でシェイク・アフマッド・アル・カタニが、アフリカでは「キリスト教宣教師のために、イスラムは1時間に667人のムスリムを失い、毎日1万6000人、そして毎年600万人がキリスト教に改宗する」という驚くべき結論に達していることを明らかにした。

  このような主張は、イスラム教徒の視聴者に、より熱心にイスラム教を広めようとする動機を与えるに違いないから、これは過剰報道の例である可能性がある。一方、多くのイスラム諸国では、イスラム教から離れることが違法であるか、あるいは厳しく禁じられていることを考えると、報告されていない改宗者が無数に存在する可能性もある。

 イスラム教徒とキリスト教徒の関係を専門に研究しているある聖公会の学者は、2015年の論文で、次のように書いている「......過少報告の可能性が実際にある。これは、現地のムスリムが読む可能性の高い公的なフォーラムでよく起こることである。特に、政府が積極的に背教者を処罰したり、その人の家族が処罰を行うことを許可または奨励しながら見て見ぬふりをしている国では、できるだけ低い推定値または安全を維持する方法と考えられている、実際にそれ以下のものを使っている。」

 実際の数字を確認するのは難しいが、それでもイスラム教徒が多い国で行われた、また行われつつある改宗の数は、決して少なくないだろう。

「イサ」という夢を見たという話が一貫していることを考えれば、その主張を真剣に受け止める理由はより多くなる。

 このような夢は「暗示の力」によって報告されているのではないか、あるいはキリスト教の宣教師が伝道活動の効果を強調するために、ごく少数の話を誇張しているのではないか、と指摘する人もいるかもしれない。キリスト教の宣教師が、伝道活動の効果を強調するために、ほんの少し話を誇張しているのかもしれない。

 ドゥスーザが指摘するように、イエスが夢や幻の中でイスラム教徒を訪問したという話は、世界中のイスラム教徒がいるところで起こっている。彼は、ドイツのフランクフルトから来た女性が司祭を探し求めたという話を紹介している。「神は...夢の中で、[彼女に]マーケット広場にある大きな教会に行って、イマームに...真実を教えてもらうようにと命じた」のである。イマームとはイスラム教の祈祷師を指す言葉で、牧師や神父と訳されることもある。

 このポッドキャストは、アルジェリアアルバニア、シリア、クルディスタン、エジプトでも同じようなことが行われていることを紹介している。確かに文化的な類似性はあるが、地域言語、方言、民族的伝統などを考えると、それらは離れた国である。ある夢やビジョンが大衆的なイメージやメディアによって促進されたという文化的な現象は、まずありえない。イスラム教徒が多い国では、キリスト教のイメージや文献を共有することが難しいことを考えると、なおさらありえないことである。

 推測はさておき、神ご自身が夢や幻の中に人を訪れて改心させることは、前代未聞のことではないだろう。旧約聖書にも新約聖書にも、聖人や改宗者の生涯にも、そのような物語がたくさんある。

 クリスマスが近づくにつれ、私たちは約2000年前にパレスチナのある男を主の天使が訪ねてきて、聖母マリアがキリストをこの世に誕生させることを確信した運命的な出来事を思い起こすかもしれない。

  もしかしたら、使徒たちの祖先の地が教会に戻るように、イエスが以前キリスト教徒だった地の何百万人もの人々を訪れているかもしれない。奇妙なことが起こっている。

―――――――――

  この記事を読んで先ず思い出すのは、シュタイナーが、キリストの再臨について語っていることである。キリストは、今(1930年代頃から始まっているのだが)、エーテル界に再出現しているというのである。

 エーテル界とは、人間や他の生物の生命の原理であるエーテル体と共通する客観的な超感覚的世界で、物質世界にすぐ隣接している(より高次な世界も存在しており、それがアストラル界や狭義の霊界である)。そのキリストを、秘儀参入者でもない現代の普通の人間が、自然の能力により知覚できるようになるというのである。

 これをテーマとする記事は、既にこのブログに掲載している。

k-lazaro.hatenablog.com

 この記事は、『私たちはキリストを体験した~イエス・キリストとの霊的出会い』という、そうしたキリストとの出会いの体験をまとめた本を紹介したものである。この本は、スウェーデンの宗教社会学者であるベルント・グスタフソン Berndt Gustafsson氏 が、友人の神学者 グンナー・ヒレルダル Gunnar Hillerdal 氏と二人で、「キリスト体験」を募集する新聞広告を出したところ集まった百を超える体験談を元に編集したものなのだ。

 この本にも、夢の中でキリストに出会ったという報告をあるので、次に紹介しよう。

―――――――――

私に芸術を教えたのはキリストだったのか?

ウァイン・アールトネンの夢のビジョン

 

 1957年に出版された「キリストが私に教えてくれたこと」という本の序盤で、主に彫刻で知られるフィンランドのアーティスト、ウェイン・アールトネンのレポートを読むことができる。非常にセンセーショナルなことに、この体験と文書のコレクションは、次のような言葉で始まる。「キリストは“私に何を教えてくれたか”という問い」に、私は、短い文章で答えることができる。“キリストは私に絵を描くことを教えてくれた。“これは1912年の夢の中で起こったことだ。」アールトネンはその夢をこう語っている。

 

 私は自宅の農場に立って、絵を描き始めた。風景がとても美しかった。空を見渡すと、色とりどりの空が広がっている。その純粋で美しい色彩が、次第にグループ化して、巨大なキリストの姿になった。それはとてもクリアで美しく、色彩豊かで、今でも私の内なる感覚の前にそのように立っています。次の瞬間、誰かが私の右腕をしっかりと、しかし親しげにつかんだように感じました。私は左手にパレットを持ち、顔を上げると、キリストが私の横に立っていました。そして、私の手から筆を取り、パレットから絵の具を取り出し、描き始めたのです。私は驚いて見ていましたが、一瞬にして絵の具の扱い方が完全に理解できました。キリストは時々、私が理解できたかどうか尋ねるような目で私を見ました。私は、黙ってうなずきながら、「わかりました」と答えました。言葉は必要ないのです。このキリストの視線は、すべてを知り、すべてを包み込み、真実であったので、私は生きている限り忘れることができません。今でも、それは私の魂の中に完全に生きています。キリストは絵が完成するまで描き続けました。すべての色の濃淡が、私の目の前に調和した美しさで横たわっていました。絵が完成すると、キリストは筆を私に返し、私が理解できたかどうか尋ねるかのように私を見ました。私はうなずきました。しかし、私がへりくだって感謝しようとしたとき、キリストは去ってしまいました。大きな恐怖が、すぐに大きな喜びに変わりました。私は、芸術的技術を持って、思うがままに絵の具を使いこなすことができるようになったのです。

 アールトネンはさらに、この夢のビジョンがどのような奇妙な結果をもたらしたかを報告している。当時(1912年)、彼はアボの美術アカデミーの3年生に在籍していた。夢の翌朝、彼は直接学校に行って、描きかけの絵を破り捨てた。教師たちは反対したが、彼を止めることはできなかった。「彼らは私が知っていることを知らなかっただけなのです」とアールトネンは書いている。そして、新しい絵を描くと、すぐにヴェスターホルム教授のアトリエに呼ばれた。  

 私の新しい絵がそこに置かれてありました。ヴェスターホルム教授は、「君の絵は前代未聞の美しい色をしている」と言いました。そして、絵の細部に至るまで没頭し、「本当にこのように色が見えるのか」と私に尋ねたのです。私は思い切って、「自分が見たいように色を見たのです」と答えました。すると、彼は「真実とは何か、自然の中の真実とは何か」と聞いてきました。どこで、どのように言葉が浮かんだのかわかりませんが、私は「これは芸術における真実です」と答えました。

 アールトネンはさらに、その夢とその中で起こったことが、彼の前に生き生きと立ち続けていると報告している。「その上、それは、私の精神的な成長に強く影響を与えたのです。」

―――――――――

 これらの報告は、夢の体験、ビジョンであるので、まさに何の客観性もない主観的想念、あるいは空想の類い、単なる思い込みと言うことはできる。しかし、古来、夢の中で霊的啓示を受けたという体験は多く報告されているのも事実である。

 福音書のマタイ伝には、イエスの誕生に際し、ヨセフの夢に天使が現われ、マリアに救い主が生まれると告げ、誕生後には、 ヘロデによる赤児の虐殺から逃れるためにエジプトへ避難するように忠告したと書かれている。

 シュタイナーによれば、睡眠とは、人の自我とアストラル体が、肉体とエーテル体を離れて霊界に赴くことであるから、その途中で、エーテル界とアストラル界を通っていくこととなる。これらの超感覚的世界で今活動しているのが、天使であり、またキリストである。このようなことからすると、夢の中で再臨したキリストと出会うということはありうる事のように思える。

 しかし、キリストの「啓示」によって、イスラム教徒がキリスト教に「改宗」するということの意味は、実際にはよく分からない。シュタイナーの説くキリストは、一宗教を超えた普遍的存在である。そのような存在が、あえてイスラム教を捨てるように諭すのだろうかということである。

 それとも前段の記事にあったように、単純に、救い主としてのキリストを認めていないイスラム教ではなく、キリストを認める立場の教えに帰れということなのだろうか。
 いずれにしても、不思議な現象が起きているのは間違いないだろう。