k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

聖杯と反聖杯の潮流


 このブログでは、時々「影のブラザーフッド」を取り上げてきた。言ってみれば、「陰謀論界隈」でよく出てくる「フリーメイソン」のような秘密結社なのだが、人智学派は、その背景に霊的対抗勢力を見ている。これも、一部の「陰謀論」では、その組織のトップに例えばルシファーの名を付けているので、「陰謀論」と通じるところがあるが、人智学派からすれば、そこにアーリマンも加えることになるだろう。

 ところで、これも以前触れたことがあるが、真のフリーメイソンは、決して「陰謀論」の語っているような組織ではない。人類史の裏側で働いてきたのは事実だが、その本来の目的は、人類の霊的進化を推進する事であり、霊的対抗勢力、影のブラザーフッドとは真逆なのである。

 これはつまり、フリーメイソンが対抗勢力により乗っ取られた、あるいはその名を僭称されているということである。これには、人間の欲望もからんでいるが(そのネットワークを利用すれば色々な利益が得られる)、対抗勢力の元々の狙いは、人類の霊的進化を阻止することである。

 しかし、真のフリーメイソンの系統につながる者達は、それ以降も存在してきたようである(「ホワイト・ブラザーフッド」の系譜といって良いだろう)。そして人類の未来をかけた闘いが、ずっと続いてきたのだ。

 

  今回は、人類史のこの隠された流れについて概観する論考を紹介したい。これは、『神殿と聖杯-神殿騎士団の秘密と聖杯、そして我々の時代におけるその意義The Temple and the Grail』という本の1節で、著者は、W.F.フェルトマン(W.F.Veltman)氏である。彼は、1923年、オランダで生まれ、ナチス占領時代に人智学と出会い、その後、シュタイナー・スクールで、フランス語、芸術史などで教鞭を執ったという。2018年に亡くなっている。原書はオランダ語だが、英語版から訳す。

 この本は、表題のように、神殿騎士団と聖杯伝説をテーマとしているが、これらは、秘教的キリスト教に関わるものであり、さらにそれに関連して薔薇十字運動やフリーメーソンなどの秘教的同胞団についても触れており、それらの流れが概観できる。

 以下において紹介するのは、秘教的キリスト教の流れに属する「聖杯」の勢力と、これに対抗する悪の勢力、そして薔薇十字運動の誕生などが述べられている部分である。

 なお、文中の「聖杯の流れ」というような表現は、秘教的キリスト教に基づき行動する霊的指導者や人々を指している。

 

 悪:聖杯と反聖杯

 著者は、神殿騎士団と聖杯伝説の歴史、真の姿について述べた後に、人類の現在と未来に目を転じる。このため、「特に悪の働きに注意を向ける必要がある」として、悪の役割に触れつつ、人類の発展の歴史を述べていく。

人智学が『ポスト・アトランティア第5時代』と呼ぶ現在の文化的時代は、第4時代であるギリシア・ローマ時代に属する中世が終わりを告げた15世紀に始まった。ルネサンス人文主義宗教改革という言葉で示されるよく知られた文化運動は、それ以前よりもはるかに強く目覚めた人間の意識の現れである。個人の成熟感、あるいは人間の精神の自由とも呼べるこの自己意識を支える柱は、正確な感覚的観察と、多かれ少なかれ脳の物理的実質に縛られている抽象的合理的思考である。

 これらの魂の2つの能力により自然科学が誕生し、それに続いてテクノロジーが登場した。これはまた人間の自我の発展に関わるものであった。

「この発展により、人間の『自我』は完全に下層の3つの部分【アストラル体エーテル体・肉体】へと降りていった。今、『自我』が、そこにおいて自分自身を意識して、物質的な地上で住む場所と感じる魂の部分を、アントロポゾフィーでは「意識魂」と呼ぶ。感覚的観察と抽象的思考は、意識魂の『自我』を自由にしている。まず第一に、何から自由にしているか......。自我は、霊的伝統、宗教、信仰から自由になり、神や命令から自由になる。」

 しかしこのことには危険が伴う。ゲーテファウストのように、悪の力と対峙しなければならない。「意識魂の時代には、かつてないほど、誘惑の力、逆らう導きの力が、人間の事柄に入り込んできている。私たちはこのことを認識し、意識的に対処することを学ばなければならないのだ。」

 そしてこれも、人間の進化のためには必要なことである。人類が霊的進化を進めるには、自由なしには考えられない。しかしそれには、「この努力に逆らい、失敗させようとする原理も必然的に存在しなければならない。もし努力に失敗することがないのであれば、つまり目標の達成が絶対的に確実なものであるならば、努力など問題になりえないからである。・・・自己意識的な『自我』の活動によってのみ可能となる。」

 それゆえ、悪が人間の努力を試す抵抗力として、その活動を人間の「自我」に向けるのである。

 シュタイナーによれば、悪は二重の力として現れる。

「ルシファー的霊は、人間の『自我』を地上から引き離し、自分たちのルシファー的霊の領域に取り込もうとするのに対し、アーリマン的力は、人間の『自我』を地上に鎖でつなぎ、物質の中に閉じ込めようとする。・・・どちらの場合も、地球の発展の目標は妨げられる。」

   この2つの力は互いに対抗するように働き、それによって互いのバランスを保っている。一方が働くことで、他方はチャンスを得るのだ。

「ルシファーとアーリマンの悪意ある性格は、両勢力が肯定的な面も持っているという点では相対的である。ルシファーは、熱意、空想、インスピレーションが必要とされるあらゆるもの、例えば芸術の分野では欠くことが出来ない。アーリマンの影響は、濃密化、物質化という性質のものすべてにおいて正当化される。これら2つの霊的な力は、世界の偉大な計画において、こうした肯定的な側面からその地位を得ただけでなく、人間の自由を可能にする対抗的な力として必要な役割を担っている。しかし、悪の二重の力が一体となって現れる時、例えば、黙示録第12章(12:13-18)に出てくる竜のように、デビルともサタンとも呼ばれるような場合、私たちは、この二つの背後に第三の、より高次の力、絶対悪の力があるかのような印象を持つかもしれない。666という数字に象徴されるヨハネの黙示録の獣(13:18)もそうである。」

 著者は、この悪の働きを、テンプル騎士団と結びつけて説明する。

 14世紀の初めに、アーリマンの力がフランス王フィリップ4世とその従者たちに憑依し、そのためにテンプル騎士団は滅ぼされ、その名声は現代まで汚されたのだ。フィリップ4世が憑依されたのには、彼の貪欲な性格のためであるが、そこには上の強力な悪魔(ソラト)の働きがあった。

「1307年から1314年にかけて起こった出来事は、神聖な太陽の金属【金】が霊的なものに奉献されることなく、権力へのエゴイスティックな努力のために使われたときにかかる呪いを、いわばヨーロッパの魂の状況に刻み込んだテンプル騎士団の破壊とそれに続くすべてのことは、秘教的キリスト教に直接向けられたものだった。我々は '聖杯の原初の使者'としてテンプル騎士団を見なす場合は、騎士団への攻撃は、反聖杯の衝動として理解しなければならない。」

 

 次に著者は、悪の起源について述べる。

 聖杯の歴史がキリスト教以前の秘儀にもさかのぼることが示されているように、反聖杯衝動の起源は過去に求められる。「これに関連して、善が時間の中で動かされ、それが早すぎるか遅すぎるかのどちらかになるとき、悪が生じることを理解することが重要である。発達の特定の段階で進歩に奉仕する霊的な力は、後の段階で物事を以前のまま維持しようとする場合、進歩を妨げ、それに反対する。このような抑制的な影響には、ルシファー的な色彩とアーリマン的な色彩がある。」

 時宜を失った霊的力が悪の根源であり、ルシファーとアーリマンは、それ自体、本来進むべき進化の道を歩まずに、前の段階にとどまったヒエラルキー存在(天使)なのである。

 時宜を失うということは、過去に有効であった霊的力が、その後の時代にも影響を及ぼすということである。

現代においても、人類発展の古いアトランティス時代からの影響がまだ働いている。アジアではよりルシファー的な性格を、アメリカではよりアーリマン的な性格を帯びている。両者とも、キリスト教以前のヨーロッパで影響をもったが、中世時代にもっと明らかになった。アジアからのものはモンゴルの大軍に、アメリカからのものは1492年に発見された後、まったく異なる形で。このように、人類の進歩に役立つ善の影響も、悪の側面とともにあるという事実を見失うべきではない。」

 悪の力の最大の敵は言うまでもなく、霊的ヒエラルキーを従えるキリストである。その力は、「ルシファーとアーリマンの影響を無効にするのではなく、キリストの光の中にそれらの存在を示すことによって、それらを克服するのである。人間の洞察力に悪を可視化することは、私たちに悪を拒絶するか、悪に従うかの自由を与えるために必要である。」

 悪の力は、本来キリストに従うべき教会にも及んだ。

キリスト教がその最初の段階から、二重の敵に対処しなければならなかったことは、よく知られた事実である。一方では、神秘主義や、シビルス、異言、魔術などの古いオカルティズムの退廃と陰鬱さに見られるルシファーの力がある。他方で、これと組み合わさって、ローマ皇帝に集中した『この世の支配者』の力も見られる。・・・敵対勢力がキリスト教の内部に入り込み、内部から働きかけることができるようになると、その影響力ははるかに効果的なものとなった。

 教会の歴史は、侵入してきた敵の一面、すなわちルシファー的な側面しか示していない。グノーシス的な性質を持つ多くの宗派や流れ、古い密儀の知恵がまだ染み付いたままの『偽りの教義』-4世紀にコンスタンティヌスによって認められた教会は、これらすべてを門外に押し出さなければならなかった。これのために、多かれ少なかれ隠されたままであったのは、ローマのアンチ霊を教会に持ち込むことができたアーリマン的な敵の影響であり、法律により組織された要素であり、今や大祭司としての皇帝からローマの司教である教皇に移されたカイザーの権力衝動であった。」

 悪の力の侵入を許した教会は、やがてその本来の使命を見失うこととなる。そのようなことに役割を果たした集団があるという。

従来の歴史物語から完全に隠されていたことの一つは、4世紀にさかのぼる集団の存在であり、その目的はキリスト教と古い秘儀の知恵とを結びつけるあらゆるものを破壊することであった。ルドルフ・シュタイナーは、4世紀のこの反聖杯の結社に注意を喚起し、その活動の中心を中央イタリアに置いている。このような人々によって、異教的な文書、神殿、美術品が破壊されただけでなく、特にキリスト教の秘教的な文書も破壊された。」

 秘教的文書には、キリスト存在が、ヨルダン川での洗礼で人間であるイエスと一体化する太陽の霊として描かれているからである。

「教会内の反聖杯勢力の意図に従って、キリストと宇宙的な太陽世界との関係についてのこの特別な知識が根絶されなければならなかったことは、『背教者』ユリアヌス帝がこの邪悪な合議体によって排除されたという事実によっても示されている。エレウシスの秘儀に入門したこの皇帝は、キリスト教の敵では全くなかった。・・・キリスト教が採用した "帝国的 "形態において、彼は求めていたものを見つけることができなかったのだ。ツァラトゥストラの太陽の知恵の名残がある近東でより深く学べると期待していたのである。」

 ユリアヌスが、中東で「マニ教接触したなら、彼はこの流れの中に、太陽の存在とイエス・キリストの関係を完全に洞察するものが存在することを発見したであろう。このため、ユリアヌスとマニ教との出会いは阻止されなければならなかった。」このために、彼は暗殺されたという。

 悪の力は、ヨハネの黙示録により666という数字で示されている。それは、太陽の悪魔ソラトを表わす。その影響は、西暦666年頃に先ず現われた。

「新ペルシャ帝国のある都市が言及されているが、そこには重要なアカデミーがあった。その都市の名はゴンディシャプールといい、マニが獄死し、その遺体が城門に無惨にも展示されたのと同じ場所である。異教的な哲学や科学のためにキリスト教地域から追放されたギリシアの哲学者たちは、ゴンディシャプールに逃れてきた。シュタイナーは、彼の霊的研究に基づいて、666年頃にそこから人類に対する極めて悪質な攻撃が行われたと述べている。・・・ゴンディシャプールのアカデミーからそのような優れた知性を文化に広め、人類のある部分が今日の段階を先取りするような加速的な発展を遂げるようにすることだった。人類の一部におけるそのような意識魂の高度な発展は、時間の経過とともに強くあまねく広まり、その影響は世界中に及ぶだろう。その結果、この加速された発展によって、人間の魂は物理的な地球を強く意識するようになり、機械論的な物質に鎖でつながれるようになるだろう。そうなると、人間の「自我」の適切な発達は断ち切られ、人間は硬化したロボットとして『獣』の力の下に置かれることになる。」

 しかし、計画はごく限られた範囲でしか成功しなかった。「キリストは、このサタン的攻撃のためにその出現を早めたからである。キリストは、もともと意図されていた時期、西暦333年、つまりアトランティス後の第4エポックのちょうど真ん中、「時の真ん中」より333年早く来られたのである。ゴルゴダの秘儀の進展は、全人類に霊的な影響を及ぼし、その結果、魂は肉体との結びつきが弱まり、霊に対してより開かれたものとなった。これによって666の衝動の最大の危険が取り除かれたわけではないが、一定の均衡が生まれたのである。」

 キリストは、地球期の始まりと終わりの時間のちょうど中間点で地上に誕生するはずであった。それは現在の西暦で言うと紀元後の333年に当たるが、アーリマンの攻撃に備えて、それより333年早く現われたのだ。「主の年」、「西暦」は、これにより333年早く始まったと言えるだろう。

 また、アラブ人におけるイスラム教の出現は、その悪の効果を弱めることにもなったものの、「ある面では、これらの人々はゴンディシャプールの意図に奉仕した。7世紀末に新ペルシャ帝国を征服したアラブ人は、ゴンディシャプールの輝かしい学問を熱心に取り入れ、実際にそれを世界に広めた。彼らはゴンディシャプールのアカデミーのアリストテレスの知恵を知的化し、そうすることによって、後のヨーロッパの唯物論的科学の基礎を築いたのである。アラビアの学識、特にムーア人のスペインにおけるそれが、現在の科学、さらには科学技術を先取りしていたことはあまりに知られていないが、シュタイナーがゴンディシャプールについて述べていることを裏付けている。:その意図は、私たちの現在の魂の状態、意識魂を加速することである。」

 「しかし、弱められたものの、この邪悪な衝動の実際の影響力は実に大きく、「シュタイナーは、それ以来、無神論の刺戟はすべての人間の中に存在している-神の否定は病気のように人類に植えつけられた-と指摘している。869年のコンスタンチノープル公会議による霊廃止の決定も、ゴンディシャプールの衝動がもたらした致命的な結果と見なさざるを得ない。これに手を貸したに違いないローマの反聖杯の結社は、666年以前にはすでに悪の力の手中にある道具だった。」

869年の公会議以前、キリスト教にも、人間は体・魂・霊からなるという教えがあったが、この会議により人間の霊性は否定されたのだ。

 

 反聖杯の活動はその後も続く。それは、いわゆる聖杯の物語にも反映している。

ワーグナーのオペラ『パルジファル』では、この魔法の領域の謎めいた支配者である魔術師クリングソールが舞台に登場するが、クレティアンとヴォルフラムでは、クリングソーは背景に隠れて見えない。」

 ここに登場するクリングソールこそが、悪の化身である。それは、物語上の人物だが、歴史的にその痕跡を探ることは可能だという。

この人物はおそらく、皇帝ルートヴィヒ1世から絶大な尊敬を集めていたカプア公ランドルフ2世(825-879)と同一人物だろう。兄のパンドは、827年にシチリアを征服していたアラブ人を南イタリアのアプリアに呼び寄せ、ランドルフもまたアラブ人とある意味で同盟を結んでいた。聖杯の武勇伝は、クリングソールとイブリスという名の「異教徒」の女王との関係について語っている。彼は、恋人(クリングソールとイブリス)たちが枕を共にしているのを見て驚いたイブリスの夫に去勢され、イブリスはイブリスの夫に去勢されてしまった。この去勢によって、クリングソールは男女を深く憎むようになった。この事件は、シチリア南西部のカロット・ボロット(カルタ・ベロータ)で起こった。

 興味深いことに、イブリスはイスラム教徒がルシファーに使う名前である。私たちはカロット・ボロットを、ヨーロッパにおける聖杯の流れに対立したオカルトの中心地とみなすことができるだろう。黒魔術の主はアーリマンであるため、クリングソーが魔術師と呼ばれたという事実は、彼が黒魔術の力を使い、それゆえアーリマンの特徴も示したことを示している。」

 

 次に著者は、テンプル騎士団の出来事へと再度戻る。

テンプル騎士団を滅ぼした一撃は、666の衝動のリズミカルな繰り返しだった。この数字を年数で表すと、1332年と1998年に戻ってくる。フィリップ4世の極悪非道な狡猾さが、非常に現代的なものであることはすでに指摘した。ゴンディシャプールの衝動に意図された絶対的な非人間性は、まず人間の思考に向けられた。氷のように冷たい知性は、神の世界から効果的に分離する可能性を生み出さなければならなかった。この知性の『罪への堕落』は近代になるまで完全には起こらなかったが、徹底的に準備されていた。

 第二の攻撃は、考えることよりも、むしろ感じることに向けられた。テンプル騎士団は学者ではなく、心の力によって生きていた。彼らが守ってきた金と血の神秘は、今や冒涜され、その正反対のものに変えられなければならなかった。感情の領域に腐敗が持ち込まれたことは明らかだ。高貴な騎士たちの中傷、侮辱、不名誉は、後世の人々の感情を腐食させるように作用した。

 その間に、真にキリスト教的な社会秩序の種は何世紀にもわたって妨げられた。」

 テンプル騎士団は、未来の人間社会のために友愛の原理の種を蒔いたのだが、それは長年にわたり成長が妨げられているのだ(それを復活させることもシュタイナーの課題であった)。

しかし、これに反して、私たちはまた、聖杯騎士の物語の積極的な働きについて考えるべきである。;秘教的なキリスト教の流れは止められたが、叙事詩のイマジネーションの中に退いたのだ。そして同時に、近代のキリスト教の秘儀の刷新が準備された。すなわち、クリスチャン・ローゼンクロイツの名と結びついた流れである

 第三の攻撃は、20世紀後半から私たちが直面しているもので、意志に向けられたものである。このため、物質中のエネルギーの力が解き放たれた。この第三の悪のうねりには、前の二つの悪のうねりがはっきりと見て取れる。ただそれらは、もっと過激で世界的次元をもっている。それ以前の時代に東西で準備され、中世から近代への移行期にモンゴルの大軍やアメリカ大陸の発見ですでにはっきりとその姿を現していたものが、東西間の巨大な闘争で鋭く顕現する。」

 

薔薇十字団

 著者は次に、テンプル騎士団の霊的衝動を引き継ぐものとして薔薇十字運動について述べる。

 テンプル騎士団は歴史的には滅んだことになっているが、その潮流は他の組織などに引き継がれた。

金羊毛騎士団における騎士団の理想の最後の復活が、ヨーロッパの支配者たちに近代への準備をさせていた一方で、キリスト教の叡智の隠された変容はすでに成長しており、それは薔薇十字団の流れとなるのであるフリーメーソンの中には、テンプル騎士団フリーメーソンとの間に直接的なつながりがあるという見解を広める著者がいる。この見解の真偽を確かめるには、フリーメーソン組織の起源をたどらなければならない。しかし、これだけでは直接のつながりはわからない。しかし、オカルト史の研究者は、「聖杯の守護者」、特にクリスチャン・ローゼンクロイツという謎めいた人物を考察するとき、間接的なつながりを見出す。」

 しかし、薔薇十字団やクリスチャン・ローゼンクロイツの真の姿は今でも霧の中にある。「なぜなら、この本質は、入手可能な文書のどこにも見つけることができないからである。薔薇十字団を名乗る現代の結社や団体は、多くの混乱を引き起こし、薔薇十字の本来の流れを知ることはほとんど不可能である。迷宮から抜け出す道を見つけるには、シュタイナーが表現しているように、正確なイニシエーション科学を参照しなければならない。」

 以降、著者は、シュタイナーに基づき、薔薇十字運動の歴史を探る。

「中世にはすでに、アトランティス後5番目の時代における人類の新たな発展段階が準備されていた、すなわち、一方では自然科学的な手段によって外的宇宙と自然を探求し、他方では個人的な宗教によって神的世界との結びつきを探求することである。しかし、この自然科学と個人的宗教は、現代ではともに物質主義的な性格を強く帯びているが、未来においては、人間が完全な自由の中で取り入れることのできる霊的な流れとつながることができなければならない。

 この霊的な流れとは、現在進行中のキリストの神秘の働きである。そしてこのことは、信じられないような意味を持つ。例えば、将来、人間は、現在、自然界の死んだ物質に対する力を持っているように、自然界の生きた力を使いこなす能力を開発しなければならない【訳注】。前者の能力は、カインの息子たちの不屈の努力と労苦によって、何千年もかけて開発されたものである。科学、芸術、社会組織が生まれたのは、時の流れの中で人々が世界に働きかけ、世界を変えたからである。大きな建造物や技術的な発明はもちろん、彫刻や絵画、さまざまな芸術が時代を超えて生み出してきた宝物、社会的な措置、法律、規則など、これらはすべて、無機的な世界という意味で、物理的な世界の制御にかかっている。文化、知恵、美、力の柱が人類の神殿を支えている。太古の昔からこれを築いてきたのは、その名を自称していたかどうかは別として、メーソン兄弟、フリーメーソンなのである。

【訳注】物質世界に現われた生命の原理はエーテルである。以前の記事で紹介したように、エーテルを利用するエーテル科学がやがて生まれるのだろう。

 

 しかし、生命の力の制御もまた開発される必要がある。最初の芽は、無機的な力の制御は社会生活にとって何のプラスも生み出さないという洞察に人類が最初に到達する領域である社会生活に関連して、私たちの時代に生まれなければならないだろう。ここでは、神殿騎士団の衝動の中にも生きていた自己犠牲の聖杯原理が、社会的に実現されなければならない。私たちの時代以前から、自然界の死滅した力の制御においてこれまで支配的であった一方的な男性的要素は克服されなければならないだろう。女性的な要素には、生きるものすべての未来の力が、男性的な要素よりもはるかに存在している。そのため、これらの生きる力を自分の手の届くところに集めるために、人々は多大な努力をしなければならないのだ。」

 薔薇十字団が誕生したのは、人類の新しい時代に向けて、そのなかで人類が更に霊的進化を遂げることが出来るように準備するためであった。それは、他の聖杯の流れにおいても同様である。

元々のフリーメーソンテンプル騎士団、そして真の薔薇十字団は、この3つが同時に、人類の発展の主流を代表し、人類の進歩に貢献しようとする精神的・社会的運動であったという意味で、互いに非常に密接な関係にある。これらの運動は、聖杯ロッジとも呼ばれる人類のホワイト・ロッジに属する偉大なイニシエーション・マスターたちによって霊感をあたえられていた。」

 そして次に、いよいよ、伝説的人物であるクリスチャン・ローゼンクロイツの秘密が語られる。彼は、「イエスが愛された弟子ラザロ」が生まれ変わった後の姿であった。キリストは、「3日半にわたるイニシエーションによる死の後に彼をよみがえらせることによって彼をイニシエーションしたのである。ヨハネとして、彼は圧倒的な霊的体験の中で再びキリスト教のイニシエーションを生き抜き、それをヨハネの黙示録に記した。その後、彼は福音書の中で、このイニシエーションに至る七つの道を述べた。」

 ラザロは、キリストによって秘儀参入を受けた人物であり、彼こそ、福音書記者のヨハネである。そしてヨハネによる福音書に描かれているキリストの磔刑に向かう一連の行動は、同時に秘教的キリスト教の秘儀参入の段階を描いたものなのである。

 

「将来の使命に備えて、この個性【ヨハネの人格】は、8世紀にシャリベール・ド・ラオンとして転生した、その娘ベルテ(「大きな足を持つ」)はシャルルマーニュの母である。歴史上の人物としてのシャリベールについてはあまり知られていないが、彼の周囲で紡がれた武勇伝は、中世で最も愛されている物語に属する。フロールとブランシュフルールのロマンスである。

 『百合の花嫁』を失い、そして彼女を取り戻す「薔薇の青年」の背後には、パルジファルの場合と同じように、人類最大のイニシエーターの一人を探さなければならない。この武勇伝はプロヴァンス地方のもので、ヴォルフラムの情報提供者であるキョートの出身地でもある。フロールはキリスト教の王子ではなく、イスラム教徒の両親、あるいは当時言われていたように「異教徒」の両親から生まれたとされている。彼の父親はフェヌスまたはフェニックスという名前で、スペインに君臨していた。このことは、私たちがここで聖杯関連のモチーフを使わなければならないことを疑いなく示している。ブランシュフルールは、人質となったキリスト教徒の女性の娘である。母親は高貴な生まれだが、王妃から親切に扱われているにもかかわらず、フェヌスの宮廷では女奴隷とみなされている。

 フェヌス王はフロールと奴隷の娘の愛に動揺する。彼は彼女を殺そうとするが、伴侶の強い希望でそうはならなかった。その後、美しい娘は商人に売られ、東洋に連れて行かれ、バビロンの首長に買われる。彼女は他の多くの女たちとともに、街の真ん中にある不思議な塔に監禁される。首長は、彼女の類まれな美貌と甘美さのため彼女を熱烈に愛し、自分の王妃にしようとする。

 ブランシュフルールを東洋商人に売った男たちは、この少女のために、大きな宝物を受けた。そのうちのひとつが、パリスとヘレンの歴史が浮き彫りにされた黄金の聖杯だった。フロールは最愛の人を探しに行くとき、この杯を持って行き、この品物を手放すことを厭わなかったことにより、彼は、塔の衛兵になんとか、新鮮な赤い薔薇の入った大きな籠に隠れている王宮に入れてもらうことに成功する。

 このことが発覚すると、首長は二人の恋人を自らの手で死刑にしようとする。しかし、2人の美しさに感動し、2人の愛の揺るぎない誠実さに深く感銘を受けた賢明な家臣たちの助言のおかげで、ドラマは幸せに解決する。首長は二人を許し、結婚を許す。それから間もなく、フロールとブランシュフルールは首長のもとを去り、フェヌス王が亡くなった国に戻る。フロールはキリスト教徒となり、彼とともにすべての臣下もキリスト教徒となる。

 この感動的な愛の物語の背後には、多くのことが隠されている。この物語を豊かでミステリアスなものにしている様々な絵の中に、錬金術的な要素があることは、こうしたことに詳しい人ならすぐにわかるだろう。例えば、長々と描かれているブランシュフルールの空っぽの墓や、フロールが乗る奇跡の馬、首長の女たちの塔にも同じことが言える。・・・

 聖杯のシンボルと同じように、この物語は月の存在(白百合)と太陽の存在(赤い薔薇)の結合を描いている。処女の銀の鏡と百合の控えめな美しさのような純粋で、まだ無私の知恵の要素は、遠い過去の神秘にまでさかのぼる。彼らは、まだ天からきたのだ。東洋人の高貴な魂はこの存在に憧れるが、西洋からの赤いバラは、地上に咲くことのできる温かい個人的な愛を象徴し、非人間的な叡智の要素を霊的な力の新たな流れへと変える。

 なぜこの子供たちはこんなに愛し合っているのだろうか?それは、イエスが偉大な愛の捧げ物をもたらすために都に入った日、シュロの聖日に生まれたからだ。フロールとブランシュフルールの物語には、パルジファル物語だけでなく、百合と薔薇の深遠な象徴にまつわるヨーロッパ史のすべての萌芽が含まれている。そしてこの点で、西から東へ、東から西への動きが再び決定的な意味を持つ。

 ヴァルター・ヨハネス・シュタインは、シャルルマーニュの父ペピンの時代にバグダッドのアル・マンスールのアラビア宮廷に送られた最初の使節の背後には、偉大なるイニシエート・フロールからのインスピレーションが生きていたと考えている彼の目的は、東方のカリフと政治的な同盟を結ぶことというよりも、アラビア東方世界との精神的なつながりを模索し、そこにまだ息づいていた精神的な叡智をヨーロッパのために『救出』することにあっただろう

 「薔薇の愛」と「百合の叡智」の結合を体験できる形のひとつに、おとぎ話がある。フロールとブランシュフルールの娘ベルテは「ガチョウの足のベルテ」とも呼ばれ、民衆の伝統の中でおとぎ話を語る「マザー・グース」に成長したのだ。

 中世に広がったおとぎ話は、カタリ派神殿騎士団、薔薇十字団等が、民衆に広めたものだという。「これらの短い物語は子供たちだけでなく、大人たちにも、もしかしたら大人だけにさえ語られていたかもしれない。想像力豊かな絵の形で、軽妙なユーモアに彩られた、深くて美しい教えが人々に伝えられた。これは、教会の教えと並行して、イニシエートや賢者によって人々に与えられた教育教材のようなものだった。」

 古代のようにイニシエーションが行われる秘儀がなくなったが、中世の文化にも秘教的な要素は影響を及ぼしていたのだ。例えば、「キリスト教神秘主義を鼓舞したオーバーラントの「神の友」のような孤独なイニシエートたちが、古代から現代への精神的な架け橋となった。しかし、クリュニー、シャルトル、初期のスコラ学で広く知られた教師たち-ある点では、隠された神秘の源から得ていた-、また、神殿騎士団錬金術師、詩人、大聖堂の建築家など、超感覚的な知識への深い憧れを抱くすべての人々についても同様であった。」

 しかし、これらに加えて、新しい時代に向けては、真に新しい精神的な衝撃がもたらされなければならなかった。「精神世界にアクセスするための古い方法が一時的に閉鎖された」からである。

ルドルフ・シュタイナーはこの関連で1250年について言及した。ルドルフ・シュタイナーは、しばらくの間、地上の最高のイニシエーターでさえ、前世のイニシエーション体験を思い出すことはできても、直接霊的な観察をすることはできなかった、と語った。霊的世界の再開は、その後の時代にはクリスチャン・ローゼンクロイツと呼ばれたヒラム=ジョン=フロールという個性の新たなイニシエーションと一緒であった。

 1250年頃、中央ヨーロッパに、新たなキリスト教の秘教的衝動の担い手として召された12人の賢者が住んでいた。12人のうち7人はアトランティスのイニシエートで、惑星の神々に捧げられたいくつかの神託において、偉大なるマヌの霊の指導の下で働いていた。【訳注】古インド文化時代の偉大な教師である聖なるリシとして、彼らは再びマヌの弟子となった。彼らの中にはアトランティスの宇宙の叡智がすべて集約されており、彼らはこれを記憶から呼び出すことができた。さらに、12人のうち4人は、アトランティス後の4つのエポック、古インド、古ペルシャ、エジプト・バビロニアグレコ・ローマ時代の代表者であった。12人目は、最も知性が形成された人物であった。彼はその時代の知識をマスターしていたが、その強い知的能力ゆえに、彼は今後来るべき第5の(我々の)時代を代表していた。

【訳注】シュタイナーによれば、アトランティス時代には、太陽と各惑星に献げられた神託所があったという。それぞれにおいて秘儀参入が行なわれていた。

 

 この12人の賢者は、新たなイニシエーションを受けるべき個性である13人目の賢者を導くために共同して集まった。幼い頃、彼は12人の保護下に入り、彼らに知恵を教え込まれた。この12人はそれぞれ心からのキリスト教徒であったが、教会の外的なキリスト教が真のキリスト教の歪曲にすぎないという事実を自覚していた。彼らはそれぞれ、特定の神秘的体験からキリスト教の一側面を照らし出すことができた。それぞれが別々に代表する叡智の流れを調和させることが、彼らの共同した努力であった。彼らの目的は、人類のすべての宗教的流れと世界観の統合を創造することであり、そのためには13番目の存在が必要だった。

 その間に青年に成長し、12人のマスターの世話と教え以外に世界との接点がなかった子供は、最大の心の力と真剣さですべてを吸収した。秘儀参入の処置は、彼の肉体の構成に深く働いた。ある瞬間、彼は食物を摂取しなくなり、一種の死のような状態に陥り、その状態が数日間続き、その間に彼の体は完全に透明になってしまった。ルドルフ・シュタイナーはこれについてこう語っている:

 

『その時、歴史上一度しか起こりえない出来事が起こった。それは、大宇宙の力が結実させるもののために協力するときに起こりうる出来事だった。』

 

 彼がこの状態にある間、12人は彼の周りに立ち、マントラ的な簡潔な定式に要約された叡智を彼に流れ込ませた。しばらくして、青年は死のような眠りから覚めた。彼に深い変化が起こったのだ。彼の魂は、12の叡智の流れの調和から新たに生まれたかのようだった。再び息を吹き返した彼の身体は信じられないほど透明で、光を放っていた。12人は、青年の口から、キリストご自身によって与えられた、12の知恵が変容した姿で、再びその知恵を受け取ったのだ。秘儀参入の眠りの間、青年は聖パウロのダマスコ体験を経験していた【訳注】。今、彼が教師たちに明かすことができたのは、彼らによって真のクリスチャン性、あらゆる宗教や世界観の統合と呼ばれるものだった。

【訳注】聖パウロは、ダマスコ近郊で復活したキリストと出会い、これによりキリスト教に改宗した。

 

 若者は、この最も聖なる秘儀が彼の中で行われた後、比較的すぐに亡くなった。12人の男たちは、青年の口から授かった知恵を受け継ぐことに残りの人生を捧げた。それは、超感覚的で想像力豊かな内容を示す象徴的な図形や絵の形でしかできなかった。18世紀末になって初めて、薔薇十字団のこれらの象徴的な図像が印刷物に現れるようになった。

 イニシエーションの成果として、13番目のエーテル体は無傷のまま残り、通常起こるような世界のエーテルへの溶解は起こらなかった【訳注】。このエーテル体は、12人の最初の教師たちだけでなく、彼らの信奉者たちや生徒たちのためにも、霊感を与える能力を地上で発揮し続けることができた。ここから薔薇十字団の流れが生まれた。

【訳注】人のエーテル体は、通常、死ぬと宇宙エーテルの中に解消していき、生前のまま残ることはないが、このように霊的に進歩した者のそれは、その後も保持され、他の人間によって使われることが出来るのだ。このような事象を、シュタイナーは「霊的経済」と呼んでいる。イエス・キリストにおいても同様なことが起きた。

 

 これらの全く隠された出来事から1世紀も経たないうちに、13番目の個性が再び誕生した。彼はそれから100年以上(1378-1484年)生き、それ以来、クリスチャン・ローゼンクロイツという名前を持つようになった。これは秘密の名前であり、そのため洗礼台帳には記載されていない。当初、彼は13世紀の時の子供と同じように育てられた。彼の教師は元の12人の弟子や信奉者であったが、今回は以前のように外の世界から遠ざけられることはなかった。

 28歳になったとき、彼は東方へ旅立った。ダマスカスの手前で、聖パウロのイニシエーション体験が繰り返された。13世紀に形成された不滅のエーテル体が、この転生において再び彼を貫いたのである。それ以来、1世紀ごとに行われてきた、その後のすべての受肉においてもそのようになった。このため、エーテル体は他の人々霊感を与え、浸透することさえでき、輝きと力を増していく。

 彼は7年間、東洋と西洋を旅して当時のあらゆる叡智を吸収した後、中欧に戻り、あの12人の最も発展した弟子や信奉者を同胞や弟子とした。こうして薔薇十字団の活動が始まった。」

 

 ヨハン・ヴァレンティン・アンドレアエの作とされる『友愛団の名声 ファマ・フラテルニタティス』(1616年)には、クリスティアンローゼンクロイツの伝記が書かれていが、「薔薇十字運動の奥深い秘教的背景は、ルドルフ・シュタイナーの研究によって初めて、秘儀参入者以外の人々にも理解できるようになった。」

 著者は最後に、シュタイナーがフランスの作家エドゥアール・シューレに与えた次のメモを付してこの章を終わっている。

 

「・・・1459年にクリスチャン・ローゼンクロイツにもイニシエーションを授けているマニのイニシエーションは、『より高次のもの』と考えられている。このイニシエーションとそれに伴うすべてのことは、今後長い間、大多数の人々から完全に隠されたままでなければならない。」

 

 本書ではマニの秘教的な流れについても触れられているが、このメモは、マニが薔薇十字団とも関係があったことを示しているという。

 マニとは、3世紀のマニ教の開祖である。彼も、シュタイナーによれば、秘儀参入者の一人である。彼の秘儀は、より高次のもので、悪の存在を善に変える力があるとされる。しかし、それは遠い未来においてなされるはずの彼の使命に関わるものである。

 

 さて、以上のように、フェルトマン氏は、秘教的キリスト教に関連する「聖杯の流れ」とそれにつらなるいくつかの秘教的団体、及びそれに対抗する勢力の歴史を概説している。

 それらは、太古から中世、近代へと続き、そしておそらく現代においても活動している2つの潮流である。

 一方の聖杯の勢力は、霊的ヒエラルキーによって定められた人類の霊的進化を進める者達である。その目標は、現代においては、霊的進化の途中で見失った霊性の再獲得と、霊性から離れることで得た人の自我の確立-それは自由と愛を伴う-を進めることであり、対抗勢力の狙いは、これを完全に根絶することである。

 これらの勢力は、歴史の背後で活動してきたのだが、その活動を具体的に担ったのが、それぞれの流れに属する秘教的団体、同胞団、そしてその影響を受けた、表舞台の諸団体及び個人ということが出来るだろう。

 上の文で、15世紀に誕生した金羊毛騎士団テンプル騎士団の流れにあり、近代を準備したと述べられている。これは表舞台にあった聖杯の勢力であろう。ヨーロッパの歴史は、本来、この影響力の下に発展すべきであったのだが、実際には、敵対勢力により阻止されてきたようである。カスパー・ハウザーの物語も、おそらくこの両者の闘いが関連していると思われる。
 その後の、ヨーロッパ内での各国の対立と戦争や、ヨーロッパ外での過酷な植民地支配(それは現代まで実質的に続いている)などの歴史は、聖杯の勢力の努力が実を結んでいれば、違ったものになっていたかもしれない。

 聖杯の流れには、常に敵対勢力からの攻撃があり、進むべき道が歪められてきたのだ。
 その攻撃は、当然、聖杯の流れにある同胞団にも向けられてきた。そのような同胞団に、敵対勢力が入り込んで、これを変質させて、乗っ取ってしまうのだ。従って、「陰謀論」に陰謀組織として同胞団の名が出てくるが、それはある意味で正しいのかもしれない。

 両者の流れを区別する目印は何か? それは、キリストに対する立場の違いのようである。キリスト及び真のキリスト教(既製組織のキリスト教とそれの教えるキリストとは異なる)は、前者の立場に立ち、霊的進化を求める人々に援助、救いの手を差し伸べるものである。そして今、キリストは、エーテル界に再臨しているのだ。このことを、後者の同胞団は認めることが出来ないのである。これを否定する団体は後者の流れに属すると考えられるのだ。

 今世界では、「陰謀論」で語られてきたようなことが次々と起きているように見える。そのどれも冷静に判断すれば、愚かなこと、あるいは危険なことと分かるようなものだが、多くの人々は、これに不信の念を持つことすら出来ていないようだ。

 悪の力が増して、その醜悪な姿を隠すこともなく闊歩した始めようでもある。

 だが、シュタイナーによれば、キリストがエーテル界に再臨し、人類は今、再び霊界の境界をまたごうとしているとされる。人間に霊的認識が新たに生まれようとしているのだ。これは、悪の対抗勢力にとってはまさに悪夢なのである。彼らの化けの皮がはがれそうになっているのだ。彼らにとっても、瀬戸際の状況になってきているのだ。

 それ故にこそ、なりふり構わず彼らは抗っているのかもしれない。だからこそ、世界は激しく荒れ、あるいは変動してきているのではなかろうか。

 これらの悪の力を克服しなければ、人類の未来がないことも事実である。いずれの未来が待っているのか?今、人類が岐路にあることは間違いないだろう。

※今年一年お付き合いありがとうございました。良ければ来年もよろしくお願いします。